失言将軍

某自民党議員の失言が話題になっている
「癌患者は働くなくていい」とか
やじ将軍と言われているようだが
やじ将軍というより失言将軍だな。
そいえば、前の復興大臣も
失言によって更迭?辞任?させらったけね。
こうした失言は、結局当事者に寄り添ってない。
当事者の苦悩なんて関係ない。
そういう人間性に起因しているのだと思う。
そして失言というのは
決して思ってないことを言ってしますのでなく
思っていた事を言ってしまう事なんだと思う。
「思ってもないこと言ってすみません」ではなく
「思ったことを口に出してすみません」ということだ。
もちろん各個人が何をどう思おうが
思想の自由だから別に問題ない。
健康な人に病気の人の気持ちが分からない。
被災してない人に被災者の気持ちはわからない。
それは事実だ。
だったらわからないといえばいいのに
分かっているフリしたり
寄り添っているフリを振舞うから
反感を持たれるのである。

さて、そんな失言将軍は
創価の活動化の中には大勢いる。
俺は18歳の時に手の指を1本切断する大怪我をした。
その時に創価のカツドウカは言ったことは
「本当は腕1本なくなるところが指1本で済んだのは功徳なんだよ」
という言葉だった。
18歳の美少年(笑)の心の傷に塩を塗るたくる言葉である。
それ以来10年間創価を大嫌いになった。
また、昨年の母の大会との時も
婦人部長さんは、母に
「創価から離れたら一人で寂しく死んでいく」といい
母の退会の気持ちが固まった。
この手の話はおそらく全国津々浦々で
数限りなくあるだろう。
友の幸福だとか
友を激励だとか
キレイゴトばかり言っているが
そんなことを微塵も思っていないことを
そうしたカツドウカの失言から読み取れる。

もっとも師匠が失言魔王だからその弟子もそうなんだろう。
大作センセの「キンマンコ」を始めとする
失言の数々は有名である。
が、大作センセの一番の失言は
平成2年11月16日の宗門誹謗スピーチだろう。

▼「猊下というものは信徒の、幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません」

という有名な例のスピーチである。(他にも失言したが)
これが創価破門への直接的な発言と発端となった。
11・16だけでなくそれ以前から
宗門誹謗と取られる発言はあったが
この日のスピーチが直接原因である。
これによって創価は宗門から破門され
念願の独立を果たす。
まさに「思っていたこと」を言葉にしたわけだ。
もちろんこの「失言」を謝罪し撤回するチャンスはあったのだが
大作センセと創価は「謝罪」も「撤回」もしなかった。
まぁ、失言でもなんでもなく計画通りってことだろう。
それまでは、さんざん「大御本尊」だの「唯授一人血脈」だの言ってきたのに
それをいともアッサリ否定したわけで
大作センセは「大御本尊」と最初から寄り添っていなかった
要するに大作センセには「大御本尊」に対する信心なんてなかったわけだ。
そうでなけれなこのような「失言」なんて間違ってもしないはずだ。
こういう人間が指導者と自称するのは
冒頭の某議員が政治家をやってるのと同じくらいおこがましい。
ましてやこんな人間を師匠なんて思っているなんて。
どちらにしてもこの一言(失言)によって
多くの会員に大御本尊を棄てさせた大作センセの罪は大きい。
来るべき無間地獄に恐れおののきながら生きながらえているのだろう。
謗法者の末路とはそういうものだ。

◆一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや(兄弟抄)

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コンプライアンス

「コンプライアンス」という言葉が随分と定着してきた。
10年くらい前まではそんなに言われなかったが
最近では世間に浸透してきた感がある。
「コンプライアンス」とは直訳すると
「法令順守」ということだが
「法令順守」は当たり前の話であって
それだけならば、わざわざ「コンプライアンス」などと
口うるさく言う必要はない。
なので「コンプライアンス」とは
「法令順守」以上のコトを指す。
色々と解釈はあると思うが
「企業倫理」「組織倫理」という事だと解釈している。
そしてこの「企業倫理」「組織倫理」というのは
「社会倫理」と融和していなければならない。
「社会倫理」に反する組織や人は
コンプライアンスという観点が欠如しているとして
いまや社会の中で生き残れない存在となりつつある。

そうした観点からすると、創価の組織は
全く「コンプライアンス」という考えを持ち合わせていない組織だと思う。
他の組織の会合にウソを言って忍び込み盗聴する。
こんな行為は「倫理」以前に「犯罪」だ。
民間ならば「偽計業務妨害」である。
また、今は都議選真っ盛りだが
「政教一致」と非難されると決まってカツドウカが反論するのは
宗教団体が選挙運動するのは憲法に違反していない。というモノだ。
以前ならばそれで良かったのかもしれないが
このコンプライアンスが叫ばれている時代に
「法律に違反してなければ正当である」という反論は
現代社会に生きる人間としてお粗末極まりない反論である。
何故、創価が政教一致だと世間に言われるのか?
それは「法律違反」をしているからではない。
「違法」ならば警察に訴えれば済む。
非課税の会館で「選挙」の会合を開いたり
買い物や飲食した店で公明党の支援をしてみたり
聖教新聞と公明新聞を学会員に配達させたり
そういう行動が「政教一致」に映るから嫌悪感を抱くわけだ。
いつも言うが、選挙支援をしたければ
公明党員という立場ですればいいことで
学会員としてそんなことをするから
社会は嫌悪感を抱く。
それが社会倫理というモノである。
そうした「社会倫理」と整合する
「組織倫理」「会員倫理」を設定し遵守していくのが
コンプライアンスの基本だろう。

そうしたことを全く無視して自分たちの正義だけを主張する。
非難されても「法律に触れてない」
「悪いことをしていない」と開き直り
逆に非難する側を誹謗する。
こうした今の創価のコンプライアンス意識の低さは
「宗教ならば何をしてもいい」といった考えが背景にあると感じる。
あるいは「宗教団体ならば何をしてもバレない」だろうか?
邪教界の最大手が、これなのだから
顕正会をはじめとする中小邪教団も
推して知るべしである。
宗教界の王者。などと自画自賛するのであれば
もう少しコンプライアンスを組織内に徹底したらどうだ。

創価のコンプライアンスとは

大作センセにお応えする。
大作センセに従う。
大作センセを守る。

であるが、これでは「社会倫理」と合致しない。
新しいコンプラの確立を是非願いたいものであるが
もはや、邪教団になった今の創価では
存在自体がコンプライアンス違反だからなぁ。

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顕正新聞

先日会社のポストに「顕正新聞」が入っていた。
しかもご丁寧に投函した人の名前と携帯番号まで書いてあった。
その人物の名前に全く見覚えはないが
これは各戸配布しているのか?
それとも狙って入れたのか?
狙って入れたとしたらなぜ俺の会社に?
しかも携帯番号まで書いて・・
イジメられたいのだろうか?(笑)
それはさておき「顕正新聞」なんて久々に目にしたので
せっかくなのでちらっと流し読み。
最初に、例によって浅井センセの与太話。
成長しないなぁ
であとは安倍政権批判。
見出しだけ見ると、神道を重んじる安倍政権は日本を破滅させる
みたいなことが書いてあったが
内容までは面倒なので読まなかった。
こんなどうでもいいことを一生懸命読んでるんだろうなぁ
顕正会の会員さんは。

で、後ろの方に興味のわく記事が。
なんでも、顕正会の会合にウソをついて紛れ込んだ
学会男子部が盗聴をして警察に引っ張られた。らしい。
ああ、広宣部だね。
しかし、相変わらずバカなことしてんなぁ広宣部は。
顕正会の会合を盗聴して
一体何に利用するんだろう?
顕正会の方も顕正会で
盗聴されて困ることでもあるのかね。
まぁ、例の法案が成立すれば
顕正会はテロ組織ってことになりかねないけど
いまはまだセーフでしょ?
ああ!「顕正新聞」で安倍内閣批判をしていたのは
「共謀罪」成立阻止ってことなのか。
逆に学会は公明党使って「共謀罪」を成立させ
顕正会を潰そうってことかな。
その日のための盗聴ってことなのか。

まぁ、どっちも大御本尊から離れた組織。
池田も浅井も大御本尊を棄てたくせに
いつまでも大御本尊を利用している組織なんだから
ある意味「共謀」だよね。
邪教同士が揉めてもしかたないんだから仲良くしなさいよ。
でも、現在地で見れは
創価よりも顕正会のほうがまだマシかな。
なんでも大石寺周辺では大御本尊に遥拝している顕正会員はいるみたいだし
魔の山とか、富士の濁流とかいいながら
大御本尊に遥拝しに大石寺の近くまで来ちゃうなんて
まだ可愛気があるよね。
そんなに大御本尊にお目通りしたいなら
とっとと顕正会なんて退会すればいいのに(笑)

さて、会社に顕正新聞投函したN氏
本当に電話しちゃっていいですかぁ(笑)

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これぞ創価活動家クオリティ

蘭房さんのコメント読んだ。
退会届をだしたら早速組織で打ち合わせ。
あの人は危険だから
会員さんをあの人に接触させないようにしなきゃ。
そんなことを打合せする。
それが「創価の組織を守る戦い」と思っている
俺が組織に追放された時もそうだった。
あいつとは、会うな・話すな・近寄るな。
ご丁寧に組織にそんな連絡網を回す。
JKのイジメじゃあるまし
付き合う人間をなんで他人がどうこう言うのかね。
クソガキなの?
組織人間の方々もクソガキで
街中で会っても挨拶もしない。
当然携帯もおれからの電話は着信拒否。
そんな具合に組織の中で策略を巡らせるくせに
当の本人にはな~にも言ってこれない。
だた逃げ回るだけ(笑)
これぞ、創価活動家クオリティ(笑)
完全に不良品としか言えない。

大聖人は、

◆彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。(立正安国論)

と仰せだ。

退会した人間が、退転者であり創価の敵と思うならば
会員に「あいつと付き合うな」と言う前に
敵である人間を破折しに行くのが王道だろう。
それもできずに陰でコソコソしていて
よくぞ大聖人の弟子を名乗れるな。

◆仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ(種種御振舞御書)

リアルでもこれだから
ネットの世界はもっと酷いね。
正宗や退会者のことを批判する創価会員がいるけれど
結局、自分のサイトや
創価コミュニティだけで
威勢のいい言葉を吐いているだけで
俺みたいにアンチ創価のサイトに
コメントひとつ書き込めない。
たま~に書いてくる活動家もいるが
全員途中で逃げ出しちゃう(笑)
全く情けないったらありゃしない。
もう、カツドウカを名乗るのはやめたら?
恥ずかしいでしょ?
え?厚顔無恥だから恥かしいって感情はない?
なるほど。納得で~す。

まぁ彼らは大聖人の弟子じゃなくて
大作センセの弟子だから
臆病なのは当然と言えば当然か(大笑)
こんな人間しか残ってないのだから
創価の人材不足も深刻だ。
正宗の心配するより
自分達の心配した方がいいだろう。
どれだけ自分たち創価が衰退しているか
少しは自覚したほうがいい。

◆夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く(富木殿御書)

ああ、佞人にはそんな自覚はないよね。

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創価教学じゃない御書講義(29年度5月座談会御書・四条金吾殿御返事)

なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、
「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、
兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、
ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は「四条金吾殿御返事」中の
「法華経兵法事」or「剣形書」
これもまたメジャーな御文ですね。
ここで仰せの「兵法剣形」とは
現在で言うと、能力とか才能とかスキルとか
そういった幸福になるための手段・方法。そんな所です。
で、そうしたものよりも、法華経の兵法を用いなさいということ。
もちろんそうした「兵法剣形」が無駄である。といっているのでありません。
この御書の冒頭に

◆夫れ運きはま りぬれば兵法もいらず果報つきぬれば所従もしたがはず、所詮運ものこり果報もひかゆる故なり

とあるように、才能・能力・努力を活かすのも
「法華経の兵法」である。ということです。
世間でも才能があっても運がなければ成功することはまずありません。

さて法華経の兵法とは、この前文に

◆ただ心こそ大切なれ

とあります。ここでいう「心」とは「信心」ということです。
信心とは具体的にいうと「本門の題目」事。
「本門の題目」とはいつもいうように、大御本尊を信じてあげる題目です。
ここがポイントですね。
大御本尊を受持の対象としない人の題目は
「本門題目」ではない。だから祈りはかなわない。

◆いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし

とあるように、我々が祈る祈りは同時にご本仏大聖人の祈りでもある
その大聖人(大御本尊)を信受しなければ
いくら祈ったところで無駄なわけです。
「兵法剣形」即ち才能や能力を活かすのは
この法華経の兵法です。
そこが狂ってしまっては、いくら「兵法剣形」の才を持っていても
それを活かしきることができないわけですね。

ではなぜ「深く信心」を取れないか?
大御本尊に信をとれないか?
それは「臆病」だからです。
特に創価の会員さんはここをよく拝してください。
「大御本尊を受持の対象にない」ということは正しい信心ですか?
おそらく多くの学会員さんは「正しくない」と思っているでしょう。
それを「正しい」と思っているなら
もはやその人は謗法に染まっているので手遅れですね。
そうじゃない会員さんはどうでしょう?
「正しくない」と感じているけど、
創価に言われた通りにするのはなぜでしょう?
創価の組織から離れたくない。
大作センセが好きだから。
おそらくそうした人情論とか世法のつながりがあるから
創価がいうことに従っているだけではないですか?

あえて厳しく言いますよ。
それを「臆病」というのです。
しかもあえて臆病なのです。
「あえて」とは、自ら進んで臆病になっている。ということです。
病気であることを知っていながら治そうとしていない。
ですから貴方たちの祈りは叶わないのです。
「いや私は祈りが叶った」という人もいるでしょうが
そう言う人は要注意です。
それは「魔の通力」であって「功徳」ではありません。
「私は大御本尊を捨てていない」
そう反論する方もいると思います。
では、あなたがいまでも「大御本尊を捨てていない」証拠はなんですか?
五座三座の勤行をしてますか?
大御本尊へのご観念をしていますか?
あなたが創価の化義を実戦しているのならば
「大御本尊を捨てていない」なんてウソを言ってはいけません。
それも「臆病者」のすることです。

◆浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり(撰時抄)

創価の組織から離れること
創価の活動をやめること
創価への供養をしないこと
「そんなこと今更できない」
その「臆病な心」を捨て「丈夫の心」になりましょう。
「心こそ大切なれ」
ですよ。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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