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創価・鯛焼き支部長との対論へのコメントスレはこちら。

管理人と鯛焼き支部長との「日精上人に関する対論」への読者の皆様のコメントはこちらに投稿してください。コメントは誰でも自由ですが管理人が「アラシ行為」だと認定した場合は警告の上コメントは削除しますので予めご了承ください。(特に創価サイドの人はご注意を)


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鯛焼き支部長さん、対論を始めましょうか。

さて、先月の約束通り創価民の鯛焼き支部長との対論のスレを立てました。テーマは【日精上人は一生涯造仏を主張していかどうか】です。個人的な正直なところを言えばこのようなテーマは対論になり得ないテーマです。その理由は本対論が全て終わった頃に書きたいと思いますが、こいううテーマが学会員は好きなのも事実ですし、最初なのでここは鯛焼き支部長の希望を採用させていただきます(ひとつ貸しね)さて対論にあたって事前にいくつか注意事項・禁止事項を書きますのでお互いにこのルールを遵守していきましょう。といってもごく当然のことでどちらかに不利・有利になるようなルールではありません。いままでの他の学会員との対論等での反省を踏まえて(といっても反省するのは学会員のほうですが)のルール設定です。

1、相手の質問に対して「、【質問返し】【質問スルー】【意味不明の回答】【質問に無関係な回答】をすることを禁止します。
2、テーマ(論点)の【すり替え】【拡散】をすることを禁止します。
3、特定の方の言説を文証とした場合は、同一人物の言説は全て文証として採用する(ある人物の言説を自分に都合のいいところだけ文証としない


とたったこれだけです。では鯛焼き支部長さん、「日精上人が一生涯にわたり造仏を主張した」ということを論証してください。
尚、他の方のコメントは別スレの鯛焼き支部長との対論へのコメントの方に書き込んでください。


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創価教学じゃない御書講義(2021年2月座談会御書・乙御前御消息)

いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり

今月の座談御書は「乙御前御消息」の上記の御文です。全く同じと事を4年位前にやりました。創価の座談会御書は3~4年のローテで同じところばかりやっていてます。これなら「新御書」は50篇くらいで十分足りますね(笑)
▼前回の記事はこちら
創価教学じゃない御書講義(29年度7月座談会御書・乙御前御消息)

今回は前回と同じ「御志」について前回と違う話をします。信仰者にとって「志」というのは非常に大切なことです。
◆ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり(白米一俵御書)
との御妙判にあるように、凡夫というのは「志さじを心得て」成仏するのです。この「志さじ」とは「観心の法門」で、「観心の法門」とは何かというと、例えば貴方が友人にお菓子をもらったとします。丁度、自宅の御本尊にお供えがなかったからそのお菓子を仏前に供えました。とこう書くとなんだかちょっと「信心がありそうな」話ですが、これは「教相の法門」です。「教相の法門」とは「上辺だけ」「見た目だけ」で体裁を整えるような信心のことです。「観心の法門」とは自宅の御本尊にお菓子をお供えしたいと思い自分でお店に行き自分のお金で買って供える。というものです。自分で店に行く。自分のお金で買う。その時間や道のりに真心があるんです。そこが重要なんですね。この真心・誠心を「観心の法門」といい「志ざし」といい凡夫が成仏する要です。さて、今回の御書は題号は「乙御前御消息」となっていますが実際にお手紙を頂いたのは乙御前のお母さんで、大聖人から日妙聖人というお名前をいただいた純信の女性信徒です。
◆日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん日妙聖人等云云。(日妙聖人御書)
日妙聖人は寡婦の身でありながら幼い乙御前の手を引いて鎌倉から佐渡にいる大聖人の許へ訪ねていきました。
◆相州鎌倉より北国佐渡の国其の中間一千余里に及べり、山海はるかにへだて山は峨峨海は涛涛風雨時にしたがふ事なし、山賊海賊充満せり、宿宿とまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑいまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子ありあづくべき父もたのもしからず離別すでに久し。 かたがた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ(日妙聖人御書)
今と違い鎌倉から佐渡までの道は長く危険であり命を落としかねない旅です。守ってくれる旦那さんもいない中で幼子を連れて大聖人に会いに行く。その道中や心情を想像しただけで涙が出てきます。大作ファンクラブのご婦人達とは全く違いますね。そうした純真な信心を大聖人が称えられ「日妙聖人」という最高の名前を付けて下さったのです。
◆然るに玄奘は西天に法を求めて十七年十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。此等は男子なり上古なり賢人なり聖人なりいまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を(日妙聖人御書)
ひたすらに大聖人を恋慕して求めていく。これが「御志」であり「観心の法門」であり「凡夫が成仏する」信心なんですね。貰い物を仏前にお供えしようなんてもっての外です。スーパーにお供えを買いに行くのも面倒くさがって貰いもののお菓子で済まそうとしていては成仏なんて遠い未来ですよね。反省します(笑)さて、今月は創価の諸君はこの御書を学ぶようですが貴方たちはこの御書を読んで「恥かしくないですか?」生身の大聖人である戒壇大御本尊にお目通りをしたいとも思わないその心根の貧しさ。しかもその理由が「大石寺は謗法だから」でしょ。創価の諸君に聞きたいが、日妙聖人が大聖人を訪ねていった佐渡の地は当時は【謗法の地】ではなかったんですか?【謗法の地】ですよね?だから百歩譲って「大石寺が謗法」だったとしてもだからと言って戒壇大御本尊を捨てる理由にはならないのですよ。大聖人は【謗法の地である佐渡】に来られた日妙聖人を最大に称賛しているでしょう。それが今回の御文にある【強盛の御志】なのです。「大石寺が謗法の地だから大御本尊を受持しない」というのは、大聖人が佐渡流罪になったら退転した人間たちと全く同じ人種です。創価サイトでは佐渡流罪を機に退転した人々を「多数の門下が臆病と保身から、大聖人の仏法に疑いを起こして退転してしまいました」と説明してますが、まさに今の創価の貴方たちが「臆病と保身で退転した多数の門下の一人」なのです。もちろん退転者に利生(功徳)などありません。「同じ法華経」でもありません。今月、本抄を学ぶ学会員さんの中で日妙聖人の姿を感じて自分自身が恥ずかしいと思ったのであればまずは戒壇大御本尊に対する信心・恋慕の気持ちを持つべきです。そうでなければこの御書を学んでもそれは「教相の法門」にしかなりません。「御志」を持つ学会員さんが一人で多くいることを願っています。


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驕慢謗法の話。

過日、小野塚さんがコメントに増上慢の事を書いてくれたので今日は「驕慢謗法」について書いてみたいと思います。「慢」というと経典によって七慢・八慢・九慢と諸説ありますが内容は大体似ています。増上慢はそのうちの七慢と八慢に書かれいます。言葉的に分かりやすいのは八慢ですかね。名目だけ挙げると【慢・大慢・慢慢・我慢・増上慢・不如慢・邪慢・倣慢】の8個の慢になります。増上慢は【悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる】事をいいます。さてこれらの「慢」は全て「驕慢謗法」となります。「松野殿御返事」に有名な十四誹謗が書かれています。
◆悪の因に十四あり。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり
この十四誹謗(謗法)の一番最初に書かれているのが「驕慢謗法」になります。このうちの謗法の根本は何かというとこれは門外と門内の二筋があると思います。
◆十四誹謗も不信を以て体と為せり(念仏無間地獄抄)
まず「不信」が謗法の根本であると大聖人は言われていますが、これはあくまでも「門外の人」つまり大聖人の仏法を信じられない信心をしていない人の場合です。大聖人の仏法を信仰している「門内の人」は「不信」ではありませんから十四誹謗を犯す根本は「不信謗法」ではありません。信心をしている人間にとって一番気を付けるべきは「驕慢謗法」であり、この「驕慢謗法」が原因で他の13の誹謗を犯すわけです。池田創価も昔は大御本尊を信じていたけど今は大御本尊を捨てた。その根本原因は池田大作の「驕慢謗法」にあります。そこからどんどん十四誹謗を広げていき最後は「不信謗法」となり大謗法団体となったのが今の創価です。今の学会員はもはや「不信の門外漢」なわけですから学会員さんで正しい大聖人仏法を志すのであればまずは戒壇大御本尊へ信を取り不信謗法を払しょくすることが基本になります。さて、我々法華講員にとっても池田創価は他山の石ではりません。「驕慢謗法」は信心をしている人間が誰しも陥る可能性のある謗法です。これを放置すれば自分もいつ池田創価のような大謗法者になるかもしれません。
◆皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし(新池御書)
と大聖人が言われています。大聖人のご在世ですら増上慢になる信徒が数多現れたのです。現代は当時よりも衆生の機根は下がりましたが教育により標準的な知的レベルがあがりましたので驕慢謗法を容易く犯しやすい環境であると思われるので注意が必要です。では、池田創価や浅井顕正などの二の舞にならず驕慢謗法にならない方法とは何でしょうか?それは上記の御文の次下で大聖人がご指南してくださっています。曰く、
◆何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。
ということです。【此の経の心をしれる僧に近く】とは具体的にはどういうことかというと、まずは寺院参詣をするということが一番直接的で分かりやすいと思います。所属寺院の御講に参詣してご住職の法話を聞いたりすることですね。それ以外の間接的な方法としては、御書や日如猊下・ご歴代上人の書籍をも読むことも【此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞】することになるでしょう。そして誰よりもこの経の心を知る僧である日蓮大聖人に近づく事。つまり登山して戒壇大御本尊にお目通りすることが大切だと思います。もちろん自宅での勤行唱題も日蓮大聖人に近づくことです。法華講員としては当たり前の日常的なことばかりですが、これが信心を長く続けるうちにできなくなる。そこから驕慢になりやがて十四誹謗をコンプリートした大謗法になってします。だから大聖人は【何としても】【経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞】しなさいと言われているわけですね。ともあれ驕慢謗法、なかんずく増上慢にならないように気を付けたいと思います。ただし創価や顕正と言った謗法異流儀を破折するときは大上段からの上から目線でこれでもかと言うくらい思い切り破折しましょう。
◆我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり(顕仏未来記)
◆されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳なりけるか(撰時抄)
と大聖人が仰せのように、極悪の大謗法を破折するのは「大慢」のように見えたとしてもそれは「大正義」ですから。


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日興遺誡置文の研鑽②

「日興遺誡置文の研鑽」の第2回目です。今日は以下の2箇条について研鑽したいと思います。

一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。


この2箇条は御書の取り扱いについてのご遺誡です。このご遺誡読むと日興上人のご存命の時からすでに五老僧一派は御書を偽書と言ったり、自分達が勝手に書いた書物を御書だと主張したりしていたのだなぁといつも思います。そしてそれが700年も続いるわけです。もっとも身延などは「御書」とは言わず「日蓮遺文」といいますから御書を蔑ろにした五老僧の末裔らしいですね。
一、御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者之有る可し、若し加様の悪侶出来せば親近す可からざる事。
これは身延お得意の「都合の悪い御書は全部偽書」理論ですね。彼らから言わせると相承書はほとんど偽書扱いです。いやそれが確実に「偽書」であるなら問題ないしそれに従いましょう。でも彼らの主張はまったく希望的推測にすぎません。例えは大聖人の出家時のお名前が「是生(聖)房蓮長」であるということが書かれている唯一の書である「産湯相承事」はずっと偽書扱いしてきたので彼らは長らく「是生(聖)房蓮長」という言葉を使いませんでしたが、『授決円多羅義集唐決』の大聖人の自筆写本の奥書に「是聖房」と書いてあり真筆であることが分かりました。それにも関わらず「生」と「聖」の字が違うなどといって未だに偽書であると主張しているのですから身延学者のレベルが知れるというものです。そして最近では正宗攻撃をしたいがばかりにこうした身延学者の受け売りをして、大聖人の御書の一部を「偽書」扱いする創価民も増殖しています。自分達の御書全集に掲載されているのにですよ。実に情けない話です。日興上人はこうした親近してはいけないと遺誡されています。さて、御書とは大聖人の書き残された書物ですが我等日興門流においては広く歴代上人の書き置かれた御文・ご指南も「御書」として拝することが大切です。なぜなら唯受一人血脈相承のご歴代上人は三宝一体義のおける僧宝だからです。それが日興門流の信心であり教学です。創価民は相伝書における後加文を否定しますがそれを否定することは僧宝否定となりひいては三宝否定となるのです。こうした後加文を否定する創価民の姿勢は【御書何れも偽書に擬し当門流を毀謗せん者】に該当するのです。

一、偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者は師子身中の虫と心得可き事。
これも五老僧系がお得意のパターンです。有名のは「日朗御譲状」ですね。大聖人が臨終に当たりご自身の墓所に置くよう遺言された随身仏を日郎が身延の墓所から持ち去った(盗んだ)ことを正当化するために偽作したのが「日朗御譲状」です。そして現代の「偽書」の代表作といえば池田大作の「小説人間革命」でしょう。池田創価は単なる池田大作の私小説を「現代の御書」などと位置づけ会員たちも「小説」が正で「御書」が傍のように扱っています。そして選挙や新聞拡販の活動をしているのですから、まさに今の池田創価は【偽書を造つて御書と号し本迹一致の修行を致す者】であり、大聖人仏法を名乗る師子身中の虫に他なりません。ある時は「御書に書いていない」と言って否定しながらある時には御書に書いていないことを主張する。また自分の都合に合わせた御書の解釈なども広義でいえば「偽書を作って御書と号す」行為です。こうした「御書」に対する冒涜は日興門流から外れた五老僧・異流儀の発想・行為であると言えます。そんな創価が今年は池田大作監修の元で新しい御書全集を発刊するそうです。どんな「出来損ないの欠陥品」が出来上がるのか今から楽しみです。


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Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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