功徳?罰?創価には無関係だよ。

数日前に絵里子さんからコメントもらって
久々にのんかつ氏のブログを読んでみた。
まぁ相変わらずといっちゃ相変わらずで、
アンチ創価の人達に対し、「いつか仏罰が出る」などという
妄想なのか、希望なのかなんだか分からない事を書いている。
(ぶっちゃいうと、バ○丸出しって感想だけど)
人の不幸を楽しみに待って日々祈っているのでしょうね。
確か創価のインチキ勤行のご祈念には
「世界の平和と一切衆生の幸福のために」とあるはずだが
インチキ勤行とインチキご祈念はセットのようで
のんかつ氏のブログを読むと、「一切衆生の幸福」など
一切、「ご祈念」していないことがよくわかる。
方や極悪ラン氏は、「真面目に信心すれば必ず功徳がある」
などと無責任な発言をしたりしている。
二人ともに「御本尊」とは何か?
を全く知らない学会員である。
そんな二人が「罰」だの「功徳」だのと
語っているなんてなんのお笑いグランプリなのだろう(笑)
お二人が何と弁明してものんかつ氏もラン氏も、
このブログに乗り込んできて
俺からの質問に全く回答できないで遁走した。
という事実が全てを物語っている。
創価活動家風に言えば、二人が遁走したという現証をみれば
このお二方の主張が「いい加減で無責任な主張である」といことは明白だろう。
また当時のお二方のコメントを読めば、
そのお友達も含めてお人柄がよく表れている。
お時間のある人は是非彼らのコメントを読んでみてくださいな。

さて、このように「功徳」だと「仏罰」だのと知ったかぶりして
功徳という妄想を植え付け
また「仏罰」などというハッタリを繰り返す創価活動家は非常に多い。
そのようなバリカツは完全に心神喪失状態であるが
仏法は国法と違い「心神喪失病」であっても
謗法という仏法上の犯罪は免責にならないよ。
彼らの言う「功徳」とか「仏罰」なんていうのは
今も言ったように何の根拠もない
「妄想」と「ハッタリ」でしかない。
なぜなら「功徳」も「仏罰」も
創価信仰とは「全く無関係」だからである。
大聖人仏法における「功徳」や「仏罰」は
何を縁にして顕れるかと言えば
それは、「人法一箇」でありご本仏の色心二法である
大御本尊に縁をすることによって顕れるのである。
百歩譲って大御本尊に限定せず
創価の言う「三大秘法の御本尊」と定義してあげたとしても
そこには当然大御本尊も含まれる
創価の本尊の定義に当てはめれば
身延の真筆も、日顕師書写の本尊も
ずべて同等の「三大秘法の本尊」であり
「本門の本尊」だという事である。
その「本門の本尊」である大御本尊を受持しないし
身延の真筆本尊も受持しないのが今の創価。
つまり創価は、一部の「本門本尊」を受持して
大多数の「本門本尊」を捨てているというわけだ。

では、ここでもう一度聞こう。
「功徳」とか「仏罰」というのは
「本門の本尊」と縁することで顕れるのではないのか?
「本門の本尊」に対する信不信が「功徳」「仏罰」の因だろう。
キミ達創価は「大御本尊」も「身延の真筆本尊」も
すべて等しく「本門の本尊」だという。
ならば、大御本尊を受持しないというのは
「本門の本尊」を捨てることではないのかね?
身延の真筆本尊は何で受持の対象にしないのだね?
また、奪って言えば「三大秘法の本尊」は
「一大秘法の大御本尊」を開いたものであり
その根本を捨てたのが今の創価だ。
「本門本尊」不信の咎は免れない。
与えて言っても、奪って言っても
どちらにせよ創価は大聖人の本尊を捨てた謗法者であり
大聖人仏法から脱落した退転者であることは誤魔化せない。
つまり今の創価と活動家は「ご本仏」とは「縁もゆかりない」わけだ。

ご本仏と縁もゆかりもないのだから
創価の信仰や活動を真面目にしたところで「功徳」なんて顕れない。
逆に創価や活動家をいくら非難・批判しようとも「仏罰」なんて起こらない。
創価に存在する仏は「創価学会仏」という
某爺さんの妄想から生まれたインチキ仏である。
こんな、迹仏にすらならない架空仏を
いくら罵倒しようと「仏罰」なんて起こせる力なんてあるわけないし
いくら崇拝しようと「功徳」なんて顕せる力もない。
もしも創価インチキ仏に力があるというならば論証してみろよ。
まぁ、無理だよな。論証なんて、インチキなんだから。
「真面目に信心すれば必ず功徳がある」とか
「アンチ学会には必ず仏罰かでる」とか
そういう妄想やハッタリをひっくるめて
「ウソつき学会員」「能なし幹部」「ヘタレ活動家」って呼ぶんだよ。
キミ達のようなバリカツさんをね。
「功徳」も「仏罰」も、ご本仏と無関係の創価にはな~んの関係もない話なんだよ。
部外者・関係者以外お断り。ってやつだよ。
そういう訳だから、こうしたバリ活のいうことなど信用しちゃぁいけません。
真面目に創価の信心や活動したって功徳なんて一つもありません。
創価なんてやめたって仏罰なんて待てど暮らせどあらわれません。
創価活動家の言う「功徳」とか「仏罰」とかは
「ウソ」と「ハッタリ」ですからね。
むしろ、ご本仏にから離れた創価こそ仏敵だから
創価の信心なんてする方が「仏罰」でまくりだよ。
逆に創価をやめた方が「功徳」もでるよ。
これは大聖人様の御書に書いてあるから
「ウソ」でも「ハッタリ」でもないよ。

え?創価バリカツさんに罰が出ないのは何故か?って?
それはね、

◆法華経を怨む人に二人あり、一人は先生に善根ありて今生に縁を求めて菩提心を発して仏になるべき者は或は口閉ぢ或は頭破る、一人は先生に謗人なり今生にも謗じ生生に無間地獄の業を成就せる者あり是は のれども口則ち閉塞せず、譬えば獄に入つて死罪に定まる者は獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでに て別の失なし、ゆりぬべき者は獄中にて僻事あればこれをいましむるが如し(法蓮抄)

とあるように、バリカツさんてのは「無間地獄が決定している」から
今世に罰がでない。ってこと。
それを彼らは「罰が出ない」どころか「功徳がでた」と言っているわけ。
囚人にも、お正月やクリスマスに特別メニューが出るでしょ
死刑囚も執行の前に好きなモノを食べられるでしょ
そういう類のものをバリカツさんは「功徳」と呼んでいるわけ(笑)

さぁ、会員の皆さん一日も早く創価から離れましょう
創価の言う「仏罰」なんて「ハッタリ」です。
そして勧誘を受けてる方は絶対に入会してはいけませんよ。
創価の言う「功徳」なんて「モウソウ」です。
彼らが説明する「仏法」というのは
「大作の創作」だからね。
騙されなさんな。


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解散総選挙か?創価の正義を証明する時だね

今朝のニューズにざっと目を通すと
「年内解散総選挙」というような記事がチラホラ
早ければ、臨時国会での冒頭解散もあり得る雰囲気。
民進がエラーをしでかし
支持率も回復し
森友・加計問題も風化し
小池新党もまだ体制が整っていない。
自民・公明の与党の連中は
「今なら勝てる。よし解散総選挙だ」っていう腹積もりなのはミエミエだ。
しかし、選挙に勝てるとか負けるとかだけの理由で
解散総選挙をするなんて本当に今の政治家ってのは国民をバカにしているよなぁ。
国政選挙ってのは何かの議題について国民の信を問うための選挙でないと。
今回だったら「憲法改正」と「消費増税」だろうけど
そのどちらも年内中に信を問う緊急性はない
今のところ、国民は憲法もそうだが消費増税についてまだピンときていない。
本来ならば、来春あたりに「消費増税」の是非を問うて欲しい。
いまだと「消費増税」に関しては触れられないまま
なんの議論もないまま来年にはそのまま10%になってしまう。
アベノミクスが当初の目標を達成していないのにも関わらず消費税だけ増税だ。
また、子供税だっけ?そんな訳のわからない税もコッソリ新設されそうである。
自分たちが負けそうな時は「信を問うべき」問題があっても
「政治的空白を作るべきじゃない」と選挙を回避するのに
北朝鮮問題が緊迫しているいま
「政治的空白」を作ろうとしている。
まったく身勝手極まりないと感じるね。

でも選挙となると創価活動家は嬉しいでしょ?
なにせ選挙以外には新聞啓蒙くらいしかやることがないもんね。
新聞啓蒙は個人の数字がでるので
結果を出していない幹部は明らかになっちゃうけど
選挙は「自己申告」だけなので、
いくらでも「戦っているフリ」できるからね。
それに、今の創価はたいした体験談もないから
座談会もマンネリしちゃうけど
選挙だと一応「活動報告」なるコンテンツが増えるし。
バ幹部にとっては選挙ほどありがたい活動はないよね。

それに選挙は、日頃言っている創価の正義を示すチャンスだもんな。
いまから30年くらい前。20世紀の後半に
まだアブラギッシュで元気な大作センセが
「創価の善の連帯1000万人」と本幹でぶち上げた。
当時の幹部が言うには、1000万人とは
折伏数でも、活動家の人数でもなく
公明党の比例の得票数を1000万票を獲得することらしい。
あれから30年。ご存知の通り
公明比例票が1000万を超えたのはただの一度もない。
郵政選挙で900万を超えてあと一歩のところまで迫ったが
その後は700~800当たりで停滞してる。

おやおや?それは少しおかしな話じゃないか?
創価活動家は、いっつも口を揃えて
「創価学会は発展している。その事実は誰も否定できない」とか
「創価学会の発展の現証が創価学会が正しい証拠」
なんて、いきがって吹いているじゃないか。
それが事実だとしたら、なんで大作センセの1000万人の話から
30年も経過しているのにいまだにその目標を達成していないのか?
大発展しているはずの創価なのに、
いつまでたっても師匠・大作センセの1000万人連帯を実現できていない。
罵詈活諸氏のいう「現証論」でいうならば
公明比例票1000万を達成できないということは
創価・大作センセの負けであり
大発展もウソであり、創価に正義などない。という事だろう。
現証論の大好きなバリ活さんには
一体なんで大作センセの構想する1000万票を獲得できないのか?
その理由をぜひご教授願いたいものである。
まさかこの期に及んで
「選挙と信心は別物」とかは言わないよなぁ(笑)
毎回、毎回、「選挙は信心」と言ってるんだから。

というわけで、解散総選挙は創価の正義を証明するチャンスだろ?
今度こそ、比例票1000万を獲得して
創価の正義を満天下に示さないとね。
「創価は発展してる」
「創価は正しい」
「創価には現証がある」って
口だけ番長。はもういいからさ
アンチがぐうの音も出ない結果を出してみなさいよ。
ほらほら、キミ達の好きな
◆道理証文よりも現証にはすぎず
いまこそ、この御文を身で読む時だよ。
1000万票の「創価正義の現証」をだすか?
それとも、1000万獲得できず
「創価は大ウソつきの現証」をだすか?
それは、日頃から大口叩いているバリカツさん
貴方の戦いにかかっているんだよ。
解散総選挙はアンチを黙らせるチャンスだよ。
ガンバレ!バリカツ!


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創価学会は仏教団体ではありません。

以前、牡丹さんさんから紹介された創価系ブログ
タイトルは忘れちゃったけど、
そのブログのトップにとんでもないウソ記事が書いてあって
いつか破折しようとメモっておいたので
今日はその件について書いてみる。
そのブログのトップには書いてある主張は
「創価学会は世界最大の在家仏教団体である」というもの。
最初に結論を言っておこう。
「創価学会は仏教団体でなく単なる新興宗教団体」である。
これは紛れもない事実だ。
創価の活動家はあたかも創価は、
新興宗教ではなく伝統的な仏教団体であると言うが
それは全くの嘘八百なので騙されないように注意してほしい。
(外部の方のみならず、内部の会員さんも気を付けて)

今回の管理人氏の主張(以下▼)を読むと実に欺瞞に満ちていることがよくわかる。

▼もともと学会は、日蓮正宗の在家信徒団体として結成されました。
つまり、伝統仏教宗派の中のひとつのグループだったわけです。

ここまでは事実だがここから先は全くの作り話。
というか、上記の話は「破門される前」の話であって
いまの創価にはまったく当てはまらない。

▼当然、学会の教義は、鎌倉時代から伝わる純粋な日蓮仏法そのものです。明治以降にでっち上げられた各種の新興宗教とは、完全に異なります。

鎌倉時代から伝わる教義など今の創価にはない。
なぜなら既に教義変更をし、元々の正宗の教義を否定してる。
かといって、身延系(日蓮宗系)の教義を採用しているかといえばそれもしていない。
つまり今の創価の教義は、つい3年前に創価が勝手に作った独自の教義で
創価自身も「独自性」などとのたまわっている。
ゆえに創価の教義は明治以降どころか、つい最近でっち上げられた
平成の新興宗教であり、伝統的な日蓮仏法とは完全に異なる。したがって

▼学会員が日本にこれほど大勢いるのは、単純な理由で、日本の正統・伝統の仏教徒団体だからです。

この説明は完全なる虚偽・虚言である。
それを言うならば
昔は日本の正統・伝統の日蓮正宗に信徒だったから学会員が大勢いるのです。
破門後は単なる新興宗教団体だから
日本では信者獲得が困難になり
まだあまり創価の事が知られていない外国での普及が中心です。
と正確に記述してくれないと。
これが本当の話なんだから。
だってさ日本国内ではにここ四半世紀以上
創価の人数は増えていない。
827万世帯から止まったままである。
(減った人数をカウントしていないので実際には減っている)
それが事実でしょ。
【日本の正統・伝統の仏教徒団体だから】日本の学会員が大勢いるんでしょ?
てことは現在学会員が増えていないのは
【日本の正統・伝統の仏教徒団体】ではなくなったからでしょ。
確かに単純・明快な話である。

▼ただ単に、僧侶の存在が目立たないだけに過ぎません。

創価の言う僧侶。いわゆる「青年僧侶改革同盟」とは
日蓮正宗で得度・修行して僧侶の資格を得た者だ。
なので正宗を離脱した今、彼らは勝手に「僧侶」と
自己申告しているだけであり僧侶としての資質はない。
「日蓮正宗」の修行をして僧侶になったのに
その「日蓮正宗」を離脱し批判して僧侶と言えるのかね。
剣道で師範代になった人が剣道をやめて
柔道始めても師範代にはならないだろう。
プレバトだって俳句で名人になっても
花道で最初っから名人の席に座っている人はいない。
あの梅沢富美男でもだ。
なのでどうしても僧侶と主張したいのなら
別の宗派で再度修行して、そこで僧籍を取り直せといいたい。
ところが「青年僧侶改革同盟」の
自称僧侶達はただ正宗から離脱しただけで
その後修行のやり直しをしている様子はない。
つまり「日蓮正宗」のままならば僧侶であるが
そこを離れたら僧侶としての資格などないも等しいわけだ。
もっとも、創価は在家だけなので
「修行」なんてないからやりたくてもやれないだろうから
いつまでたっても「自称」僧侶でしかない。
詐欺師がよくつかう「自称専門家」
それが青年僧侶改革同盟という怪しい連中の正体だ。

▼第一、現在学会が会員に授与している御本尊は、700年の伝統を持つ栃木・浄圓寺に代々伝えられてきた、由緒正しい御本尊です。学会が勝手に本尊を創作しているなら、新興宗教と言われても仕方ありませんが、伝統仏教の寺院から正式な申し出を受けて授与を代行している以上、そのような批判は的を得ていません。

700年の歴史を持とうがなんだろうが正宗から離脱してしまえば
それは「日蓮仏法」から離脱したことになる。
なぜなら「日蓮仏法」と呼ぶのは日興門流の日蓮正宗しかないからである。
それに歴史があるから「由緒正しい本尊」って(笑)
御本尊を美術品か骨董品と同じとでも思っているのか?
そうならば、学会本部の本尊は「昭和の本尊」だから
会員の自宅にある江戸期の本尊の方が価値は上ということになる。
また、浄圓寺の御本尊は日寛上人書写の本尊である。
日寛上人は日蓮正宗の御歴代である。
そこから離れたのであれば本来返納すべき本尊である。
(創価が正宗から下付された本尊も返納するのがキマリだ)
浄圓寺の所有物ではない。
さらに創価はこの日寛上人のご本尊を画像処理し変更してコピーしている。
これこそ「学会が勝手に創作」している証拠である。
また浄圓寺がそれを許しているのであれば
五老僧よろしく浄圓寺の人間は「本尊」が何かを分かっていないということだ。
まさに身延のお土産本尊風掛け軸と同じ扱いである。
そして、「授与を代行してる」のあれば
学会員は全て浄圓寺の檀徒になる。のが筋である。
「代行」というのは、「浄圓寺の住職の代わり」ということだ。
学会員で、浄圓寺の檀徒の人手を挙げて!
し~~~ん・・・
浄圓寺にご供養している人!
し~~~ん・・・
浄圓寺にお参りしたことのある人!
し~~~ん・・・
ほ~れ、誰もいないじゃないか(笑)
何が「代行」だ。ウソも大概にしてほしいもんだ。

さて、このブログ記事の最後は
▼あなたの隣の学会員は、新興宗教の信者ではなく、普通の日本人であり、真面目な仏教徒なのです。どうか安心してください。

と結ばれている。
典型的な新興宗教団体の手口である。
いかにも自分たちは昔からある仏教の団体なんですよ~ってアピール。
もうね、こういうアピールをしている時点で
「新興宗教団体で~す」と言っているのも同然なんだよ。

いまの創価の教義・・最新では「会憲」読んでみなさいよ。
三代会長を永遠の指導者と定義している。
つまり、創価の教義っていうのは
大聖人仏法を「三代会長」なかんずく大作センセが
解釈したことを教義にしているわけだ。
仏法・仏教というのはあくまでも「仏」の教えだ。
普通の爺さんが解釈した教えを「仏教」とはいわない。(顕正会も同じだぞ)
そしてその爺さんの教えを信じる人を「仏教徒」とはいわない。
もちろん「創価学会仏」などという架空の仏を信じるのも同じである。
このような宗教団体を、「新興宗教団体」と言うのである。
つまり、貴方の隣の創価学会とは
日蓮大聖人を隠れ蓑に使い
あたかも自分たちを仏教徒のようにみせかけ
その実は、大聖人とも仏教とも何の関係もない創価学会に
あなたを勧誘しようと狙っている人なのである。
その昔、オウムが「ヨガ教室」を隠れ蓑に信者を獲得したように
創価は「仏教」「日蓮」を隠れ蓑に貴方を勧誘しようとしているのです。

創価が仏教団体?
は?バカ言っちゃいけません。
そもそも、選挙ばかりやっている伝統的な仏教団体がありますか?
自分たちの会報の新聞を信徒に拡販させている伝統的な仏教の宗派はありますか?
学会員さんと付き合う事は決して悪いわけではないが
選挙や新聞はしっかり断ってください。
それで人間関係がうまくいかなくなったとしたら
それは、相手(学会員)は、最初からそれが目的で貴方に近づいてきただけです。
そんな人はこっちが願い下げですね。

では、最後にもう一度ご唱和お願いします。

「創価学会は仏教団体でなく単なる新興宗教団体」である


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創価脳の観心本尊抄講義の感想

本尊義の質問に答えられずに、このブログから遁走していった
「極悪と戦うなんちゃら」ブログの管理人の創価脳のランさん。
略して極悪創価悩乱さんが
ご自分のブログで先月何を思ったか
「観心本尊抄」の講義を突然始めた。
「へ~観心本尊抄なんて理解できるんだぁ~」って思って
その記事は読んでいた。
連載ぽく第3回まで書いたが、その続きは
飽きちゃたのかどうか知らないが
すげ~中途半端というか
本論の部分の講義がないままどうやら終了したみたい。
まぁ、回を増すごとに、どんどん酷い内容になっていたので
打ち切りは正解なんだけどね。
そこで今回は約束通り、創価悩乱創価脳・ランさんの
観心本尊抄講義の添削をしてみるね。
(以下▼が創価脳ランさんの講義)

まず初回の冒頭に
▼これは記事にしてよいものか相当迷ったが

との記述がある。
うん。よせばよかったのに(笑)とツッコミを入れた。

でまずは題号の説明がある。
「時・応・機・法」の四義の説明は日寛上人も文段をそのまま引用なので問題なし。
だけど
▼"おすがり信仰""がひろまっていた。それに真っ向から意義を唱えたのが第26世日寛上人であった。

こんなことを言うところが
日寛上人の書を読んでないのがバレバレで
その程度で「日寛上人」を語ってんじゃね~よ。って思うね。
日寛上人がやったのは、「戒壇大御本尊」の正義の宣揚ですよ。
「観心本尊抄文段」を全部読めば一目瞭然。
四義について述べているのも、最終的に戒壇大御本尊を宣揚するところにつながるわけ。
全く、中途半端な教学もどきで何を言ってるの?って感じですね。さらには、

▼「観心」と「本尊」の間に「の」の字を入れて読むのは、爾前教(にぜんきょう)や法華経迹門、
本門の文上(もんじょう)に説かれる「教相(きょうそう)の本尊」と区別する意味がある。
「観心(かんじん)」とは「教相(きょうそう)」の対語であり、
教相が経文を理論的に究明するのに対し、観心は、真理を己心に観ずる修行をさす。

これって本当に分かっていて言ってないですね。
「真理を己心に観ずる修行をさす」
違います。それは天台の観心であり大聖人の観心に対すれば
これもまた「教相」でしかないのです。
ところがランさんは天台の観心と大聖人の観心を完全に混同してしまうわけです。
もうこの時点で観心の本尊を分かっていないですね。
ていうか何のために、四義を説明したのかこれじゃサッパリわかりませんな。
話が全く繋がっていない。
これぞ創価の切り文教学の真髄ですね。

なのでこの回の最後に
▼民衆が困っている ""時""に
生きるという根本的なことで悩んでいる悩みに ""応じて""
末代幼稚の凡夫である我々の機根に ""あわせて(機)""
十界互具・一念三千の御本尊を「明鏡」として受持させ
開仏知見、ある仏界の生命を開かせる ""法""
これが正しい「時・応・機・法」のとらえ方である、と。

な~んていう己義を構えて
「私っていいこと言ってるなぁ」って酔っ払っちゃうわけです(笑)
全くここには大笑いです。

第2回の講義はさら可笑しくて
▼最初に本尊の話をすると祈ったら""功徳が御本尊からくる""という
""おすがり信仰""なってしまう恐れがり、前半=観心 後半=本尊 の流れになったのはそのためで、

最初kから全くの見当違い。
最初に天台の一念三千の出処をあげたのは
「理」の一念三千を最初の提示しその後「事」の一念三千へと論を進めるため
つまり「事」の一念三千の当体が大聖人の御本尊(観心本尊)であることを示すためです。
御書を講義するときにはちゃんと全体を読んでからして欲しいものです。

▼大聖人はこの「観心本尊抄」で、法華経方便品第二に説かれる文をとりあげ、
仏の【唯一大事因縁(ゆいいちだいじいんねん)】(仏がこの世にあらわれた目的)は、
【衆生をして仏知見を開かしめんと欲す】(衆生の中にある仏界を開かす)ことである、と述べられている。

なんて書いてあるが、その唯一大事因縁=出世の本懐を
「民衆仏法の確立である」なんて言ってるのが創価で
本当に唯一大事因縁が分かっていれば
そんな創価の教義に賛同するわけないんですね。

さて3回目になると添削のしようもありません。
▼仏と衆生に隔たりがなく""平等である""と仰られている。
法華経では、""仏とはどこか遠いところにいる特別な存在ではない""と説く。
仏とは、人間のことであり、釈尊、天台、伝教、大聖人のような偉大な仏の生命が、我々凡夫の中にもある、と説く。

などど、相変わらず「能所」「総別」「理事」の立て分けができていません。
つまり、3回も観心本尊抄の講義をしておきながら
「教相」と「観心」の違いを全く分かっていないわけです。(ヤレヤレ)

その証拠に、創価脳・ランさんはこの講義のあとに
「本尊義を語りながら観心ができていない方々」というタイトルの記事を書いてます。
内容は読んでまぜんが、このタイトルだけで分かっちゃいます。
この方は「観心が出来る」と思ってるわけでしょう?
完全に本尊が分かっていない証拠です。
もっとも、太ちゃんのブログによると
創価脳・ランさんは「ご本尊に対してピンと来ていない」と
ご自分でカミングアウトしてるそうです(笑)
まぁ、いまさらカミングアウトしなくても、最初から知ってますが(笑)

どっちにしても、大御本尊を捨てた謗法者が
「観心本尊抄」を読むこと・・いや開くことすら無駄なことなのです。
観心本尊抄の最後に

◆此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開・せらる可きか

と書かれています。
「無二の志」とは「大御本尊」に対する「無二の信心」です。
創価罵詈活謗法者は「見ても」「開いても」ダメだ。と大聖人は言われています。
まぁ、読んだところでこの程度ですからね。
どうしても読みたければ、日寛上人の文段を横において読みなさい。
ああ。持ってませんか?文段なんて(笑)
大作センセの与太話ばかりの書籍買うより
文段の方がよほど価値があるんだけどね。


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創価教学じゃない御書講義(29年度9月座談会御書・持妙法華問答抄)

寂光の都ならずは何くも皆苦なるべし本覚の栖を離れて何事か楽みなるべき、
願くは「現世安穏後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞後世の弄引なるべけれ
須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき、
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は「持妙法華問答抄」の
一番最後の結論部分の御文ですね。
いくつかポイントがあるのだけれど、
今回は「現世安穏後生善処」を中心に書きますね。
法華経・薬草喩品の中の言葉で
「現世安穏にして後に善処に生じ」と読みます。
現世安穏というのは、信心していれば苦悩はない。ということではなくて、
苦悩があったとしてもこの信心で
必ず乗り越えられる故に「安穏」であるという事です。
その理由は、全ての仏菩薩が法華経の行者を守護するからです。
これがご本仏(大御本尊)の仏力・法力の正体です。

◆然る間釈迦多宝等の十方無量の仏上行地涌等の菩薩も普賢文殊等の迹化の大士も舎利弗等の諸大声聞も大梵天王日月等の明主諸天も八部王も十羅刹女等も日本国中の大小の諸神も総じて此の法華経を強く信じまいらせて余念なく一筋に信仰する者をば影の身にそふが如く守らせ給ひ候なり、相構て相構て心を翻へさず一筋に信じ給ふならば現世安穏後生善処なるべし(上野殿御消息)

ここで大切なのは「心を翻さないで一筋に信じる」という事です。
昔は、大御本尊を唯一無二と言っていた創価は
いまではものの見事に心を翻し、
大御本尊を捨てるという手のひら返しをしたのですから
当然そのような人を仏菩薩が守護する道理はないわけです。

で、大御本尊を一筋に信じた人は「現世安穏」なわけですが
その因によって、「後生善処」という果報を受けるわけです。
後生善処とは、「在在諸仏土常与師倶生」の事です

◆過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、
「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ(生死一大事血脈抄)

簡単に言えば、何度生まれ変わっても
師匠(大聖人様)の元(共に)生まれる。という意味です。
常にご本仏の元に生まれるわけですから
常に現世安穏である。ということになります。
これが三世永遠の幸福の境涯であり成仏ということです。

この御書の本文中には

◆只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。

と書かれています。
「名聞名利~後生のほだしなり」の部分は
「妙法を持つのみこそ只今生の名聞後世の弄引なるべけれ」と対比されています。
また
「偏に一乗に帰すべし」と
「須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみ」は
同じ事を言われています。
前記の上野殿御消息の「心を翻へさず一筋に信じ給ふ」
これも同じことで、
要するに、一大秘法たる戒壇大御本尊を
「唯一無二」のご本仏である。と信じて題目を唱える。という事です。
大御本尊も他の本尊も創価のコピー本尊も全て同じ。というのは
大聖人も釈迦も阿弥陀も大日如来もすべて同じである。
と言っているのと何ら変わりがないわけです。
こっちの「本門の本尊」は受持するけど
あっちの「本門の本尊」は受持しない。
(そもそも本門の本尊とは一大秘法の大御本尊です)
そのような信心ではどんなに題目をあげても
公明党を応援しても聖教新聞啓蒙しても
何の祈りも願いも叶わないのです。

◆一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし(異体同心事)

「現世安穏後生善処」こそ、この御文の冒頭の
「寂光の都」であり「本覚の栖」です。
題号の「持妙法華」の意味とは
「持」とは「受持」であり、「妙法華」とは大御本尊という事です。
大御本尊を受持することが「持妙法華」です。
今の創価幹部・罵詈活諸氏は
「離妙法華」であり、「捨妙法華」ですから
いかに創価が楽しかろうと、
結局最後は「皆苦」であり真実の楽しみではありません。
「嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし」ですね。

◆法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏後生善処とは是なり、ただ世間の留難来るともとりあへ給うべからず、賢人聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経ととなへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ(四条金吾殿御返事)

苦しい時は苦しいと
楽しい時は楽しいと
包み隠さず大御本尊へ自行化他の題目をあげる。
これこそ「持妙法華」の実践に他なりません。
信心ある創価のみなさん
本気で悩みのある創価のみなさん
はやく「持妙法華」の信心を実践し
「寂光の都」「本覚の栖」に戻ってきてくださいな。
そして、今生人界の思い出をたくさん作り
「堕地獄」でなく、「後生善処」になりましょう!


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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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