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ミイラ取りがミイラになる。

俺のエントリーしてる日本ブログ村の「創価批判」村。
最近、当ブログの読者の天覇さんや鯛焼き支部長ブログを出禁?(笑)
になった梵我一如さんのブログが新たにエントリーされ少し賑やかになり良かった。
自分がアンチ創価だからなのかアンチ創価系のブログの方が読んでいて楽しい。
「創価村」にエントリーされているブログも含め、どうも学会員ブログってつまらない。
多分、創価系ブログは「信心」について書いていないから面白くないのだと思う。
大作センセとか創価の活動とかブログ主の体験談とか提灯記事ばかり。
たまぁ~にアンチ創価を批判している記事もあるけど、法門法義からの批判ではなく
新報や地涌などの自分達創価側の使い古されたテキストを基にしたアンチ批判で、
そんな主張に共感する人間がお仲間以外にいるのか?と思わざるを得ない。

さて以前当ブログのコメントで創価系ブログのいくつかを推奨していただいた。(天覇さんのブログとか)
創価系というよりもどちらかというよりもアンチ色ある創価系ブログのご紹介だったが、
その中のひとつの「創価学会と日蓮仏法と活動」というブログを久しぶりに読んだ。
ずっと以前に当ブログと俺のことも一度記事にしてもらったので時折読んではいた。
(俺へのプロファイリングはあまり当たっていなかったが)
ブログ主の雅彦氏(?)は創価民には珍しく教学を一生懸命学んでいる様子で、
創価臭が抜け切れていない部分があるにせよ、共感できる部分もあった。
一時、「気楽に語ろう」渡辺氏 や想学談林「運ちゃん」氏 などを批判(破折)していた。
渡辺・運ちゃん両氏はいわゆる「学術」中心の日蓮本仏否定論者だ。
それに対して雅彦氏は異議を唱え「日蓮本仏」を主張して批判していて共感する部分はあったのだが、
ここ最近の記事を読むと、御本尊の相貌のこととか開眼についてとか少し雲行きが怪しい感じになってきた。
まぁでもそれはそれで創価民である雅彦氏の立場ならば仕方のない事だと思うが、
今年になってからの記事だと思うが、「大御本尊の真偽を検証すべき 」などと言い出した。
その記事とは(太字は雅彦氏の記事から引用)

大御本尊の真偽の問題をハッキリさせる事が重要だろう。第三者機関に依頼し科学的に検証すべきだ。選択肢としては筆跡鑑定や筆法鑑定や放射性炭素年代測定などがある。これらを組み合わせて精度の高い検証をして貰いたい。

という内容である。この記事を読んだ感想は「ミラ取りがミイラになった」かぁ。である。
渡辺氏や運ちゃん氏が大聖人本仏・大聖人仏法を否定していることに関して散々批判をしてきた張本人が、
大御本尊を科学鑑定して真偽をハッキリさせろ。と言うなんて実に滑稽だ。
大御本尊の科学鑑定云々についてはまたそのうち記事で書くが、
結局、雅彦氏は大聖人仏法云々と言ってるのに、
「学問」を盾に御書を偽書としたり、大御本尊を偽物と結論付けている人達と全く同じ主張をしているわけで
彼自身が大聖人仏法が何であるか全く理解できていないのである。
これでよく渡辺氏や運ちゃん氏を批判できるもんだと思う。
俺から見れば「大御本尊を科学鑑定せよ」と言った時点で
残念ながら大聖人仏法に対する信心のない無信心の人と変わらなくなってしまった。
日興遺誡置文に曰く、

◆義道の落居無くして天台の学文す可からざる事。

いつも書くが、「科学的」とか「学術的」な方向に走って大聖人仏法を見失うのは
結局は、「義道の落居」つまり大聖人仏法の法門の筋道が分からないまま、他の学問を学んでしまうからなんだね。
渡辺・運ちゃん両氏は俺と同じ広宣部出身だから尚更そうなる可能性が高い。
広宣部出身者ってのは教学マニアが多く理解力もある人が多いからちょっと間違えると大聖人仏法から逸脱しちゃう。
俺も3年間くらい御書を離れ釈尊の経典や天台や龍樹挙句の果てには道元や親鸞まで読んだけど、
こうした釈迦仏法を学んでいくと、「法」が中心になってしまい「人(仏)」については稀薄になっちゃうんだよね。
そうなるといつのまにやら大聖人仏法から離脱してしまう。
いやその感覚ってすごく分かる。凄くわかるんだけどその仏法の知識はもう仏法じゃないって俺は思う。
雅彦氏に関しては恐らくは渡辺・運ちゃん両氏よりも教学的な知識は乏しいと思われる。
なので彼の場合は、大聖人仏法が何たるかという確信を持たないまま、
色々な知識に触れているうちに「大御本尊を科学鑑定せよ」などという方向にブレたのだと思う。
大聖人仏法の法門法義の筋道を理解しない創価民が大作センセのスピーチや創価教学を学ぶとやはりこうなる。
渡辺・運ちゃん両氏のように「大聖人仏法否定」であればそれはそれで特になんとも思わないが、
「大聖人仏法」の正当性を主張している人間が「大御本尊を科学判定」なんて言うのは、
雖讃法華経・還死法華心というものであり「大聖人仏法」を否定するより悪い。
大聖人仏法とは何か?それは「戒壇大御本尊」なのである。大御本尊の中に大聖人仏法の全てが存在する。
それ以外の所に大聖人仏法はないのである。大御本尊へ信を取ることが
日興上人のいわれる所の「義道の落居」なのである。
それなくして他宗の法門を学んでも意味がない。ましてや邪教の教えをや。である。
雅彦氏には早く「義道の落居」を遂げて欲しいと思う。
また彼のように教学が好きならばそれも可能だろう。
ただ、創価教学から脱皮する必要はあるが頑張って欲しいと思う次第だ。


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元創価職員3人組よ。大御本尊を口にするなよ。

久しぶりに元創価職員3人組のブログを読んだ。
というのも最近彼らが「大御本尊を信仰の対象から外した創価の教義」を批判しているということを知ったからだ。
ようやく彼等も多少は「信心」について真摯に考えることができるようになったのかと思ったのだが、
ヤツラはやっぱりな~んも分かっていない単なる糞ガキだったことがよくわかった。
記事のによるとヤツラの座談会の参加した会員さんから2014年の創価の教義変更について創価執行部への糾弾の声が上がったらしい。
(以下太字は3人組ブログからの引用)その会員さん曰く。

教義変更後に書かれたこの随筆には、『六大秘法』の一つである『法本尊』という言葉が、用いられているんです。 ということは、“学会本部として用いないこととした『六大秘法』を、池田先生が用いている”という矛盾が生じているんです。

大作センセは「法本尊」の言葉を使っているのに「六大秘法」用いないと言った本部は間違っている。ということだそうだ。
くだらなすぎて固まってしうが、3人組はそこから「今の創価執行部は間違っている」と本部批判を始めた。
ところが「「創価学会の教学を根底から覆す『教義改悪』を行なった学会本部」に対する提言」と題する記事の内容の酷いこと。
「大御本尊根本に教義を戻せ」といっている割には大御本尊に関する御書の引用はなく
「六大秘法」などど言っている割には日寛上人のご指南も皆無で
ひたすら大作センセの詐欺まがいのスピーチを引用している駄文だ。
コイツラの態度を見ていると、「大御本尊」は「法本尊だが、「人本尊は大作だ」と言っているようである。
「六大秘法」を口にしながら「一大秘法」を知らないとはとんだマヌケどもである。

「等しく『本門の本尊』である。」としておきながら、大石寺にある「弘安2年の御本尊」だけは「受持の対象としない」と特筆しているのです。 その目的は、「大石寺のみを切り離す」ということに他ならない。

などと創価本部を批判しておきながら同時に

日蓮大聖人の不二の弟子・日興上人は、富士大石寺を建立し大聖人の信心を護り抜かれました。しかし、腐敗・堕落した坊主らによって、日蓮仏法は700年にして白法隠没せんとしていた。

などと大石寺や日顕前法主をはじめ宗門の僧俗を腐敗・堕落などといい大石寺を「謗法の地」などと書いているのである。
「白法隠没」ってなんなん?「白法」ってのは釈迦仏法のことで大聖人仏法は大白法だ。その大白法が隠没するなんて大聖人が一体いつそんなことを言っているのか?それともコイツ等は釈迦仏法と大聖人仏法の違いさえもできていない無教学のアンポンタンなのか?はたまたこのアンポンタンこそが「池田教学」というものなのか?どっちにしてもこんなアンポンタンに大御本尊を何たるかなどと理解できているとは到底思えん。またその莫迦さ加減に輪をかけたように

初代牧口先生の一念によって、日蓮仏法は護られ現代に蘇った。

なんて言っている。おいおい、一体いつ大聖人仏法が無くなったのだ?「蘇った」というからには大聖人仏法が「無くなった」時期があったということだがそれは一体いつからいつまでなんだ。牧口ごときの信心が全く分かっていなかったジジイに一念で大聖人仏法がどうにかなるとでも思っているのか?牧口のジジイの一念ごときとご本仏の一念を同等だと思っているのか?ああ?どうなんだアンポンタンのクソガキ3人組さんよ。さらに言うにことかいて

創価三代の師匠が死にもの狂いで創られた創価学会の伝統教義を、根底から覆す破壊といってもよいものである。

とは何事だ。「大御本尊根本」という教義が創価三代の伝統教義だと?創価三代会長が創ってきただと?フザケるにも程がある。
「大御本尊根本」の教義とは我が日興門下の伝統教義でその教主はご本仏日蓮大聖人であり、700年間死に物狂いで守ってきたのは日興門流すなわち日蓮正宗の僧俗であってお前達創価ではない。大御本尊根本とは創価如きの伝統教義などでは断じてない。お前達の教義は大作根本であり、教主は大作だろうが。他人様の教義を勝手に自分のモノにし他人様の功績を自分の功績にするその厚顔無恥さは、まさにオマエたちの師匠である大作センセと同じだな。

要するにこの元創価のガキどもは、大本尊を自分達の仲間を繋ぎとめる手段として、
また創価執行部に対する攻撃のタマとして利用しているに過ぎない。
私利私欲のために大御本尊の名前を使っているだけだ。
そんなクソ野郎の発言を俺は日興門下として看過できないのだよ。
いいか、ガキども。大御本尊はお前達にはなんの関係もないのだから容易くその名を口にするのではない。
「大御本尊」はオマエ達クソガキ3人組にも、オマエ達が批判する創価執行部にも全く無関係な存在なのである。
オマエ等と創価執行部が確執していがみ合うのはオマエ達の勝手にすればいい。
でもな、オマエ達となんの関係もない「日蓮正宗」の信仰の根本である大御本尊を
オマエ達の政争の具に利用するんじゃねぇよ。お前らは謗法どうして勝手にいがみ合ってりゃいいんだよ。

そもそもオマエたちのいう「大御本尊根本」とは具体的にはどのような信心なんだよ。
大本尊のおわします大石寺を謗法の地といい、大本尊にお目通りすることはもちろんご供養のひとつもできないで
どうやって「大御本尊根本」の信心をするつもりだ?
だた会則とご観念文に「大」御本尊と書いてあればそれだけで「大御本尊根本」の信心になるのかよ?(嘲笑)
そのことについて詳しく書けよ。具体的な「大御本尊根本」の信心についてひとつもかいてね~じゃね~か。
足軽会だかなんだか知らね~が、お前らが「軽い」のは「オツム」の方だよ。
「大御本尊根本」って言えばいいってもんじゃね~んだよ。
所詮、オマエたちも現執行部と同じだよ。大聖人仏法を利用して、私利私欲のために会員さんを騙す創価体質そのものだ。
こんなくっだらないことしてる暇があったらちゃんと労働しろよ。本当に使えないガキどもだな(笑)
会員の皆さんもよく考えてみなよ。創価執行部もこの3人組も「根」は一緒だからね。

◆恣ままに三寸の舌を振いて衆生の眼目を抜き五尺の身を養わんが為に諸仏の肝心を滅す、併ら只仏法の怨魔と為り専ら緇門の妖怪と謂う可し。(念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状)

執行部もこのクソガキ3人組も大聖人仏法を利用し純真な信仰者であるいち会員を騙し利用しているだけのヤカラだよ。
本当に「大御本尊根本」とするならば、まずはこうしたヤカラから離れることです。
そして正宗や創価云々でなくまずは自分自身の信仰態度をを見つめ直すべきですよ。
自分は心から「大御本尊根本」の信心をしているのか?自問自答すべきです。


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「0分勤行」を創価時代に知ってればなぁ。

先日の御本尊へのお給仕の記事での林檎さんがご主人に、
昨日旦那から御本尊様にご飯お供えしてね」と言われたとコメントくれましたが、
「ほんそれ」と思うのと同時に「あるある」だなぁと思った。
かく言う俺も創価活動家時代には「お給仕」はしたことない。
俺の場合は当時は嫁の活動家だったから嫁が進んで「お給仕」してくれたのだが、
「お給仕」どころか朝の五座の勤行がなかなかできなかった。
それこそ今の創価と同じ方便自我偈の1座の勤行とか下手すると題目三唱だけなんてことも。
嫁から時々「勤行もちゃんとできないでどううすんの?」と言われた。
もうね。「ごもっとも」ですよ。活動家・幹部なんて肩書で外では部員さんに偉そうに指導なんてしているくせに
朝の勤行も出来ないなんてそりゃ恥かしい限りですよ。
方便自我偈1座の勤行になって活動家が喜ぶ気持ちも分かる(笑)
ただ言い訳させてもらえれば、最初はちゃんとやっていたんですよ。
それが役職が上がったり増えたりするうちにできなくなった。
一番の原因は寝不足。当時は毎日会合か活動があって帰宅は早くて深夜0時。
2時で平常。週に2~3回は深夜3時という生活だった。
「うそつけ」と反論する創価民もいるかも知れないが事実だからしかたない。
例えば部活の日は、21時から会合が始まり終了するのが23時半くらい。
そのあと拠点で部員さんの求めに応じて個人指導ってやつをやってると、
ほ~らね深夜2時なんてあっという間に来ちゃうでしょ。
今日は早く帰って寝ようって思ってる日に限って深夜0時からの「部長会」とかに急遽招集されたりする。
なので1日の平均嗣明時間は4時間前後。「寸暇断眠」の戦いです(笑)
まぁ俺のいた男子部は異常といえば異常なくらい武闘派男子部だったのだけど、
いくら若いとはいえ毎日コレですから朝起きる事が地獄の苦しみなわけですよ(笑)
せめて朝9時まで寝ていられたら、ちゃんと起きて五座の勤行できるのになんて思いつつ
「朝に勝て」という学会の指導を見聞きするたびに、「こんな信心ではダメだ」と反省したものです。
ところが、創価の中ではそれは「ダメ信心」ではなかったと後日知ったわけですよ。

そう、有名な大作センセの「0分勤行」→勤行「0分」の証拠

数年前に最初に見た時は「ウソだろ?」と思ったが、
裁判で学会側が提出した資料なんで事実かぁと思うとなんかニヤけてしまった。
勤行5分や0分なんて大作センセの弟子として恥じることはない。むしろ師弟不二だよな。
まぁ「0分勤行」さることながら、一日のスケジュールが凄い。この記録の日だけ特別だとしても
起床は早起きして9時15分。で起きたら毎日新聞読んで「朝風呂」とっとと朝の勤行すればいいのにダラダラしてて
13時とか14時とかに「朝の勤行」方便自我偈1座か題目三唱の0~5分勤行。
凄いのは5月27日?10:15起床して「0分勤行」を終えて11:50からマッサージ(按摩)そのまま13:30に休息して14:30入浴。
起床してから14:55の中西と話(2号室)まで、4時間40分のうち按摩・休息・風呂が2時間50分で、「勤行は0分」
これって昭和45年頃の記録らしいから、大作センセが入信20年以上で会長やっていたころでしょ?
なんでしょうね。この記録だけ見ていると、仕事もしないで毎日呑気に生きているクズ人間の記録にしか見えない。
一般会員が、睡眠時間を削って創価の為・師匠の為とせっせと学会活動して、眠い目をこすりながら仕事をしている最中、
当の師匠様は、10時近くに起きて風呂入って題目三唱だけしてマッサージ受けて(笑)
もっとも師匠がこうであってくれれば弟子も楽でいいやね。
日興上人のような方が師匠だっから大作センセなんて真っ先に破門・・あっ!破門されるか(笑)
まぁそんなわけだから創価活動家の諸君は「朝に勝てない」とか「勤行ができない」「お題目が上がらない」でとかで悩む必要は一切ありません。永遠の指導者と同じでいいのですよ。
きっとダーハラ怪鳥さん達も似たような毎日を送っているはずですから心配いりません。
え?こんな優雅な生活できないって。ですよね~。庶民には無理。仕事とかありますもんね。
こんな優雅な一日は創価上層幹部という一部特権階級だけが享受できることですから
良い子の庶民の学会員さんは決してマネしないでくださいね(笑)
さて、創価男子部時代は朝の勤行がなかなか出来なくて悩んでいた俺だが、
創価を離れたら自然といつの間にか、日々の五座三座の勤行が身につきました。
あの頃「朝が方便自我偈1座だったらいいのに」と思っていた創価活動家の俺はもうどこにもいません。


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常勝じゃなくなちゃった関西。

昨日は統一地方選挙の投票日だったが、公明党候補落選のニュースをネットに出てるね。

公明 常勝の関西で落選相次ぐ

大阪と京都ですかぁ。4票差に6票差で落選ね~。これ一番ダメというかダメージを受ける敗北だよなぁ。
反対側から見てると一番大笑いできるんだけど。こんな僅差だったってことは戦前は余裕の選挙区だったのかな。
そして大阪では知事・市長のW選挙でも維新に大敗。自民に共産そして公明も推薦していたのにこちらは惨敗だな。
ニュース記事のタイトルにもなっているが、これではもう「常勝関西」でもなんでもないね。
創価時代、関西の学会員は何かと言えば「常勝関西」を鼻にかけてて嫌いだったけど、
4票と6票の差で負けるなんて、もう「常勝じゃない関西」だよね。
さすがに恥ずかしくて「常勝関西」とかいえないよね?(笑)
今日からは「惜敗関西」いや「惨敗関西」って呼んであげるね(笑)
ああ、でもアレか?「選挙は負けたけど信心では大勝利」とか言っちゃうわけか?
普段は「仏法は勝負」とか「勝利の実証」とか「正義の実証」とか言っているのに、
負けとなると実証は関係なく「心こそ大切なれ」とか言っちゃうのかな?(笑)
「選挙は信心」と謳っているんだから、選挙に負けたという事は信心で負けたという事でしょ。
潔く「負け」を認めないから、「みっともない」と言われるんだよ。
さてこれで大阪では、また維新とバーターの話をする気みたいだね。本当に節操がないよな。
まぁ維新も公明を味方につけないと都構想も進まないからバーター話になるのだろうけど、
だったら最初からそうしとけって話だよな。まぁ今度は維新が主導権を握れるってのはあるけど。
大阪公明党は民意云々言ってるけど維新にビビったんだろね。なにせ修羅界の人達だから強い者にはからきし弱い。
維新にはバーターなんてしないで、維新には夏の参院選で公明の選挙区に是非刺客を送り込んで欲しいのだがね。
公明なんて恩を仇で返すヤツラだからね。恩を売るより脅した方が言う事きくよ。彼等のお師匠さんがそういう人なんだから。

話は変わるが俺も昨日投票に行った時に投票所の駐車場で創価民と思われるヤツが
同行者に「公明党はひとりだけだからその人の名前を書いて」と言っていたのを目撃した。明かな選挙違反。
もちろん、創価学会としては選挙違反がないように厳重に指導していると思うよ(と一応言っておく)
でも現実には末端会員は一所懸命になり過ぎてこうした選挙違反をしちゃうんだろうな。
そしてこの一生懸命な創価民がもし逮捕されたら、「組織に迷惑をかけた」ということで即日除名なんだろね。
以前も書いたが →  「大阪事件とは」
大阪事件の教訓を全く活かしていないな。まぁあの事件をむしろ誇らしげに伝説化している時点で、
創価には何の反省もないのだから、選挙違反をする会員が後を絶たないのだけど。
それって結局、選挙違反しないように会員に徹底していないとうことで黙認してるのと同じでしょ。
見つからなきゃOKで、万一見つかったら実行犯を除名にすればいいや。くらいの軽い気持ちなんだろね。
そんな創価の選挙活動に精を出している会員さんは本当に哀れ。
ハイリスク・ノーリターン。なんでそんなことが分からないのだろうね。
ハイクスリ・ノータリーンとしか思えなんだけど本人が好きで犯罪犯しているのだからもうどうしよもない。
まぁ次に同じような場面に遭遇したら警察に通報するね。
では最後にもう一度、「常勝じゃなくなった関西」の創価学会員のみなさん、
いや間違えた。「惨敗関西」の創価学会のみなさん。
今回の選挙で使った時間とお金そして一生懸命呟いていた題目風呪文も全てが無駄でしたね。
大敗北、本当にご愁傷様です。衷心よりお悔やみ申し上げます。


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創価教学じゃない御書講義(2019年度4月座談会御書・日眼女造立釈迦仏供養事)

譬えば頭をふればかみゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木しづかならず大地うごけば大海さはがし、教主釈尊をうごかし奉ればゆるがぬ草木やあるべきさわがぬ水やあるべき

今月の御書は「日眼女造立釈迦仏供養事」です。相変わらず同じ御文を何度も使いまわししていますね。いままでやったことのない御文を取り上げるというような努力が見えませんね。同じ御文ばかりでは会員さんも飽きちゃうんじゃないの?まぁ学会教学なんぞ学んだそばから忘れちゃうから同じ御文の繰り返しでもいいちゃいいのだろうけろうけど。
さて、今月の御書だけど四条金吾の奥方の日眼女さんが厄年にあたり釈迦一体仏を造立したことに対するお返事です。何故「釈迦仏」を作ったことを大聖人が讃嘆したのかというと、1に大聖人仏法の弘教初期だから許した。2に阿弥陀仏を作る人が多い中で釈迦仏を作ったこと。3には大聖人様の御境涯で観れば日眼女の造立した釈迦仏は一念三千久遠元初自受用報身の本仏となるから。と日寛上人はご指南されている。そこで今回の拝読箇所でポイントなるのは「教主釈尊」の拝し方になる。
身延などは、文上の教主釈尊のみを知り文底の教主釈尊を知らない故に、本仏に迷い本尊に迷うわけだ。
教主釈尊といっても実には六種の教主釈尊の意味がありその体は違う。
日寛上人のご指南に、

◇「『教主釈尊』の名は一代に通ずれども、其の体に六種の不同あり。謂わく、蔵・通・別・迹・本・文底なり。名同体異の相伝、之を思え。第六の文底の教主釈尊は即ち是れ蓮祖聖人なり」

とあるように蔵・通・別・迹・本・文底の教主釈尊がおりその体は不同なのである。そして大聖人仏法の「教主釈尊」の中心は、そのうちの「文底の教主釈尊」であり、文底の教主釈尊とは久遠元初自受用報身如来であられる日蓮大聖人のことである。

◆下種の法華経教主の本迹 自受用身は本上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり。(百六箇抄)

では日蓮大聖人の「体」とは具体的には何か?といえば大聖人の色心二法を移し滅不滅の相を示され我等幼稚の末法の衆生に与えられた「本門戒壇の大御本尊」である。というのが、唯一日蓮仏法と呼ばれる富士門流・日興門流の根本教義である。

さて、創価では今月の御書解説を聖教新聞に掲載していたが曰く。
ここでの教主釈尊とは、宇宙と生命を貫く根源の一法である、南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。大聖人は、仏の生命である南無妙法蓮華経を、末法の衆生のために御本尊として顕してくださいました。 故に、私たちにとって“教主釈尊を動かす”実践とは、御本尊を信受して真剣に祈ることです。
だそうな。南無妙法蓮華経と一体の仏とは、一体どんな仏なのか?これこそが大御本尊なのであるが創価は「南無妙法蓮華経と一体の仏」などといういかにも分かったような詭弁を使い誤魔化す。具体的な仏の姿を言えないのでは「理の一念三千」もいいところである。これのどこが「事の一念三千」と呼べるのだろうか?また仏の生命を御本尊として顕したというが、肝心の仏の生命=心法は一体どのような理屈でまたどんな方法で創価のカラコピ掛け軸に移したのか?そこをまるきり説明していない。まさか創価だけの秘法があるわけではあるまい。ここが創価イカサマ教学の真骨頂である。いつも肝心な部分は全く何も説明しないのである。そして創価民は分かってもいないくせに分かったつもりになる。これだから罵詈活創価民は「本尊義」すら語れないのである。前述したがここでいう教主釈尊とはあくまでも一大秘法たる戒壇大御本尊なのである。その大御本尊を不受して創価カラコピを信受したところで「教主釈尊」が揺り動く道理はないのである。
また聖教では、
仏界の生命を涌現させることです
などと書いているし創価民の中には己心の本尊云々と抜かしているヤツもいるが、
仏界を涌現させるのも己心の本尊云々も同じ意味で、これは境智冥合を意味している。
大御本尊(境)を信じて題目を上げる(智)即ち本門の題目を唱えることが己心の仏界・己心の本尊を涌現させることなのである。
その境妙の根本である大御本尊を捨てた創価民の己心の仏界など単なる理であり涌現などしないし、己心の本尊なんて存在しないのである。

この御文は「教主釈尊」たる大御本尊に強く祈る時に諸天善神が動き必ずいい方向に人生が開いていくということだ。
諸天善神を動かす力が仏力・法力であり、その仏力・法力を働かせる力が信力・行力ということなんだ。
俺がいつも言うようにこの「四力本願」の力。これこそが大聖人仏法の神髄なのである。
仏力も法力も持たないカラコピにいくら懸命に祈っても何も起こらない。
もし何か起きたとしたらそれは祈らなくても自力で十分できることでしかない。
家を買う事も、仕事で評価され給料が上がることも、家族が仲良く暮らすのも、そんなことは祈らなくても出来てる人は大勢いる。
そんなモンは功徳でもなんでもない。それこそ学会活動なんてやってないで真剣に仕事やめて家族向き合えや。という話である。
ましてや、選挙の勝利なんて祈りは愚の骨頂で、公明党の為に教主釈尊が諸天善神を動かす必要も義理もなにもないのである。
どうしても教主釈尊に動いてもらいたなら大御本尊にご供養のひとつでもしたらどうだ?
まぁ創価謗法民にはそれは出来ない話だが。
ともあれ、いつも言うが人生は「自力」だけでも「他力」だけでもダメ。
同じ祈るなら本当に「力」にある者に祈る方がいいに決まっている。
創価のカラコピと戒壇大御本尊とどっちに祈った方がいいかなんて普通は分かる。
日蓮大聖人と大作センセとどちらがご本仏かなんてのも普通に分かる。
創価にいるから普通に分かることも分からなくなるんだよ。
そろそろちゃんとした信心しませんか?学会員さん!


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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