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大石寺へ登山してきました。

一昨日、創価男子部時代からの仲間と地区長さんの5人で大石寺への登山をしてきました。1月に支部登山に参加して以来の登山です。やっぱりいいですね~。総本山は。今回も創価新報さんが言うような野犬の群れにもペンペン草にも遭遇できませんでした。大石寺のどこに「野犬スポット」「ペンペン草スポット」があるのか是非創価新報さんの方に聞きたい。きっと彼らしか知らない隠れスポットがあるのでしょう(笑)それはさて置き御開扉では戒壇大御本尊様に、自分の事は当然ですがコロナの終息、そして本ブログの読者の皆様の幸福・健康などもご祈念させていただきました。正宗では昔から「毎日仏壇、月にはお寺、年に一度は大石寺」と言われているそうですが年に一度と言わずに数度は登山したいと改めて思った次第です。
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御開扉終了後。奉安殿の前で記念撮影。どれが私かはご想像にお任せします(ヒント:一番男前)
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帰宅時間に余裕が有ったので五重の塔に。
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この五重の塔の近くに創価学会の戸田2代会長のお墓があるので戸田会長の墓参をしてきました。墓前には樒も飾られいます。創価学会員は師弟不二の池田センセを筆頭に「謗法の地にある戸田家の墓」なんかお参りに来ないでしょうから、この樒などは正宗の僧俗がお供えしているのでしょうね~。自分達の師匠の墓参をしてくれる正宗の僧俗に対して「日顕宗」などという蔑称で呼ぶ学会員はつくづく「人としてクズ」だと私は思いますけどね。たまには戸田会長の墓参くらいしようという心が学会員にはないのでしょう。仏法者が聞いて呆れます。
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書籍も数冊買ってきました。書籍は大日蓮出版と暁鐘ショップでは売っている書籍が違うので書籍を買う時は両方のお店に行った方がいいですよ。(お樒も買ってきました)
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三門はまだ工事中。早く工事が完了した姿が見たいです。

そんなわけで無事登山し御開扉を頂き帰ってきました。今度は秋かなぁ。できれば年内あと2回くらい登山したいと思っています。次回行くときも事前告知するつもりですので、もし同日に登山を予定している読者の方がいましたらお会いしましょうね(因みに多分平日です)


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創価教学じゃない御書講義(2020年8月座談会御書・転重軽受法門)

涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天三乗一乗の益をうる事の候

今月の座談会御書は「転重軽受法門」です。創価幹部が大好きなのが「転重軽受法門」とか「変毒為薬」です。悩みがある会員を創価の活動家にするためにの指導に利用されます。「転重軽受法門」とは「重きを転じて軽く受く」と読み下します。例えば指を一本切断してしまい悲しんでいる人の所にやってきて「本当なら腕が1本なくなっていたのに指1本で済んだのは功徳だよ」とか言って利用します。私はこの言葉聞いた時から創価を嫌いになりましたが創価の幹部はこのように「転重軽受法門」を使います。さて本文で「地獄の苦みぱつときへて」とありますがこれは現在の悩みがパッと消え去るわけではありません。パッと消えるのは未来に受けなければならない多くの苦しみが消えるという事です。なぜなら今世での苦悩の原因は過去の謗法にあるので逆に今世で正法を持てば未来永劫に受ける予定だった苦しみは全てなくなるということです。
◆我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり(兄弟抄)
本当は今ある悩みを「パッと解決」して欲しいと切実に思うのですが、こればかりは過去世の謗法が顕れた状態なのでそうはいきません。過去世の謗法という借金を返済している状態ですから個々の借金の多寡と現在の信行の状況によって返済期間はマチマチです。しかし最長でも今世一杯で、しかもそこまで長期間返済する人は少ないので安心してください。正法を受持している人は謗法という名の借金は過去の分しかないので減る一方で増えることはありません。逆に創価民は日々謗法という名の借金が増え続け自己破産する時が来るわけです。
◆善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし(開目抄下)
とのご聖訓にあるように「いかなる理由があろうとうも」大御本尊をすてるのは地獄の業を積む行為なのです。さてこのように未来の苦しみを一気に今世のうちに消すことができるのは、
◆種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり(開目抄下)
とあるように「護法の功徳力」によるものです。つまりは戒壇大御本尊(仏法)を護る功徳によるものです。護法には内護と外護があります。この護法を個人の信心に約すと、内護とは日々の勤行・唱題であり外護とは登山や参詣、ご供養ということになります。これらの信行の実践が護法でありその功徳によって「転重軽受」の功徳を受けるわけです。創価民はよく「題目は貯金」なんていいますがアレはウソです。創価の題目は護るべき法である戒壇大御本尊を捨てた題目ですから貯金どころが謗法の借金を増やしているだけです。創価で功徳らしきものが出るというのは、あたかも闇金で金を借りて贅沢しているようなものです。功徳でもなんでもありません。創価民さん達は早くこのことに気づいて謗法の借金をするのを止めて一日も早く返済に回るべきだと思います。この「転重軽受」は『涅槃経』に■「有智の人は智慧の力を以て能く地獄極重の業をして現世に軽く受けしめ、愚癡の人は現世に軽業を地獄に重く受く」と書かれています。有智とは大御本尊への信心です。愚痴の人とは色々な理由をつけては大御本尊から離れる創価民です。創価の信心では「転重軽受」どころか更に長く重い苦しみが未来に待っています。ですからいま苦しい状況で創価の信心をしている人はこの先更なる苦しみが待っているのですよ。一日も早く創価の謗法信心を止めて大御本尊様の元に戻るのが肝心です。他にも色々と書きたいこともあるのですが長くなったので今月の「創価教学じゃない御書講義」はこれで終了です。ホントに創価の信心はやめた方がいいですよ。


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公明党・山口代表「選挙は信心」全否定。

公明党・山口代表に疑問をぶつけてみた

公明党の山口代表のインタビューの記事を読んだ。政治と信仰の関係について山口代表は(太字は引用)
「信仰の世界、宗教の世界と政治の世界は違う。政治の世界は議会制民主主義で多様な価値を認め、平等、自由が保障されているわけで、公明党もそこを前提にできている。もちろん信仰や宗教、哲学というものは人間を深く洞察するものなので、そうした価値観が政策に反映されるのも望ましいことだとは思うが、宗教世界の価値体系をそのまま政治の世界に持ち込むべきではないと思っている」と話した。(記事より引用)
との見解を示した。全くの正論だよね。正論なんだけどこれは創価民が公明党を支援している大きな理由を全否定してしまったね。創価幹部達は会員に選挙の度に、「選挙は信心」「王仏冥合・立正安国の戦い」なんて言って【だから】「選挙の戦いには功徳がある」と説明しているが、いくら支援する側が選挙と信仰を結び付けようと支援される側がキッパリと「信仰と政治の世界は違う」と創価幹部の会員に対する選挙に対する指導を全否定しちゃいました(笑)これでは現場の幹部や活動家は立つ瀬ないですなぁ。山口なっちゃんもこんなこと言っちゃって大丈夫なんだろうか?と心配(してないけど)です。もっとも山口なっちゃんが公のインタビューでこのように発言しているのだから当然これは創価執行部も了承している認識なんだろうね。つまり創価執行部は別に「選挙は信心」なんて思っていないということだね。なのに「法戦」だとかいって会員を煽るのはどう考えても「詐欺」でしょ。日蓮正宗の事を「日顕宗」と呼んで根拠もないことで誹謗中傷するヘイトな創価民。そしてネット等で執行部批判をする会員を査問し除名し更にはスラップ訴訟までする非民主的な創価本部だよ。こんな連中・こんな組織が支援する政党が与党にいるのは恐怖ですよ。「平等」も「自由」もあったもんじゃない。そもそも多くの一般有権者にとって公明党なんて最も不要な政党でしょ。共産党のように野党ならともかく与党なら要らないでしょ。与党を支持するなら自民党で十分なんだから。公明党が与党になって何か変わりました?貧富の差は広がり、防衛費も増え続け、政治と金問題も年金問題も国会議員の定数削減も何も変わっていない。いやむしろ庶民への負担は増える一方でしょ。公明党の存在ないんて無いに等しいと俺は思うけどね。それでも会員が一律で公明党を支援していたのは「選挙は信心」「選挙は広宣流布」というお題目があったからでしょ。多種多様な人間が揃って同じ政党に投票するのは【政治的】にはありえない。組織票はその組織に所属している人間に共通の価値がなければ成り立たない。つまり創価民が公明党を支援するのは【宗教的価値】によるもの以外にない。それが今回山口代表の一言で否定されたわけだ。そんなわけで公明党代表も「政治は信心じゃない」と明言しているのだから創価民もいつまでも選挙の度に「法戦」だとか「功徳」だとか言って騙したり騙されたりするはもう辞めよう。創価学会が公明党を支援しているのは【宗教的】な心情・思想に基づいているのではなく世法的な損得勘定でいいんだよ。そもそも政治というのはそういうモノなんだから。個々の損得を多数決で決めるのが政治だよ。だから創価民が創価本部や執行部が「得をするため」「政治権力を保持するため」に公明党を支援してるというならそれはそれでいいんだよ。創価民として創価が権力を持つことは自分にとっても「得になる」と思って投票するのは立派な政治的判断だと思う。だた非会員の一般人にはちゃんとその旨を伝えなさいよ。「創価学会を強く大きくして守るために貴方の1票を公明党に投票してください」と正直にいいなさい。ウソはいかんよ。ウソは。


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大謗法の地と創価が言ってる大石寺への登山します。

先日大石寺への添書登山の申し込みをお寺でしてきた。今回は男子部時代に同じ支部だったS・U・O君の三人といつものように引率で地区長さん(引率と言うか無理やりついてくるんだけど)の5人で8月3日の月曜日に登山する予定だ。今年の1月に支部登山に参加して以来の登山でいまから戒壇大御本尊様にお会いするのが楽しみです。さて創価民達は大石寺を「大謗法の地」などと言っているが彼らは一体何を根拠に大石寺を大謗法の地と呼んでいるのか?戒壇大御本尊様を捨てた理由として大石寺が大謗法の地だからというのが創価大本営発表だが大石寺が大謗法の地であるという説明が全くないので言っている本人達も説明できなくてただ「大謗法の地」と喚いてるだけ。大聖人の色心二法である戒壇大御本尊のまします大石寺が謗法の地になることはない。ご聖訓に、

◆日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか(四条金吾殿御消息)
◆日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ(崇峻天皇御書)
◆教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所喉は誕生の処口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なればいかでか霊山浄土に劣るべき(南条殿御返事)

とあるように大聖人がおられる「場所」は大謗法の地どころか「仏国土」「寂光土」なのである。それは「依正不二」「一念三千」の法理から言っても当然の話だ。地獄に仏が行けばそこは「地獄ではなく仏土」なのである。大御本尊がまします大石寺を大謗法の地など誹謗するのは戒壇大御本尊を「大謗法の本尊」と誹謗しているのと同じことだ。しかも創価民は大御本尊も【本門の本尊】と認めているのにだ。【本門の本尊】とは人法一箇の正しい本尊であるという意味だろうから創価の言う「大謗法の地(大石寺)の大御本尊は受持しない」という説明は全く矛盾した詭弁にしかすぎない。大石寺が大謗法ならその地にある本尊は大謗法の本尊という事になる。大謗法の本尊は「本門の本尊」とは呼ばないから戒壇大御本尊を「本門の本尊」と認めるのはおかしな話だ。こんな簡単な理屈すらもわからずに大石寺を大謗法の地などと呼び大御本尊を誹謗していることに気が付かない創価民は本当に哀れの極みだ。創価民のいう「日顕宗」なるものが存在しないのと同様に「大謗法の地・大石寺」なんて場所は大聖人仏法の法義に照らして現実的にはどこにも存在しないのである。それが存在している場所は静岡県富士宮市ではなく創価民の心の中だ。

◆衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり(一生成仏抄)

穢れた信心の創価民の心に中に「大謗法の地」は存在している。大石寺が大謗法の地なのでなく、邪教徒となった創価民がいるその場所が「大謗法の地」である。もちろんそんな大謗法の地にある本尊(風カラコピ掛け軸)は大謗法の本尊である。どんなに創価が屁理屈をこねようとも戒壇大御本尊にお目通りすることは幸甚なことであり、お目通りできる法華講員と出来ない創価民とでは雲泥の差でまさに天国と地獄・・もとい仏界と地獄界の違いである。そんなわけで俺は来月登山して日蓮大聖人様にお会いしてくる。「謗法の地なんて行く気にもならないね」「大御本尊にお目通りしなくたって成仏できる」などと言う創価民さんの負け惜しみと羨望の言葉が実に心地よい。まぁ心配せんでもとりあえずキミ達創価民が一人でも多く戒壇大御本尊様にお目通りできるようにご祈念してきてあげるので感謝してくれよ(笑)ところで8月3日に登山する読者の方いますかね?平日だからいないかな。もしいたらお山でお会いしましょう。


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題号だけの御書講義③(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

題号だけの御書講義の3回目は【如来滅後五五百歳始観心本尊抄 (観心本尊抄)】この「観心本尊抄」は題号だけで軽く1時間くらいは講義ができてします。逆にいうと題号の義と意をしっかり学べば本文を読まなくてもなんとかなります(笑)そんな題号なのですから今日は一番重要な点だけ書きます。【如来滅後五五百歳始観心本尊抄】は古来から他門流においては色々な読む下しをしていましたが日興門流では【如来滅後後五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄】なぜこう読むのかいうとこの題号に四義が具足されているからです。四義とは「時・応・機・法」の事で、仏は「時」「衆生の機根(機)」に「応じて」「法」を説きます。題号のうち【如来滅後後五百歳】は時、【始】は応、【観心】は機、【本尊】が法となりその四義の上から読み下すと【如来滅後後五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄】となります。さてここで重要なのは【観心の本尊抄】の【の】という字です(戸田会長も言ってます)この【の】という一事には「教相の本尊」を簡んで「観心の本尊」と取るという意味があります。教相と観心はどの宗派にもありますが、ここでいう所の「教相の本尊」とは釈迦仏法の本尊であり「観心の本尊」とは大聖人の仏法の本尊です。なぜならば「如来滅後後五百歳にめて弘める」本尊ですから、正法・像法時代にはなかった本尊が「観心の本尊」だからです。正像の二時になかったという事は釈迦仏法ではないという事です。釈迦仏法ではなかった本尊を末法に広めたのが日蓮大聖人ですから「観心の本尊」とは大聖人の本尊です。仏(人)に即していれば【観心の本尊】とは釈迦仏を簡んで末法のご本仏日蓮大聖人を取るということです。つまり【如来滅後五五百歳始観心本尊抄】とは釈迦仏、釈迦仏法の流れを汲む本尊ではなく御本仏・日蓮大聖人の本尊だということです。この立て分けができれば「観心本尊抄」の八割方理解できたといっていいでしょう。これが理解できれば身延が釈迦仏像等を本尊にしているのは日蓮大聖人の仏法を全く理解できていないということが分かります。【観心】=修行=本門の題目、【本尊】=修行の対境=本門の本尊、そして二つの揃う場所が本門の戒壇ですから【観心の本尊】とは三大秘法のことであり合すれば一大秘法の南無妙法蓮華経です。大聖人ご真筆のご本尊は全て大聖人の出世の本懐ですが、なかでも戒壇大御本尊が根本中の根本の【観心の本尊】です(理由は割愛します)
◇就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。(観心本尊文段上)
つまり末法の我々にとっては大聖人がご本仏であり、戒壇大御本尊が観心の本尊であるというのがこの題号の意です。最後に題号の「如来」について考察すると「如来滅後後五百歳」と附文の辺で読めば如来(=釈迦仏)の滅後の後の五百歳となり「如来」とは釈迦仏になりますが、文意で読めば「滅後後五百歳如来」となりこの場合の「如来」は「末法の如来」=日蓮大聖人となります。さらに如来を大聖人として再び「如来滅後後五百歳」と読むときは大聖人のご入滅後ということになりこの場合の「滅後後五百歳如来」とは戒壇大御本尊様ということになると思います。いずれにせよ大切なのは【観心の本尊】の【の】という文字であるということです。因みに創価や顕正会の本尊は、見た目が日蓮正宗【の】本尊に似ていますが「観心の本尊」でも「本門の本尊」でもなく、あくまでも「顕正会【の】」本尊、創価【の】本尊です。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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