macskaさん。戦闘開始ですね。

このブログにもコメントをしてくれる
macskaさんのブログを読んだ。

▼macskaさんのブログはこちら▼
SOKA2015

2月の座談会で大御本尊の事を話したみたい。
いや~素晴らしい!
内部では、安保法案に賛成して公明党を糾弾する動きはあるものの
大御本尊を捨てた創価本部を糾弾する動きはほとんど聞かない。
そんななかmacskaさんが座談会でその話をしたと読んで感動だ。
ぶっちゃけ、公明党なんてどうでもいい。
普段から政教分離を謳っているのから
安保に賛成した公明党が大作センセの精神を云々してもしょうがない。
公明党は大作センセの政党じゃないし(建前上)
創価だって一応「選挙は自由」っていってるんだから(建前上)
嫌なら公明党を支援をしなければいいことだし
そもそも公明党なんて信心に何も関係ない。
そんな公明党に関しては騒ぎ立てるのに
「大御本尊」の問題にはほとんどの会員さんが無反応。
公明党なんて比べ物にならないくらい
自信の人生に重要かつ重大な一大事なのにほとんど声を上げない。
男子部時代からのつきあいのある地元の活動家連中だって
口では「私は大御本尊を捨ててません」
「大御本尊を受持しないという今の教義はおかしいと思います」
なんて俺には言うくせに、
テメーの組織の中で「これはおかしいでしょう」って言えるやつが一人もいない。
そんな地元活動家のヘタレっぷりにウンザリしガッカリしていたが、
macskaさんがやってくれた。
本当に素晴らしい!
そして羨ましい!

平成14年に創価の教義から「弘安二年の大御本尊」という文言を外して以来
ずっと「これはおかしい」と言い続けてきた。
当時、良好な関係にある地元のB長や地区部長連中に
「俺を座談会に参加させろ。そして一言話をさせろ。」と言い続けてきたが
結局、ただの一度も「座談会」のお誘いも日程すらも知らされることなく
昨年、「いつの間にか退会」扱いになってしまった。
まぁ、俺が行けば何を言うのか想像もつくだろうし
かといって俺を止められる幹部もいないだろうし
会合が紛糾するのは必至だから
ヤツラも俺を呼ぶことはしなかったのだろう。
予定調和のとれた出来レースの会合しかできないヘタレだからな。
俺が創価を追放されて心残りがあるとしたならば
「会合」で地元の謗法バリカツを皆の前で破折できなかったことだ。
俺もmacskさんみたいにやりたかったなぁ~
「あなた達間違ってますよ。今の創価は謗法です」って座談会で言いたかったぁ。
でもって担当幹部に何か言われたらバンバン破折してね。
macskaさんは今回はそこまで激しくやらなかったようだけど
いつかそんな日が来るんだろなぁ。
いやいや、本当に羨ましい限り。
例えるなら、俺が告白できなかった女の子に
macskaさんが先に告白しちゃった。的な?
う~ん・・ジェラシーだなぁ(笑)

でも、本当に皆が羨ましく思うのはこれからだよ。
こんなことを組織の中で言い続けたらどうなるか。
そりゃ創価連中から迫害必至ですよ。
まづは幹部がmacskaさんの組織の長に指導。
「macskaってヤツは大丈夫なのか?」みたいな?
で次に本人に指導。
「あなたの我見で組織を乱さないように」風な?
それでも言い続けるといよいよですよ。来ますよ~。
組織内で「アイツとは付き合うな。連絡とるな」という事になり
あることない事、誹謗中傷されるわけです。
その頃には会合の連絡もなくなるし
ひょっとすと「活動停止」を言われるかもしれません。
事実上の追放です。
さぁ、そうなるとどうなるか?
実はそこまでなると、すげ~功徳が出ます。
一気に人生が開けます。
これは俺も体験したことだから間違いない。
創価の信心で功徳を出すには
創価から迫害されるほど戦うに限る。
それはつまり創価が謗法であることを意味している。
これほどの大謗法と連日会うことができるのは
創価で活動していればこそ。です。
創価の外ではなかなかこんな謗法者とは出会えませんよ。
顕正会やら身延やら邪宗はいますが
彼らには迫害できるほど力はありません。
実は謗法の吹き溜まりの創価の組織にいるということは
自身の三世の宿業を断ち切る千載一遇のチャンスなんですね。

macskaさんはこれからが楽しみですね。
「ブルータスお前もか・・」というほうど
多くの会員が裏切り離れ行きます。
信頼していた幹部が裏で色々画策してたり
面倒見てきた後輩とか先頭を切って悪口言い出すとか
「人って短期間にこんなに変節するんだ」と恐怖すら感じますし
「麗しい創価家族」なんてものがいかに虚構だったかと思い知らされたり
そしておそらく私もそうだったように
創価の中に居続けるのは不可能になると思います。
もちろん、そんなことは覚悟の上だと思います。
その覚悟がなければ言えません。
ですから創価に在籍中にどんどん語っていって欲しい。
(そう何度もチャンスはないと思います)
そして一人でも多くの会員さんを味方につけて欲しい。
「言わなくても分かってれるだろう」
「俺一人が黙って我慢すればいい」
なんていう甘い事は考えちゃダメ。
(俺はそこが失敗した)
組織の方はmacskaさんに会員を近づけないように
薄汚いウソを平気で組織内に流布するから
言わなくても・・・なんて思っているとヤツラの思う壺。

なにはともあれ、素晴らしい活動報告の感動した。
これからどう展開していくのかも気になりますが
全国でmacskaさんのような会員さんがたくさん現れることを期待したいです。
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マイノリティーだからこそ(非意味的切断さんの質問への回答)

非意味的切断さんからの質問
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日蓮は正直なところかなりマイナーな人物だと思います。さらに日蓮の論の解釈の中でも、日蓮正宗の大御本尊信仰はかなりマイナーです。 世界史的にパースペクティブが広がっている仏教において、マイナーな日蓮正宗の大御本尊信仰を受容する理由は何でしょうか?
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

について今日は書くよ。
非意味的切断さんだけではなく
多くの方も同じように思っていることでしょう。
昔、俺も折伏でこのご質問と同じようなことを
何度となく言われた。
そんな方々にお答えしようと思う。

「日蓮正宗は極めて少数派である」
「日蓮正宗の教義は極めて特異である」
などなど、日蓮本仏・大ご本尊信仰について
多くの学者や世間が否定している。
だからそれは間違ってる。
あるいは信じない。
というロジックで語る人は多い。
多くの人が否定しているから否定する。という考えだね。
では何故俺は、数多ある仏教宗派のなかで
超少数派の富士門流を選んで受容しているのかというと
その理由はたくさんがあるが、
今回の質問に即していうならば
「人数が少ない」からである。
「マイノリティー」であるからこそ「正しい」
それが俺の中での結論だからだ。
なぜ「少数」だから「正しい」のか?
それは現代は仏教でいうところの「末法」であるからだ。
(仏教以外の信仰者に対してはまた違う話になるので今回は除外する)

さて、この「末法」とはどのような時代かといえば
釈迦の説いた大集経によると「白法隠没」の時代である。
「白法」とは釈迦の説いた法のことで、
末法とは釈迦の説いた法が「隠没」。つまり無くなってしまうという意味だ。
そしてその白法が力を失った後に「大白法」が流布される時代。それが「今」「末法」である。

◆大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか(撰時抄)

ではこの「大白法」とは何か?といえば「釈迦の法」ではない「釈迦の法」を超えた法である。
結論を言うと「大白法」とは、大聖人が説いた「南無妙法蓮華経」である。

◆凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり(当体義抄)

仏教史においても釈迦が「南無妙法蓮華経」を説いたことはなく
「南無妙法蓮華経」を説いたのは大聖人お一人である。

で、ここからが本題で
この「妙法」を末法で信受するというのことは実に難儀なのである。
理由はいろいろあるが今日のところは難儀な理由はイロイロ書かない。
(話が飛んじゃうとわかりずらいので)
で、話を進めると

◆日蓮が強義経文に普合せり法華経の流通たる涅槃経に末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし正法の者は爪上の土のごとしととかれて候はいかんがし候べき、日本の諸人は爪上の土か日蓮は十方の土かよくよく思惟あるべし(開目抄上)
◆仏末代を記して云く謗法の者は大地微塵よりも多く正法の者は爪上の土よりすくなかるべし、仏語まことなるかなや今日本国かの記にあたれり。(破良観等御書)

など大聖人の御書に書かれているように
末法においては「謗法の者」は大地のように多く
「正法の者」は爪の上の土ほど少ない。のである。
だからこそ「末法」なのである。
「正法の者」が多く「謗法の者」が少なければ「末法」と言わない。
「正義が少数派」となるゆえに「末法」なのである。

ここからは仏教徒目線で書くけど、
世界三大宗教の「キリスト教」「イスラム教」「仏教」
この中で「仏教徒」の人数は圧倒的に少ない。
というか「ヒンドゥー教」よりも「仏教徒」は少ないのである。
仏教でいうところの「外道」の方が圧倒的に多いの現実である。
この現実こそ「末法」であるという証明であり
だからこそ「仏教」が「外道」に勝っている証拠でもある。
もし、身延や他の仏教宗派が「多数派の方が正しい」というならば、
仏教は外道の法に劣るといのか?
ならば彼らは今すぐ「仏教」を捨てて
キリスト教徒にならなければ自語相違になるだろう。
(外道というのは「クサレ外道」っていう意味ではないので誤解なきよう)

さぁ、そう考えれば自ずと理解できる。
「大白法」の「南無妙法蓮華経」系宗派で
もっとも「少数派」である「富士門流」こそが
「爪の上の土」であることは明らかである。
なにせ、似非宗教・偽仏教の
「ホンモノのクサレ外道」の
「創価」や「顕正会」よりも少ないのである。
つまり数の多い「身延」や「創価」が「爪上の土」で
数の少ない「富士門流」(正宗)が「大地」であるという解釈はありえないよね。
つまり「マイナー」であり「マイノリティー」であることこそ
「富士門流」の教義が「正しい」「正法」であるといえるわけだ。

今が「末法」であるのならば
「謗法」の方が人数が多いはずであり
だとすればもっとも「少数派」である
「富士門流」(正宗)が「正しい」
このロジックが一番俺の中では理屈が通るし
釈迦も大聖人も言われていることに符合するするんだな。これが。
この逆だと理屈は通らないし、
釈迦・大聖人の言われていることに齟齬があることになっちゃうでしょ?

それが、特異でありマイナーな正宗の
大御本尊信仰を俺が受容する理由ですね。
難しいことでもなく単純明快な理由だけど
文理に照らせば「富士門流が正しい」
という結論にしかならない。
もちろん理由はそれだけはないけど
今回の質問の即して極論を言えば
「少数だからこそ正しい」
俺はそう思う。(あくまでも極論です)

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大作センセの弟子になり損ねた。

昨年、「いつの間にか退会」という
本人も知らないあいだに創価の会員資格を喪失させられた俺だが、
そんな状況になって初めて少しだけ
大作センセを理解することができたと思ってる。
俺は「いつの間にか退会」について
そのやり方はともかくとして
「退会されられた」(除名じゃないよ)ことについては
別に文句も異議もない。
以前書いたがむしろ「スッキリ」しているし
「サンキュー!学会」って思っている。
それは当たり前の話で平成14年に教義から
「弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
の文言を削除した時からずっと創価を批判してきた。
もちろん創価のいう永遠の師匠・大作センセも批判してきた。
所属する団体の批判をくり返しいる人間を追放のは当たり前の話で
いつかは「除名」になることも覚悟していた。
いや、むしろそれを望んでいた。
自分から辞めるよりも、相手がやめさせるように仕向ける。
いまから思えばそういう心境だったんだろうなと自己分析。
コレってまさしく大作センセが宗門に対してやった事と同じだ。
そう思うと、ようやく大作センセの気持ちを理解できた感じがした。
ようやく大作センセと同じ戦いができた。と(笑)

いま新人間革命で54年の会長勇退の話を書いているが
それを読むと、その当時から宗門は法主を筆頭に僧侶達が創価の会員をイジメていた
でもその時は「会員のため」に「僧俗和合」の道を選んだ。というストーリーだ。
では何故平成の時は「僧俗和合」の道を選ばなかったのか?
52路線の時と平成の時と状況は一緒でしょ?
宗門僧侶が会員をイジメたりバカにしてたわけでしょ?
相手(宗門)側は同じ状況にもかかわらず
54年の時は「会員を守るため」会長職を勇退して「僧俗和合」の道を選び
平成の時は「会員を守るため」時の法主を批判しまくって「宗門から独立」を選んだ
これってかなり矛盾した話だ。
この話の辻褄を合わせようとしたら
54年の時は大作センセの側近が
大作センセを裏切りセンセの独立に反対したので
仕方なく「僧俗和合」の道を選んだのだが
平成の時はそうした障害がなかったから「独立」した。ってストーリーしかないでしょ。
本当は52年路線の時に大作センセは独立したかったのだろう。
本人も学会の絶頂期と言ってるわけだから。
ところが福島氏の「大牟田発言」で大作センセの計画が狂った。
「おいおい福島。いま言うんじゃね~よ」って感じだろうね。
それが証拠に54年の時は福島氏の「不用意な発言」で学会が窮地に云々といってるが
平成の時は大作センセ自らの発言で破門まで至ったわけだから
その時は「不用意」でなく「用意周到」な発言だったんだろうね。
だって、その後宗門側に謝罪するチャンスはいくらでもあったのに
大作センセと創価首脳は断固謝罪しなかったもんな。
俺だって、こうなる前にどこかで地元の幹部に謝罪して
「心を入れ替えて池田先生・学会の為に一兵卒から頑張ります」と
心から言えば多分創価の活動家として今でも組織に残れたと思う。
大作センセだってそうすれば除籍にもならず
創価も破門されることはなかった。
そうしなかったのはそうしたくなかったからなんだろうね。
その大作センセの気持ちは手に取るようにわかるよ。

ただ、その後がね~
自分から「破門」になるように仕向けたくせに
あたかも「破門」した宗門側が悪い。と言いまくるのはどうかな~。
「破和合僧」の道を選んだのは大作センセの方でしょ?
なのに宗門がそうしたように言いふらすのはよくないよ。
それと宗門が対話を拒否したっていうのもそう。
書面での回答を最初に拒否したのは大作センセの方でしょ。
最初に宗門から要望があった書面で回答してから対話すれば良かったんだから。
ダメだよ。そうやって自分で「仕掛けて」
宗門を「嵌める」ような真似しちゃ。
俺はそんな、姑息で卑怯なマネはしないよ。
創価が勝手に俺を退会したと捏造して統監を落としても
創価が俺と対話どころか退会の確認の連絡すらしなくても
そんなことは非難しない。
自分がそれを選んだのだから、
今更そういうことで「創価は非道」なんて言わない。
創価を嵌めて騙し討ちするような真似はしない。
正々堂々と大聖人の仏法に照らして創価を破折する。
騙し討なんて人として恥ずかしいからね。

あ~これじゃやっぱり大作センセの本物の弟子になれないな。
もっとく姑息で卑怯で小心者にならないと
大作センセのようにはなれない。
途中までは良かったんだけどね~
惜しかったな。オレ。

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学会員が大御本尊に信を取る方法

「大御本尊に信を取る」信心。と
リアルでも散々言っているし
このブログでも何度も書いているんだけど
先日、食事をした創価の後輩に
「大御本尊に信を取る信心って具体的にはどうすればいいですかね?」と質問された。
まぁ、確かにそうだわな。
「大御本尊に信を取れ」と言ってるだけで
いままで具体的にどうすればいいか。
って話はしたこともないし、ブログで書いたこともない。
これじゃ確かに抽象的すぎて乱暴だな。と反省。
なので今日は簡単だけど
学会員が「大御本尊に信を取る」方法を書いてみることにする。
一番いいのは、創価を退会すること。
といってもそれができれば苦労はしない。
創価をやめた方々はやめられない会員さんを「未覚醒」と思うのだろうが
そんな単純な話じゃないもんな。
で、次善の策は「創価の活動をやめる」こと。
これまたなかなか難儀で、
活動やめられるくらいなら退会だってできるよ。ってことだよね。
てことは次に考えられるのは五座三座の勤行の実戦。
え?いまさら五座三座はキツイ?
それに創価じゃ長行の経本がもう売ってない?
しょうがないなぁ・・・
てなわけで俺のオススメは「ご観念文」
歴代法主に報恩感謝するのことに抵抗ある会員さんは
まずは「本尊供養」のご観念文だけでも「観念」する。
もう細かいことは言わない。
方便自我偈の勤行でもなんでもいいから。
とにかく「本尊供養の観念文」を念じる。
これでOK。
「本尊供養の観念文」とは昔の会員さんなら知ってるだろうけど
「二座」のご観念文ね。
「信を取る」というのは「受持」をするということ。

◆受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり(中略)経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云(四条金吾殿御返事)

と御書にあるように、「受」と「持」では「持」の方が重要であり
「持」とは「念力」によるんだね。
この「念力」が凝縮されているのが「ご観念文」なんだよ。
もちろん、創価の本尊供養じゃだめだよ。
ちゃんとしたご観念文を読むんだよ。
一応、正宗の正式な本尊供養のご観念文を書いておくよ。

【南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身如来の御当体、十界本有常住、事の一念三千、人法一箇、獨一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に】

このご観念文だけでいいから勤行・唱題のあとに一番最初に、小声で言う。
これで身口意の三業で「大御本尊を受持した」「大御本尊に信を取る」ということになると思う。
実は、コレは創価がおかしくなりだした頃に俺がやってたこと。
自分では、このご観念文を読んでたから信心が誤たなかった。と感じてる。

南無本門寿量品の肝心    釈迦を含む諸仏が成仏した法体
文底秘沈の大法         釈迦の白法でなく大聖人の大(白)法
本地難思境智冥合       大作センセごときの凡夫に思慮することもできない大聖人の境涯
久遠元初             最初からそのままでの姿の本仏
自受用報身如来の御当体   自受用報身如来即ちご本仏大聖人の当体
十界本有常住          ご本仏大聖人の己心の常住の十界
事の一念三千          ご本仏の色心二法の「事」の一念三千
人法一箇             妙法即大聖人。大聖人即妙法。
獨一本門             コピーできない唯一無二の法体

それが「戒壇大御本尊」であり、
それに、南無し報恩感謝する。

大御本尊を捨てていない。
大御本尊を捨てたくない。
そう思う学会員さんは、せめてこのご観念文だけは読むといいよ。
必ず全てが変わってくるから。

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今は反論しない方が得策だよ

創価が大御本尊を捨ててから足掛け2年にもなるというのに
相変わらず「学会は大御本尊を捨てていない」
と言い張るバリカツさんが、ネットでもリアルでもまだいるよ。
しかもロジックも聖教発表と何ら変わらないロジック。
「学会は弘安二年の本尊も本門本尊と認めている」から否定してない。
何を言ってるんだかね?
俺が言っているのは大御本尊が「本門本尊」とするかしないか。って所じゃなく
「受持の対象としない」と言ってることを問題にしてるのに、そこんところが理解できないようだ。

また「破門後はそもそも宗門の本尊を受持していないのだから別に変わらない」という話。
もう、やれやれだね。
「下付を許されない」ことと
「受持をする」という事は
全く別次元の話なのに、一緒にしちゃう。
そもそも多くの学会員は破門後も
大御本尊を受持していたよ。
破門後、創価の本尊で功徳が出た。というのは
創価の本尊に大御本尊と等しい力があったのではなく
大御本尊を受持して創価の本尊に題目を上げていた
学会員が多かったからに過ぎない。

そもそも、バリカツなら誰でも知ってるはずだろ?
大聖人仏法とは「受持即観心」であるってことを。
だとしたら「受持の対象しない」という事は
「捨てる」ことであり「否定」することだ有るという事を。
本当は分かっているんだろう?
今の創価が「大御本尊を捨てた」という事を。
分かっているけど創価本部に逆らえない。ってか。
そして分かっているからこそ反論もできないんだろうね。

このブログでも何度も書いているし
ここにコメントをしてくれたバリカツさんに何度も質問した。
「大御本尊も本門の本尊ならば、その本門の本尊を受持しないのは謗法ではないのか?」と
壮年部っぽいバリカツさん。
いかにも男子部っぽいバリカツさん。
威勢のいい婦人部のバリカツさん。
女子部を名乗るバリカツさん。
コメントくれた四者すべてのバリカツに同じ質問をしたが
誰一人として・・・そう全員揃いもそろって「無回答」だ。
話を逸らしたり、質問返ししたり、遁走したり
全然「バリカツ」らしくない。
それはリアルでも同じで、すでに破折されている
聖教新聞の解説をうわ言のように繰り返すだけで
反論の一つもできないわけだ。
それは何を意味するのか?
多分、バリカツさんも薄々気が付いてるのだろうと思う
「創価が大御本尊を否定し捨てた」という事に。
そして待ち望んでいる
「創価が正式に大御本尊を捨てました」と発表してくれることを。
彼らはそれで何の問題もない人たちだからね。
「もともと大御本尊を受持していなかった」そういう人たち。
それがバリカツさんのバリカツたる所以だね。
早く来るといいね。
バリカツさん達が、リアルでもネットでも
「創価学会は正式に大御本尊を捨てたんだよ」
「弘安二年の大御本尊なんて創価から離れたら功徳なんてない」
って大声で言える日が。
まぁ、そう遠くない未来にそんな日が来るとは思うから
いまは、下手に反論など考えずに
大御本尊を否定した者同士
静かにしていた方が得策じゃないかな。
どうせまともに反論できないんだから
無様な姿をさらさない方がいいと思うよ。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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