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御講拝読御書研鑽(2021年5月・妙心尼御前御返事)

浄名経涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ今の日本国の人は一人もなく極大重病あり所謂大謗法の重病なり

今月の御講拝読御書は「妙心尼御前御返事」でした。本抄は短い御書ですが自身の信心の糧となるお言葉がちりばめられている御書ですので是非、通読してみてください。さて最初に【病によりて道心はをこり候なり】という有名な御文があります。文に則せば一応は「身体的病=病気」のことですが、「病」というのはいわゆる病気だけはなく、経済苦など生活上の全ての苦悩が「病」に当たります。我々凡夫は苦しみや悩みがないとなかなか信仰心がおきません。「悩みがないから題目があがらない」と公言する人も多くいます。苦悩に直面してやっと本気で道心(信仰心)が生まれるわけです。さて、題目をあげながら身の上に起きている苦悩の原因を突き詰めていくと結局最終的には「過去世の謗法」に行きつきます。身に覚えがある事もあるでしょう。例えばギャンブルで借金苦になってしまっていたら原因はギャンブルなんですけどではなんで借金するほどギャンブルにのめり込んでしまったのか?と突き詰めれば結局は自分では「分からない」わけです。しかし三世を知るご本仏はその根本原因を「五逆罪・一闡提・謗法」であると教えてくれているわけです。そして「五逆罪・一闡提・謗法」の中でも更に「大謗法」が極大重病であるというのです。つまり身の上に起こる様々な苦悩という病を引き起こしてる根本原因は「大謗法」にあるということです。よく謗法と五逆罪を混同する人がいますが(創価民が正宗のことを破和合僧の謗法といいますが破和合僧は謗法ではなく五逆罪です)「大謗法」は「五逆罪・一闡提」よりも重病(重罪)なのです。
◆五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱の如くして急に事を切る、謗法は白癩病の如し始は緩に後漸漸に大事なり(呵責謗法滅罪抄)
しかもこの「謗法」という根本の重病は今回の拝読部分の次下に、
◆あまりに病おもきゆへに我が身にもおぼへず人もしらぬ病なり
と書かれているように自覚症状もなければ他人も分からないステルス癌のようなものなのですね。これを治癒するためには本抄に
◆謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給うべし
と書かれています。ここでいう所の「法華経」とは
◆此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病さはりをなすべきや(経王殿御返事)
とのご指南の通り、曼荼羅本尊のことであり一大秘法に戒壇大御本尊のことです。ここ大事ですよ。上記御文の「師子吼」というのは「本尊」のことであり「唱題」ではありません。病を治癒する力があるのは本尊なのです。根本の大御本尊を離れた題目に大謗法を消す力はありません。それどころか大謗法に大謗法を重ねることになり更に病は悪化するのです。話を戻しますが全ての苦悩の根本である大謗法は我々凡夫は知ることができません。だから仏は私達が分かるように病気や貧乏などという苦悩を与えて気づかせて道心を起こさせて根本の大病を治療させようとしてくださるわけです。今回の拝読箇所の直前に【このやまひは仏の御はからひか】と言われているのはそのような理由からです。つまり現在どんなに苦しくて辛くてもそれはご本仏が計らった仮の病です。ですから【道心】を起こせば必ず乗り切る事ができるばかりがそれ以上に幸福になれるということです。ご本仏が作り残された【色香美味】の良薬である戒壇大御本尊を手にし飲むことができるのは法華講だけですから、楽しく喜んで自行化他の題目を唱えていきましょう。


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選挙は信心。その結果。

今日は、まず下の画像を見てみてください。
斉藤鉄夫
少し古めだけどこれは過日の広島参院選挙で公明党の必死の応援も虚しく落選した西田英範氏の必勝祈願の画像です。そして下の画像で西田氏の隣にいるオッサン、誰かと思ったら公明党の副代表の斉藤鉄夫さんではありませんか!SNSでこの画像をみて西田さんと一緒に神棚に向かって柏手を打ち必勝を神様に祈願しているとは大笑いしました。えっと、確か創価学会員は「選挙は信心」って言ってますよね?いや斉藤さんが神社で柏手打ってますけど、いつから創価学会は神道に鞍替えしたのでしょう?
◆檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況や其の器にして一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す(日興遺誡置文)
◆他宗の神社に参詣し一礼もなし散供をも参らする時は、謗法の人の勧請に同ずるが故に謗法の人なり(日有上人『化儀抄』)

大聖人の仏法では神社参拝は謗法ですよね?創価だって今もそうなんでしょ?靖国神社の献灯騒ぎの時そう聖教新聞に書いてありました。で?改めて聞きますが斉藤鉄夫公明党副代表が神様に祈願しているコレも「選挙は信心」の範疇なんですか?実はこういう行為をしてるのは副代表だけじゃないんですよ。私の地元の神社の夏祭りには毎年公明党の県会議員がきて「パンパン」と柏手うってるし創価時代の友人の公明党市議も神社の祭りに顔を出しては毎回お神酒を一杯引っかけて上機嫌になっています。学会員がお題目あげても当の議員が謗法してたらそりゃ効き目ないですよね(笑)こういう記事を書くと創価民は「大石寺の法華講総代だって神社の行事に参加しているじゃないかと」以前の創価新報の記事を持ってきて「オマエ等だってやっているだろ」論法をしてくるだろうけど、そもそも「オマエ等だってやっているだろう論法」自体が「正宗がやっているなら俺達もやっていい」というようなオカシイ論法に加えて、確かに新報の報道のような事実はあったけどアレは一個人の信心の心得違いであって指導教師住職から厳重注意を受け本人も反省しています。
◆大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ(光日房御書)
との御妙判にあるように戒壇大御本尊に対し懺悔申しあげれば一時の謗法の罪は消えます。もちろん一度懺悔しながら同じことを繰り返すのは不可ですが、それはもう個人の信心の問題であって周囲には無関係なわけです。対して斉藤氏や件の県議・市議には誰も注意もせず野放しして本人も謗法であることすら自覚せず且つ反省・懺悔もない。しかもこういう連中を応援しているのが創価学会員なのだから与同罪はま逃れませんね。自民党を応援するっていうことは謗法与同だってことを創価民さんは分かっているんですかね?神社に必勝祈願をし、当選の暁にはダルマに目を入れる人たちを応援するのが創価の信心なんですか?それは信心とは関係ないというならば「選挙は信心」「選挙は功徳がある」なんて言わない事です。謗法に与同しておいて功徳なんかあるわけないでしょ(笑)「選挙が信心」ならばこのような謗法の候補者を支援するのが筋が通らないと思いませんか?だからいつも書くように「選挙と信心は無関係」と正直に言えばいいんですよ。それならば実際に柏手打っている人はともかく応援している人は与同罪にはなりませんからね。もっとも創価民の場合は神社参拝の与同罪よりも戒壇大御本尊を捨てるという一番の大謗法を犯しているから、今更神社に参拝しようと謗法を容認しようとどうってことないから何とも思わないのでしょうね。懺悔したくても戒壇大御本尊を捨てちゃったから大罪は消えるどころかますます大きくなっちゃうし大変ですよね(笑)はやく戒壇大御本尊様にお目通りして懺悔した方がいいと思いますよ。


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勧誡二門(寝言丸さんの質問への回答)

寝言丸さんより「勧誡の二門」についての質問コメントをいただきましたので今日は「勧誡二門」について少し書きます。「勧誡二門」とは、【勧門】と【誡門】の二つの門(法門)のことをいいます。仏教にける化導の方法はこの「勧誡二門」の外にはありません。【勧門】とは「善を勧めて仏道に導く門」で釈迦仏法においては「経蔵」がこれに当たります。【誡門】とは「悪を誡めて仏道に導く門」で釈迦仏法における「律蔵」のことです。大聖人仏法に照らして分かりやすく表現すれば、「勧誡二門」とは「破邪顕正」のことであり折伏弘教は全てこの「勧誡二門」によりなされるわけです。『法華文句』にはこの勧誡二門を、
□「勧は即ち為人悉壇、誡は即ち対治悉壇なり、此二悉壇は第一義悉壇の為め」
と釈しています。「勧門」とは相手の機根に合わせた説法になりますから為人悉壇になり「誡門」は相手の機根に関らずその悪を誡める説法ですから対治悉壇ということになります。ただし、大切なのは【此二悉壇は第一義悉壇の為め】ということで、どちらもその根本は「第一義悉壇」であるということです。大聖人仏法における「第一義」とは具体的に何かといえば、大聖人仏法の色心二法であり出世の本懐であり末法衆生成仏の法体である、一大秘法の戒壇大御本尊のことです。つまり「勧門」で化導しようと「誡門」で化導しようと、根本は戒壇大御本尊であり化導する行先は戒壇大御本尊であるということです。つまり「勧誡二門」といってもその二門は最後は「一門を通る」いう事です。私達は折伏の時には必ずこの「勧誡二門」を使って折伏をしています。よく言われる「功徳がでる」というのは「勧門」であり、「罰が出る」というのは「誡門」を使っていることになります。しかし功徳も罰もどちらも戒壇大御本尊の力用を説明しているわけです。ですから、「勧門」を表にして「戒壇大御本尊への信心をすれば幸福になれる」と折伏する裏には「戒壇大御本尊への信心をしなければ幸せになれない」とい「誡門」があります。当然、その逆も然りです。「勧誡二門」とは「唯一門」なのです。「勧門即誡門・誡門即誡門」ということです。その上で相手によってどちらの門を表に化導していくかという違いにすぎません。私の場合は、創価や顕正会など戒壇大御本尊に敵対する逆縁の衆生には「誡門」=破邪を表に折伏し、無信仰の人など戒壇大御本尊に対し無知の衆生には「勧門」=顕正を表に折伏をすることを心がけています。以上が化他行の勧誡二門ですが、自行における勧誡二門は日々の勤行・唱題のことです。勤行・唱題には「勧誡二門」の両門が備わっています。私達は日々の勤行唱題によって戒壇大御本尊様への門をくぐっているわけです。

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【告知】5月11日に登山します!

今月の5月11日に登山します。読者の皆さんの中で同日に登山を予定していてダメだし管理人のツラでも見てやろうじゃね~か。という奇特な方がいらっしゃいましたら是非ご挨拶させてください。当ブログの非公開コメントまたは私のツイッターのDMにコメントください。メアドなど教えていただければそちらにメールなど致します。


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創価教学じゃない御書講義(2021年5月座談会御書・立正安国論)

帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

はい。今月の座談会御書はこの立正安国論の御文ですね。いやいや実に分かりやすい。要は「選挙の戦いしろよ」って話ですね。なにせ当該御文は創価が選挙をする意義を無理やりこじつける唯一のテッパンの御文であり、創価切文教学の象徴ともいえる御文です。創価が言うには信仰者として自分の幸福だけ祈るではなく社会や世界の安寧・平和を祈ることが大切でその一環として政治に関わるらしいです。だから選挙=立正安国=信心なんだそうです。こんな切文のコジツケを真剣に言う莫迦杉君達が政治になんて関わって欲しくないと思うのは私だけでしょうか?そもそも、立正安国論に大聖人が政治について言及している所なんてありません。ちゃんと立正安国論を学んでいるんですか?大聖人は世が乱れ人民が苦しむ原因は、
◆世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る
と神天上の法門を示されています。そして人々が正法に背くのは邪法を弘めるヤツがいるからで、そういう邪法を弘める人間こそが世を乱し人々を苦しめている「一凶」である。と言われてます。故に
◆如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
と言われているわけです。そうした全体の中で【汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か】と言われているわけですよ。四表の静謐を祈るのは万祈を修めることであり。それよりも「一凶」を禁しなければ社会や世界の安寧・平和はない。というのが大聖人のご指南です。だから選挙=立正安国=信心などという方程式は創価が会員に選挙運動をやらせるための詭弁でしかないのです。では、【四表の静謐を祈る】とはどういうことなのか?確かにコロナ収束や世界平和を祈ることも一理はありますが、その根本は【一天四海本因妙広宣流布】の祈りなのです。そして【一天四海本因妙広宣流布の祈りは】必ず折伏・弘教になって顕れるわけです。大聖人は「如説修行抄」で、
◆法華折伏破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし天下万民諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり
と言われており広宣流布以外に平和世界の実現はありません。だからこの立正安国論の最後に、
◆唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ。
と折伏勧奨をされているわけです。選挙を立正安国論に結び付けるのは大聖人の仏法を矮小化する冒涜です。それにそもそもが創価こそが一凶でありその創価が支援する公明党もまた一凶です。立正安国論では法然(選択集)を一凶に指定しますが何故選択集が一凶であるかといえば、
◆捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄んず
とあるように、法然は正法である法華経を「捨てよ、閉じよ、閣[さしお]け、抛[なげう]て」と言って多くの人々に捨てさせたからです。そして現在では末法のご本仏・日蓮大聖人の色心二法であり末法衆生成仏の本因である戒壇大御本尊を多くの人々に捨てさせている創価こそ一凶であることは御聖訓に照らして明らかなのです。「一身の安堵を思わば」まず創価とは関わらない。創価の依頼は聞かない従わないことです。「金」(聖教新聞の購読など)も「時間」(創価の会合にいくなど)も「票」も何一つたりとも創価に施してはいけません。創価会員の皆さんもですよ。貴方が創価をやめればその分世界平和に近づくのですよ。
◆所詮国土泰平天下安穏は一人より万民に至るまで好む所なり楽う所なり、早く一闡提の施を止め永く衆僧尼の供を致し仏海の白浪を収め法山の緑林を截らば世は羲農の世と成り国は唐虞の国と為らん、然して後法水の浅深を斟酌し仏家の棟梁を崇重せん。(立正安国論)
最後に、以前書いた立正安国論の題号だけ講義をリンクしておきます。

題号だけの御書講義②(立正安国論)


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
自分が知らないうちに誰かに退会届を提出されていて「いつの間にか退会」になっていた(旧)創価学会員。麗しき創価の同志に勝手に創価を退会させていただき折角なので戒壇大御本尊を捨てた大謗法の池田創価から日蓮正宗に戻りました。本サイトは池田創価の風聞・風説を基にした批判ではなく、日蓮大聖人の法門・法義を中心に大謗法の池田創価を筆頭に異流儀を破折するとともに、日蓮大聖人の仏法の正法・正義を書き綴っています。

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