墓は売るんだよね?

みなさん、そろそろお盆休みですか?
私は来週休暇をとる予定。
特に遠くには行きませんが
「お墓参り」だけは欠かせない行事です。
私、若い頃から「お墓参り」が好きでして
いまも毎年正月2日。お彼岸。お盆と年に3~4回「お墓参り」します。
中でも夏のお盆の墓参が一番好きです。
少し涼しくなった頃、ヒグラシの声を聞きながらお墓参りするのが大好き。
その後のビールも格別です。
最近では、お墓参りする人も少なくなったようで
墓参り代行業なんていうのの登場してます。
無縁仏になっちゃっているお墓も結構あるとか
「墓参り」好きの私には寂しい話です。

さて、地元の創価の知人に聞いても、
なかなか「墓参り」できないらしいですわ。
理由は「墓が遠い」から。
そう、創価の墓苑を買っちゃった学会一家は
そう簡単に墓参もできないようですね。
私の地元から一番近い創価の墓苑は
高速道路で片道2時間。
有名な温泉街のさらに先の山の中です。
日帰りできるけど、そうそう墓参に行ってられない距離だね。
友人の一人は数年前にその墓苑を引き払って
車で10分ほどの地元の墓苑を買いなおしました。
自分か死んだときに創価の墓苑じゃ誰も来なくなる。と言ってた。
親御さんが買ったとはいえ、とんだ無駄金使わされたと言っていた。
それでも彼なんてまだいい方で
別の創価の友人一家は、温泉街の山間の墓苑の他に
静岡と北海道厚田村の創価の墓苑を持っているらしい。
北海道の厚田村なんて一生行かないだろう。と言っていた。
それにしても、一家に3つの墓苑って・・・・
MY聖教ならぬ、MY墓苑だね。
明らかにそんなに必要ないし、明らかにそんな売り方はあくどいよ。

去年「消費者契約法」が一部改正になって
過量な内容の消費者契約は取り消すことができるようになった。
事業者が消費者に通常の分量を超える量を売りつけたら契約取り消しができる。という内容。
一定要件はあるものの、墓をいくつも売りつけるのは明らかに過量。
事業者が知らなかった。とは言わせないよ。
これだけ統監がしっかりしているのだからね。
これで知らなかった。と言うならば、創価の統監が適当ってことにもなる。
そもそも一番最初が厚田村ってのがもう最初から詐欺っぽい。
厚田村に創価の墓苑を持っている会員さん大勢いるでしょ?
で、何回行ったの厚田村に。
自分が死んだら誰が厚田村に納骨いってその墓参するの?
最初から厚田村の墓苑を全国販売することがオカシイんだね。
まぁ土地が安いし「厚田村」といえば売れると踏んだ作戦は成功だけど
「会員の為に」作られた場所とは思えないなぁ
大作センセが死んだら厚田村に埋葬するならまだしも
戸田先生の墓すらないのだから。

しかしまぁ、葬儀に僧侶を呼ぶのも塔婆供養も
「仏法の本義ではない」
「そんなものは坊主の金儲けだ」と言って
そんなものは不要だ。とかいいながら
「墓」を売るのは何故?
創価の理論からすれば、「墓」だって「仏法の本義」にはないよ。
釈迦時代のインドには「墓」なんてないし
釈迦仏法自体が輪廻転生なんだから「墓」なんて必要ない。
「納骨堂」もいらないでしょ。
それが「仏法の本義」じゃね~の?
確かに日本は勝手に埋葬できないから
墓苑や納骨堂などの遺骨を保管する場所は必要だけど、
それを創価の事業としてやる必要はないね。
民間でいくらでもやっている。
「仏法の本義」に照らせば「墓も不要」でしょ?
僧侶は不要だけど、墓は必要ってのは
どんな「仏法の本義」に照らすとそうなるのか聞きたいよ。
どうしても会員さんの為。と言いたいならば
創価の会員さんには「無料」で、
墓なり納骨堂なりを贈呈しなさいな。
それなら納得もするよ。
何より「墓」や「納骨堂」欲しさに入会者も増えるかもよ。
え?そんな死にぞこないの会員に墓を贈呈したら「赤字」になるって?
うん。うん。そうでしょう。
それはイヤなんだよね。
つまりさ、仏法の本義なんてどうでもいいんでしょう?
要は「金儲け」の為に仏法を利用をしているだけってことだよね?
いやいや、悪いとは言ってないよ。
邪教団はどこでもやっていることだから創価だけダメとは言わない。
でもね、自分たちがそういう邪教団ってことを自覚しなさいな。
もっとゴキちゃんみたいにコソコソやりなさいよ。
せめて世間様に迷惑をかけない事を心がけて欲しいですな(笑)

そうそう、話は戻るけど家族で創価の墓苑を複数買っちゃった会員さん
ダメもとで消費者センターに相談したらどうですか?
ひょっとしたら契約取り消ししてお金えお取り戻せるかも?よ。

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何もしなきゃ破門にならないっての。

「こんなに宗門を守ってきたのに」
「こんなに宗門に供養してきたのに」
そんな、池田センセと創価学会を
突然一方的に破門するなんて許せない。
創価活動家がよく言う宗門批判だ。
多少気持ちはわからなくはない。
俺も、散々創価の為に時間と金を使って
創価を守ってきた。
なのに、組織から追放され
最後には退会したこと。にされて会員資格を失った。
うん。確かに悔しいだろう。
しかしそうなったのにも原因ってのは必ずあるもので
俺が創価から追われた根本的な原因は
幹部のいう事をきかなかったり
幹部の言動に対し批判的な発言を繰り返したからだ。
また、本尊義と血脈相承の重要性を
繰り返し他の会員さん達に話してきたという事もある。
こう書くと、現役活動家は
「そんなヤツは創価の組織を追い出されて当然だ」と思うだろう。
組織の打ち出しやらなんやら「いうことを聞かない」のだからね。
そう「当然」なんだよ。
俺たちを追放した連中の大義名分は
「創価の組織を守る」だった。
組織を守るためには組織に楯突く人間は排除する。
こんなことは、いかなる組織においても当然のことなのだ。
だから、俺は別に創価の組織に受けた仕打ちを恨んでいない。
いつもいうように怨嫉とかいう感情は一切ない。

大作センセや創価上層部も
俺と同じことを、宗門や日顕上人にしたんだよ。
だから、破門されて当然。
なのに、「破門した。破門した。」となに言っての?
「何もしてない大作センセや創価を一方的に破門した」だと?
なにをフザケタ事を言っているんだ。
平成2年の「11・16」の池田スピーチ。
創価学会のみならず、法華講のトップの役職にある人間が
同時中継という公の場で公然と宗門や法主を批判したのである。
さらには宗門側からのこの件に関する
「文書」による回答要求を突っぱねたのである。
しかも当事者の大作センセからはナシノツブテ。
こんなことをすれば、日蓮正宗という組織の役職である
大講頭も総講頭も罷免させられて当然でしょ。
逆に、そんな言動をした大作センセと学会幹部を
大講頭・総講頭のままにしていては
他の信徒に「シメシ」がつかない。
つまり宗門は当たり前のこととして、
大作センセと学会幹部の大講頭・総講頭を罷免しただけだ。

仮に原田会長が本幹で大作センセを
批判するようなことを言ったらどうする?
そのまま会長にとどめておくのか?
それで会員は納得するのか?
しないだろう。
原田会長が大作センセに文書で報告しなさいと言われたのに
それを無視して会って話します。
っていったら、悪いのは「文書」提出をさせようとした
大作センセの方なのか?
原田会長のみならず創価の中で
大作センセに批判どころか少しでも異議をとなえたら
それこそ、俺のようにいつか組織から追い出されるだろう。
違うか?
宗門による大作センセの「宗門の役職」罷免は
当然のことであり、大作センセの身から出た錆であって
「宗門」が悪いのではない。
逆恨みか作戦かは知らないが
こんなことで宗門批判するのはお門違いだ。

それにしても普段から内部アンチを見つけては
「創価批判する内部アンチは創価をやめろ」とか
「創価を批判したいなら退会してからやれ」
などと言ってはばからない活動家が
「宗門批判をした」大作センセのことは庇う事。庇う事。
本来の彼らのロジックならば
「正宗批判する大作は信徒をヤメロ」
「正宗批判した大作が破門になるのは当然だ」
となるはずなのだがそうならない(笑)
本当にこの人たちの身勝手ぶりは筋金入りである。
こうした身勝手さが世間からはスポイルされる原因なんだけどな。

そしてさらに酷かったのは、
大作センセ・創価幹部が大講頭・総講頭を罷免されたあと。
すぐに聖教や新報で、「反宗門キャンペーン」を繰り広げ
宗門僧侶や日顕上人の悪口をこれでもかと書き連ね
大作センセも毎月本幹で、宗門・顕氏に対する
ヘイトスピーチを好き放題いう。いう。
また、友人葬を筆頭に僧侶を排除し始め
寺に行かないように会員を誘導していった。
これは、「破門後」の話ではない。
「破門前」の話である。
破門される前から、大作センセと創価は
日蓮正宗の信徒でありながら日蓮正宗を批判していたのある。
そんなことを大作センセを中心に組織を挙げて繰り返していたのに
「何も悪いことをしていない大作センセ・創価学会を一方的に破門した」
などと一体どの面下げていうのか?
破門される前からこれだけの宗門攻撃をしていて
「宗門は話し合いにすら応じなかった」
などど一体どのクチがそんなことを言うのか?
「話し合いで解決したい」
「僧俗和合の道を模索したい」
そんな「思い」はどこからも伝わってこないが?
こうした事実から導き出されるのは、
大作センセと創価は、宗門から破門されるのを狙った。
という結論だ。
自分達の方から宗門から独立します。というのでは
会員や世間からコンセンサスを得られないから
あくまでも自分たちは宗門から破門されたか弱き被害者。
というというテイにしたかった。ということだ。
不倫にはまった旦那が奥さんと別れる作戦として
わざと嫌われるような事をし、
いよいよ奥さんから別れ話されると
「オマエから別れるといったのだから慰謝料は払わないぞ」といいつつ
胸の中で小躍りして別れられたことを喜んでいる。
そんなB級ドラマのストーリーをやってのけたのが
当時の大作センセと創価上層部である。
こんな胸糞悪いけど単純なストリーに
コロっと騙されてしまったのが
冒頭書いたような創価活動家である。

創価会員さんには事実をきちんと検証してほしい。
創価の新聞や幹部の話は、創価の主張にすぎない。
宗門が一方的に創価を批判したのでなく
創価・・なかんずく大作センセがいきなり
宗門・法主批判を始めたのである。
事実は小説より奇なり。である。

さて、今日は創価活動家の間違った「外護」観を書こうと思ったけど
長くなっちゃったのでそれはまた今度ということで。

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なんでも日顕宗

相変わらず、創価の活動家は
正宗を「日顕宗」と呼び
あ~だこ~だと言っているが
最近の創価活動家はなんでも「日顕宗」
と言えばいいと思ってるフシがある。
というか「それしか言えない」というのが実情なんだろうな。
そもそも、創価が正宗を日顕宗名と呼ぶ理由としては
毎年、任用試験にバカみたいに出題しているが
法主信仰とか僧俗差別とか神秘的な血脈間とか
御書に書いていないことを勝手に言っているから。なんだそうだが
御書に書いていない事を勝手に言ってるのは創価の方で
選挙や新聞啓蒙や財務に功徳がある。
なんて御書には書いていないけど?って突っ込みたくなるが
そこは今日は置いておくが
ともかく最初の内は、
法主に唯受一人血脈がある。とか
僧と俗では役割の違いがある。なんて言っていると
「そんなことを言うのは日顕宗と同じだ」
なんて幹部や他の活動家に言われたりした。
俺は、創価活動家時代から
「唯受一人血脈」を肯定していから
組織の中で「日顕宗教学」とか陰口叩かれ
俺の御書講義を聞いた幹部から注意されたりした。
血脈を認めると法主も認めることになるので
幹部としては看過できなかったのだろう。
ともあれ始めは「法主」肯定=日顕宗
というような定義だったのだが・・・

やがて、五座三座の勤行を推奨すると「日顕宗」
塔婆のことを言えば「日顕宗」
僧侶の役割のことを話せば「日顕宗」
友人葬ってなんかピンとこないんだよねと言えば「日顕宗」
なんでもかんでも「日顕宗」というようになり
そして、ついには創価活動家は
「戒壇大御本尊を唯一無二のご本仏として信じる」と主張すると
「日顕宗」というようになるまでになった。
リアルでもそうだし、創価活動家たちのブログやSNSを見ればよく分かる。

でも、ちょっと待ちなさいよ。
「大御本尊を絶対無二」というのは日寛上人も言っている。
唯受一人血脈もそう。
創価が破門される以前までは
日蓮正宗の僧俗は皆言っているのである。
今の創価のいい草通りならば
日興上人も日寛上人も「日顕宗」
創価本部の本尊を書写した日昇上人も
創価の御書を選定した日亨上人も
そして、牧口・戸田も全員「日顕宗」ということになる。
いやいや、いくらなんでもそりゃ言い過ぎだろう。
日顕上人と同世代の人間ならばまだしも
鎌倉時代や江戸時代の僧俗が「日顕宗」になれるわけがない。

そもそも、大御本尊を一大秘法と決めたのは日顕上人ではないし
唯受一人血脈を言い出したのも日顕上人ではない。
しかも大御本尊の事を言い出したら「日顕宗」になるのはごく最近。
創価が大御本尊を受持の対象にしなくなったからでしょ?
自分たちの方が、クルクルと教義を代えておいて
変わっていない日蓮正宗の事を「日顕宗」などと呼ぶのは
単なる印象操作のネガティブキャンペーンでしかない。
むしろ日蓮正宗。つまり日興門流でなくなったのは創価の方
であるならば、正宗を「日顕宗」なんて呼ばないで
自分たちを「創価大作教」を呼べよ。って話だよ。
なんでもかんでも「日顕宗」なんて呼んで
くだらないネガティブキャンペーンをやっている暇があるなら
もう少し教学をお勉強してキチンと正宗を破折すればいいじゃん。
それが出来ないは「創価大作教」の教義は
大聖人仏法ではないことを証明しているのと同じだ。
なんでも「日顕宗」と言えば
くだらない創価教学を誤魔化せるとでも?
純粋な会員さんを騙せるとでも?
そういう姑息なことはやめて
「創価大作教」の教えを流布すればいいんじゃないの。
え?「創価大作教」じゃ広まらないって?
分かってるならカツドウなんてやめようよ。

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創価ハラスメント

ハラスメントの一種で「レリジャスハラスメント」というがあることを知った。
宗教的ハラスメントで、「宗教的いやがらせ」のことをレリハラというらしい。
日本ではまだあまり聞きなれない言葉だが
アメリカなどでは一般的に認識されているらしい。
いろいろとパターンがあるらしいが
まぁ、創価組織の内外でバリカツ・幹部のやっていることは
ほぼすべてレリハラ行為と言えよう。
「信心が足らない」などの指導も
「功徳が出る」などと言って財務や新聞購読・選挙運動をさせるのも
幹部の批判はさせないが幹部は会員に「指導」のいう名の個人批判をすのも
退会者を「退転者」「日顕宗」などと呼ぶのも
当然のことながらレリハラである。
つまり創価の幹部・活動家は日常的に
他人にハラスメントを行っているのである。
とはいえそれならば創価に限らず多少はどの宗教団体にもあると思うが
創価ハラスメントは他の宗教団体と比べ物にならないくらいタチが悪い。
創価ハラスメントは、レリハラにとどまらず
複数のハラスメントを有している
まさにハラスメントの総合商社である。

例えば、取引先や自分の会社の社員
または何かを購入したときにその営業マンや会社に
投票依頼したり聖教新聞を購読させたりする。
自分より立場の弱い相手に対するパワハラである。

それと結婚。
結婚を機にあるいは結婚の条件として入会を強制する。
入会だけならまだしもその後は創価の活動や財務などを強要し
それに難色を示すとクズクズと文句をいい
挙句に「だったら離婚する」などという輩もいる
これは配偶者に対する立派なモラハラである。

奥様が妊娠をしても
創価の活動ばかりで少しも協力しないばかりか
妊娠中に会合に出ろだの活動しろだの
マタハラもいいところである。

出産後は生まれた我が子をいきなり入会させる。
奥様の反対意見など聞きやしない。
未入会の奥様の実家のことも関係ない。
さらに、バリ活幹部の舅と姑が輪をかけて
「ウチに嫁にきたんだから従ってもらう」と
昔の農村かよ。と言いたくなるような横暴。
当然、お宮参りも、七五三も
子供の行事は全部創価の会館。
奥様の実家が神社にお宮参りをしたい。といおうものならば
「じゃぁオマエ一人で行ってくれば」と突き放した挙句
相手の実家の悪口三昧。
そのくせ、選挙や新聞はちゃっかり頼んでくる。
奥様の実家は娘と孫を慮って
しぶしぶ従う。
いたなぁ~こういう男子部の幹部。
で、そいつの子供は立派な創価3世になったか言えば
残念ながら、立派なアンチ創価に成長した。
そこで奥様はようやく溜飲を下げるわけだ。

創価カツドウカは、そうした行為・言動は
全て相手の事を思って。やっていると。
俺は(私は)大作センセの弟子として間違っていない。と
つまり「ハラスメント」なんてしていない。
いいことをしているという認識で
罪悪感は微塵もないのだろうが
ハラスメントというのは、相手が不快に感じているかどうか。なんだ。
役職が低い部員さん。部下や従業員や取引先。妻や子供。
自分より立場の弱い人には上から物申すくせに
自分が負けちゃう相手から逃げて回る。
典型的なハラスメント人間である自覚ゼロ%である。
創価活動家のやっている
新聞啓蒙や公明への投票依頼を
世間のみんなは「不快だとおもっていない」と思ってるのか?
アンケート調査をすれば
絶対に「不快である」は「不快でない」を大きく上回っているはすだ。
賭けてもいい。絶対「不快」と感じている人が大多数だろう。
そんな相手の気持ちを察することできないような人間が
創価のバリカツという人種なのだろう。

確かに大聖人は「強いて聞かせよ」とご教示されているが
「強いて聞かせなさい(言いなさい)」と言っているのは
大聖人仏法の話のことである。
創価や大作センセのはなし
聖教新聞や公明党のはなしを
「強いて」話しなさい。などと一言も言っていない。
それに、これは俺の経験だが
大聖人の仏法の話をして不快になる人はそんなにいない。
もちろん興味のない人もいるし
話す側の技量・器量にもよるが
「創価大嫌い。池田大作大嫌い」という人はいても
「日蓮大嫌い」という人には俺は会ったことがない
せいぜい「日蓮?よく知らない」程度である。
なので、大聖人の仏法を語っても相手は
よほど言い方が悪くなければ
ハラスメントとは思わないだろう。
そして何よりも大聖人の仏法を語るのは
相手に何かをお願いするわけでもなんでもない。
「新聞とってよ」「選挙行ってよ」「会合来てよ」
そんな話にはならない。
つまり、創価の活動こそが、活動家をハラスメントモンスターにしているのだ。
これこそが「創価ハラスメント」の恐ろしいところである。
こんなハラスメント野郎と、誰がまともに付き合うのか?
普通の人間は、自分を不快にさせる人間とは付き合わない。
自分を利用するだけの人間とは付き合いたくない。
相手が自分の事を「友人」と呼び
「友人台帳」なるものに記名して創価の幹部に提出していても
そんなヤツは友人ではないのだ。

ともあれ、この「創価ハラスメント」の被害にあわないためには
日頃から創価活動家となるべく接触しない事だ。
そして「創価ハラスメント」の加害者となりたくないならば
なるべく創価の活動には参加しない事である。
学会員さんが、創価の会合や活動に参加すると
被害者にも加害者にもなる恐れがある。
気軽な気持ちで座談会くらいは・・・
なんて思っていると取り返しがつかないことになっちゃうかもよ。
大丈夫、創価の活動に参加しなくても
信心はできるから。

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事後報告

今日は個人的な話。
実は、前月6月19日に
母の菩提寺であるK寺で、
こっそりと勧誡を受けた。
もう少し早めにブログに書こうと思っていたのだが
先月はコメントをくれた方々への回答記事など書いてて
書きそびれた。
なのでかなりの事後報告になっちゃった。
このK寺は、俺が日蓮正宗に入信・入会したときに
ご受戒を受けた寺院だ。
しぶしぶ入信だったから当時の事はあまり覚えてない。
寺院に行く前に創価の壮年部が
なんだか偉そうに面接したのがちょっと記憶にある。
そっちが頼んだら来てやってんのに態度でけ~なぁ。
そんな風に思っていた。
また、ここの講頭さんも、父親同士が知り合いで
おなじエリアでおなじ業界で商売してるので
30年ほど前からの顔見知りで
まぁ、縁があるといえば縁がある。
今回は、この講頭さんの紹介で、勧誡を受けた。

思えば昨年秋に創価を「いつの間にか退会」
させられていたことを知った時から
これは大聖人のお計らいであるから、
いつかは勧誡を受け、
大御本尊にお目通りしなければ
と思ってはいたが
グズグズとしていて気が付けば
内得信仰もそろそろ半年になろうとしている。
創価で懲りたんだろうね
なんか組織に属するのが、
イヤというか面倒というか
もちろん創価活動家時代ような
法華講のバリ活になる気も毛頭ないし
こんな気持ちでは法華講さんにも悪いし
そう思うと勧誡を受けるのも・・・って気になるんだよね。
でも、かといって勧誡を受けなければ
大御本尊にお目通りすることはできない。
折角、大聖人が俺を創価から離れさせてくれたのは
「創価を離れてお山に会いに来なさい」といことだろうから
いつまでもグズグズとしてるのも
大聖人のお心を踏みにじることになる。
何よりも大御本尊にお目通りしなければ
創価を離れた意味がない。
そこで先月ついに決心して勧誡を受けたというわけだ。
まぁ、バリカツ講員にはなれないが
たまにはお寺に参詣したり
お盆やお彼岸には塔婆をお願いしたり
目立たないように地味~な信徒さんでいようと思っている。
そんなわけで、正式に日蓮正宗信徒として復活。
まぁ、それでも今までとそんなに変わらないと思う。
ここで書くことも多分変わらない。
今まで違うとしたら周囲の反応くらいかなと思っている。
創価活動家からは「日顕宗」と呼ばれ
法華講員さんからは「法華講として恥ずかしくないようにお願いします」と言われるかも?
だから言われる前にこれだけは言っておくよ。
このブログに今後書くことは
「日蓮正宗・法華講員の公式見解ではありません」
あくまでも俺の私的な話なのでご了承くださいな。

というわけで事後報告でした。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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