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いつも何かと戦っている人達。

世界青年部総会が昨日あったんだぁ。時節柄オンラインでの開催だったそうで。ちらっと「特設サイト」を見てみましたが広告代理店に金を払って作ってもらったかのような当たり障りのないキレイなサイトでした。オレのイメージだと青年部総会ってもっとこう「手作り感」があって稚拙だけどどこか微笑ましいと言ったイメージなんだけど、「手作り感」も「草の根感」も全く感じないサイトだね。動画も少し見たが信濃企画あたりのプロがキッチリ仕上げた感がありサイト全体は良くできているけど「ありがち」なサイトっていう感想だね。で、オレが見た動画の中でこの青年部総会を「未曽有の戦い!」って言っている場面があって思わず笑った。いや確かに「オンライン総会」は前例がないから未曽有っていえばそうなんだけど、「未曽有の戦い」って大袈裟な話じゃないだろうに(笑)しかし青年部に限らず創価民っていっつも何かと戦っているよね。オレも創価活動家時代はそうだったなぁ。「選挙の戦い」「新聞啓蒙の戦い」から始まって挙句の果てには「題目の戦い」活動家時代に女子部の部長が「朝勝ちの戦い」をしてる言うんだよ。それって何?って聞いたら朝30分早く起きて唱題を30分増やす「戦い」だって言うんだけど、早起きするにも戦わないといけないなんて大変だよね。「休むもの戦い」なんて言ってた男子部幹部もいたなぁ。こっちが夜中まで学会活動しているのにそいつは「休む戦い」してたっけなぁ。とにかく四六時中、何かと戦っているのが創価民だよな。「広宣流布」ならぬ「交戦流布」だよ。まぁオレもそうだけど結局「何」と戦っているのか「どうして」戦っているのかイマイチ分からないのが「好戦流布」の学会活動だよな。法華講になって思うのは法華講には「なんちゃらの戦い」ってないんだよ。「戦う」とか言わない。「折伏行」「唱題行」という感じで、あくまでも「行」つまり「修行」なんだよね。オレは戦うより修行の方がいいな。折伏も唱題も「戦い」ではなく「修行」だからね。「唱題の戦い」って御本尊と戦うのか?って思っちゃう(笑)参詣も登山も戦いじゃないし。こうかくと創価民は全部自分との戦いなんだっていうだろうけど、自分との戦いに勝たないと勤行・唱題すらできないなんて信仰者として情けないと思うんだけどね。こんな風に戦いばかりしてたら、そりゃ疲れるし精神的に病んでしまう会員さんがいても全然おかしくないよね。オレが男子部時代は常に「睡魔との戦い」だったなぁ。なにせ学会活動で毎晩寝るのは2時3時だったから。辛うじて睡魔との戦いに勝利しても翌朝の「朝の勤行との戦い」には負けたりしてたなぁ(笑)懐かしい思い出だけどね。まぁ現役の学会員さんもそんなに何かと戦っていなくてもいんじゃないですか?学会活動なんて別にやらなきゃいけない事じゃないんだし。いやむしろ謗法活動なので「やらない方がいい」活動だからね。どうせ戦うなら「学会活動をしない戦い」「創価を退会する戦い」を開始した方がいいですよ。やめた後は信仰から離れるのも良し。唱題行や折伏行を続けるのも良し。とにかく無駄な戦に身を置いておくのは疲れるし無意味だし後悔しますよ。後悔してから「創価に騙された~。詐欺だ~」って騒ぐのも大人げなくてみっともないでしょ?「いい思い出」かせめて「黒歴史」と笑って言えるうちに「創価退会の戦い」を始めてくださいね。信心は何かと戦わなくてもできますよ。もちろん自分自身と戦う必要もありません。


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創価には絶対に広宣流布はできない。

創価民は「広宣流布」を口にするが、創価に限らず異流義には絶対に広宣流布はできない。絶対にできないと断言できる。「広宣流布」を口にしている創価民に聞きたいが「広宣流布」の達成の時の現証をキミ達は知っているか?それを知っていれば創価に「広宣流布」ができないことは明白だ。
◆王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ(三大秘法禀承事)
この御文こそが大聖人の言われる「広宣流布」達成の時の現証なのである。「事相の戒壇」が建立された時が広宣流布達成の時であり広宣流布の現証なのである。そしてその「事相の戒壇建立」を日興上人ただお一人に託したのは、
◆日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。(身延相承書)
この身延相承書に明らかだ。いくら創価が信濃町の大誓堂を荘厳しても、信濃町は富士山ではもなく大誓堂は「本門寺」でもない。つまり大聖人が示された「事相の戒壇」にはならない。だったら富士山に創価の会館を建設して「本門寺」とネーミングすればいいではないか?と思う創価民がいるかもしれないがそうは問屋が卸さない。なぜなら創価には本門寺にご安置する御本尊がないからだ。
◆日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を 相傳す。本門寺に懸け奉るべし。(日興跡條條事 )
との日興上人のご指南にある通り「弘安二年の大御本尊」こそ広宣流布達成時に事相の戒壇にご安置されるべき御本尊なのだ。「戒壇大御本尊」というネーミングは、広宣流布に達成の暁に本門寺の戒壇にご安置されるべき大御本尊という意味である。逆に言えば「広宣流布」とは「富士山に本門寺の本堂を建立しそこに弘安二年の大御本尊をご安置する」ことを最終形態とし、「本門寺の戒壇建立」の許可・権限は血脈相承の法主ただ一人にご遺命され、その他大聖人門下の僧俗はその達成の為に弘教していくことが「広宣流布」なのである。だから唯受一人血脈を否定する顕正や創価が作った建物は大聖人がいわれる「本門寺」にはならないし、剰え「戒壇大御本尊」を捨てた創価が逆立ちしても「広宣流布」なんてできないのである。創価などの異流義では広宣流布の現証を示すことができないのだから、いくら言葉で「広宣流布」と言ってみても永遠に「絵に描いた餅」であり妄言にしか過ぎないわけだ。こんなことは分かり切ったことなのだが創価民は創価本部のいう「広宣流布」という言葉に騙されて、自分の時間や金を創価に差し出している。財務の時期になると「広宣流布のためのお金」などと言って集金するがいくら財務したところで「広宣流布」はできない。学会活動も然りだ。絶対に現証として顕れない「広宣流布」を目的にしている学会活動では、絶対に幸福の現証なんて顕れる道理がない。それなのに「絶対にできない」「絶対に手に入らない」モノの為に自分の人生を賭けているのだから哀れという以外に言葉が見つからない。また「絶対にできない」ことを分かりながら会員に財務を含めた学会活動をやらせる創価学会は「宗教詐欺」「大聖人詐欺」と呼ぶのに相応しいだろう。(顕正会も同じだが)「日蓮大聖人」の名を騙り「広宣流布」などという言葉を使い会員や世間を騙すのを即刻辞めよと求める。また「戒壇大御本尊」を捨てた創価を広めることは「戒壇大御本尊を捨てる人」を拡大することであり「広宣流布」を阻む行為である。こうした学会活動は謗法であり、そのような学会員は仏敵であることも付言しておく。そんな創価の活動をしていても当然功徳など出るわけもない。日蓮大聖人の仏法で幸福になりたい。日蓮大聖人の仏法を広めたい。と本当に思っているのであれば今すぐ創価や顕正会の活動を止めて戒壇大御本尊の元に戻るべきである。戒壇大御本尊を離れた広宣流布など1000%あり得ないのだから。


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離脱僧達の未来。

先日からコメントをいただいているサカイさん。学会員なのにお寺で唱題をしているとの話。東京・立川市の大宝寺。まさか日蓮正宗の寺院なわけないし不思議に思って調べてみたら、昔の長栄寺だったので納得した。長栄寺は創価破門後に住職である工藤玄英氏が日蓮正宗から離脱し創価系単独寺院となったお寺で、それがいつの間にか大宝寺へと名称変更していたわけだね。長栄寺ならかれこれ20年以上前、まだ男子部バリ活だった時代に訪ねてその時に工藤氏と少し話をさせてもらった記憶がある。長栄寺だけでなく当時は広宣部の研修と広宣仲間と勝手に銘打って、青年僧侶改革同盟(正宗側からなら離脱僧)のお寺を数件訪ねて歩いた。その中のひとつが長栄寺でそれがサカイさんの言う大宝寺ということだ。確か創価から追放された宮川雄法氏は当時工藤住職の元で執事として長栄寺に在勤したいた記憶がある。離脱僧だと松岡幹夫氏や宮川雄法氏が学会員には有名だが、工藤氏は宗門離脱の初期メンバーの中心的人物である。俺はこの離脱僧達については松岡氏のように僧侶の肩書をある意味捨てて仏教思想家的な立場になるのが本来の離脱僧達のとるべき態度だと思っている。彼らは何故「僧侶」と呼ばれるようになったのか?それは日蓮正宗で修業をしたから「僧侶」になったのだろう。つまり彼らは日蓮正宗に在籍している限りにおいては「僧侶」であるが、そこから離脱したら「僧侶」ではないはず。そう考えるのが一般的な考えだと思う。例えば真言宗の僧侶が真言宗をやめて日蓮正宗に移籍しても即そのまま日蓮正宗の僧侶にはならないだろう。真言宗で僧侶の資格をとっても日蓮正宗の修行をしていないものが日蓮正宗の僧侶になれるはずはないだろう。離脱僧達も同じだと思う。彼らは日蓮正宗の教義を否定し日蓮正宗を離脱した時点で「僧侶」でもなんでもないはずだ。正宗を離脱して創価で修行をして創価から「僧侶」だと認定されれば「創価の僧侶」という解釈でいいとは思うが、そもそも創価は「僧侶不要」が教義だし、創価に僧侶としての修行を行うようなカリキュラムなんて存在しない。にも拘わらず、離脱僧達は自分達を「僧侶」だと思い、創価は彼らを「僧侶」だという。サカイさんが「袈裟衣を着てれば僧侶だというのはおかしい」といっていたが、彼らが「僧侶」を名乗り創価が僧侶だと認定しているのは「袈裟衣を着ている」以外の理由がない。離脱僧は何故創価の僧侶なのか?いつどこで創価の修行を積んで、誰から「僧侶」であると認定されたのか?このような疑問もなく離脱僧達を僧侶だと思っている学会員がいるなら、「袈裟衣に騙されている」のはキミ達の方ではないかと思う。さて、話は戻るが工藤氏などの改革同盟(離脱僧)の人と数人と話した共通点は、一つは日顕上人への血脈否定で、もうひとつは戒壇大御本尊が信仰の根本ということだ。(松岡は狂ったが)つまり彼ら離脱僧は、俺が話した時点では血脈相承(しかも日顕上人から)は否定しているが戒壇大御本尊を否定はしていなかった。ということである。それは当然で大聖人仏法の法門法義を学び修行して「僧侶」となった者が戒壇大御本尊を否定するなら袈裟衣を脱げよという話である。その点、松岡氏は一応そこだけは筋が通っている(言ってることは全然メチャクチャだが)工藤氏も以前創価が改革同盟の名前を使って作った創価本尊に関するパンフレットについては明らかに嫌悪感を示したようだが、その後の大御本尊を捨てた創価の教義変更を離脱僧達はどう思っているのだろうか?といっても彼らは創価なしでは生きられないだろうから是非もないのかも知れない。だた離脱僧達の未来はそんなに明るくはない気がする。もともと「僧侶不要」の創価に「僧侶」として在籍してること自体がナンセンスだが、池田センセが元気だった頃は彼ら創価僧も大切にされてきたようだったが、原田会長になってからは創価僧の扱いは小さくなったというか雑になったような気がする。元々の身内ですらカットする原田創価である。池田センセを慕っている離脱僧達をこのまま創価に置いておくはずはない。現に宮川雄法氏も追放されたし。創価に逆らわなければ「生かして」もらえるだろうが、そうでなければ創価にカットされてオシマイなんだろうなって思う。もっとも今後創価僧は増えることはないから今いる離脱僧達がいなくなれば創価から「僧侶」は消え去る。改革同盟は大聖人の仏法を仏法を守り弘めるために正宗から離脱したはずではなかったのか?本当にそれでいいのか?って思う。俺は正宗に懺悔して大聖人の仏法の元に戻った方がいいと思うのだが。


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聖教配達外部委託で無冠の友システム崩壊へ。

来る5月1日から茨城県で聖教新聞の配達が外部委託になるそうだ。茨城県内の創価民宅には【いつも本誌をご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。5月1日(金)付より聖教新聞等(聖教新聞・大白蓮華・創価新報・未来ジャーナル・きぼう新聞・公明新聞・公明グラフ)の配達は読売新聞の配達員が行います】とのチラシが配布されていてネットではそのチラシの画像が公開されいる。オレは以前から聖教配達は外部委託すべしと言っていたのでとてもよかっかと思っている。

過去記事はこちら⇒ http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-entry-658.html

とりあえず茨城で試験的に行い、やがて全国で聖教配達は外部委託という流れになっていくのだろう。これで「無冠の友」の消滅も時間の問題になった。創価民にとっては非常に喜ばしいことで祝意を述べたいと思う。創価執行部にとってはほぼタダ働きをさせることのできる無冠の友システムを放棄するのは「もったいない」という思いもあるだろうが外部委託によるメリットもある。まず天下の読売に委託することによって創価批判記事を押さえ込むことができる。現在聖教新聞の印刷を請け負っている毎日新聞が創価に好意的な記事を書いたりして創価に忖度しているが読売を抱え込むことができれば毎日よりも遥かに効果はある。創価も公明もきな臭い団体であるから大新聞と組めたのは大きいだろう。また「池田センセが最も信頼をしている無冠の友」の撲滅は現執行部の「池田有名無実化路線」の戦略にも合致している。多少のコストはかかるだろうがメリットもそれなりあると思われる。ただ現実は「無冠の友システム」の崩壊で仕方なく外部委託に切り替えたということだろうと思う。聖教配達員さんの中には使命感に燃え(使命があるように騙され)て配達している人もいるだろうが、現実はどの組織でも聖教配達員を確保するのに苦労している。オレの嫁が聖教配達をしていた四半世紀前から正配はもとより代配(週に1度正配の代わりに配達する人)ですらやりたいという希望者はいなかった。だから一度、配達員を引き受けてしまうと脱会したり引越ししたりしない限りはずっとやり続けることになる。配達員さんが10年20年と変わらないのは決して本人が辞めないのではなく誰も引き受けてくれないというのが実情である。高齢者の配達員が多いのはそれが理由である。その配達員さんは40代・50代の頃からやっていてその後引き継ぐ人がいないまま60代・70代になってしまったわけである。そうでなければ後期高齢者の会員に聖教新聞の配達なんて依頼するわけがない。そんな年配の会員に新たに聖教配達を依頼してるとしたら非常識も甚だしい。そんなわけで全国的に聖教新聞の配達員は枯渇してて今後も十分な人数の配達員を確保できる見通しもないだろう。そうなると金は出したくなくが外部委託するしかないのである。もっとも新聞なんていう「紙媒体」は遅かれ早かれ消滅する媒体だろうからあまりにも金がかかるようなら「聖教新聞」そのもをヤメるということになると思う。ネット配信だけで十分だしそれなら金もかからない上に原価もバカ安で紙媒体を発行するよりも利益率は莫大に大きい。ただ一家で複数部を購読というようなことはできないのがイタイところか。それはさて置き、「無冠の友は功徳が大きい」などというのが大嘘だったということはコレでハッキリした。本当に「大きな功徳」が出るのなら非会員の読売新聞の配達員さんにやらせるのは会員から功徳を奪うことになる。会員さんに聖教配達の功徳を受けさせる方法はある。創価学会と配達員さんがちゃんとした雇用契約を結び世間の一般的な報酬や休日を与えれば創価民のなかでも定職をもたない会員がゴマンといるから配達員として雇用して欲しいという会員も多いと思う。そうやってあげればいいだけの話だが、金銭的なことや事件事故の責任、また解雇のトラブルなどを考えるとそれなら外部委託の方が安上がりだしメリットがるということなんだろうと思う。つまり会員に功徳を受けさせるよりも安上がりでメリットのある外部委託にしたということだ。また「本当に配達に功徳があるのなら」今回の執行部の外部委託に関して「俺たちの功徳を奪うのか」という声があって然りだと思うがソレもない。つまり聖教配達には「功徳なんてない」ということを創価執行部も地元の幹部連中も認めたということになる。可哀想なのは「功徳がある」と騙され続け「福運が積める」と思い込まされて毎日大変な新聞配達をしていた「無冠の友」の会員さんだ。オレの嫁も「無冠の友」だったからそのご苦労はよくわかる。本人だけなく家族も巻き込まないとやれないのが「無冠の友」だから。願わくば全国の「無冠の友」の会員さんはとっとと創価に搾取されているだけの新聞配達を止め、創価から離れ自由な生活を送ってもらいたいと思っている。もう早朝に起きて危険やクレームにさらされながら「功徳」も「福運」もなにもない無駄な事はする必要はない。


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学会本部に対策本部(失笑)

昨日の聖教新聞に新型コロナの緊急事態宣言発令に伴い創価の本部に「対策本部」を設置したとの発表があり思わず失笑してしまった。創価が新型コロナに対し一体何を対策するのか意味がわからない。会員に対して徹底した外出禁止を命令するわけでもないだろう(現に選挙中の組織は普通に活動させてるし)会館を開放するわけでもない。一応ダーハラ開帳はいうには「感染拡大の防止を一層強く呼びかける」そうだがそれだけのことで「対策本部」とは笑ってしまう。まぁ世間向けのパフォーマンスなんだろうが、感染拡大防止を呼び掛ける一方で、聖教新聞を会員に配達させることは止めないらしい。ネット情報によると早速、緊急事態宣言発令エリアの配達員さんに、【配達は制限されていませんので、通常通りお願いいたします。 極力マスクを着用し読者との接触を避けてください。】【訪問集金は制限されていませんが、緊急事態宣言期間中は、訪問集金を中止してください。】などの指示が下されたようだ。これが「対策本部」の設置の効果なのかしらないが、創価本部がいかに自分本位で世間のことも会員のことも考えていないかがよくわかる。【配達は制限されていない】から通常通りお願いしてたらもう【自粛】でも何でもないだろ。【自粛】とは制限されなくても自ら進んで取り組むから【自粛】というんだろうよ。しかも【極力マスク着用】っていうけど創価本部は配達員さんに十分な量のマスクを配布しているのか?極力マスクを着用したいけどそのマスクが入手できないからみんな難儀してるのにバカなのか?そもそも、聖教新聞の配達なんて仕事でもなんでもないわけよ。また聖教新聞そのものが単なる創価の機関誌でなくてはならないような必需品ではなく不要不急の代物なわけで今の時期に聖教新聞なんて日刊で配達するようなモノじゃないだろ。感染拡大の防止を一層強く呼びかけるのであれば少なくてもコロナが終息するまで聖教新聞なんて休刊すればいいんだよ。何のための聖教オンラインなんだよ。無料で聖教オンラインを開放すれば新聞なんて配らなくて済むだろう。こんな時まで聖教新聞なんていう機関紙を日刊でしかも会員に配達されるなんて配らせる本部もそうだがそれに疑問を呈しない会員達も人としてオカシイだろ。そんなことしてないで生活に困窮している会員さんも出てくるだろうから会員の全世帯に10万円くらい給付でもしたらどうだ。800万世帯だから10万ずつ給付したって1兆円にもならんだろ。それくらいの金を会員に還元したって創価の財産からすれば屁でもないだろう。それが嫌ならせめて昨年財務した会員に全額返金したらどうだ。創価の財務なんて「供養」じゃなく会費なのだから返金したって問題なかろう。もともと功徳がない財務を功徳があるといって半ば詐欺で得た金銭だ。財務した会員も功徳がないのだから返してもらっても罰は当たらないから安心て返してもらえばいい。まぁとはいえは聖教の件も財務の件も当事者の会員が納得してれば部外者がどうこういう問題でないが、これを機に創価活動家に理解しておいてもらいたいのは創価学会の存在や活動なんて社会や世間の一般人にとって「何の価値もない存在・活動である」ということだ。創価活動家は自分達の活動や創価の存在が世のため人のためとか勘違いしてるが、正直言って多くの一般人にとっては創価の活動や存在など「何の価値」もない。むしろこんな時期に聖教新聞の配達だけだなく聖教新聞の拡販までやっている創価民は「迷惑」であり「社会悪」でしかないのである。配達員や内部の創価民はこの際どうでもいい。コロナに感染しようとどうなろうと「センセのお手紙を配達する」「センセのお手紙を読む」という使命感だろうから。ただね、一般市民にコロナをうつしたらどうすんだって話だよ。今の時期は「自分が感染している」前提で行動すべきなんだよ。そうしたことに考えが及ばず自分達の使命感で行動されたらそんなもん「迷惑」「社会悪」以外の何物でもない。せめて外部の人のところだけでも聖教新聞の配達はやめなさいよ。そもそもが創価の機関誌を外部の人間が読んだって意味ないんだから。いいかい?キミ達の「世界平和」や「一切衆生の幸福」のための活動なんてはたはた迷惑なのである。キミ達は自分達の学会活動が「他人のため」だと勘違いしてるようだが、ほとんどの庶民は「創価」にも「池田大作」にも「学会員」にも何の期待も希望も持っていないしましてや迷惑だと感じてても感謝なんてしてないのだよ。キミ達の師匠大作は一部有識者から称賛されているらしいが、多くの庶民からは何とも思われていないと言うことを自覚して欲しい。「他人の為に尽くす」なんていう創価民達の集団オナニーを見せられても気持ち悪いだけだと気づいてくれないか?オナニーに見せっこはキミ達の仲間内だけでとどめてもらいたい。何が「対策本部」だ。自分達の会員の対策もできない連中が何をいわんやである。ともかく創価民さん達が聖教新聞を平気で同じ会員である配達員さんに毎日配達させて何も感じないのも、緊急事態宣言の中で選挙や聖教拡販の活動をするのもそれは自由だが「他人のため」とか思うのは止めて欲しいのである。それと出来ればキミタチの自宅に飾っているカラコピ本尊風掛け軸に題目を上げるも遠慮してくれ。「祈る」こと自体は悪い事ではないが大聖人仏法ではキミタチ創価民の祈りは逆効果になるのでそれも遠慮してくれるとありがたい。


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ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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