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俺の11・18は1周年。

今日は創価学会創立記念の11・18ですなぁ~。
数名の現役学会員さんの話では、今年の11・18には
創価の各会館で「本尊風カラコピ掛け軸」の即売会があったとか。
まぁまた聖教になんか書くだろうから詳細はそのうち漏れ伝わってくるだろう。
創価から離れてから長い間「11・18」は俺にとって
創価を嗤う日ではあったけど別に特別な日じゃなかったけど
昨年の11月18日に我が家に正宗の御本尊をご安置したので今日はそのご安置記念。
俺にとっては大御本尊の元に戻った記念日となった。まだ1周年だけどね。

2017年11月18日 仏滅

1年経過してお寺にもだいぶ慣れた。
最初の頃はお寺に行くのはドキドキした。
なにせ広宣部時代には散々攻撃してきたお寺だからね~。
でもちょいちょい参詣しているちに動悸も治まり(笑)
いまでは自然にお詣りできるようになった。
ご住職様や執事様も気楽に声をかけてくれるし、
他の講員さんとも話すようになった(名前とか知らない人が多いけど)
創価時代は創価新報あたりが書く「衰退する日顕宗」みたいな記事を鵜呑みにしていたけど
1年間お寺に通って分かったのは、正宗の寺院ってお寺らしいお寺だなってこと。
幼稚園や月極駐車場などというサイドビジネスをするお寺も多い昨今、
正宗寺院はほぼご供養だけで食べていってるのは凄いことだと思う。
しかも謗法からの供養は受けないので信徒からの供養だけだもんな。これって結構凄いよな。
俺の知人に某お寺の住職さんがいるんだけど、その人なんて平日はバイトしているからね。
1年365日、朝6時から夜まで俺たちの為にお寺を空けてくれているんだから
ご供養くらい出せてもらわないとと思うよ。
創価の本部職員の飲食代や遊興費に使われるなんて真っ平だよね。

それともう一つ感じるのは、いつでも本堂に信徒がいるってこと。
普通お寺の本堂なんて、檀徒でも法事の時くらいしか入らないし
勝手に本堂に入れるお寺も少ないでしょ。
でも正宗寺院ってあるいみ勝手に入れるし、いつでも誰かしら信徒がいるんだよね。
これも客観的にみると凄いことだと思う。
信徒のご供養だけで運営し、その信徒がいつでも好きな時にお寺に集まっている。
大聖人がご在世の頃の身延ってこんな感じだったのかなぁって思わない?
この姿が本来の「寺院」のあるべき姿だと思う。
信徒が誰に言われるまでもなく普通に集まり
お寺はいつでもそういう人たちを受け入れる。
創価の会館なんて会員の金で建てたくせに自由に出入りもできない。
信心の拠点と言うより、公明党議員や候補者の拠点だろう。

信心と関係ない事で金儲けして、信心と関係ない政治活動して
そのうえで信心を利用して集金する。
それで「我こそが宗教界の王者だ」なんてほざいている創価とは全く違う。
創価が罵詈雑言している「日顕宗」とかいう宗派は衰退してるらしいが
日蓮正宗は、衰退どころかお寺としてはむしろ他宗よりは賑やかだと思う。
急激に信徒を増やそうとすれば、今の創価のような詐欺まがいのことをやるか
顕正会みたいに脅迫まがいの勧誘をするしかないが
正宗はいまのまま大聖人仏法の正法・正義を語っていけば
急成長はないかもしれないがやがて発展していくだろうなって思う。
そこが創価や顕正のような「ニセモノ」を取り扱っている、「法華経の業者」と違う所だ。
こちらとら「法華経の行者」だからな。

まぁ学会さんも一度近くの正宗寺院を訪ねてみたらどうだろうか?
入場料も取られないし、入口での荷物チェックもない。周りを取り囲まれることもない。
その目で創価の言っている「衰退の一途をたどる日顕宗」とやらが
実存しているか確かめてみたらどうか。
俺が知る限りでは見当たらないのだが。


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旧知の元創価婦人部Mさんが勧戒を受ける。

先々週友人たちと地元の居酒屋で飲んでいたら旧知の元創価婦人部のMさんと会った。
こちらの友人もあちらの友人も皆知った顔だったので同席して飲むことなった。
このMさんは3年ほど前まだ俺が創価だった頃に、創価を退会してるのだが
その時に彼女の退会届を預かり本部に発送したのが俺である。
このブログにその時のことも書いてある。2015年の4月だったようだ。

退会届
退会届を発送。

それからずっと疎遠だったのだけど本当に偶然の再開である。
飲みながらその後のことを聞くと、カラコピ本尊は自分で創価本部に送り返して
仏壇も処分しいまは亡き祖母と父の位牌に毎日お水を上げている状態で当然勤行もしていないとのこと。
逆に、俺はどうしているのか?と聞かれたので昨年正宗に戻ったと答えた。
一緒に飲んでいた、S君・U君も正宗に戻ったことも伝え、
ついでにMさんも勧戒を受ければ?と勧めた。
Mさんのおばあ様もお父様も活動家時代から知っているので
Mさんが勧戒を受け来年には塔婆供養をしてあげて欲しいと。
そのあとしばらく信心の話をした結果Mさんが勧戒を受けるということになり
先週お寺で無事に勧戒を受けることができた。
ご本尊のご安置についてはもう少し時間が欲しいということだが
もともと真面目に信心していた人なので近いうちには御本尊をご安置することになると思っている。
彼女のおばあ様とお父様には男子部時代に随分良くしてもらったので
今回のMさんの勧戒は本当に嬉しかったね。
居酒屋で彼女に再会させてくれたご本尊様に感謝ですね。

Mさんは、無冠の友の正配でラインの役職は確か昔で言うB担さん。他に少年部もやっていた。
俺と同じ支部だったので話はよくしてたが、俺が少年部の本責時代には支部の少年部の連れ出しとかで非常に協力してもらった。
また俺と同世代だったということもあり支部の婦人部の中でも比較的仲良くさせてもらっていた。
もちろん、適切な関係である(笑)
今回、Mさんが創価を退会を決意した経緯とか色々と聞いた。
Mさんは学会3世だったが全く信心はしてなかったのだが
ご主人の会社が倒産して非常な経済苦で信心を始めたらしい。
自身の宿命転換をしたくて真剣にご本尊様と向き合うよになったそうだ。
家計が苦しく働きに出ようと思ったが婦人部幹部に信心で乗り越えなさい。と言われ
功徳が大きからと言われ聖教の配達員になった。
そして財務に大きな功徳があると言われ、配達員の微々たる報酬に1円も手をつけず
経済苦の中毎年10万円以上の財務もしたそうだが3年経っても生活が好転せず
はやり働きに出たいと婦人部幹部に指導を受けると
「8時間働きにでるならばその分8時間題目をあげなさい」と言われたらしい。
その指導から1週間後に少し離れたスーパーに買い物に行ったら
「働くなら題目」と指導していた婦人部の幹部がそのスーパーで働いていたのを目撃。
一気に不信感を覚えたらしい。
そのごパートの仕事についたのを理由に配達員を辞め会合にもあまり出られなくなると
支部内の婦人部活動家に陰口をいわれるようになりついに堪忍袋の緒が切れたとのこと。
実は、俺もその当時父親の会社が倒産して多額の借金を肩代わりして貧乏のどん底だった。
まさかMさんも同じような境遇だったと聞かされて涙が出そうになった。
そしてそんなMさんに無責任なことをいう創価幹部やご主人のことまで誹謗中傷する活動家たちに怒りも覚える。
結局、創価とはそのような場所なんだなぁと納得。
因みに俺達が組織から追放された時には支部内のほとんど全員が俺の悪口を言ってこともMさんが教えてくれた(笑)
本当にグズの集まり。なのに組織を離れると「何があったも離れたほうが負け」みたいなことを言う。
いやいや、離れたもの勝ちでしょ?
Mさんと、SやU皆で「創価から出て行って本当によかったね~」と乾杯したよ(笑)
何はともあれ、Mさんも勧戒を受けたことだしこれから御本尊をご安置しいつか皆で大御本尊にお目通りできたらね。
何よりも創価で嫌な思いをしたMさんには今以上に幸せになってほしいね。



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2017年11月18日 仏滅

今日は創価の設立記念日だね。
創価活動家諸氏は各地で、「おめでとー」とか言いあってるんだろうね~。
「創価の日。無間の旅の一里塚。めだくもありめだくもなし。」って感じだよね(笑)
そんな創価の設立記念日である本日。
俺と先日勧誡を受けたU君と
二人でご本尊下付をいただき
それこそ「めだたく」本日我が家にご本尊様をお迎えすることができた。
1月18日に創価本尊を巻いて丁度10カ月間内得信仰を続けていたが
今夜からは我が家でご本尊に向かい勤行・唱題をすることができる。
思い起こせば27年前。同じお寺で創価学会として御受戒を受け
前法主の日顕師書写の御本尊をいただいた。
その後平成5年に創価本尊と取り換えて
学会で活動し、追放され、勝手に退会届を出され・・・
そして再び同じK寺で、日顕師書写のご本尊を下付していただいた。
そういえば27年前の入信(入会)も11月だった。
大聖人様は「余は27年」と言われているが
俺は27年経ってようやく振り出しに戻った。って所だな。
ここまで随分と遠回りしたような気がするが、
創価には感謝している部分も多い。
創価があったから、日蓮仏法に出会えたのは事実だし
創価が狂ったから、正しい日蓮仏法を学べたことも事実だ。
もしも創価がなければ、おそらく信心などしていないし
もしも創価が狂わなければ、ここまで大御本尊に
恋慕の気持ちをもてなかったかもしれない。
まぁそういう意味では「遠回り」はしたけど
無駄にはなっていなかったと思っている。

◆只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、法華第三に云く「魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る」(妙密上人御消息)

大御本尊を信じていれば創価のような「魔民」でも、役に立つってことだ。
まぁ、だからといって謗法創価は責めないといけないけどね。

入仏にはご住職が来てくれ、読経・ご祈念をしてくださり
御書の一節を読んでくれ、信心を励ましてくれました。
本当は先週の土曜日を予定していたのだけど
紹介者の講頭さんの都合がつかず
今日のご本尊下付になった。
「よりによって11月18日かぁ」と一度は少しガッカリしたものの
創価の創立記念日に、
創価の大嫌いな顕師書写の御本尊をいただくってことは
これからも創価を破折しなさい。との
ご本仏からのメッセージなんだと受け止めた。
「仏滅」ってのも、なんだか俺っぽくていいかな(笑)
どっちにしても、11月18日は俺にとっての記念日になったよ。
さぁ、これで内得信仰もおしまし。
今夜からはご本尊の前で勤行・唱題だな。

IMG_3110.jpg
(ご住職・講頭さんありがとうございました。)


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2年前の体験談

2年前の5月。正確には2015年5月8日に
このブログで「大悪起これば」という記事を書いた。
記事の内容は、俺の身の上に
良くない出来事が起きた。という事を書いた。
当時はそれが何かを具体的に書かず
そしていままでその件について記事を書かなかったが
今回ちょっとした事情があり、唐突ではあるが
2年前の体験談を書かせてもらうことにした。

2年前の3月。俺は癌の告知を受けた。
胃癌と大腸癌のダブル宣告である。
その記事を書いた5月8日は、
胃がんの手術を4月の初めに終え
大腸がんの手術を1週間後に控えていた時である。
2015年5月のこのブログ記事の更新日を見てもらうと分かるが
途中2週間程度ブログ更新がない日がるのだが
そこが手術・入院していた期間だ。

子供のころから病気らしい病気は、
おたふくかぜに水疱瘡・風疹それとインフルエンザくらいの俺にとって
癌の告知。しかも胃も大腸もという
ダブル告知をされても最初は全然ピンとこなかった。
ドラマとかではガン告知されて、ガ~ン・・みたいなシーンを見るが
いざ自分がその場になると、至って冷静というかまるで他人事みたいだった。
ところが日が経つにつれどんどん不安になってくる。
「もう長く生きられないのか?」
「家族や会社はどうなってしまうのか?」
「今度の手術は成功するのか?」
「全麻なので目が覚めなかったらどうしよう」
などなど色々なことが頭に浮かぶわけだ。
嫁の顔を見れば悲しくなり
母の顔見れば悲しくなり
息子の顔を見れば悲しくなり
もう泣き叫びたい毎日。
生まれて初めて「死」というモノをリアルに身近に感じた。
その時の恐怖というか不安というかは言葉では表現できない。
何事もない時は、「生命は永遠」とか
「生と死は一体不二」なんて言ったり学んだりしているものの
いざ自分がそうした場面に出くわすと、
情けない話だかそんなものぶっ飛んでしまう。
まだ死にたくない。まだ死ねない。と。

毎日、御本尊に色々と想いをぶちまけながらの唱題。
「何でこんな目に合わないきゃいけないのですか?」と文句言ったり
「まだ死にたくありません。どうか助けてください」と懇願したり
他人の幸福を祈る。なんてのは平常時の話で
こんな時に世界平和もへったくれもない。
とにかく御本尊にすがる思いで唱題した。
この当時、どこから俺の病気の件を嗅ぎつけたのか
俺を敵視する創価活動家は口々に
「学会に敵対したから罰が出た。ざまぁみろ」と言いあっていたそうだ。
(のちには「俺死亡説」も流布された)
俺もどうして病気になってしまったのか御本尊に聞いてみた。
いろいろ考えたが、「創価を批判したから罰が出た」
これだけは「ない」と確信していた。
大御本尊を捨てた創価を批判して罰がでるなら
大御本尊を捨てた方が功徳がでる。ことになってしまう。
もしそうならば大聖人様は本仏どころか大魔王になる。
それだけはどう考えても「ありえない」のである。
だとすると、この病気はむしろ創価(悪)を
責めた功徳でなんだと思えてならなかった。
それ以外に今(当時)俺がガンになる理由など考えられなかった。

◆各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる、此の度こそまことの御信用はあらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ(兄弟抄)

悪を責めることによって過去の謗法が顕れたと。
であるならばここで死ぬことはあり得ない。
ここで俺が死んだら、創価の連中の思う壺だ。
それでは大聖人が邪教の者どもに負けることになる。
そう、これこそ転重軽受なのだと。
もし、創価も批判せず大御本尊を受持せずいたら、
未来にこれ以上の苦しみが待っていただろう。
実際に健康診断を受診したのも自主的ではない。
あの時に健康診断をしていなければいまでも受診していないと思う。
そうならばガンであることを知るのは更に進行が進んでからということになる。

そんな思いで日々唱題していると
いままで何十回も読んだ御書の御文の断片が
不思議と次々と頭に浮かんでくる。
浮かんできた御文を唱題後に御書で確認する。

◆病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり(聖人知三世事)
◆病あれば死ぬべしといふ事不定なり(窪尼御前御返事)
◆若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん(太田入道殿御返事)
◆然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか(太田入道殿御返事)
◆しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし(上野殿御返事)

などなど。
「そうか。こういうことなんだ」と思ったら
もうどんな結果でも潔く受け止めようと。
それは「諦めの心」ではなく、「決定の心」と言うべきかな。

◆ただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ(聖人御難事)
◆とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ(上野殿御返事)
◆なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。(兄弟抄)

これらの御文に行き当たり
何があろうとも大御本尊を信じぬく。
決して卑怯で臆病な態度は見せない。
と心を決めることができた。(もちろん時間はかかったが)
最近、教学の事を書いているが
ほんとうに「いざ」という時には
題目と御書の二本立て、で行くべきである。
創価の幹部や大作センセの指導はどんなに素晴らしいもであったとしても
所詮は人師の論から出ないのである。
大御本尊を信じていながら思い寄らぬ病気や不幸に遭遇するのは
それは業病であるのだからご本仏以外に根本的に治せない。
(医療で治らないという意味ではないので誤解しないように)
業病の前で人師の指導はむしろ不要である。
ましてやご本仏を捨てた創価の連中の言葉など百害あって一利なし。だ。

◆譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし(種種御振舞御書)

とにかく、唱題と御書。
俺はそれがこの信心の全てだと思っている。
約2年前。俺はそうして「死」の恐怖と不安を断ち切れた。
2年前に癌を宣告され、

◆病によりて道心はをこり候なり(妙心尼御前御返事)

この御文をようやく身で読むことができたのだ。
(この御文をタイトルにしているブログがあるが完全にタイトル負けしててみっともない)

そしてあれから二年。
お陰様で、まだ生きてそして謗法を責め続けることができている。
いまでも定期的に病院で検査をしているが
今のところ再発・転移は見られない。
まぁまだ最低3年は油断はできないが
前述した通り、どんな結果になってもご本仏に任せると決めているので
不安はない。(とはいえ日々完治をご祈念しているが)
ともかく命ある限り、破邪顕正を叫んでいきたいと思っている。
この時の凄い功徳もあるのだが、それは内緒にしておく。

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事後報告

今日は個人的な話。
実は、前月6月19日に
母の菩提寺であるK寺で、
こっそりと勧誡を受けた。
もう少し早めにブログに書こうと思っていたのだが
先月はコメントをくれた方々への回答記事など書いてて
書きそびれた。
なのでかなりの事後報告になっちゃった。
このK寺は、俺が日蓮正宗に入信・入会したときに
ご受戒を受けた寺院だ。
しぶしぶ入信だったから当時の事はあまり覚えてない。
寺院に行く前に創価の壮年部が
なんだか偉そうに面接したのがちょっと記憶にある。
そっちが頼んだら来てやってんのに態度でけ~なぁ。
そんな風に思っていた。
また、ここの講頭さんも、父親同士が知り合いで
おなじエリアでおなじ業界で商売してるので
30年ほど前からの顔見知りで
まぁ、縁があるといえば縁がある。
今回は、この講頭さんの紹介で、勧誡を受けた。

思えば昨年秋に創価を「いつの間にか退会」
させられていたことを知った時から
これは大聖人のお計らいであるから、
いつかは勧誡を受け、
大御本尊にお目通りしなければ
と思ってはいたが
グズグズとしていて気が付けば
内得信仰もそろそろ半年になろうとしている。
創価で懲りたんだろうね
なんか組織に属するのが、
イヤというか面倒というか
もちろん創価活動家時代ような
法華講のバリ活になる気も毛頭ないし
こんな気持ちでは法華講さんにも悪いし
そう思うと勧誡を受けるのも・・・って気になるんだよね。
でも、かといって勧誡を受けなければ
大御本尊にお目通りすることはできない。
折角、大聖人が俺を創価から離れさせてくれたのは
「創価を離れてお山に会いに来なさい」といことだろうから
いつまでもグズグズとしてるのも
大聖人のお心を踏みにじることになる。
何よりも大御本尊にお目通りしなければ
創価を離れた意味がない。
そこで先月ついに決心して勧誡を受けたというわけだ。
まぁ、バリカツ講員にはなれないが
たまにはお寺に参詣したり
お盆やお彼岸には塔婆をお願いしたり
目立たないように地味~な信徒さんでいようと思っている。
そんなわけで、正式に日蓮正宗信徒として復活。
まぁ、それでも今までとそんなに変わらないと思う。
ここで書くことも多分変わらない。
今まで違うとしたら周囲の反応くらいかなと思っている。
創価活動家からは「日顕宗」と呼ばれ
法華講員さんからは「法華講として恥ずかしくないようにお願いします」と言われるかも?
だから言われる前にこれだけは言っておくよ。
このブログに今後書くことは
「日蓮正宗・法華講員の公式見解ではありません」
あくまでも俺の私的な話なのでご了承くださいな。

というわけで事後報告でした。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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