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創価教学じゃない御書講義(2021年2月座談会御書・乙御前御消息)

いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ、青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり

今月の座談御書は「乙御前御消息」の上記の御文です。全く同じと事を4年位前にやりました。創価の座談会御書は3~4年のローテで同じところばかりやっていてます。これなら「新御書」は50篇くらいで十分足りますね(笑)
▼前回の記事はこちら
創価教学じゃない御書講義(29年度7月座談会御書・乙御前御消息)

今回は前回と同じ「御志」について前回と違う話をします。信仰者にとって「志」というのは非常に大切なことです。
◆ただし仏になり候事は凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり、志ざしと申すはなに事ぞと委細にかんがへて候へば観心の法門なり(白米一俵御書)
との御妙判にあるように、凡夫というのは「志さじを心得て」成仏するのです。この「志さじ」とは「観心の法門」で、「観心の法門」とは何かというと、例えば貴方が友人にお菓子をもらったとします。丁度、自宅の御本尊にお供えがなかったからそのお菓子を仏前に供えました。とこう書くとなんだかちょっと「信心がありそうな」話ですが、これは「教相の法門」です。「教相の法門」とは「上辺だけ」「見た目だけ」で体裁を整えるような信心のことです。「観心の法門」とは自宅の御本尊にお菓子をお供えしたいと思い自分でお店に行き自分のお金で買って供える。というものです。自分で店に行く。自分のお金で買う。その時間や道のりに真心があるんです。そこが重要なんですね。この真心・誠心を「観心の法門」といい「志ざし」といい凡夫が成仏する要です。さて、今回の御書は題号は「乙御前御消息」となっていますが実際にお手紙を頂いたのは乙御前のお母さんで、大聖人から日妙聖人というお名前をいただいた純信の女性信徒です。
◆日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん日妙聖人等云云。(日妙聖人御書)
日妙聖人は寡婦の身でありながら幼い乙御前の手を引いて鎌倉から佐渡にいる大聖人の許へ訪ねていきました。
◆相州鎌倉より北国佐渡の国其の中間一千余里に及べり、山海はるかにへだて山は峨峨海は涛涛風雨時にしたがふ事なし、山賊海賊充満せり、宿宿とまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑいまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子ありあづくべき父もたのもしからず離別すでに久し。 かたがた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ(日妙聖人御書)
今と違い鎌倉から佐渡までの道は長く危険であり命を落としかねない旅です。守ってくれる旦那さんもいない中で幼子を連れて大聖人に会いに行く。その道中や心情を想像しただけで涙が出てきます。大作ファンクラブのご婦人達とは全く違いますね。そうした純真な信心を大聖人が称えられ「日妙聖人」という最高の名前を付けて下さったのです。
◆然るに玄奘は西天に法を求めて十七年十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。此等は男子なり上古なり賢人なり聖人なりいまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を(日妙聖人御書)
ひたすらに大聖人を恋慕して求めていく。これが「御志」であり「観心の法門」であり「凡夫が成仏する」信心なんですね。貰い物を仏前にお供えしようなんてもっての外です。スーパーにお供えを買いに行くのも面倒くさがって貰いもののお菓子で済まそうとしていては成仏なんて遠い未来ですよね。反省します(笑)さて、今月は創価の諸君はこの御書を学ぶようですが貴方たちはこの御書を読んで「恥かしくないですか?」生身の大聖人である戒壇大御本尊にお目通りをしたいとも思わないその心根の貧しさ。しかもその理由が「大石寺は謗法だから」でしょ。創価の諸君に聞きたいが、日妙聖人が大聖人を訪ねていった佐渡の地は当時は【謗法の地】ではなかったんですか?【謗法の地】ですよね?だから百歩譲って「大石寺が謗法」だったとしてもだからと言って戒壇大御本尊を捨てる理由にはならないのですよ。大聖人は【謗法の地である佐渡】に来られた日妙聖人を最大に称賛しているでしょう。それが今回の御文にある【強盛の御志】なのです。「大石寺が謗法の地だから大御本尊を受持しない」というのは、大聖人が佐渡流罪になったら退転した人間たちと全く同じ人種です。創価サイトでは佐渡流罪を機に退転した人々を「多数の門下が臆病と保身から、大聖人の仏法に疑いを起こして退転してしまいました」と説明してますが、まさに今の創価の貴方たちが「臆病と保身で退転した多数の門下の一人」なのです。もちろん退転者に利生(功徳)などありません。「同じ法華経」でもありません。今月、本抄を学ぶ学会員さんの中で日妙聖人の姿を感じて自分自身が恥ずかしいと思ったのであればまずは戒壇大御本尊に対する信心・恋慕の気持ちを持つべきです。そうでなければこの御書を学んでもそれは「教相の法門」にしかなりません。「御志」を持つ学会員さんが一人で多くいることを願っています。


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御講拝読御書研鑽(2021年2月・諌暁八幡抄)

天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり

私の菩提寺は今月の御講はコロナの影響で人数制限があり参詣できませんでしたが今月の御講御書をしっかり研鑽したいと思います。今回の御文は「諌暁八幡抄」の一番最後の御文です。法華経の行者である大聖人を守護しない八万大菩薩を大聖人が叱った御書です。少し長めの御書ですが時間をみつけて一読してみたください。まず今回の御文を日寛上人は「当流行事抄」で、大聖人仏法と釈迦仏法の勝劣を明かしている御文であるとご次のように指南されています。
◇一には国名に寄る、謂わく、月氏は是れ迹門の名なり、故に脱迹の仏応に出現すべきなり、日本は即ち是れ本門の名なり、下種の本仏豈出現せざらんや、国名寧ろ勝劣に非ずや。二には順逆に寄す、謂わく、月は西より東に向かう、是れ左道にして逆なり、日は東より西に入る、是れ右繞にして順なり、順逆豈勝劣に非ずや。三に長短に寄す、月は光明きらかならず在世は但八年なり、日は光明きらかにして末法万年の闇を照らす、長短寧ろ勝劣に非ずや。
詳しくはそのうち六巻抄の学習の時に書きますが、釈迦仏法を「月」に大聖人仏法を「太陽」に例え「月より太陽の方が勝る」ということを述べられ、大聖人仏法が釈迦仏法より勝るとともに大聖人がご本仏であることを示されているのです。その内容とは①釈尊が生まれたのは「月」氏国で大聖人は「日」本国であると誕生した国の名前に寄せています。②釈迦仏法は西から東に広まり大聖人仏法は東から西へ広がる。順とは時計回りで逆とは時計と逆回り。仏法では時計回りが勝ですから大聖人仏法の方が勝るというわけです。③月の光は弱く短く太陽の光は強く長いという光の長短に寄せています。そもそも月は太陽が無ければ光りません。釈迦仏法は大聖人の仏法があって初めて光ることができます。このように釈迦仏法と大聖人仏法を比較してその「勝劣」を述べたのが今回の御文の意になります。さて、この上記の①の日本という国の名前について日寛上人は「依義判文抄」で、
◇本門の広布の根本を表して日本と名づくるなり。謂く、日は即ち文底独一の本門三大秘法なり。本は即ち此の秘法広宣流布の根本なり、故に日本と云うなり。応に知るべし、月は西より東に向かう日は東より西に入る、之を思い合わすべし。然れば則ち日本国は、本因妙の教主日蓮大聖の本国にして、本門三大秘法広宣流布の根本の妙国なり
と言われています(このあたりもいずれ六巻抄の学習で書きます)これは非常に重要なご指南だと思います。現在の創価民は全世界に大聖人仏法を弘めたなどど自賛していますが(実際には謗法者と謗法の国を増やしただけです)その足元の日本の創価を見てみてください。創価学会員は増えるどころか減少の一途を辿って衰退著しいのが現実ではないでしょうか。いくら日本の創価民が虚勢を張っても実際に衰退しているのは明らかなのです。広宣流布の根本の国である日本で衰退しているということは創価には三大秘法を広宣流布する資格はないという現証であり創価が謗法集団であるという証拠なのです。いくら世界に広めようともこの根本の妙国である日本で広宣流布をできなければやがて世界各国においても衰退するのです。なぜなら広宣流布の暁には富士山(日本)に事相の戒壇を建立するのですからまずは妙国・日本の広宣流布なくして世界流布はありえないわけです。世界に広めたと自賛しながら日本国内では選挙ばかりやっている創価に広宣流布などできるはずもないわけです。我々、法華講員は創価の二の舞を踏んではいけない。いま自分が住んでいるこの日本で、いま自分の周りで縁のある方々に地道に大聖人仏法の正法正義を語り一人ずつ地道に大聖人の仏法をジワジワと弘めていくことが大切だと思います。また広宣流布根源の国である日本のなかでも、戒壇大御本尊様がおわします大石寺は根源中の根源の地ですから、その場所に行けるのであれば訪ねることも大切な事だと思います。いずれにせよ日本国の広宣流布なくして世界広布はありません。そして日本国の広宣流布は我々法華講員一人一人の祈りと行動がなくてはできません。大聖人様より末法の弘教を任されたのは我々法華講員以外にいません。こんなに素晴らしく、やり甲斐のあることないなと感じでいます。大聖人様の住むこの妙国・日本に生を受けたことは幸せな事だと思います。


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創価教学じゃない御書講義(2021年2月座談会御書・種種御振舞御書)

仏滅後二千二百二十余年が間迦葉阿難等馬鳴竜樹等南岳天台寺妙楽伝教等だにもいまだひろめ給わぬ法華経の肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉阿難にも勝ぐれ天台伝教にもこへよかし

今月の座談会御書は「種種御振舞御書」です。ちょっと前にも同じようなところをやったばかりなのにね。
創価教学じゃない御書講義(30年度7月座談会御書・種種御振舞御書
創価座談会では、「池田先生の小説人間革命は現代の種種御振舞御書である。しっかり研鑽して師弟不二の戦いで先生に続いて参りましょう」とかいうヤツが絶対いると思います(笑)そもそも池田センセと山本伸一が同じ振舞ではないんですけどね(笑)さて、早速ですがそんな創価教学ではない御書講義を始めます。まず「迦葉阿難等馬鳴竜樹等」とは正法時代の「南岳天台寺妙楽伝教等」とは像法時代のそれぞれ法華経の人師・論師です、これらの人達が「いまだにひろめていない」というのは正法像法時代に今だ広まっていない所の南無妙法蓮華経の五字を大聖人が広めたということです。正像に広まらなかった妙法蓮華経五字の法体とは法華文上の妙法五字ではなく文底独一本門である大聖人の南無妙法蓮華経の法体のことです。では何故正像時代の人論師達は文底の妙法を弘めなかったかというと、これは「六巻抄の学習」で書きましたが「正像未弘の四故」といって4つ理由があります。
六巻抄拝読の為の基礎知識⑤(三重秘伝抄④)
大聖人は、正像未弘の四故について「曾谷入道殿許御書」で次の通り言われています。
◆問うて日く迦葉阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて日く一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり
①文底の妙法五字を弘教するのに堪えたらないから(妙法弘教による大難に耐えることができないから)②正像の衆生は下種仏法の機根ではないから③仏からの相承がないから④末法という時ではないから。ということです。さてこのうち①②④の理由だけなら「末法に生まれて大難を乗り越えて末法の衆生に文底妙法を弘める人」ですから大聖人以外にもそのような人がいるのではないかという可能性を残します。ですから一番大切なのは③の「仏からの相承をうけたかどうか」なのです。大聖人ただお一人が末法のご本仏であるという所以はこの「仏からの相承」にあります。まず③の理由が一番でありその証拠として①②④があるわけです。
◆此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。(御義口伝巻下)
と大聖人自身が相承を受けた旨を宣言され、その証拠として末法に生まれ末法の衆生に大難を受けながら文底妙法を弘通したのは大聖人お一人であるという現証があるわけです。この相承が「法体の相承」であり日興門流・日蓮正宗の歴代上人に血脈相承されたきたわけです。法体とは戒壇大御本尊と唯授一人血脈相承のほかにはありません。本文中の【日蓮さきがけしたり】とは「法体の折伏」を表し、戒壇大御本尊の法体を表していて、【わたうども二陣三陣つづきて】とは「化義の折伏」を表し、化義とは法体から流れ法体につながる唯授一人血脈相承を表しています。よってこの二つに信を取り自行化他に励む人がご本仏に二陣・三陣と連なる真の仏弟子です。いまの創価民は大聖人仏法を弘めてきたのは創価学会だと傲慢な口をききます。確かに昔の創価は末法の衆生に文底妙法を弘めてきました。だからといって創価学会や戸田・池田両会長には「仏からの相承」があったのかと言えば「そんなものない」のです。大聖人直結なんて言っても大聖人から直接、創価や池田に面授口決の法体相承なんてありません。ただ大聖人(大御本尊)の後ろに続いただけなのです。そして現在では「仏からの相承」を受けた大聖人(大御本尊)を捨てたのですから創価民の活動は広宣流布でも何でもありません。天台伝教を超えるどころか、提婆達多・極楽寺良寛を超える悪人であることは間違いないところです。本抄には【法体の折伏】さてた大聖人の数々の御振舞が書かれています。様々な大難を一身に受けながら末代の我らの為に御建立してくださったのが戒壇大御本尊です。その大聖人の大慈悲に感謝すべきところを大御本尊を捨て去る創価は不知恩の者どもと言われて当然でしょう。本抄を何度も読み大聖人のお心を感じ戒壇大御本尊への信心を取り戻す学会員さんが現れること願い今月の座談御書講義を終わりたいと思います。


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御講拝読御書研鑽(2021年1月・ 十字御書)

十字一百まいかしひとこ給い了んぬ、正月の一日は日のはじめ月の始めとしのはじめ春の始め此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく日の東より西へわたりてあきらかなるがごとくとくもまさり人にもあいせられ候なり。

今月の御講御書は正月には定番の「十字御書」の冒頭の一節です。「十字」というのは蒸し餅を食べやすいように「十字」に切れ目をいれることから「蒸し餅」をこのように(十字)と呼びます。非常に短くかつ簡素な言葉で書かれている御書ですが重要な法義が多く書かれている御書ですからぜひ通して読んでみたください。今回のこの冒頭の一節も特に説明せる必要もないのですが、この御文も何度も読んでいると色々なことが頭に浮かびます。日淳上人はこの御文を引用さて「正月という行事も法華経から出たものと思う」と談話を残していますが確かにそう感じます。正月とは「元初」に通じます。また「始まり(初め)」とは「本因」でもあります。法華経(妙法)は因果俱時の法ですから1年の始まりの正月に法華経(妙法)をご供養する因はそのまま1年の果をも決するといっていいでしょう。私も今年は元旦に初めて新年勤行会に参詣させていただきご供養させていただきました。法華講員さんの中にも正月は飲みすぎて勤行できなかった方もいるでしょう(笑)が大丈夫です。「始まり」は何も正月だけではありません。毎月一日も「元初」です。わたしも昨年の後半から「一日参り」を心がけています。一日に参詣し心新たに1か月をスタートするようにしています。もっといえば、毎日が新しい日の「始まり」ですから「元初」です。毎日が「正月」なんですね。法華講員はオメデタイですね~。毎朝しっかり勤行・唱題することは、毎日正月をもてなす人なんです。毎日徳を積み毎日人に愛されるどころか諸天にも愛されるのです。創価の「おざなりインチキ勤行」では「もてなし」にはなりませんね。ともあれ朝の勤行は「是日々正月」の元初の儀式ですから、寒くても頑張りましょう(笑)10時ごろ起きて0分勤行なんて真似はダメですよ。朝風呂入って按摩受けてる時間があれば勤行できるんだから(笑)


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創価教学じゃない御書講義(2021年1月座談会御書・四条金吾殿御返事)

此の法華経の一字の功徳は釈迦多宝十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり

2021年の最初の座談会御書は「四条金吾殿御返事」の中の別名「梵音声書」の一節です。今回のポイントはやはり「如意宝珠」ですかね。「思いのままに宝をさせる珠」のことを如意宝珠といいますが「宝珠」(宝の珠)とは、

◆妙法の五字の中には一念三千の宝珠あり五字を蔵と定む(御講聞書)
◆妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して(兄弟抄)

等とあるように「妙法五字の一念三千」のことで、この「妙法五字の一念三千」とは、

◆宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり、妙の故に心法なり法の故に色法なり色法は珠なり心法は宝なり妙法とは色心不二なり(御義口伝巻上)

とあるように「色心」の二法のことです。さて日寛上人は妙法五字について、「観心本尊抄文段」で

◇問う、妙法五字のその体何物ぞや。謂く、一念三千の本尊これなり。一念三千の本尊、その体何物ぞや。謂く、蓮祖聖人これなり。

と妙法五字=御本尊=日蓮大聖人とご指南され同じ文段の中で弘安二年の戒壇大御本尊を総体の御本尊であると判じています。すなわち「宝珠」というのは凡夫の色心二法ではなくご本仏・日蓮大聖人の色心二法である「本門戒壇御本尊」であるという事です。そして「如意」というのはこの大御本尊を信じて唱えるところの「本門の題目」です。ですから「如意宝珠」あるころは即ち「本門の戒壇」です。「如意宝珠」とは実に一大秘法の大御本尊を中心とした三大秘法のことです。先日阿保な創価民が創価学会や池田指導が如意宝珠などという噴飯モノな発言をしていましたが、本当に創価民のデタラメ・インチキ己義で御書を汚すのはやめてもらいたいものです。さて、この如意宝珠を保ち続けるためには用心しないといけないことを日寛上人が教えてくれています。

◇信者、当に知るべし既に妙法の宝珠を持たもつ故に内外に就ついて用心あり。一には謂わく、焼亡。二には謂わく、盗賊なり。所謂焼亡とは、即ち是れ不信謗法の火、妙法の無量の功徳を焼失する故なり。道乗が瞋恚の火すら尚読誦の功徳を焼く。況んや謗法の炎をや。所謂盗賊とは、即ち是れ悪鬼・魔王の障礙なり。例せば隠士・烈士の如し云云(法華題目抄文段)

謗法不信に悪鬼等の障礙です。このうち「悪鬼」とは創価幹部や創価活動家であり「魔王」とは池田センセですね。これらの悪鬼・魔王に誑かされて多くの創価民は如意宝珠たる「戒壇大御本尊」への謗法不信を繰り返しているわけですから。創価の「正宗からパクった」「カラコピ掛け軸創価本尊」は如意宝珠でもなんでもありません。ただの紙切れです。そんなものに題目をあげたらむしろ悪鬼・鬼神が集まってきて彼らの棲家になってしまいますね。なので「創価本尊」に題目があげないことが大切になります。悪鬼の向かって南無妙法蓮華経と呟いてみたところで無尽の罪業を積むだけだということを一般学会員さんにはわかってほしいものです。そのうえで如意宝珠を手にしたいなら戒壇大御本尊への信を取り戻すことです。おさらいしますよ。「如意宝珠」とは宇宙の法則でも自分の心の中の仏界でもなくて「ご本仏・日蓮大聖人の色心二法である戒壇大御本尊」です。その大御本尊を捨てた創価民は「如意宝珠」など持っていないのです。分かりましたか?では今日から早速、創価本尊へ向かうのをやめましょうね。


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Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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