創価教学じゃない御書講義(30年2月座談会御書・四条金吾殿御返事)

法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず、
強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾四条金吾と
鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は四条金吾殿御返事の「煩悩即菩提御書」の最後の部分です。
まぁこの一節については法門的な事柄ではないので
普通に通解すれば意味は分かると思います。
敢えて言うのであれば、ここ一節は法華経方便品の
「勇猛精進 名称普聞」の法理とでもいいますかね。
短縮勤行の創価の皆さんも「勇猛精進 名称普聞」は朝晩読んでますよね?
え?短縮勤行すら短縮している?まぁそれはそれとして

◆法華経の信心をとをし給へ・・・勇猛精進
◆法華宗の四条金吾四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ・・・名称普聞

ということです。
「貫く信心」とは具体的にはこの御文の前文

◆貴辺日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ

といことで、「語っていく」法体はこの御文の前

◆多宝塔中にして二仏並坐の時上行菩薩に譲り給いし題目の五字

詳しい説明は省きますが、これは「戒壇大御本尊」様のことです。
要するに「大御本尊」に自行化他の題目をあげ
幸福になった姿を世間に実証と示す。
それが大聖人の弟子として、また成仏するための
「勇猛精進 名称普聞」の修行という事です。
なに?大作センセは世界で顕彰されいる?
ああ、非常に残念至極ではありますが
創価の池田大作、池田大作と皆に呼ばれても
肝心な「勇猛精進」がないので、
その名が轟いたとしても意味ありません。
というかぶっちゃけ言うほど大作の名は轟いていません。(笑)

さて、この御文を講義をする創価幹部・活動家は
「学会員一人一人が四条金吾のような弟子なろう」的な話を良くしますが
四条金吾に失礼なのでやめていただきたく存じます。
四条金吾と言えば竜の口の法難に殉教覚悟で大聖人にお供した人物です。

◆此にてぞ有らんずらんとをもうところに案にたがはず兵士ども うちまはりさわぎしかば、
左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな
これほどの悦びをばわらへかし、いかにやくそくをばたがへらるるぞ(種種御振舞御書)

どうですか?この金吾の姿泣けてきます。
小説日蓮大聖人のこの場面は何度読んでも泣けます。
金吾が開目抄・聖人御難事を承った理由がわかります。
それに引き換え、お前ら創価の活動家ときたら
大石寺が謗法だから大御本尊を捨てると来たもんだ。
金吾のしていることはその真逆だろう?
大石寺が謗法というならむしろ大御本尊を守る。
その気概があってこそ四条金吾的弟子の姿なのです。
それをあっさりと大御本尊(大聖人)を捨てた君たちに
「四条金吾と同じような・・」なんてのは何度死んでも無理。
無理というか「言うな」とうことですよ。

さて、話は戻って大作センセ。
ガラクタのような勲章を集めて、自分が大聖人に肩を並べたかの如く悦に入っていますが
御本仏・日蓮大聖人のお名前は世界どころか十法界に轟いています。
大作センセなど遠く及びません。

◆日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり、
其の名は十方の浄土にきこえぬ、定めて天地もしりぬらん(妙心尼御前御返事)

故に我等、大聖人の弟子旦那は死後も安心です。

◆中有の道にいかなる事もいできたり候はば日蓮がでしなりとなのらせ給へ(妙心尼御前御返事)
◆日蓮が弟子となのらせ給はばいかなる悪鬼なりともよもしらぬよしは申さじとおぼすべし、(妙心尼御前御返事)

死後において「大作センセの弟子」など言ってみたところで通じません。
ヤンキーの絡まれた時にとっさに「○○先輩の知り合いだ」といっても
肝心な○○先輩が知られてなければボコられておしまいです。
同じように閻魔大法に「池田大作?しらね~な」と言われて
そこで慌てて「大聖人の弟子だ」と言っても遅いのです。

◆日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を持ざらん者をば御用いあるべからず(一谷入道御書)

さぁ、心ある創価学会員の皆さん
生きているうちに「大聖人の弟子」として再出発してください。
大作センセは今世の師匠かも知れませんが
ご本仏・日蓮大聖人は三世の師匠です。
「強盛の大信力をいだして」
ご本仏に敵対した現世の師匠のもとを離れ
三世永遠の師匠の元に戻りましょう。
法華宗とは創価学会のことでありませんよ。


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創価教学じゃない御書講義(30年301月座談会御書・顕仏未来記)

伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり、天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云、安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今年最初の座談会御書は「顕仏未来記」の最後の一節です。
さぁ、創価活動家さんはこの御文で
どのような講義をするのでしょうかね~
だいたいは予想できますが、
今年も私は「創価教学じゃない」解説をしていきたいと思います。

最初に、伝教大師・秀句から引用された「浅きは易く深きは難し」を説明します。
これは今回の一節の少し前の
◆但し今夢の如く宝塔品の心を得たり
にかかっています。
「浅きは易く深きは難し」とは「宝塔品の心」ということで
この「宝塔品の心」とは宝塔品の偈分に書かれている六難九易をもってとかれた
「此経難事」(この経は持ち難し)の心です。
本文の丈夫の心とはこの経を持つ心ですから「仏の心」というわけです。
さて、では「此経」とは何か?もちろん釈迦文上の法華経ではありません。
日寛上人は依義判文抄で「此経難事」等の文について次のようにご指南されています。

◇此経難持より無上仏道に至る三行の文は即ち是れ本門の本尊なり

そうです。本門本尊ですね。そして続けて

◇三大秘法総在の本尊を明かすなり、
総在の本尊とは題目・戒壇の功能を具足する故なり。
亦は一大秘法の本尊と名づく

三秘総在の御本尊。またの名を一大秘法の本尊である。と。
一大秘法の本尊とは、創価が捨てた戒壇大御本尊以外にはどこにもありません。
(「ある」という学会員さんは挙手して理由を述べてください)

そこを踏まえて六難九易を簡単に現代風にアレンジすると
創価の財務を何億円もするのは簡単だが
大御本尊に1円のご供養するは難しい。
聖教新聞を何万分も啓蒙するのは簡単だが
大御本尊を一言でも語るのは難しい。
創価のコピー本尊に何十時間題目あげるのは簡単だけど
大御本尊に一遍のお題目を申し上げる方が難しい。
大作センセを師匠と尊敬するのは簡単だけど
大聖人をご本仏として尊敬するのは難しい。
総じて、創価信心などというパチモンを信じるのは簡単だけど
大聖人仏法というホンモノを信じるのは難しい。
こんな感じでしょうかね。
その難しい大聖人仏法を受持することが
それが「宝塔品の心」であり「丈夫の心」であり「仏の心」なのです。

それと、あと1点。

◆三に一を加えて三国四師と号く

ここね。創価はここに大作センセとか創価学会とかを入れたがる。
「現代では四に一(大作センセ)を加えて三国五師だ」
なんていう奴が絶対にどこの組織にも一人はいるが
「三国四師」というのはあくまでも大聖人の外用の面から述べているだけであり
釈尊や天台・伝教と大聖人は同等ではない。

釈尊については
◆釈尊程の仏にやすやすと成り候なり(新池御書)

天台伝教に関しては
◆夫れ天台大師は昔霊山に在ては薬王と名け今漢土に在ては天台と名け日本国の中にては伝教と名く(立正観抄)

と言われているように
あくまでもご本仏たる大聖人と
他の三人とは全く違った立場・存在なんですね。
よってこの

◆三に一を加えて

という部分は、文底で読むときには
三と一の相対である。と理解して読まないといけません。
「3」に「1」を加える。のではなく
「3」と「1」を比べる。
もっというと「3」を「1」で打ち破る。
そのように捉えてください。
「三国四師」と大聖人が言われたのはあくまでも対機説法なのです。
それが今の創価の連中は分からないから
こともあろうか、ここに更に大作センセを加えようとするわけです。
このアフォさ加減はまさに「浅い教え」に執着する故です。

ともあれ、創価を退会できる人も
いまはどうしても退会できない人も
「丈夫の心」をもって今年も1年信心をして行って欲しいと願っています。
創価の活動に時間や金を使うより
大御本尊に一編の題目を申し上げるほうが
どれほど素晴らしい事か。身をもって体験しましょうね。


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オマエの酒だけは飲めね~な。

今週は、「魔の忘年会」週間。
今夜も「クリスマス会」という名の飲み会があります。
昔は毎晩午前様でも全然平気だったのだけど
最近は週4でもキツイ。
寄る年波には勝てません。

「飲酒」というと、龍樹の「大論」(大智度論)の中に
「飲酒」による35の失が説かれています。
散財する・病気になる・ケンカする・信用をなくす
仕事に失敗する・体力がなくなる・体調を崩す
などなど現在にも当てはまる「失」(飲酒によって失うモノ)ばかり
龍樹菩薩には面目ない気持ちでいっぱいであります。
つい今朝のニュースでもタクシー運転手さんに暴行し逮捕された男が
警察の調べに「酒に酔ってて覚えていない」と供述したとか。
「酔っ払てて覚えていない」は酔っぱらいの常套句ですね。
うちの嫁もしばしば使うフレーズです。
私は記憶をなくすほど飲んだ覚えがないないというか
酒を飲んで記憶がぶっとぶ経験がないので
どうもこの常套句には疑義があります(笑)
とはいえ、お酒は上手に付き合えば
コミュニケーションを図れますしストレス発散にもなります。

日本酒・洋酒・焼酎・ワイン・紹興酒・・・・
お酒もたくさん種類があり、どれも好きですが
絶対飲んではいけないお酒が一つだけあります。
それは「無明の酒」言い換えると「謗法酒」です。

◆御義口伝に云く酒とは無明なり無明は謗法なり臥とは謗法の家に生るる事なり、
三千塵点の当初に悪縁の酒を呑みて五道六道に酔い廻りて今謗法の家に臥したり、
酔とは不信なり覚とは信なり(御義口伝巻上)

◆一無明悪酒の事 仰に云く無明の悪酒に酔うと云う事は弘法慈覚智証法然等の人人なり、
無明の悪酒と云う証文は勧持品に云く、悪鬼入其身是なり、悪鬼と悪酒とは同じ事なり
悪鬼の鬼は第六天の魔王の事なり悪酒とは無明なり無明即魔王魔王即無明なり、
其身の身とは日本国の謗法の一切衆生なり、
入ると呑むとは同じ事なり、此の悪鬼入る人は阿鼻に入る(御講聞書)

「謗法(無明)の酒」を飲むという事は
「悪鬼入其身」であり、「無間地獄」に入るということです。
この「謗法の酒」をしこたま飲んで酔っ払って狂っているのが
今の創価幹部・活動家です。
酔っぱらいの特徴は酔っているのを自覚できない。
「わたし?酔ってましぇんよ~」といいつつ
間違ったことやわけの分からない事言ったりやったり。
周りに迷惑をかけていることの自覚すらありません。
そして財務とか余計な散財をし
世間様から信頼を失っていることすら自覚しないわけです。
「謗法の酒」の酔いが醒めた時には既に閻魔大王の前。
そのときに「酔っていて覚えていません」と供述しても
そんな言い訳が通用するは家族や友人だけ。
酔っ払って覚えていなければ無実。などという法律は世間法にすらない。
ましてや仏法でそんな言い訳が通用するわけがない。
哀れ「無間地獄」へ送還の実刑判決が言い渡されるわけですね。
げに恐ろしや「謗法の酒」
学会員の皆様。来年から・・いやいますぐ「禁酒」しましょう。
また、創価活動家の知り合いから
「俺の酒が飲めね~のか」
「少しくらい飲むの付き合えよ」
などなど「謗法の酒」を勧めらている皆さん。
「オマエのすすめる謗法酒だけは絶対飲まない」と
そこはキッパリとお断りしてくださいね。

てなわけで、謗法酒以外のお酒は適量でお酒を楽しみましょう。
(蘭房さんも飲みすぎないように)
では、「クリスマス会」に出動します!
(胃薬・胃薬・・)


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四箇の格言

12月は忘年会シーズン。皆さん飲みすぎてませんか?
私は先週・今週と飲み会が続いております。
昨日・一昨日は連チャンの飲み会でようやくヤマ場を超えました。
あとは、週末の「忘年会」から「クリスマス会」と名目が変わっただけの飲み会。
ここを無事に超えれば今年もいよいよ仕事納であります。
いやいや、「飲み会」の話を書こうと思っていたわけじゃぁないんですよ。
ここのところ、「飲み会」が多くて全然御書を読んでいなかったのだけど
今日、久しぶりに御書を読みました。

適当に開いたページの御書を読むのが私の基本スタイルなんだけど
今夜のマイ拝読御書は「諌暁八幡抄」
「諌暁八幡抄」といえば四箇の格言が書いてある御書です。

◆我が弟子等が愚案にをもわく我が師は法華経を弘通し給うとてひろまらざる上大難の来れるは真言は国をほろぼす念仏は無間地獄禅は天魔の所為律僧は国賊との給うゆへなり

私の御書にはこの部分に線が引いてありました。
日蓮大聖人はこの四箇の格言をもって他宗を破折し
法体の折伏をしたんですね。
大作センセはずっと昔にこの「四箇の格言」を否定しちゃいましたが
日興門流・日興門下が心にかけなければならない法門であります。

念仏無間・・・「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」とうい誹謗正法の故に無間地獄
禅天魔・・・・・「不立文字」を唱え経典によらないない教えは「天魔」の所業
真言亡国・・・釈迦如来を差し置き架空の仏である大日如来を立てるところから亡国の法
律国賊・・・・・意味のない小乗の戒律で人々を惑わせるの国賊

簡単に説明するとこんな感じでしょうかね。

で、いまこうしてあらためて「四箇の格言」を考えると
これって、4つ全部現在の創価に当てはまるなぁって思うわけですよ。

創価無間・・・正法の体である大御本尊を「捨閉閣抛」をしている事実。まさに無間地獄の因
創価天魔・・・御書によらずただ現証論だけで創価の正義とやら主張する。まさに天魔の所為
創価亡国・・・大御本尊を差し置き架空の仏である創価仏を立てる。まさに亡国の教え
創価国賊・・・意味のない学会活動という戒律で人々を惑わせる。まさに国賊そのもの。

まさしく、現在の創価は四つの邪宗・邪教の全てを持ち合わせている
最強の邪教団といえますね。

大聖人は御義口伝で

◆今日蓮等の類いは無問自説なり念仏無間禅天魔真言亡国律国賊と喚ぶ事は無問自説なり三類の強敵来る事は此の故なり

と教えられています。
創価無間・創価天魔・創価亡国・創価国賊と叫ぶ
つまり創価を破折するのは「無問自説」である。と。
「なんで創価学会を批判するんですか?あなたはもう学会員じゃないくせに」
このブログを読んだ学会員さんの中にはそう思う人もいるでしょうが
「無問自説」だから仕方ないでしょ?
それが日蓮等の類・・・つまり大聖人の弟子の進む道ですから。
そして時折活動家さんから
馬鹿だのチョンだの退転者だの日顕宗だのと罵られるのも
これまた御聖訓通りなので仕方ないですね(笑)

さて、大聖人の「四箇の格言」を捨てた今の活動家諸氏の
創価板「四箇の格言」ってなんでしょうかね?
学会をやめたアンチの人々に彼らが投げつける言葉は
「池田センセに嫉妬した」
「麗しい学会にいられなくなった」
「真剣に学会活動をやらずに不平・不満ばかり言っている」
「勤行・唱題をしていない」
こんな感じですでかね。
でも、これって全くの想像の世界。
いや、そうであって欲しいとの妄想の世界ですよね。
こんなのばかりだから、破折も対話もできないんですね。
いまの活動家さんは。

てなわけで、ここのところ寝不足名気味なので
今夜は早めに就寝します。
☆GOODNIGHT☆(;д;)


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創価教学じゃない御書講義(29年度12月座談会御書・諸経と法華経と難易の事)

仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、
仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今年最後の座談会御書は、「諸経と法華経と難易の事」(難信難解法門)の
超有名な一節ですな。
「仏法即社会」とか、或いは個人の信心に約して
「信心即生活」とかを指導・説明するときによく使う御文だね。
因みに「○○即☓☓」というのは
だいたい一念三千法門を分かりやすく言っているだけだからね。

同じ意味合いの御文は他にもいくつかあるけど

◆源濁りぬれば流浄からず身曲りぬれば影直からず(一谷入道御書)

なんかが良く引かれる御文かな。
で、今回の御文と上記の「一谷入道御書」の御文の前文には同じ内容が書いてあるんだね。

今回の御文の前文は
◆弘法慈覚智証の御義を本としける程に此の義すでに隠没して日本国四百余年なり、珠をもつて石にかへ栴檀を凡木にうれり
で一谷入道御書の当該御文の前文は
◆末学の者共本師の誤をば知らずして弘め習ひし人人をも智者とは思へり

この二つは、仏法が曲がる(誤る)原因は
仏典そのものが間違っているのでなく
その仏典を解釈した人師・論師が間違って解釈し
それを信じてしまうから正しい仏法が隠されてしまう。と言われているんだね。
つまり、正しい仏法を捻じ曲げてしまうのは
人師・論師とそれに追従する人々である。と。
そう、大作センセと学会幹部活動家
浅井センセと顕正会幹部活動家。
などが大聖人仏法を捻じ曲げている。ってことさ。

◆末の論師人師等謬執の年積り門徒又繁多なり。(曾谷二郎入道殿御返事)

故に大聖人は多くの御書で

◆我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ人師の言語は無用なり(教行証御書)

などと、人師・論師ではなく仏説に従う事をご指南されている。

さてでは多くの人師論師は具体的になにを捻じ曲げるのか?
「仏法の体」とは一体何なのか?といえば
それは「本尊」に他ならない。

◆諸宗は本尊にまどえり(開目抄下)

仏法の体であるところの本尊は

◆本尊とは勝れたるを用うべし(本尊問答抄)

とあるように、最高・最勝を本尊と定めることが肝要であると大聖人は言われている。
当然のことだが、大聖人に言われている最勝の本尊とは
大聖人の出世の本懐たる一大秘法の戒壇大御本尊に他ならない。
しかるに、創価は大御本尊を捨て
人師論師である自分たちが勝手に本尊を決めている。
その姿は本尊に迷った姿であり
仏説を捨て人師論師の言説を無理強いした姿であり
大聖人のご指南を真っ向から否定して姿である。
その創価の教義を信じ強弁する活動家・幹部は
まさに「体」が曲がった姿であり、
当然彼らの言う功徳というものは「斜めの影」「濁った流れ」にすぎない。
しかし残念なことに、酔っぱらいには斜めの影も真っすぐに見え
濁った川の水も清流に見えるらしい(笑)
大御本尊も創価コピー本尊も同じ?
この御書を最初から読んでみたまえ。
法華経が難信難解の理由は、随自意だからなのだ。(基礎教学だが)
で、この次下の御文は

◆幸なるは我が一門仏意に随つて自然に薩般若海に流入す、世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり

と書いてある。
誤解を恐れずに言うならば
一大秘法の戒壇大御本尊こそが「随自意」の御本尊なのである。
キミ達の自宅にあるコピー掛け軸本尊も
学会本部にある盗品の書写本尊も
願主の申し出に応じて書写した随他意の本尊ではないか。
大聖人が随他意の経を用いるのはなぜか?
それは爾前の経でも法華経(随自意)につながればこそである。
決して爾前の経を「信じる」ためではないのである。
法華経(随自意)を捨ててしまったならば
随他意の経には何の価値もないのだ。
同じように、「随自意」の御本尊たる大御本尊をすてて
随他意の書写本尊をコピーした掛け軸なんぞに何の価値もないのである。
それは法華経を捨て爾前の経に執着している姿である。
「体」が曲がっていて「源」が濁っている。
そんな信心に万に一つの功徳はない。

◆世間の学者の若きは随他意を信じて苦海に沈まんことなり

との大聖人のお言葉をどう感じるのか?
それでもまだ大御本尊を捨てても功徳がある。というのは
全く仏説によらない、我見・邪義に他ならない。
もう年の瀬だ。
今年の謗法は今年のうちに大掃除した方が良いと思う。
まずは、大御本尊に対する「信心」を取り戻してほしい。
五座三座の勤行。できなければせめて寿量品の長行を読み
ご観念文で、大御本尊に報恩感謝する。
それだけでも、随分と「体」は真っすぐになるし
「源」も清められる。
この御文を学んだからには

◆仏意に随つて自然に薩般若海に流入

しようじゃないですか。
「仏意」とは大御本尊を信じることだ。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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