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サカイさんとの対話

サカイさんとの対話のトピを新設しました。サカイさんそしてサカイさんとの対話のコメントは今後はこちらのトピをご利用ください。今まで同様に悪質な誹謗中傷や人格攻撃すすことなく熱く語らっていきましょう。私も今後はサカイさんに対する意見や批判・反論はこちらでいたします。よろしくお願いします。また、学会員さんのサカイさんへの応援コメントもこちらへ書き込んでくださいね(てか学会員、少しは同志を応援しろよ!)


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何もしなきゃ破門にならないっての。

「こんなに宗門を守ってきたのに」
「こんなに宗門に供養してきたのに」
そんな、池田センセと創価学会を
突然一方的に破門するなんて許せない。
創価活動家がよく言う宗門批判だ。
多少気持ちはわからなくはない。
俺も、散々創価の為に時間と金を使って
創価を守ってきた。
なのに、組織から追放され
最後には退会したこと。にされて会員資格を失った。
うん。確かに悔しいだろう。
しかしそうなったのにも原因ってのは必ずあるもので
俺が創価から追われた根本的な原因は
幹部のいう事をきかなかったり
幹部の言動に対し批判的な発言を繰り返したからだ。
また、本尊義と血脈相承の重要性を
繰り返し他の会員さん達に話してきたという事もある。
こう書くと、現役活動家は
「そんなヤツは創価の組織を追い出されて当然だ」と思うだろう。
組織の打ち出しやらなんやら「いうことを聞かない」のだからね。
そう「当然」なんだよ。
俺たちを追放した連中の大義名分は
「創価の組織を守る」だった。
組織を守るためには組織に楯突く人間は排除する。
こんなことは、いかなる組織においても当然のことなのだ。
だから、俺は別に創価の組織に受けた仕打ちを恨んでいない。
いつもいうように怨嫉とかいう感情は一切ない。

大作センセや創価上層部も
俺と同じことを、宗門や日顕上人にしたんだよ。
だから、破門されて当然。
なのに、「破門した。破門した。」となに言っての?
「何もしてない大作センセや創価を一方的に破門した」だと?
なにをフザケタ事を言っているんだ。
平成2年の「11・16」の池田スピーチ。
創価学会のみならず、法華講のトップの役職にある人間が
同時中継という公の場で公然と宗門や法主を批判したのである。
さらには宗門側からのこの件に関する
「文書」による回答要求を突っぱねたのである。
しかも当事者の大作センセからはナシノツブテ。
こんなことをすれば、日蓮正宗という組織の役職である
大講頭も総講頭も罷免させられて当然でしょ。
逆に、そんな言動をした大作センセと学会幹部を
大講頭・総講頭のままにしていては
他の信徒に「シメシ」がつかない。
つまり宗門は当たり前のこととして、
大作センセと学会幹部の大講頭・総講頭を罷免しただけだ。

仮に原田会長が本幹で大作センセを
批判するようなことを言ったらどうする?
そのまま会長にとどめておくのか?
それで会員は納得するのか?
しないだろう。
原田会長が大作センセに文書で報告しなさいと言われたのに
それを無視して会って話します。
っていったら、悪いのは「文書」提出をさせようとした
大作センセの方なのか?
原田会長のみならず創価の中で
大作センセに批判どころか少しでも異議をとなえたら
それこそ、俺のようにいつか組織から追い出されるだろう。
違うか?
宗門による大作センセの「宗門の役職」罷免は
当然のことであり、大作センセの身から出た錆であって
「宗門」が悪いのではない。
逆恨みか作戦かは知らないが
こんなことで宗門批判するのはお門違いだ。

それにしても普段から内部アンチを見つけては
「創価批判する内部アンチは創価をやめろ」とか
「創価を批判したいなら退会してからやれ」
などと言ってはばからない活動家が
「宗門批判をした」大作センセのことは庇う事。庇う事。
本来の彼らのロジックならば
「正宗批判する大作は信徒をヤメロ」
「正宗批判した大作が破門になるのは当然だ」
となるはずなのだがそうならない(笑)
本当にこの人たちの身勝手ぶりは筋金入りである。
こうした身勝手さが世間からはスポイルされる原因なんだけどな。

そしてさらに酷かったのは、
大作センセ・創価幹部が大講頭・総講頭を罷免されたあと。
すぐに聖教や新報で、「反宗門キャンペーン」を繰り広げ
宗門僧侶や日顕上人の悪口をこれでもかと書き連ね
大作センセも毎月本幹で、宗門・顕氏に対する
ヘイトスピーチを好き放題いう。いう。
また、友人葬を筆頭に僧侶を排除し始め
寺に行かないように会員を誘導していった。
これは、「破門後」の話ではない。
「破門前」の話である。
破門される前から、大作センセと創価は
日蓮正宗の信徒でありながら日蓮正宗を批判していたのある。
そんなことを大作センセを中心に組織を挙げて繰り返していたのに
「何も悪いことをしていない大作センセ・創価学会を一方的に破門した」
などと一体どの面下げていうのか?
破門される前からこれだけの宗門攻撃をしていて
「宗門は話し合いにすら応じなかった」
などど一体どのクチがそんなことを言うのか?
「話し合いで解決したい」
「僧俗和合の道を模索したい」
そんな「思い」はどこからも伝わってこないが?
こうした事実から導き出されるのは、
大作センセと創価は、宗門から破門されるのを狙った。
という結論だ。
自分達の方から宗門から独立します。というのでは
会員や世間からコンセンサスを得られないから
あくまでも自分たちは宗門から破門されたか弱き被害者。
というというテイにしたかった。ということだ。
不倫にはまった旦那が奥さんと別れる作戦として
わざと嫌われるような事をし、
いよいよ奥さんから別れ話されると
「オマエから別れるといったのだから慰謝料は払わないぞ」といいつつ
胸の中で小躍りして別れられたことを喜んでいる。
そんなB級ドラマのストーリーをやってのけたのが
当時の大作センセと創価上層部である。
こんな胸糞悪いけど単純なストリーに
コロっと騙されてしまったのが
冒頭書いたような創価活動家である。

創価会員さんには事実をきちんと検証してほしい。
創価の新聞や幹部の話は、創価の主張にすぎない。
宗門が一方的に創価を批判したのでなく
創価・・なかんずく大作センセがいきなり
宗門・法主批判を始めたのである。
事実は小説より奇なり。である。

さて、今日は創価活動家の間違った「外護」観を書こうと思ったけど
長くなっちゃったのでそれはまた今度ということで。

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のんかつさんというお笑い創価活動家

わざわざ、コメント用の記事まで用意したのにもかかわらず
俺との法論から遁走したのんかつ氏
まぁ、いままでここに来た創価活動家と変わらなのだが
その、のんかつ氏が先日ひっそりとコメントを入れてきた。
詳しくは「のんかつさん法論を始めましょうか」
のコメント欄を読んでもらいたいが

最初のコメントは

「先ず、管理人さんにお礼とお詫びのコメントを書きます。下に書くことは決して冗談で記したことではありませんので、真面目に読んで頂きたいと思います。」
「管理人さんに色々罵声を挙げた話を書き綴りましたけど、申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした。ここで正式に謝ります。」

と謝罪をした後に

「改めて、若し管理人さんが宜しければ、もう一度お話しのテーブルに乗って頂けますでしょうか。」

との要望。
それに対し俺は普通に返信したが、
そしたらそれに対するコメントが

「大聖人の心を頑無視した、そして大聖人の仏法を真剣に行じている真面目な信者にとって、あなたたちの行動は見ていて本当に反吐が出る思いでした。」
「でも、よく考えてみると、ここはある意味とても大事な場所なのかもしれません。ゴミの一時受け入れ場所としてね…。」
「これだけの「糞尿連」が集まり続けていることに、とても納得出来ます。」

こうです。
謝罪から僅か3日も経たないうちに
この罵詈雑言。
「正式な謝罪」をした人間がコレですよ。
ぶっちゃけ「この人は精神分裂症のサイコパス」かな?という感想。
仏法用語で言うと「頭破作七分」
いや「心破作七分」か。
こういうお笑い学会員に出会うたびに
今の創価はつくづく「謗法」であり
不幸な人を作っているなぁって「現実」として思い知らされるよ。

自分から謝り、対話を要請しながら
その3日後にはやっぱり「対話」(法論)はしないと
罵詈雑言を交えて話しているわけです。
「法論」に自信がないなら
正直にそういえば言いのに
やはり「負けたくない」んでしょうね~
なんとかして「本尊義」を含む
大聖人仏法の法門法義の
話にならないようにしてる様子がありありだ。

別に俺は彼のような無教学な方と話することなんてないし
そもそも、法門法義にあれだけ疎いと
大聖人仏法の話なんて無理だと最初から思っているが
なんだかグズグズと言い訳がましいことを書いてるんだよね。
それがまた本人は「仏法とは」とか「信心とは」とか
虚勢張って偉ぶってるんだけど
その内容は、全く仏法といえる代物じゃない噴飯モノの話ばかり。
まぁまぁ、全く反論ができないから
悔しい気持ちはわかるし、
なんとか反論のテイを装っていたい気持ちもわかるけどさ
なんでも書けばいいってもんじゃないんだよね。
こんな嘲笑モノのコメント入れても醜態を晒すだけだろうに。

中でも正宗をやめた元僧侶の本を引き合いに出し
正宗僧侶を誹謗するような内容をあげて
それが「事実」であると主張しているのには笑えた。
なぜ事実かというと元僧侶が書いているから。だそうだ。
相変わらずの彼のお得意の三段論法。
このロジックならば、元創価の人の書いている本
例えば、福島氏・原島氏・山崎氏・乙骨氏らの本も
「事実」である。ということになる。
それが「事実」であれば、創価と池田大作が
信心の欠片もなく会員を騙して金と権力を手に入れている
ということは「全て事実」ということなる。
こういえば、どうせそれらのことは「退転者」のいうことなので
「事実じゃない」「ねつ造だ」なんてこと言うんでしょ?
だったら退転坊主の書いた本も「事実」ではないということだよね。

彼のプロフを読むと、奥様とお子さんがいるいい歳したオトナのようだが
その論旨はとても女房子供がいるとは思えない程
いや、これでよく社会生活が営めるなぁと思うほど
幼稚で身勝手で理論破綻しまくっている。
まぁ、それが創価活動家の生態だよ。
って言ってしまえば身も蓋もないが。

そいいえば、昔地元の本部長と対論した時に
「聖教新聞」とか「創価新報」の記事を提示して
「創価は正しい」と力説してたが、
「聖教や新報は自分たちが作っている新聞だろうが
それが正しいのなら赤旗に書いてあることも正しいのかよ?」
と聞いたら、口ごもっていたっけな。
まぁ、創価系のブログ書いてる連中も同じ。
自分達の作った資料を提示して
「創価は正しい」などとトボけたことを書いているのが多い。
いやいや、そこは御書を引きなさいよ。
なんで聖教新聞が世間様とコンセンサスを得るためのツールだと?
ましてやアンチを破折するのに聖教新聞とか退転僧侶の本が有効とでも?
それが通用するのは創価村だけなんだって。
創価の教義や理論は世間では一切通用しないって
こんなに教えた上げてるのに
まぁ~だ、のんかつ氏のような活動家が存在するとは驚きだ。
まぁ、それにしてものんかつ氏は
いままでこのブログに書き逃げしていった創価の中でも
最強の部類に入る、狂いっぷりなので
世間様に見てもらうにはいいサンプルにはなったかな。
「のんかつさんの主張や言動は正しい。こういう人になりたい」という人は
どうぞ創価に入会して活動家になって頑張ってください。
「こんなのは嫌だ」と思う方は
創価に入会しないことをおすすめします。
また既に創価会員になっちゃった方は
創価を早くやめるか、創価の活動には一切参加しないことをおすすめします。
のんかつ氏のコメントをじっくり読んでお決めください。

最後に創価活動家さんは批判のコメントを入れてくれるのはいいですが
もう少しお勉強をして多少の理論武装してからしてくださいね。
全く「お話にならない」んじゃ
洒落になりませんから。


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のんかつさんとの法論用コメントはこちらに。

のんかつさんとの「法論」に関するコメントは
こちらの記事のコメント欄に投稿してください。
別記事のコメント欄だと読みづらいと思うので。
まぁ「法論」が始まらなければ無駄な記事になっちゃいますけど(笑)
そうならように、のんかつさんへの応援コメントも
ご自由にどうぞ!

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のんかつさん。始めましょうか。(本尊義について)

では改めてのんかつさん「法論」を始めましょう。
最初に創価活動家は「法論」と「雑談」の違いを
弁えていない方が多いので言っておきますが、
「法論」とはあくまでも「法門・法義」について対論することです
よってその正邪の判定は「文証」によって決定されます。
主観的な「現証論」は正邪の判定材料にはなりません。

文証の定義とは、
◆唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり(持妙法華問答抄)
との大聖人のご金言にあるとおりです。
従って貴方と私との間で「文証」として使用するのは
創価学会版の御書全集の中の御文でいいですね?
池田や戸田の言説は文証としては使いません。
傍証として引用しても結構ですが
その場合はそれを裏付ける「文証」を必ず提示してください。
日寛上人等のご歴代のご指南も然りです
(まぁあなたが日寛上人を学んでいればの話ですが)

文証がない場合は「ない」
知らない場合は「知らない」と言いましょう。
「文証」ない場合はその主張は「日蓮仏法に非ず」という判定です。
「知らない場合」も同様です。単なる「我見」という判定です。
nanaさんって方にも言いましたが、
論点の拡散やすり替えはお互い止めましょう。
テーマに無関係なことはお互いに書かない。
ひとつのテーマが終わらないうちに違う話はしない。
また、回答不能の場合は「回答することはできません」と書いてください。
「終了したい場合」場合は、「もうやめたいです」と書いてくれればいいです。
なんなら「参りました」とか「ごめんなさい」でもいいですよ。
その時点でお互い終了としましょう。
それと、いままでのほとんどの学会員がやってきた
「書き逃げ」はやめてくださいね。
あなたも「創価」をなのり
「大作センセ」の弟子を自負しているのでしょうから
「創価」や「大作センセ」に恥をかかすようなことは
よもやしないと思いますが、
そう言う人が多いので一応ここに記しておきます。

さて、貴方は「魔」が起こっているから創価が正しい。
と主張されていますが
このロジックはいわゆる「三段論法」の詭弁です。
私が創価を批判しているのは「間違った信心をしているから」です。
わかっていると思いますが
間違った信心に起きるのは「魔」ではなく「罰」と言います。
で、創価の信心のどこが具体的に間違っているかと言うと
「創価の本尊義」が「間違っている」と主張しています。
ですから貴方は「創価の本尊義は正しい」ということを論証してください。
貴方が「創価の本尊義」が正しいと論証出来た時に
「創価の信心は正しい」ということになり
創価に現れているのは「魔」である。と証明されます。
またそうであるならば創価は世界に広宣流布している。ということになりますし
私も貴方の主張を認めます。
幼稚な三段論法で私やこのブログの読者の皆さんを欺くことはできません。
どうぞ「創価の信心が正しい」ことを論証してくださいね。

では、ここから「創価の本尊義」に関する質問です。
あなたは下記の質問に回答してください。
質問返しはしないでくださいよ。
私の質問に貴方がキチンと答えた後に
今度は貴方が私に質問してください。
私はそれに回答します。
質問には番号を振りますので、回答部分の頭にその番号を記してください。
また回答のコメントはこの記事のコメント欄に投稿してください。

では、現在の創価教義の本尊義とは
▼「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」である。(会則の教義条項改正に関する解説)
という事を共通認識という前提で質問します。

①-①「本門本尊」の定義(体)を示した上で
①-②「弘安二年の大御本尊」つまり「本門本尊」を受持しなくても良い。
という文証を提示し、「本門本尊」不受持の正当性を論証してください。

②大御本尊も書写の本尊もすべて等しいのであれば、
②-①顕正会や身延の本尊でも流布したり信仰の対象としてもいいのか?
②-②顕正会や身延の本尊を書写した本尊も「正しい本門本尊」なのか?
②-③顕正会や身延の本尊が正しいのならば「創価」も「顕正会」「身延」もみな同じなのか?

あまり多くの質問しても話が乱雑になりますし
お互いの負担になると思われるので
まずは上記の①と②について回答してください。
この①と②の話が終わった時点で
今度は貴方が質問してくださっていいですよ。
ただし創価の与太話ではなく日蓮仏法の法門法義ですよ。
そしてもう一度念をおしますが
「文証」を引用しそれに即した回答をしてください。

◆但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず(唱法華題目抄)

文証のない現証(創価が世界に広まっているとかいう類)は書かないでください。
それと御書の通解は必要ないのでできれば御書の題号を明示してください。

最後に、私の方からも「魔」に関する御文を引用します。

◆涅槃経に云く「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり(蓮盛抄)
◆我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云(行敏訴状御会通)

文証のないことを言うのは「天魔」ですから。
お互いに気を付けたいものです。

では、回答お待ちしています。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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