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日蓮宗の大荒行について。

ひごちゃんさから日蓮宗で行われている「荒行」についての質問があったので少し書きます。日蓮宗と言えば私がまだ創価の広宣部時代と創価組織を追放されフリーランスの学会員のときに日蓮宗の信徒・僧侶と数回対論したことがあります。その時にもこの「大荒行」について対論した記憶があります。日蓮宗の大荒行についてはTVなどでも度々取り上げられ知っている人も多い。時には死者を出すほどの苦行ですが別に日蓮宗の僧侶が全員この「大荒行」をするわけはないそうです。もともとの起源はひごちゃんさんが言うように、五老僧・日朗の弟子(弟)の日像が始めたことだとされてます。日蓮宗の僧俗がいうには大聖人から京都弘教を命じられその遺命を成就するためどんな難にも負けないように心身を鍛えたことが発端だそうです。「ご遺命」を勘違いして間違った修行をしちゃうとろが顕正会と似てますよね。また日像といえば日蓮宗の本尊雑乱のもとを作った人物もいわています。民衆に受け入れやすいようにと当時流行っていた三十番神信仰を取り入れて曼荼羅本尊に書き加えたのが雑乱の始まりといわれてます。大衆迎合して勝手に本尊義を変え本尊を変造するあたり創価学会にそっくりです。顕正会も創価も日像上人を根本にすればいいのにと思いますが、すくなくても日像本人は浅井や池田のような野心はなく純粋な気持ちで荒行をしたのだと思いますが謗法は謗法です。さて現在の「大荒行」は日蓮宗僧侶のなかで「希望者」だけが実践するそうです。なんでもこの「大荒行」を成就すると「秘法」を習得できるそうです。「その秘法ってなんだよ?」って日蓮宗信徒にききましたが「秘法」なので荒行をしてない人には教えないそうです。そもそも大聖人仏法の秘法と言えば一大秘法の戒壇大御本尊しかないのですよ。「如来秘密神通之力」とは本尊のことであると御義口伝に書かれている通りです。さて「荒行」に戻りますが大聖人仏法においては題目の受持以外の修業はしてはいけないのです。

◆問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、答えて日く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり(四信五品抄)
と大聖人様は仰せになり。日寛上人も
◇一経読誦を許さざる所以は是れ正業を妨げ折伏を礙ゆるが故なり(末法相応抄)
とご指南されています。

五度の修行や法華経1経読誦も許されいないのに日蓮宗の大荒行ごとき行為は修業どころか修業を妨げる謗法行為でしかありません。また日蓮宗が本仏と定めている久遠釈迦仏も「我本行菩薩道」と「菩薩道」の修行をしていたわけです。「荒行」をしたなんて一言も行ってないし「荒行」をする菩薩なんて聞いたことない。さらに言えばインド生誕の応身の釈尊も出家したのち6年間の死ぬ寸前までの「苦行」をした結果、「苦行」で悟りを開くことはできないと悟ったわけです。つまり日蓮宗のやっている「荒行」は大聖人様の教えにも釈尊の教えにも無いどころか「禁止」「制止」された修業なわけです。そんな修業をして習得する「秘法」があるならばそれは大聖人も釈迦仏も習得していない「法」ということなります。要は「仏法ではない」ということすから「大荒行」で本当に秘法をのであればそれは「魔の通力」ということになります。そのような通力を習得することは外道・天魔の所作でありそのような者を信じてはいけないのです。

◆先ず通力ある者を信ぜば外道天魔を信ずべきか或る外道は大海を吸干し或る外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり(題目弥陀名号勝劣事)

さてこの「荒行」ですがこれは1回ではダメで5回やらないと全ての秘法を習得できないそうです。5回やり切った僧侶には特別な称号が与えられるようです。まぁ単純に僧侶として「箔をつける」為に行うようなモンですね。自己満足と名声が「秘法」の実質的な中身なのではないでしょうか。確かに常識では考えられないような修行をした僧侶には特別な力があると思いたい気持ちは分かりますけど、実際には大聖人も釈尊も「非常識な修行」をしたわけではなくむしろ非常識なことはしないようにと諫めたわけですから日蓮宗の「荒行」は仏法的には「不可」なんですよね。日蓮宗の僧侶個人が志願して死ぬかも知れない荒行に挑戦することは自己責任なので構わないですけど、それで何か人々を救う特別な力を得たかのように宣伝するのは仏法者の端くれとして恥ずかしいと思いますね。普段は学術的だの科学的だのといって大御本尊や正宗を批判していますが、他所様の法門法義をとやかく言ってる暇があったら自分たちのやっている「荒行」とそれで得られる「秘法」とやらを学術的かつ科学的に客観的に説明できるようになれよって感じです。


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波田地教学・八重の相対を嗤う。

波田地氏の動画で「八重の相対」という波田地教学の根本教学を披露していたので今日はこの「八重の相対」なる軽学を破折しておく。といってもこんなモノとっくの昔に破折されまくっている軽学ではあるがいまだに波田地氏が未練たらしく口にしている事とこの波田地軽学をいまだに使用して正宗を破折しているつもりでいる学会員も多いので改めて嗤っておこうと思う。波田地氏の「八重の相対」というのは大聖人の「五重の相対」の上にさらに波田地氏の提案する、「6.宗創相対7.池創相対8.師弟の道・師弟不二の道相対」という3つを加えたものをいう。まぁ7と8は創価の中の話なので勝手にしてくれということなんだが、創価活動民が使うのは6の「宗創相対」と言うやつである。とその前に波田地氏は動画の中で大聖人の「五重の相対」の種脱相対を「大聖人が本仏であること」なんて説明しているがこれは完全に話のすり替えであることを指摘しておく。五重の相対というのは「教法」の教判であって「教主」の教判ではない。宗教の五綱のなかでは「教を知る」の中の教判なのである。なので「種脱相対」を説明するにあたって「大聖人が本仏である」ということと言う説明は間違っている。勿論「下種仏法の教主」は大聖人であるあることは間違いないが五重の相対の説明としては間違だ。もっとも波田地氏の場合はミスリードするためにわざとこのように話をすり替えたのだろう。なぜなら彼の言う「宗創相対」とは大聖人と大作を相対させているので5番目の「種脱相対」の結論が「大聖人」という「人」でないと話が続かないわけだ。まぁこれだけで波田地軽学がいかにデタラメかわかるというものだ。
さて、問題の「宗創相対」とは何かと言えば、「観心本尊抄」の
◆当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す
この御文を衣文としてさらに日寛上人の文段の
◇答う、折伏に二義あり。一には法体の折伏。謂く「法華折体、破権門理」の如し。蓮祖の修行これなり。二には化儀の折伏。謂く、涅槃経に云く「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持すべし」等云云。仙予国王等これなり。今化儀の折伏に望み、法体の折伏を以て仍摂受と名づくるなり
を傍証に置いて、大作と大聖人は同じ地涌の菩薩だが大作は「折伏」の賢王で大聖人は「摂受」だから「折伏」をする大作の方が偉いというわけである。この両御文の件については過去記事に譲るが、

http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/?preview_entry=&editor=&key=edb442300ea65ad305a50e3ce92b9c4845e5f5d04a4e745fa6152d9d0602f4a1&t=1620094165http://

まずこのオジさんは種脱相対の時に「大聖人が本仏」と説明しておきながらここではいつの間に大聖人が地涌の菩薩になっていて二度目の話のすり替えをしている。ここまで色々と話をすり替えないと成立しないのが波田地軽学の惨めなところなんだが、その上このオジサンは地涌の菩薩に「総別」があることも多分八重の相対を編み出したときには知らなかったのだろうと思われる。知っていれば彼の言う「宗創相対」の義なんて言う者は成立しない。まぁ波田地軽学を使う現役創価民は絶対に分かっていないと思うので説明しておく。日寛上人の「 開目抄下愚記」の中のご指南に、

◇問う、当流口伝に総体の地涌、別体の地涌という。証文は如何。(中略)「或る時は一人に此の四義を具す」とは、即ちこれ総体の地涌なり。当に知るべし、在世はこれ別体の地涌なり、末法はこれ総体の地涌なり。故に「或る時」という。或る時というは、即ち末法を指す。

とある。末法の地涌の菩薩とは総体の地涌であり総体の地涌とは、
◆唯題目の五字なり授与とは上行菩薩に授与するなり之とは妙法蓮華経なり(御義口伝巻下)
◆此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり(三大秘法禀承事)

との御文などにあるように三大秘法を相承さてた日蓮大聖人の事であり当然その本地はご本仏なのである。分かりやすく言うと「総体の地涌」とは「法体である三大秘法」を所持している方を指し日蓮大聖人お一人を言う。対し「別体の地涌」とはあくまでも「本仏」である「総体の地涌」の弟子分であり「別体の地涌」は「法体を所持していない」故に「化義の折伏」なのである。上記の「観心本尊抄」の御文は「総体の地涌」のことを言ってるのではなく「別体の地涌」の事を述べているのである。そもそも「総体の地涌」である大聖人様はすでのその「法体」を三大秘法の大御本尊として御建立されているのだから再び娑婆世界に応身となって生まれてくることはない。というか大御本尊こそ生身の日蓮大聖人であるのだから再誕なんてありえないのである。再誕というのであれば今娑婆世界は「無仏」となってしまうではないか。「地涌の義」の総別も弁えずに。「総体の地涌」(ご本仏)と「別体の地涌」の凡夫を相対することがすでに教学として破たんしているのである。ていうかそもそも「総体の地涌」である大聖人(大御本尊)を捨てた大作や創価民は「地涌の菩薩」ですらないだろう。

◆日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか(諸法実相抄)
◆今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり

との御文をよく読みなさい。大聖人と「同意」であり、大聖人の「流類」の人の事を「地涌の菩薩」というのである。正法護持の僧侶を守るのは「賢王」というのである。大御本尊をすて唯受一人血脈を否定した大作ごときがどこが「地涌の菩薩」であるのか?そしてそんな大作の弟子である波田地氏ごときに大聖人仏法が何たるかなど理解できるはずがないであろう。なにが「八重の相対」だよ。「八重に相当イタイ」のが波田地軽学の実態だ。よく恥ずかしくなくこんな痴論をYouTubeに公開できるなぁと思うが、その厚顔無恥さこそ大作の弟子を名乗る有資格者であろうと察する次第である。


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波田地チャンネル第4弾は「亨師談聴聞記」だって。古っ!

匿名の読者の方がコメント欄に波田地チャンネルのURLを貼り付けて「見てください」と書いてあったので一応観に行ってみたが、動画のタイトルが「宗門・顕正会、大激震の新史料発掘!! 「亨師談聴聞記」 ー堀上人が語った戒壇本尊の真相ー」ってことで既にこの時点で興味を失った。 「亨師談聴聞記」の話題なんて15年以上も前からやってる話で「大激震の新資料」でもなんでもないカビの生えた資料なわけで現実 「亨師談聴聞記」とやらで宗門に大激震なんて全く起きていない(笑)そんな古臭い昔話をいまだにユーチューブでやっているとは完全にネタ不足。まるで昭和の漫才でも聞いているようで波田地氏も相当にヤキが回ったなぁ。 「亨師談聴聞記」というのは昭和26年に堀日亨師の雑談を聞いたものをまとめた文書らしいが(あくまでも創価が言うには)ぶっちゃけ原本も何もない怪文書の類というかむしろお前たちが作ったんだろう!という程度のものである。案の定動画の中でもワープロ打ちされた文書をコピーしただけのものを手に波田地氏がいかにも重要資料のように語っているだけで、そのコピーの元になっている文書を提示してるわけではない。また動画の前半で金原氏の本を持ち上げていたが、波田地氏が言っている「鮮明な戒壇大御本尊の写真(画像)」も当然のことながら示していない。話を戻すが「亨師談聴聞記」なんでいうそれっぽいネーミングをつけた文書の正体は誰が書いたか分からないワープロ打ちされたコピー用紙なのである。普段は御書に対して「それは偽書だから用いない」とか「それは後加文だから用いない」などとこいてるくせに、後加文ですらない怪文書を厚顔無恥にも持ち出してくるとは呆れてモノが言えない。そんなもので我が富士門流法華講を破折するとは笑止千万だ。相変わらずの波田地ロジックのくだらなさに今回も飛ばし飛ばし観たはが(こんな動画を20分もみてたら笑い死にしてしまう)動画の中で波田地氏は法華講は「亨師談聴聞記」の存在を知らないから法論の時にこれを見せれば何もいえなくなるという趣旨の事をいっていたが、法華講が誰も知らないというのはそれこそ「亨師談聴聞記」なる文書が正宗の公式文書ではないということである。そんなものを法論で使えるならこっちだっていくらだって創価の都合の悪いことをワープロで打って文書のテイにして「池田談聴聞記」とネーミングして使えばいい話である。もっともそんなことをしなくても、戸田・池田が「戒壇大御本尊を唯一無二」といい「血脈相承の大事」を指導している創価の公式見解の文書は腐るほどあるから「池田談聴聞記」などという怪文書をわざわざ作成する必要もないがな(笑)仮に原本があって本当に亨師が波田地氏の言うような発言をしていたとしても別に大騒ぎするほどでもないけどな。「亨師談聴聞記」とやらのによればこれは昭和26年の享師の話だそうだが、昭和26年となるとすでに御当代は61世日昇上人だ。享師はすでに御陰尊の身である。つまり法体受持している御当代の発言でもなく享師以下の御歴代もこの発言を追認していない。つまり本当に享師が言われるような発言をしていたとしてもそれは享師の個人的な見解・解釈であり日蓮正宗の公式な見解でもなんでもないとうことだ。とはいえ道理から言っても歴代の上人が大御本尊と血脈相承を貶める発言をされるはずがない。誰が好き好んで自分の立場を貶めるような発言をするだろうか。もしするとしたらその目的は何か?と考えた時、合理的な答えが見つからないわけだ。まぁ)「亨師談聴聞記」を使って法論したければまずこの文書の原本を示してから。出所不明いや自分達でデッチ上げたかもしれぬ文書をつかって破折とは片腹痛い。
◆今経論を以て邪正を直す信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ。(守護国家論)
等の御文の大聖人が言われているように怪文書ではなく御書で破折しなさいよ。波田地チャンネルってほとんど御書の引用がないじゃんwww
さて、動画見て面白かったのは波田地氏曰く「日顕上人は戒壇大御本尊を否定したから偽法主と責めるのある」というクダリだ。確か1本目の動画では「創価の大御本尊と戒壇大御本尊は別物」といってたはずなのに今回の動画でのこの発言と1本目の動画での発言との一貫性はどこにあるのか理解できないのだがそれはさて置き、なるほど創価の「ニセ法主」発言は波田地氏のこの考えが大元となっているというわけだ。無論日顕上人が戒壇大御本尊を否定した事実などどこにもないし今でも法華講は戒壇大御本尊根本の信心をしているのだから大御本尊を否定するような教義など存在しないのは明らかだ。それよりも「戒壇大御本尊を否定したからニセ法主」というロジックならば「戒壇大御本尊」すてた創価は一体何になるのだね?「戒壇大御本尊」をすてた池田と師弟不二と自称しているアナタは一体何の「ニセ」なんだね?まさか自分や大作が正義とはこのロジックであれば言えるはずがないけどど~すんの?(笑)戒壇大御本尊をニセモノ呼ばわりしているお仲間の金原君はどうなの?(笑)
ともあれコレが嘗て「創価最強の論客」「対宗門のスペシャリスト」といわれた波田地氏の実態。完全にメッキが剥がれてみると新報やフェイク・地涌などの与太記事を元に宗門にイチャモンつけてるだけのひと山いくらの無教学創価民と変わらない。攻撃方法も完全にネタバレのマッチポンプ方式。しかも波田地氏が折角編み出したロジックだけ創価に盗まれいまや古巣の創価から攻撃される始末でなんだか淋しいなぁって思うけど自業自得だから仕方ないか。それにしても波田地チャンネルは古いネタばかりで飽きます。「新ネタ」やらないとユーチューバーとして生活できませんよ。波田地さん(笑)


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波田地チャンネルを見てみたが。

創価新報と言えば、元創価新報の記者で平成の宗創問題の時に対宗門の創価教学を考案し大作センセから褒章までもらいながらいまでは仏敵として創価からバッシングされている波田地克利氏。俺は広宣部時代にはその名を聞かなかったがその後その名と主張を知り確かに広宣・教宣で使われている対宗門ロジックは波田地氏の考案した論説が使われている。その波田地氏が昨年ユーチューブに「波田地チャンネル」なるチャンネルを開設してSNSで話題になった。ユーチューバーでひと儲けと思ったのだろうが、チャンネル登録者も再生回数も伸びておらず思惑が外れたかもしれないね。俺も年末年始の休みを利用して全部で3つの動画を見てみたがまぁ内容は現創価執行部批判が大半で俺としてはあまり興味がない分野なので飛ばし飛ばしみていた。俺が聞きたかったのは波田地氏の大聖人仏法に関する法門法義の話だったのが、最初の動画の7分目くらいからの彼の発言を聞いてだいたい察してしまい以降は彼の動画というより彼の教学力に興味を失った次第である。そこで語られていた内容とは概ねこうである。「創価仏法の根本は戸田2代会長の獄中の悟りと大御本尊なのだが戸田会長の言っている大御本尊と大石寺の戒壇の大御本尊は別個のものだ」とこう言う事である。もうこれを聞いた瞬間に波田地氏の教学の底が見えた気がした。氏が言うには創価学会は「創価仏法」というジャンルらしくてその原点は戸田会長の獄中の悟達にあるそうだ。これは誰が聞いても「仏法」ではない。これを「仏法」というならば戸田が仏であることを論証しなければならない。そのためには戸田がいつ・どこで・どんな修行をして仏になったのかという論理歴な論証が必要であるがそんな論証はできるわけない。彼の言う「創価仏法」などという仏法などどこにも存在しないのである。そもそも戸田の獄中の悟達そのものが何を悟達したのか分からない。戸田は「大御本尊とはいったが大石寺の板曼陀羅の戒壇大御本尊とは言っていない」とのことだがそれは至極当然の話である。なぜなら獄中の戸田は大聖人仏法が何たるかをほとんど理解できていない状態だったからだ。戸田が牧口とともに入獄するまでの戸田の信心はどんな状況であったと言えば、師と仰ぐ牧口に付従っていたに過ぎない。その牧口の信心と言えば、最初に常在寺に所属するも教化親の三谷氏と喧嘩別れをして中野教会所(後の昭倫寺)に移籍するもそこでも喧嘩し会員が寺院へ参詣するのを禁止するなどし事実上日蓮正宗と絶縁関係にあった中で戸田は投獄されたわけである。つまり獄中にいた戸田は大聖人仏法の正統たる日蓮正宗とほぼ無縁の状態で大聖人仏法の法門法義の門前をウロチョロしていただけに過ぎない。戸田の獄中の悟達の第1は無量義経の「三十四の非」であり法華経にすら入っていない。第2の悟達の「法華経に説かれる『虚空会の儀式』に参列していたことを悟った」と言う話も「虚空会の儀式」は法華迹門で説かれている話で法華本門にすら入っていない。いかにいわんや文底仏法を戸田は知る由もないのである。要するに獄中及び出所当時の戸田には大聖人仏法の「法体」など微塵も理解できているはずもなく大聖人のご本尊を全て「大御本尊」と思っていたのであろう。それは釈迦仏像等の他宗の本尊と比較して「大本尊」だと思っていた(言ってた)と想像する。まさにこの時の戸田は権実相対レベルで種脱は当然のこと本迹相対ですら怪しいレベルなのである。そんなレベルの戸田の獄中の悟達を創価仏法の根源と言ってるのが波田地氏である。戸田が本当に大聖人仏法の法門法義を理解できるようになったのは、出所後よく御歴代法主の指南を受け正しい大聖人仏法を学んだ後である。獄中の悟達では波田地氏のいうように「大御本尊」と「戒壇大御本尊」の区別がつかなかった戸田ではあるが、その後の戸田は大御本尊といえば大石寺の戒壇大御本尊であるということをよく理解できたようだ。「創価仏法」の仏を仮に戸田だとしよう。「獄中の悟達」とは戸田が発迹顕本するまえの教えなのである。その教えを根源とする波田地教学もまた自己申告通り大聖人仏法ではなく創価仏法なのである。そんな幼稚な教学でよくぞここまでやってこられたと寒心するとともに、これが「あの」波田地氏の教学なのかと落胆した。3本目の動画では波田地教学の目玉である八重の相対の話もしているがそれについてはまた後日触れるとしてまぁ波田地教学には本当にガッカリである。


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顕正会についてチラッと書いてみます。

先月、アートマンさんから顕正会についての質問をもらっていたので
今日は顕正会についてチラッと書きます。
お待たせしてすみませんでした。
顕正会の邪義なんて創価のソレと比べると
謗法レベルも教学レベルも低いので、学会員でも破折できるレベルですけど、
と言っても私が広宣部で法論をした相手の7割方は顕正会ですから
創価よりも折伏活動はしているのも事実です。
なにせ、創価は選挙や新聞啓蒙が忙しく折伏どころじゃないですからね。

さて、顕正会の根本邪義は「国立戒壇論」につきます。
彼等は「国立戒壇建立」を大聖人の御遺命などとのたまわっていますが、
「国立戒壇」という言葉(当然その定義も)は、身延系出身の国柱会の田中智学が言い出した言葉です。
そのころ(明治時代)に一時宗門でも使っていましたが昭和45年に日達上人から

◇明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので本宗でも使用したが、もとより明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は国立戒壇という名称は使用しないことにする

というご指南がありその後使われていません。
浅いセンセと顕正会はこのご指南を指摘して「宗門は御遺命を捨てた」などと戯言をいいますが
田中智学がいいだした話ですから、当然大聖人の御書にもありませんし、
田中智学が言い出したことを大聖人が御遺命にすることは道理の上からもありえないのです。
大聖人の御遺命とは

◆御義口伝に云く大願とは法華弘通なり(御義口伝巻上)

と仰せのとおり大聖人仏法を広宣流布することにつきます。
このような御書に書いていない事をいう顕正会は創価同様に外道に他なりません。

◆「文証無き者は悉く是れ邪偽彼の外道に同じ」(真言見聞)

で、顕正会が「国立戒壇御遺命」論を主張する根拠は、三大秘法抄の

◆戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり

この御文です。この御文をもって現在はまだ「事の戒壇」は存在していない。全て「義の戒壇」である。
なんて幼稚なことをほざいているのが、教学浅井センセですが
顕正会の主張の通りとすると、大聖人は三大秘法のうち「本門戒壇」を残さなかった。ということになります。
つまり顕正会は大聖人は三大秘法を「残していない」と主張してるのと同じなのです。
これは、浅井センセが「法体」と「事相」の違いを理解していないだけです。
この御文は「事相」の辺に約して述べられているわけで、
実際の「法体」としての「事の戒壇」は当然三大秘法として大聖人が残されています。
そもそも「義の戒壇」「事の戒壇」と言っても、コレは一大秘法たる大御本尊から開かれたものであり
大御本尊に備わっているものです。そして一大秘法とは事の一念三千ですから
そこに備わっている戒壇もまた事の戒壇であることは明白です。
そして「事の戒壇」を開いて六秘となしているのであるから
いわゆる「義」の戒壇とは、「事の中の義」であり、「事」と離れた「義」ではないことも当然のことです。
日寛上人の依義判文抄に

◇実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇と為し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かって三大秘法と為すなり。 又本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信有り行有り、故に開して六義と成り、此の六義散じて八万法蔵と成る。

と明確に書かれていますよ。その上で広宣流布の暁にはその「事相」として本門戒壇を建立しなさい。ということです。
しかも、顕正会が良く使う「本門事の戒壇」というのは、「本門寺の戒壇」と完全に混同しています。
「本門寺」というのは、広宣流布の暁に今の大石寺を「本門寺」と名前を変えるわけです。
その「本門寺」の戒壇にご安置されるのが、戒壇大御本尊なわけです。
しかも本門寺の戒壇というのは本堂と別な場所に立てるのではなく、
本門寺の本堂をそのまま戒壇にするのです。
こうなった時が「事相」として広宣流布が達成された時であり、
それを日興門下の僧俗は目指しているわけです。
ただし、「法体」としての戒壇は大御本尊に備わっていますから、
日寛上人の文底秘沈抄に

◇然るに三大秘法の随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り、故に富士山は即ち法身の四処なり、是れ則ち法妙なるが故に人尊く、人尊きが故に処尊しとは是れなり。

とあるように、現時点では大石寺が本門の戒壇となります。(もちろん事の戒壇です)

それに顕正会や創価には大聖人仏法の御遺命を遂行する義務もなければ権利もありません。
身延相承書には

◆日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば 富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり

とあります。大聖人の全ての弘法は日興上人に附属(任された)のですから
「国立戒壇」と呼ぼうと「本門寺の戒壇」と呼ぼうと
「事相」の戒壇を建立する義務と権利があるのは日興門下だけです。
故に顕正会や創価のやっていることは、
大聖人の御遺命でもなんでもないどころか御遺命に違反している行為です。

さらに言えば顕正会が仮に「国立戒壇」を建設したとしても、
今度はその戒壇にご安置する本尊がありません。
広宣流布の暁に「本門寺の戒壇」にご安置する御本尊とは

◆日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり(百六箇抄)

◇日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊は日目に之これを相伝す、本門寺に懸け奉るべし(日興跡条条事)

◇嫡嫡相承の曼荼羅とは本門戒壇本尊の御事なり(文底秘沈抄)

これらの御文から弘安二年の戒壇大御本尊であることは明らかです。
顕正会や創価に弘安二年の大御本尊がありますか?ないでしょ?
だから、天皇を折伏して国会で承認されスゲー建物を建てて本門寺と名乗っても
肝心な弘安二年の大御本尊をご安置できないので、
顕正会風にいうところの「事の戒壇」は100%完成しないのです。
100%無理なことをいくらなんでも大聖人が御遺命するはずありませんから
結局は、顕正会の言っている事は全て大聖人とは無関係なわけですね。

とまぁ~顕正会の与太話についてはいくらでも嗤うことができますが
顕正会員さんも創価同様に、邪法の人師に誑かされているわけです。
浅井センセの教学力なんてほんとうに大作センセといい勝負ですから(笑)
まぁ、大作センセの方が詐欺師としては大物ですかね。
どうせ騙されるなら、浅井程度の小物より大作センセに騙されたほうが箔がつくかもしれません。
どっちにしても、学会員さん同様に顕正会員さんもお早めに退会したほうがいいですよ。


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ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
自分が知らないうちに誰かに退会届を提出されていて「いつの間にか退会」になっていた(旧)創価学会員。麗しき創価の同志に勝手に創価を退会させていただき折角なので戒壇大御本尊を捨てた大謗法の池田創価から日蓮正宗に戻りました。本サイトは池田創価の風聞・風説を基にした批判ではなく、日蓮大聖人の法門・法義を中心に大謗法の池田創価を筆頭に異流儀を破折するとともに、日蓮大聖人の仏法の正法・正義を書き綴っています。

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