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日顕上人の書籍

早いもので今日は日顕上人の一周忌です。午前中に菩提寺に参詣しご住職と唱題をしてきました。本山では一周忌を前に昨年のご遷化の時と同様に富士山にはつるし雲がかかり境内には桜の花が咲いたようです。創価と平成の法難を闘われた日顕上人のご威徳と感じてます。創価男子部時代に日顕上人に散々罵詈雑言を吐いてた私としては不徳に恥じ入るばかりです。さて私は創価組織を追放されたから日寛上人を始めとする歴代上人の書籍で大聖人仏法を学んできたけど日顕上人の書籍だけは読みませんでした。創価に籍を置いていたからというのもあるけど自分が散々日顕上人を否定してきたらという理由が大きかったと思います。数年前、勧戒を受け正式に法華講になってからようやく日顕上人の書籍を手にするに至りそれから数冊日顕上人の書籍を購入して読みました。因みに現在は「百六箇種脱対見拝述記」を少しずつ読んでいるけど、まだ1回目なのでメチャクチャ難しい。「百六箇抄」そのものが相伝書なので難解なんですけど。そういえば昔、「全然、またあの難しい教義を聞いたって解んないもの。誰も解んねぇ。ドイツ語聞いているみたいでね。それで『俺偉いんだ。お前ども、信徒ども、信者、信者』そんなのありませんよ。この時代に、ね。時代とともに歩まなきゃいけませんよ」(太字が池田発言)という日顕上人をはじめとするご僧侶の法話を腐す池田スピーチがありました。どうやら池田は正宗の教義がドイツ語みたいで分からなかったようです(笑)彼の教学力であればさもありなんと思います。さて、私が一番最初に読んだ日顕上人の書籍は「三大秘法義」です。
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比較的分かりやすく1度目はスラスラ読めるのですが2度3度読むにつれて深くて難しくなっていきました。だから何度も読み今も時折読んでます。そしてようやく少しづつ理解できるようになりました。いままで分かっていなかったことが分かった時の喜び。これこそが教学の醍醐味ですね。何が言いたいのかというと難しい教義を聞いて分からないで済ますのは信仰者ではないしましてや指導者としては失格だということです。最初は分からなくて当然でそれを「分かろうと努力する」のが信心だという事です。ドイツ語だって分かろうと必死に努力すれば分かるようになるのです。それを「誰も解んねぇ」なんて指導する池田に信仰者としてまた指導者としての資質はない断言します。「最初は分からないかもしれないが探求する努力をしなさい」というのが「指導」でしょう。こんな人間が永遠の指導者なのですから創価民は永遠に大聖人仏法の教義は分からないのでしょうねぇ。「解んねぇ」のはオマエとオマエ弟子達だけだよって感じです。(笑)そんな池田が時代と共に歩んだ誰でも分かる教義の一例が、「私たちは日々、勤行・唱題で、大宇宙の究極の法則に合致し、無限の生命力を涌現できる。」というようなモノ。は?これは何でしょう?こんなことも言ってます「勤行・唱題は、小宇宙である自分自身を、大宇宙の根本のリズムに合致させゆく崇高な儀式である。」一体何の話をしているでしょうか?「聖闘士星矢」の話ですかね(笑)これが時代に合致した誰もがわかる【教義】の話ですか?日顕上人の法義がドイツ語ならこの池田指導はさしずめ宇宙語でしょうか?地球上の人類が使う言語であればドイツ語でもタガログ語でも努力次第で理解できるようになりますが、地上にない宇宙語ではそれこそ「誰も分かんねぇ」です。もっとも創価民はこれで大聖人仏法の教義が分かるのでしょうからこれは「創価語」ですね。創価民にしか分からない。この時代にね(笑)譬喩というのはその本体を理解できていて初めて使える代物ですが、池田のような無信心で無教学の人間が譬喩を使うと「何を何に例えているのか」さっぱり分かんねぇのです。大宇宙のリズムってなんですか?大宇宙のリズムに合わせると幸福になるんですか?そもそも大聖人仏法の教義を「解んねぇ」って言っているヤツが譬喩使ったらもう本当に何が何だかわかりません。これが時代に即した誰もが理解できる勤行・唱題の意義とは噴飯ものですね。話は横道にそれましたが日顕上人の書籍を数冊読んで感じたのは、当たり前の話ですが池田の教学などとは雲泥の差があるという事と創価民は「日顕宗」などと悪宣伝していますがに日顕上人が語る法門法義は歴代上人との間に何ら齟齬はないという事ですね。血脈付法の「力」をまざまざと感じます。というわけで、日顕上人の一周忌を偲び今日は日顕上人の書籍の話を書かせてもらいました。


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御報恩御講と座談会。

今週末は月に一度の御講があります。私が法華講になったばかりの頃は創価感覚がまだ抜けていなくて御講は創価の座談会と同じような感覚で「行けるときだけ参加すればいいや」と思っていました。実際に最初の頃は御講に参加しないこともありました。御講でやることは勤行・唱題をしてご住職の法話を聞くだけで、創価の座談会のようにこっぱづかしい歌もなければ勇ましい活動報告などの催しはありません。勤行をして法話を聞くだけなら別に参加してもしなくても大丈夫だろうという感覚だったんですね。でもある日何がきっかけだかは忘れたけど御講にはちゃんと参加しなければ創価の座談会とは違うんだと思い改めそれからは毎月の御講に参詣できるようになりました。「御講は創価の会合と違って御報恩の為に催されるものだ」と気づいたわけです。最初から気づけよと思いますがまぁとにかく途中で気づいたわけです。御講に参詣しご住職と共に勤行唱題をしご住職の御書講義(法話)を聞く。それらは単なるプログラムではなく全てが大聖人様に対する報恩感謝でありご供養であるわけです。それ故に御講への参詣は功徳もある。これは創価の座談会というイベントとは全く異なる集まりだということです。創価の座談会に「報恩感謝の念」で参加している創価民なんて誰一人として聞いたことありません。創価の座談会はつまり単なる会員内部のイベントですから参加してもしなくてもいいわけです。もっといえば面白ければ行けばいいしつまらなかければ行かなきゃいいレベルなんですよね。だから創価幹部側は「面白いイベント」を目指すわけです。でも御講は違います。特別なイベントはありません。「報恩感謝」のご供養ですから、面白いとかつまらないとかそういう類のものではないわけです。私が折伏した元男子部の友人がご住職の御書の法話に「今日の御書の所は知っている。聞かなくても分かっている」と言ったことがありますが、法話を聞くのも「知っているとか、知らないとか」ではなく、その法話を聴聞するところに意義があり功徳があるわけです。
◆法師品には「人有りて八十億劫の間無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも法華経を説かん僧を供養して後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば我れ大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり(松野殿御返事)
との大聖人のご聖訓に書かれている通りです。とかく私を含め元創価はなかなか創価時代の感覚が抜けなくてダメな部分が多いですが私の折伏した元創価男部の面々もまだ創価臭が抜け切れていない部分もありますが御講に参詣するようになってきました。さて、御講参詣というと元法華講員や現役法華講また創価の連中が「御講に強制参加させられる」などという発言をする人もいますがこの言い方もいかにも創価っぽい
。でも現実に「御講に来い」としつこい法華講の活動家?さんもいるのでしょうが、それもまた創価感覚が抜けていないのだろうと思います。ただお寺に参詣するように促すだけでは創価の活動家と同じですから気を付けないといけないと思います。「お寺に来れば功徳がある」「御講に参加するのが法華講の信心」それは正しいのでしょうがやはり御講の意義をしっかりと話し、何故参詣に功徳がるのかということを話さないと単なる結集の為の人集めにしか思われません。私は法華講の活動家ではありませんが、自分が折伏した人達には何事においても「意義」や「理由」を説明するように心がけています。もちろん御講に限らず化義に関してはただ教える・伝えるのではなく、化法(法門・法義)に即して正しく説明することが大切だと思います。それが出来ないのが創価であり、やらないのが創価感覚です。ともあれ今月も御講に参詣しご供養させていただき、大聖人にこの1か月間の様々な出来事を報告し次の御講までも目標や決意そして願い事をしてこようと思ってます。今の私にとって御講は報恩感謝のご供養の勿論だけど、1カ月に一度、大聖人に正式に色々なことを報告する日でもあるので御講日は楽しみでもあります。創価時代の座談会とはダンチなんですよね。


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寝言丸さんのお母様が勧戒を受けられました。

本日、本ブログの読者である寝言丸さんのお母様が勧戒を受けられたと先ほど寝言丸さんから連絡を頂きました。寝言丸さんは昨年秋に勧戒を受けその折には私も同席させていただきましたが、当時からご両親のことも気にかけられていました。先ずはお母様が勧戒を受けられたということで私も本当に嬉しいです。おめでとうございます!寝言丸さんのお母様は聖教新聞の配達を長くされていた純真な信心の持ち主の方です。梵我一如さんなどもそうですが個人的には聖教新聞の配達をするいわゆる「無冠の友」の学会員さんを創価時代から一番尊敬しています。アレだけは本当に純真な信心がなければ絶対にできないと思っています。そんな純真な信心を持っている方が創価という間違ったモノ・・いや謗法を信じ込まされている事には憤りを感じていますので今回の寝言丸さんのお母様の勧戒は殊の外嬉しいですね。これもひとえに寝言丸さんの信心が純真で強盛だからこその結果です。私は母を自分がまだ創価民の時に正宗に移籍させましたが、身内の折伏というのは近しいだけに一番難しいと思っています。私も母は素直に正宗に移籍したくれたものの、嫁や兄弟は折に触れて話すもののなかなか御受戒・勧戒という話になりません。私の心のどこかに「親族は後回し」「親族は面倒くさい」「親族は時間がかかる」といったような先入観や怠慢な気持ちがあるのでしょうね。しかしこのような報告をいただくと「これではイカン」と反省します。家族・親族を正法正義に導かなくては今世で家族・親族になった意味がありません。確かに家族・親族に一人でも正法を持つ人間がいれば救われるかも知れませんがだからといってそれに甘えて家族に対する折伏を疎かにしてはダメですね。時間をかけてでも祈り折伏していかねばと寝言丸さんの報告を聞いて決意も新たになりました。素敵な報告をありがとうございました。寝言丸さんは次はお父様ですね。私も負けないよう頑張りますね。寝言丸家皆さんと総本山で再開できる日を楽しみにしています。とにかく本当におめでとうございました!心からお祝い申し上げます!


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大石寺へ登山してきました。

一昨日、創価男子部時代からの仲間と地区長さんの5人で大石寺への登山をしてきました。1月に支部登山に参加して以来の登山です。やっぱりいいですね~。総本山は。今回も創価新報さんが言うような野犬の群れにもペンペン草にも遭遇できませんでした。大石寺のどこに「野犬スポット」「ペンペン草スポット」があるのか是非創価新報さんの方に聞きたい。きっと彼らしか知らない隠れスポットがあるのでしょう(笑)それはさて置き御開扉では戒壇大御本尊様に、自分の事は当然ですがコロナの終息、そして本ブログの読者の皆様の幸福・健康などもご祈念させていただきました。正宗では昔から「毎日仏壇、月にはお寺、年に一度は大石寺」と言われているそうですが年に一度と言わずに数度は登山したいと改めて思った次第です。
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御開扉終了後。奉安殿の前で記念撮影。どれが私かはご想像にお任せします(ヒント:一番男前)
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帰宅時間に余裕が有ったので五重の塔に。
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この五重の塔の近くに創価学会の戸田2代会長のお墓があるので戸田会長の墓参をしてきました。墓前には樒も飾られいます。創価学会員は師弟不二の池田センセを筆頭に「謗法の地にある戸田家の墓」なんかお参りに来ないでしょうから、この樒などは正宗の僧俗がお供えしているのでしょうね~。自分達の師匠の墓参をしてくれる正宗の僧俗に対して「日顕宗」などという蔑称で呼ぶ学会員はつくづく「人としてクズ」だと私は思いますけどね。たまには戸田会長の墓参くらいしようという心が学会員にはないのでしょう。仏法者が聞いて呆れます。
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書籍も数冊買ってきました。書籍は大日蓮出版と暁鐘ショップでは売っている書籍が違うので書籍を買う時は両方のお店に行った方がいいですよ。(お樒も買ってきました)
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三門はまだ工事中。早く工事が完了した姿が見たいです。

そんなわけで無事登山し御開扉を頂き帰ってきました。今度は秋かなぁ。できれば年内あと2回くらい登山したいと思っています。次回行くときも事前告知するつもりですので、もし同日に登山を予定している読者の方がいましたらお会いしましょうね(因みに多分平日です)


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大謗法の地と創価が言ってる大石寺への登山します。

先日大石寺への添書登山の申し込みをお寺でしてきた。今回は男子部時代に同じ支部だったS・U・O君の三人といつものように引率で地区長さん(引率と言うか無理やりついてくるんだけど)の5人で8月3日の月曜日に登山する予定だ。今年の1月に支部登山に参加して以来の登山でいまから戒壇大御本尊様にお会いするのが楽しみです。さて創価民達は大石寺を「大謗法の地」などと言っているが彼らは一体何を根拠に大石寺を大謗法の地と呼んでいるのか?戒壇大御本尊様を捨てた理由として大石寺が大謗法の地だからというのが創価大本営発表だが大石寺が大謗法の地であるという説明が全くないので言っている本人達も説明できなくてただ「大謗法の地」と喚いてるだけ。大聖人の色心二法である戒壇大御本尊のまします大石寺が謗法の地になることはない。ご聖訓に、

◆日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか(四条金吾殿御消息)
◆日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ(崇峻天皇御書)
◆教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所喉は誕生の処口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なればいかでか霊山浄土に劣るべき(南条殿御返事)

とあるように大聖人がおられる「場所」は大謗法の地どころか「仏国土」「寂光土」なのである。それは「依正不二」「一念三千」の法理から言っても当然の話だ。地獄に仏が行けばそこは「地獄ではなく仏土」なのである。大御本尊がまします大石寺を大謗法の地など誹謗するのは戒壇大御本尊を「大謗法の本尊」と誹謗しているのと同じことだ。しかも創価民は大御本尊も【本門の本尊】と認めているのにだ。【本門の本尊】とは人法一箇の正しい本尊であるという意味だろうから創価の言う「大謗法の地(大石寺)の大御本尊は受持しない」という説明は全く矛盾した詭弁にしかすぎない。大石寺が大謗法ならその地にある本尊は大謗法の本尊という事になる。大謗法の本尊は「本門の本尊」とは呼ばないから戒壇大御本尊を「本門の本尊」と認めるのはおかしな話だ。こんな簡単な理屈すらもわからずに大石寺を大謗法の地などと呼び大御本尊を誹謗していることに気が付かない創価民は本当に哀れの極みだ。創価民のいう「日顕宗」なるものが存在しないのと同様に「大謗法の地・大石寺」なんて場所は大聖人仏法の法義に照らして現実的にはどこにも存在しないのである。それが存在している場所は静岡県富士宮市ではなく創価民の心の中だ。

◆衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり(一生成仏抄)

穢れた信心の創価民の心に中に「大謗法の地」は存在している。大石寺が大謗法の地なのでなく、邪教徒となった創価民がいるその場所が「大謗法の地」である。もちろんそんな大謗法の地にある本尊(風カラコピ掛け軸)は大謗法の本尊である。どんなに創価が屁理屈をこねようとも戒壇大御本尊にお目通りすることは幸甚なことであり、お目通りできる法華講員と出来ない創価民とでは雲泥の差でまさに天国と地獄・・もとい仏界と地獄界の違いである。そんなわけで俺は来月登山して日蓮大聖人様にお会いしてくる。「謗法の地なんて行く気にもならないね」「大御本尊にお目通りしなくたって成仏できる」などと言う創価民さんの負け惜しみと羨望の言葉が実に心地よい。まぁ心配せんでもとりあえずキミ達創価民が一人でも多く戒壇大御本尊様にお目通りできるようにご祈念してきてあげるので感謝してくれよ(笑)ところで8月3日に登山する読者の方いますかね?平日だからいないかな。もしいたらお山でお会いしましょう。


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ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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