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【告知】5月11日に登山します!

今月の5月11日に登山します。読者の皆さんの中で同日に登山を予定していてダメだし管理人のツラでも見てやろうじゃね~か。という奇特な方がいらっしゃいましたら是非ご挨拶させてください。当ブログの非公開コメントまたは私のツイッターのDMにコメントください。メアドなど教えていただければそちらにメールなど致します。


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法華講員の育成

私の所属寺院で「地区編成」をするそうです。なるべく住んでいる地域ごとに地区を再編成するらしいです。創価式のいわゆる「横線」って感じなんでしょうかね。まぁ個人的には特に影響もないのですが地区編成の理由を地区長さんに尋ねたら「折伏・育成」の強化?らしいです。他の寺院でそれで成果を上げているようなのでそれに倣ったようです。いいと思った事は真似るのも大切な事ですね。「育成」というと私的にはやはり「教学」だと思います。創価活動家時代の体験に基づいてそう思うんですけどね。私が創価の会合・活動に参加し始めた時に感じたのが「日縁大聖人の信心が知りたいのに教えてくれない」ということでした。学会活動の事や池田センセのことは手取り足取り教えてくれるのですが肝心の大聖人の仏法を教えてくれないわけですよ。任用試験を受験するときにようやく大聖人仏法のことが学べたっていう感じでした。そこで私は自分が幹部と呼ばれるようになり会合を企画できる立場になった時に、教学中心の会合にしました。部活はほとんど教学。そして地区リーダーや活動家には、「部員さんに最初に教えることは学会活動のやりかたではなくて大聖人の仏法だそ」といつも言ってました。結果は会合や活動に参加するメンバーが2倍3倍と増えていきました。そんな経験から私は「育成は教学にあり」というのが持論なわけです。確かに会合に来たり活動に参加したりする人数が増えるのは活動者側からすれば「目に見える結果」なんですけど、そればかりを追っていくと方法論に走ってしまって本当に育成にはならないと思います。育成っていうのはその人を一人の信仰者として自立させることであって単純に活動家を増やすということではないと思います。正しい信心を教えないと多くの創価民が退転したようにイザというときに信仰が役に立たなくなります。自立した信仰者とは法華講員でいうと、五座三座から始まって、御講への参詣・登山・ご供養そして折伏を自主的にしていける人が自立した信仰者なわけです。そのためにはどうしたらいいかといえばこれはもう理屈で分からせるしかないと思うわけです。確かに信心は理屈ではありませんし行動がなければ本当の信心とはいえませんけど、それは既にある程度信心の基礎がある人がいうセリフで自分が何をしているのか分かっていない状況で「勤行」「参詣」「折伏」っていわれても出来るはずもないし面白いわけもない。だから最初にやるべきことは「教学」だと思うわけです。私が正宗に移籍して法華講員さんと触れ合って感じたのは、信心に対する行体が素晴らしいということです。学会員の御本尊や仏具等に対する扱いとはと雲泥の差で驚くともに素晴らしいなぁって感じ自分も学会時代とは比べものにならないくらいお給仕等の行体が改善されました。一方で教学という部分では創価の方が歩があるなぁと感じたのも事実です。法華講には教学試験がないから仕方のでしょうが、難しい法門法義ではなく基礎教学の部分を知らない人が創価に比べると多いと思いました。もちろんそんな事知らなくても正しい信心はできますが、「折伏」や「育成」をしていくのであれば「教学」は絶対に必要だと思いますし今の法華講員さんに更に教学が身についたら「鬼に金棒」です。「学」というと創価でも法華講でもそうですが何となく重要性が低いように思われがちなのですが、行学の二道は一体です。あえて分けて言うなら、「行」は正行で「学」は助行ですかね。そして「行」と同様に「学」にも自行化他があります。自分の信心を強めたり退転しないための教学は自行の学で、折伏・破折、育成など相手を説得しコンセンサス得るための教学が化他の学です。この自行化他の学は行と一体の学であり行学の二道は不二だと思っています。逆に言えば、自行化他に属さず「行」と一体にならない「学」は「教学」とは言いません。そのような「知識」はトリビア=つまらない豆知識ですからそれこそ不要です。話がそれましたが育成の根本は教学にあると思います。ネット等をみていると折伏が出来ている寺院の法華講員さんは他の寺院の法華講員さんより教学を勉強しているなぁと感じます。また教学が分かってくると信心も楽しくなってきます。仕事だって新入社員で何も分からず言われたことをこなすよりも、仕事が分かってきたて自主的にできるようになった方が楽しいですからね。何でもそうですが「分からないことをやる」ことほど退屈な作業はありません。創価の選挙活動なんてまさに「つまらなさの極致」でしたね(笑)そんなわけで個人的な意見としてはまずは地区長さんとかの活動している法華講員さんから教学力をつけていく事が育成につながるのかなぁと思っています。と他人事のように書いてしましたが、私も自分の折伏した人達を育成し多少なりとも所属寺院ひいては大聖人の力になれるよう尽力したいと思っています。


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歴代法主全書と日蓮正宗聖典

先月、とうとう「歴代法主全書」を購入しました。
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ずっと欲しかったのですが、いかんせん10万円超でなかなか踏ん切りがつかずにいましたが先月、10万円を切った値段で売っていたので思い切って買ってしまいました(汗)汎用性はそれほど高くはありませんし高額なので迷ったんですけどずっと欲しかったの書籍だったので妻に「カード使いすぎ」と注意されながらも入手した良かったです。現在少しずつ読んでいるところです。また先月はもう1冊「日蓮正宗聖典」も購入しました。
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これも欲しかったのですが、当ブログの読者の古刹信徒さんから宗祖御生誕800年の記念行事として再刊されたと教えてもらい、こちらは即決で購入しました。いままでずっと中古を見ていたのでそれが再刊なら速攻購入ですよね。中古を買わずに良かったです。この「日蓮正宗聖典」は法主全書とは逆に実に汎用性の高い書籍です。法華経や重要御書、六巻抄に化義抄などなど、大聖人仏法で学ぶべき全てのテキストがこの1冊に収録されています。創価や顕正会との対論もこれ1冊でOKですね。解説書ではないので解説は掲載されていませんが、この聖典に収録されている各抄を研鑽すれば大聖人の仏法は完璧です。ていうかこの1冊を研鑽するだけで一生涯他の書籍は学ばなくてもいいというか、この書籍を学ぶだけで一生が終わってしまう。という感じの書籍が「聖典」です。これが5,500円ですからこれはお値打ちだと思います。今の時代は、紙の本よりデータが主流ですけど私は「紙の本」が好きなんですよね。昭和のアナログ人間だからということもあるんですけど、私は「書き込み派」なんですよ。本はキレイに読みたという人も多いでしょうけど私の場合は「書き込んで汚しちゃう」派なんです。蛍光ペンとシャーペンを持ちながら本を読み進めて行って気づいたことがあったらその場で本にマーカー引いて書き込みしちゃうんです。だから御書でもなんでも、マーカーの線と書き込みで一杯になっちゃうわけで本としての価値は下がる一方なんです(笑)初信の頃は御書でも分からない語句だらけで、語句の意味とかの説明を書き込んでいましたが、いまは分からない語句もほぼ無くなったので書き込みは主に自分の思ったことなんですけど、昔の書き込みとか見ると「ああ、この頃はこれが分からなかったんだなぁ」って懐かしくなります。また書き込みがある事で忘れていたことも思い出したりもします。これはPCデータではできない書籍のいいところです。登山した時も必ず2~3冊は仕入れてきますので書籍がどんどん増えていきます(笑)信心をしない人からみたらタダの不用品ですよね。でも、いつか私の一族の中から私の買い求めた書籍を重宝がって読んでくれるヤツが現れることを秘かに期待しています。そんなわけで今後もチョイチョイ書籍のご紹介をしていきたいと思っています。


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今度はS君の妹さんと甥っ子が創価から正宗へ移籍した。

1月末に幼馴染の友人への折伏が成就したS君が、今度は妹さんのEさんとその次男で甥っ子のR君への折伏が成就し先週末の勧戒&ご受戒とまりました。S君とは創価男子部時代に知り合って長い付き合いで妹のEさんやその子供たちも顔見知りで私も勧戒式へ同席しました。

前回のS君の折伏の記事はこちら⇒S君の友人が創価から正宗へ移籍。

妹EさんもS君同様に福子の2世でR君は学会3世ということになりますが今回S君の念願が叶いついに創価脱会からの正宗移籍です。Eさんの自宅の御本尊はお母様が下付していただいた日達上人書写の御本尊です。EさんとR君が大御本尊も許に戻って、亡きご両親も、そし日達上人もさぞお喜びのことだと思います。勧戒式のあと夕方から20時まで食事がてら皆で行きつけの居酒屋で飲みました。妹のEさんは学会活動はしていなかったようですが創価インチキ勤行はしているようで、今度は五座三座になるから最初は大変だろうけど大丈夫との事でした。正宗のご観念文と創価のご祈念文とは違うよというような話をしたり大御本尊の話したり楽しく飲めました。これでまた「創価マイナス2・正宗プラス2」ですね~。創価の連中は正宗・法華講への根拠なき誹謗中傷してはしゃいでますけど、そんな事した所で、正宗から創価へ移る人間なんて僅かしかいないだろうし(少なくても私の周辺には一人もいない)創価から正宗へ移籍する会員を引き留めることもできない。それが現実なんですよね。コチラとしては今の創価活動家は愚者が多いので大助かりです(笑)もっとも私としては別に創価と何かを争っているわけじゃありません。ただこうして大謗法集団の創価から抜け出し尚且つ大御本尊の許に戻る人が増えるのが嬉しいだけです。ましてやそれが自分の良く知っている人なら尚更です。この喜びが自分の信心にも繋がっていきます。「歓喜の中の大歓喜」です。さてS君は引き続きもう一人の甥っ子君や友人の折伏成就に向けて前進しています。私も今年はまだ弟しか折伏していないのでS君に負けないように、しっかり祈っていきたいと思います。


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勤行・唱題は総体の修行という話。

以前の記事に「勤行・唱題は総体の修行です」と書きましたが、今日はその話をしたいと思います。「総体の受持・別体の受持」とかいう小難しい話しじゃなくてもっと身近な話です。私達法華講員の修行と言ったら、「勤行唱題・折伏・ご供養・登山(参詣)」ですが、勤行唱題には折伏・ご供養・登山(参詣)の意義がすべて含まれています。私は勤行唱題は総体の修行であり、折伏・ご供養・登山(参詣)は別体の修行と捉えています。ですから勤行唱題は基本中の基本だと思っています。どういうことかといえば、まず折伏ですが、日寛上人の「如説修行抄」文段の中のご指南に、
◆常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり。故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底下種・事の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり。
とあります。数珠を手にかけ御本尊に向かい、戒壇大御本尊(法華本門の本尊)を念じ勤行唱題をしている時は、我が身の身口意の三業を折伏しているのです。他者に向かって折伏をするのに自分自身が謗法であっては折伏成就などするわけありません。折伏成就の第一歩は自分自身への折伏であり、それが勤行唱題ですから勤行唱題は「折伏」の修行なのです。

次の同じく日寛上人の「妙法曼荼羅供養抄」の文段の中に、
◆心に本尊を信ずるは意業供養なり。口に妙法を唱うるは口業供養なり。身に曼陀羅を礼するは身業供養なり
とのご指南があります。大御本尊を信じ、御本尊に向かい勤行唱題を申しあげることは、全て身口意三業でご本仏日蓮大聖人へのご供養になるのです。いわゆる「法供養」というご供養です。ご供養したくても金銭的に苦しい時もありご供養できない自分を恥じ入ることも有るかもしれませんが決して恥じることはありません。日々の勤行・唱題は立派なご供養になっているのです。

そして最後に登山(参詣)ですが。これは大聖人の御書の中に、
◆我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し(最蓮房御返事)
との御妙判の通りです。ここでは「天竺の霊山」とありますが、末法の霊山・寂光土とはご本仏・日蓮大聖人=戒壇大御本尊のおわします大石寺です。私達が勤行唱題をしているその時は、まさに一歩も動かずして戒壇大御本尊の許へ参詣しているのと同じなんですね。ちゃんと勤行唱題をしていれば、毎日朝晩2回私達は登山(参詣)をしていることになるのです。このように勤行・唱題の修行には、「折伏・ご供養・登山(参詣)」の全ての修行の意義が備わっています。創価時代にもよく聞いた話ですが「自分はいま祈ることがないのであまり題目があがらない」などという人がいます。悩みや目標がないから題目が上がらないという人は勤行・唱題が総体の修行だと分かっていない人なんですね。自分の「お願いばかり」してるだけなんです。苦しいときの神頼みと変わりません。それは大聖人の仏法ではないですね。もちろん、悩みや目標があればいくらでもお願いしてもいいです。でも「祈ることが無いから唱題が上がらない」というのは間違いです。そうい時は、1篇の唱題がご供養になっている、登山になっている。折伏になっていると思って勤行・唱題をするのです。勤行・唱題するときに「今から参詣するわ」「今から折伏するわ」「いまからご供養するわ」っていう気持ちで自宅の御仏壇の前に座ると勤行・唱題も楽しくなり、むしろ時間があるのに唱題しないのは勿体ないって思うようになりますよ。これは私の経験上の話ですけど多分みなさんもそう思うようになると思います。そんなわけで勤行・唱題は総体の修行であるという話をしましたが、勤行・唱題の総体の修行をしてれば、折伏・ご供養・登山(参詣)は免除になる(笑)なんてズルい考えはダメですよ。別体の修行も出来る限り頑張ってください。その上で「登山できない」「折伏できない」「ご供養できない」状況にあっても勤行・唱題の総体の修行を実践すれば必ず登山も折伏もご供養もできるような境涯になりますから別体の修行が今できなくても卑屈になる必要はないということです。
◆かならず、かならず身のまづしきことをなげくべからず。ただ信心のまづしき事をなげくべけれ(日寛上人・松任治兵衛殿御返事)


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
自分が知らないうちに誰かに退会届を提出されていて「いつの間にか退会」になっていた(旧)創価学会員。麗しき創価の同志に勝手に創価を退会させていただき折角なので戒壇大御本尊を捨てた大謗法の池田創価から日蓮正宗に戻りました。本サイトは池田創価の風聞・風説を基にした批判ではなく、日蓮大聖人の法門・法義を中心に大謗法の池田創価を筆頭に異流儀を破折するとともに、日蓮大聖人の仏法の正法・正義を書き綴っています。

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当サイトは個人のブログですので、宗教法人日蓮正宗とは無関係であり日蓮正宗の公式見解ではありません。また当サイトは日蓮正宗への勧誘を目的とするサイトではありませんが、創価学会・顕正会からの脱会や日蓮正宗への移籍のご希望があれば可能な限りにおいてサポートいたします。非公開コメントよりご相談ください。
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