こいつらと来た日にゃ

先日地元の男子部時代からの付き合いのある
地元の活動家夫妻とメシを食った時の話。
折伏の事で半年近くモメていることがあるらしい。
なんでも知り合いの他県の人が入会を希望していらしい。
最初はその人(Aさん)をこちらの組織で本流して
こちらの組織の所属する。という話だったが
Aさんが遠方であることからそれは不可となり
それではというとこで、Aさんの在住している組織で本流して
Aさんの在住している組織に在籍する。という話になったのだが
それではAさんが全然知らない人が紹介者になるのがイヤだということ。
そこで折衷案として、こちらの組織で本流して
Aさんの在住する組織に在籍をする。
という話になったら、今度は向こうの組織が拒否。
とまぁそんな具合で、半年たったいまでもAさんは未入会のままらしい。
何度かむこうとこっちの組織の長が話し合ったがお互い譲らず平行線だそうだ。

要は、こっちの組織からすれば本流という「成果」だけをいただいてあとは向こうに押し付けたい。
向こうの組織からすれば「成果」もないのに統監だけ回されても困る。
結局そういう話。
まったくコイツらと来た日にゃ・・
もはやAさんが信心をして幸福なる。なんていうのは二の次で
自分たち(幹部達)の都合というかなんというか。
「成果」を取り合っているだけで醜いったらありゃしない。
聞いているだけで気持ち悪い。
本来は入会するAさんがいいようにすればいい話。
こっちの組織で本流してこっちの組織で受け入れる。
そして育成したのちに相手の組織に統監を送ればいいだけじゃん。
それを遠距離だからこちらの組織で受け入れるのは無理。っていう方がどうかしている。
受け入れないならAさんに事情を説明して向こうで入会して向こうの組織に在籍してもらうように言えばいい。
もっとも向こうも向こうで、自分たちが本流をしていない人間じゃないから受け入れないってどいう言事?
まぁどっちもどっちだな。
自分で折伏したことのない人間が幹部になるとどうしてもこうなるよな。
こっちの組織の本部長ってのは男子部時代から知っているが
折伏を決めるどころか、端から折伏戦を放棄していた副部長さん
それが本部長なんだから。
まぁ相手側の幹部っても推して知るべしだ。
いまどき創価に入りたい。なんていう奇特な方がいらっしゃるのに
お互いの組織の「成果」とか「メンツ」とかばかりで
半年も入会させずに保留にしておくなんていい根性してるよね。
これで分かるように創価の幹部や組織は
会員のことなんてこれっぽっちの考えてないんだよ。
自分たちの「成績」と「保身」で頭の中がいっぱい。
創価の中で「成績」だして
「保身」を図って
何になるのか?
何を得るのか?
おれにはサッパリ理解できないが
彼らのように創価の中でしか生きられない人たちにとっては
重要事項なんだろうね。

ところで、その友人の活動家夫妻には
最初から組織同士でモメているこんな創価に入会させていいのか?
本当にAさんの幸福を願っているのなら
こっちでも向こうでもいいから正宗寺院に連れて行って
ご受戒を受けさせて大聖人の許へ導いてあげるべきだろう。
と言ったがさすがにそれに対しては返答はなかった。
大御本尊を信じている。と日頃は言ってはいるが
活動家はやはり活動家でしかないんだなぁ。
仲がいいだけにガッカリだが
時間をかけても彼等夫婦には活動家をやめてもらおうと思っている。

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伝統の2月物語

今日から2月。今年もあっという間に1ヶ月が終わちゃったね~。
2月といえば、ご本仏・日蓮大聖人が生誕された意義深い月・・・なんですが
創価では大聖人生誕より、戸田2代会長の誕生日。
そしてそれ以上に「伝統の2月」「2月闘争」なんて方が優先で
「2月は大聖人様ご生誕の意義ある月だよ」なんていうヤツはいね~な。
そもそも大聖人の誕生日すら知らないんじゃないのか?いまの若い学会員は。

「伝統の2月」「2月闘争」って知らない方に簡単に説明すると
昭和27年の2月に、その前月(1月)に当時の蒲田支部で支部幹事となった
若干24歳の若き大作センセの大活躍により
それまで支部100世帯が折伏の限界とされていたのに
それを大きく上回る「支部201世帯折伏」とう金字塔を打ち立てた。
っていう物語である。
いくつかある「池田伝説」のひとつである。
で、この物語の間違いのない事実は、
①蒲田支部が1ヶ月201世帯の折伏をした。
②24歳の大作青年が蒲田支部の「支部幹事」をしていた。
この二つだけ。
残りの物語・・・つまり山本伸一君(大作青年)が
たった一人が全てを劇的に変えた。
というようなカツドウカさん達が思っているような客感的な事実はなく
「小説人間革命」に書かれているのは大作センセの私感で、
ぶっちゃけ、大作センセの妄想?空想?の世界観だ。
(だから小説なんだけどね)
それを「真実」だとカツドウカは心底思っているわけだ。

「そんなこというオマエは何を知ってんだ!」との反論もあるだろう。
確かに知らない。昭和27年じゃ俺は生まれてね~し。
でも客感的に見てみると、
大作センセが言うような大袈裟なことには思えない。
もしも、その2月闘争とやらが後世に残るようなことならば
その当時にもっと話題になってもいんじゃないか?
もしかしたら、蒲田やその周辺で
多少の話題にはなっていたのかもしれないが
肝心な戸田先生が「2月闘争」に言及した記録が
ほとんどないのは合点がいかない。一体何故?why?
「戸田城聖全集・第4巻」には、昭和28年からの講演が掲載されているが
蒲田支部が大興隆していて人材を陸続と輩出している。
ということは書いてあるが、それ以上のことは書かれていない。
もちろん「池田のイの字」も「大作のダの字」も書いていない
(つまり言ってない)
昭和27年当時聖教新聞も同じで
そんなに大活躍した大作センセを称えるような記事もない。
そこで考えられるのは、戸田先生は
①支部201世帯の新記録も特になんとも思っていなく当然と考えていた。
②大作センセを支部幹事にしたらか201世帯折伏ができた。とは思っていなかった。
などいくつか思い浮かぶが
いづれにしても「大作センセ」の活躍は、
戸田先生にはそれほどの「大活躍」
には見えなかった。思わなかった。ということだろう。

それはそうである。
若干24歳のしかも「初陣」で、年齢も経験もない大作青年に
いい大人が揃いも揃って傾倒するはずはない。
もちろん大作青年がそりなりの何かがあれば別だが
20代の大作センセは、お世辞も「教学力」あると思えず
(これは想像でなく20代の大作センセの発言などを読んだ感想)
かといって、皆の先陣を切って個人折伏をバンバン決めた。という事実もない。
個人折伏については「随筆」でアパートの隣人を折伏した。と書いてあったが
その人に本流したかどうかまでは書いてないし
創価の会員のなかで、「私は池田先生に折伏されたんですよ」って人を見たことないし
そうした話すら聞いたこともない。
「学」も「行」もない幹部の言うことを聞くのは、同じようなタイプの会員だけで
折伏をバンバン決めるような会員さんは
そうした幹部の言うことを聞かないと思われる。
つまり、俺の想像する「2月闘争」では
大作青年は、一応は個人折伏する体はしておいて
あとは専ら会員回りして激励したり
あとは一会員さんの知らない戸田先生の話をして回っていた。
そしてたまたま昭和27年の2月に「201世帯」という結果がでた。
そんなところじゃないかと思う。
たまたまでなければ連続で何ヶ月も200世帯以上の折伏ができているし
200世帯どころか300世帯とかの新記録が続々生まれていいはずだが
どうもそんな陽気じゃないようだ。
だから戸田先生時代には「伝統の2月」なんて合言葉はなかったのだと思うし
仮に戸田先生も「伝統の2月」と言ってたとしても
別に大作センセ一人のお手柄だとは思っていなかっただろうと思われる。

こういう幹部いるよね~。
てか幹部ってこうだよね。
部員さんには友人を会合などに連れ出してくるように言うけど自分では連れてこない。
ただし誰も知らないところで「友人に仏法対話した」と自己申告して「折伏の体」だけ作る。
でも実際に本流はできない。
で、会員さんが折伏の為に友人に会いに行ったり電話したりしてるのに
自分たちは個人折伏そっちのけで、
部活やらなにやら呼んでもいないのに来てイロイロ言って帰っていく。
本人は「激励」したつもりなんだろうが、来れる方はいい迷惑。
一度ゾーン男が本部の男子部の部活に来たときに
「俺たちは折伏してるし激励なんていりません。それよりもゾーン男自身が折伏決めてください。ゾーン男だってうちの本部なんですから。まずゾーン男から結果を示してくだだい。こんなところに来てないで友達に折伏しに行ってくださいい」
と皆の前で言っちゃったことがあったなぁ。
そりゃ俺を組織から追放したくもなるわな(笑)
まぁ、このゾーン男に限らずそういう幹部ばっかり。
で、自分たちは折伏1世帯も決まらないくせに手柄は自分のもの。
件のゾーン男なんて俺たちのやった折伏の結果のお陰で本幹で大作センセにあえたんだけど
そのあと言った言葉が「先生にお会いしたいとずっと祈ってきた願いか叶いました」だとよ。
まずは折伏決めた俺たちに「ありがとう」じゃね~のかよ。
まぁ、彼の脳内では「俺が指揮して皆を激励したから結果がでた。俺の信心の勝利だ。」という
物語が描かれていたんだろうね。

これか?これが昭和27年2月からの「伝統」なのか?
そうだよね。折伏の伝統なんてないもんね。
半世紀も前の記録を破れないのだから、
それはもはや「伝統」じゃないよな。
ただの「創価昔ばなし」だよな。
いまでも伝統と呼べることがあるとしたら
「会員の手柄は幹部が独り占め」
「会員が結果を出せたのは幹部の指導・激励のたまもの」
っていう発想くらいしか残ってない。
その発想の大元が昭和27年2月の
大作青年の戦いにあったんだな。
それが「2月闘争物語」だな。

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3人組さんの記者会見の感想

正月休みの間に時間があったので
例の3人組さんの昨年の記者会見の様子を見てみた。
ところどころは見たのだがせっかくなので通しでみた。
約1時間。長いっちゃ長い。
内容は、今まで彼らがブログに書いてきたこと。
まぁ、あとは「本」を読んでください。ってことだろう。
全部言っちゃったら「本」が売れなくなっちゃうからね。
感想は、一番最初に彼らのブログを読んだ時と変わらないかな。
彼らの活動によって創価の闇というか真実が晒されるといった部分の意義はあるけど
相変わらず何がしたいのかよくわからない。
一応は彼らがやりたいことは
「創価に戻って内部から今の創価の組織を改革して、彼らの理想とする大作センセのいう通りの創価の組織にしたい」
って言っているから、その主張は分かるんだけど
現実的にそれは不可能でしょう?
彼らの解雇については裁判で学会側が勝訴したようだから
解雇の取り消しを主張しても無理だし
百歩譲って彼らが創価職員に復職できたとしても
組織を改革できるようなポストにはつかないだろう。
つまりもう「内部からの改革」なんてできない。
そんなできもしない非現実的なことをやろうとしてるわけですよ。

でもまぁ、彼らが本気でそれをやりたいのなら
それは彼らの自由意思だし、
かれらの心情も理解できるので
どちらかというと応援してあげたいと思うんだけど
今回の記者会見で、彼らが経済的に同志から援助を受けている。
という話をきいてガッカリ。
同志とはいったいどの程度の範囲の人なのか?
親・兄弟・親戚ならば「同志」とは言わないだろうから
赤の他人の学会員から金銭的な援助を受けているということなのか?
その金銭的援助ってのは「借りた」のか?「もらった」のか?
その辺もよくわからなくてモヤっとした。
創価の事よりも、むしろソッチの方が引っかかる。
創価の事については、いまさら彼らがどうこう言わなくても
彼らが懲戒になるずっと前から彼らが受けてきたような仕打ちを
何十・何百人という会員が受けてきているのだから。
俺だって部員さんを守るために幹部と戦い組織から追放され、
去年には勝手に退会扱いにされ会員資格を喪失した。
古くは大阪事件の時だって実行犯は即刻除名された。
指揮を執っていた大作センセは留置されたものの
組織的には何のお咎めもなしである。
いつの時代でも尻尾切りで
割に合わない仕打ちを受けるのは一会員の方だ。
それが創価の組織だろう。
いまさら驚くほどでもない。

むしろオドロキなのは、
彼らは他人から生活費を援助してもらって
自分たちの好き勝手やっている。ということであり
それをこともあろうか「会員を守るため」と言っちゃっているところだ。
その創価気質がやっぱり気色悪い。
前にも書いたけど「まづ働けよ」と思う。
他人の金で好き勝手な生活をする人は
詐欺師か職業宗教家か乞食か・・それくらいしかいない。
もう本部職員でもなんでもないのに
他人に施しを受けて平気でいられる神経がどこかズレている。
働き盛りのいい大人が仕事もせずに
他人から金銭的援助を受け
税金も納めずに
会員や大作センセのための「正義」を口にしているのは
正直、正気の沙汰とは思えない。
しかも彼らが仕事もせずにやろうとしていることは
現実的は不可能なことなのである。
いくらなんでも、それを応援する気にはなれない。
彼らがアルバイトでもなんでもいいから仕事をして
その空いた時間の中で寸暇を惜しんで
今のような活動をしているのであれば
たまにはサイレントアピールにでも駆けつけ差し入れしたり
生ビールの一杯も飲ましてあげたい。って思うが、
同志に生活資金を借りてこんなことをしてるのでは
彼らのいう「正義」とは色あせて汚れた「正義」としか思えないんだよね。
まぁ、「どっちが大作センセの本当の弟子か」って話だから
最初から「正義」なんてどこにも無いんだけどね。
大作センセの正義=大聖人仏法の邪悪だから。
しかしもう少し応援したい。って感じにならないもんかな。
最低でも「新しい創価の組織を作ります」とかいってくれないと。
どっちにしても、いつまでも創価の同志に頼ってないで
せめて生活費位は自分たちでなんとかしなよ。
いまのままじゃ、創価の中の不満分子くらいしか応援してくれないでしょう?
それじゃ全然君たちの運動が広からない。
元職員なんだから、もう少し創価に痛手を与えてほしいなぁ。

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学会員限定。年末の振り込め詐欺の季節です

今年もやってきました。
学会員限定。年に一度の「歳末の振り込め詐欺」の季節が。
学会内では、確か「財務」と呼んでいましたね。
そういえば、昨年でしたかバリ活っぽい男子部っぽい方が、
「学会の財務は会費のようなものだ」とコメントくれましたっけ。
そう、それならばOK。と私も書きました。
活動家会員さんは地元会館や本部など
学会の施設を利用するし
本部職員さんに色々と相談したり、
時には会合に講師として来てもらったりしているし。
そうそう、公明党の議員さんも呼んだりしますね。
政治家のパーティなら1万円じゃ安い方です。
そう、年間1万円くらいは「会費」として払うのは
むしろ常識の範疇だから何も悪いことじゃありません。
会費ならば何の問題もなく、詐欺とは呼びませんよ。

ところがどっこい、先日、会の会長さん
確か原田さんって人でしたってけ?
その人が聖教新聞でこんなことを言ってました

★「今月下旬から財務の振り込みが始まります。
財務は、世界広布の大願を成就しゆくための御本仏への御供養に通じ、
これに勝る大善はありません。その真心の一念は、全て御本尊が御照覧であります。
どうか無事故で、万代の幸を開く財務となりますよう、心からお願い申し上げます。」

↑ こう言う事を言うから「詐欺」になっちゃうのですね。

「世界広布の大願」?
大作センセの邪見と、
受持しない大御本尊を、否定したはずの血脈相承を受けた
日寛上人が書写した本尊を改ざんしてコピーしたものを
世界に広めるのは誰の大願なんでしょうか?
間違いなくそれは「創価学会仏」という架空の仏様の大願であって
日蓮大聖人の大願ではありませんね。
そんなもの流布するのは大聖人仏法から見れは
「大願」でなく「大癌」でしかありません。

「御本仏への御供養に通じ、 これに勝る大善はありません。」?
ご本仏ってのは誰のことを言ってるのでしょう。
日蓮大聖人とハッキリ言ってないところを見ると
これは「創価学会仏」のことを言ってるのでしょうね。
原田さんが「ご本仏」とだけ言ったらそれは「創価学会仏」のことですから。
ついこの間、新聞発表したばかりじゃないですか。
この「創価学会仏」にお金を出すのが「大善」なんです。
そんなこと御書に一言も書いてないが、そういうことでしょう。

「全て御本尊が御照覧であります」?
おかしいですね~。
創価仏の本尊ってありましたっけ?
創価と関係ない大聖人の御本尊が
創価仏への供養もどきを見ているのなら
「万代の幸」を開くどころか
「謗法への布施」として御照覧している以外にありませんね。

そんなわけで、創価仏への供養である「財務」には全く功徳はありませんが、
功徳が有る。などというウソを言う。そこが一番ダメですね。
もっとも「会費の集金があります」ってんじゃ
「一口でいいや」と思われお金が集まらないし
かといって「大聖人への御供養」というのでは
戒壇大御本尊を捨て大御本尊のために
1円たりとも使わないのだから完全なウソになっちゃう。
また「創価仏へのご供養」ってのも時期尚早。
なにせ最近突然現れた仏なので定着するまで少なくても10年は欲しい。

そこで、原田君は、「ご本仏」とだけ言って、ご本仏とは誰とは言わない。
会員さんが勝手に「日蓮大聖人」だと思い
会員さんが勝手に「日蓮大聖人へのご供養に通じる」
と思うことを秘かに狙ってます。
会員さんがどう思うと勝手ですが、日蓮大聖人に通じるという
文証も理証もありません。
それを、あたかも大聖人に通じて、功徳が出るかもしれない。と
会員さんに思わせて、振込をさせる。
「ない」ものを「ある」と思いこませてお金を取る。
その言動を「詐欺」と世間ではいいます。

「会費」でもなけりゃ、「寄付」でもない。
まして「ご供養」でもなく「財務」と呼ぶ微妙な言い回しも
実に詐欺師ならではの言い回しです。
「創価のやってるのは供養と言わない」と批判されれば
「はい。供養ではなく財務です」と答え
「創価に入会したら会費が発生するのですか?」と尋ねられれば
「いいえ。会費はありません。年に一度財務があるだけです」と答える。
用意周到に計算された「詐欺行為」ですね。

今年は何人の創価会員さんが
この恒例の「振り込め詐欺」に騙されるのか?
また、何人の活動家会員さんが
「詐欺グループ」の一員として利用されるのか?
想像しただけでも胸が痛みますね。
詐欺師に騙される人って何回も騙される。
それが現実ではありますが、
これ以上、創価振り込め詐欺の被害が大きくならいことを願う事にします。
お金の問題じゃなくて、
「謗法の布施をするのは与同罪」ですから
それが一番、心配です。
お金払って謗法を犯す。
バカみたいですね。

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座談会ってのは。

創価伝統の座談会。
毎月、毎月開催されてますなぁ。
座談会の花といえば「体験談」なんだが
活動家さんたちが「功徳をいっぱいもらった」という割には
毎回、「体験」がなくてどの地区も苦労してるってのがその実態。
時々、それなりの体験談があったりすると
地区にとどまらず、支部・本部・ゾーン等々
ありとあらゆる会合に引っ張りだこで
しばらくその体験を聞くハメになったり
それを発表するハメになる。
まぁ、そんなディープな体験はあまりないので
とりあえず、何か体験があったら
それは「功徳」ってことにして座談会で発表してもらう事にする。
まぁ、そんな体験談を俺も随分聞いた。

「念願だったマイホームを買うことができましたぁ」(パチパチ拍手)
「リストラされましたが前のよりもいい会社に就職しましたぁ」(パチパチ)
その時は、俺も会場でパチパチしていたが
よくよく考えれば、
普通に真面目に仕事してれば住宅は買えるし
いい会社に就職できたのは良かったケド、その前になんでリストラ?と思うし。
今俺の支部の支部長の体験談なんて
「営業からラインに移動になり早く帰れるようになり学会活動ができるようになったのは功徳です」だよ(笑)
同じ会社に勤めているヤツに聞いたら
完全に「左遷」だというし、俺もそう思う。
それを功徳っていう方もどうかしてるし
それを聞いて功徳だって思う方もどうかしている。
で、今月は11月だから決っと「財務」の体験談の発表があるのだろう。
昔、聞いて印象に残っている財務絡みの体験談は、
三桁の財務(100万円以上)をやった人で
その功徳は三桁の財務をすることができた。事だそうな。
どの部分が功徳なのかよくわからない。
よくわからないけど、座談会でその話を聞いたときは、
純粋に「すごいなぁ」と思った。

なぜなんだろう?別にたしたことでもないのに凄いなぁって思っちゃうのは?
俺が純粋だったからなのか?
いや違う。そこまで俺は純粋な人間じゃない。
で、色々考えてみると、その原因は「座談会」にあるということに気づいた。
そう、特別な話じゃないのに感動してしまうのは
あの座談会という会場の雰囲気にあるんだな。
初めて座談会に出たときもなんか体験談聞いたけど
「ふ~ん」ってくらいで特に何とも思わなかった。
でも、周りの会員さんは拍手喝采。
終わったあとも「いい話だったよ」と口々に。
最初は違和感あったけど、毎回そんな調子だと
なんだかこっちもその気になっちゃうんだよ。

これって何かに似てるとおもったら
そう、アレ。
「催眠商法」
小さい商品を安く売って、どんどんお客を煽り
そのうち、二束三文の布団とか健康食品とかを
バカ高い値段で売りつける。ってヤツ。
サクラが客の中に混じっていて先導するところも似てるよね。
冷静になって聞けば、特別な体験でもない。
信心してようがしてまいがあまり関係ないような体験談でも
「座談会」という閉鎖された会場では特別凄いことに感じてしまう。
冷静になって教学を学んだり聞いたりすれば
今の創価に功徳なんてあるわけないのに
「功徳」だと思い込まされてしまう。
まさに「催眠商法」そのものなんだよなぁ。

今年もまた、今月の「座談会」で
財務の功徳の体験談とやらを聞かされると思うが
創価の財務の行為には功徳はないということは文理に照らせば明白だ。
それでも、創価の催眠商法に騙される人がいると思うので
今月の座談会が始まる前に書いておくよ。
そして、催眠商法に騙されない一番の方法は
「会場にいかないこと」
これが一番有効。
そんなわけで真面目な創価のみなさん。
今月の「座談会」は特に危険なので
行かないようにしてくださいね。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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