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ただ祈っているだけで行動がなけりゃダメなんだよね?

平成30年7月豪雨の被害は2時被害を含めまだまだ終わっていない。
改めて、被災地の皆様ににはお見舞い申し上げるとともに、
政府にはとにかく被災地への迅速かつ手厚い支援をお願いしたい。
さて、前日も書いたがそんな豪雨被害の最中に行われた創価の九州総会。
その模様を、聖教新聞は次のように伝えている。

雲間から時折、降り注ぐ柔らかな光。にぎやかなセミの声。
本部幹部会が開かれている間、九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた。


その昔、正宗の夏期講習登山について新報や地涌なのどの機関誌で
信徒の事を考えずに炎天下の真夏に開催するのはケシカラン。などと批判した創価だが、
当の自分たちは、200名近くの死者が出た大災害の最中に呑気に本郡幹部会を開いた挙句に
「九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた」などと世間の心情を逆なでするような記事。
穏やかな天気?よくもこんな表現をできるものだ。
言葉と生きていく聖教新聞。のキャッチコピーが白々しく感じる。
そんな中、大作センセはさすがに被災地の人向けにメッセージをくれたようだ。

初めに、このたびの記録的な豪雨の被害に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方々に届けと、ひたぶるに題目を送っております。支援・激励、また復旧に尽力される皆さん方も、本当にご苦労さまでございます。 尊き宝友を一人ももれなく、三世十方の仏菩薩よ、無量無辺の諸天善神よ、断固として護りに護り給えと、私はいよいよ強盛に祈り抜いてまいります。



だそうだ・・・・・え?まさかこれだけ?
だた題目をあげているだけなのか?
さすがに題目をあげているだけってことはないよなぁ。
だって以前から大作センセは、

祈っているから大丈夫 というのではなく、
祈りが行動につながるとき、 初めて祈りが叶う。
これが仏法の道理である。


などと指導をしてきたではないか。
ただ御本尊に祈るだけで行動が伴わなければ
それは法華経の行者ではなく法華経の信者であり
そんな祈りは叶わないと。
行動こそが大切だと。
この指導は幹部の常套句であり、大作センセの指導の根幹でしょ。
宗門は祈っているだけで行動をした来なかった。ともよく言っていたけど、
まさか、大作センセは「ただ祈っている」だけで
被災地に出向いて会員さんを激励する行動を起こさないのか?
そう言えば、熊本ににも東日本にも全く出向いていないけど。
確か、学会発表によれば大作センセは大変にお元気とのこと。
そんなにお元気なのに何故ご自分で激励に出向かないのか?
今の上級幹部が束になって激励したところで、
大作センセ一人に及ばないことはわかっているはずでしょう。
なのになぜに他人任せなのか解せない。

行動なき祈りは叶わない。と言っておきながら
永遠の指導者が行動を起こさないなんてどうしたものでしょう?
まぁ創価の幹部なんてのは、指導はするけど自分じゃやらない。なんて当然だけど
大作センセともあろうお方がそこらのアフォ幹部と同じことをするなんて・・
いやそれともそこらのアフォ幹部は大作センセを真似ているのか?
もちろん、大作センセのお身体の具合が悪く
会員さんの激励に回ることが体力的に困難ならば仕方がないと思うが
いまも「大変、お元気」とのことなのだから、
早く被災地に行ってあげてください。
ひたぶるに祈り、強盛に祈り抜く体力があるならば行けるはずです。
その行動なくして、祈りが叶わのですから。
あ!大作センセには仏法の道理とか関係かったですか?
てか、仏法関係ないですもんね。


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世界宗教の条件だって。

もう読んで笑った人も多いだろうが、
先日の「ニンカク」に世界宗教の条件とやらが書いてあった。
それによると世界宗教の条件とは、

※民主的な“開かれた教団運営”」「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」「血統主義ではなく、オープンな人材主義」「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』

だそうだ。
なにひとつ今の創価に当てはまっていない所が凄い。

「民主的な“開かれた教団運営”」
財務状況を全く公開しないという闇にまみれた教団運営

「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」
戸田先生時代からの信仰の基本である五座三座の勤行を廃止し
執行部批判をしたら査問の上即除名。

「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」
現場の意見は全く聞き入れられず、「上」からの打ち出しだけを実行する
異議を唱えれば活動停止。
「信徒無視」「幹部尊重」のヒエラルキー。

「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」
選挙活動や新聞拡販などの学会活動中心の活動で、信仰は二の次、三の次ぎ。

「血統主義ではなく、オープンな人材主義」
大作センセがダーハラを会長にする。というオフィシャルコメント聞いたことなし。

「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』
コロコロ変わる教義には「普遍性」ゼロ。


いやいや、ここまで見事に創価が世界宗教たりえないということを看破するとは
さすがは大作センセと言えよう。
さらに、同じ章では、

※誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると訴えた。

とも言ってのけている。
大聖人との間に何も介在させる必要がないといいながら
指導者が必要らしい。
この言い草ならば会員が大聖人と直結すれば指導者は要らない。ということだろう。
そもそも御書を通して直結なんて戸田先生が言っているという話だが
大聖人がいつそんなことを言ったのか?
戸田先生が本当にこういったのなら、
戸田の信心も大したことなかったと言わざる得ない。
また、御書を通して大聖人に直結させる手助けをするには
大作センセの低レベルの教学力では到底無理である。
その証拠にダーハラ会長以下、現在の学会員は大御本尊を捨ててしまった。
そして今のなお大御本尊を捨てたことの正義について誰ひとりまともに論証できない。
大聖人直結どころか、大聖人をカット。
これが本当の「C作戦」である。
大御本尊は最初から「一閻浮提総与」の御本尊であり
大聖人仏法は最初から「世界宗教」なのである。
大作センセごときが小利口ぶって「世界宗教とは」なんて言及する必要もないのである。
その大御本尊をカットした創価に世界宗教たる資格も権利もない。
仮に大作センセが言うような創価になったとしても
いかんせん、世界宗教の名に耐えうる「本尊」が創価には無いのである。
そんな事にも気づかないで、創価が世界宗教になりえると思っている会員さん達は、
完全に大作センセとダーハラ執行部に騙されているお気の毒な人達である。
もっとも先に書いたように今の創価は、
大作センセが言っている世界宗教の条件を一つも満たしていないのだから
単なる「怪しい新興宗教」以外の何物でもないのである。

学会員さん、よく自分の組織を見てみてくださいな。
民主的な“開かれた教団運営、『言論の自由』を保障、『信徒尊敬』の平等主義
『儀式』(学会活動)中心ではなく『信仰』中心、、オープンな人材主義
そんなもの貴方の組織にありますか?
少なくても私は活動家時代にそんな組織見たことありませんよ。
もしも、「私の組織はこのような組織だ」と言うのであれば
それは貴方が、幹部側の人間だからです。


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人権感覚ゼロの創価新報と創価民たち

前回創価新報の記事について触れたが、この記事で創価新報は
元職員3人組さん、宮川氏、波田地氏について実名で報道して批判したが
元職員さんはともかくとして、宮川氏・波田地氏の実名を挙げてあのような記事を書くのは
よくよく考えると、ソレって名誉毀損になるんじゃないかと思う。
彼等は創価を批判しているだけの単なる私人にすぎない言うならば一般市民だ。
その一般市民の実名を挙げて、あたかも彼らが「罪人」であるかような一方的な報道はまずいんじゃないか?
創価新報はネット配信もしているし
早速、頭の悪そうな創価民がこの記事を引用したりリンクして
ブログやSNSへ投稿もしている。
これらの行為は十分名誉毀損にあたると思うのだ。
以前、俺の会社の顧問弁護士と少し雑談した時に
「名指しで誹謗中傷をネットに書き込まれた時には名誉毀損で訴えたほうがいいですよ」と言われたことがある。
名誉毀損とは、その書かれた内容が事実であっても成立するらしい。
つまり、創価新報に書かれていることが「事実」であっても
それによって社会的信用が失墜したりするようなことがあれば
十分名誉毀損に該当し刑事告発すれば刑事事件にもなるということだ。
俺が新報の記事を読む限りでは名誉毀損として十分な内容だと思う。

そもそも、一般人のしかも元会員を実名を挙げて罪人のごとく批判するということが意味不である。
言われっぱなしがイヤという気持ちもわかるが
ならば、もう少しキチンと理論的に反論をすればいいはずなのに
新報に書いてあることは「創価組織を分断しようとした自分勝手で我侭な人間ども」
的ないつものような創価節だけだ。
「相手の主張のここが間違っている」という反論ではなく
ただただ相手が「いかにひどい悪人か」ということに終始している。
しかもその「悪人」の定義はあくまでも創価内部の基準であって、一方的な話だ。
これが、日頃から「人権」だとか「全ての人に仏性がある」だとほざいている宗教団体の機関紙だとうのだから驚きである。
新報の記事の内容は「人権感覚ゼロ」だ。
いや「「人権蹂躙」といって方がいいだろう。
そして、こんな「人権感覚」のない新報をありがたがって
新報に書いてあることを鵜呑みにしてはしゃいでる創価民もまた「人権」とはほど多い人種だろう。
創価森の菊川氏が正宗を「日顕宗」というのは、自分が言っているのでなく新報にそう書いてあるから使っている。
と自分のブログで告白しているが
こんな機関紙を読んでると人間性が歪められてしまうことを菊川氏をみるとよくわかる。
こういう連中が、「自他ともに幸福になる」とか「世界平和」とか口にしているのが創価の実態だ。
創価のいう「幸福」とか「平和」というのは、自分たちに単体する勢力や人間をとことん排除することだ。
反対者・敵対者を排除することが彼らの「戦い」であり
彼らだけの「平和」と「幸福」なのである。
完全に大聖人仏法と相反するのが今の創価なんだな。
「人権無視」のこの記事ひとつ読んでも今の創価の腐敗臭が鼻につく。
真面目に大聖人仏法を信仰したいと思っている学会員さんは
そんな創価臭が身に染み込む前に早く離れてくださいね。

そうそう、三人組さん、宮川さん、波田地さん
聖教新聞社と創価学会をぜひ名誉毀損で訴えちゃってください(笑)


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一体どれが正しい指導なのさ?

先日、「○○の大作師匠」のご指導を書いたが、
同じ日の聖教新聞に、パナマ・コロン市というところの「ザダンカイ」(わざわざカタカナかよ)の記事があった。
その日のザダンカイのテーマが「御本尊」というテーマだったらしく
なんとか本部長次のような指導が掲載されていた。

この御本尊は、題目を唱える私たち自身の中にあります。
祈ることで、御本尊と同じ仏界の生命が引き出されるのです。
このことについて、第2代会長の戸田城聖先生は電球に例えて教えてくださっています。
題目を唱えていない人は、電球を持っているが電源につなげていないのと同じようなものだ。真剣に唱題し、御本尊とつながることで、電流が流れ、光り輝いていくのだ、と――


あれれ?なんか変だなぁ・・
たしがダーハラ会長は以前、

ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力有が発揮されないという、あたかも”電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を疎外するものとなりかねないのであります

と指導していたはず。
「電球と電気」の関係なんていう例えは世界広布を疎外するような例えなんじゃなっかたのか?
それに戸田先生の指導とは、折伏経典に書かれている

これはちょうど電灯にたとえて考えてみると、(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものは全て謗法である。

この指導のことだろ?だとするとここには戒壇大御本尊に直結。
つまり大御本尊を拝まない者には電流が流れてこないから光を発しない。と明確に言われている。
聖教新聞に掲載されている、なんとか本部長の指導は
戸田先生の指導と全く違うし、ダーハラの指導を真っ向否定している。
一体、誰の指導が正しいんだよ?
言ってることがみんなバラバラじゃね~か。
そんな勝手な指導を創価の広報誌である聖教新聞に掲載していいのか?
本当に適当なことばっか言ってんなぁ。創価は。


このなんとか本部長の指導ってよく聞くとオカシイんだよね。

この御本尊は、題目を唱える私たち自身の中にあります。
祈ることで、御本尊と同じ仏界の生命が引き出されるのです


この部分を通解すると、御本尊は自分の中にある。題目を上げると御本尊=自分と同じ仏界の生命が引き出される。
おいおい、題目上げて「自分と同じ生命」になるんか?
いや、題目あげなきゃ「自分と同じ生命になれない」って、どんだけだよ。
自分と同じ生命になるために大聖人は御本尊を顕したのか?
この解釈なら御本尊なんていらないじゃん。
自分が本尊なんだからよ。

題目を唱えていない人は、電球を持っているが電源につなげていないのと同じようなものだ

で、この指導だと「電球」が御本尊で「つなげる」つまりコードとかそういうものが題目でしょ。
じゃぁ「電源」は?ねぇねぇ「電源」はなんなのさ?
ひょっとして自分?自分が「電源」で、題目のコードで「自分つなげて」
本尊に明かりを灯して電源である自分を照らすってことなの?
てことはだよ。本尊ってのは凡夫がいて題目あげなきゃなんの力もないってことか?
仏力も法力も信力も行力も全部自分が持っているならやはり本尊いらないだろ?
「御本尊」がテーマなのに、「御本尊はいらない」って話になってるじゃんwww
まぁ、実際創価のカラーコピー掛け軸本尊もどきには仏力も法力もないからいらないんだけどさ。
電源云々とかコード云々以前の問題で最初から玩具の電球で光らないようにできているからな。

それはさておき、こんなモノは大聖人仏法でも何でもね~だろ。
鏡に向かって己のマヌケズラに題目をあげてろや。
っていう世界だろwww
これが、「創価の世界」であり「世界の創価」のレベルなんだよな。
どこが仏意仏勅の団体なのか?笑わせるもいい加減にして欲しいよ。

ひとつだけ言えるのは世界中で創価は、デタラメな本尊義を構え
純真無垢な会員たちを騙し、大聖人仏法を外道へと貶めている謗法団体である。
ということだな。
ダーハラからして、「本尊義」が首尾一貫していないのだから
そこらの無教学のハンパ活動家に「本尊義」なんて答えられるはずね~わ。
納得。納得(笑)


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創価新報。珍しく正論を書く。

先日21日の創価新報で元創価職員3人組に対して、ついに創価の反撃が開始された。
元創価3人組に対しては過去にブログでも書いてけど個人的にはあまりシンパシーは感じない。
創価本部も三人組もどっちもどっちって感じかな。
新報に書かれていることを一部引用すると、

◯彼らは、なぜ学会にいられなくなったのですか。
そもそも、学会では、組織の中で派閥や独自のグループ(組織内組織)を作ることは異体同心の団結を破るものとして厳禁とされています。ところが、元職員らは、独自の指導性を持ったグループを作り、問題行動を行ってきました。(中略)自分たちのグループこそが正しいと いう独善的な考えに基づいて行動しており、(中略)具体的には、連携して夥しい数のメールを送り付けたり、さらには彼らのグループ10人で、地方に転勤した会員の自宅にまで押し掛けるなどしました。


◯問題行動を行った彼らのグループに対して、学会本部は、どのように対応したのですか。
同委員会は、平成20年(08年) 5月、双方のメンバ-に対して注意・指導した上で、彼らのグル-プに対しては、学会で厳禁とされている組織内組織であり、その存在が集団的問題行動を起こすに至った要因であるとして、グループを解散するよう指導し、誓約書の提出を求めました。(中略)地元組織の幹部や元職員3人の職場上長からも、同委員会の指導に従うように説得・指導をしました。本部人事委員会による謹慎処分、役職解任処分が行われた後も、彼らは一向にその独善的な考えを改めませんでした


◯彼らに対しては、丁寧に段階を踏んで指導がなされたのですね。
さらに元職員らには、原田会長からも、本部指導監査委員会の指導に従うようにとの注意,指導が再三伝えられましたが、彼らは聞き入れようとせず、その後も連携して、原田会長らに対して面談要求を執拗に繰り返したので、本部職員でありながら学会の指導に従わず迷惑行為を繰り返し、職場環境を悪化させるなどしたことから、平成23年(11年) 10月に譴責処分となりました。
しかしそれでも、元職員らは全く反省することなく、執拗な面談要求を繰り返すなど、エスカレートしていきました。その結果,同24年10月に学会本部を懲戒解雇となったのです。


とまぁこんな感じです。
要するに、3人組さん達は「足軽会」なる創価本部が禁止している組織内組織を作って勝手な指導などを繰り返した。
創価学会としては丁寧に対処したが改まらなかったので除名・解雇した。ってことらしい。
つまり、悪いのは勝手なことをした彼らであって学会は悪くはない。ということね。
なるほど、それは学会本部の言う通り。ごもっともな話だね。
多くの学会員さんも、この新報に書かれていることは正しいそおもうでしょう?
俺も珍しく同意見だし、創価新報にしては珍しく正論を書いていると感心した。

学会員さん、この新報のロジックをよく読んで理解しまたね?
理解できてところでこの記事を読むと
どうやら25年前宗門に破門されたのはどうやら「学会」に非があるようですね。

そもそも、学会では、組織の中で派閥や独自のグループ(組織内組織)を作ることは異体同心の団結を破るものとして厳禁とされています。ところが、元職員らは、独自の指導性を持ったグループを作り、問題行動を行ってきました

そもそもいかなる組織においても非公認の組織内組織を作ることは許されないわけです。
ましてや信仰を基盤とする組織においては異体同心の上から組織内組織なんてもってのほかです。
ところが、創価学会は日蓮正宗という組織内の団体でありながら、
大作センセ達が正宗の教義を逸脱して独自の指導性をもった組織内組織化したわけです。
「最初から別法人だった」なんていう詭弁は通りませんよ。
破門前まで、正宗の本尊・正宗の教義を広めていた事実がるわけだし
そもそも、戸田会長が別法人として創価学会を設立したときに宗門に対し
一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
二、当山の教義を守ること
三、三宝(さんぼう=仏・法・僧)を守ること
の約束したことは当時の聖教新聞に明らかです。

自分たちのグループこそが正しいと いう独善的な考えに基づいて行動しており、(中略)具体的には、連携して夥しい数のメールを送り付けたり、さらには彼らのグループ10人で、地方に転勤した会員の自宅にまで押し掛けるなどしました。

宗門問題が始まると、創価は独善的な考えに基づき宗門批判キャンペーンを繰り広げたのも事実です。
本山や末寺に大量の怪文書をFAXで送り付けたのも事実です。
また、破門前から会員宅を回って宗門批判をしていたのも事実ですね。
それに対して宗門側から再三の注意や指導がありましたが
創価は一向にその独善的な考えを改めなかった。
創価に対して宗門からは丁寧な段階を踏んで指導がなされたのも事実です。
結果、日蓮正宗の信徒団体でありながら
宗門の指導に従わず、却って宗門を批判し続け破門になったのが大作センセと創価です。
まったく、いま創価が批判している3人組と同じことを創価は宗門に対してやってきたわけですね。
3人組と違うのは創価は「破門」を不服として裁判を起こしていない。ということ。
つまり「破門」を「不服」だとは思っていなかった。というとこになる。
「何の話し合いもなく一方的に破門された」
「宗門によるC(カット)作戦だ」
というならば、何故破門された時に裁判を起こさなかった。
それは簡単な事で、「一方的に破門された」という事実はなく
また「破門」されても良い。と考えたいからでしょう。
「C作戦」とは宗門による、学会カット作戦でなく
学会による「クーデター」作戦ということですよ。
三人組のやっていることなんてカワイイもんです。

今回の三人組がやっていることと。創価が宗門のしてきたことは
全く同じことだということに、学会員さんは気づきましたか?
自分達がやってきたことを、やりかえされている。
「因果応報」とはこのことでしょう。
いまのなお、宗門を「日顕宗」などといって罵詈雑言を吐いたり
ブログで宗門批判をしている学会員は
三人組となじ事をしているわけです。
いや、三人組は「創価」なんていうどうでもいい団体を非難しているだけだけど
「大御本尊」捨てた創価の連中のやっていることは
「ご本仏」を非難しているのでその罪は重いのです。
道理を考えることができる学会員のみんさんは
もう一度、この「創価新報」の正論を読んで
創価の破門までの経緯を調べみてくださいな。
いかに創価がインチキ集団か理解できるはずです。
そんな団体とは早く距離を置いた方がいいでしょう。
どっちみち、いまの3人組さんと創価の争いをみれば
いよいよ「自界本逆難」が本格的に現れているかわかるでしょう?
「自界本逆難」が現れるのは、創価が間違っているという現証でしょう。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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