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法華講80万誓願達成に嫉妬かよ(笑)

新年の大白法で日如猊下から法華講員が80万人に達して誓願を達成したのと言葉があり、「おお!達成したんだぁ。良かったなぁ」と思っていたところ早速、創価陣営から嫉妬のイチャモンの声がネットを中心にあがっていますなぁ。
大白法
よほど羨ましかったのか1月2日には創価民御用達の便所紙怪文書「フェイク」が正月休み返上でイチャモンを付けてきて(青葉茂君、正月くらいゆっくりしなさいな)宿坊掲示板から創価民へと「法華講80万人達成」への羨望の声が続々と拡散されてます(笑)便所紙によると(以下太字は便所紙フェイクからの引用)

▽日如は誓願を達成したかのような言い回しをしているが、達成感など微塵も感じていない宗内僧俗は白けきっている
だそうだ。そうかなぁ。創価みたいに公明党の比例得票が700万切っても大勝利!なんてバカ騒ぎしてないけど別に白け切ってはいないな。確かに法華講員でも80万達成に懐疑的な目を向けて誓願達成に水を差すようなことをネットにアップしている講員も見受けられけど、そういう人は最初から「白けて」いた人でしょ。創価活動民なら分かるだろうけど「活動しない奴ほど内部の活動に対して非難をする」創価民諸君もそう思うだろ?自分が活動してない事の言い訳みたいなもんだからそういう人の意見を真に受けたてもしょうがないぞ。違うか?でも懸命に祈って折伏してた講員さんは個人の折伏成就や寺院の誓願目標が達成できずに忸怩たる思いはあっても素直に誓願達成を喜んでいるけどね。それにどこの宗内僧俗が知らんが「フェイク」に応じる僧俗だったら白けてるも当然だな。もっとも実際は取材なんてしてないだろうけどね。だって1月1日の大白法の記事を翌日批判しているんだから取材する時間なんてないじゃんww

▽相手の幸せを願う折伏ではなく、成果に焦っての暴走行為だ。例えば、街中で見知らぬ人に手当たり次第に声を掛ける〝街頭折伏〟や寺の前に立って通行人を誘い込む〝呼び込み折伏〟、更に予告なしで他人の家に押し掛ける〝訪問折伏〟は序の口で、信者への〝再授戒〟や法事に参列した人を「故人の供養のため」等と言って成果にしていた。

いやいや、オマエ等創価が過去に「どんな折伏」をして会員を増やしてきたか忘れたのか(笑)自分達がやってきた「とんでも折伏」を棚上げしてよく言うよ。悔しかったらオマエ等もやったらどうだ。全然弘教なんてできてないってかやってね~じゃないか(笑)大聖人は「如説修行抄」で、

◆経文に任せて権実二教のいくさを起し忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて大白牛車に打乗つて権門をかつぱと破りかしこへおしかけここへおしよせ
◆誰人にても坐せ諸経は無得道堕地獄の根源法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ

と仰せだぞ。その御聖訓の通りの修行をしている法華講員を誹謗するのは大聖人を誹謗していると同じだぞ。まぁオレは街頭も訪問もしたことないが、ウダウダ言ってると今年は学会員の家回っちゃうぞ。創価時代にはいやというほど家庭訪問したからまだ家とか覚えているしな(笑)

▽こうして〝幽霊講員〟は増えても誓願は未達成だ。

人の心配はいいから自分達創価の「幽霊会員」を何とかしたどうだ?創価なんて会員の85%は「幽霊会員」だろうが(笑)そもそも誓願が達成しようとしまいとオマエ等創価には何の関係もないんだよ。オレ達からしてみれば80万人なんてほんの通過点に過ぎない。大切なのは折伏を続けている事であり誓願を持つことなんだよ。創価はどうだ?破門後学会本部として弘教目標を明確に会員に示してキチンと結果を報告したことがあるか?ないだろ。創価がいつも弘教拡大の大勝利をしているのは弘教目標すら立てないからだろ。目標がないんだからそれこそ「なんとでもいえる」んだよ。弘教をしなくなったら宗教としてはオワコンだぞ。宗教学者の島田裕巳氏によると昨年の創価の実数は177万だそうじゃないか(笑)こりゃ創価100周年の10年後には法華講に抜かれているかもしれんなぁ(笑)まぁ弘教しないのだらか仕方ないよなぁ。今の60~70代が死ぬ頃には顕正会にも抜かれてるかもなぁ。まぁ弘教できないから仕方ないよなぁ。そんな状態なのに正宗・法華講を「弱小集団」とかいって蔑んで精神の安定を保っているのだから憐れだね。そりゃ折伏をしている法華講員に嫉妬しちゃうよ、なにせ自分達が「やらされている事」といったら弘教とは無関係な「選挙」と「新聞」といった【愚業】活動ばかりだもんな(笑)だから創価民に「弱小教団」と言われるたびに創価民からの羨望の眼差しがイタイのなんのって(笑)。やっぱり折伏は楽しいわ~。そんな創価民に「如説修行抄」の一説を贈ってあげるね。

◆哀なるかな今日本国の万民日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上今日は身の上なれば日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん

そんなわけで今年も折伏頑張るよ。創価民が油断してくれているからこっちは大助かりだよ。「弱小教団」の折伏なんか気にせずに、創価民のみなさんは「選挙」に勤しんでくれたまえ。


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創価民見てきたようなウソをいう。

時折、どこかの誰が我が家のポストに配達してくれる「聖教新聞」。11・18に向けて聖教新聞の拡大をやって複数部購入してしまいもて余りているのだろうか最近ちょくちょく無料配達してくる。猫のトイレ掃除に使えるので重宝しているがチラッとよむ記事の内容は相変わらずの与太話で会長の原田達がバカみたいに盛り上がっている。本尊の事や勤行要典と事を痛々しい言い訳で正当化している。でも一番の与太話と言えば相も変わらない「宗門は衰退している」アピールだ。ただ「衰退している」と喧伝しているだけでその論拠となる客観的なデータ等は何も無い。そもそも破門になって30年近く経過していてどうして原田達に現在の宗門の内情が分かるのかが不思議だろう。原田達自身が宗門の現況を知らずに「宗門は衰退しています」といい、それを読んだ創価民がブログやSNSで「宗門は衰退している」という風説を流布しているのだから、「創価民、見た来たようなウソを言う」と笑ってしまう。オレの体感でいえば衰退しているのは創価の方だと思うのだがどうだろうか?事実として本ブログの読者の方で創価から正宗へ移籍した人は10にと下らないだろう。その中で更に家族などの創価民を折伏している人もいる。またオレも周辺の友人・知人の創価民をこの3年で13人を折伏し勧戒・ご受戒を受けて創価から正宗へ移籍させることに成功しているし、その折伏した元創価の友人も家族などを折伏し創価から正宗へと移籍させているし、今後もどんどんんと周囲の創価民の友人・知人を折伏しようと思っている。またSNS等のネットを見ていると創価だけではなく元顕正会の法華講員さんも顕正会員への折伏をバンバン決めている。正宗は衰退どころか今が一番「強い」と感じている。対して現在創価の活動継続中の友人にきくと折伏はほとんどできていないらしいし、創価系のブログやSNSで「創価に入会しました」と言っている人は0人ではないがほぼ見ていない。オレの周りの創価だけが衰退していて他の組織は躍進しているとは考えずらい。偽装折伏として創価の推進する公明党の比例の得票数の下落を見ても創価の衰退は明らかではないだろうか。なのに「宗門は衰退している」というまことしやかなデマを機関紙をつかって会長自ら流すのは相当焦っているからではないだろうか。予想以上に創価民の脱会が増え、さらには脱会者の中から正宗に移籍するする人が増えていることに恐怖を感じているのかもしれない。「まさか法華講がこんなに折伏するなんて思わなかった」との心の叫びが聞こえそうな気がする。そこで会員の流出を抑止するために定期的に「宗門は衰退している」と「見てきたようなウソ」を言うのだろうと思っている。「大石寺には浮浪者と野犬がウロウロしていて桜は全て切り倒されてぺんぺん草しか生えていない」こんな誰にでも分かるような幼稚なウソをつくのが創価民だがいくら強気を装っても内心は宗門や法華講を恐れているんだろうなぁって思う。まぁコチラとしては「宗門は衰退している」と油断してくれてる方がやりやすいから別にどうでもいいが、他宗の心配より自会の心配をした方がいいと思うぞ(笑)


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ねつ造機関紙「創価新報」が月1発刊に縮小。

創価の悪名高き「ねつ造」「フェイク」機関誌の「創価新報」が今年から月刊になったようだ。「創価新報」のねつ造と言えば、いわゆる「シアトル事件」「芸者写真事件」「コーヒーカップ訴訟」「大草講頭の盗聴事件」など数えたらきりがない。むしろ創価新報に書かれている正宗批判記事で「ねつ造」ではない記事は無いに等しいヒドイ機関誌だ。ふた昔前ならそんな創価の情報操作・印象操作にコロっと騙されるてしまう創価民もいたかもしれないが、いまやネットを検索すれば何でも分かる時代である。「シアトル事件」「芸者写真事件」「コーヒーカップ事件」等々の結末もすぐに分かるし、創価と宗門の裁判の結果も調べられる。そして創価が破門になった経緯も宗門と創価の往復文書等を読めば創価は破門になるべくして破門になったこともよくわかるわけだが、いまだに創価新報などという「ねつ造機関誌」を鵜呑みにする学会員がいるというのは驚きだ。どれだけ創価活動民は「情報弱者」なんだよ!って思う。そんな創価新報について先日の聖教の紙上座談会で話題にしていた。(以下太字は聖教新聞より引用)

西方 このたび、正義の論陣の先駆けを担ってきた「創価新報」が「月刊紙」となり、特に「教宣」に力を入れた青年部の機関紙として、リニューアルされました。  
原田 企画の柱の一つが、これまでの学会の正義の闘争史を振り返るインタビューです。1月号は、谷川主任副会長が第2次宗門事件について語っています。  
長谷川 また、小説『人間革命』『新・人間革命』から破邪顕正の魂を学ぶ連載も始まりました。  
西方 男子部は、この「創価新報」を大いに活用しながら、正義の言論戦をさらに力強く繰り広げてまいります。


だそうだ。いや笑える。「正義の論陣の先駆」?こんなねつ造記事の事を世間ではフェイク記事と呼ぶのだが創価では「正義」と呼ぶらしい。「論陣」?新報が論陣を張っているのを読んだことない。だた宗門や上人のスキャンダルをでっち上げて印象操作しているだけ。「月刊紙」にしてリニューアル?いままで月2だったのが月1に減っちゃただけ(笑)リュニューアルしたのに減らすんだぁ。そういや創価グラフだって?あれは休刊(廃刊)なったんだっけ。まぁ大作の写真はいまじゃ公にできないもんなぁ。それにしても「教宣」に力をいれてリニューアルっていっておいて谷川が宗門事件を語ってどうすんのかね?創価側が創価の正義を語って「教宣」の役に立つとは思えない。客観性のない話は単なる悪口でしなかない。そんな創価の話を鵜呑みにして正宗から創価へ移る法華講員がいるのなら、もうそれは仕方ないというか既に法華講とは名ばかりの講員さんだろうから止める必要も俺は感じない。まぁその前に創価新報を活用して言論戦を繰り広げる創価民なんていないだろう。リアルでそんなヤツ見たことない。地元の創価民は俺の顔を見れば逃げていくし、先日であった自称「教宣部」を名乗る創価民も法論を持ち掛けても全くやる気がない。「相手にする必要ない」と負け惜しみを言ってるのだろが教宣部が法華講を相手にせずに一体何をするんだよって話だ(笑)リアルもそうだがネットの世界の創価民も同じ。本ブログにも過去に創価民が噛みついてきたが、全員「逃走中」の哀れな姿を晒しているだけである。ネットの創価民は宗門への悪口は書けるのだが法門法義による対論はできない。宗門への誹謗中傷するのが創価の言う教宣活動というならばなんとも情けないではないか。もっとも新報の記事からして宗門への誹謗中傷しか書いてないのだから仕方ないが。要は新報なんて内部へのMC活動以外に何も役に立たない。新報やフェイクの記事を引っ張り出してきては法華講に破折されている惨めな創価民の姿を知っているネット創価民は尚更新報記事なんて引用しないだろう。(してる創価民は相当の莫迦だが)いくらカッコつけても月2から月1へ減ったというのは需要がなくなったということ。需要がないというのはその商品に魅力がないか購買層が減ったかだ。新報の場合は「嘘ばかり」で商品価値がなく且つ創価青年部の活動家が減ったからこそ発刊頻度を減らしたということだろう。まぁこんな使えない創価新報も廃刊でいいとは思うがリニューアルされたらしいから今年はちょっとはマトモに大聖人仏法を語れる創価民と遭遇できることに淡~い期待をしたい。まぁ所詮創価の活動家なんてたかが知れてはいるけどね。(笑)


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師弟の「法難の日」?

数日前の聖教新聞に、昨日だから一昨日だか忘れたが「法難の日」という記念日と言う事が書いてあった。
なんでも、牧口・戸田(敬称略)が戦時中に逮捕された日を記念日にしたそうだ。

▼この学会精神の不滅の原点は1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生が治安維持法違反と不敬罪の容疑で軍部政府に逮捕された「法難の日」にある。(聖教新聞から引用)

こんな記念日は俺が活動家時代はなかったが、また増えたんだね。毎日が「何かの日」で創価民も忙しいね。
創価が会内で「ナントカ記念日」を作るのは勝手だが記事を読むと、
いかにも当時の牧口・戸田が正しい大聖人仏法を行じていたから難を受けた風に書いてある。
つまり、牧口・戸田の逮捕が大聖人仏法における「法難」であると。さすがにそりゃね~わ。
創価では牧口・戸田が反戦を訴えて逮捕されたように喧伝されているが、
むしろ逆で牧口も戸田も「戦争に勝利する」ことを願っていたことは多くの歴史的資料から一目瞭然だ。
聖教にも書いてある通り、牧口・戸田の逮捕は「反戦思想」ではなく、治安維持法違反と不敬罪だ。

そして記事では宗門に対して

▼権力の弾圧を恐れた日蓮正宗宗門は、御書全集の発刊禁止や御文の削除などの大謗法を犯した。

などと書いているが、宗門が「弾圧」を恐れたとしたのなら
それは大御本尊と血脈断然を守るために「弾圧」を恐れたのである。
つまり自分個人への弾圧を恐れたのではなく大御本尊への弾圧を恐れたということでこんなことは至極当然のことだろう。
およそ日興門下のご僧侶の使命は大御本尊を守ることが第一義である。
大御本尊を守る事は血脈相承を断絶させない事だ。
大聖人仏法を守り伝えるのがご僧侶の本懐なのである。
軍部から神札を受けた云々(創価の言うように宗門が祀った事実はない)
御書全集云々、必勝祈願云々、観念文云々と
創価は戦時下の宗門の行動にいちいち非難を加えるが、
戦時下という特殊な時代の中で大御本尊を守る為に、
御文を削除したり神札を受け取るるという行動をとることに何の問題があるのだろうか?
創価は大御本尊よりも御書の方が大切とでもいうのだろうか?
俺はむしろ耐えがたきを耐え、軍部に面従腹背しながらも大御本尊を守った宗門僧俗は偉いと思う。
当時は人革の「狸祭り事件」で有名な小笠原慈聞氏が正宗と身延の合同を画策していた時期でもある。
もしも当局に口実を与えてしまえば強引に身延と合同させらる可能性も十分ある。
そうなれば大御本尊は身延のモノとなり血脈相承は途絶える。
そこまでして頑なに「神札は受けません」と当局に逆らう事が大切なことではないだろう。
創価が指摘する戦時中の正宗の謗法だが、正宗僧俗はその時に
創価が指摘するような謗法を犯さず大御本尊を失い血脈相承を失った方が良かったのか?

ご聖訓に曰く

◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり(阿仏房尼御前御返事)

日蓮大聖人の色心二法たる戒壇大御本尊を危険に晒す行為と神札を受け取るのとどちらが大きな謗法かは明らである。
大御本尊を危険に晒す行為に比べれば、創価の指摘する宗門の当時の謗法行為など「介爾ばかりの謗法」に過ぎない。
逆に牧口は言った

▽「私が嘆くのは、一宗が滅びることではなく、一国が滅びることなのだ」(創価公式HPより)

牧口は一宗すなわち正宗が滅び大聖人仏法が滅びることより国が戦争で負けることの方を嘆いると。
大謗法というのは、この牧口のごとき言動をいうのである。

◆日蓮によりて日本国の有無はあるべし(種種御振舞御書)

とのご聖訓を見よ。「日蓮によりて」の「日蓮」とは大御本尊である。
その大御本尊を失うことを嘆かずして、一国が滅びることを嘆くとは本末転倒だ。
この当時の牧口創価教育学会は寺院とは絶縁状態であり、
会員にも寺院への参詣を禁止していたことも忘れてはならない。

牧口は特高の尋問に対し

▽「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」
▽「会員は悉く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申し上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」

と答えている。牧口創価は形だけは正宗の信徒であるが、
その実は大聖人仏法の信者ではなく牧口教信者だった。
つまり、逮捕される前から牧口創価は日蓮仏法の本道から外れた謗法路線を進んでいたのである。

これについては、『人間革命』の第1巻に

▽「牧口の価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭みを帯びてくる。さらに、大善生活の実践のために、大御本尊を仰ぐ時。大御本尊は、価値論の範疇に入ることになってしまう。――ここに砕尊入卑のきらいが影となって射して来るようだ。戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。そして、南無妙法蓮華経そのもの自体から出発したのである。それは、幾多の苦難の歳月を経て身をもって体験した確信からであった。彼は、価値論を現代哲学の最高峰であるとは思っていた…しかし、大聖人の大生命哲学からするならば、時に『九重の劣』とすら思えた」

と書いてあるように、戸田も池田も牧口の信仰にあり方に間違いがあったことを認めている。

とまぁこの件についてはまだ書き足らないところもあるがそれは機会があればいずれ書くが、
言いたいのは、牧口・戸田が逮捕されたのは「法難」なんかではない。
ということである。

▽「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる、と話してください。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」(獄中書簡)
▽「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」(創価学会の歴史と確信)

と戸田が自ら言っているように、二人の逮捕・投獄は「法難」ではなく「仏罰」なのである。
なので、この「師弟の法難の日」というのは「そりゃ、ね~よ」って事である。
冒頭に会内でどんな記念日を作っても構わない。と書いたが
大聖人仏法と無関係な創価が大聖人仏法と関連付ける記念日を作るのはおこがましいにも程がある。
そこは、戸田の言葉を借りて、師弟の「仏罰の日」とでいいだろう。これなら大聖人は関係ないし(笑)
いづれにしても創価の歴史を見れば戸田時代の一部の事案を除き「法難」などないのである。
もちろん大作センセが逮捕されたのも「法難」ではなく選挙違反の容疑である。
そして今後も「法」を捨てた創価に「法難」など微塵も起こらないから安心したまえ。
それらは戸田に言わせれば全て「仏罰」である。


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創価学会常住御本尊の記念日?

先日の聖教新聞に、「5月19日は創価学会常住御本尊の記念日」と書いてあった。
俺が活動家時代は無かった記念日だが、いつの間にかまた「記念日」が増えたんだなぁ。
記念日だらけで大変だ。近い将来、大作センセの命日も増えるだろうし(笑)
どんな記念日が聖教新聞を読んでみると(以下太字は聖教新聞より引用)

1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。
だそうだ。戸田会長が願い出た創価学会常住本尊を書写(認めた)したの記念日。
創価らしく主語を意図的に書かないからなのか、この文章だけ読むと「戸田会長が書写(認めた)」したように誤読する人もいそうな文章だが当然のことながらそんなことではなく、戸田会長が時の法主である日昇上人に請願し日昇上人が書写されたのが本尊だ。
現在、創価本部にある本尊は正確にはこの日昇上人書写の本尊を大作センセが勝手に謹刻した板曼荼羅を日達上人が追認した板曼荼羅である。大作センセの本尊無断禁謹刻事件についたは機会があればまた書くがとにもかくにも戸田先生大石寺の法主にお願いをして日昇上人から下賜されたのが「創価学会常住御本尊」である。
授与書きには「創価学会常住」とあり、脇書には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれているので「慈折広布の御本尊」とも呼ばれている。会員に販売しているカラコピ本尊は授与書きを消しているではないか?と批判すると「授与書き」は御本尊と無関係な無意味なモノだ。といいつつ授与書きに書かれている「創価学会常住」という文字を取って記念日としているとは相変わらずのダブスタである。
さて、記事を読み進めていくと、

腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました

などと相変わらず宗門へ印象付けの悪宣伝を繰り返してる。日蓮正宗の戒壇大御本尊を日蓮正宗の御歴代である日昇上人が書写した本尊をいけしゃあしゃあと自分達の本部に安置し、しかも「記念日」に設定しながらその同じ舌先で大御本尊を否定し、血脈相承を否定し宗門を罵倒しているのである。本来であれば創価が退会者からカラコピ本尊を回収するのと同様に、破門された時点で正宗へ返納すべき本尊を返納するどころか「創価学会の根本の本尊」などといって嘯いているのだから、盗人猛々しいとはこのことである。「創価常住本尊」を下賜できたのは何故か?それは戸田会長が「戒壇大御本尊」を信じ、正宗の教義・化義を広め、正宗の外護に努めることを法主上人に誓ったからである。「御本尊は旗印」というが、何の旗印かと言えば「大御本尊を信仰の根本にする日興門下」の旗印であって、それを否定する邪教・邪宗の徒の端印ではないのである。
創価常住本尊を書写した日昇上人は明確にこうご指南している。

◇「戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする」と。

創価常住の本尊も、「戒壇の大御本尊の内証を認めている」のである。
つまり、創価常住本尊の実態とは「戒壇大御本尊の内証」なのである。
ところが創価は「戒壇大御本尊」は受持しない。と教義変更したのである。
「戒壇大御本尊」を受持しないのであれば、その内証を認めた「創価常住本尊」も受持しないということになる。
一体、どのような理由で「戒壇大御本尊」は不受で、その内証を認めた「創価常住」は根本本尊として受持するのか。
内証以外の何をもって「創価常住本尊」を受持するのか?
それこそ「単なるモノ」であって、「単なるモノ」を創価根本本尊とする理由は何なのか?
また血脈相承否定しなら血脈相承を受けた日昇上人書写の本尊を根本にすることは法主に信伏随従しているのではないか?
日昇上人は大御本尊の御内証を所持していると戸田会長は信じていたから「創価常住本尊」を願い出たのではないのか?
戸田会長は日昇上人に信伏随従していなかったくせに「創価常住本尊」を願い出たのか?
だとしたら僧侶が上ではなく、上から僧侶を見下していたのは戸田(信者)のほうではないか。
こんな矛盾だらけの創価の主張など、教学なんて知らくても道理で十分理解できるとおもうのだが、
それを理解できずに、或いは道理に合った説明できずに、自語相違を真顔で主張するから
「創価脳」「莫迦ツドウカ」「創価狂」などと言われるのである。

さて聖教の紙面には、
今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。
などと随分と勇ましいことも書いてあったが、私たち(創価民)が富士門流の教義を打ち破ったなどといことはあっただろうか?
リアルでもネットでもそんな勇ましい姿は目撃したこともないし、俺自身も本ブログでもリアルでも創価民に富士門流の教義を打ち破られた記憶は一切ない。
打ち破り、粉砕どころかまともに法論が出来る創価民すらいない。
逃げまくって遠くの方でイキるのが創価民の習性だろう(嗤)
法門・法義の話はサッパリで、新報だの地涌だのフェイクだのといったお手盛りの情報を垂れ流して印象操作するくらいしか出来ない、出来損ない創価民ばかりだ。そもそも機関誌で「日顕宗」などと言っている時点で単なる印象操作である。
ダーハラ怪鳥をはじめとする上層部ですらこの程度なのだから、在野の「罵詈活」の程度など知れている。
ともあれ、大御本尊を捨てた創価民にとって「創価学会常住御本尊」など、何の内証もない単なる板切れである。
まぁ、本尊が何たるかを理解できない創価民にとっては「内証」なんてどうでもいいのだろうが
そんな連中が「記念日」とか言っている姿は、やっぱり「狂ってるなぁ」としか思えないわけだ。
そして一人でも多くの会員さんがその「奇怪さ」に気づけばいいと思う。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
自分が知らないうちに誰かに退会届を提出されていて「いつの間にか退会」になっていた(旧)創価学会員。麗しき創価の同志に勝手に創価を退会させていただき折角なので戒壇大御本尊を捨てた大謗法の池田創価から日蓮正宗に戻りました。本サイトは池田創価の風聞・風説を基にした批判ではなく、日蓮大聖人の法門・法義を中心に大謗法の池田創価を筆頭に異流儀を破折するとともに、日蓮大聖人の仏法の正法・正義を書き綴っています。

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