男子部大学校?(笑)人員不足ですな

今日?の聖教新聞に「男子部大学校」発足の記事が載ってた。
「男子部大学校」?なんだろなって思って読んでみたら
なんのことはない、今までの「牙城会大学校」と「創価班大学校」を
ひとつにまとめて「男子部大学校」と銘打っただけじゃん(笑)
ここ数年は、牙城会も創価班も人材・・・
いや人員不足で、壮年部が代わりに着任してる。
なんていう話を現役創価活動家の友人から聞いていたが
どうやら、人手不足は深刻のようだね。
「牙城会」単独、「創価班」単独ではもう人が集まらないんだな。
これからは、ひとつにまとめて「男子部大学校」ってわけだね。

俺は、男子部時代には「牙城会」も「創価班」もやらなかったな。
活動2年目から毎年「大学校生」募集の時期になると
GからもSからも勧誘を受けたけど断固拒否した。
Sからは「大学校免除」という好オファーももらったが
「やりません」とにべもなく断っていた。
その理由は俺が副部長の面接を受けた時に
その面接官の幹部が俺の面接カードを見て
「君は創価班も牙城会もやっていないんだね」と言われたこと。
「どっちかやらないとなんでいけないんですか?」
「創価班や牙城会をやらないと信心の確信がつかめませんよ」
「いや、信心の確信があるからいまこうして面接を受けているんですけど?」
(幹部は少し嫌な顔をして)
「それについては幹部に指導を受けてください」
こう言われた時点で、絶対にどちらもやらない。
そんなモンにならなくても、信心はできると証明する。
と固く心に誓い、結局どちらにもならなかった。
それに当時は、あのダサいブレザーも着たくなかった。
牙城会は、ルパン三世か!って感じで
創価班に至っては、青空青空球児・好児か!というブレザーで
思わず「ゲロゲ~ロ」と言ってしまいそうだったな。
広宣部だけは、同じ組織のメンバーにどうしてもと言われて受けたが
おそらく「創価班ではない広宣部」っていうのは俺以外にいなかったと思う。
「牙城会は家が建つ。創価班は外に立つ。」なんていわれてたけど
まぁ、そんな感じではあったがそれでも当時はまだ
「牙城会大学校」「創価班大学校」に毎年入校するやつがいた。
因みに「大学校」とか「入校」といっても、学校があるわけじゃないんだけどね。

それがついに廃校ですか(笑)
新聞には「創価の未来を決する男子部に朗報!」なんて書いてあります。
笑いました。なにが「朗報」なんですかね。
で、こんな所に騙されて入って1年後になにが待っているかと言えば
今度は、「旧牙城会」の任務と「旧創価班」の任務の掛け持ちなのは目に見えてます。
いままでツーオペだったのが、これからはワンオペで
もう仕事や家庭どころの騒ぎじゃありません。
毎日のように、創価の施設のどこかに立っているようです。
それから逃れるためには退会するか
自分の身代わりとなる人物を「男子部大学校」へ送り込むしかありません。
「朗報」どころか「悲報」ですね。
右も左も分からない男子部もみんさん。
幹部に騙されちゃいけませんよ。
「大学校」なんかに入らなくても信心は出来ます。
創価で活動している時点で大聖人仏法ではないですが
「大学校」なんかに入ったら人生台無しなりますよ。
男の20~30代というのは仕事の基礎体力をつける期間です。
創価活動の為に仕事に使うべき時間を浪費すれば
将来、必ず後悔します。
「男子部大学校」なんて入っているヒマがあるなら
自分のスキルを上げる努力をした方がいいですよ。
貴方も周りのバリカツの壮年部を見てごらんなさい。
あんな風になっちゃいますよ。


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聖教新聞で大笑いした。

11月になってからまた我家のポストに
「聖教新聞」と書かれているゴミが不法投棄されるようになった。
今朝もまたポストに不法投棄されいていた。
捨てる前に何気に読んだ記事に大笑い。
「聖教新聞」にしてはあまりにも面白かったので
そのページだけ捨てずにおいた。
内容は11月30日の「儀典部の日」に合わせて「友人葬」のこと。
(11月30日が儀典部の日だなんて知らなかったなぁ)
なんでも学会の友人葬は時代の最先端をいく「宗教改革」だそうで。
相も変わらず【仏教には、葬儀に僧侶が出席しなければならないという教義はありません。
現に、釈尊は、“私の葬儀は在家に任せて、僧は修行に専念せよ”と言い残されました】なんて言ってます。
まるで釈尊の臨終を見ていたかのよう。
学会員さんは「仏教」なんて学ばないから
この手の話を真実だと思い込んでしまうだろうが
『仏説浄飯王般涅槃経』の浄飯王の葬儀や
『大般涅槃経後分』の釈尊の葬儀など一般的に知られているところだし
日蓮大聖人も、南条時光や阿仏房などの葬儀を執り行っている。
また日興上人も「曾禰殿御返事」のなかで
◇「なによりは市王殿の御うは他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とふらひ申候はめ」
と言われている。
まぁ~こういうようなことを全く学ばずに
聖教の記事ばかり鵜呑みにしているから今のカツドウカは法論のひとつもできないのだろ。
「釈尊も大聖人も葬儀に僧侶はいらないっていっているんだよ」
と自信満々に小っ恥ずかしいことを言っている
婦人部や男子部の姿が目に浮かびますなぁ(笑)

それはともかく、俺の笑いのツボにハマった箇所を紹介するね。
(以下【】内が聖教の記事)

【実際、友人葬に参列した方から、「すがすがしい葬儀で感動しました」「明るく荘厳でした。これが本来の葬儀だと思いました。私の時も、ぜひお願いしたい」などの声が聞かれます。】

こんな声が一体どこから聞こえた来たのか?
こんなことを言っているのは内部だけだろうって。
少なくても友人葬に参列した知り合いの外部の人達は
「坊主もいないしお経も素人みたいだし変な感じ」とか
「あの大勢で来ているのは学会員なの?」と訝しく言っている人しかいない。
また、実際俺が参列した「友人葬」もことごとく
清々しくもなければ荘厳でもなかった。
一体だれがこんな声を原田君達に届けたのか知りたいね(笑)

【ここで確認ですが、友人葬を執り行う場合、「会員からの儀礼的な意味での香典は必要ない」というのが、基本的な考え方です。】

「友人葬」なんだよね?「友人」なんだよね?
友人が故人に対して「香典」を持っていくのは当たり前でしょ?
「香典」をもってこない人は「儀礼的」な付き合いをしてた人ってことでしょ。
じゃぁ「友人」じゃぁないよね(笑)
外部の参列者はみんな言ってますよ。
「学会の人って香典も持ってこないんだね」って。
お香典てのは「儀礼的」なものじゃないでしょう。
「お悔みの心」を表したものでしょう。
それにさ、俺も祖母の時が友人葬だから分かるんだけど
「香典」を持ってこない人に「お清めしないで帰ってください」とは言えないでしょう?
創価が来れば来るほど出費するんだってば。
それにさ、いい年齢したオトナが香典も包まず葬儀に参列するなんてのは
みっともないし、非常識。

【「友人葬」で大切なのが、「随方毘尼」の法理です】

っていうならさ「香典」くらいは包むのが
日本における、「随方毘尼」ってもんだろ。
そもそも香典包むのも惜しいような人の葬儀に参列することないでしょう。
そんな人「友人」でもなけりゃ「同志」でもないでしょうが。
これじゃ単なる「他人葬」じゃん(笑)
そんな人には参列してもらう方が迷惑なんだってばさ。

で最後に大爆笑したのが・・・・

【年の瀬が近づいてきました。何かと慌ただしい時期だからこそ、事件や事故に巻き込まれないよう気を付けていきたい。】
【特に、「詐欺」には注意です。「私は大丈夫」と油断していると、思わぬ被害を受けるのが、「詐欺」です。皆で声を掛け合い、撃退しましょう。】

ぶははは(大笑)
年末の「詐欺」っていったら、「お前らの財務だろう~が!」(爆笑)
詐欺師が「詐欺に注意しましょう」って
なんのジョークだよ。
香典も必要ないっていうのならば
創価も「儀礼的な財務」を
会員から集めるのはおやめになったらどうか?
「香典」は儀礼的で
「財務」は真心って、言ってることおかしいでしょう。
また「寄付」ってものは「集金」するもんじゃないでしょう?
商店街のイベントの寄付金集めじゃあるまいしさ。

【 詐欺の手口は年々、巧妙になっています。「劇場型」といって、「身内を名乗る者」や「警察」「弁護士」などが次々と登場し、お金をだまし取ろうとすることもあります】

そうですよ。「激情型」と言って「大聖人仏法を名乗る者」や
「○○長」「○○婦人部長」などが次々と登場しお金をだまし取ろうとします。

【“医療費が戻る”と持ち掛け、ATMに誘導し、お金をだまし取る「還付金詐欺」も増えています。ATMで還付金が戻ることなど絶対にありません。】

”功徳が出る”と持ち掛けてATMに誘導し、お金を振り込ませる「功徳詐欺」が手口です。
創価の財務で功徳が出ることなど絶対にありません。

【対処法は、(中略)一人で判断せず、家族など相談できる人に、話をしてみることが防止につながります。】

対処法は、一人で判断せず、財務を振り込む前に創価以外の人に話をしてみることが防止につながります。

【高齢の方がいる家庭は、特に声を掛け合い、「不審な電話はすぐに切る」や、「家族だけの合言葉」を作っておくなど、具体的な対策を、どうかお願いします。】

ご高齢の方がいる未入会のご家族は特に注意してください。
創価幹部の訪問には居留守を使い
創価の電話にはでない・すぐ切る。など
なるべく創価幹部と接触させないように具体的な対策をお願いします。

は~、いまの聖教新聞てのは
結構笑える紙面づくりになったんだね。
あ!でも購読もしませんし
できれば我家のポストに捨てないでください。


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今週の言葉 (2017年4月24日)より

最近、帰宅すると我が家のポストに
時々、聖教新聞が入っている。
自分たちで退会扱いした俺のもとに
なぜ聖教新聞を入れていくのか?
嫌がらせなのか?
まぁ新聞を入れていく人は大体察しがついているので
嫌がらせではないことはわかっているが
意図がよくわからん。
せっかくなので我が家の猫のトイレ掃除用に
ありがたく使わせてもらっているが
今週の言葉に

@@@@@@@@@@@
広布は「対話」で進む。
動けば境涯が開かれる。
語れば仏縁が広がる。
勇んで打って出て
「心の財」を共々に!
@@@@@@@@@@@

と書いてあった。
相変わらず進歩がない。
「対話」「境涯」「仏縁」「心の財」
同じようなことを年がら年中書いていて
書く方も読む方もよく飽きないもんだ。
毎回同じようなことを書かなければならないくらい
創価活動家が対話能力に欠けているということだろう。
昔から対話能力に欠ける、
いわゆるアスペルガー症候群系の活動家は多かったが
どんどんとその傾向が強くなっている気がする。
ご本人たちは対話をしているつもりなのだろうが
公明党への投票や聖教新聞の購読を依頼するのは
「対話」ではなく「懇願」という行動だし
創価や大作センセの話を一方的にするのは
「対話」ではなく「漫談」である。
そんな「懇願」「漫談」を「対話」だと思っちゃうから
いつまでたっても「対話」ができない
「対話」ができないから「折伏」も決まらない
そんな活動家が増えていて実に喜ばしい限りだ。
さらに「対話」以上にできないのが
「対論」とか「破折」
一応話を上の空でも聞いてくれる人ならなんとかなるが
「反論」されるともうアウト。
特に法門・法義の対論となると
これが可哀想なくらいできないときている。
「追撃の手を緩めるな」だの
「悪とは徹底的に戦う」だの
威勢のいいのは仲良し同士の集まる
会合やコミュニティのなかだけで
一歩外に出て一人になるとでんで意気地がない。
もっとも、いまの創価の教義・化義・行動
そのどれをとってみてもポンコツでまともな事は何もないのだから
そりゃ「対論」などできるわけもない。
それでも、昔の男子部は戦ったモンだ。
俺も部員さんに
「法論で99回負けても最後に勝てばいい。勝つまで戦え」
なんてよく言ってきた。
俺自身も広宣部になりたての頃は
顕正会あたりにコロッと言い負かされ悔しい思いして
そうやって教学を学んだもんだが
今の活動家はポーズだけ(笑)
まぁ200%勝てないのだから仕方ないんだけどね。
そんなんで広布なんて広がらね~し
心の財も積めるわけなって~の。
え?そんなことない?
じゃ、なんで俺の在宅のときに聖教新聞もって訪ねてこないのさ?
留守を狙ってポストに投函していくなんて
対話する気なんてないでしょ(笑)

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今週の言葉(2016年10月24日)への雑感

任用試験に挑む宝友へ
皆で真心のエールを!
仏法への入門は
幸福博士の大直道なり。
生命の最高峰へ共々に!
@@@@@@@@@@@@

また今年もやってきましたね~任用試験。
弘安二年の大御本尊が出世の本懐と教えたかと思えば
翌年には、全く別のことを教えたみたりと
受験した年によってご本仏の出世の本懐が違っちゃうという
とてもお粗末で適当な試験の季節がやってきましたぁ。
そんなクルクル言っていることが変わる創価教学のなかで
唯一、ず~っと変わらないのが
「日顕宗を破す」という項目。
これだけは、なにはなくても必須科目なようですね。
しかし、あれだな。
任用試験というのは、先日コメントをくれた
「はすこ」さんのような組織に出始めたばかりの会員さんや
会友さんと言われる、外部の人も受験する試験だよね。
その試験に「日顕宗を破す」なんて項目があっていいものなのかね?
そもそも「日顕宗」なんていう宗派はないのに
ご丁寧に「なぜ日顕宗というのか?」という講義までして試験するんだもんなぁ。
しかもだよ、日蓮正宗とは無関係な団体です。って言っておきながら。
日蓮正宗とは無関係だが、日顕宗という宗派とは関係あるってことかいな。

で、このようなことを「教えられる」
外部の人や、はすこさんのような会員さんは
一体どんなふうな気持ちで
「日顕宗を破す」なんていう必須科目を学んでいるのだろう。
それが仏法への入門であり、
幸福博士の直道であり
生命の最高峰であると思っているのだろうか?
だとしたらとんだ勘違いだよ。
そもそも仏法の初門とは、アニメのなかで一休さんがいう「ナムサン」だよ。
「ナムサン」とは「南無三」と書き、「南無三宝」のことで
「仏宝」「法宝」「僧宝」の「三宝」に南無する。
これが仏法の初門。これがなければ何を学んでも「入門」することはできない。
しかし、創価教学での「日顕宗を破す」では、
正宗が僧俗差別をするのは悪だと教える。
つまり、僧侶は不要というのが創価教学のいう民衆仏法とやらの思想なんだよな。
そもそも「民衆仏法」なんて言い方自体おかしな話で
民衆が好き勝手に決めるのは、民衆法であって仏法じゃないし。
まぁ、そんな「僧侶不要論」は「僧宝否定」につながる。
大聖人仏法においては「三宝一体」であるから
「僧宝否定」はそのまま「仏宝」「法宝」否定となる。
「三宝否定」は大聖人仏法のみならず、大乗仏教ですら否定していることになる。
仏法への入門どころか仏法からの破門だな、これじゃ。

「御本尊はすでに三宝一体だから御本尊を信じていれば僧宝否定にならない」
な~んていう活動家さんもいるが
一体なにゆえそうなるのか?全然わからない。
そもそも、三宝一体の体とは仏の体だ。
仏宝に法宝も僧宝も含まれるということは以前書いたと思うが
大聖人仏法における仏の体とは大御本尊に他ならない
それ以外の御本尊は分身の仏だ。
本仏がそう何万人にいるわけない。本仏は一人である。
ゆえにその体も一つである。
それが戒壇大御本尊である。というのが大聖人仏法の根本義だ。
その仏の本体を受持せずに、分身だけ受持することが正しい受持であるわけないだろう。
分身は本体が無ければ存在しないが、
本体は分身がなくても存在する。
いくら本体と同じ力があっても、分身は本体あってこそ存在できるのである。
その本体を捨てることは、分身も消えるといことだ。
テレビや漫画だって、
「分身の術」が破られるのは
「本体を見破られて本体を攻撃されるから」だ。
サスケもウルトラセブンも北斗の拳も男塾も・・etc・・
全てそうだろ?それ以外の方法でどうやって「分身の術」を破るんだ?
その本体を自分たちで捨てておいて、
「三宝否定はしてません」って・・
どの口がいう?この口か?この口なんか?
そんなわけで、戒壇大御本尊を書写した本尊以外に本尊がない創価が
その根本を捨ててしまえば、そこにある分身はもはやないに等しい。
そこにあるモノは、だたのモノ。
まさに、池田センセのいう「ただのモノ」であって
三宝一体の体などではない。
要するに、創価には「仏様はいない」のである。

仏様がいない以上、創価の教学試験などは「仏法への入門」などになりえない。
ただの創価の教えであって、大聖人の教えじゃない。
大聖人の御書を悪用し、
人々に仏法だと思わせ、
幸せになれると騙して、
創価の教えを普及しているに過ぎない。
任用試験を作る側が、仏法から(正宗からでなく)破門された人たちだ。
他人に試験をする前に、まずは自分がキチンと学べ。というわけだ。

まぁ、そんな任用試験を「幸福博士」への直道だ。
なんて思える活動家さんたちは
ある意味、オメダイくて幸せな方々だとは思うが
俺は、そんな「おめでた博士」
「お笑い博士」にはなりたくないな。
俺は、芸人じゃないからな。

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わが友に贈る(2016年10月16日)より

友の面倒を見た人
支え続けた人には
誰のかなわない。
その人こそ最極の人生を
飾りゆく勝利者なり!
@@@@@@@@@@@

「言葉と共に生きていく・聖教新聞」なのに
どうしてこう「言葉遣い」を知らないのかなぁ。って思う。
「面倒を見る」と「世話をする」
同じ意味には違いないが、
日本語的には「面倒を見る」というのは
「厄介である」とか「大変である」とかいう意味も含まれるので
自分の目上の人には使わない。
つまり、「友の面倒を見る」というと
友は自分より「下」であり、友の面倒をを見るのは「厄介」ってニュアンスになる。
それってなんだから上から目線じゃね?
「友のお世話をする」っていう方かいいんじゃね?
根本が上から目線の創価幹部らしい言い方っちゃ言い方だが。

まぁそれはさて置き、創価幹部活動家さんが
「友を面倒見る」のは無理でしょ。
そもそも外部に「友」がいないじゃん。
え?「俺は外部に友人かいっぱいいる」って?
だったら、なんで折伏して本流しないのさ?
いっぱいいるんでしょ?友人が(笑)
まぁまぁ、見栄はらなくていいから(笑)
友人ってのは自分がそう思ってるだけでしょ。
となると、君等が「面倒を見る友」ってのは内部の学会員さんのことだね。
で?どうやって面倒見るの?
お金のない人にはお金をあげる。
仕事のない人には仕事を与える。
嫁の欲しい人には女を紹介し
病気に人には付き添い。
寝たきりの人には介護する。
「面倒を見る」ってのはそういうことだよ。
口先で簡単に「面倒見る」「支え続ける」なんていうけど
本当にそういう覚悟あるの?
そもそも学会総体として会員さんの面倒なんてみてないじゃん。
創価の中にどれほど生活苦の人がいると思ってんの?
そんな人たちにお金とかあげてんの?
あげないよな。そりゃ。
あげるどころか、「経済苦のいまこそ財務を頑張るとき」
なんていって巻き上げてんじゃないの。
所詮、君達の「面倒を見る」ってのは
悩める会員さんを、学会活動すれば功徳があると
だまくらかしして活動家にする。って話じゃん。
え?騙してないって?
だったら、戒壇大御本尊を棄てた創価にどうして功徳が出るのか
ちゃんと答えてみてよ。
答えられないでしょ?
だって出ないもん。功徳は。
そこから先は自己責任でしょ
何かあれば「活動を頑張る」とか
「お題目を上げる」とか
愚にもつかない指導?して
「面倒見た」気分に浸っている患部をいっぱい見てきてよ。
これのどこが、最極の人生の勝利者なのさ。
むしろ最悪の人生の落伍者としか思えない。
「言葉とともに生きていく」ってのは
「言葉巧みに会員をだまくらかして生きていく」そういうことなんだね~。
まぁ、「聖教新聞社」というネーミングだって
いかにも一般法人のように思わせる詐欺に近いネーミングだもんな(笑)
ともあれ、創価活動家のみなさんには
「できもしないこと」を「やろう」なんて思わないで欲しいな。
一度拾った捨て猫を、今度は保健所に持っていく。
君らの「面倒見る」ってのはそれと同じなんだよ。
他人の面倒を見てる暇があったら
自分の親や子供
旦那や奥さんを
まずはキチンと面倒見れるようになってからにしなさいな。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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