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ねつ造機関紙「創価新報」が月1発刊に縮小。

創価の悪名高き「ねつ造」「フェイク」機関誌の「創価新報」が今年から月刊になったようだ。「創価新報」のねつ造と言えば、いわゆる「シアトル事件」「芸者写真事件」「コーヒーカップ訴訟」「大草講頭の盗聴事件」など数えたらきりがない。むしろ創価新報に書かれている正宗批判記事で「ねつ造」ではない記事は無いに等しいヒドイ機関誌だ。ふた昔前ならそんな創価の情報操作・印象操作にコロっと騙されるてしまう創価民もいたかもしれないが、いまやネットを検索すれば何でも分かる時代である。「シアトル事件」「芸者写真事件」「コーヒーカップ事件」等々の結末もすぐに分かるし、創価と宗門の裁判の結果も調べられる。そして創価が破門になった経緯も宗門と創価の往復文書等を読めば創価は破門になるべくして破門になったこともよくわかるわけだが、いまだに創価新報などという「ねつ造機関誌」を鵜呑みにする学会員がいるというのは驚きだ。どれだけ創価活動民は「情報弱者」なんだよ!って思う。そんな創価新報について先日の聖教の紙上座談会で話題にしていた。(以下太字は聖教新聞より引用)

西方 このたび、正義の論陣の先駆けを担ってきた「創価新報」が「月刊紙」となり、特に「教宣」に力を入れた青年部の機関紙として、リニューアルされました。  
原田 企画の柱の一つが、これまでの学会の正義の闘争史を振り返るインタビューです。1月号は、谷川主任副会長が第2次宗門事件について語っています。  
長谷川 また、小説『人間革命』『新・人間革命』から破邪顕正の魂を学ぶ連載も始まりました。  
西方 男子部は、この「創価新報」を大いに活用しながら、正義の言論戦をさらに力強く繰り広げてまいります。


だそうだ。いや笑える。「正義の論陣の先駆」?こんなねつ造記事の事を世間ではフェイク記事と呼ぶのだが創価では「正義」と呼ぶらしい。「論陣」?新報が論陣を張っているのを読んだことない。だた宗門や上人のスキャンダルをでっち上げて印象操作しているだけ。「月刊紙」にしてリニューアル?いままで月2だったのが月1に減っちゃただけ(笑)リュニューアルしたのに減らすんだぁ。そういや創価グラフだって?あれは休刊(廃刊)なったんだっけ。まぁ大作の写真はいまじゃ公にできないもんなぁ。それにしても「教宣」に力をいれてリニューアルっていっておいて谷川が宗門事件を語ってどうすんのかね?創価側が創価の正義を語って「教宣」の役に立つとは思えない。客観性のない話は単なる悪口でしなかない。そんな創価の話を鵜呑みにして正宗から創価へ移る法華講員がいるのなら、もうそれは仕方ないというか既に法華講とは名ばかりの講員さんだろうから止める必要も俺は感じない。まぁその前に創価新報を活用して言論戦を繰り広げる創価民なんていないだろう。リアルでそんなヤツ見たことない。地元の創価民は俺の顔を見れば逃げていくし、先日であった自称「教宣部」を名乗る創価民も法論を持ち掛けても全くやる気がない。「相手にする必要ない」と負け惜しみを言ってるのだろが教宣部が法華講を相手にせずに一体何をするんだよって話だ(笑)リアルもそうだがネットの世界の創価民も同じ。本ブログにも過去に創価民が噛みついてきたが、全員「逃走中」の哀れな姿を晒しているだけである。ネットの創価民は宗門への悪口は書けるのだが法門法義による対論はできない。宗門への誹謗中傷するのが創価の言う教宣活動というならばなんとも情けないではないか。もっとも新報の記事からして宗門への誹謗中傷しか書いてないのだから仕方ないが。要は新報なんて内部へのMC活動以外に何も役に立たない。新報やフェイクの記事を引っ張り出してきては法華講に破折されている惨めな創価民の姿を知っているネット創価民は尚更新報記事なんて引用しないだろう。(してる創価民は相当の莫迦だが)いくらカッコつけても月2から月1へ減ったというのは需要がなくなったということ。需要がないというのはその商品に魅力がないか購買層が減ったかだ。新報の場合は「嘘ばかり」で商品価値がなく且つ創価青年部の活動家が減ったからこそ発刊頻度を減らしたということだろう。まぁこんな使えない創価新報も廃刊でいいとは思うがリニューアルされたらしいから今年はちょっとはマトモに大聖人仏法を語れる創価民と遭遇できることに淡~い期待をしたい。まぁ所詮創価の活動家なんてたかが知れてはいるけどね。(笑)


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師弟の「法難の日」?

数日前の聖教新聞に、昨日だから一昨日だか忘れたが「法難の日」という記念日と言う事が書いてあった。
なんでも、牧口・戸田(敬称略)が戦時中に逮捕された日を記念日にしたそうだ。

▼この学会精神の不滅の原点は1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生が治安維持法違反と不敬罪の容疑で軍部政府に逮捕された「法難の日」にある。(聖教新聞から引用)

こんな記念日は俺が活動家時代はなかったが、また増えたんだね。毎日が「何かの日」で創価民も忙しいね。
創価が会内で「ナントカ記念日」を作るのは勝手だが記事を読むと、
いかにも当時の牧口・戸田が正しい大聖人仏法を行じていたから難を受けた風に書いてある。
つまり、牧口・戸田の逮捕が大聖人仏法における「法難」であると。さすがにそりゃね~わ。
創価では牧口・戸田が反戦を訴えて逮捕されたように喧伝されているが、
むしろ逆で牧口も戸田も「戦争に勝利する」ことを願っていたことは多くの歴史的資料から一目瞭然だ。
聖教にも書いてある通り、牧口・戸田の逮捕は「反戦思想」ではなく、治安維持法違反と不敬罪だ。

そして記事では宗門に対して

▼権力の弾圧を恐れた日蓮正宗宗門は、御書全集の発刊禁止や御文の削除などの大謗法を犯した。

などと書いているが、宗門が「弾圧」を恐れたとしたのなら
それは大御本尊と血脈断然を守るために「弾圧」を恐れたのである。
つまり自分個人への弾圧を恐れたのではなく大御本尊への弾圧を恐れたということでこんなことは至極当然のことだろう。
およそ日興門下のご僧侶の使命は大御本尊を守ることが第一義である。
大御本尊を守る事は血脈相承を断絶させない事だ。
大聖人仏法を守り伝えるのがご僧侶の本懐なのである。
軍部から神札を受けた云々(創価の言うように宗門が祀った事実はない)
御書全集云々、必勝祈願云々、観念文云々と
創価は戦時下の宗門の行動にいちいち非難を加えるが、
戦時下という特殊な時代の中で大御本尊を守る為に、
御文を削除したり神札を受け取るるという行動をとることに何の問題があるのだろうか?
創価は大御本尊よりも御書の方が大切とでもいうのだろうか?
俺はむしろ耐えがたきを耐え、軍部に面従腹背しながらも大御本尊を守った宗門僧俗は偉いと思う。
当時は人革の「狸祭り事件」で有名な小笠原慈聞氏が正宗と身延の合同を画策していた時期でもある。
もしも当局に口実を与えてしまえば強引に身延と合同させらる可能性も十分ある。
そうなれば大御本尊は身延のモノとなり血脈相承は途絶える。
そこまでして頑なに「神札は受けません」と当局に逆らう事が大切なことではないだろう。
創価が指摘する戦時中の正宗の謗法だが、正宗僧俗はその時に
創価が指摘するような謗法を犯さず大御本尊を失い血脈相承を失った方が良かったのか?

ご聖訓に曰く

◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり(阿仏房尼御前御返事)

日蓮大聖人の色心二法たる戒壇大御本尊を危険に晒す行為と神札を受け取るのとどちらが大きな謗法かは明らである。
大御本尊を危険に晒す行為に比べれば、創価の指摘する宗門の当時の謗法行為など「介爾ばかりの謗法」に過ぎない。
逆に牧口は言った

▽「私が嘆くのは、一宗が滅びることではなく、一国が滅びることなのだ」(創価公式HPより)

牧口は一宗すなわち正宗が滅び大聖人仏法が滅びることより国が戦争で負けることの方を嘆いると。
大謗法というのは、この牧口のごとき言動をいうのである。

◆日蓮によりて日本国の有無はあるべし(種種御振舞御書)

とのご聖訓を見よ。「日蓮によりて」の「日蓮」とは大御本尊である。
その大御本尊を失うことを嘆かずして、一国が滅びることを嘆くとは本末転倒だ。
この当時の牧口創価教育学会は寺院とは絶縁状態であり、
会員にも寺院への参詣を禁止していたことも忘れてはならない。

牧口は特高の尋問に対し

▽「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」
▽「会員は悉く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申し上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」

と答えている。牧口創価は形だけは正宗の信徒であるが、
その実は大聖人仏法の信者ではなく牧口教信者だった。
つまり、逮捕される前から牧口創価は日蓮仏法の本道から外れた謗法路線を進んでいたのである。

これについては、『人間革命』の第1巻に

▽「牧口の価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭みを帯びてくる。さらに、大善生活の実践のために、大御本尊を仰ぐ時。大御本尊は、価値論の範疇に入ることになってしまう。――ここに砕尊入卑のきらいが影となって射して来るようだ。戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。そして、南無妙法蓮華経そのもの自体から出発したのである。それは、幾多の苦難の歳月を経て身をもって体験した確信からであった。彼は、価値論を現代哲学の最高峰であるとは思っていた…しかし、大聖人の大生命哲学からするならば、時に『九重の劣』とすら思えた」

と書いてあるように、戸田も池田も牧口の信仰にあり方に間違いがあったことを認めている。

とまぁこの件についてはまだ書き足らないところもあるがそれは機会があればいずれ書くが、
言いたいのは、牧口・戸田が逮捕されたのは「法難」なんかではない。
ということである。

▽「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる、と話してください。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」(獄中書簡)
▽「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」(創価学会の歴史と確信)

と戸田が自ら言っているように、二人の逮捕・投獄は「法難」ではなく「仏罰」なのである。
なので、この「師弟の法難の日」というのは「そりゃ、ね~よ」って事である。
冒頭に会内でどんな記念日を作っても構わない。と書いたが
大聖人仏法と無関係な創価が大聖人仏法と関連付ける記念日を作るのはおこがましいにも程がある。
そこは、戸田の言葉を借りて、師弟の「仏罰の日」とでいいだろう。これなら大聖人は関係ないし(笑)
いづれにしても創価の歴史を見れば戸田時代の一部の事案を除き「法難」などないのである。
もちろん大作センセが逮捕されたのも「法難」ではなく選挙違反の容疑である。
そして今後も「法」を捨てた創価に「法難」など微塵も起こらないから安心したまえ。
それらは戸田に言わせれば全て「仏罰」である。


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創価学会常住御本尊の記念日?

先日の聖教新聞に、「5月19日は創価学会常住御本尊の記念日」と書いてあった。
俺が活動家時代は無かった記念日だが、いつの間にかまた「記念日」が増えたんだなぁ。
記念日だらけで大変だ。近い将来、大作センセの命日も増えるだろうし(笑)
どんな記念日が聖教新聞を読んでみると(以下太字は聖教新聞より引用)

1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。
だそうだ。戸田会長が願い出た創価学会常住本尊を書写(認めた)したの記念日。
創価らしく主語を意図的に書かないからなのか、この文章だけ読むと「戸田会長が書写(認めた)」したように誤読する人もいそうな文章だが当然のことながらそんなことではなく、戸田会長が時の法主である日昇上人に請願し日昇上人が書写されたのが本尊だ。
現在、創価本部にある本尊は正確にはこの日昇上人書写の本尊を大作センセが勝手に謹刻した板曼荼羅を日達上人が追認した板曼荼羅である。大作センセの本尊無断禁謹刻事件についたは機会があればまた書くがとにもかくにも戸田先生大石寺の法主にお願いをして日昇上人から下賜されたのが「創価学会常住御本尊」である。
授与書きには「創価学会常住」とあり、脇書には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれているので「慈折広布の御本尊」とも呼ばれている。会員に販売しているカラコピ本尊は授与書きを消しているではないか?と批判すると「授与書き」は御本尊と無関係な無意味なモノだ。といいつつ授与書きに書かれている「創価学会常住」という文字を取って記念日としているとは相変わらずのダブスタである。
さて、記事を読み進めていくと、

腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました

などと相変わらず宗門へ印象付けの悪宣伝を繰り返してる。日蓮正宗の戒壇大御本尊を日蓮正宗の御歴代である日昇上人が書写した本尊をいけしゃあしゃあと自分達の本部に安置し、しかも「記念日」に設定しながらその同じ舌先で大御本尊を否定し、血脈相承を否定し宗門を罵倒しているのである。本来であれば創価が退会者からカラコピ本尊を回収するのと同様に、破門された時点で正宗へ返納すべき本尊を返納するどころか「創価学会の根本の本尊」などといって嘯いているのだから、盗人猛々しいとはこのことである。「創価常住本尊」を下賜できたのは何故か?それは戸田会長が「戒壇大御本尊」を信じ、正宗の教義・化義を広め、正宗の外護に努めることを法主上人に誓ったからである。「御本尊は旗印」というが、何の旗印かと言えば「大御本尊を信仰の根本にする日興門下」の旗印であって、それを否定する邪教・邪宗の徒の端印ではないのである。
創価常住本尊を書写した日昇上人は明確にこうご指南している。

◇「戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする」と。

創価常住の本尊も、「戒壇の大御本尊の内証を認めている」のである。
つまり、創価常住本尊の実態とは「戒壇大御本尊の内証」なのである。
ところが創価は「戒壇大御本尊」は受持しない。と教義変更したのである。
「戒壇大御本尊」を受持しないのであれば、その内証を認めた「創価常住本尊」も受持しないということになる。
一体、どのような理由で「戒壇大御本尊」は不受で、その内証を認めた「創価常住」は根本本尊として受持するのか。
内証以外の何をもって「創価常住本尊」を受持するのか?
それこそ「単なるモノ」であって、「単なるモノ」を創価根本本尊とする理由は何なのか?
また血脈相承否定しなら血脈相承を受けた日昇上人書写の本尊を根本にすることは法主に信伏随従しているのではないか?
日昇上人は大御本尊の御内証を所持していると戸田会長は信じていたから「創価常住本尊」を願い出たのではないのか?
戸田会長は日昇上人に信伏随従していなかったくせに「創価常住本尊」を願い出たのか?
だとしたら僧侶が上ではなく、上から僧侶を見下していたのは戸田(信者)のほうではないか。
こんな矛盾だらけの創価の主張など、教学なんて知らくても道理で十分理解できるとおもうのだが、
それを理解できずに、或いは道理に合った説明できずに、自語相違を真顔で主張するから
「創価脳」「莫迦ツドウカ」「創価狂」などと言われるのである。

さて聖教の紙面には、
今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。
などと随分と勇ましいことも書いてあったが、私たち(創価民)が富士門流の教義を打ち破ったなどといことはあっただろうか?
リアルでもネットでもそんな勇ましい姿は目撃したこともないし、俺自身も本ブログでもリアルでも創価民に富士門流の教義を打ち破られた記憶は一切ない。
打ち破り、粉砕どころかまともに法論が出来る創価民すらいない。
逃げまくって遠くの方でイキるのが創価民の習性だろう(嗤)
法門・法義の話はサッパリで、新報だの地涌だのフェイクだのといったお手盛りの情報を垂れ流して印象操作するくらいしか出来ない、出来損ない創価民ばかりだ。そもそも機関誌で「日顕宗」などと言っている時点で単なる印象操作である。
ダーハラ怪鳥をはじめとする上層部ですらこの程度なのだから、在野の「罵詈活」の程度など知れている。
ともあれ、大御本尊を捨てた創価民にとって「創価学会常住御本尊」など、何の内証もない単なる板切れである。
まぁ、本尊が何たるかを理解できない創価民にとっては「内証」なんてどうでもいいのだろうが
そんな連中が「記念日」とか言っている姿は、やっぱり「狂ってるなぁ」としか思えないわけだ。
そして一人でも多くの会員さんがその「奇怪さ」に気づけばいいと思う。


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「ナットク」というより「セットク」?いや「イカサマ」TALKだな。

29日の聖教新聞の4面に「ナットクTALK」なる記事があった。
この「ナットクTALK」なる記事は若く初信の男子部向けに書かれているようだ。
で、今回は早くも「選挙」関係のことが書かれていたのだが、
こんな与太話で「ナットク」するのか?「ナットク」というより「セットク」
いや、これは初信の学会員を騙しているだけの「イカサマ」TALKとしかいいようがない。
内容は、相変わらず日蓮大聖人の「立正安国論」を悪利用して
「公明党」の支援活動を「大聖人の仏法」といって会員を欺くという使い古されている悪どいTALKだ。
なんでも、この記事によると(以下太字は聖教新聞から引用)

池田先生は「立正とは生命尊厳の哲理であり、人間革命の方途を示した仏法の人間主義の思想を人々の胸中に打ち立てることである。そのための実践が広宣流布である。そしてこの広宣流布は安国という、社会の繁栄と平和をもって完結するのである」と述べられている。僕たちが政治に関わるのは、この立正安国の精神にのっとり。安穏な社会を築いていくという仏法者としての社会的責務があるからといえるよ。

とうことらしいが、まず池田先生の「述べている」ことが何を言っているのかわからない。
というよりも勝手に池田先生がそう述べてるだけなのだがそれがあまりにも抽象的で漠然としすぎ。
生命尊厳だの人間革命だのそれっぽい言葉を並べていれば、
聞いている方もなんとなく正しいと思うだろうみたいな
頭の悪い人間が利口ぶっているときのセリフである。
だから普通に聞けば大作センセの指導と選挙は全く結びつかない。
この大作センセの話を聞いて「選挙が立正安国だ」って思える人間は、
これまた頭の悪い人間が利口ぶって分かったふりしているように見える。

そもそも大聖人の言う所の「立正」とは「破邪」に対する言葉である。
そしてこの立正とは具体的に言えば「三大秘法」のことであり、
突き詰めれば一大秘法の戒壇大御本尊のことである(説明は省略)
つまり、一大秘法たる戒壇大御本尊の第一義悉檀をもって「破邪」することが大聖人仏法における「立正」であり、
それによって国土を「安国」せしめることが「立正安国」の精神だ。
公明党の支援がこの立正安国の精神に「則り」とか言っているが、
創価が言っている「その立正安国の精神」は「大作センセの我見の立正安国の精神」だ。
そんなものに則るのは大聖人仏法ではない。だたのジジイの譫言で酔狂とでも言ってもいいだろう。
そしてこれまた創価活動家が選挙における唯一の頼みの綱の依文である立正安国論の、

◆汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

だがこの御文のどこに「選挙」のことが書いてあるのかこれまた、
思考回路がショートしている人間しかわからない。同じく立正安国論には、

◆早く天下の静謐を思わ ば須く国中の謗法を断つべし
◆若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし・対治を加えよ
◆謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。

と書かれている。つまり「先ず四表の静謐を祷らん者か」とは
謗法破折・謗法対治のことを指していることは明白なのである。
「正道の侶を重んぜば」とは大御本尊に信を取る。といことである。
そして、「立正安国論」は国主諌暁の書であるから主権在民の現在に当てはめれば
自分自身と人々の謗法を退治し正法に導く事。
つまり折伏こそが唯一の「立正安国」の手立てなのである。

大聖人の立正安国の精神とは公明党を支援することでは断じてないのである。
そもそも大御本尊を捨てた創価に「立正」の精神がないのだから、
そんな創価が支持している公明党に「安国」にすることなど不可能だ。
公明党が与党になってからはどちらかと言えば「暗黒」ではないかと思うぞ。
しかも最近では公明党支援に異を唱えれば創価の組織から「処分」される始末である。
これのどこが「人間主義の思想」なのか、臍が茶を沸かすとはこのことだ。

創価の真面目な青年たちよ創価の「イカサマ」説法に騙されてはいけない。
選挙活動が信心だなどという莫迦な考えをもってはいけない。
投票権は自分の大切な「権利」である。それを創価に騙されて無駄に行使しなてならない。
どうしても、公明党に投票したいのならまだしも「大聖人の教え」などという思い違いをしないで欲しい。
そして、自分の友人・知人の大切な権利を気軽に創価の為に使わせるように真似は決してしてはならない。
ようするに、「公明党に投票したけば自分だけにしろ。他人の権利まで奪うことは許されない」ということである。
せめて、他人の投票権を侵害するような創価の選挙活動をしないことが君達の社会的責務だろう。
それをした瞬間に君たちは被害者から加害者へと変わってしまうのだからね。

それにしても、この登場人物である、創価3世38歳の新井区男子部長。
このままだと、我見と邪義で会員をだまくらかすような支部長とかになりそうで将来が心配である。(笑)


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魂の独立をした結果がコレ。

先日の11月28日は、創価の「魂の独立記念日」とやらそうで(笑)
聖教新聞では相変わらず一方的に宗門を悪者に仕立てて
もはや当時を知らない会員をだまくらかす記事が掲載さていた。
(以下太字は聖教新聞より引用)

 破門といっても、御書に基づく理由など何一つない。要するに、学会が信徒団体として宗門の権威に従っていないと決め付け、一方的に切り捨てただけである。全く人間抑圧、時代錯誤も甚だしい宗教悪そのものであった。

衣の権威”の鉄鎖から解き放たれた学会は仏法の人間主義の翼を広げ、世界宗教へと飛翔した。一方、日顕宗は衰退の坂を転げ落ちた。彼らこそ宗祖大聖人から厳しく“破門”されたことは明白である。  「魂の独立」から27年。我らは権威主義の宗教悪を責め抜きながら、大聖人直結の人間宗教の大道を朗らかに進みたい。

だそうだ(笑)まぁ何を言おうと勝手だろうが、魂の独立をした創価がその後にどうなったか?
大聖人の色心二法たる大御本尊を捨て、日寛上人のご指南を否定し、
大聖人仏法の基本の修行である勤行及びご観念文を変更し
財務と言う只の会費を供養と偽り、選挙を信心であるなどと騙り続けている。
日蓮直結などと言う己義を含めこれらの創価の所業の数々のたった一つであっても御書と符合しているところがあるのか?
それこそ御書に書いていないどころか大聖人仏法を悪用しているだけだろう。
な~にが宗教悪を責める。だ。法論のひとつも出来ないでコソコソと逃げまわるだけの活動家ばかりだろ。
「逃げるしかできない」活動家ばかりになったのは、創価が己義・邪義を連発してきたからだ。

さらに、ここ数年は執行部や公明党を批判したり、批判した人間と交流しただけで
会員を査問にかけ、活動停止や除名に追い込んでいるのはどこの組織だ。
会員を一方的に切り捨てる人間抑制の時代錯誤も甚だしい組織と言うのは
まさしく今の創価学会そのものである。
日蓮仏法を騙り、本尊もどきをばら撒き会員から金と時間を搾取し反抗すれば処分する。
それが、お前たち創価の言う「魂の独立」の結果なのである。
大御本尊から離れたものの成れの果ての姿なのである。

どんな詭弁を使おうと、どんな甘い言葉で誤魔化そうと
大聖人仏法を捨てたのは創価の方であるという事実は変えられない。
大御本尊を捨てて宗門を日顕宗と揶揄しながら、
いまだに、大御本尊を正宗の歴代法主が書写した本尊に題目あがているのも事実。
それなのに、日蓮直結だの御書だのと戯言を抜かすとは笑止千万だろう。
「魂の独立」というならば、もうお前たちの独自の本尊を使えよ。
いつまで日蓮正宗の本尊をコピってるんだ(藁)
マジでとっとと「独立」してくれないか?
お前たち創価には、大聖人も御書もなんの関係もないのである。
お前たち創価は、大聖人と無関係の門外漢なのである。
そして、それを望んだのは他でもない大作センセとゆかいな仲間たちだ。

彼らはそれは愉快であろう。
自分達の邪義をいくらいった所でご僧侶から咎められるわけでもない。
大御本尊へのご供養をそっくりそのまま自分達が搾取することができる。
なにもかも自分達の思い通りにできるんだから「宗門から独立」して嬉しいだろう。
しかし、それによって多くの純粋な会員達は無間大城に落ちていくのである。
上層部のように今世で贅の限りを尽くすことなく、だた搾取されたうえで無間地獄である。
要は創価の言う「魂の独立」とは、法華経に説かれている「五千起去」の事である。

■「この語を説きたもう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以は如何。この輩は罪の根深重、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。かくの如き失あり。ここを以って住せず。世尊は黙然として制止したまわず。その時、世尊は舎利弗に告げたもう『我が今、この衆には枝葉なく、純に貞実なる者のみあり。舎利弗よかくの如き増上慢の人は退くもまた佳し』」(法華経・方便品第二)


大作センセを筆頭に、創価が増上慢を起こして大聖人の会座から立ち去った日。
それが、11・28「魂の独立記念日」なのである。


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ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
【旧】日蓮正宗創価学会員(現日蓮正宗法華講)戒壇大御本尊を捨てた謗法団体でありながら日蓮大聖人の名を騙り世間や会員をだまし続ける創価本部・幹部・活動家の欺瞞・詭弁とインチキ創価教学
を徹底的に破折し正しい日蓮大聖人の仏法を宣揚します。

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