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新人間革命完結だってよ。

先日、小説「新人間革命」が完結したね。
最後の方は、連載打ち切りになったマンガのような展開で、
色々と端折ってムリクリ終わりにした感じだった。
センセイの連載は打ち切りになんてならないんだからもっと書けばよかったのにね。
なんで、山本伸一は突如として会員の前から姿をけしたのか?
姿を消したのちに伸一は何をやっていたのか?
伸一は恩師・戸田城聖が命を懸けて守ってきた戒壇大御本尊を何故捨てたのか?
とっても気になるんですけどそのあたりの事は一切触れられていないところが秀逸ですな。
聖教新聞では「新人間革命」完結を迎え連日関連記事が掲載されていますなぁ。

なになに.....トルストイの「戦争と平和」に匹敵するほどの作品とな(笑)
いや、ただ長く書いてきただけでしょが。トルストイと一緒にするとは言いすぎ。
「こち亀」や「ドカベン」の方が長いし内容も面白いでしょ。
池田センセより水島先生の方が凄い気がするなぁ。

え~っと....「『新・人間革命』の行間に 千数百万の庶民の人生が」とな。
確かに大作創価学会に騙された多くの民衆の怨嗟の声が行間に滲み出てますな。
とくに戸田先生とともに戦い創価の基盤をつくった草創期の方々は
大作センセのせいで、大御本尊から引き離され無間地獄で苦しんでいるのだから
そりゃ恨みつらみも言いたくなるでしょう。

そんな中、ダーハラ会長は
「『人間革命』『新・人間革命』は、広宣流布の歴史を通して「学会精神」を刻み残した「信心の教科書」です」
なんて言っちゃいってます。
今後もこの三文小説を会員に売りつけたい気持ちもわかるけど
いくらなんでも「信心の教科書」は言いすぎでしょ。
せめて「参考書」くらい言っておけば可愛げもあるのだが「教科書」って,,,,
じゃぁ「御書」は?「御書根本」だっていってるけど御書は、信心のなんなのさ?
「人革」が教科書ならば御書は何になるの?
これだから創価の患部・活動家はいつまでたっても基礎教学も身に付かないんだよ。
こんな三文小説を信心の教科書にしちゃうんだから。
こんなものエロカンターレの言霊集と同じでしょ(笑)
まぁね。これを「教科書」にすれば、喜んで学会活動に励むようなオカシナ人間に革命できるけどね。
「教科書」というより「狂化書」ですよ。こんなもんは。
しかし、これからの学会員さんはコレを買わされるんだろうね。
そのうち御書は扱わなくなるだろうからコレが御書代わりになるんでしょう。
毎月の座談会でこの三文小説を学習するのだろうね~。
30巻かぁ、1冊1500円としても45,000円。わぁ~大変だな。
まぁ少し待てばメルカリで全冊揃えで3000円くらいになると思うから慌てて買わない方がいいよ。
多分、新品同様品で売りに出させるから大丈夫(笑)

とはいえ、ゴーストライターの皆さんはお疲れさまでした。
ゴーストが書いているのバレバレのなか書き続けるストレスは相当なものがあったでしょう。
元気な池田先生が書いていると思っている会員さんを欺きつづけ罪の意識にさいなまれ眠れない夜もあったのでは?
え?それなりの高給もらっているし別に罪の意識なんてない?
さすがです。そのメンタルがなければ創価の職員なんて務まらないよね。
なにはともあれ「代作」ご苦労様でした。

さて、「新人間革命」が完結したということは、ついに大作センセの存在意義もなくなったというわけで
今後大作センセが「やる」としたら「大作本尊」くらいですかね。
どちらにしてもお払い箱になる日も近づいてきたように思います。
大聖人と同じ10月13日。創価の記念日の11月18日。戸田会長の誕生日の2月11日など
Xデー候補はいくつかありますね。
来年は参院選もあるので、早めにするかもう1年延命治療するか
人口呼吸器を外すだけであればXデーはいつでも自由に決められますからね。
選挙日程とにらめっこして、創価本部と公明党幹部で「いつにする?」なんて話し合っていそうです。
まぁ、ヤルなら参院選前の早い時期がいいでしょう。戸田センセと同じ4月2日はどうでしょう。
「センセの弔い合戦」ということで参院選大勝利間違いなしです(笑)

最後になりますが、「新人間革命」が完結したので
「先生からのお手紙」を運ぶ聖教新聞の使命も終わりですよ。
「人間革命が終わったので聖教新聞をやめます」といって購読を止められますよ。ラッキ♪


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靖国神社献灯問題でようやく創価が告訴。

ネットで大騒ぎとなった創価の靖国神社献灯問題で
ようやく、創価が告訴したと今日の聖教新聞で報じられていますね。
アートマンさんのところにも圏幹部から、鼻息あらく鬼の首を取ったかの如くメールがあったそうです(笑)
一応、聖教の記事の画像をアップしておきますね

Image-1.jpg

まぁ創価活動家の鼻息が荒くなる気持ちもわかります。
靖国神社献灯問題では随分と逆境に立たされていましたからね。
学会本部は何の手も打たないで一体どうなっているやらとヤキモキしていたのでしょうから
「今更」感一杯ですがようやく学会本部も重い腰を上げたという感じでしょうか。
とはいえ、この内容を読むと別に鬼の首を取ったようにはしゃぐような内容ではありませんね。
書いてあるのは「告訴をした」という事だけです。
問題発覚から1カ月以上経過しているのに、被疑者不詳ですし。
告訴が受理されたかどうかも分かりません。
「告訴する」だけならば、いつでもできます。
いつでもできるのに1カ月以上も告訴しなかったのはむしろ怠慢ですね。
大作センセは、「電光石火の如く」とスピードを重視していましたが
とても「電光石火」のような告訴ではありませんね。
このあと、どんな展開になるか分かりませんけど
真犯人がいるとなるとそう時間もかからず判明することでしょう。
(あくまでも警察が告訴を受理していればの話ですけど)
靖国神社側には振り込み内容の記録が当然あるでしょうから
防犯カメラ等を調べればすぐに犯人は見つかることでしょうね。
内部の犯行か?それとも外部の犯行か?事の真相が楽しみです。
ひょっとしたら、続報はない。と言うパターンもありまえますね。
ひっそりと告訴を取り下げる。というパターンも十分あり得ます。
宗門側のイメージダウンを図る目的で訴訟を起こし
敗訴は知らせず、和解内容も知らせず守らない創価のことですから
今回も、「とりあえず告訴しておけば会員も納得するし騙せるだろう。ほとぼりが済んだら告訴取り下げればいいや」
てなお得意の戦術であることも十分考えられます。
どっちにしても「告訴」しただけで鼻息荒く「ドヤ」っていうのはバカ丸出しですね。
「告訴」をしただけでは創価への疑念が晴れたとは言えないわけですから。
「ドヤ顔」するのは真犯人が確定した時までとっておいてください。
子供じゃないんだから「告訴」という意味をちゃんと理解してくださいね(笑)

それはそうと聖教記事によると、創価は「謗法厳戒」だったのですね。
「告訴」したというより「謗法厳戒」なんていう言葉を使っている方がむしろオドロキです。
靖国献灯問題の時に、「今の時代は献灯することは謗法ではない」
「このようなことも現代の広宣流布には必要な事だ」
「謗法は日顕宗だけだから今回の件は謗法ではない」
と言うような趣旨の事をそれこそ「ドヤ顔」で言ってた学会員がいましたが、
本部は「謗法だ」といって告訴していますよ。
「謗法ではない」言ってた幹部・活動家はどうするんですか?
少なくても査問の上で降格・役職停止処分にしないといけませんね。
学会本部の指導と全く違うことを発言するのは、幹部としての資格はありませんからね。
それと勘違いしてもらっては困るのは、「靖国献灯問題」ひとつをとって
創価が謗法と言われてるわけじゃないってこと。
仮に今回本当に真犯人がいたとしても
創価が謗法団体であるという事は全く何も変わりません。
しかしアレですよね。靖国献灯問題には敏感に反応するくせに
大御本尊を捨てることには何とも思わない創価幹部・活動家って理解できませんね。
靖国献灯よりも酷い謗法なのに誰も騒がない。とても不思議です。
ともあれ、犯人が見つかるといいですね~。
被疑者不詳のままウヤムヤで終わらせないで欲しいですよね。
警察も告訴を受理したのなら簡単な事件ですからとっとと解決してやってください。
受理してなけりゃできなですけど。

それにしても本部は今回の聖教発表は随分と賭けにでましたね。
一般会員さんはほとんど靖国献灯問題なんて知らなかったのに
わざわざ自ら知らせることになりました。
そしてこれを機にネットをみた一般会員さんが
やがてアンチサイトを覗くようになり退会していくのでしょうね。
そんな気がしませんか?


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ただ祈っているだけで行動がなけりゃダメなんだよね?

平成30年7月豪雨の被害は2時被害を含めまだまだ終わっていない。
改めて、被災地の皆様ににはお見舞い申し上げるとともに、
政府にはとにかく被災地への迅速かつ手厚い支援をお願いしたい。
さて、前日も書いたがそんな豪雨被害の最中に行われた創価の九州総会。
その模様を、聖教新聞は次のように伝えている。

雲間から時折、降り注ぐ柔らかな光。にぎやかなセミの声。
本部幹部会が開かれている間、九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた。


その昔、正宗の夏期講習登山について新報や地涌なのどの機関誌で
信徒の事を考えずに炎天下の真夏に開催するのはケシカラン。などと批判した創価だが、
当の自分たちは、200名近くの死者が出た大災害の最中に呑気に本郡幹部会を開いた挙句に
「九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた」などと世間の心情を逆なでするような記事。
穏やかな天気?よくもこんな表現をできるものだ。
言葉と生きていく聖教新聞。のキャッチコピーが白々しく感じる。
そんな中、大作センセはさすがに被災地の人向けにメッセージをくれたようだ。

初めに、このたびの記録的な豪雨の被害に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方々に届けと、ひたぶるに題目を送っております。支援・激励、また復旧に尽力される皆さん方も、本当にご苦労さまでございます。 尊き宝友を一人ももれなく、三世十方の仏菩薩よ、無量無辺の諸天善神よ、断固として護りに護り給えと、私はいよいよ強盛に祈り抜いてまいります。



だそうだ・・・・・え?まさかこれだけ?
だた題目をあげているだけなのか?
さすがに題目をあげているだけってことはないよなぁ。
だって以前から大作センセは、

祈っているから大丈夫 というのではなく、
祈りが行動につながるとき、 初めて祈りが叶う。
これが仏法の道理である。


などと指導をしてきたではないか。
ただ御本尊に祈るだけで行動が伴わなければ
それは法華経の行者ではなく法華経の信者であり
そんな祈りは叶わないと。
行動こそが大切だと。
この指導は幹部の常套句であり、大作センセの指導の根幹でしょ。
宗門は祈っているだけで行動をした来なかった。ともよく言っていたけど、
まさか、大作センセは「ただ祈っている」だけで
被災地に出向いて会員さんを激励する行動を起こさないのか?
そう言えば、熊本ににも東日本にも全く出向いていないけど。
確か、学会発表によれば大作センセは大変にお元気とのこと。
そんなにお元気なのに何故ご自分で激励に出向かないのか?
今の上級幹部が束になって激励したところで、
大作センセ一人に及ばないことはわかっているはずでしょう。
なのになぜに他人任せなのか解せない。

行動なき祈りは叶わない。と言っておきながら
永遠の指導者が行動を起こさないなんてどうしたものでしょう?
まぁ創価の幹部なんてのは、指導はするけど自分じゃやらない。なんて当然だけど
大作センセともあろうお方がそこらのアフォ幹部と同じことをするなんて・・
いやそれともそこらのアフォ幹部は大作センセを真似ているのか?
もちろん、大作センセのお身体の具合が悪く
会員さんの激励に回ることが体力的に困難ならば仕方がないと思うが
いまも「大変、お元気」とのことなのだから、
早く被災地に行ってあげてください。
ひたぶるに祈り、強盛に祈り抜く体力があるならば行けるはずです。
その行動なくして、祈りが叶わのですから。
あ!大作センセには仏法の道理とか関係かったですか?
てか、仏法関係ないですもんね。


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世界宗教の条件だって。

もう読んで笑った人も多いだろうが、
先日の「ニンカク」に世界宗教の条件とやらが書いてあった。
それによると世界宗教の条件とは、

※民主的な“開かれた教団運営”」「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」「血統主義ではなく、オープンな人材主義」「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』

だそうだ。
なにひとつ今の創価に当てはまっていない所が凄い。

「民主的な“開かれた教団運営”」
財務状況を全く公開しないという闇にまみれた教団運営

「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」
戸田先生時代からの信仰の基本である五座三座の勤行を廃止し
執行部批判をしたら査問の上即除名。

「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」
現場の意見は全く聞き入れられず、「上」からの打ち出しだけを実行する
異議を唱えれば活動停止。
「信徒無視」「幹部尊重」のヒエラルキー。

「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」
選挙活動や新聞拡販などの学会活動中心の活動で、信仰は二の次、三の次ぎ。

「血統主義ではなく、オープンな人材主義」
大作センセがダーハラを会長にする。というオフィシャルコメント聞いたことなし。

「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』
コロコロ変わる教義には「普遍性」ゼロ。


いやいや、ここまで見事に創価が世界宗教たりえないということを看破するとは
さすがは大作センセと言えよう。
さらに、同じ章では、

※誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると訴えた。

とも言ってのけている。
大聖人との間に何も介在させる必要がないといいながら
指導者が必要らしい。
この言い草ならば会員が大聖人と直結すれば指導者は要らない。ということだろう。
そもそも御書を通して直結なんて戸田先生が言っているという話だが
大聖人がいつそんなことを言ったのか?
戸田先生が本当にこういったのなら、
戸田の信心も大したことなかったと言わざる得ない。
また、御書を通して大聖人に直結させる手助けをするには
大作センセの低レベルの教学力では到底無理である。
その証拠にダーハラ会長以下、現在の学会員は大御本尊を捨ててしまった。
そして今のなお大御本尊を捨てたことの正義について誰ひとりまともに論証できない。
大聖人直結どころか、大聖人をカット。
これが本当の「C作戦」である。
大御本尊は最初から「一閻浮提総与」の御本尊であり
大聖人仏法は最初から「世界宗教」なのである。
大作センセごときが小利口ぶって「世界宗教とは」なんて言及する必要もないのである。
その大御本尊をカットした創価に世界宗教たる資格も権利もない。
仮に大作センセが言うような創価になったとしても
いかんせん、世界宗教の名に耐えうる「本尊」が創価には無いのである。
そんな事にも気づかないで、創価が世界宗教になりえると思っている会員さん達は、
完全に大作センセとダーハラ執行部に騙されているお気の毒な人達である。
もっとも先に書いたように今の創価は、
大作センセが言っている世界宗教の条件を一つも満たしていないのだから
単なる「怪しい新興宗教」以外の何物でもないのである。

学会員さん、よく自分の組織を見てみてくださいな。
民主的な“開かれた教団運営、『言論の自由』を保障、『信徒尊敬』の平等主義
『儀式』(学会活動)中心ではなく『信仰』中心、、オープンな人材主義
そんなもの貴方の組織にありますか?
少なくても私は活動家時代にそんな組織見たことありませんよ。
もしも、「私の組織はこのような組織だ」と言うのであれば
それは貴方が、幹部側の人間だからです。


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真実は正義じゃない。

ただいま絶賛連載中の「新・人間革命」はいよいよ創価の破門劇が書かれている。
言いたい放題・書きたい放題である。
オツムの弱々しい創価活動家・幹部達は、この大作センセのお話をもって
創価は正しい。宗門は悪。なんて決めつけたがるが
一応、世間一般的な常識を教えてあげると
「真実」とは「事実」ではない。ましてや「正義」でない。
「事実」とは客観的に実際に起こった事項だ。
故に「事実」には善も悪もなくただの事象以下でも以上でもない。
この事実をもとに導き出されたのがいわゆる「真実」というものである。
平たく言うと「真実」というのは、主観的なものだということだ。
つまり、人間革命で書かれていることは「真実」であることは間違いないのだが
それはあくまでも大作センセから見た「真実」であって客観的真実と呼ぶには程遠い「真実」なのである。

例えば今回の章の中に、いわゆる11・16スピーチに対して次のような記述がある。

※伸一のスピーチは、世界宗教へと飛躍するための布教の在り方、宗教運動の進め方に論及したものであった。

実際のその時の大作センセの問題の発言はこうだ。

※猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません。

さらにこの11・16スピーチの前に平成2年6月には、
※坊さんだから権威があるのか。坊さんだからといって威張っているが、とんでもないことだ、坊さんが権力で私達を押さえようとした時は、力を合わせて戦おう。坊さんは皆にどれだけ献身したか、していない(同六月十二日・婦人部総会)
※金ばかり取って、少欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか責める、いじめる、嫌な思いをさせるような人に、我々はなめられてはならない。秋谷はびくびくして、顔色ばかりうかがって、だから宗門からなめられるのだ。お寺のことで何かあったら、私といっしょに立ち上がりましょうよ(同六月二十日・六月度幹部会)

というスピーチもしている。これが「事実」である。
これは俺の中の真実では、「宗門を批判している」と思うが
大作センセの真実は「世界宗教へと飛躍するための布教の在り方、宗教運動の進め方に論及したもの」らしい。
俺が大作センセの真実をそのまま受け取り事実と照合すると
世界宗教に飛躍するためには宗門は不要。大作センセにやることに文句を言うな。という真実に行きつく。

これだけではない。
宗門は檀徒作りを画策した。なんていってるが元々学会員って言うのは正宗の檀徒だろう。
また供養をむしり取った。なんていっているけどその供養は端から学会のモノではないはずだ。

何よりも酷い下りは

※これでは、もはや、日蓮大聖人の仏法ではない。日興上人の御精神は途絶え、富士の清流は、悲しいかな濁流と化してしまった。

である。
これは、もはや大作センセ自身の真実(妄想)をあたかも「事実」のようにねつ造してるに過ぎない。
富士の清流が濁流と化した客観的事実などどこにも存在しないのにそれを事実であるかのごとくでっち上げているのだ。


創価の諸君が大作センセの妄想を真実として受け止めそれを主張するのは構わないが
事実でないものを事実であるかの如く発言し
また、大作センセの真実(妄想)が大聖人仏法の正義であるかの如く主張するのは許されない。
今の創価に大作センセの正義はあったとしても、大聖人仏法の正義はない。
もしそれを主張したいのであれば大作センセの真実(妄想)ではなく
大聖人の文証と理証をもって主張すべきである。
真実とは学会員が100人いれば100個。法華講員が100人いればやっぱり100個の真実がある。
それらは、個々においては正義かもしれんが全てが大聖人仏法の正義ではないのである。
究極的には大聖人仏法の正義は「ひとつ」しかない。
それは。弘安二年の戒壇大御本尊だ。
日興門流であればそれを否定できないだろう。

創価はその「大御本尊」を捨てたのである。これは事実である。
この事実からどんな真実を導き出すか?
それこそ、大聖人から一人一人が試されているのである。
大作センセの真実を信じるのでなく
自分自身の真実を導き出すことが大切なんだよ。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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