仏縁って何?

退転壮年部おじさん、さんから
仏縁って何か?というような内容のコメントをもらった。
創価幹部・活動家のひとつのロジックととして
「創価学会のお陰で御本尊にめぐり合えたから創価学会に感謝している」
「大聖人仏法を教えたくれた創価学会を守ってくれた池田センセに報恩したい」
というようなロジックがある。
かくゆう俺も創価学会によって大聖人仏法を知った一人であり
以前は、上記のような想いを持っていた。
創価のお陰で仏縁を結ぶことができたことを感謝する。ってワケだね。
さて、では仏縁ってのは一体何だろう?
御書には、

◆仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし(減劫御書)

と書かれているように、仏縁とは「仏種に縁すること」
或いは「仏種に縁させる」ことだ。
この仏種とは一大秘法の法体、事の一念三千で
具体的に言うと弘安二年の大御本尊であるというのが大聖人仏法の根本だ。
上記の御文の一乗とは大御本尊に他ならない。

では、創価学会のお陰で仏縁を結べたのか?
池田センセのお陰で大聖人仏法(大御本尊)を知ることができたのか?
確かにある一面だけ捉えればそう思えなくない。
しかし、その前に忘れていけないのは
仏種(大御本尊)が存在していたということだ。
いかに池田センセが偉大だったとしても
創価に力があったとしても
仏種がなければ仏縁を結ぶことは不可能のは道理だろう。
その仏種たる大御本尊を、大聖人ご入滅の後
数百年間守りつづけ、創価学会に縁させ、池田センセに縁させたのは
他でもない、日蓮正宗の僧俗であることは
創価や池田センセがなんと反論しようとこれは歴史の事実だ。
ではなぜ数百年間仏種を守ることができたのか?
それは総じて言えば、大御本尊はご本仏そのものだからであり
別して言えば、唯授一人血脈により大聖人の法義が正しく相承されたからである。
それがなければ、正宗も身延同様の有様になり大御本尊も蔑ろにされていたかもしれない。
いや今の創価を見ればわかるように
寧ろその可能性の方が大きい。
そう思えばその根本(大御本尊と唯授一人血脈)に
まずは感謝し報恩の念を抱くのが信仰者として正しい思いなのではないか。
それは、池田センセも同じである。
池田センセだって正宗に大御本尊がなければ
正宗に正しい大聖人仏法がなければ
創価もないし、創価がなければ今の人生はなかっただろう。
せいぜい、マルチ商法で成功するか
振り込み詐欺の元締め位じゃないだろうか?
(まぁ、あまり違いはないが)

創価に感謝するのもいいし、池田センセに報恩の念を持つことも自由だが
大聖人仏法を信じているというならば
根本の大御本尊と一人血脈相承にも同じように感謝すべきだと思う。
それを、創価幹部も活動家も池田センセも
いまではすっかり根本への感謝と報恩の念を忘れ
仏種たる大御本尊まで捨ててしまったのだから
もはや、創価に仏縁を結ぶ行為などできない。
やりたくても仏種を捨てたのだから仏縁を結ぶことは不可能なのだ。
創価が今結べるのは「悪縁」だけだ。
それが不知恩の者の成れの果てである。

◆法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし、但し師なりとも誤ある者をば捨つべし(曾谷殿御返事)

創価や池田センセによって大聖人仏法に巡り会えたとしても
「誤りがあれば捨てよ」
それが大聖人仏法だ。

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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