だからぁ創価学会の功徳ってなんなのさ?

創価の活動家が創価がすごいって
伝えるための手段として
よく体験談を話す。
リアルでも話を聞くし
ネットでもブログなどで
自身の体験談を書いたりする。
病気が治った話や
貧乏から這い上がった話
あとはまぁ、どこにでもなるような
どうでもいいような体験談とか
まぁ、様々言ったり、書いたり。
で、最後に締めくくりとして
創価学会ではこんなに功徳が出ます。
池田センセに感謝してます。
って締めくくるパターンが多い。
これって変じゃね?
仮りそめにも、「私たちは日蓮大聖人の仏法を信仰してます」
って言ってんだから普通なら
ご本尊に祈ればこんなに功徳が出ます。
大聖人に感謝してます。
と言うはずだろ。
なのに、大聖人の「ダ」の字もなく
創価学会の信心は功徳が出る。
な~んて言ってる。
これって、絶対に大聖人の仏法を信仰してないよね?
なのによくも、いけしゃぁしゃぁと
「私は大聖人の仏法を信仰してます」とい言えるもんだね。
どの口がそんなこと言うかなぁってつくづく思うね。
仏法では両舌。二枚舌ってやつかね?

まぁ、別にご本人が何を功徳と思い
創価学会の信心の功徳と思おうが
別に個人の自由。
ただ、嘲笑と憐れみを込めて聞いているだけ。
未来に無間地獄へ行くわけだから
せめて今世での功徳と思わせてあげてもいいが
他人に向かってウソを言ってはいけません。
創価学会の信心で功徳が出ると言うならば
なぜ、創価の信心で功徳が出るのか?
それを、文証・理証で説明するべき。
なのに、リアルでもネットでも
創価の信心で功徳が出るという事を論証する人はほとんどいない。
たまに、いてもそのロジックが実に拙く
とてもじゃないが、聞くに堪えない代物ばかり。
そもそも大御本尊をすてた創価に功徳など出るわけがない。
創価の信心って仏法でもなんでもない。
だって、創価には法宝も仏宝も僧宝も存在しない。
南無三というように、「仏・法・僧」の三宝に帰依するのが仏法の基本だ。
その三宝がひとつもない創価の信心に
なんの道理で功徳がでるとうのだろう。
創価学会の功徳って一体なんなのさ?
仏法的に言えば、それは功徳でなく
魔の通力というのものだ。
創価という破仏法の謗法団体にとどめて置きたくて
魔が通力をもって功徳と思えるような現象を出しているだけ。
それも分からず功徳だって思いたければご自由に。だが
信心の浅い会員さんや外部の人間に
「創価の信心すれば功徳がある」なんてウソいわないよ~にね。
嘘じゃない。っていうのであれば
皆が納得する文証・理証を示しなさいな。
学会活動家だけに通用する与太話じゃなく
キチンと皆が納得する話をしなさいよ。
創価学会の功徳の正体を説明してご覧よ。

てか、創価大学の宮田教授は
創価じゃなくても功徳が出る。
って言ってますけど(笑)

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No title

拝見しました。

管理人さんの憤りや不満もよくわかります。
私の地元や他県の幹部ともよく話してきました。 結果はまるで他人事のような受け答えでしたね。

古く苔むしたギリシャ哲学でも聞いてるように。

 困ったら異口同音に「自分は池田先生についていくから、 人生の師匠と決めたんだから、、仏法を実際に世界に広めたのはガッカイだから、、」 と言うんですね。

 だから法論にはならない。 この時点で「文証」を捨てて、理証をスルーして、「現証=世界に広まった」というわけです。

 そして「自分はたいしたことはないが、全国にはすごい人がいっぱいいる」と言います。

 いったいその人はどこにいるのか。 本来は地区内、支部内にうじゃうじゃいらっしゃってもいいのに、そうでもない。

 まあ、そういうわけで一定の思考エリアから出ようとしないから、ほとんどが無駄に終わります。
 古い言葉ですが、互いの位相がもう違っちゃってる。  

 私流にいえば、自分を捨てちゃって共同幻想のような「ソウカガッカイ」に人生を仮託しちゃってます。 楽だからですね。そのほうが。 責任はみんなで分け合ってうやむやにしてればいいんだから。

 「一切衆生の異の苦は悉く日蓮一人の苦なり」

 他人事にしてる場合じゃないんだよ!

 災害も戦争法案も不景気も自殺も親殺し子殺しも。

 入会、日の浅い方々。 そして「なんだかおかしいな。。」と感じてらっしゃる方々。

 どうぞ幹部や紹介者に尋ねてみてください。。

 「文証・理証・現証」の上から、ソウカガッカイが正しいということを教えて下さい」、と。

 三大秘法ってなんですか?って。

 種脱相対(シュダツソウタイ)ってなんですか? って。

 大聖人と関係なくても、本当に功徳って出るんですか?

 創価の云う「世界平和」ってなんですか?

 と。 そしたら安心できますでしょう?
 
 きっと明快に答えてくれますから。(笑)

 ちなみに『功徳』ですが

 御書には、「功徳とは六根清浄の果報なり」と、明確です。

 ただの「いいことがあった!」じゃないんですよ。

 天理教でもガンが治った方はいるんです。

 どこがどう違うんでしょうか。

 これも先輩幹部さんに問うてみてね。^^

 

 
 

はじめまして

はじめまして 非活壮年部 Kともうします。
修行として五座三座の勤行をされる皆様へ  ご一読ください

「今の勤行の形は日昇時代から」と日顕
 「大白法」の「異流義破折」の戯言を砕く
「三百年間、勤行の形を変えてない」は真っ赤な嘘
 日顕宗・法華講の機関紙「大白法」(一月十六日付)の「異流義破折」欄で学
会が新しい時代に即して制定した勤行・御祈念文について見当違いの批判をして
いる。その駄文の筆者は恋愛ごっこでも空想しながら書いたのか、勤行について
述べるのに「惚れてしまえば、あばたもえくぼ」で欠点も長所に見える等とバカ
みたいなことを記している。
 それを言うなら日顕という血脈詐称の醜い「あばた」を「えくぼ」だと錯覚して
「御法主上人猊下」等と崇め奉っている日顕宗の僧俗にこそ当てはめるべきだ。「大
白法」では日寛上人の「朝暮の勤行は但両品に限るなり」の文を引き、「既に勤行は
五座・三座になっている」と書いているが、「但両品に限る」が、どうして「五座・
三座」なのかという説明もせず誤魔化しており、説得力が全然ない。
 日寛上人は当時の信徒への書状に「若し爾不(しからず)んば十如自我偈題目
なりとも……」と「方便品の十如是と寿量品の自我偈と題目だけでも……」と書
き送っているではないか。
 また「日蓮正宗ではその後も三百年間、これを変えていない」とも書いている
が、「大白法」の記者は、日顕の著作や話した内容を読んでいないとみえる。
日顕自身が自分の所化の頃の勤行は現在とは全く違っていたと述べた後「今のような
形で勤行するようになったのは第六十四世水谷日昇猊下の時からだった」と言明して
いるではないか。「三百年間、これ(勤行の形)を変えていない」とは真っ赤なウソ
なのである。
 更に「御相承の深義が、観念文の文言のなかには含まれている」と戯言を述べ
ている。
 ならば、昭和十六年八月二十二日付で出した「御観念文制定ニ関スル件」と題する
「院達」(院二一七六号)も「御相承の深義」なのか?
 そこには「御観念文ハ従来種々ノ様式アリタルモ今回別記ノ如ク制定候條御了
知ノ上所属檀徒ニ徹底普及方御配慮相成度候也」と記し、ここで徹底されている
勤行式の初座では天照大神、神武天皇を尊崇する御観念文に改竄。梵天帝釈を削
除した代わりに「皇祖天照大神皇宗神武天皇肇国以来御代々ノ鴻恩ヲ謝シ」と皇
室の恩を強調している。
 三座では「御開山日興上人」としているのみで日目上人はもとより、僧宝であ
るべき日興上人へも「南無」を冠することすらしていないではないか!
 しかも、第四世日道以下の歴代は、バッサリと削除して「官民一致国威増輝ノ
為ニ」としている。驚くべき「御相承の深義」だ。
 そして、二座も長行なしの方便品と自我偈でもよく、二座と三座、また四座と
五座を併せて、各一座として行ってもいい、と明記しているが、これでも「三百
年間、変えていない」と言えるのか?

ありがとうございました。

Re: No title

ランボーさん、こんにちは。

いつも御書に即したコメントで読んでいて清々しいです。
ランボーさんのような方がいて何故?って思いますが
それが、創価学会と言う所ですもんね。

No title

御祈念文を祈ってない人が増えている気がする。
とっくに組織も個人も己心の魔との戦いに入ってるんですけどね〜。

No title

体験談を話すことには何の問題もないと思う。
作り話を体験談というのは嘘。
大聖人がいう通りにこうやってみたら、こうなりました。でいいと思う。
正直にそのまま言えばいいのです。
その上で、誰が理解できても、共鳴できても、納得できてもいいのです。
所詮他人の苦労などわからないのが普通で、同じ経験でもなければ一発で共鳴することはない。
ところが、成果に焦っている人、視野が狭い人、努力する気がない人、空間自由度が低い人などは、その一発だけを狙っている。エベレストの山頂へワープしようとしているようなものだ。残念ながら人類にはまだそんな技術がありません。ご本尊流布も五老僧と同じ道をたどっている。
とかく他力本願の人は、自分が分からないのは教える方が悪いと思っているが、双方にとって依正不二でしょう。

Re: No title

大翔さん。コメントありがとうございます。

> 体験談を話すことには何の問題もないと思う。
> 作り話を体験談というのは嘘。
> 大聖人がいう通りにこうやってみたら、こうなりました。でいいと思う。
> 正直にそのまま言えばいいのです。
> その上で、誰が理解できても、共鳴できても、納得できてもいいのです。
> 所詮他人の苦労などわからないのが普通で、同じ経験でもなければ一発で共鳴することはない。
> ところが、成果に焦っている人、視野が狭い人、努力する気がない人、空間自由度が低い人などは、その一発だけを狙っている。エベレストの山頂へワープしようとしているようなものだ。残念ながら人類にはまだそんな技術がありません。ご本尊流布も五老僧と同じ道をたどっている。
> とかく他力本願の人は、自分が分からないのは教える方が悪いと思っているが、双方にとって依正不二でしょう。


同感です

ごちゃごちゃ言うな

どーでも良いけど、あんたほんまに
愚痴多いな。そら功徳なんて出るかいや。いつも毎日高齢の体をおして聖教新聞の記事書いてる池田先生に
感謝して何が悪いねん!
会員様の健康お祈りしてます、の中にあんたが入ってるんなら腹たってしょうがないわ。師匠の心も知らずに。あんたほんまに学会員?
違うやろ。ただのアンチ創価やろ?
それやったら俺も相手してる程暇じゃないねん。そうじゃなかったらどーでも良い愚痴言わずに素直に指導通りに学会活動した方が良い。それがあなたの為でもあると思う。
まぁ、もう任せるけどね。頑張って。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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