今週の言葉(10月26日)

 任用試験に挑む友は
 新時代の希望の光なり。
 「求道」は境涯の拡大。
 「研鑽」は智慧の深化。
 信心の喜びを共々に!
@@@@@@@@@@@@

教育というのは、その人のアイデンティティを形成する上で本当に重要だよね。
幸・不幸も無垢の頃受けた教育によって左右される。
お国為といって戦争で亡くなった日本の先人達
反日教育を受けた中国や韓国の人々。
こうした方々に共通するのは
権力者が、自己を正当化するために
間違った歴史や思想を教育することだろう。
自分達に都合のいいように歴史を塗り替え
自分達の都合のいいような思想を植え付ける。
そうした教育を受けた人々はやがて
権力者のいいように使われる。
それは不幸な事だが、
それが幸福なことと思ってしまう。
間違った教育を受ける事は、
不幸の原因だ。
学会の任用試験は、
まさに創価上層部(権力)による
間違った思想と歴史を教え込む
最初の教育だ。

来月、任用試験を受ける会員さんは
いま試験に向けて勉強している事と思うが
一応忠告をさせてもらえば
今学んでいる事は、日蓮仏法ではなく、
創価教の教えであることを理解して学んでほしい。
日蓮仏法の教えと言うのは
信・行・学ともに、最終的には大御本尊に帰結しなければ意味がない・
特に教学は大御本尊への信に帰結することを目的とする。
何故なら、御書に書かれている事は全て
大御本尊(大聖人)の事について書かれているからだ。
御書は全て大聖人の心法より書かれている言葉だ。
だから普通にそして素直に教学を学べば
必ず、大御本尊(日蓮大聖人)への信に帰結するはずなのだが
学会は、その大御本尊を信受しないのだから
どう転んでも大御本尊にはたどり着かない。
それは、日蓮仏法の教えで無く
大聖人の御書を悪用して創価教学を教え込まれているだけなんだよ。
どれだけ「求道心」があっても
どれだけ「研鑽」しても
大御本尊への信に帰結しない創価教学では
境涯など拡大しない(悪い方には拡大するかも?)
智慧も深化しない(凡夫の浅智慧くらい)

そもそも、創価教学と言うのは、学会村の中でしか
通用しないし、価値もない。
学会村から一歩出たら、
創価教学など全く相手にされなし、通じない。
いままで、このブログにコメントくれた自称活動家さん達のコメント読んだり
掲示板や知恵袋などで創価教学を書き連ねている活動家さん達の主張を読むと
理屈にすら合わない事ばかり。
本人達は一応創価で教学をそれなりに学んで
ちょっと教学に自信があると思っている様子だが
全くもってそんな教学は通用しない。
それが、皆さんの今学んでいる創価教学という
創価学会の思想を学ぶだけのお勉強なんです。
しかも、大御本尊否定・血脈否定の
謗法の教えですから
かなりヤバイ教えを必死に勉強していると言う訳です。

立派な学会員になって、
選挙の応援や聖教新聞の勧誘そして財務(会費)をいっぱいして
何の意味も無い学会の患部になりたいという
奇特な方は一生懸命勉強するのもアリですが
そうでない人は、いまからでも遅くないので
任用試験など受験するのはやめた方がいいかと。
でも、学びは大事です。
本来の日蓮仏法は是非学んでください。
学会で教えてもらう事がらが
いかに大聖人の教えじゃないか
それをご自身で気づいてください。
ご検討をお祈りしてます。


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管理人様、こんばんは。
仏法用語について、教えていただいた「仏教哲学大辞典」家にありました。まっさらな状態だったので、調べたところは線を引いてます。
立正安国論、途中までですが読んで見みて末法の時代だからこそ無知じゃいけないんだなぁって思いました。
また御書は大御本尊への信に帰結するとのこと。創価学会が大御本尊を信受しないといったことがどれほどのことか、このブログを読ませていただいて少しずつわかってきたように思います。
旦那が何の疑問も持たずに活動してるのが悲しくなります。

懐かしき『任用試験』

  それは高校2年の頃だったか、うろおぼえですが、とある会員さんの
狭い一軒家の八畳間が会場でした。 冬だったと覚えます。

 ざら半紙が配布され、カレンダーの裏白に、試験官さんが問題を書くのでした。

 たしか、一問目が『国家諌暁とはなにか』 そして『自行化他とはなにか』 あとひとつはおぼろげですが、撰時抄に関する『時』にまつわることだったような。。

 ○×ではなく、全部、筆記でした。 下敷きは聖教グラフ持参で臨みました。  必死で考え書きました。  嬉しかったし、誇りがありました。

 前進感があり、達成感も涌きました。 合格の嬉しさも、今だって覚えています。

 大御本尊への「確信」については日常的に先輩が語ってくれていました。  だから総本山にも行くし、後年の創価班(輸送班)の任務も真剣に絶対無事故を祈り、五回くらい勤めてきたのです。

 三泊四日の間、3時間しか寝れなかったという過酷な任務でしたが、喜んで胸を張ってやりました。  当時は毎月の『登山会』でその日になってどうしても員数が足りず、私の父親などは、見送りに駅まで行き、
それを聞いてそのまま列車に乗ってしまって参加したこともありました。

 時計を質にいれて旅費を工面していた創価班の先輩。 100回の登山を目指して信心と仕事に励んでいた先輩。 金がギリギリで満足に往復の列車では何も食事もとらずに参加した一家もいました。

 でも、みんな明るかった。 歓喜と希望と確信でご開扉の際の「大御本尊様」にお目通りして、前回からその登山時までの信心と生活のご報告ををさせてもらい、感謝と決意を述べて帰路につく。

 それらすべてが清清しいのです。  当時の我が家も貧乏でありながら、人の良い親父は友人の保証人になり、結果、夜逃げをされて当然それをかぶる。  S40年ころの金で4~500万の借金が残りましたが、数年で完済できたり、罰即功徳の現証をいただきながら、学会員としての矜持をたもち、戦ってきた歴史です。

 今回、私が述べたいことは、今のガッカイとガッカイカツドウに、皆さんは沸きあがるような『確信と誇り』がありますか? ということです。

 自身の信仰の歴史がすべて正しいとは言いません。

 図らずも一般世間さんにご迷惑をかけたこともあったかもしれない。

 でも、決して成果主義ではなかった親父は、よく幹部さんに観念論だ!天台だ!と叱られながら、信念を曲げることはなかった。

 身をもって私に信心のすごさと「人としての生き方』を示してくれたんだと今も尊敬できる大人です。 失明の危機も乗り越えてくれました。 本当に内外の人たちに好かれる男でした。 御書も御書講義録もまっくろでした。

 若くして母親は病死してしまい、ともすればグレてもおかしくなかった私に信心根本、御書根本の人生を教えたかったのだと思います。

 それほど大御本尊の元で生きることは素晴らしかった。

 だから親父の祈っていた「日達睨下の特別お形木ご本尊様」を今でも大切に安置しています。  お取替えなぞまっぴら御免ですから。

 学会の今日までの「発展?」も数多ある会館や施設も、そういう名もない庶民が築き上げたものなのです。墓苑だって会員さんの寄付金で作られたものです。
上層部はいわば元手なしで墓苑をつくり、墓地を会員になかば強制的に利益をつけて売るような有様になってますが。。。

 それらは本来先輩がたの「地涌の菩薩」としての勲しと苦労と希望の賜物です。 金儲けの手段にするな!と申し上げたい。

 だから、御本尊に迷い、あげくは「ガッカイが認定する」本尊など信じろというほうがどだい無理な話なのです。  日蓮大聖人の「出世の本懐たる」大御本尊を否定してしまうところまできてしまった現在のガッカイに、決して洋々たる未来などあるわけがないと断言するものです。

 体験談のほとんどない座談会。 上からのノルマでしかないような活動目標。
 廃られてしまうだけの聖教新聞の拡大、身延などと、本質において変わりがなくなったような、狂った教学で、どこに真の世界広布の希望があるでしょう。 今後も教学試験の設問には、私らが習ったようなテーマが出題されることはありえないと思います。 できるわけがない。 創価という新しい!教団は根無し草です。  昔、こういう繁栄?を「砂上の楼閣」と呼んで戒めてきたものですよ。 いくら1200以上の会館などがそびえようと、儚いものです。

 厳粛な仏法に一点の曇りがあれば、国が滅びます。 国が滅びるようなら、いくら頑張ってみたところで、いち個人や一家が不幸になるのは、理の当然ではないでしょうか。
 
 すべてにおいて基本、いわんや根本が一番大切です。

 御書には「根 深ければ枝繁し  源、遠ければ流れ長し」とあります。

 新しい会員さん。  改むるに憚ることなかれ です。

 幹部に訊いてみましょう。 いっけん優しい先輩に問うてみて欲しい。

 『ガッカイの根本とはなんでしょうか』 『ガッカイは本当に仏法を実践しているのでしょうか』


 多分、即座にこう答えるはずです。  池田先生だよ! 広宣流布を実際にやりきってこられたのは先生だよ!  世界に実際に仏法を広めたのがガッカイが正しい証拠だよ!

 あなたがたの疑念がそこで晴れるのなら、それでもいい。

 しかし、仏法はもっともっと深い。 信者の数を言うならカトリックだけでも10億人はいます。

 余談ですが、だいたいに於いて、「即座に返事をする人」はあまり信じないほうがいいのです。  大切な事がらほど、熟考の末に発言するものですから。

 幹部のそれはガッカイの「定型文・文句」です。

 ただの常套句です。 私は「赤信号、みんなで渡ればみんな死ぬ。」と申し上げておきます。

 そんな極端な、、、、と思うのであれば、いたずらに「信仰」なぞしないほうがいいかもしれません。

 最後に 御文をもうひとつ。

 「無疑曰信(むぎわっしん)」です。 これも幹部さんに質問してみてください。

 あえてここでは提案するに留めて、長いコメントを置きます。

 ランボー

ランボー様のコメントを拝見し、朝から涙が溢れてきました。

私が今春、脱会に至った背景は、
まさしくランボー様が綴られた内容そのものです。

子供の頃から「お山の御本尊様」を信じてきました。両親や身近な学会の人たちから教わってきました。
訳あって約30年間非活でしたが、大御本尊様への渇仰恋慕の想いは消えることはありませんでした。

教義改正以降「お山に行きたい」、「戒壇の大御本尊様にお目通りしたい」想いが一層強くなり、今生は石山信仰を貫こうとの結論に至りました。

5月に単身で登山しました。三門をくぐり塔中を歩いていると、その空気の清々しさに目頭が熱くなり、今の学会が喧伝する怨み辛みとは次元の違う何かを感じました。

御開扉の際、両親の写真を膝の上に置きました。偶然にも御隠尊猊下と御当代猊下がご出仕されました。
これまでの謗法罪障消滅を御祈念し、瞬く間に御開扉が終了。そして御影堂から客殿にかけて歩いているとき、涙が湧き出てきました。年甲斐もなく声を出して泣きました。

昭和の登山会を大変懐かしく想います。
何時の日か学会員の皆様が再び登山できる事を願ってやみません。









林檎さん

こんばんは。

「仏哲」が手元にあって良かったですね。
真っ新な「仏哲」も林檎さんのお陰で
日の目を見ることができ成仏できますね(笑)

立正安国論ですか。破邪顕正の大聖人の精神を学べますよね。

法然の、「捨閉擱抛」を破折し念仏無間を言っています。
思うに、今の学会は、法然と同じようなことを言ってると思えてなりません。
大御本尊を捨てよ。
御書は閉じよ。
日寛上人のご指南は差し置け。
寿量品長行の勤行は抛つて。
これじゃ「創価無間」になっちゃいます。

立正安国論には、

◆汝早く 信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ

とありますよね。
ご主人が早く気づいてくれるといいですね。
それまでは、林檎さんの正しい信心で
ご家庭を守っていってくださいね。

また、いつでもコメントください。

ランボーさん

こんばんは。

感動的なコメントありがとうございます。
私も自分の活動家当時の想いなどを回想し
こみ上げてくるものがありました。

話は変わりますが
ランボーさんもご自身のブログを立ち上げてはいかがでしょうか?
私のブログにコメントくださるのは嬉しいのですが
折角、このような感動的なコメントを
私のブログのコメント欄に書くだけはもったない。
もっと広くの方々に読んでもらいたい。
ふと、そんな風に思いました。

古刹信徒様へ

 コメントに触れてくださってありがとうございました。

 大兄の、飽くまでも純粋な、そして大御本尊様への恋焦がれるような求道の心に感動して読みました。

 御書にも、そんな風に御本尊様、そして仏法を求めていきなさい、という御文がありますね。  お目通りの際に、ご両親様のご遺影をひざに乗せて、、、とありましたが、私も思わず死んだ親父のことも、そういうふうにしよう。 いつか一緒にお山に行こうと決めました。

 いかにも私のコメントは「お涙頂戴風」に読めたかもしれませんが、大兄のその行動は、非活動家30年の間があるにも拘らず、そしてその期間をどれほど苦しまれながら、それでも大御本尊様を求め抜いてこられたか、を素直に受け止めることができました。

 結びのお言葉も、まさに私が願うことそのものです。

 時代が変わっても、そんなに器用に人の心が変えられないことがあるんですよね。  、勿論、不満足ではあっても、生きてきた信心根本の生き方を、いとも簡単に「変わったんだよ」と言われても、はいそうですか、とは言えませんよね。

  ともあれ、私もまだ頑張ります。 家庭内の事情で、いまだガッカイに在籍していますが、自分の進むべき道は、ここに来させて頂くようになって、更にスッキリ見えるようになっています。 感謝ですね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ランボーさん

とんでもありません。
むしろ感動してますし
感謝してます。

いつでもお気軽にコメントください。

安心しました

 ありがとうございます。
 
 目障りにならないように「軒」をお借りしながら、がんばる所存です。


人間は長く長くおなじことばかり悩み続けることは、誰しもいやですよね。

 結論をすぐに求め、問題と答えを単純化したい生き物です。

 わたしは13年以上、考え続けてきたこともあり、そういうものじゃないということも知りました。

 いい人はどこにでもいます。 ただその人がどういう思想のもとに生きている人かということが大事です。

 これも池田先生のご教示でした。   だから得たものは得たものとして、私の心法にしみこんでいるだけです。

 私は管理人さまを信じたいです。   お互いに凡夫であることは知りつつ、お互いこの一生がかかっているテーマから逃げられないことを覚悟しながら、論陣を張って行きたいのです。

 ありがとうございました。

ランボーさん

こんにちは。

目ざわりなんてとんでもありません。
好きな時に好きなだけコメントしてくださって結構です。
このブログに寄せられたコメントを読んで
私もまた勉強させてもらっているので
大歓迎ですよ。

これからもよろしくお願いします。

最近このブログが良い意味で盛り上がりを見せて、私自身も創価の腐敗した座談会や会合に出るより、勉強になり、元気をいただいて感謝感謝です。
最近は仲の良い婦人部の方も組織に疑問をもち活動から身を引いています。感覚的におかしいと思い身を引いたので、教学的な部分をここで学ばさせていただいたことを含め教えているところです。

昨年の大御本尊を捨てた日からもう少しで一年経ちますが、また新たな馬鹿げた発表があるのかなと思っています。
お元気ではないセンセーのもと創価はどこに向かっていくのでしょうか?漠然とした質問ですみません。
滅んでいくのは必然だと思いますが、ご意見を伺いたく質問させてもらいました。

現役男子部さん

こんにちは。

> 昨年の大御本尊を捨てた日からもう少しで一年経ちますが、また新たな馬鹿げた発表があるのかなと思っています。
> お元気ではないセンセーのもと創価はどこに向かっていくのでしょうか?漠然とした質問ですみません。
> 滅んでいくのは必然だと思いますが、ご意見を伺いたく質問させてもらいました。

個人的な見解としては
まずは日寛上人の御本尊を、
学会本部の本尊をコピーしたものか
あるいは、池田センセが書写した(と言っても誰かが書写したモノをセンセが書写した事にして)本尊に
取り換えるのではないかと。
本尊義の変更も実は本尊を取り換えさせて
またひと儲けしよう。という魂胆があるのではないかと。
日寛上人のご指南を否定したのだからいつまでも日寛上人の本尊は使えないだろうし。
本尊の取り換えはアリかなと思います。
また、先日の宮田教授の発言からして
徐々に釈迦本仏論に移行する可能性もありますね。
最終的なイメージとしては、
立正佼成会を大きくしたような団体になるのではないかと予想してます。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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