日興遺誡置文絡みでもうひとつ

先日、「日興遺誡置文」の話をしたので
同じ、「日興遺誡置文」絡みでもうひとつ書いてみようと思う。
先日の置文とならんで、創価教学でよく使うのが

■先師の如く予が化儀も聖僧爲る可し。但し時の貫主或は習學の仁に於ては、設ひ一旦のよう犯有りと雖も、衆徒に差置くべき事。

この一文だ。
そうか活動会曰く
法主だって女犯を犯すことがあるんだ。
だから絶対じゃないんだ。
そして日顕は女犯を犯したから法主の資格はないんだ。
って感じなんだけど、
そもそも、例の改竄写真に捏造記事を元に言ってるから
「遊蕩坊主」なんていう批判は全く根拠無い中傷に過ぎない。
それに、創価はいつも「僧俗平等」と言ってうるわけだから
仮に、法主が芸者遊びしたところで
とやかく言う事もないだろう。
創価の幹部だって、キャバクラや風俗言ってる奴はたくさんいる。
それどころか組織内での不倫だって珍しくない。
このブログを読んでいる活動家さんだって
ひょっとしたら「ギクッ」とした人もいるんじゃないの?
普段は僧侶も在家も同じだ。と言ってるくせに
そんな時だけ、「僧侶は聖僧であるべし」って言うのはおかしくね?
在家がキャバや風俗行っても仏法に相違しないなら
在家と平等の僧侶だって芸者遊びしたっていいじゃん。
僧侶と在家と同じなのか?
それとも違うのか?
いったいどっちだよ?(笑)

それはさて置き、ちゃんと教学の話しよう。
上記の御文の
「貫主或は習學の仁に於ては、設ひ一旦のよう犯有りと雖も」
この部分を、創価教学では
「貫主【または】貫主以外の僧侶は、一時的に女犯を犯しても云々」と読む。
でも、この読み方は実は間違っている、
この部分は、
「貫首は、もしも修学中の僧侶が一時的に女犯を犯したときは・・・」と読むべきである。
つまり、ここで使っている【或いは】という言葉は
「または」という意味でなく「もしかしたら」という意味だ。
だから、「貫首はもしかしたら修学中の僧侶が女犯をおかしたら・・・」と読むのが正解である。

その論拠は同じ、日興遺誡置文の中に

■謗法を呵責せずして遊戯雜談の化儀竝びに外道歌道を好むべからざる事

戯雜談の化儀【竝びに】外道歌道云々とあるように
「または」という意味には【並びに】という言葉を使っている。
なので、貫首【または】修学の僧侶という意味での遺誡ならば当然

○「貫主【並びに】習學の仁」と書いたはず
が、実際には「貫主【或は】習學の仁」である。
なので、創価が言う「法主だって女犯を犯す可能性があると日興上人も言っている」
なんて説は全く当てはまらいわけだ。

先日も書いたが、
活動家さんの皆さん!
御書は切り文でなく、ちゃんと読みなさいよ。

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No title

創価学会員は以下の事実をどう思われるのでしょうか、まだ間違いに気づけないほどなのでしょうか?戸田先生の御指導を完全無視の暴走団体にしか見えません。

全て、創価学会破門以降のお話ですよ。 

●戸田城聖二代会長の夫人・戸田幾さんは日蓮正宗で葬儀

 平成十二年三月六日、創価学会二代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年八十九歳。

お通夜ならびに告別式は、三月十二日、十三日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛(げんしゅく)に執(と)り行なわれました。

戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。

幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部二名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企(くわだ)ては、子息・喬久(たかひさ)氏(城聖氏長男)によって退(しりぞ)けられ、正宗での葬儀執行となったのでした。

戸田家に近しい人の話によれば、喬久氏は常日頃から、「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」と語っており、さらに、

「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」

「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」と話していました。

すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和三十三年四月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、四月二日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。

また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものでした。

創価学会二代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部三十名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅(まんだら)に手を合わせていました。

戸田 幾さんは創価では仏敵だそうです。 以下の知恵袋をご覧下さい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1065015110?fr=rcmd_chie_detail
それなのに、大幹部が雁首そろえて30人以上も、参列して、創価学会が言う謗法の導師曼荼羅に手をあわせるのですか? 創価学会って言っている事とやっている事がもうメチャクチャですね。 池田先生の指導では「仏敵はのたれ死ぬまで攻めぬけ」ではありませんでしたっけ?


雁首揃えてきた創価学会の大幹部たち、幾さんと対面したのでしょう?日蓮正宗では成仏の相と言っています。 対する破門以降の創価学会の幹部は、亡くなっても全て密葬だそうですね。 創価の言う成仏の相って、実は会員に全く公表できないレベルなんでしょうか? お釈迦様や日蓮大聖人さまから言わせると、真の仏敵は創価学会の方で、「仏敵としてのたれ死」してしまった相なのでしょうね、きっと。 破門以前の創価学会は、よく「亡くなった方の成仏の相を見にきてください。」と言っていたそうです。 でもそれが破門以降にパタリと無くなりました。 信仰していない人でも簡単に「どこが成仏?その反対じゃなーい?」 と思われてしまうからではないですか? 思考が停止した学会員ならともかく、普通の一般市民はそのように考えます。

更に、葬儀に欠席した池田大作は、戸田会長の事を師匠、師匠と持ち上げておきながら、実は恩など何も感じていなかったのでしょうね。 戸田会長に恩を感じていた古参幹部の参加が目立ちます。

●戸田二代会長の長男、戸田喬久(たかひさ)氏が死去。 幾婦人と同様、葬儀は日蓮正宗で執行。 平成25年1月6日

●戸田二代会長が婦人に残した遺言 (テープに記録されているそうです)



幾さん-主人が死ぬ一年ぐらい前だったかしら、こう言った事があるんです。 創価学会なんて無くなったっていいんだ。 人間が作ったものなんだから。



男性-主人って戸田先生?



幾さん-ええ。 戸田城聖よ。 もう、全部できたから、あとは学会が無くったっていいと、言っておりました。 (幹部の)稲葉さんもこの話を側で聞いていたはずですよ。



男性-戸田先生が死ぬ1年前というと、昭和32年の頃ですね。



幾さん-そうです。 あとはお寺さんが永久に続けばいいって・・・・・



● 最後に幾さんの言葉が胸を打ちます- 中略 「主人(戸田城聖)は自分の道を歩みました。 創価学会と戸田家は無関係です」と。  





●  戸田喬久(たかひさ)氏の妻、すみ子さんが戸田家に嫁入りした際、城聖氏は「御僧侶を大切にする事、そして朝晩の勤行をしっかりやる事」と訓戒したそうです。


追加情報です

現在の創価学会会則において、
第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。 として戸田会長は永遠の指導者の一人として崇められている。

師匠である戸田先生を辱めている池田発言



「どれだけのご供養したか。(会員から) とって とって とりまくって、もうどれだけの供養したか 。(中略)戸田先生は十七万坪ですよ。私は、百十七万坪への拡大をしてあげたんです!(中略) 世界中に私ほど供養した人間いないだろ ?ね。 戸田先生、(中略)これはちいちゃいです 。」 平成20年9月3日 ・本部幹部会

●会議(※昭和33年3月17日の第1回最高会議)では、辻が、戸田先生に対して、「先生、次の会長は誰にするんですか」と単刀直入に質問しました。 すると戸田先生は、「それは、お前たちで決めるんだ」とハッキリと答えられたのです。 当然、「池田」という指名があると思っていた辻はビックリしたようで、あわてて「先生、先生、3代会長はどうするんですか」と息せき切って聞き直しました。 すると戸田先生は再び、「それはお前たちが決めるんだ」と、強い口調できっぱりと述べられるとそのまま横を向いてしまい、以後、なにもおっしゃらなかったのです。そのあまりに決然とした姿勢に、最高会議のメンバーは誰1人として何も言えないまま戸田先生の部屋を後にしましたが、この時、戸田先生はハッキリと池田は後継者ではないという意思を明確にされたのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.1)



この最高会議の事実は、『人間革命』には1行も記載されていない。



理境坊の2階から小泉理事長らに両腕を支えられて降りてきた戸田先生は、その「車駕」を一目見られた途端、渾身の力を振り絞るようにして、再び、公衆の面前で、「何だこれは、これでは戦場を駆け回ることはできんじゃないか。大作!お前はなんという奴だ、俺の心の分からん奴だな」と池田を激しく怒鳴りつけられたのです。  この時の戸田先生の怒りの形相はすさまじいものでした。その場に居あわせた幹部は、皆、首をうなだれていましたが、池田だけは平然としており、後日、北条(浩氏・昭和54年に池田氏が会長辞任した後の創価学会会長)たちに「あれは5万円もかけてつくったのだ。戸田先生こそ俺の気持ちが分からなかったんだ」とうそぶいていました。 3月1日の大講堂落慶法要の祝賀会に向かわれる際のエレベーター前での叱責に続き、理境坊の玄関先で大勢の幹部を前に、「大作、お前は何という奴だ、俺の心の分からん奴だな」と言われたことは、「池田は後継者に非ず」ということを大勢の学会幹部の前で宣言されたのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.1)



音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際はっきり池田を3代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。  辻は「大久保彦左衛門」と渾名(あだな)され、どんな場面でも物(もの)怖(お)じせずにズバッと物を言う男だった。この時も、病の先生の枕辺(まくらべ)で、当然のような顔をして、「先生、3代会長は誰にするんですか」と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で「それは、お前達が決めるんだ」と答えられた。
 当然、「池田」という返事が返ってくると期待していた辻は驚き、もう1度同じことを聞いたが、返事は同じであった。(竜年光『池田創価学会を解散させよ』)



過去を振り返る際に、各人によって思い込みや記憶違いが生ずることはままあることで、その場に池田がいたかいなかったかは、ほとんど問題にはならない。大事なのは、戸田氏が池田を「3代会長」にという意思表示をしなかったという「事実」である。

●その後(※戸田会長逝去後)、2年間創価学会の会長がいなかったのは、この日の会合で戸田先生が、池田を指名しなかった結果である。(龍年光著『有徳王』)
-------------------
 この指摘は重大であり、核心を突いている。
 もし、仮に戸田氏が池田を指名していたならば、戸田会長逝去後、速やかに池田第3代会長が就任していなければ理屈が合わないことになる。それが、2年間空白のまま―すなわち、『新・人間革命』の冒頭から描かれる「3代会長池田大作(本文では「山本伸一」)ありき」の筋書きは池田大作による捏造なのである。





● この大講堂落慶法要という重大な行事に際しても、池田や北條、森田、秋谷らは戸田先生の側にいなかったのです。  戸田先生はジリジリして待っておられました。しばらくして池田がやってくると、いきなり「大作、なぜ、大事な時に俺の側にいないんだ!俺とお前しかいないんだぞ。それなのに、お前はどうしていないんだ!」と大声をあげて池田を怒鳴りつけられたんです。  ところが池田は悪びれる風でもなく、シレッとして「いえ、私のような者はこんな晴れがましい場に出るより、外で案内係りをしているほうがふさわしいと思いましたので」などと言い訳したのです。しかし、その面貌には、怒鳴りつけられたことに対する反感の色が浮かんでいました。(中略)  池田の様子を見た戸田先生は何もおっしゃらず、池田をその場に残してエレベーターに乗り込み、祝賀会に向かわれました。 それまで戸田先生は、池田を公衆の面前で公然と怒鳴りつけるようなことはしませんでした。それだけに戸田先生の激しい怒りに、居合わせた幹部は、皆、驚きました。  池田は『人間革命』第12巻の「後継」の章で、この大講堂落慶法要祝賀会のエレベーターの場面を取り上げ、戸田先生とともにエレベーターに乗り込み、その中で戸田先生から、後継の指名を受けたかのように記載していますが、そもそも池田はエレベーターに乗っていないのですから、後継の指名などあろうはずがありません。





●狸祭り事件(日蓮正宗僧侶暴行事件)



事件後、池田は1人で理境坊の2階にあがって行き、しばらくして降りてくると、下で待っていた北条、森田、秋谷らに対して「戸田先生が、追撃の手をゆるめるなといわれた」と、さらに宗門を攻撃するよう戸田先生が指示したかのように告げたのです。しかし戸田先生は、所化・小僧さんを、「この中から将来の猊下がお出ましになるんだ」と言って、毎年、理境坊に招待し、御本尊様の前の上座に並ばせ、自らは下座から、1人1人に恭しく新調の衣を差し上げるほど、若い修行中の僧侶を大事にされていました。  ですから戸田先生が僧侶暴行事件の報告を受けて、「追撃の手をゆるめるな」などと発言されるはずがありません。
 実際、戸田先生を4月1日、東京の病院に移すため付き添った小泉隆理事長に対して戸田先生は「猊下に申し訳ない、猊下に申し訳ない」と何度も繰り返しながら、下山されていったのです。 後に小泉は私に「あの豪毅な戸田先生が、あの時はまるで子どものように、何回も何回も『猊下に申し訳ない』<池田が起こした僧侶暴行事件に関し責任を感じて>と謝られていた。どうしてなんだろう」と語りました。小泉は事件当日、東京に行っており不在でしたので、池田が引き起こした暴行事件を知らなかったのです。(龍年光『フォーラム21』H15.2.15)





★注) 小説「人間革命」に関しては池田大作著述となっていますが、実際は以下のとおりです。



月刊ペン裁判、 裁判で明らかとなったこと


2.「人間革命」をはじめとした池田著の本はゴーストライターによるものであることが明るみになった。 (裁判で、事実として認定されました。学会員さんだけは知りません。

月刊ペン裁判

裁判で明らかとなったこと

昭和51年2月より「月刊ペン」誌によって池田会長の下半身の行状を暴いたことで起きた裁判、及び一連の行動。

この裁判で明らかとなったのも。

1.池田会長が地方へ行く際は本部職員の女性を連れていく。施設では池田と女性しか入れない状況にあった部屋の存在。

2.「人間革命」をはじめとした池田著の本はゴーストライターによるものであることが明るみになった。

3.学会本部が提出した証拠書類に、池田会長の行動記録があるが、なんと勤行をしていない日が多々あり、極めていい加減な信心であることが分かった。

4.三菱などの取引先との接待を通じ、池田会長が複数の芸者と遊んでいたことが明らかとなった。

5.この裁判を収束させる目的として、仲介に右翼のドンとして知られる笹川良一に多額の現金を渡した事実が明らかになった。

6.若かりし時の池田が当時大学生であった渡部通子の自宅での情事を発見されたが、当時その部屋は存在していないと主張した。
しかし、裁判終結後、家族の証言、証拠写真によってその存在が事実であることが明らかとなった。

 52年路線やこの事件を機に池田会長の側近幹部である山崎正友氏、原島教学部長が学会から離反した。

人間革命の第9巻の上梓の年、昭和51年が月間ペンの裁判の年ですから、12巻のうち9巻までは、間違いなく池田大作本人が書いたものではありません。 裁判所が認定してくれました。 うれしい~。 お墨付きです! 

No title

学会は御書を一度も全編拝読したことがない会員が多すぎ。それでいて「御書根本」なんて言うんだから呆れる。

大切な御書でさえその程度の扱いなのだから、先代の戸田先生のことなんて、なおのこと頭にない。戸田の本家が日蓮正宗だなんて、知らない会員の方が多いし、知ったところで何も感じはしない。

池田先生のことだって、破門前の指導は無視しているし、もうどーでもよくなっている。自分好みの世界を勝手につくって自慰的信仰に励むのみ。たいした仏道修行だわ。

初めまして、

否学会員A様
初めまして、アレックスです。
ランボーさんに貴サイトを教えて頂き、読ませて頂いております。

私も、もと創価学会員でした。

20年以上前に脱会しており、今では一般人と同じ位で創価学会の事は疎くなっていますが、下記のお話は鮮明に覚えていて、コメントさせて頂きたくお邪魔させて下さい。
                    ↓
『戸田二代会長が婦人に残した遺言 (テープに記録されているそうです)

「幾さん-主人が死ぬ一年ぐらい前だったかしら、こう言った事があるんです。 創価学会なんて無くなったっていいんだ。 人間が作ったものなんだから。

男性-主人って戸田先生?    』
                  ↓

その表現と情報源が違いますが、戸田先生はその様な旨の発言はされていました。
今日の創価学会の姿を見るにつけ、ここまでが必要でここからがもう必要ないと言う事が分かっていらっしゃったのではないか?と思いました。
だからこそ、その様に言われたのではないかと思いました。

私も20年以上創価学会との関わりがありませんが、別に創価学会が無くたって別段困る事は全然ありませんし、むしろ幸せな位です。

Re: No title

コメントありがとうございます

> 創価学会員は以下の事実をどう思われるのでしょうか、まだ間違いに気づけないほどなのでしょうか?戸田先生の御指導を完全無視の暴走団体にしか見えません。


完全に暴走してまね。

Re: No title

コメントありがとうございます

> 学会は御書を一度も全編拝読したことがない会員が多すぎ。それでいて「御書根本」なんて言うんだから呆れる。

確かに呆れます。

> 大切な御書でさえその程度の扱いなのだから、先代の戸田先生のことなんて、なおのこと頭にない。戸田の本家が日蓮正宗だなんて、知らない会員の方が多いし、知ったところで何も感じはしない。

意外と戸田家が正宗だと知らない学会員は多いですね。

> 池田先生のことだって、破門前の指導は無視しているし、もうどーでもよくなっている。自分好みの世界を勝手につくって自慰的信仰に励むのみ。たいした仏道修行だわ。

ははは(笑)
仏道修行の意味もわからない会員さんが多いんでしょうね。

アレックスさん

初めまして。コメントありがとうございます。

> 否学会員A様
> 初めまして、アレックスです。
> ランボーさんに貴サイトを教えて頂き、読ませて頂いております。
>
> 私も、もと創価学会員でした。
>
> 20年以上前に脱会しており、今では一般人と同じ位で創価学会の事は疎くなっていますが、下記のお話は鮮明に覚えていて、コメントさせて頂きたくお邪魔させて下さい。
>                     ↓
> 『戸田二代会長が婦人に残した遺言 (テープに記録されているそうです)
>
> 「幾さん-主人が死ぬ一年ぐらい前だったかしら、こう言った事があるんです。 創価学会なんて無くなったっていいんだ。 人間が作ったものなんだから。
>
> 男性-主人って戸田先生?    』
>                   ↓
>
> その表現と情報源が違いますが、戸田先生はその様な旨の発言はされていました。
> 今日の創価学会の姿を見るにつけ、ここまでが必要でここからがもう必要ないと言う事が分かっていらっしゃったのではないか?と思いました。
> だからこそ、その様に言われたのではないかと思いました。
>
> 私も20年以上創価学会との関わりがありませんが、別に創価学会が無くたって別段困る事は全然ありませんし、むしろ幸せな位です。


確かに。学会や学会員とつながりを持たなくても世間にはいい人もいるしいい事もある。
むしろ、今の学会なら無くなったほうがいい。と思ってます。

また、いつでもコメントしてください。
今後もよろしくお願いします。

或は、について

  自身でも大分に考えました。  御書に触れてみました。

 開目抄(223頁)には

 法華已前の諸々の小乗教には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗教には成仏往生をゆるすようなれども、太字の文或は[太字]改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。(後略)

 とありました。  この場合、管理人さんの仰るような意味に汲み取れます。  

 別の御書。  たとえば、

 顕立正意抄(537頁)には

 今日蓮が弟子等も亦是の如し。或は信じ或は伏し、或は随い或は従う。 ただ名のみ之を仮て心中に染まらざる信心薄き者は、設い千劫をば経ずとも、或は一無間、或は二無間、乃至十百無間、疑い無からん者か。是を免れんと欲せば、、、以下。略

 とあります。 これだとどうなるのでしょう。

 大聖人と日興上人とが同じ当時の文法に従っておられたであろうと
考えれば、用法も同じと思って差し支えない。

 スッキリする上でもご教授をお願いしたく存じます。

 さて、アレックスさんが来てくださいました。
 彼は現在はわたしの知る限り、まったく別のジャンルでいのちの不思議を探求なさっている、信用できる方です。

 ご安心くださいませ。

 ランボー

ランボーさん

こんばんは。

>スッキリする上でもご教授をお願いしたく存じます。

この解釈については、私自身もランボーさんの言うように長いこと思索しました。
そして結論としては、 日興遺誡置文を全文で考えることにしました。
確かに、御書によって使い方が色々ですが
日興遺誡置文という一つの御書で見ると、このように架橋書きしている場合
どうしても同じ意味で、【並びに】と【或いは】を使い分けるとは考えづらいのです。
例えば、私は仕事で契約書をよく書くのですが、その場合
「または」という意味を「並びに」と最初に書いたら
最後まで「または」という意味は「並びに」と書きます。
それを途中で「或いは」に変えてしまうと混乱・紛争を招く場合があるからです。
日興遺誡置文という性質上、そのような混乱を招く書き方はしないと思うのです。
だとすると、ここでの「或いは」は「並びに」とは違う意味ではないかと。
結論として「或いは」とは、「または」でなく「もしかしたら」という意味だと思います。
その方が私にには説明がつくし納得感があります。
「同じ意味を表しているのに、なんで並びにと或いはを使い分けたのだ?」と聞かれたら
正直答えられません。それを創価教学がスッキリと回答してくれるのであれば
私も自説を撤回し訂正する所存ですが、今のところ幹部に聞いても納得いく回答がありません。
ですので、私はブログに書いたような主張をしています。

>  さて、アレックスさんが来てくださいました。
>  彼は現在はわたしの知る限り、まったく別のジャンルでいのちの不思議を探求なさっている、信用できる方です。
>  ご安心くださいませ。

そうなんですか?
全然心配などしてませんよ。
誰がコメントくれても基本OKですから。
ましてや、ランボーさんの知っている方なら無問題です。

管理人さんへ

  なるほど、そういう視点と角度なんですね。  木を見て森も見るというか、全体の論調からの熟慮と考察でいくと、「もしかしたら」の意味となる。。

 そして興師の後代の貫主への信頼が前提として在る。 こういうスタンスも当然、汲み取れます。

 このあたりは、学会にある宗門や睨座への不信感が先んじているゆえに、ああいう解釈になっているのだなとも思いました。

 戸田先生からは「教学は剣豪の修行である」との指導がありました。
 まず、私などは刀がさびないようにしないとですね。

 ありがとうございました。

 

ランボーさん

こんばんは。

>   なるほど、そういう視点と角度なんですね。  木を見て森も見るというか、全体の論調からの熟慮と考察でいくと、「もしかしたら」の意味となる。。


そうなのです。そう読むほうが合点がいくし説明がつく。そう感じるのです。


>  そして興師の後代の貫主への信頼が前提として在る。 こういうスタンスも当然、汲み取れます。

ありがとうございます。実はご指摘いただいた部分が自分の中では大きいです。
日興上人が、後世の法主に瑕疵があると思っていたとは思えないのです。
内証は大御本尊と一体と言われてるので、後世の法主に瑕疵があるこということは
別な見方をすると大本尊にも瑕疵があるかもしれないということになりますので
日興上人がそんな風に思っていたとは到底思えないわけです。

>このあたりは、学会にある宗門や睨座への不信感が先んじているゆえに、ああいう解釈になっているのだなとも思いました。

私もそう思います。破門前は法主でも仏法上の間違いはあるなどと言わなかった。
破門後に急に言い出した創価教学ですから。

>  戸田先生からは「教学は剣豪の修行である」との指導がありました。
>  まず、私などは刀がさびないようにしないとですね。

それは、私も同じです。
ひとつの御文、ひとつの疑問
そうしたものを徹底的に思索して何かを感じ取る事が大切だなぁといつも思ってます。
ただ教えられたことを暗記するのでは忘れてしましますが
自分が感じたことは忘れません。
また、真剣に思索を重ねるば、大きく外れないと思っています。

お返事、ありがとうございます☆

  新たに発見(自覚)のきっかけを頂いたというのが実感です。
 上人の大聖人への絶対の確信、後代への希望と信頼は、純粋というよりも厳粛なお覚悟だったのだと感じます。

 変わることも結構、難しい。 しかし 変えないことはもっと難しいとも思います。  今にして思えばSOKA大本営発表の「運営方針」の転換は「随縁真如の智」とかいう用語の乱用でもって、どんどん都合よく行われていったんだなと、改めて思います。 

 至極、ざんねんです。 悲しくもあり口惜しいですね。

 でも私ごときになにが出来るかなんて、考えていても、何も変わらない。

 大聖人様に褒めていただけることをする。 させて頂く。

 せめて私の目指すのはこういうことしかありませんが。

 スーパーボンプ・ランボー 拝

 

戸田家について

>「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、一度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」


例えば59世法主・堀日亨上人の場合。
文書では戸田先生が敬語を使っていたことになっているが、音声で聞いたら、そうではなかったことが分かる。
戸田先生は日亨上人に対して、「あんたが、あんたが」とタメ口だったのだ。30歳以上も年の差があったが、二人はとても仲がよかった。日亨上人のことを戸田先生は「喧嘩友達」「とても面白い人」と評していた。


生前からの強い希望により、戸田幾さんの告別式は、日達上人の長男である日蓮正宗常在寺・細井珪道住職の導師で執り行われた(日達上人の次男である実修寺・細井琢道住職は、日蓮正宗から離脱している)。
池田名誉会長が参列しなかった、あるいは参列出来なかったのは、日蓮正宗が創価学会を平成3年11月28日に破門したからだ。
ちなみに、常在寺の所属信徒であった戸田城聖第2代会長の告別式も、1958年(昭和33年)4月8日に常在寺で営まれている。
御高齢ゆえ伝統に固執した幾さんが、宗門から離れることを望まなかったということだ。偏った情報ばかりを宗門側から吹き込まれたら、学会に対する幾さんの見方も変わってしまうだろう。


池田SGI会長は新年勤行会に寄せて、全国の各方面に記念のメッセージを贈った。2日には、東京牧口記念会館(八王子市)での勤行会に、16カ国・地域のSGIの代表、牧口家・戸田家のご親族らとともに出席した。
「本年は、牧口先生の生誕百三十周年。そして、戸田先生の会長就任五十周年である。きょうは、ご両家の方々、ゆかりの皆さまもお越しくださった」
(新年勤行会でのSGI会長スピーチより、『聖教新聞』2001.1.4付)
http://www.3colorflags.net/sintyaku/2001-1-4.txt

「本日の式典には、牧口家の皆様、戸田家の皆様も、ご出席くださっております」
(創価学会創立83周年を記念する勤行会の池田名誉会長メッセージより、広宣流布大誓堂 2013.11.18)
http://newfnet.blog62.fc2.com/blog-entry-735.html


創価大学工学部教授の戸田龍樹氏は、戸田第2代会長の御子息の御長男だ。以前、新年勤行会で同時中継があった際、池田名誉会長が、龍樹氏を「将来の学長です」と紹介していた。
http://www.t.soka.ac.jp/index.php?id=398
http://mimizun.com/log/2ch/koumei/981970161/4-9
http://mimizun.com/log/2ch/koumei/981970161/117

ゴーストライター?

>「人間革命」をはじめとした池田著の本はゴーストライターによるものであることが明るみになった(裁判で、事実として認定されました。学会員さんだけは知りません)。


嘘はダメ! 裁判で事実として認定されていない。
篠原善太郎氏が代筆していたという話は、『月刊ペン』裁判における、数々の偽証の中で出てきた話に過ぎない。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12141184222#a350433852

山崎正友は、月刊ペン事件(刑事事件)を利用して、多くのニセ証人をデッチ上げて偽証させるなど、創価学会のイメージ・ダウンを図る工作に躍起になった。原島嵩は、山崎にとって都合のいいことを事実と関係なく証言してくれる〝便利屋〟のような存在だった。
http://www.yanagiharashigeo.com/report/Journal6.htm
http://norimaki.faithweb.com/c1index.htm
http://www.amazon.co.jp/review/RX9HOLTDH8QAY/ref=cm_cr_rdp_perm

Re: お返事、ありがとうございます☆

ランボーさん、こんばんは。

>  でも私ごときになにが出来るかなんて、考えていても、何も変わらない。

いや。少しづつでも確実に変わると思いますよ。
現に私の周りの学会員も徐々に変わってきてます。
大聖人の仏法を語っていく。
それが大聖人門下としての誇りだと思います。
お互頑張りましょう。

正視眼さん

コメントありがとうございます。

学会には学会の言い分があるのはわかってます。
正視眼さんのコメントを信じる人もいればそうじゃない人もいる。

人間革命?そんなだたの池田センセの
三文小説など誰が書いていようとどうでもいいことです。
池田センセのスピーチ?そんなものは客感的な証明にもなりません。
聖教新聞?学会の機関紙を取り上げても意味はありません。
そんな枝葉末節は問題ではなく、
問題は、
「大御本尊を捨てた」今の創価及び池田センセは
大聖人仏法を放棄し
戸建会長の指導を破り
また、池田センセ自身が自語相違もしている。という事実です。
その部分を正視するのが、本当の正視眼ではないかと私は思うのです。

No title

あなたが張り付けた2ちゃんねる(笑)の書き込みでは

戸田氏の孫、龍樹氏は現在創価大学工学部の助教授(今は教授?)です。
海洋学だか、生態学だかを教えてらっしゃるそうですね。
横浜国大でも教鞭をふるってるとか。。。

私の知り合いが娘さんの家庭教師をしているが、家の雰囲気は全く学会臭さを感じさせないそうです。
脱会はしていないもののそこまで強烈な信心じゃないらしいですよ。

だそうです(笑)

正視眼さんのコメントは証拠能力がほとんどなく、また戒壇の大御本尊を捨てたいまの池田氏率いる創価学会が戸田二代会長の意志を受け継いでるなどとはとても思えません。

月刊ペン事件(刑事事件)についても実際の裁判記録を掲示したうえで言って下さい。

池田センセはまだお元気なんですか?ならなぜ一切姿を現さないのでしょう?お元気ならもちろん今も人間革命執筆中なんですよね?

ついで聞かせて下さい、師匠である戸田先生を辱めている池田発言

「どれだけのご供養したか。(会員から) とって とって とりまくって、もうどれだけの供養したか 。(中略)戸田先生は十七万坪ですよ。私は、百十七万坪への拡大をしてあげたんです!(中略) 世界中に私ほど供養した人間いないだろ ?ね。 戸田先生、(中略)これはちいちゃいです 。」 平成20年9月3日 ・本部幹部会

この発言に対する納得のいく説明もしてください。

聖教新聞や創価系の中継などはいくらでも情報操作はできますから、「本日の式典には、牧口家の皆様、戸田家の皆様も、ご出席くださっております」 は実際そう言ってただけで姿は一切映らなかったそうですよ。
あなたの説明はすべて2ちゃんねるの書き込みや知恵袋やアマゾンのレビューなど他人の書き込みを持ってきて引用したにすぎず何の説得力もありません。

平成5年1月27日アメリカSGI&関西合同総会 での池田会長の発言もとても宗教者とは考えられないものですね。これが本音でしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=JDGyNtprjzQ

この発言の真意も説明してください。

これらの矛盾が説明できない限りあなたの言ってることはすべて説得力・証明力がありません。



減らず口ばかり。必死でんなw

>あなたの説明はすべて2ちゃんねるの書き込みや知恵袋やアマゾンのレビューなど他人の書き込みを持ってきて引用したにすぎず何の説得力もありません。


私自身による書き込みも含まれている。


※【随筆 新・人間革命 2「信心の継承」より】

昨秋、横浜で行われた世界青年平和音楽祭は、見事に洗練された、百点満点の祭典。
この晴れの舞台に、牧口先生のお孫さんの娘、つまり、ひ孫さんが、姉妹で出演されたとうかがった。お二人は女子部の副部長と地区リーダー。立派に創価の庭で活躍されている。
恩師戸田先生のお孫さんも、東京大学の大学院に学び、博士となり、創価大学で助教授として教鞭をとっておられる。創価教育を担いゆくお孫さんの活躍を、恩師は、どれほど喜ばれているだろうか。
(1998年1月6日付『聖教新聞』)
http://shiohama.web.fc2.com/zuihitu-2.html


平成5年1月27日アメリカSGI&関西合同総会
http://6903.teacup.com/huwahuwakujira/bbs/index/detail/comm_id/5339

社会心理学の用語に「確証バイアス」というものがある。要するに、自分の先入観に基づいて物事を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それによって自己の先入観を補強しようとする現象のことである。一方で、自己の先入観に〝反する〟情報は排除しようと努めることになる。
退転者には、「創価学会は間違った存在であって欲しい」という願望がある。自らの行為を正当化するために、都合の悪い情報はスルーして、ひたすら都合のいい情報ばかりを見ている。信憑性が薄い情報でも使えるものなら何でもいい。彼らは、不安を掻き消すために悪態をつく。
誰のせいでもない。みな魔に負け、自分の弱さに負けた。それだけのことだ。弱い心に負けたことを自分自身が一番よく知っている。
日蓮大聖人が「ある人が道を作る。その道に迷う者がいる。それは道を作った人の罪となるであろうか」と仰せの通りだ。

正視眼さん

コメントありがとうございます。

> 社会心理学の用語に「確証バイアス」というものがある。要するに、自分の先入観に基づいて物事を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それによって自己の先入観を補強しようとする現象のことである。一方で、自己の先入観に〝反する〟情報は排除しようと努めることになる。
> 退転者には、「創価学会は間違った存在であって欲しい」という願望がある。自らの行為を正当化するために、都合の悪い情報はスルーして、ひたすら都合のいい情報ばかりを見ている。信憑性が薄い情報でも使えるものなら何でもいい。彼らは、不安を掻き消すために悪態をつく。
> 誰のせいでもない。みな魔に負け、自分の弱さに負けた。それだけのことだ。弱い心に負けたことを自分自身が一番よく知っている。
> 日蓮大聖人が「ある人が道を作る。その道に迷う者がいる。それは道を作った人の罪となるであろうか」と仰せの通りだ。

私が思うに、上記の言葉は、まんま学会活動家さんに当てはまっちゃうと感じるのですが。
まぁ、あとは読者の皆さんが各自判断にお任せしましょう。
それと折角いいコメントしてるのだから「減らず口ばかり。必死でんなw」こういうタイトルはやめた方がいいですよ。
創価の活動家の品格を落とすだけだと思いますよ。

正視眼さん、目を覚ましましょう。

平成5年1月27日アメリカSGI&関西合同総会 での池田会長の発言もとても宗教者とは考えられないものですね。これが本音でしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=JDGyNtprjzQ

お世辞を使っておいた方が公布基金がたくさんとれるそうです(笑)クリントン大統領呼び捨て(笑)
しかもクリントン氏を詐欺師の様な言いぶり、冗談ではすまされませんよ、横にいたウィリアム氏も退会して日蓮正宗へ行かれたそうです。

池田大作氏については色々と悪い評判を聞いていましたが、実際にこの動画サイトを見てあまりの傍若無人さに衝撃を受けました。巨大宗教団体の指導者である前に、一人の人間として、あまりにもその軽薄さ、無神経、醜悪、傲慢さに正直最低の人物だと言わざるを得ません。まず第一によその国へ来てその国の大統領を多数の聴衆の前で誹謗中傷するのはあまりにも無礼且つ無神経です。まともなアメリカ人だったらたとえ共和党支持者でも不愉快でしょう。さらに通訳を遮って気まぐれに云いたい放題、お蔭で通訳の方も大変だったでしょう。最後に創価学会の方々に真面目な質問です。あなた方は本当にこのようなつまらない男をマハトマ ガンジーやキング牧師と並ぶ偉人として尊敬しているのですか?世界中の大学から名誉博士号を300以上貰ったそうですが、この動画を見る限りとても博士号をもらえるような知性と品格など微塵も感じさせませんが、創価学会の皆さんは本当にどう思っていらっしゃるのでしょうか?仮にこのような態度を一国の総理大臣が国会で取ったとしたらマスコミや国民はどう思うでしょうか?あなたの職場の社長だったらどう思われますか?たちまち信用を失うでしょう。もちろんどこの職場や社会でもこの程度の馬鹿は掃いて捨てるほどいるでしょう。ただこれが日本最大の宗教団体のトップであり公明党に大きな影響力をを持っている事を考えれば池田大作氏のような下劣な人間がいるという事は我々日本国民にとっても大きな災難と言わざるを得ません・

やりとりを拝見しての感想です。

 飽くまで私の感想ですが、
 
 弱い求道心で、妥協と凡眼と「三猿の喩え」にあるように、見ざる、聞かざる、言わざる、をキチンと守り、表面の良いとこ取りでいれば、学会は居心地が良いでしょうね。 何でもかんでも上から決めて指示して数字を報告させて。あえて一切、すきまを作らず活動活動!に追いまくる本部ですから、会員さんが考える暇を与えるのが怖いのでしょうね。

 さてそれなら、どうしてひとりひとりに御本尊様が下げ渡しになっているか。

 一人ひとりで勤行、唱題をして正しい信・行・学の『仏道修行』をするためですね。

 その結果、真面目にやれば強い確信と心で、今の(あるいは過去数十年の)創価学会を見ていけば、魔には負けません。  見破れるはずです。


 何がなんでも本部執行部が正しい、というのでは話にはならないです。

 強い心でしか、見抜けないんです。 どんなに悲しくとも、情けない思いになろうとも、正は正、邪は邪!と峻別して自分のあり方を決めるのが丈夫のこころであると信じます。

 心理学理論はどうでもいいですから、ためしに会館の大広間であの録画(関西・アメリカ総会)をみなさんに観せてあげたらどうでしょうか。。

 妄信の人はひきつった笑顔で笑い、、驚愕する人、どう判断したらいいかわからず、幹部の顔色ばかり見てしまう人。 いやになって中座する人、さまざまな光景が眼に浮かびます。 糸満会館での指導会のも格好のテキストですね。 

 ガンジーは決して冗談でもあんな発言はしないでしょう。

 キング牧師も、あまりの下品な振る舞いに驚くでしょうね。

 想像ではありますが、真に偉大な人物に共通するものはいろいろあれど、おしなべて謙虚ですね。  自慢ばかりすることはありません。

 いいですか?  小説とはいえ、「人間革命」には大人格者然として一点の曇りもない伸一さんが描かれていますね?
 
 あれをもしも先生自らが書かれてきたとすれば、どういう判断したらいいでしょうか。  先生は人間革命をされたお手本の人物だと自らの筆で描いてきたと。  それと比べて、いままでの数々の本部幹部会などでのご発言はどう考えてみても、釣り合わなかったというのが私の思いです。 そう「感じる」のです。  あれは他人だからこそ書ける文章だと、せめて信じたいです。  でないと吐き気をもよおすのです。
 牧口先生の価値論、「美・利・善」のいずれにもあてはまらないからです。
 
 現実問題としては、不都合な部分を見ても見なかったフリをする以外、先生を宣揚できる道理がない。

 繰り返しますが、「あの録画」を全部の学会員に見せてあげましょう。

 人はそれぞれですから、一切の敷衍も強要も誘導もナシで、そのまま
見終わったら解散する。  それでいいです。

 みんなは知る権利だってあるはずです。  

 それとも封建時代さながらに「依らしむべし、知らしむべからず」の従来の路線を、いまもって繰り返すのでしょうか。

 まあもともと宗教団体に民主制は馴染みませんが、もうここまできたら、会員各自の自発性だって尊重すべき時期ではないかと存じます。

 現に本部の広報は、ある女性に、鋭い質問に窮したか、「それならやめられても結構です」とか言ったりしたそうですから、信仰の自由度はかなり増しているようですが。

 以上、「学会ご維新」を願うランボーでした。

 失礼な発言があったとすれば、お詫びします。

 
 
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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