創価教学じゃない御書講義(1月度座談会御書)

◆いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり
(1月度座談会御書・諸法実相抄)

今年から、たまには御書もやってみようってことで
まずは座談会御書から始めてみる。
この御文のポイントは何といっても
【日蓮と同意】とは?ということだろう。
創価教学の解説は、【同意】とは広宣流布への行動・思いである。とのこと。
ここまではまぁいいでしょう。
では広宣流布とは何か?ということだろう。
聖教新聞の拡販?
公明党の選挙支援?
いやいやそれは広宣流布ではない。
そんな行動は日蓮と同意の行動ではない。
じゃぁ何か?と言えば上記の御文の次下に書いてある

◆末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、

そう妙法蓮華経の五字を弘めることが、
大聖人と同意の広宣流布(行動)です。
では妙法五字とは何かといえば、再三書きましたが

■妙法五字のその体何物ぞや。
謂く、一念三千の本尊これなり。
一念三千の本尊、その体何物ぞや。
謂く、蓮祖聖人これなり。

との日寛上人のご指南に明らかなように
戒壇大御本尊=日蓮大聖人のことです。
つまり、大聖人と同意の広宣流布とは
戒壇大御本尊の流布であり、
また戒壇大御本尊への信心の流布以外にありません。
勿論、学会の御本尊も一応は戒壇大御本尊の分身かもしれませんが
それも大御本尊に信を取れば分身としての効力もありますが
残念ながら、大御本尊を捨てた(用無し呼ばわりする)
創価の活動家が配る創価本尊は
妙法蓮華経の五字ではないので広宣流布と言いません。
つまり、学会活動などというのは、大聖人と同意の行動ではありません。
むしろ、大聖人を捨てた五老僧と同意の行為です。

また、もっと根本的なことを言えば、
凡夫がご本仏と簡単に同意になれると思いますか?
ご本仏と同意になるということは
言い換えれば、ご本仏と冥合するということです。
その方法はだた一つ
もうお分かりですね。
正しい勤行・唱題の実践です。
一大秘法たる大御本尊に信を取り
現在の正しい修行である、五座三座の勤行をし
題目を申し上げることこそが
根本の日蓮と同意の意味であり行動です。
創価の勤行・唱題では
100万篇の唱題しても、10時間唱題しても
絶対に日蓮と同意になれませんね。
大御本尊と境智冥合するからこそ
地涌の菩薩としての力が発揮されるわけです
故にその言語行動の全てが広宣流布のい振る舞いになるのです。

同御書には更に

◆皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり

とあります。
これは単に南無妙法蓮華経と題目をあげてれば地涌の菩薩である。ということではありません。
大御本尊(大聖人)に信を取って上げる題目(本門題目)のことで
本門題目は地涌の菩薩でなけば唱え難いということであり
また、本門題目を唱えれば己心に地涌の菩薩の生命が出現する。という意味です。

さぁ、1月からは、創価のデタラメ信心をやめ
地涌の菩薩としての自覚も新たに
大御本尊を信じ、正しく勤行・唱題に励み
大聖人と弟子として、大聖人と同意の人生を
ハツラツと歩もうではありませんか!(創価幹部風口調・笑)

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非公開コメント

(一同大拍手)笑

  しかしあの拍手って今思えばどうして一斉に始まり、一斉にピタッ!と終わってたんだろう。。  すごい芸ですね。  あ、異体同心だからか、、笑

 さて、「同意ならば」あるいは「地湧の菩薩の出現に非ずんば・」の解説、ランボー流の解釈から言えば、深すぎる!と感ずる反面、長年の疑問が解けかけてきたという気がしました。  and こんな私がどうしてそこそこの幹部になったのかという理由も判ってきました。

 教わってきたのはアホでも分かる程度の教学だったからですね。  

 ふぅ~~~~、、、 (47年分のタメイキ、しばらく続きますので今夜はこれで)

  
 

学会が出している『日蓮大聖人御書講義』や、過去の講演・講義録を読めば、今の学会教学がいかに骨抜きの日蓮名言集に堕しているかがよく分かります。

例えば「諸法実相抄」には、「一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ」(御書1361㌻)という御文が出てきますが、これについて『日蓮大聖人御書講義』(聖教新聞社)の第30巻下では、次のように講義しています。

■「一閻浮提第一の御本尊」とは、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)十月十二日、出世の本懐として御図顕された本門戒壇の大御本尊であることはあらためていうまでもない(P126)

いまの学会は、大御本尊を信じないと宣言した身。大聖人の仰せに分かりやすく反しています。

「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書1360㌻)については、池田大先生が次のように講義しています。

■「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(諸法実相抄一三六〇㌻) 大御本尊様を拝み、大御本尊様に題目をあげ、折伏行を励むものは、地涌の菩薩であるということは、経文のうえで歴然としております(池田大作著『会長講演集』第1巻 創価学会 P72)

これらの御書講義が正しかったのであれば、大御本尊様を拝まなくなったいまの学会は、地涌の菩薩ではなく、まして「日蓮と同意」であるはずもない、ということになりますね。池田大先生はやや過激に、こうも述べています。

■毒を飲まされて殺される。そういうことがあったとしても、絶対に大御本尊様を疑わない、大御本尊様の功徳を信じていく、そういう信心に透徹した人が、これが真の日蓮大聖人様の弟子であり、これが信心の究極なのであります(池田大作著『会長講演集』第9巻 創価学会 P327~328)

いまの学会、ダメダメじゃん。学会員さんには、次の御文を贈りましょう。

■師弟相違せばなに事も成べからず(華果成就御書・御書900㌻)


ランボーさん

こんにちは。

>   しかしあの拍手って今思えばどうして一斉に始まり、一斉にピタッ!と終わってたんだろう。。  すごい芸ですね。  あ、異体同心だからか、、笑

確かに。日光猿軍団並みの芸当です(笑)

>  さて、「同意ならば」あるいは「地湧の菩薩の出現に非ずんば・」の解説、ランボー流の解釈から言えば、深すぎる!と感ずる反面、長年の疑問が解けかけてきたという気がしました。  and こんな私がどうしてそこそこの幹部になったのかという理由も判ってきました。
>  教わってきたのはアホでも分かる程度の教学だったからですね。  

なにをおっしゃります。
大御本尊への信を強くする教学ならば
どんな解釈でも正解だと思いますよ。

管理人さんへ

  こんにちは!

 一晩休んで多少は我に返り、お恐れながらと、ご質問をしてみます。

 ① 「日蓮と同意ならば」の修行的側面を「身・口・意」の三業の上から
    教えてくださいませ。   一つは「正しい勤行・唱題」の実践が挙     げられておりましたが。

 ② 広宣流布の定義について   

    我々の経験知では、いわゆる折伏、各種展示などのイベント、
    かつて毎週日曜日に開催されていた「文化祭」、あるいは寄付、
    そしてなんつっても「センキョ必勝=政界浄化、福祉の増進、
    平和国家の理想実現など」でありました。

    あえて難ずるならば、こういう既存のモデルではなく他にどういう
    具体的な行動が考えられるとお思いでしょうか。

    地湧の菩薩の振る舞いがあれば自然に一大秘法の広宣流布が
    成り、平和な政治経済が営まれ、地球全土に「如説修行抄」に
    あるような「楽土」が実現されるとお考えでしょうか。

 ③  かつての派閥抗争、すなわち戸田先生が「石田は学会の長男。
    大作は次男だぞ」とおっしゃっていたにも拘らず、大阪事件の
    裁判中に池田先生が第三代に就任されました。 もしも、石田氏       が会長職にあったとしたら、その路線や思想性は大きく違った
    ものになっていただろうとの観測もありました。

    逆にいえば「青年文化祭」などのダイナミックなものではなかった
    ということだそうです。  恐らく静かな弘教、教学の研鑽とかいう     ようなものをイメージされていたようですが、 このいわば「運動の
    ダイナミズム」という面に関しては、どのようにお考えでしょうか。

  以上、3点について、急ぎませんので、管理人さんのご意見をば
 お聞かせくださいますと喜びます。 

  どうぞよろしくお願いいたします。

    ランボー

不勉強ながら さん

こんにちは。コメントありがとうございます。

> いまの学会、ダメダメじゃん。

はい。ダメダメです。
分かりやすい、邪教団ですね。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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