ニコさんのご質問への回答

まずはコメントありがとうございます。

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管理人さん、教えて下さい。
私は創価2世なのですが信仰はしていませんでした。昨年に大病をして縋るようにお題目をあげてますが正直、辛いです。創価学会の人に死後の世界を聞くと輪廻転生(49日後に生まれ変わる)や死後にも十界があるとが人によって言うことが全然、違います。
私は未だに盲目的に絶対的に信じられなくて、でも死後に地獄、餓鬼、修羅、畜生界に行くのも怖くて鬱になってます。闘病も辛いのに死後まで不安でどうしようもないです。
そもそも創価学会では死後の世界は教えとしてないのでしょうか
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とのご質問ですが、とても難題です。
難題ですが、一応私の思っていることを書かせてもらいます。
私も昨年病気を患ったり、つい先日同世代の友人が亡くなり
最近は「死」を身近に感じ、「死」についてアレコレ考えるようになりました。
といっても、私自身は単なる凡夫であり、死んだ経験もないので
一体「死」とはなんなのか分からないというのが実際のところです。
どうせ凡夫の浅知恵ではわからないので、
ここはご本仏のお言葉を信じる以外に他に方法はありません。
さて、大聖人は「死」についてなんと仰せであるかというと、

◆夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり、妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり(生死一大事血脈抄)
◆伝教大師云く「生死の二法は一心の妙用有無の二道は本覚の真徳」と文、天地陰陽日月五星地獄乃至仏果生死の 二法に非ずと云うことなし、是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり(同抄)

とあります。
「生」と「死」はいずれも南無妙法蓮華経の働きであり、
生命とは生きてるあいだだけのことをいうのでなく
生死を繰り返し現じることを指して生命(妙法)というのです。
つまり現実にこの世に生きている姿も、死んでしまた状態の両方とも生命という定義です。
そう考えると、死後も生命自体は続いていますから
死後の世界というのは有るといえますが
それは宇宙の何処かに死後の世界という場所があるということではなく
宇宙の生命(適切な表現かはわかりませんが)に溶け込む、一体となる(冥伏する)世界と考えられます。
で、その宇宙の生命もまた南無妙法蓮華経(妙法)です。
つまり我々も生命も死後の世界である宇宙の生命も同じ南無妙法蓮華経といことです。
いま、現在この世界に生まれ生きているから自分と宇宙と区別されてますが
その本質・本体は自分と宇宙とは同じ南無妙法蓮華経です。
そして南無妙法蓮華経とは十界互具・一念三千の当体ですから
当然そこ(死後の世界)には地獄界も仏界も存在します。
死後そのどこかに(十界の中のどこかに)自身の生命が一体化(冥伏)するのですから
自身の死の直前の生命があった世界(十界のどこか)に属することになるでしょう。
そして死後はその生命が冥伏した場所(十界のいずれか)から
自力で違う場所にはいけませんからその場所に留まることになります。
(生きている人の追善などで変わる事はできますが自力では無理です)
なので、次の生ではその場所からの出発になるわけです。
謗法・不信のまま死ねば死後無間地獄界に冥伏し
次に生をを受けても無間地獄界からのスタートです。
逆に仏界に冥伏すれば、次の生は仏界からのスタートです。
法義的にはこんな感じだと思います。

では、具体的にどうすれば死後成仏(仏界に冥伏)できるかというと
日寛上人の、臨終用心抄にその内容が書いてあります。
本文は割愛しますが概略をいうと
臨終の時に心が乱れにようにすることが肝心であるということです。
心の乱れる原因として
①断末魔の苦しみ(身体の痛み)
②魔のはたらき
③妻子・財産への執着
が挙げれれています。
それに対する用心として日寛上人は
①日頃から断末魔の苦しみはあるものと覚悟し、他人を誹らず傷つけず進んで善業を積み、大御本尊と自分は一体であると思って題目を上げること
②日頃から仏道修行には魔が現れる覚悟し、臨終の際は喜こびや恐レの心をなくし南無妙法蓮華経ととなえること
③妻子や財宝は執着するに値しないと考え得ること
とご指南されています。
とはいえそれが出来きないのが凡夫というものです。
ですから日々の信心が大切になります。
大聖人の信徒で妙法尼という方がいますが、そのご主人念仏の信者でした。
妙法尼は主人の臨終が心配でしたが、ご主人は臨終の時に
南無妙法蓮華経の題目をあげました。それに対し大聖人は

◆しかれば故聖霊最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給いしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給う(妙法尼御前御返事)

とご主人の成仏は間違いないと言われてます。
ならば死ぬときだけ南無妙法蓮華経と唱えればいいじゃないか。と思いますが
それができないのも凡夫の性。謗法の所以です。
日寛上人は、臨終用心抄の中で

■臨終の一念は多年の行功を依ると申して不断の意懸けに依る也。

とご指南されてます。
刹那の臨終(実際の臨終)の時の一念は、多念の臨終(日頃の信心)によって決まる。
そして刹那の臨終の時の一念が、死後の行き場所を決める。のです。

題目上げても信じきれないという思いはすごくわかります。
特に悪いことがなかなか改善しないときは時には信心なんて意味がないと思うときもあるでしょう。
だからといって信心以外に何か解決方法はあるのでしょうか?
あるなら、信心以外の解決方法を実行すればいい。
でも、事生死に関することはご本仏(大御本尊)以外に知ってる人はいない。
また、ご本仏(大御本尊)以外に解決できる人もいない。
どうせ自分ではわからないしどうしようもないなら、ご本仏を信じる以外ない。
私はそう思ってます。
最後に、お題目は大御本尊に信を取ってあげてください。
勤行もできる限り正式な五座・三座がいいでしょう。
そして創価の活動(財務・聖教購読も含め)や創価の教義を用いてはダメです。
あくまでも、大御本尊を信じ(信じきれなくても)
お題目をあげることが大切だと思います。
いま、ニコさん必死でお題目を上げてると思います。
辛い中でもお題目を上げている。
絶対的確信なんかなくてもいいのです。
辛くてもお題目を上げているという事が大切なのです。
そんなニコさんが死後に地獄、餓鬼、修羅、畜生界などに行くわけありません。

◆縦ひ頚をば鋸にて引き切りどうをばひしほこを以てつつき足にはほだしを打ってきりを以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり(如説修行抄)

お身体を大切にしてください。
何かあればまたコメントください。

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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