それはやるんかい!

春のお彼岸も明日で終わり。
21日の聖教新聞にも各地で彼岸法要を行ったとか。
仏法の本義じゃない。な~んて言って
塔婆や戒名を否定し、葬儀も友人葬をしているのに
彼岸の法要はやるんかい!と思わず突っ込みたくなりますなぁ
彼岸以外にも、お盆?あと七五三までやる創価。
七五三だったら塔婆供養の方がよほど仏教の教えだと思うんだけど。
てか、七五三は仏教となんの関係もないじゃん。
なんだかやっている事滅茶苦茶。
坊主の金儲けの為の行事・仏事は何もしないってのは
仏法の法義に則っているのか?
創価の勸める僧侶不要論。
正直、それは少なくても大乗仏教の法義に反していると思う。
大聖人は勿論のこと
俺の知る限りでは総ての仏教の宗派で三宝帰依を説いている。
仏・法・僧の三宝に帰依することこそ仏法の基本の「キ」だ。
その三宝のひとつである僧宝を見下し
僧侶不要論を掲げる創価こそ仏法の本義に反していると言える。
もはや、日蓮仏法どころか、仏法そのもの教えじゃない。
それでいて、自分たちは新興宗教団体じゃありません。などと
一体どの口がいうのだろう。
創価の活動家は自分たちが仏教徒だと思っているようだが
僧侶不要論を平然と言う時点で仏教徒じゃないってことを知っているのか?
なんでここまで自分の信じている宗教に対して
無知であり無関心なのか?理解に苦しむ。
所詮は、新興宗教・創価教の信者でしかない。
創価教のクセに、「仏法」だの「大聖人」だと言わないでもらいたいものだ。

で、僧侶不要なんていいつつ
宗門から離脱した元・僧侶を飼っているのもお笑い種だな。
青年僧侶改革同盟だっけ?
彼らはもう僧侶じゃないだろ。
青年【元】僧侶改革同盟だろ。
そんな屁の役にも立たない連中を
会員の財務で養っているわけだ。
全く、新興宗教団体ってのは節操がないな。

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カラスはカラス

  鵜という鳥は色は烏と似ているが、潜水能力が優れているし、魚も獲る。  それを真似る烏の愚かさを哂うことわざを思い出した。

 なにせ創価がいかに日蓮仏法を語って、それっぽく振舞っても、所詮その資格も能力もないことは、冷静に考えば判るよね。

管理人さんの本稿では、春の彼岸勤行会が挙げられている。 当然、秋だってある。  以前にこのことを一番上の幹部に糾したところ、

 「そうしないと信心のない人はお寺のほうへ行きますからねぇ」とのたもうた。

 会員のためでもなく、法義の上からでもなく、会員のガッカイ離れを防ぐためだということである。 だから嘘っぱちな法要さえ真似をする。

  同時に会員のほうも、何年信心をしてきてても、以前の宗派や社会通念に囚われたまま、何も変わっていないということになる。  

 どっちもどっちだなぁ。

 河合師範さんがよく言ってたことがあった。  「みなさん、ずっと念仏のまま、禅宗のままですね」、と。

 確かに教学の会合はあるし、御書も各人が持っていて、学ぶことは自由にできたが、宿習とかいうものは、なかなか変わらないというのは解る。  それがたちまち誹謗正法になってしまう場合と、そこまででもない社会通念でしかない場合もあるが、現今のガッカイ二世・三世さんたちは実際、どうなんだろう。

 時代はそこまでゆるんできてしまったんだろうか。  世界宗教に発展するということは、そこまでバリアフリーでないといけないんだろうか、と考えてしまう。

 第三文明社・発刊の「創価学会を語る」という本がある。 キリスト教徒であり 作家の佐藤 優と、日蓮仏教研究者で僧侶の松岡幹夫の対談だ。

 この中で佐藤氏は「変わっていくことが世界宗教の必須の要素だ」とかいうことを語っていた。   なんだか気分が悪くなって、そこで読むのをやめてしまった。

 全部を読了しないまま言うのはご法度かもしれんが、少なくとも私の場合、まわりから「仏法原理主義者」と呼ばれているので、こういう嫌悪感はどうしようもないのだ。  理性的には読めないし納得もできない。

 信心をするということは、それまでの宗教観も人生観も変えることも辞さないということだと信じてきたのだから、どうしてもアンテナが敏感に反応してしまうし、それで自分自身をチェックしたりしてきた。 

 これは私の「信仰上の生理」だろう。 

 彼岸ということばは 神道でいうところの「日願」が出典だし、もともとから仏教にはなかった概念だと習った。  檀家制度で仏教者は法論を禁じられた。 今ある信者さんだけで生活を維持しないといけなくなり、苦肉の策で新しい仏事・法事を考案した時代だ。

 そこで回忌法要やお盆 そして彼岸の法要なども生まれたと知った。

 所詮、そんなもんだ。   

 彼岸の法要をしないと先祖が成仏できないなんて嘘っぱちなのである。

 「創価ルネッサンス」とかで会員を寺に獲られないようにガッカイも変わっていったけど、今はその言葉も聞けなくなった。  

 このまま一体どこへ行こうとしてるのだろうね。

 

 
 

仏宝、法宝は必ず僧によって住す。

管理人様

仰る通り、学会の僧侶不要論は大聖人様の御金言と法華経に叛く大謗法ですね。
また、嘗て針金宗教と揶揄された宗門を戸田会長は称賛されています。
今の学会は度重なる邪義の上塗りによって、底無しの矛盾に堕ちいっています。
まさしく新興宗教の典型的な姿です。
よく「正宗とは関係ない別の宗教団体だ」と開き直る方がいますが、だからこそ「天にニ日なし」の原理原則によって破折される対象になっているのです。
一刻も早く正法正義に目覚めて、戒壇の大御本尊様に帰依して欲しいと願います。
小生の残された人生、唯一の大願であります。


末代の衆生は法門を少分をこゝろえ、僧をあなづり、法をいるがせにして悪道におつべしと説き給へり。法をこゝろえたるしるしには、僧を敬ひ、法をあがめ、仏を供養すべし。今は仏ましまさず、解悟の智識を仏と敬ふべし、争でか徳分なからんや。後世を願はん者は名利名聞を捨てゝ、何に賤しき者なりとも法華経を説かん僧を生身の如来の如くに敬ふべし。是正しく経文なり。 (新池御書)

僧の恩をいはば、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬えば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習い伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず (四恩抄)

わずか小勢百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の「ご出世のご本壊」たる弘安二年十月十二日ご出現の一閻浮提総与の大御本尊様を守護したてまつって、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(戸田会長『巻頭言集』 昭和26年6月10日)

ランボーさんが言われてるように、私がお盆や彼岸、毎月の法要勤行会で役員について、参加者のあまりの少なさにやる事が無駄ではないかと疑問をもち、担当幹部に話してみると『寺に行かないようにするため』と同じようなことを言われました。
そもそもそんな人は会館になんか来ないですし、学会の屁理屈にしか聞こえません。
担当幹部の話も用意してある例文を読んで終わり。選挙時期なら選挙の話をする幹部もいました(笑)
学会員の親類に誘われ参加した外部の方がビックリされてたというのもありました。
学会は本当にご都合主義な団体です。

Ramboさん

こんばんは。

> 管理人さんの本稿では、春の彼岸勤行会が挙げられている。 当然、秋だってある。  以前にこのことを一番上の幹部に糾したところ、
>  「そうしないと信心のない人はお寺のほうへ行きますからねぇ」とのたもうた。
>  会員のためでもなく、法義の上からでもなく、会員のガッカイ離れを防ぐためだということである。 だから嘘っぱちな法要さえ真似をする。

全く節操がないですよね。
飼っている【元】僧侶も、結局は友人葬ではイヤという人向けですから。
宗教団体というより、宗教の総合商社です。

>  全部を読了しないまま言うのはご法度かもしれんが、少なくとも私の場合、まわりから「仏法原理主義者」と呼ばれているので、こういう嫌悪感はどうしようもないのだ。  理性的には読めないし納得もできない。

以前ブログに書きましたが、原理主義=悪 というのは間違いってます。
私も、原理主義・教条主義者です。

>  このまま一体どこへ行こうとしてるのだろうね。

創価上層部がどこに向かおうとしてても
仏法の因果には逆らえません。
いまのままの創価ならば
行き着く先は無間地獄です。

古刹信徒さん

こんばんは。


> 仰る通り、学会の僧侶不要論は大聖人様の御金言と法華経に叛く大謗法ですね。
> また、嘗て針金宗教と揶揄された宗門を戸田会長は称賛されています。
> 今の学会は度重なる邪義の上塗りによって、底無しの矛盾に堕ちいっています。
> まさしく新興宗教の典型的な姿です。
> よく「正宗とは関係ない別の宗教団体だ」と開き直る方がいますが、だからこそ「天にニ日なし」の原理原則によって破折される対象になっているのです。
> 一刻も早く正法正義に目覚めて、戒壇の大御本尊様に帰依して欲しいと願います。
> 小生の残された人生、唯一の大願であります。

同感です。
三宝もわからなくなっている創価はもはや外道なんですよね。
なんで多くの会員さんにそれがわからないのか?
時々歯痒く感じます。

現役男子部さん

こんばんは。

> ランボーさんが言われてるように、私がお盆や彼岸、毎月の法要勤行会で役員について、参加者のあまりの少なさにやる事が無駄ではないかと疑問をもち、担当幹部に話してみると『寺に行かないようにするため』と同じようなことを言われました。
> そもそもそんな人は会館になんか来ないですし、学会の屁理屈にしか聞こえません。

ですよね。会館に来る会員が今更寺にはいきません。(笑)

> 担当幹部の話も用意してある例文を読んで終わり。選挙時期なら選挙の話をする幹部もいました(笑)

あ~、「ある。ある」ですね。
友人葬で、故人の話より、創価や池田センセの話の方が長かったり・・

> 学会員の親類に誘われ参加した外部の方がビックリされてたというのもありました。
> 学会は本当にご都合主義な団体です。

ご本尊だってご都合で変えるんだから
もう、身延や顕正会と同じ
戸田先生の築いた学会の面影はもうどこにもありません。
不ニの弟子が師匠の作った創価を違うものに作りなしちゃいましたね。

池田教で何が悪い!

初コメでございます。
私がまだ、創価班の頃(18年くらい前)、中国地方のとある圏男さんが、
会合で言われてたの思い出します。
私が御本尊様に巡り会えたのは、
名誉会長が学会を守り抜いたから、
だと思います。感謝です。
でも、信仰の対象ではないし。
御書根本って、解釈次第ですし、
なぁ〜んて思うこの頃です。
お山の板曼荼羅が何かの事故で
無くなったら、何が信仰の根本に
なるのかも、ちょいと疑問ですが、
夜勤に向けて生活の為、お題目を唱えたいと思います。

退転壮年部のおじさん さん

こんばんは。初めまして・

> 初コメでございます。
> 私がまだ、創価班の頃(18年くらい前)、中国地方のとある圏男さんが、
> 会合で言われてたの思い出します。
> 私が御本尊様に巡り会えたのは、
> 名誉会長が学会を守り抜いたから、
> だと思います。感謝です。

その前提として、正宗が大御本尊と大聖人仏法の教義を守り抜いてきたから。なんですけどね。
そうした恩を忘れ、自分達(創価)の手柄だと思っちゃったのが
池田センセと創価会員ですね。

> でも、信仰の対象ではないし。
> 御書根本って、解釈次第ですし、
> なぁ〜んて思うこの頃です。

御書を自分達の都合で勝手に解釈してしまうのが創価教学です。
創価教学で御書を読むから解釈次第になってしまうと思います。

> お山の板曼荼羅が何かの事故で
> 無くなったら、何が信仰の根本に
> なるのかも、ちょいと疑問ですが、

これの創価活動家がよく言う言葉ですね。
大御本尊がなくなったらどうすんだ?って。
そんなことは、凡夫の我々がどうこう言う問題じゃないし
現に大御本尊はいま存在しているのですから
無くなった時のことなど議論のテーマにならないし
無くなるのだから信受しなくていい。というのは間違ってます。
これらの発言は創価幹部・活動家の詭弁でしかないと思ってます。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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