かりんとうさんのコメントを読んで(供養の話)

かりんとうさんから次のようなコメントいただいたので今日は供養の話。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日蓮正宗活動家の記事を読んでいます。疑問があって・・・供養の事です。
大変みすぼらし様子の老婆が、実は莫大な財産を家族に一切残さず全部供養した お話。
この老婆の信仰心をたたえています。
あるご住職の話、「お題目は一分でも足りないこともなく、三時間で足りることでもない。
時間があるのにしないのは良くない。供養も同じ、あるのにしないのはどうかと思う」
こんな指導は不愉快です。
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

確かにこの住職の話は不愉快ですね。
友人と飲みに行って今日はお金があるからご馳走しよう。って思ってたら
その友人から先に「オマエ金あるんだから奢ってくれよ」って言われたら
不愉快で、いくら金があってもご馳走したくないし
もう二度とコイツとは飲みに行かない。
そう思っちゃうよね。
まぁ、この住職の話はそんな感じの話かな。
どうかと思う。みたいな言い方がね~。
それこそご供養で養われている住職として「どうかと思う」
まぁ、住職とは言えそこは我らと同じ唯の凡夫。
で、ご供養というのはその凡夫である住職さん対してするものではない。
大聖人はご供養について御書の中で多く言っているが
要約すると、ご供養というのは三宝に対してするもの。ということ。
ここでいうところの三宝とは言うまでもなく
文底下種三宝であり、三宝一体である。
つまり戒壇大御本尊様(日蓮大聖人)に対して供養するのが
正しいご供養だと思う。
俺は法華講員になったことないのでわからないが
住職に対する供養と思えば腹立つこともあるだろうが
大聖人に対する供養と思えば腹もそんなに立たないのではないかと思う。
まぁ、「あるなら出せよ」的な話は問題外だが。

日寛上人の消息文に、
■「さては前度下し奉りまいらせ候御本尊之御供養彼方此方より皆々相届け被入御念 候、御事候。
殊松任殿老之いとまなき身本因妙一万遍御供養難有御事候かならずかな らず信の一字こそ大事にて候。たとへ山のごとく財をつみ御供養候とも若信心なくは せんなき事なるべし。たとへ一滴一塵なりとも信心の誠あらば大果報を得べし阿育王の因縁なりと思ひ出られ候べく候。かならずかならず身のまづしきをなげくべからず唯信心のまづしき事をなげくべけれ」(松任治兵衛殿御返事)
というものがある。
これは松任治兵衛という信徒が日寛上人に御本尊を下付してもらったが
貧しくお金がないので何もご供養ができず、代わりに本因妙(題目)一万遍の供養をしてことに対するお返事だ。
これを読むとわかるように、信心がない多額の供養よりも、心からの(信心の)一万遍の唱題の方が尊いと
日寛上人は言われている。
俺も昔は極貧だった時代があるからわかるけど
この日寛上人のお言葉に涙が出る思いだ。

大御本尊に対する信。そして報恩感謝の念で供養こそが大事なのだ。
それゆえに功徳(大果報)を得ることが出来ると。
創価のように「功徳が出るから財務(供養)する」のでなはなく
「報恩感謝の気持ちで供養するから功徳が出る」のだ。
はじめから「財務は功徳がある」なんていう根性で功徳など出ないわけだ。
これは、財供養だけでなく、身供養・法供養も同様。
供養というのは功徳をもらうためでなく、
報恩感謝の顕れであり、信心の顕れである。
その心の顕れに、金額の多少は関係ない。
自分自身が大御本尊に感謝したとき、その時できることをすればいいのである。
それがご供養の精神ではないかと日寛上人の御文を読むと思われる。

翻って創価のしてきた供養はどうだったのか?
さっきも言ったように「功徳が出るから財務する」なんて発想は
金で功徳を買う。と言ってるようなもので
ご供養の精神が欠けているとしか言えない。
また、破門から現在にたるまで
池田センセ・創価上層部・活動家たちは
「宗門にどれほど供養したと思ってるんだ」
「宗門を繁栄させてやったのは俺たち創価だ」
「宗門が大きくなったのは創価のおかげだ」
などなど、
まるで「供養してやった」かの如く吹いている。
こうした人達には多分一生ご供養の意味を理解でないのだろう。
さっきも書いたがご供養とは報恩感謝の一念でありそれが信心。
だからご供養とは「してやる」のでなく「させてもらう」
そこがなければ日寛上人の言うように
■たとへ山のごとく財をつみ御供養候とも若信心なくは せんなき事なるべし
なのだ。
俺はしていないが、正本堂を建てるとき
多くの学会員は真実のご供養をしてきたはずだ。
だが、今池田センセと不愉快な仲間たちに追従して
「宗門を大きくしてやった。宗門を守ってやった」などと考え違いをしては
正本堂のためにした供養の功徳などたちまち消えてまうのだ。

もっとも、そうしたご供養の意義や精神が全く理解できない創価活動家だからこそ
三宝である大御本尊になんの関係もない
創価の財務に「功徳がある」なんて思い込んで
年末にせっせと創価に振り込むのだろう。
日寛上人のお言葉をもう一度書く

■たとへ山のごとく財をつみ御供養候とも若信心なくは せんなき事なるべし

いづれにせよ、ご供養に、財も身も法もおお多いとか少ないということはない。
「信」があるかないか。
供養の大事は、その一点だけだ。

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No title

いつものように、まぁなんとなくコメントなのでお構いなく。

子供が小さい頃ね、父の日にプレゼントにくれた、とあるものがありましてね、何年か経ってサイズが合わなくなったの。
仕方ないのだけど、私は大切に持っている。
捨てたりできないですよ、親として-----


さて、正本堂の話は知っていますよ。
ひとりひとりの会員(信徒)の気持ちに立てませんかね。
あの時代、まだまだ裕福とは無縁の、有り余ったお金ではなかったと思いますよ。
自分たちが、たいへんな思いを込めた供養で立ったものを
あっさり、目の前でぶっ壊されてはたまらんでしょ?

教義がどうの、意義がどうの、
私は知りません。

でもね、宗教の前に、人の道ってありませんかね。



真心の御供養

私の父は昭和38年頃、
男子部時代に映写機をバイクに乗せて
(映写班?真意不明です、、)
座談会で学会のフィルムを
参加者の皆さんに見てもらってたとの事。

安月給で経済的にも苦しい中、
正本堂建立の為に、財産も何も無く、
でも広布のお役に立ちたいとの思いで
生活の足であるバイクを売り、
なんとか
赤誠を尽す事が出来て、
その事は今までも
父にとって誇りの様です。

正本堂が解体された時に父は
全く怒りませんでした。
自分の行いに何も恥じる事はないし、
猊下も大変だろうと、心配する始末。

父いわく、財務は真心だから
三桁とか関係ないよ。
母は、三桁できれば福運がつくと
頑張ってた事を思い出しました。

ご教示に感謝します

管理人様

実に素晴らしいご教示、ありがとうございます。
日寛上人の御文にふれて、御供養の精神を再確認できました。
財・身・心、すべては大御本尊様に御供養申し上げる、忘れてはならない事です。
所属寺院では必ず御宝前に御供えして勤行、唱題します。
(学会の財務=振込という感覚がわかりません)


退転壮年部おじさん様のお父上は、立派な信心を貫かれたんですね。
小生の父親と被り目頭が熱くなりました。

まぁなんとなくコメントしてみました。さん

こんばんは。

> さて、正本堂の話は知っていますよ。
> ひとりひとりの会員(信徒)の気持ちに立てませんかね。
> あの時代、まだまだ裕福とは無縁の、有り余ったお金ではなかったと思いますよ。
> 自分たちが、たいへんな思いを込めた供養で立ったものを
> あっさり、目の前でぶっ壊されてはたまらんでしょ?
> 教義がどうの、意義がどうの、
> 私は知りません。
> でもね、宗教の前に、人の道ってありませんかね。

確かにその通りだし。それが人情というものと私も思います。
ただ一方的に宗門を悪者にする創価の言い分はどうかと思います。
創価だけが正本堂に供養したわけじゃなく、法華講員さんも供養していますし
何よりも、正本堂が解体される大元の原因を作ったのは創価(池田センセ)なのは事実です。
なのに正本堂を壊した宗門は悪でる。という所が違うんじゃないかと。
そして、そんなことを言ってしまったら正本堂のご供養の功徳が台無しになってまうから勿体無い。
正本堂が解体されてもご供養の功徳は変わらないの
なぜ、自らその功徳を消すような言動をするのか?
そんなことを考えるわけです

退転壮年部おじさん、さん

こんばんは。


> 安月給で経済的にも苦しい中、
> 正本堂建立の為に、財産も何も無く、
> でも広布のお役に立ちたいとの思いで
> 生活の足であるバイクを売り、
> なんとか
> 赤誠を尽す事が出来て、
> その事は今までも
> 父にとって誇りの様です。
> 正本堂が解体された時に父は
> 全く怒りませんでした。
> 自分の行いに何も恥じる事はないし、
> 猊下も大変だろうと、心配する始末。

素晴らしいご尊父様ですね。
私も正本堂ではないですが、極貧生活の中で創価の財務をした経験があります。
いま創価がこんなになってしまっても、その時した財務を
惜しいとか、騙されたとか、返せとか思いません。
私は破門後でしたが大御本尊に対してご供養したと思っているからです。
大御本尊と出会えた感謝の気持ちで財務をしたからです。
ご尊父様は計り知れない程の福運を積まれたと思います。

古刹信徒さん

こんばんは。

> 日寛上人の御文にふれて、御供養の精神を再確認できました。
> 財・身・心、すべては大御本尊様に御供養申し上げる、忘れてはならない事です。

本当に大切なことですよね。
日寛上人のこの御文を読むと
昔の貧乏時代を思いだし泣けてきます。
実は、私も菩提寺にご供養したい思いはあるのですが
創価である私からのご供養は「謗法の供養」で受け取らない。と今は諦めています
まぁ、こんなことを書くと、古刹信徒さんから
「さっさと正宗に帰依しなさい」と怒られそうですが・・

管理人様や古刹信徒様の様に

大聖人様への信心を貫きたく存じます。
また、私の父の様に、
周りの動向や
組織の身勝手な言動に
振り回されない。
絶対である
大聖人様への確信を持ちたいと、
思っております。
学会に騙され
うつ病になり、
実社会で駄目になった
学会的に言う、負けた方々を
多数見てきた私。
もちろん大聖人様への
信を貫けば、
たとえ負けたと学会に判断されても、
皆さん大境涯を開いていけます。

今までも、
五座三座を絶対に欠かさない
大聖人様への報恩感謝を忘れない
副支部長の老父の背中を
お手本にしてます。
父が学会に居る以上。
長文乱文ご容赦願います。、

いつもありがとうございます。

管理人様

いつも御丁寧にありがとうございます。
管理人様の信念を以前こちらで拝しましたので、管理人様個人に対して色々と申し上げるつもりはございません。
すでに管理人様ご自身が、すべて承知されていると愚考しております。

とはいえ僭越ながら我見を申し上げますと、管理人様は信心強盛な「内得信仰の面々」と解しております。日興門流の強信者です。
如来の使いとして、また法華講衆の指導者として今生を飾られる事と思料しております。

本門戒壇の大御本尊様にお目通りが叶う事を、衷心より御祈念申し上げます。

No title

今回もあまり語りたくありませんが、

 信徒の『御本尊様』への真心を、巧みに利用して財力をつけていったのは紛れもなく『学会の狙い』通りです。

 水滸会での構想である「会員数イコールお金」です。  その会員は ご都合主義の池田センセイの「何度も何度も変わりまくる」指導に、何度も騙されてきました。 

 正本堂ご供養の時の、池田センセイの指導テープを聴けば、すぐ理解できることですが、「功徳があるから供養する」という我欲のいのちがある以上、いくら言っても詮無いことですね。

 結局、「財務」で最後は破綻していった会員さんをたくさんみてきました。
 幹部としての私の悪業は深いですね。

 

No title

ブログ主さん、お返事ありがとうございます。

せっかくお返事を頂きましたが、
少し腑に落ちないロジックでしたので、二三お聞きします。

>創価の言い分

いいえ、一般的な心情をもとに意見を述べたつもりです。 たとえば子供がせっかくくれたプレゼントを、不要になったからといって廃棄しますか?
「お前の気持ちは残っている」、つまりあなた方の理屈ではそれを「功徳は」に置き換えておられますが、それでも子供は傷つきますよ。
廃棄する側のみの視点であって、それは傲慢だと私は感じましたけどね。


>正本堂が解体される大元の原因

何でしょう?その原因は。
前項における「寄進者」の心情を無にしてまでの解体強行をしてまでの根拠たる事実があるのでしょうか?
ご説明願います。

ちなみに、たしか日本の有数な建築学会が、建築学の見地から解体を思いとどまるよう進言しました。耐震性を含め、構造的に問題はなかったはずです。


>そんなことを言ってしまったら正本堂のご供養の功徳が台無しになってまう

宗教的意義については、見解がおありでしょうから私のような俗世どっぷりの人間が口を挟む筋合いではないでしょうが、
しかし、世の中の道理をないがしろにした価値観はいかがなものでしょう?

創価だろうが法華講だろうが、あれだけの寄進を受け、それなりのお金をかけて造ったものです。
ただでさえ、モノを大切に、心を大切にすることを説く宗教が、いとも簡単に自分たちの視点でのみ「消費」してしまう行為に、どれだけの世間の常識を凌駕しうる根拠があるというのでしょうか?
 
布施=功徳=心…と結んで、「有形のもの(建築物)」をあたかも「心」の下に置くロジックを展開なさっておられますが、
それをおっしゃる側が、お金という存在の「有形ありき」ではじまっているのですから、これはダブルスタンダードです。

いずれにしろ、かなり強引なロジックであって、世間では通じないと感じた次第です。


なお、本日の最後に。

そこまで理解なさっているブログ主さんが、
日蓮正宗入信に踏み切れない理由をお教えいただけたら幸いです。

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> 今までも、
> 五座三座を絶対に欠かさない
> 大聖人様への報恩感謝を忘れない
> 副支部長の老父の背中を
> お手本にしてます。
> 父が学会に居る以上。
> 長文乱文ご容赦願います。、

身近に最高の信心のお手本がいらっしゃる
退転壮年部おじさんさんは福運がありますね。
お互い頑張りましょう

古刹信徒さん

こんにちは。

> とはいえ僭越ながら我見を申し上げますと、管理人様は信心強盛な「内得信仰の面々」と解しております。日興門流の強信者です。
> 如来の使いとして、また法華講衆の指導者として今生を飾られる事と思料しております。
> 本門戒壇の大御本尊様にお目通りが叶う事を、衷心より御祈念申し上げます。

激励の言葉の数々、痛み入ります
ありがとうございます。

Ramboさん

こんにちは。

>  信徒の『御本尊様』への真心を、巧みに利用して財力をつけていったのは紛れもなく『学会の狙い』通りです。
>  水滸会での構想である「会員数イコールお金」です。  その会員は ご都合主義の池田センセイの「何度も何度も変わりまくる」指導に、何度も騙されてきました。 
>  正本堂ご供養の時の、池田センセイの指導テープを聴けば、すぐ理解できることですが、「功徳があるから供養する」という我欲のいのちがある以上、いくら言っても詮無いことですね。
>  結局、「財務」で最後は破綻していった会員さんをたくさんみてきました。
>  幹部としての私の悪業は深いですね。

どんな深い罪業でも「罪として滅せざるものはない」のがご本尊です。
大丈夫です。

まぁなんとなくコメントしてみました さん

こんにちは。

> いいえ、一般的な心情をもとに意見を述べたつもりです。 たとえば子供がせっかくくれたプレゼントを、不要になったからといって廃棄しますか?
> 「お前の気持ちは残っている」、つまりあなた方の理屈ではそれを「功徳は」に置き換えておられますが、それでも子供は傷つきますよ。
> 廃棄する側のみの視点であって、それは傲慢だと私は感じましたけどね。

一般論としてはその通りです。

> >正本堂が解体される大元の原因
> 何でしょう?その原因は。
> 前項における「寄進者」の心情を無にしてまでの解体強行をしてまでの根拠たる事実があるのでしょうか?
> ご説明願います。

それは創価や池田センセによる謗法です。ここから先は大聖人仏法の教義無くしては語れない所です。


> ちなみに、たしか日本の有数な建築学会が、建築学の見地から解体を思いとどまるよう進言しました。耐震性を含め、構造的に問題はなかったはずです。
> >そんなことを言ってしまったら正本堂のご供養の功徳が台無しになってまう
> 宗教的意義については、見解がおありでしょうから私のような俗世どっぷりの人間が口を挟む筋合いではないでしょうが、
> しかし、世の中の道理をないがしろにした価値観はいかがなものでしょう?


そこが宗教をしている人としていない人との交わらない部分なんでしょうね。
宗教的な建造物ですからどうしても宗教的意義を含むし宗教的な価値観が重要になります。
もし正本堂が宗教的意義を含まなければ、供養する人は大勢いなかったと思います。
因みに建築学見地云々の下りは、あくまでも創価側の主張ですからそれをもとに建造物としての構造的欠陥は無かった。とは言い切れません。事実、正宗側においては創価側の見解と真逆の見解です。

> 創価だろうが法華講だろうが、あれだけの寄進を受け、それなりのお金をかけて造ったものです。
> ただでさえ、モノを大切に、心を大切にすることを説く宗教が、いとも簡単に自分たちの視点でのみ「消費」してしまう行為に、どれだけの世間の常識を凌駕しうる根拠があるというのでしょうか
> 布施=功徳=心…と結んで、「有形のもの(建築物)」をあたかも「心」の下に置くロジックを展開なさっておられますが、
> それをおっしゃる側が、お金という存在の「有形ありき」ではじまっているのですから、これはダブルスタンダードです。


この辺の話になると宗教的教義が絡んでくるので発言は差し控えます。
ひとつ言える事は大聖人仏法においては、世間的にいい事と思われているような事でも謗法という場合もあったり
かといえば世法=仏法という場合もあります。
また「心」ひとつとっても色々な解釈もあります。
ダブルスタンダードと言われ思われるのも致し方ないです。
これを説明するのは困難極まりないのでこれ以上の発言は差し控えます。

> いずれにしろ、かなり強引なロジックであって、世間では通じないと感じた次第です。

まぁ、それも仕方のなことでしょう。

> そこまで理解なさっているブログ主さんが、
> 日蓮正宗入信に踏み切れない理由をお教えいただけたら幸いです。

この辺も一言では言い表せないのです。
簡単に、こうこうこう言う理由です。で終わらない。
それ位、複雑な思いやらなんやらあるので
追々ブログに書いていきますので
よろしければ気軽にお待ちください

No title

本日の立ち寄りは終了と申したのですが、
せっかくお返事いただき、更にお聞きしたいこともあり訪問さあせていただきました。
申しわけありません。

取り急ぎ、何点か。


>宗教的な価値観が重要

>もし正本堂が宗教的意義を含まなければ、供養する人は大勢いなかった


であるのなら、当所その「意義」があったわけですよね?

建物自体にその意義は「既に」含んでいて、現実の運営、使用、更には登記上も「日蓮正宗」にあるわけです。

にもかかわらず、その「既にある宗教的意義」を覆すだけの「突発的要因」があったのでしょうか? お聞かせください。


次に、

>因みに建築学見地云々の下りは、あくまでも創価側の主張ですからそれをもとに建造物としての構造的欠陥は無かった。とは言い切れません。事実、正宗側においては創価側の見解と真逆の見解です。


いいえ、私が引用したのは「第三者」からみた見地です。
そのように、公の見地からの「欠陥を指摘」があったのなら、ご紹介ください。


さて、申し訳ないのですが
お聞きしていると、全体的に何やら「宗教だから」「秘めたものがあるから」と、煙にまかれているようで、更には「部外者にはわからない」で締めくくられて、どうも腑に落ちません。

「あの世、この世」の話で、現実に背を向けさせない行為を、大聖人は否定したからこそ、
念仏を厳しく糾弾したわけです。
時の幕府の悪政への民衆の不満に対し、「西方極楽浄土へ行ける」からと、「現世を諦め」させるに都合がよかった念仏信仰でした。
そういった念仏宗派が幕府の庇護を受け、お互いに「都合のよい関係」を構築し、民衆を煙にまいたわけですが、それらと命がけで対峙した大聖人のご精神からすると、おっしゃるようなロジックでは真逆のものだと感じますが、いかがでしょうか。


 

●創宗戦争

●御無沙汰しております。
バタバタしておりますので落ち着いたらまたコメントしょうと思いますのでよろしく<(_ _)>

●創宗戦争が話題になってますね。
もし、よかったら、ボクが1番公平な判断してると思うサイトのアドレス張りつけときますので参考にしてみてください。
創宗戦争の基礎知識http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/nitiren-kiso.html

創宗戦争2

●度々出てきてすいません<(_ _)>
正本堂が解体されたことは、その出来事のみをスポットとして取り上げても事実は見えてこないと思います。
創宗戦争の一連の流れの中で、なぜ宗門がこのような事を行なわざるをえなかったのかと考えた方が理解しやすいと思います。

本物の

様々なご意見があり
御自身の耳障りな
コメントを排除する事も
出来るはずなのに、
あまた有る
コメントに対しても一貫して、
管理人様が
発信する事に、
敬意の念を持つ私。
もちろん、疑念を感じる事は、
人として正です。
真っ直ぐだと思います。
横槍り入れて申し訳ございません。
ただ、忌憚なきご意見が多数ある
この管理人様のブログに勇気を頂いた
通りすがりです。
学会にも、こんな方々が居れば
もっと幸せを掴む事が出来たはずです。

No title

管理人さんへ

 リコメント、いつもいつも有難うございます。
 どこまでいけるか、、  家中の問題もあり、まだ正式な退会届は出せないままですが、僧俗和合の理想が実現できない上は、この方向に変更はありません。

 さて正本堂の解体の件、私は仏法上の解明は出来ません。 諸説ありますが、断定は出来ない。 白状すればそういう立場です、 宗門側が、謗法の供養は受けない!というのであれば、客殿、総坊、ほか、学会寄進のすべてを解体するのがスジ。  しかしそれはやらない。  創価は創価で、「謗法の地にあるので、大御本尊は「認定しない」と言う。 何も知らされない現場の会員さんは、どんどん生命力が落ちていく。 挙句、ウツやガン、子供の引きこもり、不登校など、どれだけ多いことか。 改めて驚くほど多いのです。 今夜もそういう悩みを聞きました。 

 事件と混乱の所在は「現場」にしかないという視点が双方に欠けて抜け落ちています。

 現実には私の親友などは、「破壊行為をした日顕上人を絶対に許さない」と言います。 以来、ずっと「日顕上人の死」を祈り続けてきたと言ってました。   さすがにそれは思いとどまらせてきました。
「そういう祈りはいけない」と。  

 彼は実際に正本堂ご供養をしたわけではありません。(時系列的に)

 学生部創価班として正信会勢力と戦ったという履歴です。

 二ヶ月に一度の任務で幸いにそのつど大御本尊様にお目通りできた、そしてその都度、彼の宗教的確信と人生へ立ち向かう力を得て、実社会でかずかずの体験と結果を残してこれた、という感謝と誇りがあるのです。

 私はあえて言えばこういう「一会員」の視点を大事に思いたい。

 大所高所で語ることも勿論、本質を見失わない限り、大切です。

 でも私の意見は今は違うのです。

 蛇足ですが、ある批判本(暴露本)などを読むと、集められた355億円がすべて正本堂建設に使われたというのはウソであると。

 約50億円が公明党にも流れたという知見?もありました。  

 私が申し上げたいのは、つまり

 「大本営発表はもう信じない」という一点です。 宗門と創価双方のです。

 情報も圧倒的に不足した「現場」は、誰が責任を持つのか。

 みんなの嘆きと不安、うらみつらみをどこに向けたらいいのか、と思います。

 犠牲になるのは常に現場のいち庶民とその眷属ですよ。  その視座を欠いた論争には、もう組しません。

 なぜならそれは戦争の大義を当事国双方が振りかざし、庶民が戦場に駆り出されることと変わらないから。

 そしてその伝で言えば、心の底から「天皇陛下万歳!」と叫んで死んでいった人は少なかったのです。

 国と軍の勝利を願ったのは、ほとんどが愛する人、愛する家族などの為に自分はこの命を捨てる!という思いが前提だったと感じますし信じられる感情です。  「広宣流布は感情でやるんだ」という先輩の指導を
今、思い出しました。(蛇足でした)

 若い頃、ある展示会で特攻兵のお手紙をいくつか拝読する機会があったおり、私は泣きました。   様々な意味の涙でした。

 これからの私の道は、「終戦処理」のようなものかも知れません。

 無論、その戦争は今も終わってはいませんから終戦ではない。

 だからそれは私の生存期間として、括ってのことです。 

 

 

 

追記

 
 度々、失礼します。

 管理人さんが創価のままで、ダメ出しをされているのは、批判を覚悟での行動です。

 ガッカイインとしてモノ申すのと、外から言うのでは、格段の相違と影響力があります。

 まあいずれ除名になるでしょ。。と仰ってたように、ある意味、身を任せてもいる。。

 私とて、正式?に退会届を出し、みなさんの知るところになれば、もう誰も来ません。   私のところに来られるのは、あくまで「○○長さん」という道路上の安全地帯があるからでしょう。

 「平家にあらずば人にあらず」になってしまえば、庶民である会員さんは来なくなりますね。
 
 以上、私見ですが、、。
 

古本屋店主さん

こんにちは。

> 正本堂が解体されたことは、その出来事のみをスポットとして取り上げても事実は見えてこないと思います。
> 創宗戦争の一連の流れの中で、なぜ宗門がこのような事を行なわざるをえなかったのかと考えた方が理解しやすいと思います。

そうですね。そこだけピックアップしても部分観になってしまいますよね。

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> もちろん、疑念を感じる事は、
> 人として正です。
> 真っ直ぐだと思います。

色々な考えがありますからね。
その中でコンセンサスが取れる事と取れない事とあって然るべき事です。
一番いけないのは疑念を感じない事ではないかと思います

Ramboさん

こんにちは。

>  二ヶ月に一度の任務で幸いにそのつど大御本尊様にお目通りできた、そしてその都度、彼の宗教的確信と人生へ立ち向かう力を得て、実社会でかずかずの体験と結果を残してこれた、という感謝と誇りがあるのです。
>  私はあえて言えばこういう「一会員」の視点を大事に思いたい。

そうですね。大聖人は今のこの現状を決してお喜びではない。そう思います。

>蛇足ですが、ある批判本(暴露本)などを読むと、集められた355億円がすべて正本堂建設に使われたというのはウソであると。
>  約50億円が公明党にも流れたという知見?もありました。  
>  私が申し上げたいのは、つまり
>  「大本営発表はもう信じない」という一点です。 宗門と創価双方のです。

創宗双方からの主張はたくさんあります。
取捨選択は個々人が決める以外にありません。

>  みんなの嘆きと不安、うらみつらみをどこに向けたらいいのか、と思います。
>  犠牲になるのは常に現場のいち庶民とその眷属ですよ。  その視座を欠いた論争には、もう組しません。
>  なぜならそれは戦争の大義を当事国双方が振りかざし、庶民が戦場に駆り出されることと変わらないから。

その通りです。そうした犠牲者が創宗双方にいるわけです。
ほんとうに困ったことをしてくれたものです。

>  これからの私の道は、「終戦処理」のようなものかも知れません。
>  無論、その戦争は今も終わってはいませんから終戦ではない。
>  だからそれは私の生存期間として、括ってのことです。 

終戦処理ではないですよ。
待っているのは、逆転勝利です。

まぁなんとなくコメントしてみました。

こんにちは。

> であるのなら、当所その「意義」があったわけですよね?
> 建物自体にその意義は「既に」含んでいて、現実の運営、使用、更には登記上も「日蓮正宗」にあるわけです。
> にもかかわらず、その「既にある宗教的意義」を覆すだけの「突発的要因」があったのでしょうか? お聞かせください。


創価学会なかんずく池田センセの謗法。それにより正本堂の宗教的意義が消滅したのだと思います。
池田センセの変節・謗法はだれも予想しなかった突発的事項でしょう。

> いいえ、私が引用したのは「第三者」からみた見地です。
> そのように、公の見地からの「欠陥を指摘」があったのなら、ご紹介ください。

平成15年ころの「フォーラム21」の実際解体した業者社長の発言や
その当時の「慧妙」には実際の正本堂の写真を掲載しています。
モチロン、それは宗門側の機関紙ですが、解体業者の社長の発言や画像は客観性があると思います。
また、以前貴方が仰っていた一般的な人の感情を言うならば
母親を捨て家を出でいきしかも外で母親の悪口を言っている父親
そんな父親が以前くれたものを母親が大切にしていたら
残された子供たちや周囲の人達はどう思うでしょう
おそらく「そんなオヤジから貰ったもの捨ててしまえよ」と思うのが
一般的な感情じゃないかと私は思います。


> さて、申し訳ないのですが
> お聞きしていると、全体的に何やら「宗教だから」「秘めたものがあるから」と、煙にまかれているようで、更には「部外者にはわからない」で締めくくられて、どうも腑に落ちません。
> 「あの世、この世」の話で、現実に背を向けさせない行為を、大聖人は否定したからこそ、
> 念仏を厳しく糾弾したわけです。
> 時の幕府の悪政への民衆の不満に対し、「西方極楽浄土へ行ける」からと、「現世を諦め」させるに都合がよかった念仏信仰でした。
> そういった念仏宗派が幕府の庇護を受け、お互いに「都合のよい関係」を構築し、民衆を煙にまいたわけですが、それらと命がけで対峙した大聖人のご精神からすると、おっしゃるようなロジックでは真逆のものだと感じますが、いかがでしょうか。


いや、私は何も「宗教的な秘め事」の話などしていませんよ。
あなたとここで教義の話をするつもりはありません。と言ったまでです。
そもそも、コメントをいただいた記事は正本堂を解体した是非を書いたモノではありません。
正本堂を解体した宗門を攻撃することは、御供養の精神と反しているので、
そんなこと言うと折角の供養の功徳がなくなりますよ。と書いているわけです。
事実、学会側は「正本堂供養の返還・賠償」の訴訟を全国で起こしました。
司法の判定は、学会側の訴えを棄却しています。
つまり、一般的見地に立っても「供養を返せ」などという言い分は通らないということです。
御供養を契約だとして、供養した額の何倍も請求する。
だったら、正本堂供養で学会員が「いただいた」という功徳を
賠償金の受け取りと同時に大御本尊に返却しなければおかしい。という話になります。
このような気持ちで出す金銭は供養とは言えない。
その部分を書いたのが件の記事です。
私は個人的には、神秘的なオカルト紛いの記事を書いた事は無いと思ってます。
神秘的なオカルト的な事は大聖人仏法とは無関係と思っていますから。
まぁなんとなくコメントしましたさんと法論をするつもりもないですから
突っ込んだ法義の話は書かない。
また、正本堂解体に付いては個人的には賛否どちらでもありません。
だた、どちらにしても遅かれ早かれ解体される事は
宗門と創価がこのようになった時点で回避不能だったとは思います。

倉の宝、身の宝、心の宝。

大聖人様が、
お教え下さっている
幸せ(宝)は何んなのかと、
凡夫の私が思う時、
有形無形、様々ございますが、
私は、
心の福運を積みたいと思います。

No title

ブログ主さま、こんばんわ。

度重なるご丁寧なお返事、ほ
んとうに感謝申し上げます。

コメントの往復が長くなっておりますが、
これはあくまで一つの話題に対して、忌憚のない意見を互いに語り合っているものであって、
お互いの人格、立ち位置に対し、何ら批判や攻撃するものではないということを、あらため
て私のほうから確認させて頂きます。

本日も宜しくお願いします。

。。。。。。



さて----

>創価学会なかんずく池田センセの謗法。それにより正本堂の宗教的意義が消滅したのだと思います。
池田センセの変節・謗法はだれも予想しなかった突発的事項でしょう。


いえいえ、
正本堂に「既に」意義が備わっていたわです。
それによって、創価学会だどうであれ、日蓮正宗は意義を込めて「使って」おられたわけです。登記上も日蓮正宗。
他の誰のものでもなく、誰の遠慮もなく、紛れもなく日蓮正宗のものとして使っておられたわけであって、
いわば、「外的要因」たる、創価学会がどうたら、池田会長がどうたらは、既に切れていて、外野の話になっているわけですよ。
それが、「創価学会がー」なんて、おかしいじゃないですか。
つまり、創価学会のホウボウとは関係のない話ですよ。
創価学会が日蓮正宗にとって「悪いやつ」とは、全く別の話であって、
壊した理由を創価学会に転嫁しているだけですよ、これでは。

次に、


>解体業者の社長の発言や画像は客観性があると思います。

なるほど。
では、設立1886年、会員数35000、会員の所属は研究教育機関、総合建設業、設計事務所をはじめ、官公庁、公社公団、建築材料・機器メーカー、コンサルタント、などそうそうたる有識者の日本建築学会の『壊す必要はない、やめてください』という声明は、その社長さんの分析よりも劣るとのお考えですね?


次に、

私の喩え話に、ずいぶんとストーリーに脚色をお加えいただきありがとうございます。

子供から(父=私に)もらったプレゼントだったはすですが、いつしか母親が持っている前提に変化し、
なになに? 夫が妻を捨てたことになっていますね(苦笑)
いやぁ、そんな複雑な話じゃなくって、ただただ、子供からもらったプレゼントは粗末に扱えませんよね?って話だったじゃないですか。


次、ゆきます。

>そもそも …(略)
そんなこと言うと折角の供養の功徳がなくなりますよ。と書いているわけです。


まぁ、つまりは
「正本堂解体の是非は言うな」
「日蓮正宗に供養したのだから黙っておけ」ということになりますが・・・。

でもですね、

「意義がなくなった」だの、
「なくなったから壊した」だの、
そこのところのロジックが右往左往していましたよね?

何度も申しますように、のちにどうであれ、
建築当所から「意義」は備わっていて、
創価学会がどうであれ、それは日蓮正宗が当初の「意義」のもと、ずーーーーっと日蓮正宗のものだったわけです。
にもかかわらず、「壊す」動機も説明に足るものでなく、
にもかかわらず、「功徳は消えないから安心してね」では、お坊さんの世界で通用しても、一般社会では通用しないのではないでしょうか。
宗教法人ですよね?
きちんと法人格を受け、社会的にもコンプライアンスを遵守すべき立場であって、
施設ひとつとっても、誰か個人のものというわけではありません。
やはりキチンと説明責任をはたすべきだと思いますよ。

なお、創価学会側の訴訟云々は、どうぞご勝手に批判なさればよいことですが、
私が申し上げている観点からは、どうでもいい話です。


次、

>だた、どちらにしても遅かれ早かれ解体される事は
宗門と創価がこのようになった時点で回避不能だったとは思います。


意味がわかりません。

解体不可避の原因が創価学会にあると、繰り返しておられるだけの話です。

。。。。。



今夜は以上です。

ありがとうございました。
では、また。

















退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> 大聖人様が、
> お教え下さっている
> 幸せ(宝)は何んなのかと、
> 凡夫の私が思う時、
> 有形無形、様々ございますが、
> 私は、
> 心の福運を積みたいと思います。

はい。その通りです
心の財在る所に、蔵の財も身の財も具わるのだろうと思います、。

まぁなんとなくコメントしてみました さん

こんにちは。

> 正本堂に「既に」意義が備わっていたわです。
> それによって、創価学会だどうであれ、日蓮正宗は意義を込めて「使って」おられたわけです。登記上も日蓮正宗。
> 他の誰のものでもなく、誰の遠慮もなく、紛れもなく日蓮正宗のものとして使っておられたわけであって、
> いわば、「外的要因」たる、創価学会がどうたら、池田会長がどうたらは、既に切れていて、外野の話になっているわけですよ。
> それが、「創価学会がー」なんて、おかしいじゃないですか。
> つまり、創価学会のホウボウとは関係のない話ですよ。
> 創価学会が日蓮正宗にとって「悪いやつ」とは、全く別の話であって、
> 壊した理由を創価学会に転嫁しているだけですよ、これでは。


正本堂の意義とは「広宣流布の暁の大本門寺の戒壇たるべき建物」というこことであり
「正本堂」という名称も「本門寺本堂」という異議を含んでいます。
その願主である池田センセと供養した創価学会が謗法となってしまってはその意義は失われます。
本門戒壇・本門寺本堂の願主が謗法者であることは日興門流ではありえないのです。
何故なら、日興門流は「謗法からの布施は受けない」のが根本教義ですから。
それでは一般の人々の理解を得られない。との意見もごもっともですが
四悉檀の考えから言えばこのケースは教義の根本ですし謗法に対するものですですので
世界悉檀・為人悉檀ではなく第一義悉檀・対治悉檀を用いるわけです。
「創価の謗法と正本堂解体が関係ない」と私には思えません。
創価のなかんずく願主の池田センセの謗法がなければ正本堂の解体は回避できた可能性が高いですから。
また、
> 他の誰のものでもなく、誰の遠慮もなく、紛れもなく日蓮正宗のものとして使っておられたわけであって

紛れもなく日蓮正宗のモノである。という認識ならばそれこそ創価はモチロン一般の人達が正本堂の解体についてどうこう口を挟むべきではない。と思います。所有者が所有物をどう扱おうと自由です。それをもって俺達の寄付した建物を壊しやがって。と文句を言うべきじゃなし、あまつさえ「供養を返せ」という裁判を起こす方が個人的にはどうかしてると感じます。
何度も書きますが、御供養とはそのような種類の金銭ではありません。大聖人に報恩感謝の念で御供養させていただいたのです。
「金を出したのだから口も出す」世間一般的にはアリでしょうが、御供養は違うのです。その趣旨を記事にも書いたつもりです。

> では、設立1886年、会員数35000、会員の所属は研究教育機関、総合建設業、設計事務所をはじめ、官公庁、公社公団、建築材料・機器メーカー、コンサルタント、などそうそうたる有識者の日本建築学会の『壊す必要はない、やめてください』という声明は、その社長さんの分析よりも劣るとのお考えですね?

そのそうそうたる有識者の日本建築学会の皆さまは正本堂を実際に見て診断したのでしょうか?
もし実際に当時の正本堂を直接見て診断したのなら、いつ・誰が・どのような診断をしたのか?
その診断の内容を公開して然るべきだと思いますが、そのような資料や史実を私は知りません。
私は、実際に診察しないで昔のカルテをみて診断をくだす権威ある大学病院の教授よりも
実際に診察してくれた町医者の診断の方を信用します。
有識者と町の解体屋の社長とどっちが上でどっちが劣るとかいう考えはありません。
実物を見て判断したどうかが大切かと思います。
有識者の主張の方が土建屋の社長の主張より客観性がある。というのは個人的には納得しかねます。

> 子供から(父=私に)もらったプレゼントだったはすですが、いつしか母親が持っている前提に変化し、
> なになに? 夫が妻を捨てたことになっていますね(苦笑)
> いやぁ、そんな複雑な話じゃなくって、ただただ、子供からもらったプレゼントは粗末に扱えませんよね?って話だったじゃないですか。

創価は大御本尊を捨てたから、捨てた話にしただけですよ。
それとあなたの話を脚色したのでなく、家庭をたとえ話にしていたので同じく家庭に例えただけです。他意はありませんよ。


> まぁ、つまりは
> 「正本堂解体の是非は言うな」
> 「日蓮正宗に供養したのだから黙っておけ」ということになりますが・・・。

極論を言えばその通りです。
供養した金品を相手が何に使おうといいのです。
戸田先生は
▸ 「(戸田会長が)御供養することは信徒の務めである。もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、初めからそんなことを言っておるのは、信徒の務めを怠っておるものである。信徒は供養することによって利益があるのである。御利益は供養することにある。もし、そのお金を不正に使ったならば、それは、使った僧侶が罪を受けるのである。地獄へ堕ちるのである。信徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。
と指導されています。
正本堂解体の是非だとが僧侶が贅沢してるだとか、そんな事を糾弾するのは御供養の精神でない。と私は記事にしたのです。

> 何度も申しますように、のちにどうであれ、
> 建築当所から「意義」は備わっていて、
> 創価学会がどうであれ、それは日蓮正宗が当初の「意義」のもと、ずーーーーっと日蓮正宗のものだったわけです。
> にもかかわらず、「壊す」動機も説明に足るものでなく、
> にもかかわらず、「功徳は消えないから安心してね」では、お坊さんの世界で通用しても、一般社会では通用しないのではないでしょうか。

「壊す」動機は何度も書いているように「池田センセと創価の謗法」です。一般社会に通用する必要はないと思います。
そもそも一般社会の人々にとって正本堂が解体されようがなんだろうが関係もなければ興味もない。以前あなたのコメントでもあったように「部外者」には関係ない話。だと思いますよ。

> 宗教法人ですよね?
> きちんと法人格を受け、社会的にもコンプライアンスを遵守すべき立場であって、
> 施設ひとつとっても、誰か個人のものというわけではありません。
> やはりキチンと説明責任をはたすべきだと思いますよ。

信徒(法華講にも学会員にも)にはキチンと説明していますよ。
キチンと説明しているから、宗門・創価のそれぞれの信徒から数多の意見が起こるわけです。
池田センセ・創価が謗法者(団体)になった。だから壊した。
納得しようとしまいとコレが正本堂解体の理由です。


> 意味がわかりません。
> 解体不可避の原因が創価学会にあると、繰り返しておられるだけの話です。

正本堂とは戒壇大御本尊がご安置されていた場所です。
その場所を寄付した願主である池田センセと創価が
戒壇大御本尊を信受しない。といいだした。
日興上人は
■「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」
と仰せですから
大御本尊を信受しない人の寄進した建物大御本尊をご安置する道理がないでしょう。
私には、あなたが「理由も無く正宗が解体した」と繰り返しているだけの話に聞こえます。

以上長文になりましが意見を述べさせていただきました。

まぁなんとなくコメントしてみました さん

さて、正本堂解体に対する私の意見を縷々書かせていただきましたが
この件については、勝手ですが一旦打ち切らせてもらいます。
もちろん今書いた私のコメントに対するリコメは書いていただいて結構ですが
私からのこの件に対してのリコメは前回のコメントで一度打ち切らせていただきます。
私は、あなたの意見に対して批判・非難するつもりもありませんし
また自身の意見を撤回したり変更したりするつもりもありません
あなたは正本堂解体に対する説明がなされていない。と思ってますし
私は説明を受けていると思っています。
また、あなたは創価の謗法と正本堂解体は関係ないという意見ですし
私は、創価の謗法が正本堂解体の原因だと考えています。
この部分は恐らく平行線であろうと思います。
また、私の正本堂解体に関する主要な意見は、
ここ数日のコメント中でほぼ書きつくしました
お互いに相手を破折するのが目的ではないし、
これ以上書いても同じことの繰り返しにならざるを得ないでしょう。
(少なくとも私側は同じことを繰り返し書くと思います)
また、いつか意見交換の続きをするかもしれませんが
他の記事等も書きたいので、申しわけありませんがこの件についてのリコメは
一旦打ち切らせていただきます。
貴重なご意見ありがとうございました。
今後もよろしくお願いします

正本堂解体に新説か?

また、しゃしゃりでてきてしまいました<(_ _)>
え!ボクは150%創価がらみで正本堂を宗門が解体したと思ってました!

創宗戦争の基礎知識http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/nitiren-kiso.html

創価とは関係ない?

まさか!創価の呪いの題目の威力で日顕氏がおかしくなって正本堂を解体してしまったとか!
創価がらみじゃなくて宗門が正本堂を解体したとしたら、ボクが理由を聞きたいくらいです、
(なんとなくコメントしてみましたさん)は宗門が創価がらみでない理由で正本堂を解体したと思うならその理由を書いてもらいたい。(管理人さんは要約すると首尾一貫、宗門は創価がらみで正本堂を解体したと述べている)

●実際、創価がらみでない正本堂を解体した理由があるとするなら、その理由を当事者でない管理人さんに聞いても知る由もないからこたえられないでしょう!
創価がらみでない正本堂を解体した理由を本当に知りたいなら管理人さんではなく、当事者の宗門に直接聞いたらどうですか?

わたくしもゴールデンウィークに突入。

何時もお世話になります。

あくせくと仕事を終え、単身赴任の私は
関東から、関西へ今、新幹線を利用し無事帰宅。

沢山の様々な観点から思索を重ねた
創価をテーマにした
ブログはございますが、
何故、管理人様のブログに
興味が湧き、
目の覚めるような感覚になるのか、
私なりに考えました。
このブログは、まぁなんとなくの方を
はじめ、善知識の方々が多数集まる法座だと
感じます。
何故、どうして?の
論議にも、
コメントされた方たも、
紳士に向き合うブログ主様みたいな方は、
魑魅魍魎のネットの世界でお見受けしません。
99%揚げ足取りか、
前進の無い
論争の場かなと、
屈託のないご意見が、このブログには多数寄せられる。

私の様な教学も無い、
世法にも疎い人間には大変に勉強になります。


古本屋店主さん

こんばんは。

> 創価とは関係ない?
> まさか!創価の呪いの題目の威力で日顕氏がおかしくなって正本堂を解体してしまったとか!

ははは。(大笑)
それだとしても、やっぱり創価絡みじゃないですか(笑)


> ●実際、創価がらみでない正本堂を解体した理由があるとするなら、その理由を当事者でない管理人さんに聞いても知る由もないからこたえられないでしょう!

まぁ、確かにそうなんですよね。
(まぁなんとなくコメントしてみました)さんには
あの方なりの意見があるのでしょうしそれはそれで尊重します。
ただ、「宗門側に責任がある」としたら
それが誰に対してどのような責任なのかまで言及されていないので
私は私の考えを述べる以外にありませんし
そうなると話は堂々巡りなのでこの件については
一旦お開き。ということにさせてもらうこととしました。

退転壮年部おじさん さん

こんばんは。

> あくせくと仕事を終え、単身赴任の私は
> 関東から、関西へ今、新幹線を利用し無事帰宅。

単身赴任だったのですか。色々と大変ですよね。
GWは地元でゆっくりと羽を伸ばしてくださいね。
私は、貧乏暇なしでGWも通常勤務です。

> このブログは、まぁなんとなくの方を
> はじめ、善知識の方々が多数集まる法座だと
> 感じます。
> 何故、どうして?の
> 論議にも、
> コメントされた方たも、
> 紳士に向き合うブログ主様みたいな方は、
> 魑魅魍魎のネットの世界でお見受けしません。
> 99%揚げ足取りか、
> 前進の無い
> 論争の場かなと、
> 屈託のないご意見が、このブログには多数寄せられる。

過大なる評価をいただきお恥ずかしい限りです。
様々な意見があって然りだと思います。
賛同してくださる方もいれば
反対意見の方もいる
時には批判のコメントをいただくこともある。
承知の上でコメント欄を開けてます。
色々な意見があるからこそ、 動執生疑も生まれ
お互いに成長できるのだと思います。
創価やひょっとしたら法華講もそうかもしれませんが
違う意見を排除してしまったら、
そこから先には何もないと感じるわけです。

今後もよろしくお願いします。
GW中には事故などにはくれぐれもお気を付けください

日興遺戒置文に尽きる

ここ数日の正本堂解体についての意見交換を拝見してきましたが、
管理人様は教義的な見地から話される事を極力回避されてきました。
何故ならブログは法論の場ではない旨の信念を以前から仰っていたからに他なりませんね。
しかしながら教義を離れて説明するには、かなり無理があると感じます。

「御供養の精神」から話が広がり過ぎたようにも感じました。

私見を述べますと、管理人様が最初に仰った通り、「学会の謗法」に依って正本堂は解体されました。
構造の問題、裁判で宗門が完全勝訴した事等は刑事事件に例えると状況証拠に過ぎないかと思われます。
解体に直接的に起因するのは、正本堂がいつのまにか「池田本仏論の象徴」となっていたからだと思慮します。巨大な謗法団体の礎となっていました。
宗門にとっての「義」をお尋ねされていましたが、正本堂は「広宣流布の暁」に事の戒壇たる大殿堂である。敢えて「義」を述べますとこういう事かと存じます。
但し「暁」が来るまでは御宝蔵の延長であり「蔵」であります。よって樒も御供えしていません。お厨子も御影堂のような宮殿ではありません。蔵の中ゆえ最小限の荘厳に留めてありました。「義」はありますが現時では「蔵」に過ぎません。

真心の浄財によって建立された正本堂ですが、解体云々について敢えて申し上げますと、
今生一度の人生であれば、例え話のように世法を優先する事が最もらしく感じます。腑に落ちます。
しかし、大聖人様の仏法は三世永遠の生命を説いておられます。よって信仰の根幹に関わる部分では世法より仏法を優先しなければならないのです。
つまり学会員の池田本仏論を抜本的に破折する必要があったのです。
「義」は「義」として存しますが、日興遺戒置文の「仏法に相違あらば貫主これをくじくべき事」を日顕上人は時の貫主として果たされたと愚考します。
日顕上人でなくとも、同じ状況であれば、その時の御法主上人が同じ判断をくだされると思われます。

ただこれを述べた処で、信仰心のない方には何のことやらで終ってしまいます。
管理人様の仰っる通り、平行線です。
法義に触れなければ説明のしようがない事象と解します。
よって信仰心のない方には理解し辛いかと存じます。難信難解です。
一度、大石寺の常唱堂でじっくりと唱題される事をお勧めします。
御仏意を戴けます。理解の幅が広がります。その時に管理人様の「御供養の精神」を読まれると理解しやすかと存じます。

以上、小生の我見を述べさせて頂きました。
横から失礼致しました。
乱文駄文ご容赦願います。


古刹信徒さん

こんにちは。

> ここ数日の正本堂解体についての意見交換を拝見してきましたが、
> 管理人様は教義的な見地から話される事を極力回避されてきました。
> 何故ならブログは法論の場ではない旨の信念を以前から仰っていたからに他なりませんね。
> しかしながら教義を離れて説明するには、かなり無理があると感じます。

そうなんですよね。教義的見地から解体したわけで他の理由はあってないようなものかと。
それでも色々な意見があるのでそれはひとつの意見として承っています。

> 「御供養の精神」から話が広がり過ぎたようにも感じました。

そうですね。正本堂の件に関しては一旦お開きにします。

> 以上、小生の我見を述べさせて頂きました。
> 横から失礼致しました。
> 乱文駄文ご容赦願います。

いえいえ、ご意見ありがとうございました。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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