25歳さんのご質問への回答

25歳さんよりご質問をいただきましたので
私なりの回答させていただきます。
リコメで書こうと思いましたが
少しだけ長くなるので本文記事に書かせていただきます。

>大御本尊を信心するためにはどうしたら良いのでしょうか。
>家にある本尊を信心しても無意味だと感じました。

とのことですが、
一番いいのは、創価を退会して
正宗の御本尊を頂く事でしょう。
が、25歳さんの置かれている状況では
創価を退会など不可能と思われますので
その選択肢は今は無理でしょう。
となると、創価学会員のままで
大御本尊に対する信心をするという事で
今の、私と同じ立場になります。
私はもう15年以上その様な信心を続けています。
私はこのブログで何度も「大御本尊に信を取る」と書いてきました。
では、具体的にはどう言う事なのか
細かくいえば言い尽くせませんが
基本的な事をいいますと
まず大聖人の言う「正しい信心」とはどういう信心かというと
「正しい本尊」を選ぶ。「正しい本尊」を信じる。信心です。
大聖人仏法の根幹は「本尊」なのです。
ぞして大聖人言われている正しい本尊とは
人法一箇のです。
人法一箇の本尊というのは、日蓮大聖人の事です。
その大聖人の色心二法の「体」が
一大秘法の弘安二年の戒壇大御本尊なのです。
「このことを信じる」という事が
「大御本尊に信を取る」ということです。
「大御本尊様は日蓮大聖人様である」と信じる事です。
それに不信を起こしたのが今の創価です。
さて、次に自宅の本尊と大御本尊の関係はというと
ご存知の通り自宅の本尊は大御本尊の分身です。
創価は、この分身と本体(大御本尊)が全く同じだという我見を述べていますが
同じではありません。
本体は分身が無くても存在しますが
分身は本体が無ければ存在しません。
これは道理です。
信心の上でいうと、本体に対する信があればこそ
分身は分身としての用を満たすのです。
25歳さんが本体を無視して分身にだけ祈るのであれば
自宅にある本尊に信心しても無意味ですが
大御本尊に信を取る信心をすれば
自宅の本尊にあげるお題目も意味を持ちますので無意味ではありません。
御書に、

◆日蓮をこいしくをはしせば常に出ずる日ゆうべにいづる月ををがませ給え、いつとなく日月にかげをうかぶる身なり(国府尼御前御書)

とあります。
「日蓮を恋しく思う」というのは、大御本尊への信・恋慕の信心です。
「いつとなく日月にかげをうかぶる身なり」とは、分身散体として各人に前に現れる自宅の御本尊です。
大御本尊への信・恋慕の心が有れば
自宅の御本尊も大聖人として顕われる。
そのように信心をすることが、
ご質問の、【大御本尊を信心すること】だと思います。
ここが一番の基本です。
その上で、行学の在り方とかがありますが
今日は割愛させていただきます。

次に
>また、日蓮大聖人の教えを真に引き継いでいるのは誰でしょうか。
>学会ではなく、何を信じたら良いのか...
とのご質問ですが
大聖人の教えを真に引き継いでいる。といことには
総別の二義があります。
別して言えば、日興上人以来の
唯受一人の血脈相承を受けた
歴代の法主上人です。
創価はコレを神秘的な血脈と言って否定しますが
コレを否定すると言う事は、
日興上人への唯受一人相承も否定することになります。
それでは身延と同じ主張になってしまいます。
そして、総じて言えばいわゆる「信心の血脈」を
信受している僧俗が、「真の大聖人の弟子」と言えます。
この「信心の血脈」というのは
「唯受一人血脈」の上に成り立ちます。
「信心の血脈」というのは、
先に書いた「大御本尊に対する信」と
「日興上人以来の一人血脈の対する信」
この二つに「信」を取る事を
「信心の血脈」というのです。
ですので、この二つを捨てた創価には
「信心の血脈」はありませんので大聖人の弟子とは言えません。
逆に、25歳さんが確かな「信心の血脈」に立脚した信心を実践すれば
25歳さん、あなたが「真の大聖人の教えを引き継いだ人」です。
学会ではなく「大聖人(大御本尊)」を信じれば良いのです。
創価教学や学会指導で無くではなく、
日寛上人を始めとする歴代法主のご指南を
学び、信じ、実践すればいいのです。
学会3世さんとのことでしたよね?
だったら、御自宅にも日寛上人の六巻抄などもあるのではないですか?
あればそれと御書を読んで研鑽してください。
なければ、ネットからも拾えますし
本もネット購入することができます。
正しい教学を学ぶ事が大切だと思います。

また、何かありましたらいつでもコメントくださいね。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

お礼

ご回答誠にありがとうございます。
気持ちが楽になりました。
脱会も考えていますが、管理人様のおっしゃる通り、難しい状況であります。ですので学会に身を置きながらも正しい信仰をしていくために、正しい教学を身に付けていきたいと考えており質問させて頂きました。(親を含む学会の方には相談しづらくて...)

的確なご回答、本当に感謝致します。
ありがとうございました。


25歳さんへ

横からまた口出しをしてしまいます。

 25歳の貴方は親御さんと宗教観が異なることは、さぞやお辛いこととお察しします。   我が家でも、今は年を取り一見、大人しくしている継母ですが、一時は、「破和合僧にはなんなさんなよ!」とかいろいろ、私の破折に勝てないものだから、あてつけがましく言ってました。  過日、リビングウィルを家族(妻と私と継母)で書いておこうやということになり、それぞれで書きましたが、継母はあれだけ言ってあるのに、葬儀については「友人葬(ガッカイ葬)を希望してました。   浸み込んでしまってます。

 しかし、退転壮年部さんではありませんが、一家に一台!、じゃなく、一家に一人でも、「善知識」がいれば、それでも救われますよ。  

 ガッカイ・池田教に染まるというのは、今や最大の魔の所為ですから、それなりに強い。 そして怖い さらにしつこい。  

 しかし、こと、「法」に関しては、獅子の吠うるがごとく、、ですから負けるはずはありません。  争うというより毅然として、堂々としててください。

 管理人さんの丁寧で明々白々な確信ある文章を読んで、私もまた勇気を得ました。   そして「いつやるか、、今でしょ!」が大事ですね。

 私はとても弱い青年でした。 やはり「寄らば大樹のかげ」の心境で、
創価の組織で安心してたヤツでした。

 今は良くも悪くも「孤独感」は、そりゃありますよ。  時々、シクシクと泣きます(ここ、笑うとこです)。  私の大事な後輩くんはもっとそうです。  総県中から「あいつは悪いやつだ」とお墨付きをいただいて、悪口罵詈されています。   でも悠然として仕事で次々と実証を示し続けているのですよ。  心に大聖人様。 そして御書。。祈祷師のごとくのお題目。

 昨夜も彼の家で懇談しましたが、経机の上には、「御書」と「妙法蓮華経・並びに開結」が。  そのうえで、今回のガッカイによる会則改定に、頑として抗議し、一歩も引きません。  正しい道をいくということは、苦しいことですが、、 彼のご一家はいつも団結し、悲壮になることもなく明るく過ごしておられます。 しまいにゃワンちゃんも「題目三唱」のときは「正座」してます。(笑) このたび、奥様も県から教育関係の功労に対し、表彰されました。 ちなみに後輩君は職場の社長が彼を離しません。
その結果、先年、「総理大臣賞」を。  でも、凶悪な総県幹部はこれを黙殺。  当然、聖教支局もこれを無視!

 もう狂ってますね、、御書の通りの正しい信心をしてる彼を苦しめるのですから。

 でもだからこそ修行なんですね。  そう思って私も(幸い、妻も)歩き始めました。 ようやく本当の「広宣流布」が始まったんだと。、

 くどいようですが「孤独は現代の最大の病」だと聞きます。 言うまでもなく、そこからいろんなむごい犯罪も起こってきています。  また病気にもなります。

 でも、25歳さんは自ら、本来の仏弟子でありたいと、ここで求めておられます。 素晴らしいことです。 RAMBOはそういう健気で真摯な貴殿の信心に最大の敬意をはらいます。  どうか己心の魔に打ち勝ってください。

 いっしょに前へ前へと歩いていきましょう。  

 以上、オヤジ目線でごめんなさい。

 じじいかも。。(;;)
 

 「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(教行証御書1282頁)

 
 「金は やけば弥(いよいよ)色まさり、剣はとげば弥利(と)くなる。
 法華経の功徳はほむれば弥徳まさる」(妙密上人御消息1241頁)
 

25歳さん

こんばんは。

> ご回答誠にありがとうございます。
> 気持ちが楽になりました。

すですか。少しでも25歳さんの気持ちが軽くなってくれたのならば私も嬉しいです。

> 脱会も考えていますが、管理人様のおっしゃる通り、難しい状況であります。ですので学会に身を置きながらも正しい信仰をしていくために、正しい教学を身に付けていきたいと考えており質問させて頂きました。(親を含む学会の方には相談しづらくて...)

それは素晴らしいことです。
創価の活動家はとかく「教学よりも行動」といいますが
それは「教学が理解できていてこそ」の話です。
それだって、自分の信心が正しいかどうか常に学び続けるのが大切だと思います。
私自身も、ほぼ毎日御書や日寛上人のご指南を読んでいます。
学会は御書根本と言ってますが口先です。
創価教学は「池田センセ根本」です。
まず「センセありき」で
その後で御書を後付するのです。
そして池田センセは御書の通りである。といいますが
創価の御書はどこまで行っても切り文です。
切り文ならば、センセじゃなくても誰でも御書の通りです。
なぜなら、一切法は仏法と相違しないのですから。
そうした、創価幹部・活動家の詭弁に惑わされることなく
大聖人仏法を学んでください。
また何かありましたら、ご質問・コメントくださいね。
私の分かる範囲で教学のこともお答えいたします。
これからも頑張ってください。
応援しています。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる