勤行

勤行について、いくつかコメントもらったので
コメントの返事として書こうと思う。
まぁ、ここは掲示板ではないので対論をする気はないので
そのつもりでお願いしますね。

化儀は変わるから「化」と言う。俺もこう言ってる幹部を見ている。
でも、この考えはよろしくないし、化儀を理解できてない。
「化儀」とは、正確には【行体行義】という。
この【行体行義】とは、信心そして妙法そのものなのだ。
■「行体行義の所は信心なり妙法蓮華経なり」と日有上人はご指南されている。
つまり、化儀とは「仮の義」ではないとい事なのである。
ここを履き違えると「信心」が違う方向に行く。

さらに、勤行については、コメントしてくれた方も引証してくれてように
「月水御書」に、信者の勤行の行儀がご指南されている。
そこには、「書写かいてあるぞ」とのツッコミもあったが
この部分はツッコミ入れてる方がおそらく活動家なのだろう
ちょっと困らせてやれ。位の気持ちで書いたものと推測されるので
ここでの詳細は省くが、そんな事言ったら釈迦像を建立した信者を
褒めたたえる御書もある。その理由と同じということだ。

さらに、御書には五座・三座について御書には特別なご指南は無い
しかし、日寛上人は
■「若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし。若ししからずんば十如自我げ題目なりとも五座三座の格式相守るべし」
と、五座・三座について明確なご指南をされている。
日寛上人御書写のご本尊を拝む学会員として、日寛上人のこのご指南をどう受け止めるのであろうか?

また、池田名誉会長も過去には
■「日蓮正宗においては、また学会の指導は、五座三座というが、自分は三座二座でいいではないかなどというのは懈怠です」
と指導されている。
わずか十数年で時代が大変化して指導も変わったということか?
なら、平成5年あたりの名誉会長の指導ももはや過去の遺物といことになる。

そして、なによりも学会は、個人の勤行においては、五座・三座を禁止してない。
禁止してないのに、方便・自我偈の略式でよし。とするのは
時代の変化でなく、ただの懈怠と思うが?いかがだろうか?


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No title

初コメント失礼します。なかなか共感できることも多いので、よく拝見しております。
 
五座・三座の勤行は必要ないと私は思っていますので、もし、昔に戻すと云われても私はやりませんが、

>さらに、御書には五座・三座について御書には特別なご指南は無い
しかし、日寛上人は
■「若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし。若ししからずんば十如自我げ題目なりとも五座三座の格式相守るべし」
と、五座・三座について明確なご指南をされている。

というのは初めて知りました。やはり日寛上人は厳しいですねぇ。

勤行について

記事は宗門のオピニオンと同じと理解します。
宗門は現在でも地域の祭りに参加することを禁じていると思いますが、信徒には謗法厳戒と言いながら、身延に観光旅行するほど身内には緩すぎるほど緩い坊主集団だと考えています。形式と伝統を重んじる彼らに仏法の真髄は理解できていません。上人もまた同じです。

「大願とは法華弘通なり」
大聖人が後世に託し厳命したのは広宣流布です。現在の宗門にその覚悟があるとは思えません。不軽の精神を体現した僧侶、つまり広布のリーダーとは思えません。妙法の伝統と富士の清流を守ってきたというのなら、大聖人のご遺命どおりに広布にその屍をさらせと言いたい。

今更言うまでもなく、助行としての法華経読誦は、南無妙法蓮華経を讃嘆するものです。牧口先生以来、広布に身命を捧げてきたのは創価よりありません。大聖人のご精神を最も尊び、実践してきたのは創価の名もなき庶民なのです。民衆仏法として、大聖人の意に叶い、これ以上の法華経讃嘆がありますでしょうか?

わたしの個人的意見を言えば、セレモニー的要素の修行は大いに変えるべきだと思います。勤行しなければ功徳はない、仏道修行とは言えない、というような言葉はナンセンスで

勤行について・・・つづき

途切れましたので、前コメントのつづき。

わたしの個人的意見を言えば、セレモニー的要素の修行は大いに変えるべきだと思います。勤行しなければ功徳はない、仏道修行とは言えない、というような言葉はナンセンスです。信仰は形式ではなく、信じる心そのものが大切なのです。
これからの世界宗教としての歩みのなかで、もっと簡略化し、個人の裁量で実践できる自由度を確保すべきと思います。将来、きっとそうなると確信しています。

勤行ひとつに権威づけする宗門の考え方は、広布の進展を阻むものです。修行と言いながら、自在な仏道修行を束縛するのは、原理のみを尊び、応用と適応性を無視した時代遅れの宗教です。宗門は大御本尊様がおわすしますことにより存在価値があるだけです。

「生活者のための生活者の宗教」
神や仏が人間を選ぶのではなく、人間が神や仏を選ぶのです。仏の智慧は、人間のためにあり、生活者のためにあります。生活者から必要とされてきた宗教のみ、生き残ることができることをよくよく考えなければなりません。

討論をしないと断られておりますので、ご返事は期待しておりません。

誰よりも勤行唱題が大好きなわたしは、一日の始まりと終りに
「世界に悲惨がなくなりますように」と祈ります。
大乗における祈りは他者の存在を意識することであり、他者に尽くすことを常に促し続けているのだと思います。
ブログ主様、あなたは無意識のうちに、伝統的な哲学命題、
「人間の尊厳性とは何か?」という問いに行き当っているのだと思います。法華経を根本にした先生の「人間主義」にその解答があると推察します。


コメント好きの阿部日ケ~ン様。
わたしの言葉が足りなかったようです。石頭の宗門のフォーマリズムを批判しただけです。

ここは学会に批判的なブログ。でも自分の言いたいことを好き放題に言えばよいというものではありません。

ネット社会は匿名性が高いことから、節度と礼儀がことのほか必要です。なにごとも常識的な範囲内でコメントし、意見を言うのが大人の対応というものです。
いくら自由とはいえ、日顕おじさんをハンネにするとは、さぞかし本人も苦笑いでしょう。それとも、浅ましい言動に定評があるご本人様でいらっしゃいますか?

どうか、関わりあいたくありません

つづき

前コメントのつづき

どうか、関わりあいたくありませんので、わたしに近づかないでください。わたしのコメントはスルーしてくださいまし。

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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