創価教学じゃない御書講義(28年9月度座談会御書・可延定業書)

命は三千にもすぎて候而も齢もいまだたけさせ給はず、
而して法華経にあわせ給いぬ一日もいきてをはせば功徳つもるべし
、あらをしの命やをしの命や
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の御書は「可延定業書」。

◆一日の命は三千界の財にもすぎて候なり

と本文にもあるが、本当に「そうだなぁ」って思う。
いつもは、お金は大事だ。って思っているが
命に関わるような病気になると
本当に、お金なんか二の次で、一番大切なのは命だって思う。
大病にかかると人生観が変わるよね。
「健康第一・お金は第二」だよ。

「可延定業」とは、「定業」を延ばすことができる。という意味
ここでは、「不定業」は病気
「定業」は寿命(死)と定義付け
決まっている寿命ですら延ばすことが可能なのだから
それより軽い病気が治らないはずはない。
ましてや、あなたはまだ若いのだから
この病気は定業でなく不定業であるから
必ず治りますよ。と激励されている御書です。
まぁ、一応は病気を不定業、寿命を定業とされてはいるが
冒頭で、軽病と重病を分けているので、
定業の中に重病は含まれると思う。
軽病=不定業、重病・死=定業。ということだろう。
実際、我々も風邪や虫歯で必死に祈ることはないが
命にかかるような病気になったときは必死に祈る。
また、命に関わるような重病の場合の原因は
「業による」ものであると考えられるから
それは「不定業」ではなく、過去世からの「定業」だ。
病気が全て「不定業」なら、病気に信心は必要ない。という話になってしまう。

では「重病」を治すにはどうしたらいいか?
ということだが、冒頭にはこのように書いてある。

◆重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す

ここの一番のポイントは「善医にあう」ということである。
現代でも、いい医者にかかるのと、ヤブ医者にかかるのとは全く結果が違う。
ゴットハンドといわれるような名医によって命を救われる人もいれば
医療ミスで奪われなくてもいい命を医者に奪われる人もいる。
それほど医者という存在は大きい。

◆病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ず死す(撰時抄)

では、この「定業」「業病」を治す善医を尋ねれば、本文には
釈尊・天台・大聖人を挙げている。
これらの善医は南無妙法蓮華経(法華経)という良薬を
処方し病人に与えてくれる善医なのだ。
この善医と会い、善医を信じて
南無妙法蓮華経の良薬を服すことが
重病を治し、定業を伸ばす唯一の方法だ。
しかるに今の創価は
この善医であり、尚且つ大良薬である
人法一箇の戒壇大御本尊を
受持することを放棄したのである。
つまり自ら「重病」を治してくれる善医をすてて
業病の原因を知らない池田センセを始めとする創価上層部を取ったのだ。
御聖訓の通りならば、「必らず死す」のである。
創価の言うような信心をしたら文字どうり「必死」である。
俺も詳しくは書かないが、重病を患った。
そして大御本尊に本当に祈り、
乗り越えるどころか病気によって功徳までいただいた。
善医とヤブ医者ではその結果に雲泥の差がある。
大御本尊と創価幹部。
比べるのももったいないが、
どちらが名医でどちらがヤブかは明白だろう。
もし、このブログを読んでる病気で苦悩している学会員さんがいたら
創価幹部の指導など鵜呑みにせずに
大御本尊を信受し祈りきって欲しいと思う。
病気によって正しい信心に戻れるのなら
その病気はまさしく諸仏の計らいであり
そうであるなら必ず「可延定業」となると思う。

◆病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、(妙心尼御前御返事)

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管理人さんへ

今回も実にロジカルで明快な講義、ありがとうございます、

 なおもご自身の闘病克服経験もあり、元気が出ます。

 過去、私自身は『目から鱗が落ちる』ような講義に出会ったことは、たぶん
2回くらいだったことは、前にも書きましたが、ここではほぼ毎回に感動します。 管理人さんは足場が揺らがないからだと思います。

 人にはおおよそ二通りがあって、不動の信念、定点を持ってことにあたる人と、そして臨機応変に相手や情況に合わせて動く人だろうと。。

 政治家は前者の立場から立候補して、やがて後者のようになっていくんだろうと思います。 では信仰者(法華経の行者)はどうなのか。

 もう言うまでもないですよね。  現在において、池田氏(創価)をとるか、大聖人様の仏法を選ぶか、、。

 以上です。  我が家は難病がふたり。  継母に対する「してやれること」も見えてきたこと、 感謝申し上げます。

RAMBOさん

こんにちは。

こんにちは。

> 今回も実にロジカルで明快な講義、ありがとうございます、
>  なおもご自身の闘病克服経験もあり、元気が出ます。

毎回、過大評価(笑)ありがとうございます。

>  人にはおおよそ二通りがあって、不動の信念、定点を持ってことにあたる人と、そして臨機応変に相手や情況に合わせて動く人だろうと。。
>  政治家は前者の立場から立候補して、やがて後者のようになっていくんだろうと思います。 では信仰者(法華経の行者)はどうなのか。

そうですね。どちらかに偏り過ぎてもいけませんが、根本は変えてはいけない。と思います。
◆経文にはあらざれども予が法門は四悉檀を心に懸けて申すならば強ちに成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用ゆべきか(太田左衛門尉御返事)

第一義は不動です。その上で臨機応変でしょうね。なんでもかんでも臨機応変で「第一義」まで変えるのは間違っていると思います。

>  もう言うまでもないですよね。  現在において、池田氏(創価)をとるか、大聖人様の仏法を選ぶか、、。

池田センセが、偉大とかゲスとかそういことじゃなくて、御本仏か凡夫かと言う事なんですけどね。

>  以上です。  我が家は難病がふたり。  継母に対する「してやれること」も見えてきたこと、 感謝申し上げます。

お互い、ゆっくり着実に前進しましょう。

No title

ありがとうございました。

 私は基本的にはあまり長生きはしたくないんですよ。 傲慢な言い方ですがね。。

 昔っからソウカ幹部の言いぐさは右顧左眄でしたのが影響してるのかな。

 乗り越えられず亡くなれば「寿命だったと」いい、大したことのない病気や治療で治っても、功徳だ!と言う人ばかり。  人の寿命が判るなんてすごいですよねえ。(笑)

 男子部時代でも、今でいう総県トップが交通事故で亡くなったり、方面のトップもやはり亡くなった(若くして)。  その頃からかもしれませんが、
「結局、どうとでも言える世界だな」と思ったものです。

 従果向因とでもいうのか、解釈指導ですね。

 絶対論を振りかざしながら折伏して、そのあとは相対論になるわけです。  実に辛辣な私の言いぐさだと思うけど、素朴な民衆のための宗教だといっても、世間法とどこが違うのか、長い間の私の疑問の底流にありました。 庶民的で素朴な心情を止揚できていないと。

 最近の教学部の友岡さんの話では「前世の宿命」だのを、結果的には否定しています。  逆にいえば「生きることに全力を注ぐ」という指向性が強い。  元よりそうではありました。 現当二世ですからね。

 ただここまで創価の上から下まで病気が多いと、創価の「特典」はどこにあるの?となります。

 冒頭の私の感覚は余計なことです(笑)

 

RAMBOさん

こんばんは。


◆なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。(兄弟抄)


大御本尊・大聖人への「信」だけは曲げることなく
潔く今世は生きたいと思っています。

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Re: 正しい信心

こんにちは。

一家に一人でも正しい信心を持つ人がいれば大丈夫です。

◆目蓮尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代下七代上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う(盂蘭盆御書)

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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