ムメちゃんさんのご質問(門下を破門するのは大聖人に違背するか)について。

ムメちゃんさんより、「門下を破門するのは大聖人に違背するのか?」
という趣旨のご質問がきたので、私の考えをご回答します。
なお、質問内容が他のブログからのコピーとのことですので予めご承知ください。

まず、大聖人が弟子を自ら破門したかどうかですが
私が知る限りにおいては、そのような文書は見当たりません。
現存する記録では、大聖人弟子を破門したという記述はないようです。
ただし、これをもって後代に破門などをするのは
大聖人に違背している。とは言えないと思います。
現存する記録から破門は無かった。とは完全に言えませんし
さらに破門があったと断言できる材料もありません。
そうなると、やはり大聖人の他のご指南等と考え合わせ想像するしかありません。
この、ブログ主さんは
一切衆生が成仏できる法を説いているのに、
その道を閉ざす破門という方法を大聖人がするとは考えられない。
なので、大聖人は破門など誰にもしていない。
とすれば、正宗や創価の破門や除名は大聖人の御心に違背する。
そのようにお考えのようですが
私は、全く逆で大聖人は弟子を破門することも辞さない。とお考えだっと思っています。
実際に記録にはないけど破門された、弟子檀那がいるかもしれません。
また、こちらから破門する必要がなかった(相手が退転して)のかもしれません。
それはわかりませんが、
どちらにせよ、破門もじさず。というお考えはあったと思います。

日興上人が講義中に、窓の外の舞い落ちる梨の葉に
気を取られていた日尊師を破門にした。
という話(伝承)は有名な話です。
(後に日尊師は許されました)
もしも破門という行為が大聖人に違背するのならば
日興上人は大聖人に違背したことになります。
そんな伝承を残すはずがないし
なによりも日興上人は大聖人に違背しているのなら
大聖人の仏法を相承した人は一人もいなくなってしまします。
さすがにそれは考えられない。
また、日興上人も遺戒置文に

◇衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。

と書かれていて、法主に弟子門下に対する処分の権限を与えています。
破門が不可ならば、この御文に
「ただし破門はすることなかれ」みたいな文言が入るのではと思います。

さて、ここまでは私なりの理証での話です。
文証はというと、

◆涅槃経第三に云く「若し善比丘あつて法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」と、此の文の意は仏の正法を弘めん者経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばずば国主に申し上げても是を対治せずば仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をもはばからず我もせめ国主にも申さん人は仏弟子にして真の僧なりと説かれて候(聖愚問答抄)

とあります。
この涅槃経の「若し善比丘あつて法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」
の文は複数の御書で大聖人が引用しています。

「呵責」とは、謗法を厳しく叱り責めることです。
「挙処」とは、謗法をはっきり挙げてそれに対し処分することです。
大聖人の元から退転した弟子旦那に、
大聖人は「呵責」「挙処」されています。

◆大田の親昌長崎次郎兵衛の尉時綱大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるるか(聖人御難事)
◆なごへの尼せう房のと房三位房なんどのやうに候、をくびやう物をぼへずよくふかくうたがい多き者どもはぬれるうるしに水をかけそらをきりたるやうに候ぞ。(聖人御難事)

そしてもう一つの「駈遣」ですが
これは、「追放する」ということです。
謗法行為を改めない者を「追放する」
それが「駈遣」ということです。

◆見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし(曾谷殿御返事)

等のご指南をしている大聖人
そして涅槃経の「呵責し駈遣し挙処せずんば」の文。
これらを合わせて考えれば
大聖人は門下を破門しない。と考えてはいないと思います。
「呵責」し「挙処」はするけれども
「駈遣」つまり、追放・破門はしない。というのならば
大聖人自身が自語相違になってしまいます。
故に、日尊師を破門した日興上人は、
大聖人に違背したのでなく
正しく大聖人の仏法を実践したのだと思うし
正宗が創価を破門したのも間違っていません。
(今となっては大正解といえるでしょう)

最後に創価が会員を除名にするのは
創価の会則に則てしていることなので
それは創価の勝手でしょう。
大聖人に違背しているとか、してないとかでなく
今の創価はそもそも大聖人仏法とは
全く関係のない団体ですから
その団体が自身の会から
だれを除名にしようとどうしようと
お好きにどうぞ。というしかありません。
創価総体が大聖人に違背してるので
除名するとかしないとかはどうでもいいことです。
逆に言うと、大聖人と無関係な団体から除名されても
成仏の道が閉ざされることもありません。
むしろ、大聖人に違背している団体から除名されるのは
成仏の道が開ける。ということにつながると思います。
創価の除名などその程度です。

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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