坂巻さんのコメントへ。(件の方の件)

坂巻さんコメントありがとうございます。
このブログへの批判ブログを書かれている方の件。
ブログの抜粋をいただきありがとうございます。
正直言ってあまり興味がないので私は読んでませんが
一応、抜粋していただいた部分を読みました。
「あ~あ、またこれかぁ(笑)」という感想ですね。
坂巻さんが折角引用してくれ、
また私の考えを知りたいと言われましたので
少しだけ所感を書きます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
このような論を展開する際には、以下のような手続きを踏むべきである。
●用いる史料の妥当性の検討する
●用いる史料の偽書説が濃い場合には、偽書の根拠への反論を行う
●日蓮以外の人物のテクストを用いることの意義の説明/相対化
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

件の方の主張する所は上記部分だとおもいます。
では所感を書かせてもらいます。

×用いる史料の偽書説が濃い場合には、偽書の根拠への反論を行う

まず、偽書説を言うのなら「偽書の根拠への反論」を求める前に
「偽書である事の証明」が先でしょう。
例えば、「御義口伝」。
いつ・だれが・どこで書いたのか?
それを証明しないでおいて反論も何もないのです。
偽書説を言いだす人間は全てこんな感じです。
とっとと、「御義口伝」を書いた人と
書いた年月日を教えて欲しいものです(笑)
それも出来ない癖に、相手に反論を求めるなんてのは
議論にさえなりません。
「どこでだれがいつ御義口伝を書いたのか」
それを聞いてください。
「偽書の疑いが濃厚」なんていう逃げ口上は
散々色々な人から聞いたので、そう言う答えはいりません。

×本来言うまでもないのだが「御義口伝」は偽書説がほぼ通説となっており

言うまでもないがって、何が言うまでもないのでしょう。
誰の通説でしょうか(笑)
まさか、現代の人師・論師の通説ってんじゃ話になりません。
人師・論師の話しやそうした通説を真実だという思い込み。
「池田先生の言ってる事は絶対よ」とか
「創価は世界中から支持されているのだから正しいんだ」と
叫んでいる創価の幹部活動家と全く同じ脳みそです。
このような主張は、
本人の、「偽書であって欲しい」という妄想であり
願望以外の何物でもありません。

そうした個人的願望を真実であるという前提の上での
ロジックですから取るに足りません。
個人的見解を御高説したい気持ちはわかりますが、
私には何の興味もありません。

×用いる史料の妥当性の検討する

だれがどのように妥当性を判断するのですか?
まさか、立正大学教授の
身延の僧侶ですか?(笑)

×日蓮以外の人物のテクストを用いることの意義の説明/相対化

これに至っては噴飯もので、
大聖人以外の言葉やテキストを用いているのは
むしろ偽書論を主張している側、つまり件の方でしょう。

日蓮大聖人が「御義口伝」を偽書といったのですか?
大聖人以外の人が「偽書だ」といってるんですよね?
その人達の言葉やテキストを用いる事の意義の説明はしてるのですか?
おそらく書かれていないと想像します。

件の方は上記を全て省略していますが、
まずは自分自身が省略せずに書いたらどうでしょうか?
このお方は、
結局、ご自身の専横な信念に基づいた社会性/公共性の欠片もない主張を、
あたかも智者の正統的言説であるがごとく吹聴している。
しかしその内実は、自慰行為的なお説教と何ら変わる事無い。
言葉を選ばずに言えば、「糞」である。
と思います(笑)

牡丹さんもコメントしてくれましたが
自分の言ってる事が、
ぜ~んぶ自分に当てはまりますね。
このような人は、人を批判することはできても
まともに話す事は無理でしょう。
相手にばかり色々要求するくせに、
自分自身は要求した事をしない。
ああ、これも創価体質の大きな特徴でした(笑)

坂巻さんも件の方に説明を求めてみたらどうでしょう?
多分何一つ答える事は出来ないと思います。

そもそも、偽書だなんだって主張するなら
全ての仏典は、釈迦の筆ではない。
それを何故、大聖人は引用されているでしょう。
それが分からないのですよ。
コノ類のかたは。
法門と法体の違いも分からない。
創価の幹部活動家にも多いのですね。
それが創価をダメにしている原因のひとつです。
まぁ、大聖人仏法の法義の初門すら理解できないうえに
かといって大御本尊に対する信もない。
このような方々は、
せいぜい「偽書論」とか
「大御本尊否定論」とかを言う以外に無いのでしょうね。
仏説で無く、人師論師のどこぞの学者さんの言っている事を
リフレインするだけで、いまさら物珍しくもない部類です。

そもそも、このお方は「法体」とは何である。と言ってるのですか?
おそらく「法体とは何か」なんて事に言及していないと思います。
要は、「法体とは何か」なんて分からなし考えた事もないのです。
このようなロジックの人に法体が示せる筈が無いのです。
何故なら、仏説に依らない人師・論師の学説で導いた法体では
仏法でなく凡夫法になってしまうからです。
それをやろうとしているのが、創価幹部です。
そのうえで、この方の言説が、
「より高度かつ多様」なんでしょうか。
(てか、ご自身を高度で多様な思考をしていると思ってるのでしょうか)
私には到底その様には思えません。
というのも、この方の主張は私の知っている
御書もマトモに読んだこともない身延信者と全く同じだからです
まぁ、大聖人仏法を信仰しているわけじゃない
門外漢の主張ですから、稚拙なのもいたしかたないですが
件の方の主張の一部を読ませていただいて
特に目新しい話もありませんし、
興味のわく内容でもなにので
改めて「どうでもいい」というのが感想です。

最後に、
坂巻さんに限らず、このブログの記事を読んで
納得する。もしないも、
支持する。もしないも
それは読者の方一人一人が決める事です。
納得してもらいたくて書いてるでもないし
支持されたくて書いているワケでもありません。
「偽書説」?それはそれで大いに結構。
「大本尊否定」?そうしたい人はそれでもいいでしょう。
それは各人が決めてくださればいいのです。

PS.件の批判ブログの内容にていて言及するのはこれが最初で最後になると思います。
正直、批判内容がどうでもいい内容だし(ぶっちゃけると低レベル)
批判をしてはいけない。ってのもオカシナ話なので、放置します(笑)
(質問があればお答えしますが、それ以外は書きません)

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非公開コメント

あ~あ・・(笑

  もう終わっちゃったか、、(涙

 RAMBOくんとしては、この「件さん」の「信仰体験」をお聞きしたかったなーー・・  あ、全然出なかったから、やめちゃったんだろうか。

 でも、もしも本当に反・学会なら、手法の違いを超えて、一緒にやれればいいのになー  読み手さんのほうの 「次元・位相・機根」の違いもあるんだろうからね。 いろいろあればいいなと・・v-12

 失礼しました。

RAMBOさん

こんばんは。

>   もう終わっちゃったか、、(涙

いやぁ~、だって何かあります?
無信心の門外漢と「信心」についてコメントのしようがないですから(笑)

>  RAMBOくんとしては、この「件さん」の「信仰体験」をお聞きしたかったなーー・・  あ、全然出なかったから、やめちゃったんだろうか。

ははは(笑)そうかもしれませんねぇ。

>  でも、もしも本当に反・学会なら、手法の違いを超えて、一緒にやれればいいのになー  読み手さんのほうの 「次元・位相・機根」の違いもあるんだろうからね。 いろいろあればいいなと

いやいや、私の想像では現役創価だと思います。
そもそも「偽書論」というのは「大御本尊」「日蓮本仏論」を否定する為の手法です。
で、それをいうのは現状では身延の僧俗と
創大宮田教授などを支持する一部創価会員くらいです。
ただし、今のところ宮田論文等は創価の公式見解じゃないのです
学会員の立場としては、おおっぴらには言えないでしょう
なので一応は元創価という立場で発言せざるを得ない。というところでしょう。
それに、今の学会は大御本尊を事実上捨てたのだから
彼の主張と学会の教義は一致してます。
なので創価を退会する必要はないでしょう。
また、創価を退会した人間がこのブログに噛み付いてくる理由がありません。
そして、創価臭がプンプンします(笑)
まぁ、仮に本当に創価を退会したのだとしたら
まだ創価MCにかかったままですね。
まぁ、たとえ彼が反学会だとしても
私は、「大御本尊」を否定し御書を偽書と号す。
ような方と野合する気はありませんよ。

俺このブログ好きだぜ(笑)

大御本尊信じない学会員なんて学会員ではなーい!ありえない
管理人さんは真の学会員だよ!
教学は大御本尊から離れないために、退転しないために勉強するもんなんだ。

こらからもがんばってください!

末法の御本仏に南無ができる幸せ

ご無沙汰しております。
久しぶりに落書きコメント失礼致します。
創価に騙されて、
信仰心を失う方も居れば
騙された事により更に
大聖人様(御本尊様)に対する
確信を深められる方も居るのかと。
信心は受け身では駄目だと思います。

悪い意味での他力本願では、
辛い時に自身の仏界が開かないし、
まして学会には
仏界を開く道すら
自ら閉ざしました。残念至極。

管理人様のブログ
いつも勉強になります!

最近、創価のカトウド者が
このブログに牙を剥かないので、
少し残念な私。

元創価班さん

こんにちは。

> 俺このブログ好きだぜ(笑)

ありがとうございます!(笑)

> 大御本尊信じない学会員なんて学会員ではなーい!ありえない
> 管理人さんは真の学会員だよ!
> 教学は大御本尊から離れないために、退転しないために勉強するもんなんだ。

全くその通りです。
大御本尊を否定る為の学問は「教学」とは言いません。
大御本尊を否定する為に邪魔になる御書を「偽書」とし
日寛上人のご指南を人師の文と下す。
それが、万人にハッキリと証拠を示せるならばまだしも、
そこらの学者風情の予想・想像・妄想の枠を出ない理論。
所詮、大聖人仏法を知らない者どもが、本尊に迷っているだけ。
それでいて自説を科学的で理論的で客観的だと思っているのだから笑えます。
まぁ、一闡提人はいなくなりませんからね。

> こらからもがんばってください!

ボチボチ、頑張ります(笑)

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。お元気そうでなによりです。

> 創価に騙されて、
> 信仰心を失う方も居れば
> 騙された事により更に
> 大聖人様(御本尊様)に対する
> 確信を深められる方も居るのかと。
> 信心は受け身では駄目だと思います。

そうですね。やはり求道心が大切だと思います。
教学ひとつとっても、
本当に自分で求めて学んだ事は忘れません。
教学試験の為の勉強ではすぐに忘れてしまいす。
大御本尊は、大聖人であり御本仏である。
多くの学会員が学んだはずです。
でも、多くの学会員は忘れているようです。

> 悪い意味での他力本願では、
> 辛い時に自身の仏界が開かないし、
> まして学会には
> 仏界を開く道すら
> 自ら閉ざしました。残念至極。

本当ですね。
早く御本仏とは誰のことなのか。思い出して欲しいものです。

> 最近、創価のカトウド者が
> このブログに牙を剥かないので、
> 少し残念な私。

いやいや、活動家諸氏はここには来ないでしょう(笑)
個人的には、創価活動家さんのコメントも全然OKなんですが。
ただ、最低限の礼節を持って欲しいかなと思います。
ここにコメント入れてきた過去の活動家さんは
押し並べて、人としての礼節を弁えない人が多かったので。
罵詈雑言を浴びせる事が、破折だと思ってる活動家さんが多いですね(笑)

管理人さんへ

 一概には私は言えませんが、学究の徒として仏教学や仏法を深く識ろうとすることは、人によっては楽しいことだろうし、人の本能的なものでもあるだろうと思います。  より精密に より正しく「科学的な態度」でね。

 しかし、間違いというか、過ちがこの場合 少なくとも二つあるんじゃないかと。

 ひとつは、仏法がただ学問の対象としてあるのではないということ。 戸田先生が仰っていたように、理を求めることは同時に「行」に向かうものでなければ、ならない。 もちろん、前提として「信」がある。  初心においては、いきなり「信じる」ことは難しいのですが、プロセスにおいてはアンバランスな時期もありながら、「信と行と学」が密接な絡み合いの末に成長していければ素晴らしいものになると信じています。  仏教学としての態度は当然、信仰者たりえず、本来の仏、諸々の菩薩の願うところとは違っていきますね。

 もう一つは、

 多くの人が陥るのですが、単なるディレッタントにとどまってしまうのではないか、ということです。 それこそが自慰行為とでもいうか、他人に比べて我 賢しとかいう、低い境涯でとどまることに。 

 と、辛辣な物言いですが、教学は、前出の方々が仰っていたように、
自らの信心を深め、また広く他をも弘めんがためのもの。

 論証のルール云々も結構だけど、自らの胸に深く沈殿された確信や喜びを得る手法としては、ハッキリ言ってジャンルが違うと 私などは思うわけです。  件さんが学会の刺客であるかどうか、私には判りませんが、
まず第一に、彼の狙いからして、よく判じえませんね。 □

 

 

RAMBOさん

こんにちは。

>  一概には私は言えませんが、学究の徒として仏教学や仏法を深く識ろうとすることは、人によっては楽しいことだろうし、人の本能的なものでもあるだろうと思います。  より精密に より正しく「科学的な態度」でね。

学問として捉えるならばそれはそれでいい事だと思います。
ただし一生仏法とは何たるかは分かりません。
文献や歴史に詳しくなるだけの話で仏法に詳しくなるわけでありません。
それはそれで「ダメだ」とは思ってません。

>  ひとつは、仏法がただ学問の対象としてあるのではないということ。 戸田先生が仰っていたように、理を求めることは同時に「行」に向かうものでなければ、ならない。 もちろん、前提として「信」がある。  初心においては、いきなり「信じる」ことは難しいのですが、プロセスにおいてはアンバランスな時期もありながら、「信と行と学」が密接な絡み合いの末に成長していければ素晴らしいものになると信じています。  仏教学としての態度は当然、信仰者たりえず、本来の仏、諸々の菩薩の願うところとは違っていきますね。

その通りです。
自分自身を含め誰ひとり救いようのない学問です。
自分の知識欲を満たすためだけに学ぶだけです。
それは個人の趣味の範囲なのでおおいに結構な事です。

>  多くの人が陥るのですが、単なるディレッタントにとどまってしまうのではないか、ということです。 それこそが自慰行為とでもいうか、他人に比べて我 賢しとかいう、低い境涯でとどまることに。 

それもその通りです。創価の教学部の人と話を何度かしましたが
それはそれは「マニア」の世界です。
本尊マニア・文献マニア色々いました(笑)
で、そのマニアの方々は、折伏どころか新聞啓蒙もできません。
それこそ創価をやめて別の会を作ればいいのにと思いましたね。

>  と、辛辣な物言いですが、教学は、前出の方々が仰っていたように、
> 自らの信心を深め、また広く他をも弘めんがためのもの。
>  論証のルール云々も結構だけど、自らの胸に深く沈殿された確信や喜びを得る手法としては、ハッキリ言ってジャンルが違うと 私などは思うわけです。 

そうですね。「偽書」だの「大御本尊はニセモノ」だの仏教学の通説だの
そんな事はどうでもいい事です。
ていうか、大御本尊がニセモノならば
では、どこに本物の事の一念三千の三大秘法が存在するのか?
彼等の様な主張をする人達はそれを語りません。
てか、結局何も知らないんじゃん!って感じです。
何も知らない人間が、知ったかぶって
いかにも自分は学問があるんだぞ。と見栄を張る姿は滑稽なんですよね。
まぁ、件の方に関してはマニアレベルにすらなっていなようですが(笑)

> 件さんが学会の刺客であるかどうか、私には判りませんが、
> まず第一に、彼の狙いからして、よく判じえませんね。 □

ひとつは、学会活動家を名乗らずこうしたアンチブログを批判する為に書いている。
もう一つは、自分の自説を読んでもらう為にこのブログを利用してる。

まぁ、別に何でもいいですわ。
あの手の論理はもう聞きなれていてオリジナリティがなくて退屈です(笑)
going my way でいきますね

はじめまして。

初めまして。記事にて取り上げていただきました、ブログの管理人の者です。
色々とご説明いただきまして、ありがとうございました。

私について多少身分開示を行っておきますと、出版社勤務、主に学術書の編集を行ってきました。私の専門は仏教学ではないですが(フランス現代思想/精神分析学、ドクターではないです)、これまで約10冊の仏教研究書の出版に携わってきました。日蓮系の書籍もメインの担当として出版した事があります。まぁつまり、仏教に関するおかしな議論はある程度わかるはずです。現在も多くの仏教学者とは交流を続けており、論文集等も御郵送いただくことから、仏教関連の議論はキャッチアップしております。

私は脱会者ですので、創価学会に賛同していないという点で管理人さまとは一致しているのでしょう。私は、創価学会の主張が大嫌いです。

しかし、管理人さまの主張も、創価学会の主張と同じ水準です。
ブログを拝見したところ管理人さまは、「根拠に基づいて主張を形成する方法」「議論の文脈に沿って概念規定をする事」「議論の構造自体を客体化してその限界を認識する方法」など、議論の基本的ルールをわかっていない方だと判断しておりました(敢えて議論のレベルを下げているのだとしたら、申し訳ございません)。ですので、議論しても無駄だと思い、こちらのブログに書くことは控えておりましたが、大々的に取り上げていただきましたので、書かせていただきましょう。

管理人さまは過去の記事から拝見したところ、一般的な仏教の知識を知らず、論の組み立て方や論証の意味等もわかっておられないとお見受けしました(こちらも敢えて知らないフリ、わかっていないフリをしているのだとしたら、申し訳ございません)。
ですのでできる限り、わかりやすく、ジャーゴンを使わずに書かせていただきますが、不明な点があったら何でも聞いてくださいませ。

No title

私の管理人さまへの主張は、以下の一点に還元可能です。

「しっかりお勉強をしてから、主張をしてはどうですか。それでは、創価幹部と一緒ですよ」

以下、詳細を記載させていただきます。

①管理人さまの信仰の相対性ならびに立証責任について

まず認識していただきたいのは、管理人さまの信仰の根幹である「板曼荼羅信仰」や「日蓮本仏論」が、(仏教界においては)無茶苦茶なものだということです。創価学会が「永遠の指導者」やら「本尊認定権」やら云々と言っているのと同じくらい、荒唐無稽です。

別にこれは、それらの信仰が間違っていることと等値されるものではないです。
しかしそれらを主張する際には、自分がかなり特異なご主張をしているのだと自覚してください。「だったら御義口伝は誰がいつ書いたのか言ってみろよ」というのは、自分のお立場を相対化されていないのかなと思います。立証責任は常に、学術的に受容された意見を主張している人間ではなく、新しい/特異な主張をしている人間に求められることは知っておくべきです。

まぁ、管理人さんにいきなり大御本尊信仰などの立証を求めることは、酷だと思っています。
管理人さんは日蓮の読まれ方を知らないようですので、日蓮研究の論文を一本も読んだ事が無いのだろうと思います(あったら申し訳ございません)。
とりあえず、易しめの日蓮研究書を一冊読むことから始められてはいかがでしょうか。ご自分の立ち位置がわかると思います。

②学術/信仰の二項対立について

恐らく管理人さんは、「学術と信仰は違う」という二項対立的世界認識をした上で、自らの「教学」を構築されているように思われます。
しかしその区分がかなり乱暴であり、実体がわかりませんでした。

この当たりは、仏教学以前のメタな教養の話になります。
別に、学術的成果を受け入れても、信仰は成立します。
カント『純粋理性批判』や、フッサール『現象学の理念』はお読みになられたことはありますか?このあたりを押さえずに、「おれは信仰者だから学者と立場が違う」的な主張をすることは 失笑を買ってしまうので、簡単な新書からお読みになることをお勧めします。

③真偽問題について

日蓮遺文には、常につきまとう問題ですね。「だったら御義口伝は誰がいつ書いたのか言ってみろよ」というご主張から察するに、日蓮系の本や研究を一切読まれた事が無いのかな、と思いました(二度目になりますが、あったら申し訳ございません)。

日蓮を論じる際には、
ー真撰偽撰に対するスタンスの決定
ー論述対象資料の選定
ー論の構築
が不可欠です。
ちなみに私も、「真筆主義」はとっておらず、「未決」まで対象に含めるという立場を取っています。末木文美士的なスタンスにはやや疑問を感じますが、論として認めています。まぁ要するに、偽書に厳格な方々に比べて、かなり緩いスタンスをとっているのです(御義口伝が真偽については弁護不可能です)。

繰り返しになりますが、日蓮の論じ方について、すこし勉強をされた方がいいと思います。ですので、易し目の研究書からおはじめになってみてください。

「御書に掲載されているものを偽物と疑うこと自体が謗法だ」とかつての創価学会幹部のように仰るならば。。。失礼致しました、何も言うことは無いです。

No title

④立正/身延というラベリングについて

過去記事を拝見していても思いましたが、管理人さまは立正大学系の学者や身延がお嫌いのようですね。私がかつて信仰があった創価学会幹部の多くもそうでした。彼らもまた、「あいつらは悪質な意図を持って、俺たちの信仰を貶めようとしている」と言っておられました。

そのいわゆる「悪質な意図」を持っていらっしゃる方もおられるのでしょうが、
事実/ファクトとして立正大学の日蓮研究への貢献は認めざるをえないでしょう。日蓮正宗系や創価学会とは比べ物にならないです。
それらを全て「所属」を根拠に、否定するというのは問題があるでしょう。

ちなみに管理人さまは、どんな日蓮研究者の本を読まれた上でそのような主張をしているのですか?具体名をご教示いただけると幸いです。
また、「身延は悪質」というような主張よりも、しっかりと個別的な日蓮研究者の論を取りあげて批判した方が生産的だと私は思います。

とりあえずしっかり勉強された後、(身延系では無いですが)宮田幸一の論の検討から始められては如何でしょうか?

⑤物語的回収について

管理人さまの過去記事を拝見して思ったのですが、物語的な語りに全てを回収するのがお好きなのかな、という印象を持ちました。
上述の「身延の悪質な意図」云々の話もそうです。

この論法は、知的に程度であるかと思われますが如何でしょうか。
あえてそうした手法を取られているのならば、その意図を教えていただきたいです。

「物語」の意味がお分かりになられないようでしたら、、、野家啓一「物語の哲学」あたりを読むといいと思います。

⑥日蓮以外の人物が書いたテキストの位置付けについて

これについては私の書き方が悪かったです。

管理人さまは日寛が大変お好きなようですね。
しかし、日寛のテキストを用いるということの意義を言語化されていないと思います。これは重要な問題で、創価学会/日蓮正宗外から見たら、創価学会会長の言葉を用いるのも、大石寺法主の言葉を用いるのも大差が無いからです。

後者に分があるとすれば、「大御本尊信仰」「血脈信仰」を根拠にしていることですが、これらは残念ながら徹底的に指弾されつくしてしまい、歴史学的に完全に敗北していると言えます(松岡などの本を読まれたことはありますか?)

ですので、上述の二つの信仰に基づかない形で、日寛テキストを用いる事の意義を言語化する必要があります。
しかしこれを管理人さまに言うのも酷だと思います。
とりあえずこれに関しては、宗教学の教科書の勉強から始められてはいかがでしょうか。始祖でない、後世の人間の思想の位置付けについて、まともな主張ができるのではないかと思います。

長々と失礼致しました。

管理人さまは仏教についてあまりご存じないようですので
勉強をされた方がいいと思います。コメント拝見したところ、一部の方にかなりの影響があるようですね。責任を持って、創価幹部とは一線を画すご発言をした方が、皆様のためになるのでは。

ディスミナシオン

こんにちは。初めまして。

> 初めまして。記事にて取り上げていただきました、ブログの管理人の者です。
> 色々とご説明いただきまして、ありがとうございました。

名前が分からなかったので「件の方」と書きました。大変失礼しました。
また、コメントの方は読ませてもらいました。
ディスミナシオンさんの意見は分かりました。
その上でこのような言い方をするとお気に触るかも知れませんが
正直、興味ありません。(すみません)
というか、ディスミナシオンが私に思っていることと同じような事を貴方に思っています。
「大聖人仏法を知らないんだなぁ」とか
「御書の読み方知らなんだなぁ」とか
「もう少し大聖人仏法の事をお勉強された方がいいのでは?」とか
そんな感想です。

つまり、最初から学んでいる事、求めている事が違うのです。
それはそうです。
大聖人仏法を信仰している者は釈迦の仏教と大聖人仏法が違う。と言う所からスタートしてます。
貴方が私に無知とうところの仏教とは一般仏教つまり釈迦仏教です。
私が貴方に無知とうところの仏教とは大聖人仏法です。
ですからコンセンサスを得る事はお互いに無いでしょう。
だからと言って、私は貴方のブログを批判したり罵詈雑言を書く気もありません。
ていうか、なにもこのブログを批判するブログではなく
普通にご自身のお考えを書くブログで良かったのではないですか?
わざわざ、このブログつまり私をターゲットにしている理由がわかりません(笑)
ああ、だからと言ってイヤだとかそう言うのはありませんよ
ただモチロン貴方の言うように対話は無理です。
あなたのブログのタイトルだけ見ても
最初から対話する気がないのは明らかですから(笑)
なので、貴方に対する質問など一切ありません。
折角、オススメしていただきましたが
日蓮関係の論文も全く興味ありません。
それと、今回の記事も別に貴方に対して書いたモノではなく
コメンテーターさんからの質問に答えただけです。
それと、貴方が言うほど、個人のこんなブログに影響力などありませんよ(笑)
そうそう、基本的にこのブログの読者の方は
大聖人仏法(釈迦仏法ではなく)を信仰している方を想定しています。
一般仏教の学術的な事を書くつもりも
それについて対論する気もありません。
ご丁寧なコメントには心より感謝していますが
どうぞ貴方は貴方の道を進んで欲しいと思います。
ディスミナシオンさんの意見を支持する方もいればそうでない方もいる。
それでいいかと思っています。
なので、コメントも無理やりしてくれなくてもOKですよ。

No title

ここのブログは管理人様に教えて頂いて、時折、ロムしてる者です。

不相伝の日蓮系が書いた書物など論外です。

なにせ、事の本質を全く理解していない「知ったかぶり」の【自称・日蓮研究者】が書いてるものですから(笑)。

以前、身延派の投稿者と対論しましたが、確かに、よく勉強してるだけあって、
大聖人の諸御抄をよく知っていますが、解釈が「釈迦本仏」に帰着させようとするから、
どうしても、解釈にムリが出てきます。

そして、反論に窮すると「真蹟真蹟」と都合の悪い写本を総て除外した上で論を展開しようとします。
そうです、身延派得意の捨て台詞「ギショギショ」と喚き散らし、
「日蓮上人はこう言ってたもん!」
と幼稚園児の主張を始めるのです。

ですが、釈迦本仏論を展開する身延系他日蓮系は鬼の首を取ったかの如く、
大聖人の「真蹟」を重要視するのですが、管理人様も言われてるとおり、
それを言うなら、釈尊の「真蹟」を出してごらん?と同じロジックで詰めると逃げ散らすのです。

そらそうですよね、釈尊がしたのは「口伝」であって、釈尊「の」経典と称されるものは総て、
釈尊の弟子たちが伝言ゲームのように己の記憶にある「釈尊の教え(説法)」とやらを
口伝えに伝えに伝えて後世の弟子たちが文章化したものが経典で、
それを大聖人は「文証」として諸御抄をお認めあそばされたものが
今日現在現存してる「真蹟」であり、また、それを弟子方が、
書き写したものとされるものが「写本」であったりするのですから。

「不相伝」の輩が書いたものを有難がってるようでは、大聖人が説かれている「事の本質」は
一生理解できません。

いかんせん、身延派日蓮系は、
大聖人が諸御抄で書かれている文章の表現の上っ面だけナメて額面通りに取り、
大聖人が何故にこの御抄を書かれているのか?とか、どういう背景、大意があるのか?とか、
また、どのような機根の対告衆相手に書かれている御抄なのか?
はたまた、どの法義レベルを根拠にして仰せられているのか?などなど、
これらを完全無視するのが身延派日蓮系であり、その学者らであるから、
それら不相伝の輩が書いた書物など論外でしかありません。

故に管理人様が言われてるとおり、
大聖人が仰せの事の本質を理解できない身延派日蓮系は結局事の本質を理解できないまま
その立場で主張しますし、論に詰まっても、その己の状況を認めようとしませんから
身延派日蓮系は論が堂々巡りになり、対論していても平行線を辿ることになるのです。

もう、私も散々、身延派日蓮系とは対論しておりますから、対論やるだけ「ムダ」との結論です。

恐らく、管理人様もそうだと思われますし、私もそうです。

少々、「ん?」と思いましたのでカキコしました。


では。

No title

追記です。

創価を脱会した反動で身延派日蓮系に一気に傾倒し、それらが書いたモノを「本道」だと
頭から信じ込むあたりは、大聖人の信仰から退転した者にはありがちですね。

もう、後は、日蓮系OS(笑)をインストールして、
勝手に不相伝の「日蓮系研究書」なんかを自らドンドン読み漁って脳にインストールして
〝上から目線〟のドッチラケ「未得謂得謂証未証〝ワレ、エタリ〟」のイッチョ上がりです(笑)

宮田?松岡?コレも正宗系から脱落した反動で日蓮系OSを愚脳にインストールした
亜流脱落ザンネン者です。


それを有難がるの彼もまた、その類。

「まあ、ガンバッてね」
と言っておいてあげましょうかね。


では。

シンさん

こんにちは。コメントありがとうございます・

> 不相伝の日蓮系が書いた書物など論外です。
> なにせ、事の本質を全く理解していない「知ったかぶり」の【自称・日蓮研究者】が書いてるものですから(笑)。
> そして、反論に窮すると「真蹟真蹟」と都合の悪い写本を総て除外した上で論を展開しようとします。
> そうです、身延派得意の捨て台詞「ギショギショ」と喚き散らし、
> 「日蓮上人はこう言ってたもん!」
> と幼稚園児の主張を始めるのです。

ははは(笑)分かります。

> ですが、釈迦本仏論を展開する身延系他日蓮系は鬼の首を取ったかの如く、
> 大聖人の「真蹟」を重要視するのですが、管理人様も言われてるとおり、
> それを言うなら、釈尊の「真蹟」を出してごらん?と同じロジックで詰めると逃げ散らすのです。

すごく乱暴な言い方をすれば、「御書は真筆でなくても全然構わないです。
「真筆」ないからニセモノ。この発想がすでに大聖人仏法を分かっていない発想です。

> 「不相伝」の輩が書いたものを有難がってるようでは、大聖人が説かれている「事の本質」は
> 一生理解できません。

そこですね。
「学術的で高尚なお話」をする方々には「結論」がないのです。
「偽書」「釈迦本仏」「大御本尊否定」
それが学術的研究の成果なのはわかりました。
では、貴方は「何を本尊とするのですか?」
「事の一念三千の当体は具体的に何でどこにあるのですか?」
「そしてその根拠はなんですか?」
こういう一番重要な部分には答えられない。
要するに、「大御本尊を否定すするためだけ」の研究であり言説です。
共産党みたいなもんです。
対案がまるで欠如している。
仏教を研究しているといいつつ、その体は分からない。
なんと無意味な研究なんでしょうか(笑)
まぁ、「信仰者」でない方々が何をどう研究しようと何の意味もありませんね

ん?

荒唐無稽な仏法理解をしてる人からまともな仏法を見れば、それは「まとも」なほうが「荒唐無稽」に映るでしょうねぇ。

なんの役にも立たない知識って『ゴミ』でしかないものを、コメント欄で『ゴミ知識』を自慢げに披露してしまうほど『恥知らず』なのだな~と。
どんだけ「お馬鹿なこと」を言ってるのか自分でわからないとは、もう悲劇を通りこして喜劇ですらあるもの。
まるで「お笑い」の世界のジョークレベル。
冗談レベル。
なぜ僕は爆笑したんだかな。
やっぱ「冗談」に感じたからだと思うね。

実践的に十界論を活用してると、教学には出てない共通点がけっこうあったりする。
例えば『餓鬼界』を基底部にしてる人だと、己の欲望しか関心がないのが過ぎてしまうことで周囲の心情が全くわからず『恥知らず』だったりしますからね。
『畜生界』では、内面の「見えないもの」には無頓着で、外見ばかりを飾ってばかり、なんてね。

『餓鬼界』から見たこのブログの評価、という「批難ブログ」にしか感じられん。
そんなもん「冥益」を求める信仰してる人には、現実にはなんの役にも立たない『ゴミ知識』でしかないのだけどね。

「ブログ村」を『ゴミ屋敷』にせんで頂きたいものですが。

太ちゃんさん

こんばんは。

> 荒唐無稽な仏法理解をしてる人からまともな仏法を見れば、それは「まとも」なほうが「荒唐無稽」に映るでしょうねぇ。
> なんの役にも立たない知識って『ゴミ』でしかないものを、コメント欄で『ゴミ知識』を自慢げに披露してしまうほど『恥知らず』なのだな~と。
> どんだけ「お馬鹿なこと」を言ってるのか自分でわからないとは、もう悲劇を通りこして喜劇ですらあるもの。
> まるで「お笑い」の世界のジョークレベル。
> 冗談レベル。
> なぜ僕は爆笑したんだかな。
> やっぱ「冗談」に感じたからだと思うね。

そうですね。
高尚で立派な学術的研究も否定はしませんが
個人的には興味がありませんね。
釈迦であれ大聖人であれ、仏教とは衆生が成仏するための教えだと思います。
それをなおざりにした空論を吐く方に
仏教について無知であると言われても
特になんの感情もわきません。
本当になんの興味もわかなくて困ります(笑)

> 「ブログ村」を『ゴミ屋敷』にせんで頂きたいものですが。

まぁ、あの論説を主張するなら「創価」のカテゴリーにエントリーするのは
少しズレているかな。と思います。
「創価」に対する記述は
ブログタイトルくらいです。
信仰者でもないようですから、「学問」とかのカテの方がいいのでは?と感じます。
読んでくれる人がいないから
わざわざ、本ブログをタイトルにいれたのですかね?
何がしたいのだかよくわかりません(笑)

返信が遅くなり、申し訳ございません。何だか、オオゴトになってしまいましたね。

色々とご教示いただきありがとうございました。

私のことを書かせて頂くと、創価幹部にも日蓮正宗にも疑いを持ち、いやになってしまった、三十代の男です。創価学会の悪口を言って満足するのも嫌だし、今更大ご本尊というのも..と考えています。


実は、大変失礼なのですが、管理人さんがディスミナシオンさんの意見に、興味がないとあっさり言われてしまったことに、がっかりしました。
結局、本人が幸せになればいい、というなら、創価学会でも何でもいいのでしょうか?管理人さんと創価学会幹部との違いは、なんなのでしょうか?
とりあえず大ご本尊を信じろ、というのでは、私にとっては創価学会となんも変わらんのです..

失礼なことをいってすみません。悩みのはての妄言とお許しください。色々と悩みすぎています..

坂巻さん

こんばんは。

> 私のことを書かせて頂くと、創価幹部にも日蓮正宗にも疑いを持ち、いやになってしまった、三十代の男です。創価学会の悪口を言って満足するのも嫌だし、今更大ご本尊というのも..と考えています。
> 実は、大変失礼なのですが、管理人さんがディスミナシオンさんの意見に、興味がないとあっさり言われてしまったことに、がっかりしました。

そうすか。
ただ、あのような意見に対して何もいうことがないのです。
仏教を研究したら、仏法とは法体とは何かがわかった。というならばいいのですが
そういう話がないければコメントのしようがありません。
個人的な研究に是非もないのです。

> 結局、本人が幸せになればいい、というなら、創価学会でも何でもいいのでしょうか?管理人さんと創価学会幹部との違いは、なんなのでしょうか?

さぁ、それは私にもわかりかねます。
違うものを信じている。それしか言えません。

> とりあえず大ご本尊を信じろ、というのでは、私にとっては創価学会となんも変わらんのです..

私は、大御本尊を信じろと強制する気はありません。
大承認仏法の根幹は大御本尊である。と言っているだけです。
信じる信じないは、坂巻さんがご自分で学び決めることです。

> 失礼なことをいってすみません。悩みのはての妄言とお許しください。色々と悩みすぎています..

お気になさらないでください。
信仰の途中で悩むことを大いにあります。
時間をかけてもご自身で決めることが大切だと思います

No title

横からですが、


>今更大ご本尊

組織自体に疑いを持たれたのは、「組織」に対してであって、
組織と言っても所詮凡夫の集まりが凡眼凡智により決めたルールで存立してるのが組織ですから
これに対して「疑い」を持つことは別段問題ではありません。

ですが、創価学会と日蓮正宗とでは、厳護している対象に天地雲泥の差程の違いがあります。

創価学会は
帰命の対境の一大秘法・事の一念三千の当体たる御本仏の御当体が内在する
「御本尊」と称される対境を
創価学会員の誰も、池田大作ですら事の一念三千の当体を所持していないのに、
たかが凡夫の低次元な感覚の元、迷いの当体でしかないのに「作ってしまった」。

つまり、凡夫の集まりでしかない、
事の一念三千の当体が存する境涯である内証を付嘱、相伝すらされてない人間が『事の一念三千の当体』を「作れる」と思い違いし、
御本尊のようなモノを作ってしまったが、実質、そのような狂団に大聖人の、御本仏の御当体が
ましますことがないことは、興尊に対して「不法ならぬ時は我も住ましき」と
御遺言御教示あそばされてるとおり、大聖人を信じてるようでて
創価学会を「大聖人の仏法」が存在してると信じてる人間の集まりの創価学会内には
最早、御本仏・御本尊の御当体は存在しません。

「空」であり、創価学会は「ハリボテ」でしかありません。



片や日蓮正宗には弘安2年10月1日に
『仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、
 其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり』
と御自身の「出世の御本懐」を仰せられた「真蹟」の【聖人御難事】があり、
大聖人の出世の本懐は既に文永年間の『阿仏房御書』にて
「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。
 子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。
 出世の本懐とはこれなり。」
と仰せのとおり、大聖人に於ける出世の本懐は『御本尊』を
『日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ。
 仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし』
と【経王殿御返事】で仰せのとおりに、示同凡夫であらせられた大聖人が
御自身の御内証に存する法魂(事の一念三千の当体)を以て、
発迹顕本を終えられた文永八年、楊枝本尊、佐渡始顕本尊を皮切りに文永年間後期から
多数、「序分期」の御本尊を顕しあそばされた大聖人が、
弘安2年10月1日に改めて出世の本懐を遂げることを御宣言された後、
10月12日に、それまで根本道場にあたる身延の草庵にて御安置申し上げていた、
万年救護本尊を興尊にお下げ渡しになられ、代わりに『正宗分期』の戒壇の大御本尊を顕されて御安置。

大聖人がそれまで「出世の本懐」として多数顕された万年救護本尊を含めた「序分期」の御本尊を
弘安2年に再度「出世の本懐」と御宣言の上、当時、根本道場を担っていた身延の草庵に
戒壇の大御本尊を顕されて御安置あそばされたということは、
他の御本尊と戒壇の大御本尊とでは、御本尊の意義付けが異なり、
他の一機一縁の御本尊はあくまで大聖人が分身散体の義により、
事の一念三千の当体の義を付(印)して顕された【義】の御本尊であり、
それら【義】の御本尊に対して戒壇の大御本尊は大聖人が
『滅(凡身)不滅(事の一念三千の当体)の相』を現ぜられて大聖人の御当体が合する対象、
つまり、この娑婆世界の根本本尊としての戒壇の大御本尊の内体に
大聖人の御当体が合する事が出来る唯一の内体が存するのが戒壇の大御本尊であります。

よって、日蓮正宗には「仏宝」の大聖人の御当体が合せられた内体が存する「法宝」、
即ち、その戒壇の大御本尊が日蓮正宗には厳然と存するのであり、
戒壇の大御本尊はその【化儀として顕された御本尊】として日蓮正宗に存在しているのですから、
最早、信心の血脈すらない、法脈もない「ハリボテ」の虚像・創価学会と日蓮正宗は違うのです。

その戒壇の大御本尊を
一部のイキがった創価学会員にネット上で暴走させて「後世の偽作論」を吹聴流布させて、
創価学会員が『戒壇の大御本尊離れ』を十分したところで、
機が熟したのを見計らって創価学会は戒壇の大御本尊を信仰対象にしない旨を公にて発表。

そういう経緯状況の下で「今更大ご本尊」という言葉を貴方に言わせしめているのです。


私が簡単ではありますが、上述した上記について、数か所、
意味不明なことを私が述べてると思うかも知れませんが、
「戒壇の大御本尊」の真贋を殊更吹聴流布してきた創価学会員並びに身延派日蓮系は、
戒壇の大御本尊の「重大な存在意義」の事の本質を全く理解していないのです。

まあ、私の話してることは理解できないでしょうね。
これは日蓮正宗法華講でも理解してる人間は一握りと思われますから。

私もコレ以上、お話する気はございません。
それは、コレ以上お話するのは仏祖三宝尊様の御意向に背く行為となると判断しているからです。

戒壇の大御本尊を『日蓮大聖人の御当体(法体)が存する』として
「信じる信じない」はここの管理人様も言われてるとおり、強制もできませんし、
強制したところで、他人の心の問題は、ことに信仰心を変えることは文字ではできません。

が、大聖人の「出世の本懐」を理解し、戒壇の大御本尊が現実に存在していること、
【聖人御難事】の御宣言をシッカリと理解出来たならば、
「今更大ご本尊」という発言、否、その思考が「大謗法思考」なのか、解ります。

ちなみに、近年、身延が写本の「三大秘法抄」には、日向直筆のものが現存していることを日向700年遠忌で公開しました。

この三大秘法抄には
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて
 有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時
 勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて
 戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり。
 三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず
 大梵天王帝釈等も来下して給うべき戒壇なり』
との一文があります。

身延の草庵で御認められたものを日向が書き写したものですが、
この御抄のこの一文には、「(身延以外の地)に最勝の地を選んで建立せよ」と
仰せられておりまして、それを日向が書き写しも直筆が現存しているのですが、
身延は愚かですから、この時点で既に身延山久遠寺は大聖人に捨てられてしまうことが暗示されている文であるにも拘らず、
身延はこの三大秘法抄が日向直筆の写本であることを認めてしまいました(笑)

話を戻しますが、
大聖人が、御自身が御入滅あそばされた後、最勝の地の戒壇に建立すべき
【根本となる御本尊】を顕しておかれないわけがないのです。


しかし、貴方のように、一旦そこまで疑いを持ってしまって堕ちてしまったんなら、
良くて今世でなんとか。悪くて来世持ち越しとなってしまうでしょうね。

まあ、ある種、貴方も創価学会に洗脳されてダマされた「被害者」です。

「速やかに実乗の一善に帰せよ」

との大聖人の御慈悲の文を以てこれにてこの投稿を締めたいと思います。

なるべく早く、事の本質に気付かれることを念じます。


では。

No title

追記。

>実は、大変失礼なのですが、管理人さんがディスミナシオンさんの意見に、興味がないとあっさり言われてしまったことに、がっかりしました。

とのことですが、管理人様がディスミナシオンという方の意見に対して興味がないと言われたのは
至極当然のことです。

何せ、身延派日蓮系は釈尊が説いた説法がどのような教えなのか、その本質を理解せずに
釈迦を有難がるところを出発点にして「釈迦本仏論」を構築した「脱益仏教学」を
大聖人の『下種仏法学』とクソミソ混同して単純に踏襲した教えをされた、と思い込んで、
「お勉強なさっては如何?」
とノタマウ実にオメデタイ御仁のゴイケンですから(笑)、話にならないのです。

そんな相手の意見を聞いて、では、法論して破折ですか?
それをしたところで、あの御仁は完全身延派日蓮系OSを脳にブチ込んでいるところへ、
カントだのなんだのと、もう、外道でもなんでもかんでもワケも解らずぶち込んだものを
「勉強しなさい」と言うのです。

そのような方は大抵、思考停止硬直化して絶対に堂々巡りの無限ループ論法をして
結局は「平行線」となるだけの『時間のムダ』となるのです。

そんな大聖人の「下種仏法」と「脱益仏教」の根本的な違いも解らずに
「ワケの解らずぶち込んだモノ」に興味など、【一闡提人】の無間堕地獄必定の彼には
誠に申し訳ないですが私も興味ありません(笑)


なんでしたら、試しに彼と対論してみると判りますよ、何で管理人様が興味ないと言われたのか。



では。

No title

坂巻さま

こんにちは。私の投稿を見ていただいたようですね、私も学会脱会前にはかなり悩みました。結局は自分で学んで答えを出すしかないですね。

シンさまや管理人様のように大御本尊信仰をしておられる方が、「興味ない」「こんなこと言ってもわからないでしょうね」と簡単に神秘主義的主張に安住していては、共感できないのも当たり前ですよね。創価学会でも、私の周りの人間は教義への理論的関心がかなり薄い事が不思議でした。

大御本尊信仰は、日蓮正宗がもっと真面目に教義構築をしていれば、少しはマシな教義になったのかもしれませんが、彼らはそれを放棄して来ました。管理人様やシン様が、坂巻様の質問にお伽話レベルの回答しかできないのは、決して彼らの責任ではありません。

大御本尊信仰は、0.01%くらいの人間にしか受け入れられないトーテム信仰になってしまいましたが、創価学会員である以上日蓮正宗の教義を学ぶことは不可欠だと思います(仏教史的な価値はほぼ皆無ですが)。
日蓮遺文は勿論のこと、管理人様が大好きな日寛を読めば、現在の日蓮正宗の信仰原理がわかります。富士宗学要集もおすすめです。私も脱会前に集中的に読みました。日蓮遺文以外は、仏教思想の豊穣化にはほぼなんの貢献もしていないというのが私の評価ですが、創価学会員として向き合わねばいけないだろうと思います。

それらを学ばれた結果、管理人様やシン様のように大御本尊フェチになれれば、それ以上の幸せはないでしょう。

ヤレヤレですねぇ。なんですかコレ?↑

無惨の一言です。

やっぱ、その程度でしたな(笑)。

富要集を読んで、日寛上人を読んでも、結局は「大御本尊信仰」の本質を言及出来ず、
挙げ句の果ては「神秘主義的主張」ですって♪(笑)。

なーんだ、結局、揶揄して印象付けに死に物狂いで肝心なことは何一つ述べてないじゃんね(笑)。

「日蓮正宗の信仰原理」が分かって(笑)、
「大御本尊信仰は、日蓮正宗がもっと真面目に教義構築をしていれば、少しはマシな教義になったのかもしれません」
て、精一杯の「大言壮語」を吐いてる割には、何一つ言及すら出来ないんですねぇ。


坂巻様、ここまで大層なことを吐くからには、余程【カビの生えた仏教学】とやらの、
崇高な、高度な、奥深い【教義】を開陳してこの御仁は騙ってくれるでしょう♪


【騙って】頂きましょうよ、この御仁に♪

ディスミナシオンサマに【カビの生えた仏教学】の

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

を【事細かに】【具体的に】勿論【神秘主義的主張はナシ】で御高説、賜りましょうよ♪


タノシミにしておりますよ、ディスミナシオンサマ♪


まさか、あれだけ貶しといて、大言壮語を吐いておいて、次の投稿で上記の3つについて、
御高説、述べられなかったら、ディスミナシオンサマはただの【ピエロ】ですね。


折角、管理人様や私が「興味ない」「まあ、頑張ってね」と言って【遁走経路】を塞がずに残しておいてあげたのに、
気に障っちゃったのかな?(笑)。


ま、坂巻様と管理人様と一緒にタノシミにしておりますね♪

お!ズバリじゃん!

>【一闡提人】の無間堕地獄必定の彼には
誠に申し訳ないですが私も興味ありません(笑)<

う~~ん

グレート!!

ズバリストレートだと思う

とはいえ「一闡提人」だって難しい教学の部類だし、こうして書かれても何を言われてるのかピンとこないんでしょうけどf^^;

シンさん

こんばんは。

> 折角、管理人様や私が「興味ない」「まあ、頑張ってね」と言って【遁走経路】を塞がずに残しておいてあげたのに、
> 気に障っちゃったのかな?(笑)。
> ま、坂巻様と管理人様と一緒にタノシミにしておりますね♪

あまり、お子ちゃまをイジメないでくださいね(笑)

No title

シンさま

ご返信、ありがとうございます。
どうも論点が伝わっていないようなので、色々と整理しながら、私が指摘している点をご説明致しましょう。

I 経験的認知の水面
人間が認識を行う際、その理論的出発点としての意識的水面が必要となる。この経験的水面において、人間は意識と対象を区別し、外界に像を、内界に自己内的世界を構築する。

II 外界の区別
外界は、自然世界と人間集団によって構築される関係世界=社会に区分できる。この社会の理解モデルとして、「コミュニケーション」を単位として分析する。

III 神話界
人間の生活世界には、原理的に検証不可能な事象領域が存在する。世界の起源神話や超常的現象がこれに値する。

以上の現象学的還元を行なった上で、「本尊ー本仏ー成仏」について考察する。

本尊➡︎大御本尊信仰、本仏➡︎日蓮本仏論について、成仏について
「大御本尊に帰依しなければ成仏できない」という命題は、上述の神話界に属する、すなわち不可証命題に属する。それは、時間/空間に属する具体的個物である板曼荼羅に、超時間的/超空間的な超越的価値を見出す物語である。これはその本性において証明不可能のため、近代以降の社会においては、個人の内面的信仰に委ねられるものとなる。
しかし問題は、日蓮正宗が行う出世の本懐説や一大秘法の論証方法である。
日蓮遺文は、現代とも共約可能な論理に基づいている以上、テキスト解釈の方法には反省が加えられなければならない。日蓮正宗の出世の本懐説は、日蓮遺文のテキストから導出できない。また、偽書問題は、神話界に属するものではない。外的な人間社会において、遺文は継承される以上、それに社会科学的な方法を適応することは可能である。この外的な現実世界におけるコミュニケーションを、全て神話界に還元してしまうことに日蓮正宗の問題がある。「大御本尊図顕が日蓮の出世の本懐」という命題は、不合理。

日蓮本仏論も然り。特定人物を本仏/救世主として規定する事は、世界宗教的に特異ではない。
しかし日蓮本仏論の問題は、これも論証法である。開目抄テキストからそれを導くアクロバティック解釈は、象徴的次元において困難である。上述の偽書問題は、日蓮本仏論にも適応できる。

成仏については、純粋に神話界に属するため、近代社会の原理に基づいて各人が信仰の対象を決定すれば良い。問題は、それが社会的位相におけるコミュニケーションに出現する際に、一定の公共性を有する言説となる事である。不可証命題を確保しつつ、社会化を進める必要があり、その過程には学術的整合性の確保もあげられる。



わかりましたか?
私が終始問題にしているのは、大御本尊信仰と日蓮本仏論の「論証方法」です。シンさまが何を信じるかは神話界に属する問題、私のうかがい知る問題ではありません(あなたの議論のスキームに乗るならば、成仏については、各人の信じるものに従えばいい、の一言で足ります、大御本尊フェチならばそれに帰依していれば良い)

問題は、不可証命題ではないテキスト解釈や文献学的検討を怠り、「文理云々」と言っている怠慢です。創価学会も日蓮正宗も、この点で終わっています、本当に。全部神話界に還元するから、坂巻さんのような疑いを持つ会員を満足させられないのです。

カントやフッサールを外道として排除するのもいいでしょう。しかしそんな事をやっていると、どんどん時代から取り残されていきますよ。神話界を確保するためには、科学的領域をしっかりと確保してその領域での努力をすべきです。
大御本尊が大切なのでしょう?だったら批判に耐えうる理論構築をするべきです。

幸福になれればいい、成仏できればいい、というのなら、あなた方に日蓮宗などを非難する資格はないでしょう。彼らは科学の時代に危機を感じ、自分たちの信仰を確保するために真剣に努力しています(私は日蓮宗ではないですが、仕事で多くの仏教学者と関わりがあります)。彼らと比較すると、日蓮正宗や創価学会の教義的関心/努力は惨憺たるものです。

学術には興味ない、だったら本尊を示せ!という開き直った態度では、大川隆法も論破できないですよ。

ディスミナシオンさん

ありがとうございます。私には難しくて何だか..

ただ、勉強荷はなりました。すべてを信仰の問題にすり替えてしまうのが問題だということですかね?それは私も嫌な点です。
創価学会の幹部も、お寺に行った知人も、信じるか信じないかだ、と言ってくるので、嫌になります、


偽物の御書とか、私にはわかりませんが、学問でわかることはしっかり研究すべきですね、、偏見を持たず、立正大学の教授の本も読んでみようと思います。

シンさんに教えていただいた、出世の本懐も、私には大ご本尊との関係がよくわかっていません。これは、解釈としてどうなのでしょうか..?

このブログではもう議論が難しそうなので、よけらば、メールで教えていただけるも幸いです。

大川隆法と直接対論宣言か

>学術には興味ない、だったら本尊を示せ!という開き直った態度では、大川隆法も論破できないですよ。<

【大川隆法も論破】できるんですね!!

すげーーーー宣言!!

ホレなおしたぞい♪

【大川隆法も論破できないですよ】と豪語できるなら、ぜひとも『大川隆法と直接対論』してください

結果を待ってま~~っす!

【大川隆法も論破】の様子をYouTubeにアップしましょう!

無題

と、ダレかさんに同じく「揚げ足取り」のマネしてみやした(笑)

「外道」と他の人がすでに指摘してるけど

他の人によって「同じ本質の誤り」を逆にされることで、結果的にはどういう「誤り」なのか知ることになるんじゃないかと
真面目に求めてるなら気づけるものでしょうけどね

そうじゃないんだから、いくらやっても気づくことはなかろうけど

坂巻さん

こんばんは。

> このブログではもう議論が難しそうなので、よけらば、メールで教えていただけるも幸いです。

そうですね。
彼のブログでやるか個人的なメールでやり取りしてください。
本ブログは、身延系の話や学問の話をしてる場所ではないので
彼の言ってることや坂巻さんの求めていることにお答えできることはないと思います。
申し訳ありませんが、そうしてください。

色々と学び坂巻さんが「これ」と思えることを見つけらることを願っています。

ディスミナシオン様、論点スリカエでゴマカシは通有しませんよ(笑)

坂巻様はダマせても私はダマせませんよ(笑)。

以下、再掲しますよ↓


=============================================
坂巻様、ここまで大層なことを吐くからには、余程【カビの生えた仏教学】とやらの、
崇高な、高度な、奥深い【教義】を開陳してこの御仁は騙ってくれるでしょう♪


【騙って】頂きましょうよ、この御仁に♪

ディスミナシオンサマに【カビの生えた仏教学】の

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

を【事細かに】【具体的に】勿論【神秘主義的主張はナシ】で御高説、賜りましょうよ♪


タノシミにしておりますよ、ディスミナシオンサマ♪
=============================================


ですね、貴方はコレに沿って全く述べていない。

この説明について窮したからって、学術の見地のみでアプローチングを加えてご満悦のようですが、
私が要求してるし趣旨を完全にスリカエておりますねぇ。

では、科学や学術の盲点について簡単に論破しておきましょうかね。


まず、科学は日進月歩でどんどん進歩していくので、
その時代時代、年代年代で判断基準がクルクルとモノサシが変わって行きます。

それは人類の史実に於いてし証明済なので論外。


次に、学術に関しても同様。
これまた、その時代時代、年代年代で判断基準がクルクル変わります。

これらは総て「凡夫」が時に応じて考え出したもので、普遍ではない、ということです。


科学や学術は判断、論証の総てではない、ということを頭に叩き込んだほうがいいのでは?(笑)


逆に、科学や学術では論証・証明不可能、ということは、仏法の存在、また、
大御本尊信仰を否定したことにもならない、ということに気付けないのですから重症です。

日蓮本仏論についても同様です。

科学で完全否定できる根拠は何もないし、学術分野でも否定できる根拠はまるでない。

つまり、貴方が行ったアプローチングという名の【スリカエ】は中途半端でしかないのです、とどのつまり。


わかりましたか?


わかりましたら、コチラの要求趣旨スリカエなどやってないで、
貴方が言うカビの生えた【仏教学】(笑)とやらを学んだ結果、貴方が悟った(嗤う)、

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

を【仏教学】の観点から開陳して御覧なさい。


そして「大御本尊信仰」に対してもソノカビの生えた【仏教学】とやらの観点から完全否定して御覧なさい。


次の投稿では今回のような【ゴマカシ】は通用しませんからそのつもりで。


では。

太ちゃんさん

こんばんは。

> と、ダレかさんに同じく「揚げ足取り」のマネしてみやした(笑)
> 「外道」と他の人がすでに指摘してるけど
> 他の人によって「同じ本質の誤り」を逆にされることで、結果的にはどういう「誤り」なのか知ることになるんじゃないかと
> 真面目に求めてるなら気づけるものでしょうけどね
> そうじゃないんだから、いくらやっても気づくことはなかろうけど

まぁ、彼は信仰というものをしたことがないだろうと感じます。
創価を退転した。と自己申告していますが
創価の中ですらも真剣に活動してこなかったのでしょう。
ここにコメントいただくのは、RANBOさんや牡丹さんなど(私もそうですが)
今はアンチ創価ですが、創価にいたときは真剣に信仰を貫いていたきた人達です。
また、先日の白ユリさんもそうですが
過去にコメントをくれた創価の活動家諸氏もまた創価の信仰を貫いている人達です。
そうした人々にとって、彼の話など何の興味の対象にならないと感じます。
ただの部外者が、「信仰」をしている人を見下している。それだけです。
もっとも、そうした信仰者の皆様から見れば
その姿は「みっともない」としかうつらないのを分かっていないようです。
本物の退転者の姿を見た気がします。

追記です。

>カントやフッサールを外道として排除するのもいいでしょう。しかしそんな事をやっていると、どんどん時代から取り残されていきますよ。


では伺いますよ。

カントは

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

についてどのように言ってますか(笑)

フッサールはなんといってますか?(笑)


「時代」なんていうのは、刻々とモノサシが変化してゆきます。


そして、「科学」「学術」「時代」が【普遍】であることを具体的客観的に証明して下さい。


貴方が「モノサシ」にしてるものです。
出来ますね?

コレもタノシミにしております。


坂巻さんがみておりますから、逃げ惑い劇場は御法度です♪


では。

シンさん

こんにちは。


> ですね、貴方はコレに沿って全く述べていない。
> この説明について窮したからって、学術の見地のみでアプローチングを加えてご満悦のようですが、
> 私が要求してるし趣旨を完全にスリカエておりますねぇ。

まぁ、身延脳患者さんの特徴ですね(笑)
こういう方々って皆さん同じですね(笑)

> では、科学や学術の盲点について簡単に論破しておきましょうかね。
> まず、科学は日進月歩でどんどん進歩していくので、
> その時代時代、年代年代で判断基準がクルクルとモノサシが変わって行きます。
> それは人類の史実に於いてし証明済なので論外。
> 次に、学術に関しても同様。
> これまた、その時代時代、年代年代で判断基準がクルクル変わります。
> これらは総て「凡夫」が時に応じて考え出したもので、普遍ではない、ということです。
> 科学や学術は判断、論証の総てではない、ということを頭に叩き込んだほうがいいのでは?(笑)
> 逆に、科学や学術では論証・証明不可能、ということは、仏法の存在、また、
> 大御本尊信仰を否定したことにもならない、ということに気付けないのですから重症です。
>
> 日蓮本仏論についても同様です。
>
> 科学で完全否定できる根拠は何もないし、学術分野でも否定できる根拠はまるでない。
>
> つまり、貴方が行ったアプローチングという名の【スリカエ】は中途半端でしかないのです、とどのつまり。
>
>
> わかりましたか?
>
>
> わかりましたら、コチラの要求趣旨スリカエなどやってないで、
> 貴方が言うカビの生えた【仏教学】(笑)とやらを学んだ結果、貴方が悟った(嗤う)、
>
> ・「成仏義」
> ・「本尊義」
> ・「本仏義」
>
> を【仏教学】の観点から開陳して御覧なさい。
>
>
> そして「大御本尊信仰」に対してもソノカビの生えた【仏教学】とやらの観点から完全否定して御覧なさい。
>
>
> 次の投稿では今回のような【ゴマカシ】は通用しませんからそのつもりで。
>
>
> では。

管理人様

そういうことです。

まあ、管理人様のブログの趣旨からズレてますが、先の3点について逃げられてるので、
もうしばらくお許し下さい。



では。

No title

シンさま

お読みいただき、ありがとうございます。
ただ、私の書いた事をご理解いただけなかったようで。少し難しすぎましたか?
私は大御本尊信仰をトンデモと思っていますが、否定はできない。それは不可証命題だからです。

あなたが言っている事は不可証命題。それを私は否定していない。無茶苦茶なテキスト解釈や人文科学的方法を、日蓮本仏論や大御本尊信仰の論証としている事を問題にしているのです。

それを、本尊義を示せ!学術は相対的だ、と言ってしまうならば、大川隆法でも、スピリチュアリズムでも、六星占術でも、全てを大御本尊信仰と等価においてしまうことになるのです。
そこの危機感、持っていますか?

これでもまだわからなければ、不明点を教えてください。

また、科学や学術は、普遍的ではない、そうたいてきだとおかんがえのようですね。
これは、トマスクーンの議論からの援用かと思われますが、パラダイム理論をどのように理解されていますか?
ご教示ください。議論はそれからです。



それと坂巻様

彼が書いた駄文は、私が要求してる趣旨をスリカエてるものです。

私が要求した趣旨をよく読まれることです。


それから、立正大学の教授の論文を読むのは自由ですが、
本質的に、身延関係は、五老僧からして「習い損ね」ているのです。

その流れを組む教授が何をどう研究したところで、
初戦、習い損ねに毛が生えた程度でしかありません。

そんなもので、貴方が求めるものが見つかるといいですがね。
意味ないですが。


それと、大聖人の出世の本懐と大御本尊の関係がよくわからない、ですか。
それでしたら、日蓮正宗の法門法義教学、史実等をトコトン学ぶことです。
私は己で一から学んだ口です。

後は管理人様が言われてるように、今回のテーマは当ブログの趣旨から外れてるものです。

やりとりは、プライベートでどうぞ。

ですからね、ディスミナシオン様(苦笑)

私が問題にしてるのは、貴方は管理人様に「仏教学」を学べと偉そうに発言したのです。

そして日蓮正宗に対して、「もっとマシな教義」云々と発言している。

ゴチャゴチャのスリカエは要らんのです。

下記の私からの要求に、大言壮語を吐いた貴方が、貴方が学んだ【仏教学】とやらからその教義を開陳してくれればよいのです。

コレです↓



=============================================
坂巻様、ここまで大層なことを吐くからには、余程【カビの生えた仏教学】とやらの、
崇高な、高度な、奥深い【教義】を開陳してこの御仁は騙ってくれるでしょう♪


【騙って】頂きましょうよ、この御仁に♪

ディスミナシオンサマに【カビの生えた仏教学】の

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

を【事細かに】【具体的に】勿論【神秘主義的主張はナシ】で御高説、賜りましょうよ♪


タノシミにしておりますよ、ディスミナシオンサマ♪
=============================================



いつまでもゴマカシが通用すると思わないことです。

シンさん

こんばんは。

> そういうことです。
>
> まあ、管理人様のブログの趣旨からズレてますが、先の3点について逃げられてるので、
> もうしばらくお許し下さい。

わかりました。
シンさんも彼に質問されているなので
しばらくお待ちしますが
いい加減、彼が返答不能になった場合は
彼へのここへのコメントは拒否することにします。
自分のブログでやればいいことを
わざわざ、ここにコメント入れること自体
このブログの趣旨と違いますし
ここは掲示板じゃありませんし(笑)
シンさんが言う通り
最初から逃げ道は残してあげたのですが(笑)
まぁ、疲れない程度に相手してあげてください(笑)

再度、要求しますよ。ディスミナシオン様

では伺いますよ。

カントは

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

についてどのように言ってますか(笑)

フッサールはなんといってますか?(笑)


「時代」なんていうのは、刻々とモノサシが変化してゆきます。


そして、「科学」「学術」「時代」が【普遍】であることを具体的客観的に証明して下さい。


貴方が「モノサシ」にしてるものです。
出来ますね?

コレもタノシミにしております。


坂巻さんがみておりますから、逃げ惑い劇場は御法度です♪


では。

管理人様、了解です。

おそらく、
趣旨をすり替えた上で逃げ切りを謀り、管理人様にアク金に仕向ける心算かと思われます。

まあ、彼には管理人様から意思表示の告知がありましたので、
彼の様子次第でなさってください。



では。

ご無沙汰しております

管理人さま、横から失礼します。そしてご無沙汰しております。最近すっかりブログの更新に飽きてしまい、ほぼ消えかけていた青蓮です。
管理人さまのブログはしばし拝見しておりましたが、久々に拝見したところ、何だか凄いことになっていますね。。。

ディスミナシオンさま、はじめまして。
創価学園・創価大学を卒業した、二十代半ば男、青蓮と申します。
一連のやりとり、大変興味深く見させていただきました。

私は、創価学会は学術を無視しすぎ、というディスミナシオンさんが(恐らく)持っておられるだろう危機意識を共有しているつもりです。私も、今年の夏の数ヶ月間、ブログにて私見を発信しておりました。

私の率直な感想としては、「他の方を見下しすぎでは?」ということです。学術云々や信仰上の立場の相違はともかく、私は管理人さまやシンさまのような純真に信仰をされている方を尊敬しています(シンさま、申し遅れました、初めまして)。コメントにて言及されていた、内得信仰を貫かれている太ちゃんさまにも、多くを学びました。

ただ、ディスミナシオンさんの意見は、全く正しいと言わざるを得ません。私はディスミナシオンさんの意見を、「いくら正しい信仰でも、学術や社会的文脈を完全に無視したら、バカにされてしまうし、滅びてしまう」という警鐘と受け止めました。
確かにこの点は、私の所属教団である創価学会の諸先輩方が怠ってきたことであります。信仰の正しさと学術の正しさは違いますが、学術の重要性はどうしても疑えません。

ただ、少し言い方に問題があると思います。
大御本尊を信仰しておられる方からしたら、「大御本尊フェチ」などの表現は、非常に不快でしょう。ディスミナシオンさんの意見が正鵠を射ているが故に、これは残念な点だと思います。

「本尊義や成仏義を示せ」というシンさまの問いは、私はやや的外れだと思います(不遜な物言い、誠に申し訳ございません)。ディスミナシオンさんは、大御本尊を信仰すること自体を否定されていないからです

僭越ながら、ディスミナシオンさま、皆様にわかりやすい形で貴殿の問題意識を教えていただけないでしょうか。
貴殿の主張は正しく、非常に重要な問題意識であると認識するが故、パラフレーズして教えていただければ、実りある対話となるのではと思います。

世間知らずの若造が大変失礼致しました。

>管理人さま

出過ぎた真似をしてしまい、大変失礼致しました。もし本投稿が、ブログ運営上不都合であれば、ご消去ください。。。

>シンさま

あらためまして初めまして。青蓮と申します。このような形のご挨拶となってしまい大変恐縮です。
何も知らぬ勉強中の若輩者ですが、何卒よろしくお願いいたします。




追記

追記

ディスミナシオンさま

私はフッサールもカントも、代表作とされるものは全て読みましたので、一定程度の議論はできるかと思います。
要は、現象学的還元を行って近代西洋的な主観客観モデルを括弧に入れ、不可証命題を設定することにより信仰の座を確保し、文献学や歴史学は科学として成立させる、という話ですよね?

確かにこのモデルでしたら、シンさまとディスミナシオンさま、大御本尊信仰と仏教学が両立する世界像を描けそうです。

大変恐れ入りますが、ご教示くださいませ。

青蓮様、はじめまして。

>「本尊義や成仏義を示せ」というシンさまの問いは、私はやや的外れだと思います(不遜な物言い、誠に申し訳ございません)。ディスミナシオンさんは、大御本尊を信仰すること自体を否定されていないからです

恐れ入りますが、否定「しているか否か」ではありません。

彼は日蓮正宗の教義に対して「もっとマシな」云々との発言をした他、
管理人様に対して「仏教学を学べ」との発言をしているのです。

ですから、彼が言う【仏教学】の観点から

・「成仏義」
・「本尊義」
・「本仏義」

について御教授を要求しているのであって、わたしのこの要求は、彼の発言に即して要求しているのです。

故に私は「的外れ」な要求をしてるわけではありません。


それと、学術に基づかなければ滅びてしまう、というのは可能性として低いものです。

先にも述べたように、科学、学術、時代というのは普遍的なものではなく、それらモノサシはクルクル変わってきた歴史です。

決定的な判断材料にはなり得ません。

よって、彼の見方は正鵠を射ておらず、正しいとは言えません。

もし、彼がモノサシにしてるもので仏法の普遍性が崩れれば、仏法は「真理」ではない、ということになりますし、
そう思うならば、貴方は信仰そのものをヤメたほうがよろしいのでは?

創価学会もヤメたらよろしい。

それに、科学、学術、時代というものは総て、凡夫がある一定の観点から作り出しもの。

失礼ですが、それは本末転倒ですね。

No title

コメントいただき、ありがとうございます。

これ以上、ディスミナシオンさまに成仏義などを求めても仕方ないのでは?

前回の回答にて、ディスミナシオンさんなりの成仏義、本尊義、本仏義は述べられています(難しすぎて、理解出来たか心許ないですが)。恐らく、科学的認識と宗教的信念を一人の人間の生き方の中で共存させ、かつ個人主義的な近代社会に合う信仰モデルがその中身です。私は門外漢ですが、彼の言う仏教学、精神分析、現象学からすれば整合的に見えます。

また、「もっとマシ」な日蓮正宗教義を彼に求めると、大御本尊の教義の問題点暴露が不可欠になり、よりシンさまの怒りを買うことになるのでは…と危惧しました、ディスミナシオンさんは色々と爆弾を持っていそうなので。

ですが、ディスミナシオンさんはかなりの知識人に思われたので、より建設的な問題を彼からいただければと私は思いましたが…余計なことを致しました。

本件、私もコメントを控えさせていただきます。

管理人さま、大変失礼致しました。

No title

「貞子」クンはいろんな知識を持ってるとのことだけどね。

そんなもん僕は「ゼロ」で管理人さんとかと交流できてるのだけどね?

「貞子」クンは「ゼロ」の僕ほども価値を生み出してないという【事実】。
「貞子」クンが進めてるモノって「ゼロ」ほどの価値にもなっていないという【事実】なんよ(笑)。

わかるな?

「ゼロ」ほども結果が出てないとしたら、それはもう全く価値がない(ゴミでしかない)という、幼児でも理解する話だと思うけどね。
幼児ほども理解力がないって、そりゃもう~普通は相手したくないですがな(笑)。

ところで、スルーしたい様子だから(笑)
以下を待ってま~す!!


>学術には興味ない、だったら本尊を示せ!という開き直った態度では、大川隆法も論破できないですよ。<

【大川隆法も論破】できるんですね!!

すげーーーー宣言!!

ホレなおしたぞい♪

【大川隆法も論破できないですよ】と豪語できるなら、ぜひとも『大川隆法と直接対論』してください

結果を待ってま~~っす!

【大川隆法も論破】の様子をYouTubeにアップしましょう!

青蓮さん

こんにちは。

> 管理人さま、横から失礼します。そしてご無沙汰しております。最近すっかりブログの更新に飽きてしまい、ほぼ消えかけていた青蓮です。

時折、青蓮さんのブログを覗いていましたが更新がなく仕事が忙しいのかな?と思っていました。

> 管理人さまのブログはしばし拝見しておりましたが、久々に拝見したところ、何だか凄いことになっていますね。。。

単なる迷惑行為以外の何者でもないのですけど。

> 出過ぎた真似をしてしまい、大変失礼致しました。もし本投稿が、ブログ運営上不都合であれば、ご消去ください。。。

いえ、全然構いませんよ。
青蓮さんと彼とは同じ様な主張ですが、青蓮さんと彼では見ている方向は全く違うと感じてます。
彼には「惹かれる」ものがないのです。ですから興味がないと最初から書いてます。
青蓮さんとは違います。少なくとも青蓮さんには「惹かれる」モノがありました。
そもそも、「日蓮本仏」を根本とする宗派は正宗系しかありません。
多くの他宗がそれを否定するのは事実です。モチロン世間一般にも仏教と言えばお釈迦様です。
しかし、仏法と言うのは「多数決」ではないのです。
多数決で有れば、仏教よりも、イスラム・キリスト教の方が人数が多い。
大聖人の文書を「御書」と呼ぶのは日興門下。
学者や身延は「遺文」といいますね。
もう、この時点で大聖人の文書に対する読み方の違いが明らかなのです。
ともあれ、青蓮さんなら彼と意義ある対話ができるでしょう。
ただ、このブログの多くの読者の方や私には全く無意味なのです。
本来彼の主張は彼のブログでなされるべきです。
ここに書きこむことは迷惑行為なのです。
ですから、青蓮さんとの対話の続きは、青蓮さんブログもしくは彼のブログで思う存分やってください。
もっとも、これ以上の迷惑行為を続けるのようならば
彼のコメントは全てブロックするつもりですのでここでの対話はできなくなりますが。
もう、何度も書いていますが
彼が何を学び何を主張しようとも、本当に何の興味もわきません。
ご自由に。と言う事です。
だたし、ここは私のブログの中なので好き勝手にしないでください。と言う事です。
青蓮さんや坂巻さんと話したいなら、余所でやりなさい。と言っているのです。
ご理解いただければ幸いです。

青蓮様

>これ以上、ディスミナシオンさまに成仏義などを求めても仕方ないのでは?

いいえ、彼は管理人様に対して「仏教学を学べ」といい、「身延派日蓮系の研究書を読め」と、
【偉そう】に発言し、また、日蓮正宗の教義についても、「もっとマシな教義」
つまり、「教義体系構築を怠ったからロクでもない教義だ」とコレまた【偉そう】に発言をしたのです。

であれば、教義の根幹を為す「成仏義」「本尊義」「本仏義」について、
彼がノタマウ【仏教学】とやらを開陳して披瀝する要求を私からされても致し方ありますまい。

それをナンノカンノと逃げ惑い逃げ散らかし劇場を演じて、
あれだけ、「坂巻様も見ていますよ!」
「以上3点、仏教学から御教授できなければ、ただの【ピエロ】ですよ」
と釘を刺して置いたにも拘わらず、案の定、逃げ回っている有り様です。

私はそういう姑息な真似をする人間を見逃すほど、人間出来ておりませんので、
徹底的に追及します。



>前回の回答にて、ディスミナシオンさんなりの成仏義、本尊義、本仏義は述べられています(難しすぎて、理解出来たか心許ないですが)。

貴方も坂巻様同様、彼にダマされた口ですか?

いいですか、上記に書いてあることを何度でも理解できるまで読み返して下さい。

彼が述べたのは、私が要求した趣旨を完全に【スリカエ】て、
己が批判している日蓮正宗の「大御本尊」「日蓮本仏論」にスリカエて、それも、彼がノタマウ【仏教学】からではなく、
時代、科学、学術という、全く仏教学の「ブ」の字すらない、しかも普遍性もない、
モノサシがコロコロコロコロ変遷するものを持ち出して得意満面でご満悦。

私はね、そんな姑息な【スリカエ】なんぞに誤魔化されるほど、甘くないのです。




>恐らく、科学的認識と宗教的信念を一人の人間の生き方の中で共存させ、かつ個人主義的な近代社会に合う信仰モデルがその中身です。私は門外漢ですが、彼の言う仏教学、精神分析、現象学からすれば整合的に見えます。

ですから、そのモノサシは普遍的なものですか?

その観点からすれば、その「モノサシ」に整合性は皆無です。

それと、青蓮様はそう思うのであれば何故、創価学会員として「信仰」教団にいるのですか?

「迷いの凡夫」が作りし「科学」「学術」「時代」に重きをおいているのであれば、
もはや、貴方に信仰は無用のモノです。

我々大聖人の仏法を信仰してる者がモノサシにしなければならないのは、
「仏様の教え」であり、「御書」であり、帰命の対境の「御本尊」であり、
突き詰めれば、御本仏様の御当体たる【一大秘法の事の一念三千の当体であり、本尊の体】です。

それを「迷いの当体」である凡夫が凡眼凡智で作りし【普遍性がない】科学や学術、時代を
仏様の仏法を、たかが、凡夫の分際で己の凡眼凡智を納得させるべく、
それらをモノサシに用いる、というのは、
夕べも言いましたが、本末転倒の思考なのです。

それでも、それら科学学術時代でないと納得出来ない、のであれば、完全に貴方の信仰感は自己矛盾に陥っておりますし、
最早、仏法に対して「信」すら失っておりますから、同じことを主張されるのであれば、
信仰も、創価学会も、完全にヤメてから出直して来てください。

でないと、筋が通りません。



>また、「もっとマシ」な日蓮正宗教義を彼に求めると、

これも誤読ですか。ヤレヤレです。

違います。
彼は日蓮正宗の教義より、【仏教学】の教義が「マシ」だと主張しているのです。

であるから、彼の言う【仏教学の観点】から、教義の根幹である「成仏義」「本尊義」「本仏義」を開陳しなさい、
と要求しているのです。

私からすれば、たかが、日蓮正宗の書籍をナナメ読みした程度の彼は【なんも解っておりません】。

そんな彼に日蓮正宗の「マシな教義」を求めたところで時間のムダです。

大聖人の教義に外道の教えを平然とごちゃ混ぜにして、それが、時代にマッチしたものだ、
それをしないと時代に取り残されるとノタマウのですから開いた口が塞がらんとは、まさに、この事をいうのです。

彼に関しては、本当に【無惨】の一言で事足ります。




>大御本尊の教義の問題点暴露が不可欠になり、よりシンさまの怒りを買うことになるのでは…と危惧しました、ディスミナシオンさんは色々と爆弾を持っていそうなので。

私相手に「遠慮」は【無用】です。
持ってるもの出してもらって一向に構いません。

ていうか、え?私は貴方に「心配されてる」のですか?(笑)。

ここは、「ありがとうございます」なのでしょうな。



>ですが、ディスミナシオンさんはかなりの知識人に思われたので、より建設的な問題を彼からいただければと私は思いましたが…余計なことを致しました。

知識をひけらかしてご満悦の彼なんでしょうが、私から見れば、彼には申し訳ないですが
【非常に薄っぺらい】
です。



>本件、私もコメントを控えさせていただきます。

そうですか。
ですが、管理人様は貴方には彼の薄っぺらさには無いものを感じてるようなので、
管理人様とはお話することをお勧めします。



では。

はっつぁん、熊さん

  読んでて、胸やけするような応酬が続いてますね(笑)

 売った喧嘩を片方が「買わない」と言ってるのに、何が欲しくて通い詰めておられるのか、はなはだ不明ですな。

 基本、対話になってなさそうだし、かろうじて感情をセーブしつつのやりとりのようなものにしかみえません。 ま、慇懃無礼な感じね。。

 共通(共有)の言語が成立していないので、どうやら、まずそれを組み立てることを要求し続けてらっしゃるディスミナシオンさんは、仮に宗教的命題・主張であっても、哲学的・学術的遺産の地平(フィールド)からの論攷を受け、それに耐えうる努力をすべきだと、そしてそれは可能であり、有効であり、また責任であるというふうにおっしゃってるように理解はできます。 私などはそんなレベルで読んでます。 さらには仏教学の位相では「日蓮研究」や増して、
「日蓮本仏論」が異論であり、それはまさに論及しつくされており、そういう事実(事態)を知ってか知らずか、ここで様々な現象面や教義の上からやりとりされてることが、ナンセンスの極みであるとお考えのようです。

 それはそれで結構なんですよ。 いいんじゃないですか?

 だけど、管理人さんを始め、この議論に参加した方々に、それもあなたの「仮説の立証」のためにいちから哲学からあまたの日蓮研究の講義でもなさっていくおつもりなんですか? 大のおとな相手に啓蒙を・・?

 学究の徒あいてならまだしも、こちとら忙しいんだよね、と言っては身も蓋もないけど、それこそ信心をするということとは、基本的に動機としても、それこそ位相がもう違ってるのね。

 あなたからすれば、理法だの文証だのと語っていっても、たかが知れてて、可笑しくってしかたがないのでしょうけど、それが我々に付与されたカテゴリーなのであって、日蓮を信心することは、まさにそれであり、そのためにわざわざ古今東西の哲学や思想史やどなたかの日蓮研究から始めなければ、信心は成立しない!とかいうのは「迷惑このうえない」し、そんなことを要求されたら、そもそも、はっつぁん、熊さんをどうやって救うのかなあ。。と思ってしまいます。

 なんとかローン契約をして家を建てるのに、床柱からネダの材質や耐久性、妥当性からを「施主さん」が研究しなくちゃいけないのかなあ。。

 施主さんにしてみれば、建設会社の評判や実績、予算の範囲という限定性を承知で、最善の選択をするだけ。  いわば「信用」からスタートするのがせいぜい。

 あなたにとっては、最優先事項であっても、世の多くの民草はそうはいかないのですよ。

 そこが優しくないなあと思ってしまいました。平易じゃないものね・

 そして、最初に「あなたの仮定」と書きましたが、これがもしも あなたの「目論見」だと置き換えた場合、これは手法としても、受け入れられていませんね。

 私はむしろあなた様のお題目(唱題」の歴史(つまり信心の格闘)の結果を語ってほしいなと思います。  どうだったのか、、ということです。

 ダメならどこがどうダメだったのか、 あなたの五陰がどう変化したのかしなかったのか、、とかね。

 それらが見え隠れしたままなので、宗旨替えなさった精神的推移やその苦闘や理由が見えませんでした。  平易にいえば「生の声」ね。

 このままじゃ、ただの「カチコミ」に過ぎず、時間の浪費じゃないのかと感じてきました。

 私などは、くどいけど「はっつぁん、熊さん」でも幸福感を得られ、それがこの娑婆で元気よく生きていけることこそが、宗教の基本的使命だろうと思ってますから。

 お願いですから我田引水の徒労をお察しになって、ご自分のところで同好の士を集め、「散種」なさったが善かろうと存じます。 プラトン好きな方もいらっしゃるでしょうからそうなさって下さいね。

 

 
 

RAMBOさん

こんにちは。

全く仰る通りです。
釈迦でも大聖人でもいいですが、その教えが
いちいち、現代科学哲学の理論や考え方を学ばなければ理解できないのであれば
おじいちゃん、おばあちゃんや、小学生には到底理解できず
ある水準の頭脳、ある水準の教育を受けた人間にしか理解できないものとなります。
そうした水準がある人は成仏してそれ以外は不成仏。
まさに、二乗そのものです。しかし仏法では二乗は永遠に不成仏なんですよね。
そんな屁の役にも立たない理論をぐずぐず言っているのは
「どう?俺ってかしこいでしょ」と言いたいだけであり
周りから見れば「ばか丸出し」の中2病です(笑)
そもそも、仏法と言うのは仏の心の中に存在するものであり
彼自身が言っている「神話界に属する、すなわち不可証命題に属する」ものなのです。
不可証命題である以上、どんなテキストを使用しても「不可証」なのです。
何かのテキストで「反証可能」であるならば「不可証命題」とは言いません。
この部分で既に彼は、ばか丸出し、自語相違をきたしているのです。
彼のやっている事は、単なる文献学で「これはホンモノ」だからテキストになる
「にせもの」だからテキストにならない。
と勝手に「不可証命題」のテキストを決めているだけで
「命題」を立正する事ではありません。
「具体的な本尊とは何か」  「不可証命題」なので反証できない。
そう、大聖人の御書をどれだけ学問的に研究しようが
大聖人の心は分からない。それは心は、彼の言う「不可証命題」であるから。
我々は、そんなことはとっくに分かっているのです。
だからこそ「信じる」わけです。
永遠に「不可証命題」について研究して主張するわけです。
モチロン、それが趣味なのでしょうからそれを非難はしません。
ただ私は、そんなバカそんな研究者に興味の欠片もありません。

てか。

迷いの凡夫が御本仏の御境涯や深甚の法義法門など、
到底理解し尽くせるものではない。

御本仏の御当体は事の一念三千の当体にして完全体の御境涯。

それ故に迷いの当体である我々凡夫は完全当体の御本仏の御当体に帰命して、
基盤界(人によっては基底部界)の仏界を開いてその基盤界にて成仏を遂げ、
上位界を同じように基盤界として仏道修行を行って、その基盤界での成仏を目指す。

そういう過程を経て今世になるか、来世以降持ち越しになるか、
それはいずれにせよ、その凡夫の当体の境涯次第ということになるにしても、
御本仏の境涯に自身の当体が辿り着いてないものを
御本仏の御境涯、並びに、仏力法力を、たかが、迷いの凡夫が窺い知るのは到底不可能。

それを、仏教界各宗は当然、論外なのは至極当然であるにしても、
それは身延派、並びに、各日蓮宗各派も全く同じの上に、
しかも、身延派日蓮系、それも、いくら「僧侶」の恰好をしていようと、
未灌頂なのだから、私から言わせれば、【在家】が「僧侶のコスプレ」をしてるとしか見えないし、
更に言えば、今の身延派並びに日蓮系の各派は、上古の狂祖である五老僧らからして
退転しておって、しかも、習い損ね。

それは彼ら五老僧らの当体が持ち合わせていた過去世からの「因縁」と「罪業」、
大聖人との過去世に於ける関わりの度合いなどなど、
彼ら五老僧らは『習い損ねるべくして習い損ねた』のです。

彼ら五老僧ら一派は、他の大聖人の在家信者と違い、
確かに、大聖人からすれば「内弟子」であっても、
御師匠様の大聖人から親しく直接御教示を受けることができたのは、「佐前」前まで。

しかも、佐前に於いては大聖人は未だ内証に秘されていた一大秘法を顕現せられた
『発迹顕本』以前により、当然、佐前前までに御本尊御図顕も遊ばされる時機ではないが故に、
大聖人が佐前前まで弟子檀那に御教示あそばされていた法門法義の内容は、
『下種仏法法門』を本格的にお説きあそばされるための準備段階として、
「釈尊脱益法門」を導入学として御教示あそばされておられた。

ところが、佐前まで五老僧のみならず、興尊も親しく大聖人より御教示を賜ることが出来たが、
文永8年松葉ケ谷の草庵を幕府方が襲撃して、大聖人は観持品二十行の偈を身読あそばされ
竜の口の頸の座、所謂「竜の口の法難」により内証にて一大秘法を顕現あそばされて
発迹顕本を成就あそばされた。

そこから、寺泊を経て佐渡配流。

こうして、【興尊以外】、本土の鎌倉に残された弟子檀那たちは、これを機に永久に
大聖人から親しく直接御教示を賜ることが無くなり、
配流が赦免後、佐渡から鎌倉にお戻りになられるも、数か月で鎌倉を出立なされて身延御入山。

これより後、佐後に於いては鎌倉の草庵を命ぜられた五老僧らは、
身延に登山する時以外、親しく大聖人より、「触り程度」の御教示は受けたであろうが、
甚深の『下種仏法法門』の御教示を賜ることは無かった。

それ故に五老僧らは、大聖人が末法の御本仏であり、
久遠時に於いては釈迦であったことが全く理解できず、
結局は、「日蓮上人は上行菩薩の再誕で日蓮大菩薩」という認識しかなかった。

そもそも、御本仏の御当体が無始無終にして三世常住であり、
時(教化の対象の機根)に応じて教化教導の為に、
御本仏の御当体が生身の外用を伴って時時に於いて出現されてきたが、
御本仏の御当体たる事の一念三千の当体は、この法界に於いては御本仏の御当体のみであり
教化の為に出現せられる如来(仏)は教化の仕方はその時時に於いて違いはあれど、
総て、【同じ御当体】なのであり、その姿は、一見、釈迦とは別の、しかも、劣る仏に見えても、
それは生身の凡身の身体の外用で解釈するから間違うのであり、
当体はどの仏も、釈迦も、大聖人も総て、内証は同じ御当体なのである。

それが全く理解出来ない身延派日蓮系各派は、仏宝を釈迦として本仏扱いし、
大聖人を僧宝に据えて「日蓮大菩薩」と称するのである。

愚かなことだ。

その【習い損ね】の五老僧一派を派祖とした日蓮系各派の後世の〝コスプレ坊主〟や
そのガッコの教授らが研究したところで、『習い損ね』をベースにした幼稚法門であり、
その幼稚法門は釈尊が説いた「釈尊脱益法門」と
大聖人がお説きあそばされた『下種仏法法門』を完全混同したモノ。



そこへ、彼(か)の、創価学会にて大作外道混入講義を教えられたディスミナシオンなる御仁は
しかも、他宗他派の【仏教学】が「本道」だと思い込んでいる(笑)。

外道のカントやらなんやらを、天台三代座主慈覚が真言を法華に取り入れたように、
取り入れてごちゃ混ぜにして「これが正しい在り方の時代だぁー!」と御満悦♪


折角、日蓮大聖人の仏法に縁して信仰できる環境に居たのに慢心をおこして退転し、
自ら、追えない蝿を追えてると思って、どんどん、アサッテの方向にベクトルを向けて
【ゲラゲラポー】のイッチョあがり♪


どうせ、得意気に【騙って】た「ブッキョーガク」に於ける
教義の根幹である「成仏義」「本尊義」「本仏義」の
【事細かに】【具体的に】【神秘主義主張ナシ】の説明も期待してもしてもらえそうにないし。

「大御本尊信仰」に対しても【ブッキョーガク】で完膚なきまでに破折してくれるのかと思いきや、
私の要求してる趣旨を殊更【スリカエ】て反論してくれたみたいだけど、
普遍性のない凡夫が作り出した「科学」「学術」「時代」というものの見解で発狂してくれたものの
【ブッキョーガク】の「ブ」の字すら出てこない(笑)。


「ブッキョーガク」をあれだけ騙っていたのに(笑)、
仏教学の範疇だと思っていた大聖人の御法門諸共、仏教自体をも完全否定して、
最早、オノレがナニを騙ってたのかもワケワカメになってしまったよ。

で、そんな彼のモノは、「危機感を持ってますか」と私に問いかける。

ハッキリ言って、【デッケーお世話】っすよ♪(笑)


事あるごとに大聖人の仏法が『下種仏法』だと教えてあげてるのに、
意味、わっかんないみたいよ、彼(か)のモノ。

この日蓮大聖人の信仰は、迷いの凡夫のアタマで理解すること、させることが目的じゃないの♪


下種なの下種。

ま、いいですわ。


どうせ、オノレが理解不能なことを棚上げして「神秘主義」だと泣くだけなんですから。


もう、用済みです、ア・ナ・タ。



ということで、管理人様。

彼(か)のモノが次回、彼(か)のモノが大言壮語を吐いた「ブッキョーガク」における
「成仏義」「本尊義」「本仏義」のゴセッポーの説明がなかった場合は、
その時点でアク禁で応えてあげて下さいませ。


では。
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ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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