今週の言葉(2016年10月24日)への雑感

任用試験に挑む宝友へ
皆で真心のエールを!
仏法への入門は
幸福博士の大直道なり。
生命の最高峰へ共々に!
@@@@@@@@@@@@

また今年もやってきましたね~任用試験。
弘安二年の大御本尊が出世の本懐と教えたかと思えば
翌年には、全く別のことを教えたみたりと
受験した年によってご本仏の出世の本懐が違っちゃうという
とてもお粗末で適当な試験の季節がやってきましたぁ。
そんなクルクル言っていることが変わる創価教学のなかで
唯一、ず~っと変わらないのが
「日顕宗を破す」という項目。
これだけは、なにはなくても必須科目なようですね。
しかし、あれだな。
任用試験というのは、先日コメントをくれた
「はすこ」さんのような組織に出始めたばかりの会員さんや
会友さんと言われる、外部の人も受験する試験だよね。
その試験に「日顕宗を破す」なんて項目があっていいものなのかね?
そもそも「日顕宗」なんていう宗派はないのに
ご丁寧に「なぜ日顕宗というのか?」という講義までして試験するんだもんなぁ。
しかもだよ、日蓮正宗とは無関係な団体です。って言っておきながら。
日蓮正宗とは無関係だが、日顕宗という宗派とは関係あるってことかいな。

で、このようなことを「教えられる」
外部の人や、はすこさんのような会員さんは
一体どんなふうな気持ちで
「日顕宗を破す」なんていう必須科目を学んでいるのだろう。
それが仏法への入門であり、
幸福博士の直道であり
生命の最高峰であると思っているのだろうか?
だとしたらとんだ勘違いだよ。
そもそも仏法の初門とは、アニメのなかで一休さんがいう「ナムサン」だよ。
「ナムサン」とは「南無三」と書き、「南無三宝」のことで
「仏宝」「法宝」「僧宝」の「三宝」に南無する。
これが仏法の初門。これがなければ何を学んでも「入門」することはできない。
しかし、創価教学での「日顕宗を破す」では、
正宗が僧俗差別をするのは悪だと教える。
つまり、僧侶は不要というのが創価教学のいう民衆仏法とやらの思想なんだよな。
そもそも「民衆仏法」なんて言い方自体おかしな話で
民衆が好き勝手に決めるのは、民衆法であって仏法じゃないし。
まぁ、そんな「僧侶不要論」は「僧宝否定」につながる。
大聖人仏法においては「三宝一体」であるから
「僧宝否定」はそのまま「仏宝」「法宝」否定となる。
「三宝否定」は大聖人仏法のみならず、大乗仏教ですら否定していることになる。
仏法への入門どころか仏法からの破門だな、これじゃ。

「御本尊はすでに三宝一体だから御本尊を信じていれば僧宝否定にならない」
な~んていう活動家さんもいるが
一体なにゆえそうなるのか?全然わからない。
そもそも、三宝一体の体とは仏の体だ。
仏宝に法宝も僧宝も含まれるということは以前書いたと思うが
大聖人仏法における仏の体とは大御本尊に他ならない
それ以外の御本尊は分身の仏だ。
本仏がそう何万人にいるわけない。本仏は一人である。
ゆえにその体も一つである。
それが戒壇大御本尊である。というのが大聖人仏法の根本義だ。
その仏の本体を受持せずに、分身だけ受持することが正しい受持であるわけないだろう。
分身は本体が無ければ存在しないが、
本体は分身がなくても存在する。
いくら本体と同じ力があっても、分身は本体あってこそ存在できるのである。
その本体を捨てることは、分身も消えるといことだ。
テレビや漫画だって、
「分身の術」が破られるのは
「本体を見破られて本体を攻撃されるから」だ。
サスケもウルトラセブンも北斗の拳も男塾も・・etc・・
全てそうだろ?それ以外の方法でどうやって「分身の術」を破るんだ?
その本体を自分たちで捨てておいて、
「三宝否定はしてません」って・・
どの口がいう?この口か?この口なんか?
そんなわけで、戒壇大御本尊を書写した本尊以外に本尊がない創価が
その根本を捨ててしまえば、そこにある分身はもはやないに等しい。
そこにあるモノは、だたのモノ。
まさに、池田センセのいう「ただのモノ」であって
三宝一体の体などではない。
要するに、創価には「仏様はいない」のである。

仏様がいない以上、創価の教学試験などは「仏法への入門」などになりえない。
ただの創価の教えであって、大聖人の教えじゃない。
大聖人の御書を悪用し、
人々に仏法だと思わせ、
幸せになれると騙して、
創価の教えを普及しているに過ぎない。
任用試験を作る側が、仏法から(正宗からでなく)破門された人たちだ。
他人に試験をする前に、まずは自分がキチンと学べ。というわけだ。

まぁ、そんな任用試験を「幸福博士」への直道だ。
なんて思える活動家さんたちは
ある意味、オメダイくて幸せな方々だとは思うが
俺は、そんな「おめでた博士」
「お笑い博士」にはなりたくないな。
俺は、芸人じゃないからな。

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No title

こんばんは!任用試験と青年教学三級は、受けたことがあります。
日顕宗のところは、うーん、なんか色々あったんだなあ!という具合で、あまり印象に残っていませんでした😅笑 単純で馬鹿にされてしまいそうですね…😭
三宝に関しては、自分の勝手な解釈ですが、別に僧侶さんである必要はないのかなあと思っていました。三宝は、民衆がちゃんと成仏できますように!そのためにはこの三つさえ大切にしていれば、大丈夫なんだよ!と考えて、よく仏法学んでいる僧侶にちゃんとついていくんだよ!というメッセージなのかなあって。
創価学会は、組織や書籍など、一人一人が学べる環境がもう整っているから、僧侶をあえて敬う必要はなくなったのかな?と思いました。
うーん。なんだか頭が悪そうな文章ですみません😭みなさん色々な視点から仏教を学んでいるようで、おもしろいです。

はすこさん

こんばんは。

このブログは、アンチ創価だから読んでで嫌な思いもするでしょうに
こうしてコメントを書いてくださる気持ちに感謝しています。

> こんばんは!任用試験と青年教学三級は、受けたことがあります。

そうでしたか。それは失礼しました。

> 日顕宗のところは、うーん、なんか色々あったんだなあ!という具合で、あまり印象に残っていませんでした😅笑 単純で馬鹿にされてしまいそうですね…😭

本当に創価が宗門から独立するには、この「日顕宗」なる亡霊をなくさない限り無理かな?と思います。
まぁ、これをやっておかないと、創価から正宗に移っちゃう会員が増えそうで怖いのかな?って感想です。
せめて、日蓮正宗といえばいいのですが、「日顕宗」なんていつまでも言っている方がマイナスだと思うんですよね。

> 三宝に関しては、自分の勝手な解釈ですが、別に僧侶さんである必要はないのかなあと思っていました。三宝は、民衆がちゃんと成仏できますように!そのためにはこの三つさえ大切にしていれば、大丈夫なんだよ!と考えて、よく仏法学んでいる僧侶にちゃんとついていくんだよ!というメッセージなのかなあって。

創価は僧侶自体いらない。という流れなんでそれでは仏法じゃなくなっちゃうのかな?って思います。
はすこさんに教学を教えてくれるのも学会員だと思います。凡夫同士でだけで間違いなく仏法を学べるのか?というのも疑問なんですよね。そしてなにより根本の僧宝とは大聖人のことであり、大聖人とは大御本尊のことなのでそれを受持しないのは「僧宝否定」になっちゃうんですよね。

◆皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし(新池御書)

> 創価学会は、組織や書籍など、一人一人が学べる環境がもう整っているから、僧侶をあえて敬う必要はなくなったのかな?と思いました。

大聖人仏法における僧侶の一番の意義は大本尊を守る。ことなんですね。大御本尊がなかったら、はすこさんの家の御本尊様もなかったわけですから。大聖人依頼ずっと大御本尊を守ってきてくれたことに対して敬い感謝する気持ちが大切だと私は思います。
もう、組織もしっかりしたしあとは自分たちでできるのであなたたちはいりません。といのはどうなのかな?って思います。
それならば、池田名誉会長を敬う必要もないのではないか?と思うんですよね。

> うーん。なんだか頭が悪そうな文章ですみません😭みなさん色々な視点から仏教を学んでいるようで、おもしろいです。

全然、ちゃんとした文章ですよ。
まぁ、あまり気分も良くないでしょうが、たまにはこの拙いブログを読んでやってくださいね。
わたしも、はすこさんのブログはしっかり読ませてもらってます(笑)

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

本当に日顕宗日顕宗ていつまで言う気なんですかね(笑)
もしかしたら創価のことだから、宗門とかから何か言われた時に、正式な法人名である日蓮正宗だと創価が不利になるかもしれないから、架空の名前の日顕宗で通してるかもしれませんね。
創価得意の逃げ道をつくっておくみたいな。そんな気がしました。

とにかく、創価がいう日顕宗を破すの内容は以前にも破折されていたと思いますが、法華講の方に言ったら笑われて一刀両断されるものですからね。
まともに法華講の方と対論なりするんならいいですが、家や会館にきたら警察を呼べですからね(笑)バカじゃないかと。

大聖人を悪しく敬い、破滅の道へ着実に進んでいる今の創価。
我が地域は祈りが叶わないのか、ここ最近頻繁に長時間唱題会を開催しているようです。心を合わせて報恩感謝申し上げている永遠の指導者のセンセーが中々祈りを叶えてくれないみたいです。

管理人様

いろいろ聞きたいことがありすぎて、長文になってしまいましたれ😭ひまなときに読んでください!

目的が攻撃することだけの、悪意から書かれた文章は嫌いですが、少なくとも管理人さんの根底には、こっちを信じた方が、幸せになれるよ!という気持ちがあるような気がしたので、そんなに嫌な気はしません😄他の宗教の話を聞くときも、同じ気持ちです。なんでその人がその考えで幸せだと思うのか、とにかく興味があるんです。

それに、組織だと、創価学会の教学をそのまま信じるように学びますが、疑問をもった人の視点を聞くと、たしかに自分もちゃんとわかってなかったと気づけて勉強になります!

いくつか質問があります!

僧宝について質問があります。凡夫同士で学ぶことになってしまう、たしかにそうだな、と思うのですが、では僧侶は他の普通の人たちより優れているのでしょうか?僧侶は悟った人のことをいうのでしょうか?もしそうだったら、なにをもって他の普通の人と区別ができるのでしょうか?

あと、私はそもそも大御本尊についてよく知らないのですが、それっていつも私達が拝んでいる御本尊の元になったものですか?それを拝まないと、本当に成仏ができないということでしょうか?

どこかの御書で、声が大切、声に出して唱えることが大切というような、ことが書かれていたと思うのですが、あのように掛け軸に文字として印されているものを大切にすることが大事!というのは、どこか御書に書かれていますか?

拙い文章ですみません💦
いつも丁寧に返信くださるので楽しみにしています!

こんばんは
南無三ってそういう意味があったのか…( ̄0 ̄;)しらなんだ。

仏法僧は任用試験の時ならいましたよ
そんときはちゃんとしてましたけどね、
あの頃教学を教えてくれた部長や本部長はどうしてんだろな~?
なんとも思わないんだろか…(--;)
壮年部行ってみんなに嘘を教えているんだろうか

草木成仏口決

管理人様

久しぶりにアクセスして驚きました。
大変な事になっていますね。
「対話を求めて」のようなコメント数で夕方から読んでいました。

さて、本記事はいつものように
読者さんが研鑽できるコメントが
寄せられる事を願います。

記事で触れられた「御本尊はモノ」発言についてですが
先日、「草木成仏口決」の御書講義が御住職様からあり、
今更ながら「モノ」発言は、悩乱の極みであることを確信しました。

何ゆえ御板や紙幅の御本尊様が生身の仏様になるのかが、
池田名誉会長を始め今の学会員には解らないんですね。
有情、非情成仏も解らない。
死骨成仏はもっと解らない。

「日蓮がたましいを墨にそめながし」の御文も、結局は解っていないことを露呈しています。

「草木成仏口決」は開目抄を現される前にお説きになられた重要な御法門です。
学会員読者の皆様におかれては、ご自分で御書を開かれる事をお勧め致します。

『当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり』(草木成仏口決)

ここ数日、コメントの端緒となられた方々は、すでに大聖人様から一蹴されてましたね。

だれに言うとなく(RAMBO独白)

仕事と飲食を兼ねながら、寝ればいいのにまだ書こうとしているRAMBOはいつまでも大人になれない恥知らずなじじい・ と前置きしておいて。。

 任用シケンですか。 前にも書かせて頂いたから、経験談ははしょります。

 ニッケンシュウってもはや死語だろうと思ってたのですが、下手すりゃ
SGI言語になってたりします?

 ともかく創価の歴史は 絶えず「敵」を作りながらの結束促進でした・

 今じゃみんな驚くだろうけど、その昔は「自民」は「国家権力」のまさに当体であったのです。  そう、創価は反権力であり、永遠に庶民の味方、とか言っててね・

 それを時代の趨勢がどうのと言いながら、徐々に そう、少しずつ、歩み寄っていきました。  また、日顕宗がどうのと言うのなら、「ソウカの歴史(正史)を第五問にすえて正直な本音を出題すればよろし。 

 私(じじい)から見れば どこをどう考えたって、変わりまくり!の創価史ですよ。   後代の若い人たちがなにも知らないからといって、あまりにも、いい気になりすぎですね。 それを試験問題にするなんて、MCとしか言えないね。

 一言でいえば、うそばっか、、、  私でも判るんだから、大聖人様にはとっくに、見抜き見通しですよ。  

 よく批判的な立場の方々が言う言葉・
 
 「吐き気がする」云々・・ね。  生理的に嫌悪感が湧くんです。

  その感覚こそが健全である証拠です。  

 教学試験にこだわって言えば、昔の「正解」が今では「誤答」になっちゃうなんて・・・  変われば変わるものです。(泣

 法盗人という語句が御書に出てきますが、「諸宗は本尊に迷えり。。」ともあるように、創価は今では「本尊」を盗み、教義を盗み、会員も盗み、ついでに「金も。。。」   おっと思わず品性を欠くところでしたが、、

 私には経験則と時系列に基づいたコメントしか書けませんので、ご容赦下さいませ。

 私が信じ、好きだった創価は 今はもうどこにもありません。
 人生のバックボーンと信じ、世界を平和にするために、池田創価の指導を必死に覚え、いのちに染み込ませようとまでした、「あの創価学会」は 地上から消え失せました。 

牡丹さんと気脈が通じるような気がする私は、「はすこさん」のことが心配でたまりません。  まだ間に合う。。  そう信じつつ、祈りつつ、今夜は電源を切ります。 みなさん おやすみなさい。

 

 

 

Re: 考え過ぎ?

そうですね。考えすぎと我慢は身体によくないです(笑)
まんまでいきましょう。

現役男子部さん

こんにちは。

> 本当に日顕宗日顕宗ていつまで言う気なんですかね(笑)
> もしかしたら創価のことだから、宗門とかから何か言われた時に、正式な法人名である日蓮正宗だと創価が不利になるかもしれないから、架空の名前の日顕宗で通してるかもしれませんね。
> 創価得意の逃げ道をつくっておくみたいな。そんな気がしました。

訴訟対策ですか?でも明らかに正宗の事言ってるので、裁判したら負けますね(笑)

> とにかく、創価がいう日顕宗を破すの内容は以前にも破折されていたと思いますが、法華講の方に言ったら笑われて一刀両断されるものですからね。
> まともに法華講の方と対論なりするんならいいですが、家や会館にきたら警察を呼べですからね(笑)バカじゃないかと。

そうなんですよね。破折になっていなのがイタイですよね。
それを鵜呑みにする活動家さんもどうかと思いますが。
まぁ、創価活動家さんでは対論は無理です。
根拠のない現証論を言って終わりです。なんだか顕正会のようですね(笑)

> 大聖人を悪しく敬い、破滅の道へ着実に進んでいる今の創価。
> 我が地域は祈りが叶わないのか、ここ最近頻繁に長時間唱題会を開催しているようです。心を合わせて報恩感謝申し上げている永遠の指導者のセンセーが中々祈りを叶えてくれないみたいです。

センセは「信心は自己責任」とおっしゃられているので、祈りを叶えるどころか聞いてもくれません。
(ていうか、言葉が聞こえる状態にあるのかも微妙です)

元創価班さん

こんにちは。

> 南無三ってそういう意味があったのか…( ̄0 ̄;)しらなんだ。

邪宗の一休さんですら、「ナムサンだぁ~」って言ってます(笑)

> 仏法僧は任用試験の時ならいましたよ
> そんときはちゃんとしてましたけどね、
> あの頃教学を教えてくれた部長や本部長はどうしてんだろな~?
> なんとも思わないんだろか…(--;)
> 壮年部行ってみんなに嘘を教えているんだろうか

それそれ、そこですよ。
私と同世代はいまや壮年部の中心的年代。
男子部時代に、「戒壇大御本尊を信じて」とか
「五座三座の勤行を出来ないヤツは信心をしてると言わない」なんて
散々、指導カマシテおいて、いまとなっては
「謗法の体石寺にある大御本尊なんて受持の対象にしないのは当たり前」
「五座三座の勤行しろなんて大聖人は言っていない」
なんていってるわけですから、両舌の極みです。
まぁ、「池田センセが永遠の師匠」って所だけは初志貫徹してますが(笑)

はすこさん

こんにちは。

> 目的が攻撃することだけの、悪意から書かれた文章は嫌いですが、少なくとも管理人さんの根底には、こっちを信じた方が、幸せになれるよ!という気持ちがあるような気がしたので、そんなに嫌な気はしません

そうですか。それなら少し安心しました。

>他の宗教の話を聞くときも、同じ気持ちです。なんでその人がその考えで幸せだと思うのか、とにかく興味があるんです。

なるほど。それは良い事だと思います。

> それに、組織だと、創価学会の教学をそのまま信じるように学びますが、疑問をもった人の視点を聞くと、たしかに自分もちゃんとわかってなかったと気づけて勉強になります!

ありがとうございます。ここで書いている事は、今の創価教学を否定る事ばかりなので組織で学ぶこととは正反対の事ばかりだと思います。

> いくつか質問があります!
> 僧宝について質問があります。凡夫同士で学ぶことになってしまう、たしかにそうだな、と思うのですが、では僧侶は他の普通の人たちより優れているのでしょうか?僧侶は悟った人のことをいうのでしょうか?もしそうだったら、なにをもって他の普通の人と区別ができるのでしょうか?

この件については少し長くなりそうなので、近日中に記事にしたいと思いますので少し待っていてくださいね。

> あと、私はそもそも大御本尊についてよく知らないのですが、それっていつも私達が拝んでいる御本尊の元になったものですか?それを拝まないと、本当に成仏ができないということでしょうか?

これも、話すと長くなります。この質問こそ大聖人仏法の根幹の一番大事な部分です。
大聖人仏法の法門とは「本尊義」に集約されるのです。
御書に書かれている事は全て、最後には正しい本尊義(本尊観)へ導くためのお言葉です。
そして結論から言うと、大御本尊を拝むというか大御本尊に対して「信」を持つと言うのが大聖人仏法の根本義です。
簡単に言うと「大御本尊を日蓮大聖人と信じ、大御本尊が全ての御本尊を生んだ唯一の根本の御本尊である」と信じる事。
それが大聖人仏法です。
そうした信心がある人が自宅の御本尊に題目を上る時には、自宅の御本尊は大御本尊(大聖人)の分身としての働きを持ち
直接、大御本尊を拝まなくても、大御本尊を拝むのと変わらない功徳(成仏)が出る。というワケです。
自分の親を貶め、軽んじ、捨てた人の事を、その子は助けてくれるでしょうか?一緒に住んでくれでしょうか?
いま、大御本尊を捨てて(受持しない)しまうといことはそういうことです。
つまり「成仏はできません」
ですから、私は「今の学会は間違っている」と書き続けているのです。
「成仏」どころか「功徳」も出る道理もないのに、さもそれらが有るかのように言うから
幹部・活動家さん達を「ウソつき」「詐欺師」と呼ぶのです。
私が組織でイヤな事があったとか、幹部に怨嫉したとかそんなことで創価を批判しているわけではありません。
このような性格ですから、私に対して「イヤなヤツだなぁ」と思う幹部は大勢いても
私が「コイツはイヤだなぁ」なんて思いませんよ。
だって、間違ってると思ったら幹部だろうがなんだろうが、その都度、破折してきましたから(笑)
「成仏できない」なんて聞かせれてイヤな気分になってしまったと思いますが
これだけは、大聖人仏法の根幹ですから違う事は言えないのです。
ですから、はすこさんに言いたい事は、
創価の組織で頑張る。それはそれでいいと思いますが、
全然分からなくても「大御本尊」つまり大聖人は、いまの厳然と体石寺にいらっしゃるということ。
日蓮正宗の僧俗が謗法かどうかでなく、そこに大聖人がいるという事実を受け止めて欲しいのです。
そして、その大御本尊に対する「信心」を持っていただきたいと願っています。
そうであるならば、創価に居たとしても「成仏」もするし「功徳」も出ます。
私自身も「まだ創価」で「創価の御本尊」ですが、「功徳」もあります。
それは、全て「大御本尊」の仏力・法力の賜物です。
祈る時も、「大御本尊様」「大聖人様」と念じてお題目を上げています。
本尊義については、もっと色々とありますが、ちょいちょいここに書きましたし、これからも書いていくのでヒマな時でも読んでみてくださいね。

> どこかの御書で、声が大切、声に出して唱えることが大切というような、ことが書かれていたと思うのですが、あのように掛け軸に文字として印されているものを大切にすることが大事!というのは、どこか御書に書かれていますか?

そのような御書は無かったように思いますが、
文字に大切さに関する御教示はたくさんあります。
たとえば
◆一切経と申すは紙の上に文字をのせたり、譬へば虚空に星月のつらなり大地に草木の生ぜるがごとし、この文字は釈迦如来の気にも候なり(食物三徳御書)
◆此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり(阿仏房御書)
などです。

古刹信徒さん

こんにちは。

> 久しぶりにアクセスして驚きました。
> 大変な事になっていますね。
> 「対話を求めて」のようなコメント数で夕方から読んでいました。

すません。お手数をおかけしました。


> 記事で触れられた「御本尊はモノ」発言についてですが
> 先日、「草木成仏口決」の御書講義が御住職様からあり、
> 今更ながら「モノ」発言は、悩乱の極みであることを確信しました。

そうですね。

> 何ゆえ御板や紙幅の御本尊様が生身の仏様になるのかが、
> 池田名誉会長を始め今の学会員には解らないんですね。
> 有情、非情成仏も解らない。
> 死骨成仏はもっと解らない。
> 「日蓮がたましいを墨にそめながし」の御文も、結局は解っていないことを露呈しています。

分かっていれば、本尊義の変更など出来るわけが有りません。

> 「草木成仏口決」は開目抄を現される前にお説きになられた重要な御法門です。
> 学会員読者の皆様におかれては、ご自分で御書を開かれる事をお勧め致します。

「草木成仏口決」を引用すると
少し小賢しい活動家は「それは偽書だから」って言んです(笑)
まったく、どいつもこいつも・・・って感じですかね。
あ、モチロン破折しますが


> 『当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり』(草木成仏口決)
> ここ数日、コメントの端緒となられた方々は、すでに大聖人様から一蹴されてましたね。

そうなんですよね。
だから最初から興味が無いと言ったんですけどね。
ご迷惑おかけしました。

RAMBOさん

こんにちは。

> 仕事と飲食を兼ねながら、寝ればいいのにまだ書こうとしているRAMBOはいつまでも大人になれない恥知らずなじじい・ と前置きしておいて。。

いえいえ、永遠の青年じゃないですか(笑)

>  ニッケンシュウってもはや死語だろうと思ってたのですが、下手すりゃ
> SGI言語になってたりします?

かもしれません。

>  今じゃみんな驚くだろうけど、その昔は「自民」は「国家権力」のまさに当体であったのです。  そう、創価は反権力であり、永遠に庶民の味方、とか言っててね・

そうでしたね。亀井静香氏、平沢勝栄氏、あと白川氏とか糾弾しましたね。
「四月会」でしたっけ?糾弾しました。
その頃は本当に反権力の戦いと気勢を上げていました。

>  私(じじい)から見れば どこをどう考えたって、変わりまくり!の創価史ですよ。   後代の若い人たちがなにも知らないからといって、あまりにも、いい気になりすぎですね。 それを試験問題にするなんて、MCとしか言えないね。

確かに。教育というのは怖いです。
まさに某国の反日教育さながらの、反正宗教育を展開しています。

>  教学試験にこだわって言えば、昔の「正解」が今では「誤答」になっちゃうなんて・・・  変われば変わるものです。(泣

まったくその通りです。仏法は普遍じゃなかったんかい!と言いたいです。

>  私には経験則と時系列に基づいたコメントしか書けませんので、ご容赦下さいませ。

そこが一番大切ですから。

>  私が信じ、好きだった創価は 今はもうどこにもありません。
>  人生のバックボーンと信じ、世界を平和にするために、池田創価の指導を必死に覚え、いのちに染み込ませようとまでした、「あの創価学会」は 地上から消え失せました。 

はい。私の創価も亡くなりました。
食うものも食わず、寝る間も惜しんで
創価を守る事こそ大聖人仏法を護る事と信じていた創価はもうありません。

 

ついていけなかったこと。いろいろ。

こんにちは。

宗門問題が起きたのは確か年末でしたよね。
私も周りも、下々の者は皆なにが起きたのかさっぱり解らず、とにかく新年勤行会で「重大な」お話があるようだと聞き落ち着かない年越しでした。
新年勤行会の壇上では、ついこの間まで
「お山!」「お山!」「富士の清流!」「大御本尊様に御目通り‼︎」と有り難そうに吠えるじゃなくて仰ってた婦人部幹部が
「大石寺の奴らを許さない!」と号泣していて唖然としたのを覚えています。
なんだか全然解らないけれど、これはどうやら「許さない!」って思わないといけないことらしい・・・けどついていけるのか私⁈
最初はそんな感じでしたね。

創価学会では
よく解らない時はとりあえず幹部に倣う。
幹部が「許さない!」と仰ったら「許さない!」と言ってみる。
幹部が「クソ坊主め!」と仰ったら「クソ坊主!」と言ってみる。
でないと信心疑われるし。
部員さんまで混乱させてしまうし。
10回も20回目も言っているうちに自分でもだんだんそうだと思うようになって
ああ私もあのご立派な幹部の信心に少し近づいたわ。と満足。
幹部が「素敵!」と仰ると、内心「⁈⁈⁈」と思ってても「すすす素敵」と言ってみる。
例えば池田先生のおピアノとか。
未だに謎です。
なんだって急におピアノだったのでしょう。弾けないのに。全然。
絶対に笑ってはいけない雰囲気。

そうそう、戸田先生の、なんの時だか太鼓をお叩きになる映像も強烈でした。
笑っちゃダメよの罰ゲームとしか言えません。
こっそり周りを見ても誰ひとり笑っていない。むしろうっとり。

・・・つくづくこの方達と一緒になってやっていけそうもないと思ったものです。

管理人さんは丁寧にお返事くださるのですごく嬉しいです😄ありがとうごさいます。御書も紹介してくださりありがとうごさいます。

記事楽しみにしています。またいくつかお聞きしたいことがあります。コメントや記事に含んでいただけたら、うれしいです。

正しい本尊観をもつことが日蓮大聖人の究極の目的ということでしょうか?
皆様のやりとりを見ていて、創価学会もかつては大御本尊にお参り?にいっていたことを知りました。そして、そうしなくなったことに、おかしいと思われていることがわかりました。

大御本尊が仏、日蓮大聖人そのものであるということですか?なぜそれを信じることが、成仏につながるのでしょうか?

日蓮大聖人やおしゃか様は、私達の命とは違うのでしょうか?

てっきり、すべての命は仏になれるもので、平等だと思っていました。御本尊は、自分の中の仏性を信じ、引き出すために、祈りを唱えるものなのかと…。だから、南無妙法蓮華経と祈ること、自分たちの命そのものが一番大切なのかと思っていました。大御本尊を何よりも大切にするということは、どういうことなのでしょう?

すごく曖昧な質問になってしまいました💦またお返事いただけると嬉しいです!

釈迦がなくなるとき、自らを灯明とせよ、といったことがすごく印象に残っています。色々な立場から話を聞く中で、考えながら、自分の信仰を深めていきたいです。よろしくお願いします。

No title

仕事、一段落というところで、肺がん必至のタバコを今日も元気に吸っています・ LARKの1ミリ ハイブリッドね。 

 魔力が高まってきたせいか、良いお客さんが続いております。 こう見えても、仕事は誠心誠意(ん、、八掛けくらいかな・笑)やりますよ。 やっぱり人の紹介できました、、という来客のパターンが最もうれしいですね! (と、よゐこな前置きをしておいて)

 >管理人さん

 本当にいまは「あのころの創価は」とかいう表現でもって望郷の念に耐えながら、愛のムチをふるう昨今ですね。 でも何も知らない一般的な会員さんは、本当に「疑うことさえしない」か、「なんとなくものさびしい思いをしながら、ここで愚痴っちゃいかん! だって信心修行なんだから」とか、
呻吟しながら、ガンバッテておられるのだから、彼らをバカにしたりはできません。  中間幹部さんは、多少 仏法用語も交えながら、創価シャッターをあげたり降ろしたりして反論する。 もっと上は、「バチ論」をカマし、毛虫でもみたかのような目で見下す。  そして最後には「あんなやつはほっとけ!」となります。

  それぞれの立場、知識、信心歴などの違いで、いろいろです。   私のところにおいでになるのも多種多様ですが、概ね、純朴な方です。   だから純朴にお聞きしてます。

 「慈悲は無慈悲に似たり」とありますが、本当は峻厳に「本当のこと」を心に、身に 骨にまで染み込ませてあげるのが正しいのでしょうね。

 「声 仏事を為す」(はすこさんの仰ってたのはコレかな?) であるので、私なりの使命感をもって、これからもガンバロウと思います。

 >はすこさん

 お疲れ様です! いのちは みな等しく「十界互具」です。 当然、
「声聞界(しょうもんかい)」も存在しますね。 「仏の声を聞く・教えを請う」というほどの意味です。  決して「創価幹部の声(発言)のみを)聞く」という意味にはなりませんね。   大事なのは創価で活動家となって、幹部になっていくことが成仏の道ではないということです。

 ここでは管理人さんが、どこまでも大聖人様の御書・他を中心軸にすえて、書き続けておられます。  彼の我見を語るところではなく。

 ソウカ幹部からすれば、ここのブログ衆のことを「勝手で、危険だ 読むな聞くな!、、、」とかそんな批判をするはずです。  仮に創価の歴史をつまびらかに知ることはなくとも、大聖人様のご教示を少しでも学んでいけば、それで必ず分かってくるはずだと、私などは思っております。

 あなたの本当の信心を助長してくれる人のことを「善知識(ぜんちしき)」といいます。 「善知識に親近(しんごん)せよ」と大聖人様は仰せです。 少なくとも、本門戒壇の大御本尊様を否定する指導?は誤りであり、「悪知識」となります。  真実を求めようとする「声聞界」のいのちを大切になさってくださいね。

 >牡丹さん

 「すすす素敵!」でウケました。^^   私の後輩の一人に、「あのピアノ演奏」で幻滅し、IKD氏個人崇拝をやめた奴がいます。  和音もなにも、メチャクチャなあの音をニコニコしながら聴いてる団体を友人が見たら、気持ち悪い。。。と思うよね。  また、IKD氏の「学会歌の指揮」をみた、ある舞踊家家はそれを「日本の恥です」と言いました。 

我々は今まで「IKD氏の個性」を信奉してきたわけではありません。 だから演奏の不出来なぞ、どうでもいいんですが、 飽くまであの方の「信心」を信じて師匠と呼んできた。  それが嘘だったと判っちまったから、私などは今、ここに来て学んでいるだけです。  

 今なお、「人物超崇拝」してる連中に、いまさら大御本尊様根本の我々に向けて「偶像崇拝だ!」とか言われる筋合いなどありませんね。

 以上でつぶやきコメを終えて、仕事に戻ります。v-42

 

牡丹さん

こんにちは。

ピアノ位でなんですか。
センセの学会歌の時「舞い」
我々に為に読んでくだださる「和歌」
我々のために書いてくださる「ポエム」
こうした、芸術や文学が分からないのはダメです。
センセというパーフェクトヒューマンを師匠に持つ我々は
それだけで、一流の文学・一流の芸術そして一流の人格と触れ合う事ができるのです。
ピアノくらい我慢しなさい・・・

私もつきあっていられませんでした。

RAMBOさん

こんにちは。

>  本当にいまは「あのころの創価は」とかいう表現でもって望郷の念に耐えながら、愛のムチをふるう昨今ですね。 でも何も知らない一般的な会員さんは、本当に「疑うことさえしない」か、「なんとなくものさびしい思いをしながら、ここで愚痴っちゃいかん! だって信心修行なんだから」とか、
> 呻吟しながら、ガンバッテておられるのだから、彼らをバカにしたりはできません。  

そうですね。私も一生懸命活動されている方をバカにする気持ちなど毛頭ありません。
そもそも、人をバカにしてるほどヒマでもないし、そんなことには興味もありません。
学会活動家さんに対しては、「対機説法」でしょうね。
一人一人、大御帆本尊に対する思いも違いますし謗法の程度も違いますからね。

はすこさん

こんにちは。

信心の根幹部分の質問ばかりで、大変に嬉しく思います。
一気に全て書けませんので少しづつお答えさせていただきます。
さて、このように信心の質問をされる事はとても尊い事です。

◆先法華経につけて御不審をたてて其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候(妙法尼御前御返事)

と大聖人も信心について質問をしてきた女性信徒をお褒めです。

>釈迦がなくなるとき、自らを灯明とせよ、といったことがすごく印象に残っています。色々な立場から話を聞く中で、考えながら、自分の信仰を深めていきたいです。よろしくお願いします。
有名な、「自灯明・法灯明」ですね。
大切な事です。
他人の言う事ではなく、自分人が学んで選ぶ。
そして世法で無く、あくまでも「仏法」を基準とする。
そのためには「教学」が非常に大切になって来ます。
そうした意味でも、信心について誰かに質問することは大切です。
そのうえで、「自分が決める」
それが自立した信仰者の姿だと思います。

現世利益や現象のみに囚われる事なく。

いつも勉強になります。
二乗根性の輩くんとか、
バリ活動家さんなど、
管理人様のブログには
善知識様とは違う人が
来訪される昨今。

創価組織は大発展を遂げ
世界広布も進み、
先生も沢山、名誉を全世界から
頂きました。

それを支えてきた
末端会員の現実は学会は知りません。
知りたくないのです。
なんせ、
基本は自己責任の宗教だからです。
貴方の信心の在り方、次第です。

幸せになれたら創価と偉大なセンセの
お陰。

不幸に成ったら、貴方の信心が間違えてた
だけ。

残念でした。

創価学会員諸氏よ!
心して活動に励むべし。貴重なる今世を
学会に捧げるべし。

くだらないコメント失礼致しました。

退転壮年部おじさん さん

こんばんは。

> いつも勉強になります。
> 二乗根性の輩くんとか、
> バリ活動家さんなど、
> 管理人様のブログには
> 善知識様とは違う人が
> 来訪される昨今。

いえいえ、そうとも限りませんよ。

◆相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ念仏者は瞿伽利尊者持斎等は善星比丘なり(種種御振舞御書)

です。(笑)

> 幸せになれたら創価と偉大なセンセの
> お陰。
> 不幸に成ったら、貴方の信心が間違えてた
> だけ。
> 残念でした。
> 創価学会員諸氏よ!
> 心して活動に励むべし。貴重なる今世を
> 学会に捧げるべし。

そうですね。
学会活動は腹を決めないと。
不幸になっても、創価とセンセを恨んではいけません(笑)
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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