創価教学じゃない御書講義(29年度1月座談会御書・生死一大事血脈抄)

総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して
異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、
然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か
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改めまして新年おめでとうございます!
今年最初の記事は年頭ということで1月の座談会御書の講義をしてみるよ。
「生死一大事血脈抄」。バリ活さんの大好きな「信心の血脈なくんば・・」って御書ね。
「草木成仏口決」を偽書だ。とか言ってる創価活動家さんも
なぜかこの「生死一大事血脈抄」を偽書といわないのは
創価のいう「信心の血脈」の文証になっているからだね。(とんだご都合主義だな)
しかしこの「生死一大事血脈抄」は男子部バリ活時代に
「最もたくさん講義」した御書だよ。(リクエストが多かった御書でもある)
短い御文でなおかつ大聖人仏法の法門・法義が詰まっていて、
しかも読みやすい御書なので、部活で取り上げるるのにはいい御書なんだよね。
まぁ、こうして切文にしちゃうとわかりずらいんだけど座談会じゃ仕方ないか。

で、今回の拝読箇所もイロイロと言いたいことはあるんだけど2点だけポイントを書くよ。
まず1点目は最初の「総じて」という部分ね。
ここまでの前文を読めばわかると思うんだけど、
ここで、「総じて」と言っているのは当然「別して」に対応して「総じて」と言われている。
で、この「総じて」というのは2意あって、
一つはこの前文(3つある生死一大事血脈のうちの最初の2つ)
◆久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る①
◆過去の生死現在の生死未来の生死三世の生死に法華経を離れ切れざる②

この①・②は、「別して」自行(個人の信心)に約されていて、
これの対し本文は「総じて」化他に約されている。

二つ目は、本御書冒頭の
◆夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、其の故は釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて此の妙法蓮華経の五字過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈なり

この「別して」の「法体の血脈」に対して、
本箇所は「総じて」の「信心の血脈」をご教示されているわけ。
因みに【過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈】
この部分が大聖人仏法の法体。つまり妙法五字ね。
この前文の【釈迦多宝の二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて】というのは
あくまでも大聖人の外用の辺に約して述べているもで、
本意はあくまでも【過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈】だよ。
【過去遠遠劫】とは久遠元初ということだよ。

なので、この部分の「総じて」というのは、あくまでも「別して」の血脈を念頭に置かないとダメなんだよね。
この総別の二義をしっかりと理解しないと創価教学になっちゃうので気をつけて。

◆日蓮又日本国にして此の法門を弘む、又是には総別の二義あり総別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず(曾谷殿御返事)

つまり一つは総じて広宣流布といっても別しては正しい自行の延長線にしかない。
もう一つは「総じて」信心の血脈というのは「別して法体の血脈」に信を取るのが前提となっている


この2点が第1ポイントね。「別しての血脈」を無視して「総じての血脈」なんてないんだからね。

ポイント2は勿論、「異体同心」って部分。
創価教学では、「同心」ってところを、
「師弟不二」とか「三大会長に流れる広宣流布の精神と行動」とか
わっけのわかんね~寝言を真顔で言っちゃうんだろうけど
大聖人仏法には残念ながら、大作センセなど登場する場面は全くない。
「同心」の「心」とは「信心の心」。
ここまではバリ活も分かっているいると思うが
じゃぁ?「同」は?
「大作センセ」・・ブー不正解。
この「同」というのは「大御本尊」ってことね。
決して末法の荒凡夫である、大作センセと心を同じくする。ってことじゃない。
一大秘法の戒壇大御本尊に対する「信心」ってのが「同心」ってことだね。

で、ここを説明するには冒頭からやらなきゃいけなんだけど上記で引用した
◆久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る。
この部分で説明しておくよ。
◆三つ全く差別無しと解りて
とあるけど、末法の凡夫はそれを「解れない」んだよね。
でその代わりに「信じる」んだけど、この「信じる」ってのも難しいでしょ?
三つ全く差別なしって信じるといってもねどうすりゃいいの?ってなっちゃう。
そこで我ら凡夫は、信じる変わりに「受持」するわけね。
そして「受時即観心」の法理により「解る」ことができる。こういうわけだね。

そこで一番重要になるのは何を受持するのか?って話になるんだけど
【久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別のない体】を受時するんだよ。
つまり「3つ差別のない体」を受持して妙法蓮華経と唱え奉るということですよ。
◆此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なり
というわけです。
この3つが差別のない体とは具体的に言うと、ご本仏日蓮大聖人のこと。
久遠実成の釈尊=久遠元初自受用身
皆成仏道の法華経=一念三千の法
我等衆生とは別して言えば鎌倉時代に現れた日蓮大聖人だから
大聖人の一身に、久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経が備わっているわけ。
つまり「三つ全く差別のない体」とはご本仏・大聖人の色心二法を指しているわけで
その色心二法をそのまま移したのが、出世の本懐である
一大秘法・本門戒壇の大御本尊。なわけです。
つまりそれを受持することが「別して」個人(異体)における生死一大事血脈の根本。
その各個々人の正しい信心があれば、自然と「同体」になるわけさ。
つまり、創価のいう「センセに呼吸を合わせる」とか
「長に呼吸を合わせる」ってのは
「異体同心」っていわない。言ったとしても世法の範疇。
本来の大聖人仏法では、そんなことをいちいち言わなくても
ご本仏を信じる。大本尊を信じる。という信心があれば
それはすでに「異体同心」の姿なわけだね。
そこをもって
◆今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か
と言われているわけだ。

そして結論はというと、
大御本尊を捨てた、大作センセと創価幹部活動家の皆さんには
「異体同心」も「広宣流布」もあり得ない。
むしろ、異体異心。

◆一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし(高橋入道殿御返事)

ってところだね。つまりは
「信心の血脈」なんて当然ありません。
なので、

◆法華経を持つとも無益なり
ってか「法華経を持っていない」のだから
端から「生死一大事血脈」なんてないわな(笑)

この御書は、本当に深いんだけど今日はザックリで勘弁してください。
最後に、私の御書の「生死一大事血脈抄」のページの画像を。
我ながらよく研鑽したなぁ・・・

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新年第一発目のご教授ありがとうございました!
そして、初?の画像公開ですよね?
即保存させて頂きました(笑)
自分自身もっと研鑽しなくてはと思うとともに、創価教学がいかに狂って矛盾しているかと毎回痛感しています。
そのうち、創価学会仏を記載して都合の悪い御文を削除した改訂版御書でも出すんじゃないかと思っちゃいました。

現役男子部さん

こんばんは。

> そして、初?の画像公開ですよね?

母の寺止めの書類以来2度目の画像です(笑)
バリ活さんに「ナリスマシ」と言われるので
なるべく(元)学会員であることを証明しようと(ウソです・笑)

> 自分自身もっと研鑽しなくてはと思うとともに、創価教学がいかに狂って矛盾しているかと毎回痛感しています。

創価教学を「おかしい」と思えるのは教学のあるからです。
活動家さんは教学を軽視しているところがありますが
教学は非常に大切です。
友に仏法を語るのも、創価を筆頭に大聖人を悪用せんとする団体のウソを見抜くのも
教学がなければままなりません。

> そのうち、創価学会仏を記載して都合の悪い御文を削除した改訂版御書でも出すんじゃないかと思っちゃいました。

これは創価の後輩から聞いた話で真偽のほどは定かじゃありませんが
最近の学会版御書には「百六箇抄」「本因妙抄」等の相伝書は削除されているとかいないとか?
年末にそんな話を耳にしました。

現役男子部さん
うわぁ~それやりそう~(--;)
切り文だけのペランペランの御書な~やりそやな~(笑)
勤行カットするくらいやからそんなこと朝飯前でしょうな

姿の良い御書(頁)ですね!

  こんばんは。  久々に読み応えあるご教授でした。

 よく先輩は「御書は身で読め」とかいってたけど、後輩の我々が「御書の虫」になることや「原島化する」ことを恐れてか、あるいは本人も読み切れてないからか、そういうことを言ってましたね。  当然、法門の辺はあまり使わず、大方、御消息文ばかりが出てきました。  同じ創価の会員といっても、例えば御書の理解度などは特に千差万別だし、大方が今思えば結局は文上読みだったな。

 ここに来るようになってから、一番の成果は、一大秘法(戒壇の大御本尊様)のとらえ方を少しでも学べたことでした。  そこに帰結するというのはイメージでは判ってても、いざとなると、「ニセ応用論」でおしまい。 そんな学会教学でしたからね。

 変なプラグマチズムでしょうか。 価値創造とかを表に出されると、学ぶという側面がすぐ軽視されて「要は結果を出すことだ論」というガッカイカツドウに話を持っていかれて、いつまでたっても信心の骨格は作れないんですよねえ。

 ただ一人の先輩を除き、ほとんどがそんな先輩の指導でした。

 確かにパンのみに生きるに非ず、と言いつつも結局、パンを大量に製造するに作ることに話がいくというね。

 私の後輩(一昨日飲んだ)の男などは、学会指導否定の立場ではありますが、
彼もこの生死一大事血脈抄のこの御文を依処として「私はこれで理論構築してますから、どんと来いですよ」と言うんですね。 でも今回の管理人さんの講義にあるごとく、そこに「総別ノ二義」はないわけです。  雑駁な解釈でしかない。

 要するに正しい本尊義がない。  私はそこを二年前、指摘したことがありますが、それからあまりこれを言わなくなったという、・・(笑

 概ねみんなは学会教学の域を出れないんですよ。  だからそればかりいくら学んでも、やられる時はバッサリ根こそぎやられます。  まあ斬られたことにも気づかないで、そのまま歩いてるニワトリと似てます(笑  私もそうは言っても、まだまだ、創価教学の頭ですけど。

 まあ学会としては、あまり現場に智者が出てきてくれれば困る、というのが本音です。  これは本当です。 これからいよいよ「信 行 力」兼備の害毒が出てくるんでしょうね。  上はそんなの知ったことじゃないんですが。 可哀想な話だとつくづく思いますから、私はなんとか 少しでも「蘭室の友」の域に近づけるよう、また頑張って、現場の、更に末端の方々とお話しをして行こうと思ってます。

 ともあれ素晴らしい講義、ありがとうございました。

蘭房(RAMBO)  さん

こんにちは。

>よく先輩は「御書は身で読め」とかいってたけど、後輩の我々が「御書の虫」になることや「原島化する」ことを恐れてか、あるいは本人も読み切れてないからか、そういうことを言ってましたね。  当然、法門の辺はあまり使わず、大方、御消息文ばかりが出てきました。  

そうなんですね。私も男子部時代に御書ばかり言ってると原島みたいになる。と言われました。
御書根本じゃないんかい!って言いましたけど。

>  変なプラグマチズムでしょうか。 価値創造とかを表に出されると、学ぶという側面がすぐ軽視されて「要は結果を出すことだ論」というガッカイカツドウに話を持っていかれて、いつまでたっても信心の骨格は作れないんですよねえ。

御書は昔から軽視されてました。御書よりセンセの指導が優先。顕正会や幸福の科学と同じです。
それに、「結果」も出していませんしね。
長としてガッカイカツドウで結果を出すには会員さんに御書を通して信心を伝えていくことが一番大切なんですよね。
それだけの「教学力」を「長」は持たなければその組織は衰退します。
これは私の経験則です。

>  私の後輩(一昨日飲んだ)の男などは、学会指導否定の立場ではありますが、
> 彼もこの生死一大事血脈抄のこの御文を依処として「私はこれで理論構築してますから、どんと来いですよ」と言うんですね。
>  要するに正しい本尊義がない。  私はそこを二年前、指摘したことがありますが、それからあまりこれを言わなくなったという、・・(笑

それはそうですよ。創価教学の理論なんて活動家の中でしか通用しません。
リアルでもネットでも創価教学で対抗してくるカツドカは今や絶滅してます。
10年くらい前は多少いましたがいまは絶滅危惧種でしょう。
大聖人仏法でないのに大聖人仏法のフリをしても無理なんですよね。

>  まあ学会としては、あまり現場に智者が出てきてくれれば困る、というのが本音です。  これは本当です。 これからいよいよ「信 行 力」兼備の害毒が出てくるんでしょうね。  上はそんなの知ったことじゃないんですが。 可哀想な話だとつくづく思いますから、私はなんとか 少しでも「蘭室の友」の域に近づけるよう、また頑張って、現場の、更に末端の方々とお話しをして行こうと思ってます。

そうですね。私も先日の新年会で、カツドカの後輩を軽く破折しておきました。
まづは五座三座の勤行しろよ。と。

>  ともあれ素晴らしい講義、ありがとうございました。

とんでもありません。今月もつたない講義にお付き合いいただきありがとうございました。

すんごい御書

こんにちは。

こんなに書き込まれた御書は初めて見ました。

私も偽活動家の身でありながら無謀にも講義らしきことをしましたが…。
不思議なもので、ぱっと最初に御文を目にすると意味はあまりわからなくても心躍るんですよね。胸アツってやつです。
そして講義のための勉強を始めると、次から次に疑問が湧いてくる。疑問と矛盾が芋づる式です。
バリ活の主人やら先輩に聞いても
「そんなに難しく考えなくても大白と新聞の通解を読んどけばいいのに」
って。その大白と聖教の解説がどうにも有耶無耶でモヤッとしてるから調べてるっちゅうの!
調べれば調べるほど、どんどん我等が誉れの学会活動からかけ離れていくから困っているんじゃないのさ。

しょうがないですよね。
創価学会ましてや池田大作先生と大聖人仏法が交わるはずがなかったのです。

皆さんにゆっくりと声に出して読んでもらって、あの胸アツをひとりひとりに感じてもらうことがまず大事かなと思いました。それから自分なりに調べて理解できたところを話して、最後2分程しょうがないから無理矢理に池田大作先生の有難いお言葉をくっつけておしまい。
もう講義じゃなくて独り言のレベルでしたね。思い出すと顔から火が出ます。
皆さん面白かった面白かったと言ってくれたけれど、御書講義が面白いだけで良かったのか?

今このような形で管理人さんの講義をお読みして、そんな恥ずかしい過去を思い出しました。
ありがとうございました。

牡丹さん

こんばんは。

> こんなに書き込まれた御書は初めて見ました。

あちこち書き込みしてるんですが、この御書は特別です。それだけ何度も講義して研鑽した思い出深いのが「生死一大事血脈抄」です。

> 私も偽活動家の身でありながら無謀にも講義らしきことをしましたが…。
> 不思議なもので、ぱっと最初に御文を目にすると意味はあまりわからなくても心躍るんですよね。胸アツってやつです。
> そして講義のための勉強を始めると、次から次に疑問が湧いてくる。疑問と矛盾が芋づる式です。

わかりますよ~。でもうアチコチ手を付けちゃうんです。

> バリ活の主人やら先輩に聞いても
> 「そんなに難しく考えなくても大白と新聞の通解を読んどけばいいのに」
> って。その大白と聖教の解説がどうにも有耶無耶でモヤッとしてるから調べてるっちゅうの!
> 調べれば調べるほど、どんどん我等が誉れの学会活動からかけ離れていくから困っているんじゃないのさ。

ははは(笑)そうそう。しかも師匠である大作センセの指導も「ちげ~よ」って心の中で思ったりしちゃいます。

> しょうがないですよね。
> 創価学会ましてや池田大作先生と大聖人仏法が交わるはずがなかったのです。

その通り!チ~ン♪

> 皆さんにゆっくりと声に出して読んでもらって、あの胸アツをひとりひとりに感じてもらうことがまず大事かなと思いました。それから自分なりに調べて理解できたところを話して、最後2分程しょうがないから無理矢理に池田大作先生の有難いお言葉をくっつけておしまい。

私も、最後に大作センセの指導は一応入れておきました(笑)
とりあえず、明らかに違うセンセの指導を隠し差し障りのない指導を挟むのがコツでした。

> もう講義じゃなくて独り言のレベルでしたね。思い出すと顔から火が出ます。
> 皆さん面白かった面白かったと言ってくれたけれど、御書講義が面白いだけで良かったのか?

いや、多分牡丹さんの御書講義は面白いと思いますよ。
「胸アツ」になることが御書講義の一番のポイントなんですよ。
よく部員さんには
「御書を分かるのでなく感じることが大切だよ」って言っていました。
いまでも時々ネットで見かける「俺は知ってるんだよ」ってしたり顔してるカツドウカ
実際その主張とか読んでいると正直な~んも分かっていないっていうのばかりです。
ようは「感じて」いないんです。
ただ、御文を目で追っているだけ。
「胸アツ」の牡丹さんの講義聞きたかったなぁ。

ホンマもんの御書講義がここにあり!

管理人様、新年早々に
素晴らしい御書講義有り難うございます。
アップされた御書を見て、
私の方が、もっと研鑽してるぜぇ!と、
思う学会活動家は是非ご反論を!

身で読め!
難しく考えず大白とセンセ新聞の
切り貼り通解を読め!

そして学会のご指導のまま突き進め!!

何処に突き進みましょう?
大聖人様に信を置かずに?
センセと一緒なら怖くなんかない!
でしょ。

地獄の沙汰も金次第。
学会にお金あげて、
マイせいきょしんぶん!まいど。

本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> 身で読め!
> 難しく考えず大白とセンセ新聞の
> 切り貼り通解を読め!
> そして学会のご指導のまま突き進め!!
> 何処に突き進みましょう?
> 大聖人様に信を置かずに?
> センセと一緒なら怖くなんかない!
> でしょ。

ですね。
今年は夏まで東京に突き進む予定です。

ご質問があります

  それこそ思いつくまま、、のような問いが湧き、お尋ねです。

 ① 開会(誤字?)とか 活の法門などといいますが、大聖人様は法華経を始め、   天台の説を引用されておりますが、この妥当性や有用性について。

 ② 管理人さんは、未だ一大秘法たる「本山の大御本尊様」にお目通りされて    いませんね。
    本年は登山を念頭に置かれていますか?

   勿論それは入会の時系列からして、致し方ないのですが、、

 以上、失礼ながら、よろしくお願いします。m(__)m

蘭房(RAMBO)  さん

こんばんは。

① 開会(誤字?)とか 活の法門などといいますが、大聖人様は法華経を始め、天台の説を引用されておりますが、この妥当性や有用性について。
② 管理人さんは、未だ一大秘法たる「本山の大御本尊様」にお目通りされていませんね。本年は登山を念頭に置かれていますか?


①については、シャリホツさんなど偽書論とも絡むことなのでまた記事にいたします。本当は昨年中に書くお約束だったのですが書けずじまいで申し訳なく思っています。もうしばしお待ちください。

②については色々と思うところがありますが、今年はお目通りしたいと思っています。

勉強熱心ですね。

でも命に染みるとまではいかないですね。是非とも、御開扉を受けた命で猊下様の御説法を聞いていただきたいですね。唯授一人の血脈は大聖人様の魂です。文底獨一本門の法華経の聞法の功徳ではないのでしょうか?

袈裟を掛けられた、猊下様から御慈命をいただいている御僧侶方の御書講義には魂を磨かれ光る感覚がありますよ。

たった一言で入信できる徳の高い方もいます。ひたすら唱題されて素晴らしい成果をあげるかたもいます。

勿論、魔も競います。でも魔は御本仏日蓮大聖人様にはかないません。こちらのブログ管理人さんほど勉強はしておりませんが、基礎は多少学ばせていたため御説法は聞いて少しは理解できるようになりました。

分からない子供の頃でも、猊下様の言葉には、苦しみを取り除く力があるように感じました。

お代替わりされまして、御陰尊様が御当代様に頭を深く下げ合掌されている姿を拝させていただき、血脈は絶対と深く深く感じました。

長文と乱文で本当に申し訳ありません。ただただ皆さんに福運を…本物の福運を積んで幸せになっていただきたいだけです。

名乗る…?

こんばんは。

> 勉強熱心ですね。

ありがとうございます。

> でも命に染みるとまではいかないですね。是非とも、御開扉を受けた命で猊下様の御説法を聞いていただきたいですね。唯授一人の血脈は大聖人様の魂です。文底獨一本門の法華経の聞法の功徳ではないのでしょうか?
> 袈裟を掛けられた、猊下様から御慈命をいただいている御僧侶方の御書講義には魂を磨かれ光る感覚がありますよ。

そうですか。いづれその機会に恵まれればと思っています。

> お代替わりされまして、御陰尊様が御当代様に頭を深く下げ合掌されている姿を拝させていただき、血脈は絶対と深く深く感じました。

大聖人仏法の根幹は、大御本尊と法体の血脈ですからね。
これは誰が否定しても否定できない部分です。

> 長文と乱文で本当に申し訳ありません。ただただ皆さんに福運を…本物の福運を積んで幸せになっていただきたいだけです。

はい。私も読者の方も十分わかっていると思います。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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