学会員が大御本尊に信を取る方法

「大御本尊に信を取る」信心。と
リアルでも散々言っているし
このブログでも何度も書いているんだけど
先日、食事をした創価の後輩に
「大御本尊に信を取る信心って具体的にはどうすればいいですかね?」と質問された。
まぁ、確かにそうだわな。
「大御本尊に信を取れ」と言ってるだけで
いままで具体的にどうすればいいか。
って話はしたこともないし、ブログで書いたこともない。
これじゃ確かに抽象的すぎて乱暴だな。と反省。
なので今日は簡単だけど
学会員が「大御本尊に信を取る」方法を書いてみることにする。
一番いいのは、創価を退会すること。
といってもそれができれば苦労はしない。
創価をやめた方々はやめられない会員さんを「未覚醒」と思うのだろうが
そんな単純な話じゃないもんな。
で、次善の策は「創価の活動をやめる」こと。
これまたなかなか難儀で、
活動やめられるくらいなら退会だってできるよ。ってことだよね。
てことは次に考えられるのは五座三座の勤行の実戦。
え?いまさら五座三座はキツイ?
それに創価じゃ長行の経本がもう売ってない?
しょうがないなぁ・・・
てなわけで俺のオススメは「ご観念文」
歴代法主に報恩感謝するのことに抵抗ある会員さんは
まずは「本尊供養」のご観念文だけでも「観念」する。
もう細かいことは言わない。
方便自我偈の勤行でもなんでもいいから。
とにかく「本尊供養の観念文」を念じる。
これでOK。
「本尊供養の観念文」とは昔の会員さんなら知ってるだろうけど
「二座」のご観念文ね。
「信を取る」というのは「受持」をするということ。

◆受くるはやすく持つはかたしさる間成仏は持つにあり(中略)経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云(四条金吾殿御返事)

と御書にあるように、「受」と「持」では「持」の方が重要であり
「持」とは「念力」によるんだね。
この「念力」が凝縮されているのが「ご観念文」なんだよ。
もちろん、創価の本尊供養じゃだめだよ。
ちゃんとしたご観念文を読むんだよ。
一応、正宗の正式な本尊供養のご観念文を書いておくよ。

【南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身如来の御当体、十界本有常住、事の一念三千、人法一箇、獨一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に】

このご観念文だけでいいから勤行・唱題のあとに一番最初に、小声で言う。
これで身口意の三業で「大御本尊を受持した」「大御本尊に信を取る」ということになると思う。
実は、コレは創価がおかしくなりだした頃に俺がやってたこと。
自分では、このご観念文を読んでたから信心が誤たなかった。と感じてる。

南無本門寿量品の肝心    釈迦を含む諸仏が成仏した法体
文底秘沈の大法         釈迦の白法でなく大聖人の大(白)法
本地難思境智冥合       大作センセごときの凡夫に思慮することもできない大聖人の境涯
久遠元初             最初からそのままでの姿の本仏
自受用報身如来の御当体   自受用報身如来即ちご本仏大聖人の当体
十界本有常住          ご本仏大聖人の己心の常住の十界
事の一念三千          ご本仏の色心二法の「事」の一念三千
人法一箇             妙法即大聖人。大聖人即妙法。
獨一本門             コピーできない唯一無二の法体

それが「戒壇大御本尊」であり、
それに、南無し報恩感謝する。

大御本尊を捨てていない。
大御本尊を捨てたくない。
そう思う学会員さんは、せめてこのご観念文だけは読むといいよ。
必ず全てが変わってくるから。

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解り易く、有難く。

大御本尊(大聖人様)に
報恩感謝を日夜朝暮に心を込めて
お祈り申し上げる所存です。

ソウカの空題目では、
永遠の師敵の唱題行。
意味を成しえない。

そもそも、師は誰よ?
創価の師は!
大聖人様では無いよね!
間違えてますか?

大御本尊(大聖人様)へ
我が心を真っ直ぐに、
勤行唱題致す人に、
ご慈悲が有ると確信。

親の福運でね。
私も何とか生きてます。
両親が大御本尊様(日蓮大聖人様)に
縁をして、私も人間として、
この世に生を受け、
そして大聖人様に巡り合わせて
頂ける事が出来ました。

過去に稚拙な私は、

ソウカ(せんせ)の恩は?などと、
管理人様のブログに、
ブレまくりの、
初期のコメントをしてます。
今となっては悔いてます。

私の今の目標は、
創価に盲目な母を何とか、
大御本尊様に眼を向けさせる
戦いなのです。

せめて、勤行だけは、
大聖人様に信を貫ける様にしたいです。

この時間帯になると、
私の唱題は、

朝勤行なのか?
夜勤行なのか?
分かりませんけど、

毎朝毎晩の大聖人様への
報恩感謝の心で唱題致します。

管理人様のブログには、
何時も御教授を頂き有難く存じます。

本尊供養の御観念文

こんにちは。

まだまだひよっこの若かりし頃、朝夕心を込めてご祈念していたことを思い出します。
誰かに言われたのか、自分でそう感じたのか忘れましたが「ここが一番大事なところ」と思ってそれこそ『胸アツ』になって御祈念してました。
戸田先生の指導に「勤行で一番大切なのは御観念文」「勤行・唱題しても御観念文がいい加減では何にもならない」というのがありましたよね。
上層幹部と勤行すると、御観念文の御祈念がほんの一瞬という方がたくさんいました。あんなのでいいのか、やってないのと一緒じゃないのかと質問したところ、一瞬に一念を込めているのだからいいんですって!牡丹ちゃんはいちいち屁理屈言い過ぎですって!
日々の御観念文、なにを、どう念じているのかが人そのものを作っていくのかもしれません。そう考えると怖ろしいことです。

創価プレゼンツの御観念文を一読した時、なんだかスケールがちっさくなっちゃったなあと漠然と感じたものです。
そのせいでしょうか。現役創価脳の方々の視野のなんとも狭いこと。
初めは事なきようにて・・・とはこのことでしょう。
創価脳諸氏はいつものように癇癪を起こして必死にブーメランを投げまくるのでしょうが、残念ながら、大変わかりやすい実験証明となってしまっています。

ありがとうございました。

 これなら かなり分かりやすく書かれてあって、私も引き締まる思いです。

 なんだかんだ、言ってても管理人さんはやさしいですよ(失礼!)

 これでもそれが判らない戦後入会バリ活動家は、ほんとぉぉーに!どうしようもないと思いますよ?  ここに集うコメンテーターさんとて、ただの「創価憎し!」じゃないです。  「気づいて欲しいと思って書いているはずです。

 憎悪だけではただの修羅界で、修羅ばかり出してると、ほんとーーに、疲れます。
 ムダにいのちを削るだけですから。  仮にも仏道を行じてきた者は、そんな行為は所詮、愚かだと知っています。  

 それに腹をたて暴論でもって乗り込んでくる方々は、どうですか? 「てめえ、この野郎!」ではないですか?  もしも双方が だだの修羅場を演じているだけなら、傍からみたら、ただのみっともない喧嘩ですよ。  世間様のお笑い草になるだけでね。

 それを蘭坊が言うのはヘンだ!と言われるかもですが、私はそのつもりです。

 大聖人様に「信を取る」、せめてもの読経・観念文。  私まで救われたような気持ちになれました。

 感謝します。

二座だけ変えても焼け石に水のレベルです(*_*)

友人葬やら血脈否定(大謗法)
御書の切り文から本尊作成…

毎日お寺に参詣して罪障消滅を願っていかないとヤバいレベルです(*_*)

ヨクワカラナイと言う子供からお年寄りまで与同罪があるようです。早く助けたいです。強制は出来ないので…発心してくださいm(__)mと言うしか無いですね…

キツい言い方、毎度ながら失礼しますm(__)mかっては仲間だと思っていた方々が不幸になるのは見たくありません!気づいてほしいです!

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> 私の今の目標は、
> 創価に盲目な母を何とか、
> 大御本尊様に眼を向けさせる
> 戦いなのです。

お母様もいつか分かってくれる日がきます。
それまでは焦らず親孝行していきましょうね。
母親は特別な存在ですもんね。

> この時間帯になると、
> 私の唱題は、
> 朝勤行なのか?
> 夜勤行なのか?
> 分かりませんけど、
> 毎朝毎晩の大聖人様への
> 報恩感謝の心で唱題致します。

大聖人様は昼夜を問わず
見守ってくれますから安心ですね。

牡丹さん

こんにちは。

> 日々の御観念文、なにを、どう念じているのかが人そのものを作っていくのかもしれません。そう考えると怖ろしいことです。

信心に限らず、人間は何を念じて生きていくかで人生や人格が変わっていきますよね。

> 創価プレゼンツの御観念文を一読した時、なんだかスケールがちっさくなっちゃったなあと漠然と感じたものです。
> そのせいでしょうか。現役創価脳の方々の視野のなんとも狭いこと。
> 初めは事なきようにて・・・とはこのことでしょう。
> 創価脳諸氏はいつものように癇癪を起こして必死にブーメランを投げまくるのでしょうが、残念ながら、大変わかりやすい実験証明となってしまっています。

大作センセに報恩感謝したり
創価の興隆を日々祈っていると
「こうなっちゃう」ってことですかね。
癇癪起こしたところで創価脳活さんができることは
せいぜい自分たちのコミュティで
わぁわぁいうだけですから何の障りもないですね(笑)

蘭房(RAMBO)  さん

こんにちは。

>  なんだかんだ、言ってても管理人さんはやさしいですよ(失礼!)

そうですよ。優男ですよ(笑)

>  これでもそれが判らない戦後入会バリ活動家は、ほんとぉぉーに!どうしようもないと思いますよ?  ここに集うコメンテーターさんとて、ただの「創価憎し!」じゃないです。  「気づいて欲しいと思って書いているはずです。

そらそうです。私なんていまでも自分こそホンモノの創価活動家と思ってますから(笑)

>  それに腹をたて暴論でもって乗り込んでくる方々は、どうですか? 「てめえ、この野郎!」ではないですか?  もしも双方が だだの修羅場を演じているだけなら、傍からみたら、ただのみっともない喧嘩ですよ。  世間様のお笑い草になるだけでね。

創価脳活さんは「でめぇ、この野郎」というのが精いっぱいなんです。
あとは相手を貶める「印象付け」つまりデマをいう。
それ以外に何も言えないでしょう。
相手が創価の事も信心の事も知らない人なら騙せるかもしれませんけど。

ナノルホドデハアリマセン  さん

こんにちは。

> 二座だけ変えても焼け石に水のレベルです(*_*)

私はそうは思わないんですよね。
「0」と「1」では大きく違うと思います。
焼け石だって水をかけ続ければいつか冷える。
水をかけなければ冷えることはない。
そう思います。

> ヨクワカラナイと言う子供からお年寄りまで与同罪があるようです。早く助けたいです。強制は出来ないので…発心してくださいm(__)mと言うしか無いですね…
> キツい言い方、毎度ながら失礼しますm(__)mかっては仲間だと思っていた方々が不幸になるのは見たくありません!気づいてほしいです!

はい。そのお気持ちは十分に伝わっています。
ここのコメンテーターさんの多くは同じ気持ちだと思います。

管理人様

今回の記事につきまして、法華講員であれば「我見」と思われる方々が
いらっしゃると感じます。

あくまで学会員の身で脱会出来ない状況の中、「大御本尊様」への信心を貫くにはどうあるべきか?といった限定的な緊急避難にあたる時の場合かと理解しております。
管理人様らしいわかり易いご教示ですね。

ちなみに日蓮正宗の勤行(化儀化法)について以下に記させていただきます。
尚、荒凡夫である小生が軽々に申し上げて、間違いがあってはなりませんので日寛上人の御指南を引用します。

日寛上人は『当流行事抄』に
「但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山以来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」と仰せです。
つまり基本の化儀化法は、大聖人の時代から些かも変わっていないとのご教示です。

次に享保4年『報福原式治状』には、
「当山行事の次第、初座は十如寿量諸天供養、二座は十如世雄寿量本尊供養、三座は十如寿量祖師代々、四座は十如寿量祈祷、五座は十如寿量法界回向なり。是れ則ち丑の終わり寅の始めの勤行なり。若し黄昏は初座十如寿量本尊供養、二座十如寿量祖師代々、三座自我偈三巻法界回向なり。若し堪えられん人は本山の如く相勤むべし。若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし』とお示しくださっておられます。五座三座の勤行を勤めなさいとの事ですが、
もし時間的制約等があった時は方便・自我偈・唱題でも致し方ないが、御観念は五座三座の形をとりなさいとの御指南です。

もう一点。
大御本尊様を信じることと同時に、唯授一人の血脈相承を信じる事が重要です。
小生、以前記しましたが、先の「大御本尊様否定」によって脱会に至りました。
法華講に移り勤行唱題の重要性を学ぶ中で、法燈の重要性も学んできました。
大聖人様の仏法を伝えて来られた歴代猊下様を通じて、大御本尊様を拝することが正統な信心の在り方です。細かいところでは本師、小師の筋目等々ございますが、「大御本尊様」と「血脈相承」への大確信が大聖人様の仏法を信じ行ずることになります。
歓喜も湧いてきます。

乱文にて失礼いたしました。

古刹信徒さん

こんばんは。

> 今回の記事につきまして、法華講員であれば「我見」と思われる方々が
> いらっしゃると感じます。

はい。それは重々承知しております。

> あくまで学会員の身で脱会出来ない状況の中、「大御本尊様」への信心を貫くにはどうあるべきか?といった限定的な緊急避難にあたる時の場合かと理解しております。
> 管理人様らしいわかり易いご教示ですね。

ご理解いただきありがとうございます。
法華講活動家さんの方々には不満があると思われますし言い分も分かっています。

致し方ないが、御観念は五座三座の形をとりなさいとの御指南です。

> もう一点。
> 大御本尊様を信じることと同時に、唯授一人の血脈相承を信じる事が重要です。
> 小生、以前記しましたが、先の「大御本尊様否定」によって脱会に至りました。
> 法華講に移り勤行唱題の重要性を学ぶ中で、法燈の重要性も学んできました。
> 大聖人様の仏法を伝えて来られた歴代猊下様を通じて、大御本尊様を拝することが正統な信心の在り方です。細かいところでは本師、小師の筋目等々ございますが、「大御本尊様」と「血脈相承」への大確信が大聖人様の仏法を信じ行ずることになります。
> 歓喜も湧いてきます。

そうですね。信心の血脈とは「大御本尊」と「一人血脈」に信を取ることです。
しかしながら、三座のご観念文(三師供養)のなかで特に
「南無日道上人・日行上人等御歴代の御正師、御威光倍增御利益廣大御報恩感謝徳の御為に」
この部分が抵抗のある学会員さんが多いのです。
まづは「本尊供養」から。と思い記事にしました

リコメありがとうございます。

管理人様

リコメありがとうございます。
さすがは優男様です。(笑)
目くじらを立て掛けていた法華講員も、少なからず大きな懐で受け止めていらっしゃることと存じます。

大聖人様は一切衆生を成仏せしめる為に、大御本尊様を御建立してくださいました。
学会員さんには「なにを信じているのか?」を今一度、自問自答して欲しいと願っております。

信仰の対象は何?

駄文失礼します。

学会員は、
私の母を含め、
何が信仰の対象なのか?

創価最高幹部が、
新聞の片隅に小さな記事で
大御本尊を信仰の対象外と
言った時点で、
会員は誰もおかしいとは疑わない。
疑問に思わない。
我ら麗しい末端会員はスルーする。

ロイヤル創価のキラーパスなのに??

見逃したボールは、転々と、
駄地獄へ転がるのです。

大御本尊様を直視できない。
大御本尊を信じる事ができない。
こんな不幸な事は
有りませんね。

創価の皆様、
御愁傷です。

センセの
ご威光でも拝んで下さい。
私は拝めませんけど。
大御本尊以外はね!

どうなんでしょう

 管理人さん

 創価犯に いや創価班にいたころ、合言葉はいつも『絶対無事故』だったですね。
 例えば階段、例えば駐車場、火事 地震など 、 法力の故に絶対にリスクは無いといえばウソになる。
 想像好きな私は任務の意識と共に、よく妄想していました。 「もしも」を想定して頭ン中でシミュレートしていたものです。  出来るだけ詰めるしかない狭い駐車場だったから、なるべく数センチ単位まで、前の車に接近してもらって停めたりしていたけども、それもその運転手さん次第。 もしも初心者マークベッタシ!の人なら無理はしないし、老婦人もそう。  また会合終了後も、必ず長話をするしか能のない婦人部幹部の車は、列の先頭には停めさせない。  わたしゃ、そんなワケで嫌われたいぢわる創価班でした。  まあ創価畑の方ならこんなもん「当たり前」な措置ですよね。

 危険を察知する  その上で運転なり、仕事なり、対人活動なりするはずです。

 リスのように愛らしい目をしたおぢさんになっても、狡猾に妄想を続けてきたせいもあって、創価の怪異な面も早めにキャッチしてきたのかなと。。

 で、本題ですが、『今の創価に居続ける活動家』は、どうなんだろうということです。  あえて自動車運転上の刑法に喩えてみます。

 「危険を察知も予想もできずに、走行していて、急に子供が飛び出してきた、 とっさに避けたが、轢いてしまった」   これは過失運転障害罪なりになる。

 「狭い道で、向こうで子供たちが数人 家に入ったり道路に出てきたりして遊んでいる。
 それでも時速45キロで走行を続けた。 そうしたら案の定、子供を跳ね飛ばしてしまった。」  こんな場合はいわゆる「未必の故意」になってしまうと思います。

 「やはり、横断歩道を赤信号で歩いているお婆さんがいた。 でも自分の進行方向の信号は青だから、そのまままっすぐ走っていったら、やっぱり轢いた」

これは過失でもなんでもない殺人ですね。

 転じて、創価に留まっている、創価の会員さんには、これらの通りのいずれかになると考えたりしてます。  上の「未必の故意」 つまり「創価が変だな、とは思ってはいたが、なんとなく会合や選挙にそこそこ頑張っていたけど、まさかこんな不幸に見舞われるとは思っていなかった」とかいう人も、おそらく多くいらっしゃるんだろうと。  刑法上も「犯罪」であり送検されます。(仏法ではなんの罪に当たるでしょう)

 キビシイんですよ。仏法は特に。

 「賢人は安きにありて危うきを嘆き、ネイ人(漢字が見当たらず)は危うきにあって安きを嘆く」とあります。  創価班は会員さんの絶対無事故を願って全力で任にあたってきた。  私はそんな創価班が好きだったし、それなりに訓練を受けてこられたことは感謝しております。 それもあってか、前述したように「正しいおこない」であるかどうかを そのステージで考えることを教わったと思えるからです。

 人生も同じ。 信心も同じ。  あとで幹部のせいにして嘆いても遅いんです。

 上の幹部が自分に『過失』で創価を信じるように指導し、カツドウを督励している可能性は、実に大きいんですからね。  つまり自分で考えろ自分の人生だよ?ということです。 ことは法の正邪=幸不幸に直結なんだからね。

 以上、管理人さんが「一度ここでやれ!」と仰ってた「御書コーギ」なるものをしてみました。

 チャンチャン♪^^;

 


 

古刹信徒さん

こんにちは。

> 大聖人様は一切衆生を成仏せしめる為に、大御本尊様を御建立してくださいました。
> 学会員さんには「なにを信じているのか?」を今一度、自問自答して欲しいと願っております。

そこですよね。
根本を見失っていますよね。

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> ロイヤル創価のキラーパスなのに??
> 見逃したボールは、転々と、
> 駄地獄へ転がるのです。

確かに「キラーパス」です(笑)
あまりに「キラー」過ぎてそのパスに対応できなったのですね。

> センセの
> ご威光でも拝んで下さい。
> 私は拝めませんけど。
> 大御本尊以外はね!

大作センセの死身弘法の御徳に報恩感謝するらしいですよ(笑)
死身弘法ならば熱原三烈士でしょう。
大作センセなど足元にも及びません。

蘭房(RAMBO)  さん

こんにちは。


>  転じて、創価に留まっている、創価の会員さんには、これらの通りのいずれかになると考えたりしてます。  上の「未必の故意」 つまり「創価が変だな、とは思ってはいたが、なんとなく会合や選挙にそこそこ頑張っていたけど、まさかこんな不幸に見舞われるとは思っていなかった」とかいう人も、おそらく多くいらっしゃるんだろうと。  刑法上も「犯罪」であり送検されます。(仏法ではなんの罪に当たるでしょう)

「未必の故意」というよりも、心神喪失者なので「責任能力がない」って感じでしょうかね。

>  「賢人は安きにありて危うきを嘆き、ネイ人(漢字が見当たらず)は危うきにあって安きを嘆く」とあります。  創価班は会員さんの絶対無事故を願って全力で任にあたってきた。  私はそんな創価班が好きだったし、それなりに訓練を受けてこられたことは感謝しております。 それもあってか、前述したように「正しいおこない」であるかどうかを そのステージで考えることを教わったと思えるからです。
>  人生も同じ。 信心も同じ。  あとで幹部のせいにして嘆いても遅いんです。
>  上の幹部が自分に『過失』で創価を信じるように指導し、カツドウを督励している可能性は、実に大きいんですからね。  つまり自分で考えろ自分の人生だよ?ということです。 ことは法の正邪=幸不幸に直結なんだからね。
>  以上、管理人さんが「一度ここでやれ!」と仰ってた「御書コーギ」なるものをしてみました。

ありがとうございます。
この御文もよく思い浮かべます。
特に「調子がいい状態」の時にこの御文を思い浮かべて戒めています。
それと
◆賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり
この御文が私の中のワンセットです。

今後も定期的に「御書講義」をお願いいたします。

おくれましたが、はすこさんよかったですね!

●創価のインチキがわかり縁を切る方向にむかうとのことで本当によかったです、おわかりと思いますが、年齢を経て創価のインチキに気が付いた場合、お金もそうですが失った時はとりもどせませんから!若い時に気づいてカルトから去るのが1番です!
宗教に左右されない人生もいいもんですよ!
御多幸を祈ってます!

●同時期にプログを立ち上げた二人の婦人部の方は創価を辞めると同時に日蓮仏法も辞める決意をして去っていきました、本来なら創価辞めた時の受け皿として機能しなければならない日蓮正宗は選択されませんでした、偉いお坊さんが考えるべき問題なんでしょうが、[弘安2年の大御本尊]だけでは、そこそこの若い世代には訴求力が弱いんじゃないかと思います。

●例えば、お寺の中に学童保育所をつくる等して、地域に密着しながらの布教戦略を練るなどの、工夫が必要になってくる時代になっていく予感がします。(あくまでも例えですが、もし、できれば、今までの寺仏教のイメージがガラリと変わると思います)

●創価辞めました同時に日蓮仏法も辞めましたでは管理人さんが深いため息をもらしそうで~

古本屋店主さん

こんばんは。

> ●創価のインチキがわかり縁を切る方向にむかうとのことで本当によかったです、おわかりと思いますが、年齢を経て創価のインチキに気が付いた場合、お金もそうですが失った時はとりもどせませんから!若い時に気づいてカルトから去るのが1番です!
> 宗教に左右されない人生もいいもんですよ!
> 御多幸を祈ってます!

本当に、はすこさんは良かったです。

> ●創価辞めました同時に日蓮仏法も辞めましたでは管理人さんが深いため息をもらしそうで~

ははは(笑)
私的にはそういう心情なのは確かです。
所属団体云々というより日蓮仏法を捨ててしまうのは残念ですね。
まぁ日本人の特性なんですけどね。
無宗教がマジョリティなのは。

創価を辞める=大聖人様も信じない。

毎度、駄文失礼いたします。

大御本尊(大聖人様)を
ないがしろにした(破門後)に、
創価に入会した学会員は、

そもそも、大御本尊(大聖人様)を
信仰の根本に置いた考え方すら、
()命の置き方()を
今の創価は教えませんね。

イケダセンセが、どれだけ、
素晴らしい人生の師匠だとか、
学会は日蓮仏法を現代に即した、
凄い組織だとか、
文化、教育、人間外交?
そんな自己満足でしか無い。

何故、今の創価が発展できて、
金も権力も得る事が
出来たのか?その力の根本は?

今から先、創価がどうなるのか?
そう考えると、まずは、
創価を辞める事は、正しい判断だと、
思います。

が、
日蓮大聖人様まで、信じれる事が、
出来ない人が今後も飛躍的に
増えるでしょう。


創価を辞める事は、
大変に結構な事です。
辞めたいのに辞められない私に
とっては羨ましい限りです。

受け皿を用意する事は、
大御本尊(大聖人様)を信仰の
根本とする者に、
使命は重大な事だと存じます。

こんばんは。

 創価離脱=仏法離反 の問題については2015年にも管理人さんは述べておられましたね。  これに尽きますね。

 尽きますが、しかし依然、今日的な課題です。 言って判ることではないからでしょう。

 『嗚呼 仏法に逢うこと稀にして、喩を優曇華の花びらに借り 類を浮木の穴に比せん。 なおもって足らざるものか。」、、云々、と日興師も仰ってますが、これがなかなか「心がけの範囲」に留まってしまって、生き方の本質とはなりにくい。

 一体どんな祈り(唱題)なら確信を掴めるのか、自分の骨肉にまで染み込むのか、 個々人の質的なことと、福運にも依るわけです。

 以前に私は管理人さんに「広布(活動面)のダイナミズムが宗門にも欲しい」とか、不遜なことを書きました。  今でもそれはあります。 それが創価流の残滓なのかもしれません。 でも、あるのです。

 「大衆化」と言い換えてもいいかもしれない。  そこは是非はともかく創価は成功したと言ってもよいかと思います。 結句、「墓地問題(権?)」も手に入れた。

 話がそれました。 以前の記事のURLを書いておきます。

 http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-date-201504.html
 

退転壮年部おじさん さん

こんにちは。

> 創価を辞める事は、
> 大変に結構な事です。
> 辞めたいのに辞められない私に
> とっては羨ましい限りです。
> 受け皿を用意する事は、
> 大御本尊(大聖人様)を信仰の
> 根本とする者に、
> 使命は重大な事だと存じます。

そう思います。
正宗に創価の真似はしなくてもいいですが
少し頑張って欲しいかな。とは思います。

蘭房(RAMBO)  さん

こんにちは。

>  以前に私は管理人さんに「広布(活動面)のダイナミズムが宗門にも欲しい」とか、不遜なことを書きました。  今でもそれはあります。 それが創価流の残滓なのかもしれません。 でも、あるのです。
>  「大衆化」と言い換えてもいいかもしれない。  そこは是非はともかく創価は成功したと言ってもよいかと思います。 結句、「墓地問題(権?)」も手に入れた。

正宗教義と大衆化とは相いれない部分も多いと思いますが
そこはなんとか上手い方法を見つけ出してくれといいのですけどね。  
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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