宗教という名の元のテロ行為

またも、ISによる痛ましいテロが起こった。
毎回毎回テロのニューズが流れると
本当に心が痛い。
宗教の名のもとになんでこんな惨い事が
繰り返されるのだろう。
本来のイスラム教の教えに反する行為が
こうして繰り返されるのは
本来のアラーの神の教えに
人間の我がままを交えて
勝手に教えを捻じ曲げる
指導者気取りの人間が現れ存在するからなんだろうな。

イスラム教の限らずキリスト教やユダヤ教
そして仏教においても
いかなる理由であれ他者の生命を奪う教義などないはずだ。
ところがどこかの時点で邪な人間が出現して
自分の都合のいいように根本教義を捻じ曲げ
その邪義・己義をあたかも神仏の教えかのように騙り
人々を誑かし自分の都合のいいように操るようになる。
もうそれは、アラーの神の教えでも
キリストの教えでも
釈迦の教えでもなく
ただの一人の野心をいだいたた人間の教えなのに
人々は「その教えこそ真実」と思ってしまう。
そこに、宗教の名のもとのテロが生まれる。

そうした意味において創価も全くISと変わらない。
大聖人仏法を捻じ曲げ
自身の己義・邪義を多くの会員に
信じ込ませ利用した張本人
それが大作センセと呼ばれている爺さんだ。
いまの創価の教義を見てみろ。
もう大聖人の仏法と呼べる部分は何一つない。
池田教そのもだ。
大聖人仏法における根本教義を言えば
「教条主義」
「原理主義」
などといって、あたかもそれが
時代遅れの頭でっかちの教えであるかのごとく反論するカツドウカは
「イスラム国」の人間と変わらない
「創価国」の戦闘員そのもである。
仏法とは仏の法でり仏の体である。
そのご本仏の色心二法を
大作センセごときの盆暗・・もとい凡夫に
なんの意義を挟む資格があるだろうか。
人間のための仏法。それはその通りだが
ご本仏を超越しようと企てることが人間仏法ではない。
まさに屈伏虫が非想天である。

誤解のないように書くか
俺は創価が世間でいうような
テロ組織などと思っていない。
創価がオウムよろしく無差別テロなど
することは断じてないと思ってる。
なので、この記事はISと創価を同等に扱っているわけじゃない。
少なくても世法でみればISと創価では全く正反対である。
しかし、仏法の目で見れば
IS以上の非道の行為を繰り広げてるのが創価である。

何故ならば

◆涅槃経に云く「悪象の為に殺されては三悪に至らず悪友の為に殺されては必ず三悪に至る」(富木殿御書)

と御書にあるように
創価の邪義・大作センセの己義に誑かされて
ご本仏への信心を殺され
大御本尊を捨ててしまえば
その人は必ず無間地獄へと落とされてしまうからだ。
これはご本仏の言葉だ。
ご本仏の言葉とは、普遍の教条であり普遍の原理だ。
時代も国も無関係な不変で永遠の原理っだよ。

そうやって人々を無間地獄へと誘う
創価活動家軍団は、
仏法の次元においては
非道なテロを繰り返しているテロ組織と変わりない。
しかも世法ではソレと分からないところが
より恐ろしくタチが悪いからIS以上だろう。
こうした仏法テロを防止するためには
少しずつでも創価カツドウカをに騙されている人々を
一人また一人と減らしていかなければいけない。
それが大聖人の言う破邪の精神だ。
もちろん創価以外にも
顕正会なんていうのも存在するが
まず大悪党が先である。
顕正会程度のチンピラは後回しだ。

最後に、今回のテロで尊い命を奪われてしまった皆様の
ご冥福を心からお祈り申し上げます。

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こんばんは。

少なくとも、信仰と関係ない変な決まり(仏法は師弟など)や選挙販促活動を信仰と誤解させ無駄な労力金時間を会員に費やさせている点は極悪でしょう。人間操作のうまさはナチス、オウム、ISと同じ感があります。

管理人さんへ

  こんばんは。

 ソウカの定義づけはそれこそ幾通りもあるように思います。 ザックリと言えば
「邪教化した新興宗教」であり、先鋭的な民族主義集団でもあります。

 日蓮大聖人様の仰せに違背し敵対する。その為には詐称(ソウカ仏など)もするし、教義の捻じ曲げもする。  あまつさえ根本足る「本尊義]までもすり替えてしまった教団である。 つい先日まで心ならずも 私ら家族もそこにいたのだから情けない。  管理人さんも書いておられたように、世法上に於いては、表に見えた暴力行為や、抑圧的な示威行動も出さない。   見せない。 姑息なまでに
「世界平和」などのアドバルーンを上げてきた。

 私には以上の理由から、ソウカこそ「ナショナリズム集団」に見える。

 偽装国家なり、民族なりが 例えば「日本と言う囲み」の中で唱えるひとつの理想であろうか。  

定義をウィキってみると ナショナリズムを

 「アーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義した[3]。この定義は完全ではないが議論の出発点としてある程度のコンセンサスを得ている」 とある。

 テロリズムとナショナリズムはしばしば混同されるが、私は前からソウカ民族主義だと思ってきたし、イケダも「創価王国。いやソウカ共和国を作ろう!と公言してきている。   定義の相違もあるがいずれにせよ独立国とかいう意味合いで、言挙げしたかったのだろう。

 国家内国家であるのだから 是非はともかく日本という国家にとっては いわば「ガン」のようなものだろう。

 癌細胞なら体内のキラー細胞が機能するはずなのだが、悲願であった政権与党に組することにより、かつての「四月会」なども解散して、いまやマスコミ界をも支配し、新聞社や言論界、法曹界にも浸潤してしまった。  電通なども創価の「牙城?」となってしまったやに聞く。

 あからさまな殺人や幽閉、誘拐などは「見えない」にしても、もはや宿主はボロボロなのである。   

 テロも世間のあちこちに潜在化していて、当局もフォーカスすることができなくなりつつあるが、ISなどはまだ、可視化できる相手だ。  だが、ソウカの手先は相当の数が警視庁や官僚の中にも身を潜めている。  こんな手ごわい存在もそうはなかろうと考える。   同じ肌の色をした異民族が そこいらに存在しているのは恐怖だ・

 例えば 今後私がソウカの被害に遭って 警察に訴え出ても、ソウカの刑事や警察官に、ウヤムヤにされることだってあるのだろう。

 かつての国柱会など失敗や破綻を凌駕して、総体革命の名のもとに、国家と世間の間に時間をかけて浸透させていく手法を講じたのが「水滸会構想」であり、イケダという大悪人の恐ろしさだろう。    どっかに島を買い取って王国?を、、とかいうより、もっと悪辣な陰湿な手法をここまでにした悪魔だと断じざるをえまい。

 ソウカナショナリズム。   ソウカによるソウカのソウカの為の民族国家構想。

 その危険さを一番 解ってないのが 他ならぬ「創価学会員]である。

遠近法的倒錯

いつもお世話になっております。
本記事も大変勉強になりました。

ISについては私も関心があり、中田考さんの本など、勉強しました。管理人さまのような日蓮を信じておられる方がどのようにISを見ておられるのかわかり、なるほどと思いました。

毎度恐れ入りますが、質問がございます。

・政教分離について
現在日本が採用している政教分離について、管理人さまはどのようにお考えですか?
宗教はプライベートな領域に留め、世俗的な勢力がパブリックな領域を支配するという考えについてです。
以前管理人さまに国立戒壇について質問をさせていただきました。国立戒壇という言葉を日蓮は使用していませんが、
三大秘法抄において国主と天皇の許可の下戒壇の建立を主張したこと、
また、立正安国論において、国主に政治的提言をしたこと。
この事から、日蓮は宗教をプライベートな領域に留めておくという、
現在のフランスやリチャードローティ的な解釈に反対するように思えるのです。

・日蓮を知らずに死んで行く多くの人たちについて
日蓮を知らずに死んで行く人たちが、世界においてはマジョリティだと思います。そうした人たちは、たとえ現世において倫理的な生き方を貫いたとしても、成仏はできないのでしょうか?
私はかつてソ連時代のロシアに滞在していましたが、もちろんそこには日蓮信者など1人もいませんでした。しかし、人間的に素晴らしい方、はっきり言ってしまえば私の知っている日蓮正宗信徒や創価学会員よりも素晴らしい方が多かったのが事実です。
彼らは、ただ、生まれた環境によって、日蓮に出会えなかっただけですが、単に日本の日蓮檀徒に生まれただけの人に劣るのはやや疑問です。

・広宣流布とは?
広宣流布という概念がよくわかりません。
それは、キリスト教徒もイスラム教徒も皆、南無妙法蓮華経と大御本尊に唱える世界なのでしょうか?



蘭房さま

蘭房さま

コメントにて失礼します。

池田は、創価共和国を目指すと公言しているのでしょうか。よろしければ、是非出典元を教えていただけないでしょうか?

共和国とは…
恐らく象徴的元首を置かざるを得なかった戦前日本へのアンチテーゼなのか、
それとも池田の好きそうなカントの永遠平和のためにを参考にしたのかわかりませんが、
貴重な史料になりそうです。

総体革命

元来、ソウカは目指してました。
総体革命を。
今どきの学会員は知らない。
言葉くらいは知ってるかな?

当時は日蓮仏法を広める意義としての
方便。
方向性だったのかと。
全人類が幸せになる為にね。

でも、今は違います。
ハム党を支援するのも、
ソウカを宣揚するのも、
昼行灯(ひるあんどん)と化した
何時もお元気な
センセを永遠の指導者としたのも、

何時も健気に学会活動される
学会庶民を食い物にしてる
方々の為。
師匠が悪なら、弟子も悪。

ソウカが唱える広宣流布など
笑止千万。駄文失礼致しましたm(_ _)m

管理人様
いつも読ませて頂いてます。
思ってる事を率直に書かせて頂きます
学会員は75歳前後の人が8割~9割で、10年後や15年後はどうなってるかはおわかりでしょう。
脅威とは誰も思ってません。
批判しなくても、殆ど学会員はいなくなります。

スメルジャコフさんへ

こんにちは。  ご質問をいただきましたので 私なりにご返答します。

 まず「共和国発言」については年月日 及び場所、記録とも特定は出来ません、
おそらく25年~30年以前の本部幹部会席上でのスピーチであったという程度です。 当然 翌日あたりの聖教新聞には記載があると思いますし池田大作全集にもあるでしょう。 「創価王国だ、いや共和国だな」と言っていたことを記憶しているだけです。   私には仲間内での勝手な高揚感に支えられ、リップサービスでのたもうたくらいの戯言でした。 決して『500年先の構想」を先生は練り終えておられる』とかいうのと同様、それが公式発表になっているなんて聞いたこともありません。

 ただもしかしたら本人のご教養からして「共和制と王制」の区別さえ意識できてはいなかったとも思えるものですが、彼は象徴天皇などという位置で満足するようなことはないし、ひょっとしたら世界を統べる王の上の「皇帝」になりたかったのだろうと考えます。  手始めは戸田先生のもと、まず日本だったのでしょう。

 ついでにその傍証を挙げれば。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10132887070

になります。  時代背景も考慮すべきですが、今なら妄想狂の一種か、
自己愛性パーソナル障害の診断になるくらいのものでしょうね。

 SGIは世界各国の会員を束ねる組織で、イケダはその会長です。 192か国(ただし瞬間最大記録で、ここ20年、増減の発表はない) もの国・地域に拡がったと盛んに喧伝してました。  ここらあたりは世界皇帝の気分は味わえた時期だったのかもしれません。

 カントの構想については不勉強ですが、彼の言葉にあった様に、哲学者の夢にすぎないもの、という記憶しかありません。  例えば、彼は軍隊の破棄を謳ってますが、それは「賢明で自由で平和な」国民の資質でっもって国主を選び、その上で、国民が(賢明であるという前提で、)戦争や紛争の手段としてこれを否定する、という前提だっただろうと思いました。  ソウカの理想は確かに「反戦平和」が建前ですから。各個人が人間革命!によって聡明になり、国主の暴走をくい留めるだろうという前提はあったかもしれません。 (勿論、イケダが理想モデルとしていたら、という前提の話)

 庶民が王者! 目覚めた民衆勢力!とかなんとか威勢のいいことばかりが新聞紙上に踊ってますからね。   今は愚者だらけです。 戦争法案に反対して立ち上がった会員や一部の幹部は今、弾圧されています。 

 また 「先生の蔵書は2万冊ある」とか、昔の幹部が言ってた割には そんなに古今東西の哲学や宗教に造詣が深い方だとは思いませんでした。  小児科を「しょうじか」と読んだ人ですから )そういう認識の前提で私は聞いてた程度の話です。

 では現状はどうか。   上層部は愚民思想で 一般会員は自らのご利益の
ために、「公明党」を支持するだけ。 です。

 いずれにせよ、彼は絶対権力者であり、そうであり続けたかった人物です。(でした)   そこがポイントです。

お答えにならなかったでしょうが、そんなところです。

 

ちょいと口を挟みますわよ。

こんばんは。

どうやら今日は虫の居所が悪うございます。

大変失礼かとは思いましたが、思ったことを書かせていただきます。
何を仰りたいのかよく分からないのですが、そういう言い方はないんじゃないのと。そう感じました。
独り言ですのでお返事は結構です。


私は創価の組織に嫌気がさしていたものの、ぐずぐずと決断が出来ずにいましたところを所謂アンチブログに救われた者です。
批判。大いに結構。
批判されて当然の組織ですし、そういう批判を書き、読むことでどれほど気持ちの整理というものが出来たことかわかりません。創価の組織でそれなりに活動して来てしまうと、人生は必要以上に複雑になってしまっておりますので、これをどうリセットして再出発するか。
こちらのようなブログは有難いとしか申し上げようがありません。

なんでも『学会員は75歳前後の人が8割~9割』なのだそうですが、その方々はどうでもいいのでしょうかしらね?
年齢に関係なく、創価の組織から離れたくても離れられないという方はいらっしゃいますけどね。
私の親も該当の年齢でしたが、私に続いて晴れて脱会して喜んでおりました。
『10年後や15年後はどうなってるか』って10年15年は相当長いですよね?
その間に75歳前後の方々はお亡くなりになるからという意味に受け取れますが、随分と残酷なお考えと言わざるを得ません。
確かに自分から喜んで学会活動に勤しんでおられる方は手の施しようもありません。けれども私や私の親のように悶々としている方は10年15年の間放置ということでしょうか。
そういう考えもあるのかもしれませんが、こちらのブログでは違う価値観だと少し読めば分かりそうなものです。

『脅威とは誰も思っていない。』
そんなこと誰か仰ってましたかしら?
『脅威』を感じるとすれば
『創価の組織が脅威』なのではなく、『創価の組織に傷つき悩んでいる方がまだまだ居る』という現実が『脅威』なのだと思います。

私が言いたいのは、悩んでいる学会員はどうでも良いと思ってる訳では有りません。
そこまで学会員批判に力を入れずとも、先は見えてると思ってるだけです。

牡丹様
ひとり言でしたら、一人の時に仰有って下さい。
明らかに私の文章を取り上げて批判なさっておられる。
管理人様へと書いています。
御参加の皆様へと書いてません。
不躾ではないのでしょうか?
趣旨に合わないとわかりそうなものだと言うなら自分でブログを立ち上げたらいかがでしょうか?
管理人様に不参加をお願いされるなら、趣旨に添いますが、管理人に当てたコメントにコメントするなど無礼だと思います。
管理人様のみが見れるコメントにしても構いませんが必ず御回答下さい。
文章から推測するに、牡丹様は脱会なさったのでしょう。
組織批判は構いませんが、学会員の心配を学会員でない方にしてくださらなくて結構です。
私は学会員で学会員の心配をしております。
アンチ学会の方の声を真摯に受け止めるべきだと思います。
バリ活さんはやり方が横暴だったのです。
世間の方に受け入れられる活動で無ければならなかったのです。
ちなみに申し上げますが、脱会者は出しません。断ってるのにしつこくごね得、根負けを狙う学会員が除名されるべきです。

他人に当てた手紙に自分が返事を出すなど下衆な行為は止めて欲しいです。
自分は嫌われる事など何もしてないのに、学会員でない方は学会嫌い、バリ活さんからもっと活動しろと言われて苦しんでいる
同志を見殺しにして、見捨てて、自分だけさっさと脱会した人に学会員の事を語ってほしく有りません。
学会員の事を案じておられるなら自分が脱会せず、非常識な学会員に脱会してもらえば良かったのです。

miuさま

こんばんは。

大変失礼いたしました。
わざわざ名指しでコメントいただきまして申し訳ありません。
お怒りごもっとも。ごめんなさいね。
おかげさまでmiuさんのスタンスが垣間見えて、ところどころ、よく分からないながらも興味深く読ませていただきました。
脱会者は出さない、と断言なさるとはお見それいたしました。
嫌われついでにもうひとつ。
miuさんのお話がちょっと分かりにくい原因は時々主語が抜けちゃうところですので、お気をつけになったほうがいいと思います。はい。余計なお世話です。

前にも書いたのですが、私は我が儘で自分勝手で無礼な未熟者ですので敬意を感じない方とはお話いたしません。

どうぞもう私にはコメントなさらないでくださいね。

発信力

何時もお世話になります。
確かに学会員の総数の内、
若い方々の割合は、
これから先に減少するかも?
でも、ややこしいのは、
魔は姿をかえます。
紛然と。何が正しく、
何が悪なのかは、
私の様なバカな凡夫には分かりません。
分からないから
大御本尊様に信を貫くしかない。
ソウカ活動に意味は無い。
自分が頑張れば、成果は得る。
世の常であって、センセのおかげでは
無い。
本ブログの趣旨に反し
申し訳ないですm(_ _)m

大審問官=哲人政治

蘭房さま

ありがとうございます。
参考になりました。明日、立正佼成会の図書館に行き、過去の聖教新聞を調べてみます。見つかりましたら、共有させていただきます。

ただ、実は私と見解が異なる点が1つあります。
それは、池田が無教養だという点です。彼が無教養だったなら、もっと彼並びに創価学会の問題は単純だったろうと思います。

私は池田の著作をほぼ読んでますが、はっきり申し上げますとよくできています。小児科の読み方云々はともかく、フランスのリセレベルの哲学の素養はあるだろうと言わざるを得ない見解を残しています。共和制と君主制の区別ぐらいはついているでしょう、それは中学生レベルですから。
池田の周りのテクノクラートの知性の高さもあるでしょう、少なくとも日蓮正宗の僧侶よりは頭がいい。例を挙げると、私は野崎勲とある程度の関係がありましたが、かなりの切れ者で知識人でした。まぁ、すくなくとも言えることは、池田をはじめとする創価エリートは知的レベルはかなり高いということです。だからこそ、厄介なのです。彼らをバカだというのは簡単ですが、残念ながらバカではない。
だからこそ勉強が必要だと、浅学非才を恥じる毎日です。

これから言えることは2つ。

1つは、彼らが大御本尊信仰を捨てたことは、彼らのエリーティズム、エリート主義からすれば必然的であること。教養や知的水準を対抗軸にするならば、日蓮正宗は創価学会には敵わない。それとは別の、たとえ閉鎖的にならざるを得ないとしても信仰的な、社会から見ればカルト的と呼ばれるような論を構築せざるを得ないことです。大御本尊信仰が、教養のある人間の批判に耐えられない以上、それは避けられない。

もう一点は、創価学会のエリーティズムと、現場会員の教養の低さの差異がもたらす構造的な矛盾です。創価学会員は社会階層が1950年代などと比べれば、今はかなり上がっているでしょうが、やはり知的層はかなり少ないでしょう。
また、そもそも彼らが日蓮の民衆重視的立場を引用して主張してきた民主主義重視は、今後歴史の審判を受けることになるでしょう。百年後の人々は、

あの時代はフランス革命という幻想がやたら長引いた余韻の時代だった

というかもしれません。
少なくとも、公明党議員というテクノクラート的エリートと、創価学会員という原理的信仰者の差異は深刻であると思われます。

長文失礼しました。

スメルジャコフさんへ

 深夜になりました。  仕事の合間です。 

 お返事ありがとうございました。

 まず会員の定義ですが、「愚者」というのは「無明」の謂です。 哲学的な練度とかいうものではなく、日蓮信者として、介在するソウカ的な示唆に唯々諾々と導かれてしまう愚を指します。  それ以上でも以下でもないのです。

 二点目に

 池田氏の教養の有無?について、・

 これは簡単です。 著名人との対話集だのSGI提言だの、あまつさえ「小説人間革命」だのもおしなべて「陰のライター」の所産であることは、実はとっくに御存じではないですか?

 私はその立場です。  そして本部幹部会などでの池田氏の発言を数分も聞けば、「それ」は十分に察せられますよね。  そうは思われませんか?

 主観の是非までは入り込みたくはありませんが、私ごときでも毎回 ガッカリさせられました。


 次に、

 信仰と言う世界にとって、少なくとも必要条件が一つあるとすれば、それは「信」です。  そこに哲学的論考の「矢」をいくら射たところで、実は無意味なのです。

 論理や思惟を越えた姿勢こそ信仰なのですから。

 次に、

 ハム党と支援者のレベルの差異については、極めて形而下のことです。
 信仰的態度と政治上の含み、あるいは二段腰な選択、あるいは与党故のしがらみなど、 それは公党としての判断など 一般会員の推量では及ばない落差があるのは致し方ない。  しかし、戦争法案と呼ばれるものや、戦前の治安維持法に比肩するものへの危機感を、どうすれば払拭できるでしょうか。

 私は「知らしむべからず 依らしむべし」という手法と大差ないと思いますよ。

 もっと言葉をつくすべきです。(ハムなりソウカなりが)

 政治とは選択の技術でしょう。  しかしそれも一般人(支持者)の支えがあってこその技です。  一時的にそこに乖離があっても仕方ないというケースもあるのでしょうが
他ならぬ池田氏の言。「民衆は愚にして賢なり」というご指導もあったやに覚えます。    

 ベタな説法かもしれませんが、そも、ハム党の党是は一体になんであったかと。

 会合では以前は「池田先生のお作りになった政党だ!」としばしば「押し切られてきましたよ。  今はそれでは済まないということです。  しかも昔 池田氏は「もっとも良いのは全体主義だよ」とも のたもうた記憶があります。

 私には、ただの強権論者としか映りません。

  位相が異なるものへ割って入ろうとするアプローチ手法が あるいはその基本的態度が、ご貴殿と拙者では異なるようです。

しかし楽しい刺激的な会話ですね。

蘭房さま

コメントいただき、ありがとうございます。
創価や日蓮正宗の中では話のできない方ばかりでしたので、貴殿のような方にお会いできこころより嬉しく存じます。
このようなコミュニティができているのは、偏に管理人さまの人格によるものなのでしょうか。
リアル空間でも、このような場があればと、切に願う次第でございます。

さて、蘭房さまの追記に関しては概ね同意ですが…根本的な点で考え方が異なるようです。これは反論ではありません。

1 愚と無明について
私は無明という概念は、特定信仰を受け入れた人間が、それと反する主張をした場合、特に社会的、学術的証明手順に基づいた主張をした場合になされるものだと思います。少なくとも、私がこれまで参与してきた言語ゲームでは、そのようなものです。

2 言語、論理外における信仰
これについては、ずっと考えています。ただ、論理を超えたところに信仰はあるのだ!と言ってしまうと、カルトと言われても仕方なし、幸福の科学や統一教会との相違を問われても、うまく答えられなくなります。
私は、ヴィトゲンシュタインの哲学探求や、柄谷の内省と遡行などを読み、言語の限界はどこにあるのかずっと考えています。信仰は論理を超えている、とは簡単に言えないのが、私と蘭房さまの違いかもしれません。論理や言語の限界を私も指摘したい。しかしそのためには、
文字の形態を統計的に解析する新しい言語学や、論理的言語の翻訳を完璧に達成する深層学習などを参照せねばならず、信仰の論理に対する超越性を主張しづらくなってきます。

3 池田の無教養について
私は池田が大嫌い。ただ、池田をアホでゴーストライターに頼っていると単純に述べる方には、苛立ちを感じます。そんな簡単な批判しかできていないから、創価学会の総括ができないのだと思うからです。

私は、池田が人文系の大学院生を相手にした会合に何度か出席しました。そこでは、もちろん事前に台本などなく池田に様々質問しました。例えば以下。

・ロールズ的な普遍主義と偶然性を主に据えるローティ、どちらが今後力を持ちうるか?
・前期ヴィトゲンシュタインと後期ヴィトゲンシュタイン、どちらがコミュニケーションを的確に捉えているか?
・理性の構成的使用によって、世界平和は達成できるか?それともカント的な統整的使用しかできないのか。

こうした問いに、池田は一定水準の回答をしてきました。それがサクラに基づいていない、というのは私もある質問を気まぐれにして、それに対する回答が首肯に値するものだった、という経験に基づきます。

池田の本の多くはゴーストライターが関与しているのでしょうが、
それをもって池田が無教養だというのは、むしろ創価学会の総括の妨害になるように思われます。
奴は教養があり、そして、運動家として天才中の天才だった。
それを認めた上で、
戦後日本史における創価学会という現象を評価し、
その役割が終わったことを総括することが必要だと思います。

駄文失礼します。
私も今日は、
聖書と日蓮遺文、キェルケゴールやデリダの本を読みながら、
一日日寛の曼荼羅に南無妙法蓮華経を唱えてみようと思います。

特殊意志2.0

蘭房さま

創価学会と公明党につきましては、
ウェストファリア以降の世俗優位的体制についてどう評価するか、
という水準で考えたいと思っています。

創価学会の政治支援云々という話では、頭の悪い議論しかできないので。

管理人さまに、僭越ながら日蓮やイスラムという非西洋圏的視点からの質問させていただきましたので、
その回答を頂いてから私の思考内容を修正し、
述べさせていただきます。

新進党さん

こんにちは!

> 少なくとも、信仰と関係ない変な決まり(仏法は師弟など)や選挙販促活動を信仰と誤解させ無駄な労力金時間を会員に費やさせている点は極悪でしょう。人間操作のうまさはナチス、オウム、ISと同じ感があります。

そうですね。暴力行為・破壊行為がないだけで根っこは同じように感じます。

蘭房(RAMBO)  さん

こんにちは。

>  その危険さを一番 解ってないのが 他ならぬ「創価学会員]である。

そうですね。ただ創価の一番の悪は
善良な会員さんを無間地獄に誘うこと。
それこそ分かりようがないのでしょう。
可愛そうですね

こんにちは
え~っと
脳ミソ筋肉の元創価班の感想。
なんか前にもこういう議論があったような…
堂々巡りになるんでないかい?
朝まで生テレビみたいになるんでないかい?
まぁおもしろいんやけど。
もともこもない事言ってすいませんです。

考えることも大事やけど、実践してみないとわからんこともあると思うよ。
スルメさんはなんかまだ迷いまくってるように感じる♪
違ってたらごめんなさい。

スメルジャコフ

こんにちは。

> ・政教分離について
> 現在日本が採用している政教分離について、管理人さまはどのようにお考えですか?
> 宗教はプライベートな領域に留め、世俗的な勢力がパブリックな領域を支配するという考えについてです。

本来のあり方ではないと思います。宗教と政治は対立するもんではありません。

> 三大秘法抄において国主と天皇の許可の下戒壇の建立を主張したこと、

それは少し解釈が違います。

> また、立正安国論において、国主に政治的提言をしたこと。

前述の通り宗教と政治は対立しません。
政治は大聖人仏法の一部です。

>マジョリティだと思います。そうした人たちは、たとえ現世において倫理的な生き方を貫いたとしても、成仏はできないのでしょうか?

成仏とは大聖人仏法においては「仏になる」のではなく「仏を開く」ことです。
つまりすべてに「仏の生命」は内臓しているわけですから
理論上は誰しも成仏可能です。


> 私はかつてソ連時代のロシアに滞在していましたが、もちろんそこには日蓮信者など1人もいませんでした。しかし、人間的に素晴らしい方、はっきり言ってしまえば私の知っている日蓮正宗信徒や創価学会員よりも素晴らしい方が多かったのが事実です。
> 彼らは、ただ、生まれた環境によって、日蓮に出会えなかっただけですが、単に日本の日蓮檀徒に生まれただけの人に劣るのはやや疑問です。

仏法は永遠の生命とその因果律です。現在の結果は過去の因の結果です。

>広宣流布とは?
>広宣流布という概念がよくわかりません。
>それは、キリスト教徒もイスラム教徒も皆、南無妙法蓮華経と大御本尊に唱える世界なのでしょうか?

広宣流布とはその流れそのものです。

スメルジャコフさんへ

こんにちは。

 仕事の合間です。  ここは今日も好天に恵まれました。

 さて、また一つの意見ですが

 〇無明は原語としては「おそらく」仏教語だとすれば、それ以外の応用はそれぞれ別な意味に使われているのでしょうか。  御存じのように「元品の法性」の対語でしょうから、煩悩の根っこ、くらいの意味に私は捉えています。 ですからご貴殿が言語ゲーム中に浴びせられた「それ」は学会員などからのものでしょうか。

 〇無教養について
 
 これは仰せのように池田氏は「人間革命」での既述の通りだと仮定すれば、悩める青年の一人が多くがそうであったように、西洋哲学書を読み耽っていたとしても不思議ではありません。 そしてその「人間革命」を全く信じれなくなった私としては、そこらへんもすべて捨象していました。  ご貴殿が「池田との対話」で実感なさったことは 改めて受け止めることにします。  さて池田氏が浅からぬ知識や見識、いわば教養の一端を披歴したとしても、私にはそれ以外の部分のほうが落胆の大部分であったことをお知らせします。  つまり「それ」によってもたらされるはずの品性のことです。  これをどの程度 重視するかの感覚の違いは認めますが 私にとっては大切な人としての(または指導者の)属性なのです。

 あるいはこれはアプリオリに備わったものであるでしょう。 どちらにせよ、何度も池田氏に会いましたが、毎回「ただのおじさん」でした。  一方では、しばしば野放図な、粗野な言動に触れてきました。 幹部はそれを「問わず語りに」 「先生は江戸っ子だから」と弁解しておりました。  江戸っ子に失礼ですね。 他にも好例は枚挙にいとまありません。

 〇 論理と信仰について

 こう聞くと私は しばしば「キリスト者」を想起します。  髪も目も黒かったらしいイエスが示した奇蹟を どう説明するかです。  この荒唐無稽な事績を「信じちゃった人々」が十数億もいらっしゃる。  キリストを否定せんがために、調査に乗り出した学者が、ミイラ取りがミイラになってしまった話も記憶しますが、この「ホップステップからジャンプしてしまうのが信仰だといえば乱暴でしょうか。   また反面、戸田氏は生前、「論理学が必要で大事だ」とも仰っていたと覚えます。  「心行所滅」であるはずの信心の世界ですが、「一定」において「言葉で永遠のおっかけっこ」をしなさい、と言われていたように考えました。

 大衆化、という大命題の元では当然かもしれません。 これは決して強要や方便とは異なるファクターとして戸田氏の念頭にあったのだろうと察します。 スメルジャコフさんのご努力と情熱には敬意を表します。

 余談ですが、その上で上記の「ジャンプ」の話。

 ギリシャ神話ではおなじみの「アンタイオス」

  この巨人は無限の回復力、そしてばんたび、力を増すという無敵の怪物ですが、最後には 地面から足が離れたらその力を失うという弱点を見抜かれ へラクレースに持ち上げられて滅ぼされてしまいます。 とても示唆的ですね。

 ちなみに私は昔 別のHPで「シジフォス(シシューポス)」を名乗っていました。
 いささか陶酔的で今となっては恥ずかしいですが、今の今、ガッカイという巨石から遁れて、かなり楽に今度こそ「山頂」を目指していけそうです。

 最後になりましたが、ここの管理人さんの魅力。

 なんといっても「ブレがない」人です。 それから「原点(原典も)」を見失わないことです。  それから「世雄(セユウ)」の香りがします(笑) 経験値は決して無駄になりません。  たまにお話させてもらいますが、楽しいですよ。


では 意を尽くせませんでしたが こんなところでご勘弁くださいませ。

 

 

ゴールデンパラシュート

こんばんは。
代せんせー軍団は、うなるほどの財産を所有し、会員減少を見据え、蓄えた財力でやっていくつもりでしょう。会長以下本部職員が食っていける脱出装置は既に完備済みでしょう。元々会員第一なんて口だけで理念も理想もへったくれもない、仁義なき組織になっています。ついていくのはバカです。キリスト教イスラム教はソーカなんぞが下に見ていい軽い愚かな教えではありません。人々の支えになり豊かな文化を生み出してもいますよ。外道とか言って敵に仕立てるのはヤメテ貰いたいです。外道といいますが祈っていいことがあればそのほうが良いじゃないですか。祈っても内道ではないから宿業はたまっていかないのですから。紙に祈るか十字架に祈るか、全く変わりは無いですね。理屈は新興権力団体ガッカイが自分で言っているだけのこと。科学で証明不可。正しいとは断定できない。永遠に保留します。
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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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