創価教学じゃない御書講義(29年度10月座談会御書・阿仏房尼御前御返事)

弥信心をはげみ給うべし、
仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、
よしにくまばにくめ法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言に身をまかすべし
如説修行の人とは是れなり
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は「阿仏房尼御前御返事」
別名「畷堅固御書」です。
「畷(なはて)」とは、田んぼの畦・土手のことで
本文の
◆なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、
謗法不信のあかをとり信心のなはてをかたむべきなり

から「畷堅固御書」という別名がついてます。

さて今回の御文で重要となるキーワド・ポイントは
「如説修行」でしょうね。
創価バリ活風に講義をするとしたら
この信心をすれば嫌われたりすることもあるだろうけど
相手に嫌われても憎まれても学会の正義を語ることこそ如説修行なんだ!
って感じになるのでしょうが
この御文をどう読んでみても
創価バリ活の言うような結論には至らないですなぁ。

◆仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし

この部分は、仏法(正法)を語れば三類の強敵は出現する。ということです。
そしてこれは「如説修行」自体の説明ではなく
「如説修行」をすることによって
起こること(三類の強敵が現れる)をご教示されているところです。
創価バリ活がいうような人様に憎まれることが「如説修行」ではない。
ということです。

では、如説修行とはどのような修行かというのは次下の

◆法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言に身をまかすべし

この部分です。これが「如説修行」をご教示されている御文です。
この御文と同じことが「如説修行抄」にも書かれています。曰く

◆問うて云く如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申し候べきや(中略)
所詮仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり(如説修行抄 )

如説修行とは、人師・論師の説を用いるのでなく
あくまでも「仏の金言」即ち「如説」を用いることをいうわけです。
そして「仏の金言」のまま修行すると
男女僧尼に必ず憎まれる・・・三類の強敵が現れるわけです。

では「如説」とは具体的には何を指すのか?
「御書」・・それも正解なんだけど、
もっと根本的な「如説」があります。

◆法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言

この部分が「如説」です。
「法華経」とは「法」で
「釈迦仏天台妙楽伝教章安等」とは「人」になっているのがわかりますよね?
この「法」と「人」の二つはこの御文では一体として書かれています。
つまり仏の金言とは「人法一体の体」なのです。
「如説」の文字も見ればわかると思いますが
「如」は「如来」ですから「人」です。
「説」は「説法」ですから「法」です。
このように「如説」とは「人法一体の体」を言うわけです。
また「如来」は「人」ですから「色法」
「説法」は「法」ですから「心法」ということになり
「如説」とは仏の「色心二法」ともいえます。
さぁ、ここまで書けば余程の謗法不信のものでない限り
大聖人のいう、仏の金言(如説)は何か?わかりますよね?
そう、人法一箇・ご本仏の色心二法の当体
「弘安二年ご建立の本門戒壇大御本尊」が
大聖人仏法の文底真実の「仏の金言」「如説」なんですね。
ちなみに創価コピー本尊は見た目はコピーですから大聖人の本尊風ですが
肝心な「心法」がありません。
ご本仏の「心」はコピーできませんからね。
ですから「如説」でないというわけです。

そして

◆身をまかすべし

この部分が「修行」です。
具体的には自行化他の本門の題目です。
「修」とは自行・「行」とは化他行です。
まとめると「如説修行」とは
「戒壇大御本尊」に信をとり唱題し
「戒壇大御本尊」を語ることです。
たとえそれで憎まれてもいい。と覚悟を決める人が如説修行の人である
その人を法華経の行者と呼ぶのです。
ただ、言っておきますが「憎まれるような言動をしていい」
というこではないので勘違いしないでくださいね。

では、今の創価バリ活は如説修行の人ですか?
大御本尊を信受していないなのだから
如説修行の人ではありませんね。
つまり法華経の行者ではない。ということです。
彼らは「仏の金言」を捨てて、大作センセや創価上層部の
「人(凡夫)」の言葉だけを用いている人たちです。
そんな彼らが人々から疎まれ嫌われ憎まれるのは
全く日蓮大聖人とか関係ありません。
創価と彼らバリ活自身の言動が嫌われているだけの話ですね。
そりゃ嫌われますよ。
なにせ、彼らは自分達の都合や要求ばかりしかしないのですから。
ワンウェイコミュニケーションでは他人と仲良くなれるはずがありません。
それに彼らは学会活動をして「嫌な思い」をすると
「嫌な思い」をさせた側を三類の強敵のようにいいますが
むしろ「嫌な思い」をしているのは創価バリ活の周囲の人々の方です。
悪いのはむしろ創価バリ活の方です。
選挙だの新聞だの用もないのに勝手に頼んできて
そんなもの(創価のやっていること)に興味ない人間が
どれほど迷惑で嫌な思いをしているのか考えたことありますか?
あ!バリ活は自分は嫌な思いなんてしないか。
一方的に周囲の人達に嫌な思いをさせているだけでしたね(笑)
しかも仏法の道理すら知らないから「騙り」はできても「語れない」ですもんね。

信心ある学会員さん!
そして自身の人生を本当に変えたいと願っている悩める学会員さん!
一日も早く大御本尊への信を取り戻してください。
訳があり創価を退会できない人でも
大御本尊への信を取り戻せば必ずいい方向に進みます。
今回の御書の最初の方に

◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり

とあります。創価にいるのは謗法ですが大御本尊への信を取り戻し
創価の謗法の手助けしなければ深い罰を受けることはありません
小さな謗法よりも信心の方が強いからです。
今日からは「弥信心をはげみ給うべし」となられる事を願いっています。


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非公開コメント

ご金言。

仏の金言に信心の
重きを置き、

ソウカの珍言には、
耳を傾けない様にします!

いつもありがとうございますm(_ _)m

管理人様のブログを拝見し、
また賢く??なりました。

賢くなりたいですね、凡夫ですから。

またニュースがありましたね。
公明比例候補の樋口ちゃんが女性問題発覚!?で公認取り消し、離党と。
長沢ちゃんといい精力的で素敵すぎます(笑)

さてさて、最近は時間をみつけて、お寺で唱題しております。
先日はたまたまご住職の夜の勤行の時間で何人かの方と一緒に勤行唱題させていただきました。
綺麗な凜とした勤行唱題で創価では感じたことのない清々しさがありました。
改めて思うと創価の勤行唱題って汚ったないんですよね。
お寺に通うようになって一番ビックリしたのは、数珠を揉む方がいない!ということです。創価じゃ真言の害毒が抜けきらない池田センセーを筆頭に、ガチャガチャ揉む人結構いますよね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

嬉!

  こんにちは。

 今回もナイスな講義でしたね。

 【◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり】

 これは有難い。  片眼のクロネコだからお題目を正確には言えない。 「にゃんミョー」になるので有難いv-238  いやほんと、。、

 大聖人様は厳しくてお優しいです・。 親の徳なんですね。 

 管理人さんの講義は、今までのソウカ幹部のそれは 一体なんだったのかと思わせるです。  大抵(98%)は大白(だいびゃく)参照の範囲を出ず、県の教学部長でさえ、たまに選出された部分前後に「こうあります」と紹介するくらいでしたな。  みんな早く終わって欲しいもんだから、それも敬遠されてたり、。
 
 こうみえても私、蘭ネコは講義講師として各支部からオファーがあったり、どういうわけか婦人部女子部さんもそこにいたりで、熱心に勉強しておきながら、本番ではまるで違う話をしてたわりに そこそこウケてたりしましたが、

 管理人さんは、信心増進というか、「そうだったのかー。。 そう読むのかー。。」というすごい講義内容で、つくづくガッカイ辞めて良かった、 おれの支部内に管理人さんが居なくて良かったー、と思う次第。  いや、叩けばホコリしか出ない我が身としては、ホント元気になりましたよ。 安堵しますよ。

 様々 講釈をやたら垂れても、なんの感動もモチベーションアップもない講義は所詮クソだからね。  あの講義担当者用の中継なんか、ほとんど寝てましたね。  聴いてるフリしてても、本番ではまったく引用もしなかったしね。

 しょせん、「はっつぁん、熊さんや、たどんみたいなかかァ」が聴いてて歓喜しまくるのが、講義というものだと私は思っております。 

 どもありがとうございました!。  

 
 

No title

こんにちは。

今月も明解・明快な御書講義をありがとうございます。

今日の記事とあまり関係ないコメントで申し訳ないんですが、
こちらのブログを見つけてから、以前の記事やコメンテーターのみなさま方のあげる一節も、
きちんと御書を確認、前後の御文はもちろん、できるだけ全文を拝読しよう!と頑張っています。
学会版に買い換えたものの放置・新品状態だった「マイ(開かずの)御書」が、
付箋・マーカーで賑やかになってきました。
いつかは管理人さんの御書のように!・・・は無理ですね(笑)

勤行は、先日購入した正宗のお経本を使っていますが、
なんとなく思い立って、今朝、学会の御本尊をお巻きしました。
まだ、勧戒はもちろん、学会退会の目処すらついてませんが、
選挙体制で退会予備軍対応が静かなうちに、もう一度、
きちんとした勤行を覚えるべく、お寺に通いたいと思っています。

みなさまの予測通り、11.18にあるだろう「とんでも大本営発表」時には、
牡丹姐さんのアドバイスを実行し、ぶんぶんとバットを振り、ダッシュで逃げ切る予定です!

いずれ開催されるだろう、お山でオフ会、自分も参加希望です。
端っこでおとなしくしてますので、よろしくお願いします(笑)

こんにちは

あやめさん
おもしろい!文章が生き生きしてる!(笑)
ブンブンバットを振り回し…最高!(>.<)y-~
なんとなく創価本尊巻いた。
僕も経験ありますがハッキリ出ますよ~
ありゃほんとにヤバいしろものだと思います…(--;)

勤行

元創価班様

仰られた通り、学会が如何に間違って教えていたか、お寺に行きだしてから、色々分かりました。
本当の正宗の化儀化法が厳粛であるか
一番違うのは、やはり勤行ですね。
経典通りに読経します。
学会は鈴の鳴らしかたからも
違います。
仏法は道理がなければなりません。

またまたこんばんは

ひごちゃんさん
ですね~はじめはおっそい勤行だな~って思ってましたが、気がつけば苦手な長行がスラスラできるようになりました(((^^;)
針と糸ですね~。なんでも正しい修行法でやらないとダメなんですね♪

あぁ~ほんと生きてて楽しいわ♪
衆生所遊楽だわ(笑)








管理人様

今回も明快な御書講義を拝しました。いつもありがとうございます。

蘭房様を始め皆様仰る通り、
実に清々しい気分になりました。
感謝です。

勤行のコメントがございましたが、
此方も皆様仰る通り、お寺の勤行は
御住職様や導師のチカラ強い響き、太鼓の音色、鈴の余韻まで全てが美しいです。
アッと言う間に五座が終わります。

体感ですがお寺で勤行して、
長行を長いと感じた事がありません。不思議です。
勤行がこんなに楽しく感じる事は、
学会員の頃にはありませんでした。
六根清浄の果報に感謝です。

空伽羅おじさんさん

こんばんは。

> 仏の金言に信心の
> 重きを置き、
> ソウカの珍言には、
> 耳を傾けない様にします!

空伽羅おじさんさんは、心配ありません。
大聖人様の真のお弟子さんですから。

それにしてもカピバラ大きいですね~
娘ちゃんは怖くないのかなぁ

現役男子部さん

こんばんは。

> またニュースがありましたね。
> 公明比例候補の樋口ちゃんが女性問題発覚!?で公認取り消し、離党と。
> 長沢ちゃんといい精力的で素敵すぎます(笑)

古くは弓谷君も・・・
でも彼は除名になってませんね~(笑)

> さてさて、最近は時間をみつけて、お寺で唱題しております。
> 先日はたまたまご住職の夜の勤行の時間で何人かの方と一緒に勤行唱題させていただきました。
> 綺麗な凜とした勤行唱題で創価では感じたことのない清々しさがありました。
> 改めて思うと創価の勤行唱題って汚ったないんですよね。
> お寺に通うようになって一番ビックリしたのは、数珠を揉む方がいない!ということです。創価じゃ真言の害毒が抜けきらない池田センセーを筆頭に、ガチャガチャ揉む人結構いますよね。

私も、創価を追放されたからお念珠は揉まなくなりました。
創価の唱題会は、ジャラジャラうるさいですよね~

非公開さん

こんばんは。
コメントありがとうございます。
遠慮しないでコメント公開してくれも大丈夫ですよ

蘭房(RAMBO) さん

こんばんは。

>  管理人さんは、信心増進というか、「そうだったのかー。。 そう読むのかー。。」というすごい講義内容で、つくづくガッカイ辞めて良かった、 おれの支部内に管理人さんが居なくて良かったー、と思う次第。  いや、叩けばホコリしか出ない我が身としては、ホント元気になりましたよ。 安堵しますよ。

褒め殺しはダメですよ。といったはずです(笑)
でも、何か感じていただけたのなら1時間以上費やして記事を書いた甲斐があります。
こちらこそいつもありがとうございます。

あやめさん

こんばんは。

> 今月も明解・明快な御書講義をありがとうございます。

こちらこそお読みいただきありがとうございます。

> こちらのブログを見つけてから、以前の記事やコメンテーターのみなさま方のあげる一節も、
> きちんと御書を確認、前後の御文はもちろん、できるだけ全文を拝読しよう!と頑張っています。
> 学会版に買い換えたものの放置・新品状態だった「マイ(開かずの)御書」が、
> 付箋・マーカーで賑やかになってきました。

それは素晴らしいことです。
今月の座談会御書の最後に

◆尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事まことにありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや、「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」とは是なり、「其の義趣を問うは是れ則ち難しと為す」と云つて法華経の義理を問う人はかたしと説かれて候

とのお言葉があります。
御書を読むということは大聖人に法門を質問しているのと同じことです。
あやめさんのことを大聖人もお褒めくださっていることでしょう。

> 勤行は、先日購入した正宗のお経本を使っていますが、
> なんとなく思い立って、今朝、学会の御本尊をお巻きしました。
> まだ、勧戒はもちろん、学会退会の目処すらついてませんが、
> 選挙体制で退会予備軍対応が静かなうちに、もう一度、
> きちんとした勤行を覚えるべく、お寺に通いたいと思っています。

それはいいことです。退会云々は大御本尊様にお任せして
まずは大御本尊様への信心をしていきましょう。
ちなみに私もまだ内得信仰で、時々お寺で唱題しています。

> みなさまの予測通り、11.18にあるだろう「とんでも大本営発表」時には、
> 牡丹姐さんのアドバイスを実行し、ぶんぶんとバットを振り、ダッシュで逃げ切る予定です!

牡丹姐さんのアドバイスに間違いはありません(笑)

> いずれ開催されるだろう、お山でオフ会、自分も参加希望です。
> 端っこでおとなしくしてますので、よろしくお願いします(笑)

いやいや。大人しくしないで皆で盛り上がりましょう。
その時が楽しみです

古刹信徒さん

こんばんは。

> 今回も明快な御書講義を拝しました。いつもありがとうございます。
> 蘭房様を始め皆様仰る通り、
> 実に清々しい気分になりました。
> 感謝です。

こちらこそ、お読みいただき感謝しております。

> 体感ですがお寺で勤行して、
> 長行を長いと感じた事がありません。不思議です。
> 勤行がこんなに楽しく感じる事は、
> 学会員の頃にはありませんでした。
> 六根清浄の果報に感謝です。

私も2度ほどお寺でご住職の導師で勤行をさせていただきました。
特に、鈴の打ち方に違いを感じました。
やはり修行されているご僧侶と在家の俗では全然違いますね。
創価からいわせれば「鈴の打ち方」なんて仏法と関係ないというでしょうが
「鈴の音」もご本仏へのご供養なんですよね。
化義即化法ですから

ガキの頃から勤行に思う事は、

正宗の御僧侶が唱える勤行唱題は
凛としてました。
ダミ声にお数珠ガジャガジャ勤行とは
違う。私は昔から感じるところです。

カピバラ君は優しい子でした。
娘のイタズラにも動じる事は
ありませんでした。
いつも有難うございます!

No title


御書を丁寧に読むと、日蓮大聖人は、弘安2年の御本尊とそれ以前から認(したた)め続けてこられた御本尊とを区別、差別した発言はなさっておらず、御本尊を顕したことそのものが「出世の本懐」であり、どれも等しく「大曼荼羅」であると認識なさっていたことが理解できます。

また、歴史をみると大石寺の貫首(法主)はその時代の状況を見て指導や方針を打ち出してきたことがわかってきます。場合によっては日蓮大聖人の教えと異なることもありました。あまりにも荒れた時代では大聖人の御書と偽って偽書を作ってまでも信徒を治めたり、世の人々を勧誘したりしようとしたことも窺い知ることができます。

具体的には、時の法主のみに伝わるとされる「唯授一人の血脈」や、「法主による『開眼』がない本尊は功徳が出ない」「法主本仏論」などがそれです。


ご質問の「弘安2年の楠板本尊根本」もその一つで、時の民衆を治めるために作り出された“説”と言えます。現大石寺宗門も都合でこの説を採用しているに過ぎないということです。

日蓮大聖人は「弘安2年の御本尊が根本」「弘安2年の御本尊が出世の本懐」とは一言も言及されていません。
また、その何年も前から大聖人が御本尊を人々に書き与えてきた事実もございます。
さらに、その後の日興、日目、日道、日行などの初期の歴代上人も「弘安2年」について触れていないことも見逃せません。

そして、御書には「本尊」「御本尊」「観心本尊」の言葉が141カ所ありますが、「大御本尊」「戒壇の御本尊」の言葉は一カ所もございません。
つまり、大聖人は「一機一縁の御本尊」と「特別な大御本尊」という区別をしておらず、すべて「本門の御本尊」と考えていたことが推察できるのです。


大聖人は法華経に予言されている法難をつぶさに体験された後、51歳の2月に「日蓮は法華経の行者」で有る事を「開目抄」にて宣言し(人本尊開顕)、52歳の4月に「観心本尊抄」に於いて本門立脚の法門と図顕すべき大曼荼羅の姿を記述し、2ヶ月半後の7月8日に大曼荼羅を図顕しています。(法本尊開顕)

本尊が宗教上極めて大事な重要なものであるのに、その後、6年後の弘安2年まで、最極最勝真実の本尊を図顕しないでいたと考えることはあまりにも無理があります。

大石寺では「戒壇本尊(楠板曼陀羅)は他の曼陀羅を統括する本尊であり、戒壇本尊と通じさせない他の曼陀羅は本尊の価値が無い」といった主張をしていますが、そうすると「楠板本尊」が造立される前に弟子信徒たちに授与された曼荼羅には本尊としての力が無かったのかという疑問が当然出てきます。

数多くある御真筆御本尊のうち、ただ一つ 「弘安2年の御本尊」 をもって特別(根本)視し、他と差別化することは、大聖人に対して反って申し訳ないこととも言えるのです。


日蓮正宗大石寺では、弘安2年10月1日の「聖人御難事」の
「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」

を、開宗27年後の弘安2年10月12日に大聖人が出世の本懐である戒壇御本尊(板本尊)を図顕した事を述べている文であると解釈していますが、次のような考察により日蓮正宗のこの解釈は間違っていることがわかってきます。

この中の
「仏は四十余」とは、成道後、出世の目的であった法華経説法に至るまでの期間
「天台は30余年」とは、天台大師が、23歳慧師へ入門より57歳にて、終窮究竟の極説と賞嘆される摩訶止観講説までの期間
「伝教は20余年」とは、戒牒取得比叡山入山より高雄寺講会までの21年間

を表しています。
釈尊と天台の場合は、最極最勝法門の開示を出世の本懐成就としていますが、伝教の場合は天皇の面前において、公的対論を行い六宗を帰伏させた事を出世の本懐成就としているのです。

日蓮大聖人の場合について考えてみると、出世の本懐が最勝法門の開示を指すのであれば、佐渡において、「開目抄」「観心本尊抄」にて法門を開示し、大曼荼羅本尊を図顕し終わっていますので、16歳出家を起点にしても、もしくは32歳開宗を起点にしても、法門上の本懐成就は36年後か20年後と云う事になり、27年後本懐成就とは言えないわけです。

大聖人滅後52年頃に著された「御伝土代」(日道著と伝えられる大聖人・日興上人・日目上人の伝記の草案)にも、板本尊造立は記述されていません。

板曼陀羅図顕が「出世の本懐」と云うほどの大事な事柄であれば、大聖人自身か日興上人のどちらかが記述して有って当然なのに記述していないのです。

日蓮正宗所属以外の一般の研究者の検討例によると「弘安2年出世の本懐説は大石寺9世日有上人の時から世に出て来た」とのことです。後世になって初めて文献にその名が出てくるものなので、大聖人御在世には存在しなかったと云わざるを得ないわけです。

したがって「日蓮は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」の意味は、
「教主釈尊は40余年、天台大師は30余年、伝教大師は20余年かかり、その間それぞれ法難を受けられた。日蓮もまた国主帰伏を成就したいとの本懐を遂げんと開宗已来27年頑張ってきているが、その間の受難は皆さんが御存知のことです。」と解釈すべきなのです。

質問

御書を丁寧に読むと、日蓮大聖人は、弘安2年の御本尊とそれ以前から認(したた)め続けてこられた御本尊とを区別、差別した発言はなさっておらず、御本尊を顕したことそのものが「出世の本懐」であり、どれも等しく「大曼荼羅」であると認識なさっていたことが理解できます。

また、歴史をみると大石寺の貫首(法主)はその時代の状況を見て指導や方針を打ち出してきたことがわかってきます。場合によっては日蓮大聖人の教えと異なることもありました。あまりにも荒れた時代では大聖人の御書と偽って偽書を作ってまでも信徒を治めたり、世の人々を勧誘したりしようとしたことも窺い知ることができます。

具体的には、時の法主のみに伝わるとされる「唯授一人の血脈」や、「法主による『開眼』がない本尊は功徳が出ない」「法主本仏論」などがそれです。


ご質問の「弘安2年の楠板本尊根本」もその一つで、時の民衆を治めるために作り出された“説”と言えます。現大石寺宗門も都合でこの説を採用しているに過ぎないということです。

日蓮大聖人は「弘安2年の御本尊が根本」「弘安2年の御本尊が出世の本懐」とは一言も言及されていません。
また、その何年も前から大聖人が御本尊を人々に書き与えてきた事実もございます。
さらに、その後の日興、日目、日道、日行などの初期の歴代上人も「弘安2年」について触れていないことも見逃せません。

そして、御書には「本尊」「御本尊」「観心本尊」の言葉が141カ所ありますが、「大御本尊」「戒壇の御本尊」の言葉は一カ所もございません。
つまり、大聖人は「一機一縁の御本尊」と「特別な大御本尊」という区別をしておらず、すべて「本門の御本尊」と考えていたことが推察できるのです。


大聖人は法華経に予言されている法難をつぶさに体験された後、51歳の2月に「日蓮は法華経の行者」で有る事を「開目抄」にて宣言し(人本尊開顕)、52歳の4月に「観心本尊抄」に於いて本門立脚の法門と図顕すべき大曼荼羅の姿を記述し、2ヶ月半後の7月8日に大曼荼羅を図顕しています。(法本尊開顕)

本尊が宗教上極めて大事な重要なものであるのに、その後、6年後の弘安2年まで、最極最勝真実の本尊を図顕しないでいたと考えることはあまりにも無理があります。

大石寺では「戒壇本尊(楠板曼陀羅)は他の曼陀羅を統括する本尊であり、戒壇本尊と通じさせない他の曼陀羅は本尊の価値が無い」といった主張をしていますが、そうすると「楠板本尊」が造立される前に弟子信徒たちに授与された曼荼羅には本尊としての力が無かったのかという疑問が当然出てきます。

数多くある御真筆御本尊のうち、ただ一つ 「弘安2年の御本尊」 をもって特別(根本)視し、他と差別化することは、大聖人に対して反って申し訳ないこととも言えるのです。


日蓮正宗大石寺では、弘安2年10月1日の「聖人御難事」の
「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」

を、開宗27年後の弘安2年10月12日に大聖人が出世の本懐である戒壇御本尊(板本尊)を図顕した事を述べている文であると解釈していますが、次のような考察により日蓮正宗のこの解釈は間違っていることがわかってきます。

この中の
「仏は四十余」とは、成道後、出世の目的であった法華経説法に至るまでの期間
「天台は30余年」とは、天台大師が、23歳慧師へ入門より57歳にて、終窮究竟の極説と賞嘆される摩訶止観講説までの期間
「伝教は20余年」とは、戒牒取得比叡山入山より高雄寺講会までの21年間

を表しています。
釈尊と天台の場合は、最極最勝法門の開示を出世の本懐成就としていますが、伝教の場合は天皇の面前において、公的対論を行い六宗を帰伏させた事を出世の本懐成就としているのです。

日蓮大聖人の場合について考えてみると、出世の本懐が最勝法門の開示を指すのであれば、佐渡において、「開目抄」「観心本尊抄」にて法門を開示し、大曼荼羅本尊を図顕し終わっていますので、16歳出家を起点にしても、もしくは32歳開宗を起点にしても、法門上の本懐成就は36年後か20年後と云う事になり、27年後本懐成就とは言えないわけです。

大聖人滅後52年頃に著された「御伝土代」(日道著と伝えられる大聖人・日興上人・日目上人の伝記の草案)にも、板本尊造立は記述されていません。

板曼陀羅図顕が「出世の本懐」と云うほどの大事な事柄であれば、大聖人自身か日興上人のどちらかが記述して有って当然なのに記述していないのです。

日蓮正宗所属以外の一般の研究者の検討例によると「弘安2年出世の本懐説は大石寺9世日有上人の時から世に出て来た」とのことです。後世になって初めて文献にその名が出てくるものなので、大聖人御在世には存在しなかったと云わざるを得ないわけです。

したがって「日蓮は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」の意味は、
「教主釈尊は40余年、天台大師は30余年、伝教大師は20余年かかり、その間それぞれ法難を受けられた。日蓮もまた国主帰伏を成就したいとの本懐を遂げんと開宗已来27年頑張ってきているが、その間の受難は皆さんが御存知のことです。」と解釈すべきなのです。

質問

御書を丁寧に読むと、日蓮大聖人は、弘安2年の御本尊とそれ以前から認(したた)め続けてこられた御本尊とを区別、差別した発言はなさっておらず、御本尊を顕したことそのものが「出世の本懐」であり、どれも等しく「大曼荼羅」であると認識なさっていたことが理解できます。

また、歴史をみると大石寺の貫首(法主)はその時代の状況を見て指導や方針を打ち出してきたことがわかってきます。場合によっては日蓮大聖人の教えと異なることもありました。あまりにも荒れた時代では大聖人の御書と偽って偽書を作ってまでも信徒を治めたり、世の人々を勧誘したりしようとしたことも窺い知ることができます。

具体的には、時の法主のみに伝わるとされる「唯授一人の血脈」や、「法主による『開眼』がない本尊は功徳が出ない」「法主本仏論」などがそれです。


ご質問の「弘安2年の楠板本尊根本」もその一つで、時の民衆を治めるために作り出された“説”と言えます。現大石寺宗門も都合でこの説を採用しているに過ぎないということです。

日蓮大聖人は「弘安2年の御本尊が根本」「弘安2年の御本尊が出世の本懐」とは一言も言及されていません。
また、その何年も前から大聖人が御本尊を人々に書き与えてきた事実もございます。
さらに、その後の日興、日目、日道、日行などの初期の歴代上人も「弘安2年」について触れていないことも見逃せません。

そして、御書には「本尊」「御本尊」「観心本尊」の言葉が141カ所ありますが、「大御本尊」「戒壇の御本尊」の言葉は一カ所もございません。
つまり、大聖人は「一機一縁の御本尊」と「特別な大御本尊」という区別をしておらず、すべて「本門の御本尊」と考えていたことが推察できるのです。


大聖人は法華経に予言されている法難をつぶさに体験された後、51歳の2月に「日蓮は法華経の行者」で有る事を「開目抄」にて宣言し(人本尊開顕)、52歳の4月に「観心本尊抄」に於いて本門立脚の法門と図顕すべき大曼荼羅の姿を記述し、2ヶ月半後の7月8日に大曼荼羅を図顕しています。(法本尊開顕)

本尊が宗教上極めて大事な重要なものであるのに、その後、6年後の弘安2年まで、最極最勝真実の本尊を図顕しないでいたと考えることはあまりにも無理があります。

大石寺では「戒壇本尊(楠板曼陀羅)は他の曼陀羅を統括する本尊であり、戒壇本尊と通じさせない他の曼陀羅は本尊の価値が無い」といった主張をしていますが、そうすると「楠板本尊」が造立される前に弟子信徒たちに授与された曼荼羅には本尊としての力が無かったのかという疑問が当然出てきます。

数多くある御真筆御本尊のうち、ただ一つ 「弘安2年の御本尊」 をもって特別(根本)視し、他と差別化することは、大聖人に対して反って申し訳ないこととも言えるのです。


日蓮正宗大石寺では、弘安2年10月1日の「聖人御難事」の
「此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり。」

を、開宗27年後の弘安2年10月12日に大聖人が出世の本懐である戒壇御本尊(板本尊)を図顕した事を述べている文であると解釈していますが、次のような考察により日蓮正宗のこの解釈は間違っていることがわかってきます。

この中の
「仏は四十余」とは、成道後、出世の目的であった法華経説法に至るまでの期間
「天台は30余年」とは、天台大師が、23歳慧師へ入門より57歳にて、終窮究竟の極説と賞嘆される摩訶止観講説までの期間
「伝教は20余年」とは、戒牒取得比叡山入山より高雄寺講会までの21年間

を表しています。
釈尊と天台の場合は、最極最勝法門の開示を出世の本懐成就としていますが、伝教の場合は天皇の面前において、公的対論を行い六宗を帰伏させた事を出世の本懐成就としているのです。

日蓮大聖人の場合について考えてみると、出世の本懐が最勝法門の開示を指すのであれば、佐渡において、「開目抄」「観心本尊抄」にて法門を開示し、大曼荼羅本尊を図顕し終わっていますので、16歳出家を起点にしても、もしくは32歳開宗を起点にしても、法門上の本懐成就は36年後か20年後と云う事になり、27年後本懐成就とは言えないわけです。

大聖人滅後52年頃に著された「御伝土代」(日道著と伝えられる大聖人・日興上人・日目上人の伝記の草案)にも、板本尊造立は記述されていません。

板曼陀羅図顕が「出世の本懐」と云うほどの大事な事柄であれば、大聖人自身か日興上人のどちらかが記述して有って当然なのに記述していないのです。

日蓮正宗所属以外の一般の研究者の検討例によると「弘安2年出世の本懐説は大石寺9世日有上人の時から世に出て来た」とのことです。後世になって初めて文献にその名が出てくるものなので、大聖人御在世には存在しなかったと云わざるを得ないわけです。

したがって「日蓮は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」の意味は、
「教主釈尊は40余年、天台大師は30余年、伝教大師は20余年かかり、その間それぞれ法難を受けられた。日蓮もまた国主帰伏を成就したいとの本懐を遂げんと開宗已来27年頑張ってきているが、その間の受難は皆さんが御存知のことです。」と解釈すべきなのです。

質問

間違えて連投してしまい申し訳ございません。

信心で捉えるか、学問で捉える?

板御本尊様の事を
あれや、これやと、
言われます。

偽物だとか、何とか、言われても

私は大聖人様(大御本尊様)が
好きな凡夫。

いけだぁさんや、
ソウカ妙法のリズムには
ついて行けません。
なんせリズム感ゼロなんで、、。

駄文失礼致しました

嫌々学会員の皆さま、そろそろアップのお時間よ!

こんばんは。

バリ活の皆さま、ご機嫌いかが?
短期決戦でお忙しい?衣更えはちゃんとおやりになった?
ネット活動家の皆さま、せっせと無駄な分析や貧乏くさい活動報告ご苦労さま。
ああ。そうそう。
『功徳欲しさのなりふり構わぬF活動』なのは分かりますけれどね。そこいらにママチャリ停めて道端で話すのは邪魔だからやめてちょうだいね。轢きそうだわよ?はみ出してんのよママチャリも大きいお尻も。


さて、あやめさん。
そうです。そうです。その意気です。
ファインプレーに期待してます。
必死のぱっちの短期決戦、からの11・18大本営発表、尚且つ年末の諸々の雑用の山。一口一万円強制振込もございます。
幹部は自分のことで頭がいっぱいになります。アホですから。
どさくさに紛れて決別する絶好のチャンスです。
たくさん説明する必要は全くありません。というかたくさん話してはいけません。
「ああ言った」「こう言った」「きっとこうだ」と噂のネタにされるだけです。
聞かれたら「イヤなものはイヤ」で十分。百万回聞かせてやればそのうち匙を投げます。
婦人部幹部はしつこいかもしれませんが、あれは優しさではなく組織の体裁とゲスな野次馬根性のなせる技。噂話に飽きて次の噂話のネタが見つかればすぐに忘れます。アホな上に本当は人のことなんかどうでもいい人達です。
そして、例外的に本当に心根のある幹部は結構分かってくれるものです。


あやめさんをお手本に、嫌々学会員の皆さま、どうぞ時を逃さずに。
自分だけ辞めるのは…
組織には仲の良い人が…お世話になった人が…
そんなことは、後でいくらでもフォロー出来ます。大丈夫です。


さあ皆さま準備はいい?
あやめさんと皆さまの幸運を心からお祈りしております!

No title

こんばんは。

 眠れないのが特技だとはいえ 今夜の場合はやや強めの雨が 我が家の
安物のトタン片屋根を叩く音のせいだ。   ために、うるさい二階を避けて
ここ一階に降りてきている。  昨夜は満月だったが秋の空はあてにならないのだ。

 こういう時に限ってうっとしい記憶が首をもたげてくる。 SOKAの忌まわしい由縁は、「なかなか消えずにそこにある」記憶の性質だろうか。

 上の段のほうで「あやめさん」という方のコメントを読んだ。

 二度目のそれを読んで、なかなか気骨のある女性だなと思ってしまった。
 ここにくるまでに、相応の苦悶にあえぎ、いっそ脳みそを取り出して、食器用洗剤でじゃぶじゃぶ洗えないものかと苦闘し、要らぬものを捨象しながら、ずいぶんと軽くなってきた心身でもって、サラリと書かれているような印象だった。

 とても良いことだと思う。 宗教は理屈ではない。 理屈ではないものを快感として享受している間はまだいい。  だがいったん疑念が生じてくるとこれが辛い。  そして回避行動をとろうとすると、組織的しがらみが現実として、「離脱する理由」を求めて来る。  。 トラブルに発展させないで、静かに去れる方途を考える。 皮肉な喪失感さえ感じるし、生活環境もガラリとかわるという予想もわく。

 卵の殻は内側からだけで割ろうとするのは疲れるらしい。 誰かが(親鳥?)が外からこつんこつんとひびをくれると とても楽だ。 このブログもそれには随分と貢献してるんだろうと改めて思う。

 私は実質十年も悩んだ。 頭脳がもたれるほど考えた。 勿論 胃ももたれた。
 なにより「恐怖」と隣り合わせだった。  人をしてアグレッシブにさせるものは、
 私にすれば「恐怖とエロス」なんだろうと思っている。 だからこれは離婚と似ている。

 人が独りであることの恐怖や不安が信仰という次元に走らせると思っているし、逆にそこから離れることは、一見 元の世界に逆戻りするだけなんじゃないかと錯覚もさせる。  後になってみれば、そうでもないと分かるのだが、「その時」には悟れないからこまったものだ。

 話はあちこちに飛ぶが、あの「閻魔大王」はこの世で一番最初に死んだ男だ、という仏説?がある。  小池の言う、いま流行りの「ファーストペンギン」なのだろう。  その伝でいえば、もう今では創価から飛んだペンギンは数百万人もいる計算になる。  我々は後発もいいところだ。

 創価が地獄への駅舎であることを知れば、あるいは「実はやっぱり独りだった」ことに気づけば、あるいはいくら数珠を揉んでも功徳なるものの実感や実体がなければ、あるいは池田氏が実は幹部たちが作り上げた偶像に過ぎず、英雄でも偉人でも傑物でもないと分かれば、話はそう難しくないし、その時点から呪詛は解けたも同然なのである。 元の自分ではなく覚醒した一人の人間なのだ。

 高い授業料ではあったが、こんな私でも「恐怖感」が徐々に失せつつある。

 そして「大御本尊様」をまっすぐ見れる自分になりつつある。

 胸焼けするような聖教新聞を開くこともないし、知性の欠片もない幹部の話を繰り返し聞かされることもない。  穢れた六根が恢復していくだけで実に清々しい。

 待機中でうろうろしている創価ペンギンさん。  今です。 飛んでみようや。

 支離滅裂です ごめんなさい。

 

 

 

 

 

質問さん

こんにちは。

貴方の質問内容は、ヤフー知恵袋からのコピペですよね。
そしてその知恵袋のテキストもまた
日蓮宗の法明教会のサイトのコピペです。
以前私の立ち上げた掲示板で全く同じ文章を書いてきて人がいました。
どこかで読んだことがあるなぁと思ったので。
コピペだけで特に貴方からの質問の部分はありませんので
回答することも特にありません。
質問するのであればコピペは「なし」あるいは引用先を明示してください
その上で、ご自分の質問事項を書いてください。
コピペだけのこの手のコメントは
創価或いは身延信者が宣伝の為に貼り付けていると判断します。
批判でも反論でも構いませんが、
ご自身の考えをご自身の言葉でコメントしてくれることを希望します

空伽羅おじさんさん

こんにちは。

先ほど書きましたが、質問さんの質問は
身延サイトからの転用です。

牡丹さん

こんにちは。

> 『功徳欲しさのなりふり構わぬF活動』なのは分かりますけれどね。そこいらにママチャリ停めて道端で話すのは邪魔だからやめてちょうだいね。轢きそうだわよ?はみ出してんのよママチャリも大きいお尻も。

ははは(笑)その光景目に浮かびます。
そしてなぜか皆さん小太りで大きめのトートバックがカゴに入っています。
街中を走っていると一発で「学会婦人部」とわかります(笑)

> あやめさんをお手本に、嫌々学会員の皆さま、どうぞ時を逃さずに。
> 自分だけ辞めるのは…
> 組織には仲の良い人が…お世話になった人が…
> そんなことは、後でいくらでもフォロー出来ます。大丈夫です。

それは言えてます。
仲のいい人は創価をやめても仲いいし
嫌いなヤツは創価にいても嫌いです。

ソウカを退転しても大丈夫です!

自分の時間が劇的に増えます。

今までの自身の信仰を見直す事も出来ます。

大聖人様に近づく事も出来ます。

せっかくの質問なんで

ご自身の言葉でコメントされたら

尚更、良いのかなぁ?

などと思います(^^)

最近ツイッターを見ていると、創価に不満を持つ学会員が公明は支持できないから、共産あるいは立憲民主を支持する!というツイートが結構あるなと思いました。
どんな連中かなと見てみると、ほとんどが池田センセーの指導とは違うことをやっている原田執行部はダメ。今の学会本部は腐っている。
平和の党なのに安保賛成する戦争に向かわせる公明はダメ。
だから今回は、共産、立憲民主に投票する!というものです。
個人的には何かちょっと違うんじゃないの?と。
大聖人仏法と詐称して信仰活動として選挙運動するのは大間違いですが、信仰と政治をごちゃ混ぜにして、感情やイメージで投票先決めたらダメだろと思うわけです。
結局、盲信して公明を支援しているバリ活と同じじゃないかと思ってしまいます。
個人的には、創価やマスメディアの偏向報道も酷いのでなるべく自分で調べ勉強してイメージではなく事実を見極めて投票するべきだと思ってます。

共産や反日リベラルを支持するような学会員を作ったのも美辞麗句で人心を惑わし続けた創価の罪なんでしょうね。

空伽羅おじさんさん

こんばんは。

> 自分の時間が劇的に増えます。
> 今までの自身の信仰を見直す事も出来ます。
> 大聖人様に近づく事も出来ます。

さらに言うと、「こんなクズとは付き合いたくない」といような
創価幹部も自分の人生から排除できます。

> せっかくの質問なんで
> ご自身の言葉でコメントされたら
> 尚更、良いのかなぁ?

いかにも身延っぽい内容ですね。
最近は創価も身延も言ってることが同じですね

現役男子部さん

こんばんは。

> 最近ツイッターを見ていると、創価に不満を持つ学会員が公明は支持できないから、共産あるいは立憲民主を支持する!というツイートが結構あるなと思いました。
> どんな連中かなと見てみると、ほとんどが池田センセーの指導とは違うことをやっている原田執行部はダメ。今の学会本部は腐っている。
> 平和の党なのに安保賛成する戦争に向かわせる公明はダメ。
> だから今回は、共産、立憲民主に投票する!というものです。

創価活動家が公明以外を選ぶならば、やはりリベラルの党になるのは自然ですかね。
私の後輩は前回の参院選では「社民党」に投票したとのことでした。

今年も残念だったわねえ

こんばんは。

今年も池田名誉会長はノーベル平和賞ダメでしたわね。創価の皆さま、どうしてなの?

え?今それどころじゃない?
いやいや。「ノーベル平和賞は時間の問題」ってハッキリ言ってたじゃないのさ。創価の喧伝通りだとノーベル賞総なめしてもいいくらいの偉人なんだけどなあ。
だいたいそういう方はご高齢になると戴かれてますけどね。変だわねえ。
何か大きな権力が働いて妨害されている?
うーん。説得力ゼロ!

結局池田名誉会長なんてホラ吹きのインチキおじさんなのよ。
ノーベル平和賞なんて妄想よ妄想!
みっともないから他所で言っちゃダメです。

池田先生は平和の闘士?だょね?

ノーベル賞がなかなか取れません。
これだけ財力があるにもかかわず、
バリ活母に言わせると、
池田先生は選ぶ側の人!

うーん、。?(汗)
ここまで来るとお笑いの世界。

そうか平和賞を贈呈しますね!

駄文失礼致しました。
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

初次

はじめまして。
学会3世、大学生の者です。
信仰にはまったく無関心で生きてきましたが、最近日蓮と日蓮正宗、戦後の新宗教について勉強を始めました。その中で本ブログにたどり着いた次第です。
わかりやすい記事、ありがとうございます。
ただ、偏に私の勉強不足に起因するものですが、どうしてもわからない点がありました。ご教示いただくことはできますでしょうか。

1)「法華経釈迦仏天台妙楽伝教章安等の金言」が一体であるとの解釈について
法華経という「法」と、人が並列して記載されている。
ゆえに如説とは「人法一体の体」である。

これについて、並列して書かれていることから、「一体である」とする点に違和感を覚えました。日蓮は並列して固有名を列挙する場合、それらを一体として描くのが常なのでしょうか?
また、釈迦仏/天台/妙楽なども並列されていますが、それらの複数人物も一体なのでしょうか?

2)「如」と「説」について
「如」=「如来」=「人」
「説」=「説法」=「法」

上記の等式について、如来を人、説法を法と等置しておられますが、他の解釈の余地はないのでしょうか?
日蓮のテキストか、日蓮が参照した仏典において、上記の解釈以外にあり得ないと結論付けることは可能でしょうか?

3)「弘安二年ご建立の本門戒壇大御本尊」について
「弘安二年ご建立の本門戒壇大御本尊」について、日蓮が書かれているテキストってあるのでしょうか?私は昭和定本で日蓮を通読した後に、日蓮正宗の大御本尊に関する教義を知り、日蓮テキストとの違いに驚きました。

恐れ入ります。









牡丹さん

こんばんは。

> 今年も池田名誉会長はノーベル平和賞ダメでしたわね。創価の皆さま、どうしてなの?

大作センセはいっぱい勲章やら称号をもらっているじゃないですかぁ
ノーベル平和賞ひとつ位なくてもいいじゃないですか(笑)

空伽羅おじさんさん

こんばんは。

> ノーベル賞がなかなか取れません。
> これだけ財力があるにもかかわず、
> バリ活母に言わせると、
> 池田先生は選ぶ側の人!

なるほど!選ぶ側ではもらえませんね。
納得しました(笑)

鶏卵さん

こんばんは。

折角コメントいただきましたが、同じような質問は何度なく受け回答しましたので
過去の記事・コメント欄をお読みください。
ひとつだけ、書かせてもらえば
大御本尊への信心がないと、日興門流(日蓮正宗)の教義は理解できないません。
よって私の御書講義も疑問だらけで理解できないと思います。
学問としての御書の研究であるならば他をあたってください。

そうそう、学会三世さんならば身辺に学会版の御書があるでしょうに
わざわざ、「昭和定本」を読む必要はないと思いますよ。
それにしても大聖人の御書を「通読」したとは素晴らしいですね。
ただ、学会活動するなり、身延信者になるなり、あるいは出家するなり
いずれにしても信仰をする気がないのなら
「通読」しても時間の無駄ではないかと思います。
趣味で読む分にはいいのでしょうが、若いのだからもっと他の趣味に時間を割いたほうがいいと思います

ウラン様へ。

http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-entry-407.html?sp&m2=res
差し出がましく申し訳けないです。
既に400を超えている管理人さまの
ブログですから、貴殿の答えになるのか
解り兼ねますが、
学問と信仰は似てる様で同じでは
無いと思う輩です。

様々な学術書を読破される貴殿なら、
本ブログを全読するなど、
容易く事と存じます。
失礼千万、誠に申し訳けないです
m(_ _)m

誤記修正します(//∇//)

鶏卵さんをウランさんと表記は誤記です。
お恥ずかしい、申し訳けないです!

鶏卵さん

管理人さんにそんな細かいテキスト解釈について聞いても、回答は返ってこないですよw
われわれはどんな御書も、大御本尊について説かれている、そういう前提で読んでいるので、読解に飛躍が生じるのは当たり前ですので。
要は、大御本尊、これだけ信じればいいので、細かいお勉強の話はわかりましぇーん。

思うのは

 鶏卵さんへ  こんばんは。

 私は以前から思っているのですが、一見 非論理的だと思える行為。

 つまり例えば、ご貴殿は御先祖さまや故人となったお知り合いなどの墓前などで手を合わせて 冥福を祈ったという経験はありませんか?。  一度も無い、と仰るならナンセンスなコメントですが、若しもお有りなら どういう根拠と道理でもってそういう行為をなさったのでしょう。  死後の生命がどうなってるかを知悉して お墓にそれがずっと残っているという前提でないと、意味のない行為にはなりませんか?  

 それは飽くまで心情的な域に収めていて、他に方法が無いからでしょうか。

 信仰的な行為、心情の端緒がそこにはあるのではありませんか?

 この辺りのお考えをお聞かせ下されば幸いです。

 これは純粋なご質問の域を出ません。  よろしくお願いします。

 蘭房

時代背景

鵜卵様

学者や身延や今の学会員は
この質問をされますが、

管理人様や他の方達が書いてある通りに、信仰は学門ではありません。

特にこの信心は大聖人様即ち大御本尊様と信じる事からしか始まりません。

なら、なぜ人間だけ言葉を話すことできるのですか?

太陽系で地球だけが生物が生きていく環境なのですか?

それを納得して生きてる方は
どれだけおられますか

それと一緒で信じるは理屈ではないのです。

それに鎌倉時代の大聖人様の御立場は、幕府からしたら、罪人ですよね。
2回の流罪や首を跳ねられそうになった訳ですから、

佐渡流罪後は、身延に入山された後は、下山も儘ならない状況下で、自分が上行菩薩で本仏であるとは、弘める事など出来ようがありません。

大事な法門はお弟子に口伝相伝され、御振舞いで伝えられ、そのお弟子の中で、唯一大聖人様を理解されたのは日興上人様只お一人で、大聖人様は日興上人に全てを託された訳です。

だから大御本尊様の存在も最初は誰にも秘していて、御開扉も、滅多にはされない時代が続きました。

これがあの当時の正しい認識と考えます。

こんにちは

私のコメント読みたくない方はスルーなさって下さい。

どうしても管理人さんとコメントのやりとりしたいので

教学初級試験がおこなわれました。

私は受験してないけど、0点でない限り全員合格だって勉強する意味ないよね
昔は基準点あった。
よい思い出作りは苦労して作られる
まだそれなら、受験者が集まって模擬試験をおこない、答えを教えてあげて本番で書けるようにした方がよい
真面目に勉強した人を馬鹿にしてる
試験会場ではじめて大白開けて合格した人も馬鹿にしてる

教学試験なんて勉強したこと全部忘れるのだから、座談会や御書学習会で毎回簡単な試験問題、穴埋め問題作ってそれを解きながら勉強する方が記憶に残るのに、小学生の時母にそう言うと、物凄く嫌な顔して言われた事をやるしかないのよと言われました。

創価に私のやりたいことなど今まで一度もなかった。
私のような事を考える人は非活又は退会してます。
私が友達の法華講(元創価)と一緒に信仰する日も近いかな?

miuさん

こんばんは。

> 教学試験なんて勉強したこと全部忘れるのだから、座談会や御書学習会で毎回簡単な試験問題、穴埋め問題作ってそれを解きながら勉強する方が記憶に残るのに、小学生の時母にそう言うと、物凄く嫌な顔して言われた事をやるしかないのよと言われました。

基本的に教学試験なんてずべて意味はないと思いますよ。
特に今の創価の教学は大聖人仏法ではなく創価凡法ですからね。
教学は試験の為のに学ぶのではありません
あくまでも、ご本仏(大御本尊)を求める求道心です。
大御本尊を捨てるような教学なんてものは教学とはいいません。
創価雑学です。

> 創価に私のやりたいことなど今まで一度もなかった。
> 私のような事を考える人は非活又は退会してます。
> 私が友達の法華講(元創価)と一緒に信仰する日も近いかな?

そう思うならば早めに創価をやめたほうがいいでしょう。
「やめられない理由」があるのでしょうが
「やめられない理由」と同じ数だけ
「やめられる理由」があると思いますよ。
ただ、miuさんが「やめられる理由」を考えようとしないだけです

こんにちは。

最近ニュースを見ていてとても気になることがあります。

爺ちゃん、婆ちゃんが、オレオレ詐欺で騙されると、「これからはね、自己責任の時代なんだから、爺ちゃん婆ちゃんと雖もちゃんとしなきゃダメだよ」って言う奴がいることです。
これ、大聖人の教えに反してると思うのでます。
「爺ちゃん婆ちゃんは今のままでいい、おれが守ってやる」って言うべきではないでしょうか!

ハレンチ公明議員

こんにちは。

公明議員の不倫騒動が続いてるようですね。
あんまり報道されてなくて不思議なんですが、ぬらりひょんナツオ始め党幹部は街頭演説でまず有権者に謝るべきです。調子に乗ってペラペラ喋るのはその後です。

誰でしたっけ、乱さんでしたか「魔にたぼらかされた」そうですよ。
「魔にたぼらかされた」?
馬鹿言っちゃいけません。
性欲が強すぎるハレンチオヤジだっただけでしょうよ。前々からけしからん言動があったはずです。
多いですよ。そういう壮年部は。
くっだらない際どい冗談で絡んで来て興奮しているようなキモい壮年部。その段階で張り倒して晒し者にするべきです。
そんなのしか議員になりたがらないし、何と言っても、そんな盛りがついたオヤジを当選させちゃった地元のバリ活達。
貴方達もっと恥入りなさいよね!

質問さん、鶏卵さん

こんにちは。

こちらのブログに参加されてる、ecoさんも貴方方と同じ様な事を言っています。

2ちゃんねるでのecoさんの主張から。

>あと寸法が違うのは 何故?レプリカとすり替えようとしたのか?
>その動機は不明ですけれど、赤沢の問題でつじつまが合いませんか
>日達と赤沢が結託しれば 歴代法主と意見が違う寸法が出てきてもおかしくないよな


大体が、ecoさんの曰くの、大御本尊が「レプリカとすり替え」など何ら証拠も全く存在しません。
もし「レプリカとすり替え」の証拠があるなら、きちんと示して欲しい位です。
また「日達と赤沢が結託しれば」 結託=グルになる などecoさんの主張も何ら証拠も当然存在せず、寧ろ怪しげな情報をネタ元にした、名誉棄損にも各当しかねません。


164eco ◆Smw69BiSBo 2017/09/27(水) 18:05:29.73ID:pkYdXU0f
>>161
歴代法主は 厚さ2寸の板と証言しているのに
何故か 日達猊下だけ『厚さ3寸だ』と説明していれば
普通の人は『あれ?』とか思うけれどね~


これもecさんが、ネットの怪しげな情報をネタ元にした勝手な推測にしか過ぎません。


質問さん、鶏卵さんの主張
>日蓮正宗大石寺では、弘安2年10月1日の「聖人御難事」
>「弘安二年ご建立の本門戒壇大御本尊」について

大石寺歴代法主が「余は二十七年に出世の本懐を遂げる=戒壇の大御本尊を弘安二年十月十二日に現す」と言われています。
これは大学者堀日亨上人など、大石寺歴代法主全員が言われている事です。

質問さん、鶏卵さん

2ちゃんねるにおけるecoさんの反論投稿の引用。


163eco ◆Smw69BiSBo 2017/09/27(水) 17:50:56.24ID:pkYdXU0f

>>寸法が違うなど、確かな証拠を上げられていない。

>>82-84でも示されていたように
なぜ?歴代法主と日達猊下の発言が食い違うのでしょうか?

>>大御本尊がレプリカだという証拠、すり替えられた証拠が全く上げられていない。

>>赤沢氏が関与した証拠が存在しない以上、つじつまが合わせなど有るわけがない。

そういった告発がなされている事が紹介されているのに??
しかも その告発がなされた時期と言うのが
皮肉にも池田氏の模刻本尊事件と重なっていて
これも そのカギを握っていたのが 赤沢朝暘でしたよ。

つか あなたたちは 弘安の御本尊が偽物と思っているんじゃないの?



どれもこれも「確実な証拠、根拠」を上げての反論ではないですね。
単に「告発」と言うネットの怪しげな情報を上げただけです。
ecoさん主張の「池田氏の模刻本尊事件」「そのカギを握っていたのが 赤沢朝暘でしたよ」の模刻本尊事件は、学会所蔵の授与本尊の模刻本尊事件であって、「大御本尊のレプリカ云々」などecoさん主張の話とは、全く無関係な話です。それは当然で、大御本尊は、学会所蔵でなく、大石寺所蔵(現在奉安堂)だからです。


>つか あなたたちは 弘安の御本尊が偽物と思っているんじゃないの?

これはecoさんの話のすり替えですね。
大御本尊がネットで言われてる室町時代の作らしい?の話と、ecoさんの言う「大御本尊がレプリカ」の話とは、全く質も問題も違います。
もしecoさんが言われてる「大御本尊がレプリカ」が事実だと、近代の法主が関わった前代未聞の大問題なので、「きちんと納得出来る証拠を示せ」と言ってるのです。

以上、ecoさんの「大御本尊がレプリカ」論を破折しました。
失礼ですが、質問さん、鶏卵さんのネットから引用した論もいずれ、ecoさんの論と同じく、破折されると思います。

こんにちは。

投稿がうまく出来ないんですが、どうしてでしょう。

牡丹さん

こんにちは。

> 投稿がうまく出来ないんですが、どうしてでしょう。

なんか迷惑コメントに入っていました。
私の方では特に迷惑キーワードを設定していないのですが勝手に振り分けているようです。
一応承認しましたので反映されすはずです

何回もごめんなさい

タイトルがマズイのかと思って連投したのが今ごろ反映されてます(涙)
かっちょ悪いので消してくださいますか。

牡丹さん

> タイトルがマズイのかと思って連投したのが今ごろ反映されてます(涙)
> かっちょ悪いので消してくださいますか。

最近、迷惑コメントに振り分けられちゃう事が時々あるんですね~
承認すると反映されます。
牡丹さんの面白コメントを削除するわけないでしょ~(笑)
(一つだけ消しましたが)

牡丹さん

改めましてこんばんは(笑)

> 公明議員の不倫騒動が続いてるようですね。
> あんまり報道されてなくて不思議なんですが、ぬらりひょんナツオ始め党幹部は街頭演説でまず有権者に謝るべきです。調子に乗ってペラペラ喋るのはその後です。

その通り。離党したらもう知らぬ存ぜぬ。
公明・創価体質そのまんまですね。

> 誰でしたっけ、乱さんでしたか「魔にたぼらかされた」そうですよ。
> 「魔にたぼらかされた」?
> 馬鹿言っちゃいけません。
> 多いですよ。そういう壮年部は。

ははは(笑)
だとすると創価幹部は大勢「魔に誑かされている」人がいるわけですね。
なにせ、地元の組織では「不倫」なんて結構日常的に行われていますからね~

> くっだらない際どい冗談で絡んで来て興奮しているようなキモい壮年部。その段階で張り倒して晒し者にするべきです。
> そんなのしか議員になりたがらないし、何と言っても、そんな盛りがついたオヤジを当選させちゃった地元のバリ活達。
> 貴方達もっと恥入りなさいよね!

まぁ、公明の議員になるのは
創価の組織では「使えない」連中ですからね。
市会議員から国会議員まで公明党なんて創価のゴミ箱みたいなものです。

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創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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