コメントいただいたのでお礼方々書いときます

> >【聖教新聞の啓蒙】  これのどの辺が、大聖人の信心なんですか?

> 下種だからじゃないですか?

> >【公明党の支援】   これはどうですか?

> 立正安国論の実践だからでしょう。
> 「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」
> 「若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし忩で対治を加えよ」
> 自身の幸せを願うならばまず世界の安穏を祈れ、世界の安穏を祈るならば速やかに方法を考えて実行せよ、と大聖人は仰せなので。
> つまり、自身の幸せを願うならば世界を安穏にする具体的方策を考えて実行しなければならないということです。
> 政治活動もその1つです。
> あなたの別の文章にも言えることですが、あなたが考えている広宣流布は、非常に見方が狭いです。
> もちろん弘教拡大することが広宣流布の根幹ですが、立正安国論で上記のように書かれている以上、政治活動その他の社会活動も全て立正安国のための行動になります。

> >【財務】       さぁこれは?

> 正法を弘める教団に対する供養だからでしょう。
> 南条時光が日興上人の教団に大石寺を供養したのと同じ構図だと思いますが。
>
> あなたの主張には頷ける部分もありますが、あまり無理筋な主張はしない方がいいんじゃないですかね。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
上記のコメントありがとうございます。

聖教啓蒙が下種ですか?
まぁ、活動されている会員さんはそうでも思わないとできませんが
下種の【種】とは【南無妙法蓮華経】の事です。
学会の平和運動やら、池田名誉会長のスピーチやら
そんな事を聞かせるのは【下種】とは言わないと。
それにそもそも聖教新聞は学会の機関紙
機関紙である以上内部向けの新聞ですね
内部向けの新聞なので【下種】ってのは違うし
外部に向けるなら、聖教新聞社も税金ちゃんと払って一般法人にしないとね。

公明支援を立正安国論の実践っていうのも毎度のことですが
そもそも立正安国論ってのは「国主」諌暁の書ですよ。
「国家」諌暁じゃないんですよ。
現在の日本の国主は民衆って言ってますよね?
立正安国論の実践というなら、民衆を諌暁するために公明を支援していることになります。
そうなんですか?違いますよね?

財務をご供養と捉えたれているみたいですが、
在家が在家に御供養するなんてのは前代未聞です。
南条時光が日興上人に御供養したという例えは
学会の税務の例えのテイをなしていません。
南条時光が四条金吾に御供養したというなら分かりますが・・・
それに、大聖人の御書にも
在家が在家に供養すれば功徳が有る。なんて事書いてませんし。

学会活動家としての貴方の想いはよ~くわかるのですが、
私から見ると、失礼ですが
無理筋な主張をしているのは貴方のように思えるのですが・・・
というか、貴方の主張はあなたがそう幹部に教えられてきたことですよね?
貴方が思っている程、学会幹部は、行・学ありませんよ。
それを鵜呑みにせずにご自身で学ばれるとこが肝要かと思います。
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No title

>下種の【種】とは【南無妙法蓮華経】の事です。
>学会の平和運動やら、池田名誉会長のスピーチやら
>そんな事を聞かせるのは【下種】とは言わないと。
>それにそもそも聖教新聞は学会の機関紙
>機関紙である以上内部向けの新聞ですね
>内部向けの新聞なので【下種】ってのは違うし

支離滅裂ですね。
確かに下種とは南無妙法蓮華経について語ることですが、聖教新聞に池田先生のスピーチやら学会の平和運動やらが載っていると、どうして南無妙法蓮華経については何も語っていないことになるのですか?
教学的な内容もちゃんと載っているじゃないですか。
内部向けの新聞だと下種は不可能になるんですか?
関係ないですよ。

>そもそも立正安国論ってのは「国主」諌暁の書ですよ。
>「国家」諌暁じゃないんですよ。
>現在の日本の国主は民衆って言ってますよね?
>立正安国論の実践というなら、民衆を諌暁するために公明を支援していることになります。
>そうなんですか?違いますよね?

だからどうしてあなたは狭義の解釈にこだわるんですか?
先に挙げたように、立正安国論には確かに
「個人の幸せを願うなら天下泰平を願え。天下泰平を願うなら具体的な方策を考えて直ちに実行しろ」
ということが書かれているのですから、そのとおりの行動をしているのに立正安国論の実践ではないとは言えませんよ。
国主諌暁にずいぶんこだわっていらっしゃるようですが、それも「具体的な方策」の1つに過ぎませんよ?
大聖人の時代にはそれが最も有効だったから大聖人はそうされたというだけの話です。
あなたの考える仏法は、はっきり言って権教の臭味を帯びています。
仏法と世間法が分離しています。
減劫御書や白米一俵御書をお読みになったらいかがでしょうか。

>それに、大聖人の御書にも
>在家が在家に供養すれば功徳が有る。なんて事書いてませんし。

なんで出家在家の区別にこだわっているんですかね?
御書でも法華経でも、供養の大切さが強調されているのは、「法華経の行者」に対する供養ですよ?
ちゃんと御書読んでますか?
思い込みの激しい方のようですが。

No title

あと、私のことを学会幹部に洗脳されてるとか言ってますけど、私、幹部なんか全く信用してませんよ。
私が書いているような内容、学会出版物のどこに載ってますか?
私が自分で独学で研鑽して考え抜いて身につけた教学です。
あなたの方こそ、学会嫌いの感情論で支離滅裂な文章を書いていることに気づいた方がいいですよ。

No title

ここは法論する場でないので簡単にお答えします。

>確かに下種とは南無妙法蓮華経について語ることですが、聖教新聞に池田先生のスピーチやら学会の平和運動やらが載っていると、どうして南無妙法蓮華経については何も語っていないことになるのですか?
教学的な内容もちゃんと載っているじゃないですか。
内部向けの新聞だと下種は不可能になるんですか?
関係ないですよ。

南無妙法蓮華経の体と何かご存知ですか?南無妙法蓮華経とは弘安二年の大御本尊のことですよ。日寛上人はそうご指南されてます。つまり聖教新聞拡大など下種になりえなないのは教学的に明らかです。


>だからどうしてあなたは狭義の解釈にこだわるんですか?

狭義の解釈というのは、安国論の一節つまり切り文をもって公明支援の信心的正当性を主張することです。また、広義の名のもとに御書を拡大解釈するのは名誉会長を始めとする学会教学のダメな部分ですね。


>なんで出家在家の区別にこだわっているんですかね?
御書でも法華経でも、供養の大切さが強調されているのは、「法華経の行者」に対する供養ですよ?

これも拡大解釈ですね。ここでいうところの(ご供養に関する)法華経の行者とは大聖人の事のことです。百歩譲って在家も法華経の行者と定義たとしても大御本尊を捨てた学会が法華経の行者であることはないのです。


>私が書いているような内容、学会出版物のどこに載ってますか?

学会の出版物に載ってるかどうかは知りませんが、
例えば知人の議員に公明党支援の信心的意義を尋ねれば、貴方と同じ安国論を引用してあなたと同じ説明をします。
学会幹部に財務の意義を聞けばあなたと同じように「法華経の行者」なら供養に功徳があるといいます。
聖教新聞に関しても下種といいますよ。(確か名誉会長もそんな内容のスピーチをした記憶があります)

あなたは幹部を信用してないと言いますが、貴方の言っていることはごく一般的な幹部・活動家の主張と寸分変わりがありません。あなたが洗脳されているかどうかは知りませんが、あなたの主張は学会の主張そのものなのは事実です。
そして最後の
>あなたの方こそ、学会嫌いの感情論で支離滅裂な文章を書いている
この言葉も学会に批判的なことをいう人間に幹部が浴びせる言葉としてはオーソドックスな言葉ですね。
また、私の言っていることが支離滅裂かどうかは、貴方の判断ですからどうでもいいことです。
それは、このブログを読んだ方がそれぞれ決めればいいことでしょう。

No title

論理がずれていますよ。
ずらすのに必死ですね。

>南無妙法蓮華経の体と何かご存知ですか?南無妙法蓮華経とは弘安二年の大御本尊のことですよ。日寛上人はそうご指南されてます。

それはそのとおりですが、

>つまり聖教新聞拡大など下種になりえなないのは教学的に明らかです。

なぜ三大秘法が究極的には本門戒壇の大御本尊だと、御本尊についてもさんざん書いている聖教新聞の拡大が聞法下種にならないんですかね?
「聖教新聞には御本尊以外のことがたくさん書かれている」からといって、「聖教新聞には御本尊について何も書かれていない」ということにはなりません。
今の創価学会が本門戒壇の大御本尊を否定しているから問題だというのであれば、少なくとも原田会長が大御本尊否定発言をする前の創価学会・聖教新聞を責める理由は全くありませんが。
要は大御本尊否定発言だけを責めればいいだけの話であって、それ以外の部分について創価学会を批判するのは基本的に筋違いです。

No title

>狭義の解釈というのは、安国論の一節つまり切り文をもって公明支援の信心的正当性を主張することです。

なんですか、この意味不明の切り返しは?
皮肉のつもりですか?
くだらないからやめてください。
私が提示した文は切り文でも何でもありません。
立正安国論の1つの論理です。

①汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か
(立正安国論 p. 31、御真筆が中山法華経寺に現存している)
If you care anything about your personal security, you should first of all pray for order and tranquillity throughout the four quarters of the land, should you not?
(On Establishing the Correct Teaching p. 24)
★日蓮聖人真蹟集成法蔵館編集部編『日蓮聖人真蹟集成 第二巻』(京都市、法蔵館、1976年09月25日発行)34頁を参照。

②若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし忩で対治を加えよ
(立正安国論 p. 31、御真筆が中山法華経寺に現存している)
Now if we wish first of all to bring security to the nation and to pray for our present and future lives, then we must hasten to examine and consider the situation and take measures as soon as possible to remedy it.
(On Establishing the Correct Teaching p. 24)
★日蓮聖人真蹟集成法蔵館編集部編『日蓮聖人真蹟集成 第二巻』(京都市、法蔵館、1976年09月25日発行)33頁を参照。

著名な翻訳者Burton Watsonによる英訳まで引用したのは、あなたの恣意的な解釈や言い逃れを許さないためです。
私が既に述べたように
「自身の幸せを願うなら天下泰平を願え。天下泰平を願うなら速やかにその具体的方法を考えて直ちに実行せよ」
という当然の論理が展開されています。
この論理は別に大聖人の国主諌暁の精神と矛盾する関係にはありません。
むしろ一致する関係です。
なぜなら、鎌倉時代当時においては、諸宗に対する帰依を止めさせることが災難を止める唯一の「具体的方法」だったからです。
自身の幸せだけではなく世界や社会の平穏を願うこと、そして具体的方法を直ちに実践するという点において、日蓮大聖人と創価学会は完全に一致しています。


>また、広義の名のもとに御書を拡大解釈するのは名誉会長を始めとする学会教学のダメな部分ですね。

広義の解釈も何も、立正安国論の内容から導かれる当然の論理です。
そもそも仏法では総別の二義があるのは普通のことです。
狭義の解釈にあくまでこだわるなら、さっさと脱会して顕正会にでも行けばいいんじゃないですか?
なんでわざわざ、あなたが嫌いな広義の解釈をする創価学会に留まっているんですか?
さっさと顕正会に行きなさいよ。
あっちの方があなた向きですから。

No title

>これも拡大解釈ですね。ここでいうところの(ご供養に関する)法華経の行者とは大聖人の事のことです。

大聖人がそう言われている根拠まで含めて勉強してくださいね。
大聖人が根拠とされている法華経の該当箇所では在家と出家は区別されていません。

法華経第四法師品に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復た彼に過ぎん」等云云、文の心は釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間・ねんごろに供養し奉るよりも・末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳は・すぐれたりと・とかれて候、まことしからぬ事にては候へども・仏の金言にて候へば疑うべきにあらず
(国府尼御前御書 p. 1324)

法華経の第四に云く「人有つて仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在つて無数の偈を以て讃めん、是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん、持経者を歎美せんは其の福復彼れに過ぎん」等云云、文の心は仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給う
(上野殿御返事 p. 1508)

法華経では「持経者」等と書かれているだけです。
出家・在家の区別はありません。

>百歩譲って在家も法華経の行者と定義たとしても

百歩譲らなくても、大聖人が法華経の行者を供養する功徳の根拠とされた法華経の該当箇所では、出家・在家の区別はされていません。
そもそも、日蓮大聖人以外の人物や在家信徒を法華経の行者と認定した御書はいくつもありますが。

陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提生死即涅槃を顕したり云云。
(御義口伝 p. 710)

寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云。
(御義口伝 p. 766)

与仏と云うは法華経の行者男女の事なり
(御講聞書 p. 815)
※大聖人の教団には正式な尼はいないので、「女」は当然に在家の女性信徒を指している。

涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり云云。
(御講聞書 p. 834)

法華経の行者に水火の行者の事 仰に云く総じて此の経を信じ奉る人に水火の不同あり、其の故は火の如きの行者は多く水の如き行者はまれなり
(御講聞書 p. 841)

尼ごぜん又法華経の行者なり
(富木尼御前御返事 p. 975)

中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり
(可延定業書 pp. 985-986)

えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん
(兵衛志殿御返事 p. 1091)

妙法聖霊は法華経の行者なり日蓮が檀那なり
(四条金吾殿御書 p. 1112)

貴辺法華経の行者となり結句大難にもあひ日蓮をもたすけ給う……貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ
(四条金吾殿御返事 p. 1117)

日本第一の法華経の行者の女人なり
(日妙聖人御書 p. 1217)

兵衛のさゑもんどのは法華経の行者なり
(さじき女房御返事 p. 1231)

藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて
(さじき女房御返事 p. 1322)

いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし
(諸法実相抄 p. 1360)

此女人は孫を法華経の行者となして・みちびかれさせ給うべし
(盂蘭盆御書 p. 1430)

辟支仏を供養する功徳すら此くの如し、況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候なり。
(新池殿御消息 p. 1436)
※辟支仏を供養するだけでも功徳があるのだから、それよりも位が上である法華経の在家信徒を供養して功徳が無いわけがない。

過去に法華経の行者にて・わたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか
(船守弥三郎許御書 p. 1445)

我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが・法華経の行者となりて無始色心・本是理性・妙境妙智・金剛不滅の仏身とならん事あにかの仏にかわるべきや
(船守弥三郎許御書 p. 1446)

今度のちぎりこそ・まことのちぎりのをとこよ、そのゆへは・をとこのすすめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給うべし
(上野殿後家尼御返事 p. 1504)

>大御本尊を捨てた学会が法華経の行者であることはないのです。

大御本尊を捨てたのは厳密には原田会長だけです。
変更後の会則には大御本尊を否定する文言は含まれていません。
私が確認した範囲では、原田会長の大御本尊否定発言を容認・賞賛する文章も、学会の出版物には載っていません。
学会員は依然として朝晩の勤行で本門戒壇の大御本尊を供養しています。

No title

「聖教新聞は御本尊ではない。したがって聖教新聞の啓蒙は折伏=御本尊流布ではない」
という考え方は、聞法下種と発心下種の区別ができていない考え方です。

「聖教新聞には御本尊以外のことがたくさん書かれているから聞法下種じゃない」
という考え方は、論理的に間違った考え方です。
「御本尊以外のことがたくさん書かれている」=「御本尊について書かれていない」ではありません。
その他についても同様。
本尊流布という結果だけを見て、その過程の重要性を無視した発想です。

「あくまで御本尊についてのみ語り、あくまで御本尊流布だけをするべきである」
「あくまで供養とは出家に対するものだけを指す」
と言うのであれば、さっさと宗門か顕正会に行くべきでしょう。
なんで創価学会に留まっているんですか?
私に言わせれば、学会があなたの気に入らない活動形態をとっていることはきちんと御書等に基づいた理由のあることですし、それが間違っているという確たる根拠もあなたは提示していません。

本門戒壇の大御本尊を否定する態度が問題だというなら、それを明確に表明した原田会長だけを責めるのが筋です。
原田会長以外の学会員は誰も公式には否定していない状況だし、朝晩の勤行で本門戒壇の大御本尊を供養しているのは以前と同じです。
何より、本門戒壇の大御本尊を否定する原田会長の発言が発表された2014年11月08日以前から創価学会がやっていたことについては否定する根拠がありませんね。
あなたの我見以外には。

No title

Takedaさん。随分とカリカリしてますね。ここはブログなので対論する気はありませんよ。ただ貴方に顕正会にイケなどと言われる筋合いもございません。それとあなたの方こそ学会の会長を非難するならとっとと学会をお辞めになったらどうです?(笑)
最初にやんわり書きましたが、面倒な人のようなので正直に書きますけど、あなたの教学力では話になりません。なぜならあなたの主張は全てあなたの信用していない幹部達が言っている創価教学であるからです。最もらしく御書を引用してますが基本がズレています。悔しいと感じるかもしれませんが、聖教啓蒙も公明支援も学会への財務も大聖人仏法と戒壇大御本尊には何一つ関係のない学会の行事以外の何ものでもありませんよ。学会首脳部が一生懸命大聖人仏法と関係つけようとしている策謀にウッカリ嵌ちゃっている典型的な会員さんがあなたのような会員さんです。これ以上コメントしても不毛ですからあなたへのコメントはこれで最後にしますね。どうせ「逃げた」とかいうのでしょうが、元広宣部の私は法論は対面でするもんだと思っていますのでご理解ください。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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