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学会の幹部なんて「無責任職」だよ。

聖教新聞の今週の言葉に、

学会の役職は
尊き広布の責任職なり。
「法華経に名をたて
身をまかせ給うべし」
励ましと拡大の新風を!


と書いてあった。そういえば創価の秋の人事は今頃だったなぁ。役職が上の方から段々決まっていって今頃から新しい体制になるんだよな。俺は学会の人事は部長くらいまでは毎回断っていたなぁ。最後の方は断っても無駄だし断るだけ時間の無駄ってわかったかから断らなかったけど俺はこんな感じだけど人の上に立つのも人の下に立つのも嫌いだし、「指導」とかいう傲慢ちきな言葉も嫌いだから一会員で自由にしてたかったんだよね。それにさ、こっちから幹部になりたいと希望しているわけじゃないのに面接受けるとかもおかしい話だよね。面接といえば心に残っているは部長面接の時に面接官(分県幹部)がSもGもやっていなった俺に何故やってないのか?と聞いてきたのでやってないとダメなんですか?と聞き返したところ、SやGで薫陶受けないと信心の確信が持てない。みたいなことを言われたことかな。で、俺は「信心の確信があるからここで面接受けているのだけど。それでダメなら別に部長とかならなくていいです」といって帰りかけたことかな(笑)結局そのまま部長になったけど、あまりにその時にムカついたのでとうとう最後までSもGもやらなかったね。これだけは最後まで「やらない」と一言でオシマイにしていた。
さて、学会の役職は「責任職」って昔から言われたよね。責任職とかいいながら大作センセは【名誉】会長(笑)センセだけ思い切り名誉職なんですけど。というツッコミはさて置き一般の役職は「責任」職らしい。普通は責任には権限も伴わないとおかしいんだけどね。だって権限がないと責任の範囲がわからないでしょ?でもまぁ権限はないけど「責任職」なのである。で一体何に対して責任を持つのかみんなよくわからないんだよね。学会の組織運営に対してなのか?大作を師匠と思わせる責任なのか?なんだかよくわからない。だから幹部がその役職の責務を果たしているかも分からない。もっとも責務を果たしていなくても別に何か困ることもないんだけどね。まぁ俺が活動家幹部時代は「責任」とは自分の組織の部員さんを大御本尊・大聖人につなげること。当時は「つなげる」というよりも部員さんの大御本尊・大聖人への思いを「断ち切らない」ことを念頭に活動してかなぁ。そりゃ広宣部もやってから正宗や日顕上人への罵詈雑言はいってました(ゴメンナサイ)だけど、大御本尊と唯授一人血脈は否定したことはなかったなぁ。会合もほぼ毎回御書講義で大作センセのスピーチや人間革命を教材にしたことはなかった。勿論大作センセの言葉を教材に学ぶことは否定しなかったが「御書が分からなければ池田先生の言ってることはわからないよ」とかなんとかいって御書ばかりやってた。ぶっちゃけると大作スピートとかよりも御書の方が心に刺さるからなんだけどね(笑)今週の言葉にかかれている「法華経に名をたて 身をまかせる」というのはそういうことなんじゃないかと思う。「大御本尊を否定したり」「唯授一人血脈を否定したり」する創価幹部が後を絶たないけど、ヤツラの論拠は脆弱で我見と詭弁に塗れていてとてもじゃないが大聖人仏法と呼べる代物じゃないんだよな。ヤツラは本当に学会の役職が責任職であることを自覚しているのかね?我見と詭弁で会員を騙して「無責任」極まりない。で最後は「自己責任」なんていうなら役職なんて受けんじゃないよって思うよ。一般の学会員さんに知ってほしいのは、創価の幹部は「信心も責任感もない」ってこと。だから自分で学んで欲しいんだよな。そうすればすぐに創価の信仰は大聖人仏法ではないことがわかるはずだから。


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チミは池田pの名代?

面接の時に言われました。
君は、
シテイフニの覚悟はあるのか!

君は、
池マンPの弟子として
麗しい師弟の道を!

大ちゃん道を歩むべく!!おりゃあ!
か、く、ご、は、あるのかぁ!

全く有りま天♪

つぶやき蘭房

愚かで幼い少年時代に創価に出会った。  「君たちこそが世界の未来を決するんだ云々の「大人たち」のハナシに感動、、はせず、重くのしかかるこの先の運命を勝手に披露された。 もう決まってることなんだ、とばかりにその流れに抗うこともできず、家は家でオヤジも義母も同じように囃し立てた。 しょーーじきに申せば、私の胸中はその対価をどうやって得るか、も考えたし反面 恋愛など、いわゆる青春の輝きすら所詮どうでもいいことだという、ストイックな創価の世界に身をゆだねることが口惜しかったのだが、こういうのが運命というのかなー、と思うしかなかった。

 このブログで最初の頃、これと反対ないわば「見栄」を張って生き生きとした高等部員の思い出のようなことも書いたが、矛盾はない。  そのどちらもが私の中では成り立っていたからだ。 人間ひとりが「まるごと一色に」染まるものではないと今も思う。 そんな人もいるのかもしれないが、多くは錯覚とさして違いはない。  多面性を併せ持つからこそ、人生には「中心軸」のようなものが要るのだろう。  当時はよく「大人たち」が僕らに言った。 「この信心は人生のバックボーンだよ」とかなんとか。
 ある意味では正鵠を得ていた。 また大きな間違いでもあった。

 悲喜こもごもだったといえば平坦な感慨になるが、有益な面、また小善を大善と勘違いしてしまって流れに身を任せていたら、その先(つまり過去のある時点)に大悪が待っていたというほうが正確だろうと思う。

 当時の大人たち(男子部幹部)の現在はどうだろう。  大果報を受けられたな~~と思える人は恐らく知る限り皆無である。 彼らは未熟な我々に大ぼらを吹き、それが自分自身の言葉ではなく、上からの伝達ゲームに興じていたとしか思えない。  同時に彼らも被害者なのだが。。

 創価でその役職に責任を取る、という生き方は不可能である。 なぜなら心底、後輩の人生を考えるような人は幹部にはなれないからだ。  適当なところで「手を引く」こと無しには、とてもやってられないのが創価の煩雑な任務の有様であるからだ。 たった一人の青年を守り育てることすら難事なのだが、たまたま「場を与えられて」とち狂ってカタルシスを覚えながら大群衆の前で「革命(?)」を叫ぶことの魅力に勝てる男は、そうはいまい。  つくづく創価はあの時代こそが生んだ鬼っ子だったと思う。  夜郎自大が蠢くヒステリー集団とでも言おうか。  まさに「師弟不二」だった。  

 最近目にした言葉。

 「凡人は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ」とか。

 ここにおいでの創価活動家諸氏に申し上げる。  壮大な人類史なんて無理しなくていいから、せめてS40代初頭くらいからの創価学会の足跡だけでもいい。  イケダ大作さんと創価がどういうウソをつき、変節を繰り返し、世間様を騒がせ、庶民を裏切ってついには「大ご本尊様」をも裏切ってきたか、、との歴史認識くらいは勉強して身につけて下さい。  ただ、「自分が幸せを感じるならそれでいい。他人や世界はどうなっても」と思う人は、それも恐らく意味はなく、納得は難しいでしょうね。  というより、そういう御仁は何をやっても不幸せにしかなれないと思うけどね。^^

学会の責任職の如何わしさ

上からの命令を、下の幹部は何も考えず実行する。
そこで責任を押し付けるために使うのが、「学会の幹部は責任職だ」という言葉ですね。

また、学会幹部といっても他人の生活の結果について何の責任も取れない立場なのに、下の会員に偉そうに指導をする。
損害が出たり、上手く行かず失敗すれば、下の会員の信心がないからだと責任逃れする。
これも学会の伝統ですね。
「いいからお金を出せ!」と追いはぎが来るのが年末の財務。
「この大切な法戦時に何で仕事などしているのか!」と、生活妨害されるのが選挙の時。

責任と権限は等価であることが望ましい。
それが健全な組織のあり方なんですが。
幹部であると、下の会員については全く無責任な言行がまかり通る。
ブラック企業が真っ青になって逃げだす異常な組織が創価学会ですね。

職員達が利益するためだけに目的が特化している組織だから、端的に会員が奴隷化してしまう。
何故、指導する幹部達は無責任な指導をするのか。
それは答えが簡単ですね。
上の幹部の言う通りに下に指導しているから、会員の生活を破壊して不幸に落としても責任を感じない。
オウムの信者と同じで、上の幹部の権威に服従して思考が停止して自らの判断でないから本人は責任を感じない。
だから反社会的な嫌がらせも平気で実行する。
役人の世界の忖度と同じで、学会幹部にあるのは、組織に逆らわないで生きる保身しかない。
この保身が明らかな反社会的でかつ非民主的な組織を作り上げていますね。
信教は自由。学会を辞めない人が不幸になるのは自己責任でしょうけど。

天覇さん

こんにちは。

> 面接の時に言われました。
> 君は、
> シテイフニの覚悟はあるのか!

「あるある」ですよね。
センセイからの「記別」を受けた。とかね(笑)
「そんなもんいらね~よ」って当時も思ってましたけどね。
だって末端の人事なんてそこらの幹部が決めてるわけですから。

> 全く有りま天♪

ですよね。私は大作センセが好きで信仰したわけじゃないし。

蘭房さん

こんにちは。

>  このブログで最初の頃、これと反対ないわば「見栄」を張って生き生きとした高等部員の思い出のようなことも書いたが、矛盾はない。  そのどちらもが私の中では成り立っていたからだ。 人間ひとりが「まるごと一色に」染まるものではないと今も思う。 そんな人もいるのかもしれないが、多くは錯覚とさして違いはない。  多面性を併せ持つからこそ、人生には「中心軸」のようなものが要るのだろう。  当時はよく「大人たち」が僕らに言った。 「この信心は人生のバックボーンだよ」とかなんとか。
>  ある意味では正鵠を得ていた。 また大きな間違いでもあった。

創価で活動をしていた自分を否定する事なんてないと私も思います。それもまた自分の人生の一部です。私は「反省はするけど後悔はしない」タイプです。

>  創価でその役職に責任を取る、という生き方は不可能である。 なぜなら心底、後輩の人生を考えるような人は幹部にはなれないからだ。  適当なところで「手を引く」こと無しには、とてもやってられないのが創価の煩雑な任務の有様であるからだ。 

その通りです。そもそもが幹部の責任とは部員さんに「考えさせること」だと思うんですよ。そのきっかけを与えるだけ。あとは自己責任。それが信心だと思います。

>  ここにおいでの創価活動家諸氏に申し上げる。  壮大な人類史なんて無理しなくていいから、せめてS40代初頭くらいからの創価学会の足跡だけでもいい。  イケダ大作さんと創価がどういうウソをつき、変節を繰り返し、世間様を騒がせ、庶民を裏切ってついには「大ご本尊様」をも裏切ってきたか、、との歴史認識くらいは勉強して身につけて下さい。  ただ、「自分が幸せを感じるならそれでいい。他人や世界はどうなっても」と思う人は、それも恐らく意味はなく、納得は難しいでしょうね。  というより、そういう御仁は何をやっても不幸せにしかなれないと思うけどね。^^

同感です。

小野塚さん

こんにちは。

> 上からの命令を、下の幹部は何も考えず実行する。
> そこで責任を押し付けるために使うのが、「学会の幹部は責任職だ」という言葉ですね。

別なとらえ方をすれば、「上」の命令をそのまま加工せずに「下」に伝達することが「幹部の責任」なのかもしれませんね。

> また、学会幹部といっても他人の生活の結果について何の責任も取れない立場なのに、下の会員に偉そうに指導をする。

そこなんですよ。問題は。無責任に指導するわけですよ。どっかの無教学支部長が大御本尊を個人的に否定するのが結構なんです。ところがその「我見」を他人に指導するわけです。それって本当は恐ろしい事なんですけど分かってない。もっとも大作センセ自身が我見をばら撒いてそうしたバ患部を作ったのですから全ての元凶はダイサクなんですけどね。



自分のこと

自分は皆さんのように学会幹部の面接受けたことありませんが 学会二世で 10年以上前に 創価学会の悪いことネットで知りました それからじょじょに非活になりました 今では全然活動していません いまだに創価学会には席ありますが 一応壮年部?親戚学会幹部いるしなかなか 脱会できなくて困っています 昔は創価学会いろいろ活動していましたが 今では 創価学会に活動するのいやになっています 創価学会の原田会長は 信心よりも金儲けだし 名誉会長の池田氏は 10年近く顔だしていないし 今の池田氏は どういう状況だかわからないし すでになくなっているのか 植物人間なんだか いつもメルマガ読んでいます あちこち話し飛んでごめんなさい コメント書いたことないので 申し訳ありません

AMPMさん

こんばんは。コメントありがとうございます。

> 自分は皆さんのように学会幹部の面接受けたことありませんが 学会二世で 10年以上前に 創価学会の悪いことネットで知りました それからじょじょに非活になりました 今では全然活動していません いまだに創価学会には席ありますが 一応壮年部?親戚学会幹部いるしなかなか 脱会できなくて困っています 

学会の2世とか3世の方は家族や親族が学会幹部というパターンが多く大変ですよね。活動していないということなので無理やり退会することもないでしょう。もちろん退会できる時がくれば退会することに越したことはありませんけど。

>昔は創価学会いろいろ活動していましたが 今では 創価学会に活動するのいやになっています 創価学会の原田会長は 信心よりも金儲けだし 名誉会長の池田氏は 10年近く顔だしていないし 今の池田氏は どういう状況だかわからないし すでになくなっているのか 植物人間なんだか 

戒壇大御本尊を捨てた時点で、創価は大聖人仏法ではありません。かといってそれ以外の仏法かというとそうではりませんので、
学会の信心というのは「創価教」「創価信仰」です。もし、AMPMさんが日蓮大聖人の信心をしたいのであれば戒壇大御本尊の元へ戻ることです。そういう気持ちになったら教えてくれれば協力しますので遠慮なく仰ってください。あ、でもこのサイトは日蓮正宗の信徒を増やすことが目的ではないので誤解しないでくださいね。あくまでもAMPMさんの自由ですですから。

>あちこち話し飛んでごめんなさい コメント書いたことないので 申し訳ありません

全然構いませんよ。いつでも好きな時に好きなことをコメントしてくれたら嬉しいです。基本コメントは削除したり不承認したりしませんから。好きなことを書いてもらうためのコメント欄ですからね。
今後もよろしくお願いします。

目が覚めて

 突然また起きてしまった。
 
 雑誌を寝床で読んでいて、昔の子供時代のある事件を思い出した。 事故というべきかもしれないが、鮮明に浮かび上がってきたので、この場を借りてそれを留めて置こうと思う。

 私は小学校の1年か2年生だったと思う。 近所に「F田とおるちゃん」という四つ五つ年の離れたおにいちゃんがいた。 理由は知らないままだが、おばあさんと二人暮らしで、そこは駄菓子屋だった。  あの頃は子供のほとんどは表で遊んでいたものだった。 ある日、多分だが夏休みなんだったろうが、S川の上流のほうへ、町内のガキんちょが連れだって遊びに行ったのだ。 厳しくはなかったがあまり川で泳いだりすることは学校から注意されていたと思える。  しかしそんなことはおかまいなしに(私はついていったという立場だ)みんなして意気揚々と長い道のりを歩いていった。

 岸辺で遊ぶという約束だった。 でもやはり泳ぎたくなってきた僕らは、パンツだけになって、川に入ることに。  僕はまだ泳げないし流れも急だったが、足が底につくから大丈夫だ!と とおるちゃんは言うのでそういうことになった。
とおるちゃんはリーダー格だし説得力もあった。 悪いこともするし大人たちの評判はあまり良くなかったが、僕らには「大将」だったのだ。 だから安心して普段からなんでも彼の言う通りにしていた。

 事件はやはりそこで起こった。 みんながみんな早い川の流れにびっくりした時は既に遅かった。 たちまちみんなパニックになって流され始めて、それはもうとんでもないことになった。  記憶では、川底が見えた。完全に水の中に僕はいた。

 その時の恐怖はやはりありありと思い出される。 多分、雨の後だったのか水かさが増していて深くなっていたのをだれも予想していなかったのだ。

 短い時間だったろうけれども、片方では時間の進み方がゆったりして水の中でともかく「川底の小石」などを体が回転しながら見たと思ったら、誰かが僕の腰のあたりを手でぐぐっと押した。 岸辺の方へと僕を押しやった。 つま先が何かに触れて、手も岸の土をかすった。   同時に先に岸に戻れていた子供らが僕の手を掴み、引き揚げている。  あとは必死でもがきながらなんとか岸に上がれた。  そしてその後から「とおるちゃん」が上がってきた。

 みんな幸い、助かった。 その事件は時間にしてどのくらいだったのだろうか。。

 そしてたしか僕はおお泣きに泣いた。  

 とおるちゃんは肩を抱いて「えかったのう!」と僕に言ってくれたのでまた泣いた。

 昔の子供らは年齢に関係なく、町内で一緒に遊んだ。 でもそこには厳然と「序列」があって、遊びの決め方も上の子供が決めていた。

 そして「上級の子供」は下の子供を守ってくれていた。  皆を率いると同時に、みんなを守った。 「そういうものだった」のだ。

 やがてとおるちゃんは高校に行ってそのあと「自衛隊」に入隊した。 成人してからもうちのオヤジに一二度挨拶に来た。 でも「あの事件」のことを恐らく二度と語ったことはなかったと思う。

 言葉は悪いが、服従を強いる代わりに、後輩の面倒をみて、例えば他所の町の悪ガキどもから幼い後輩を守ってくれていた。

 そういうものだったのだ。 数十年を隔てて今夜それを思い出している。

 この年齢まで生きてありつるのは、あの時のとおるちゃんの、自分を差し置いてのとっさの「行動」のおかげだ。  今の今、彼の消息すらつかめない。

 とおるちゃんに無性に会いたいと思いながら、書いた。 お礼が言いたい。
そして彼が「それ」を覚えているかどうかも、知りたいものだ。

 

組織の意思

組織というのは別の人格を持ちますね。
誰の人格か分からない場合も多いけど、その組織の主導的な立場の人間の人格が反映されていきますね。

いつの頃だったか、学会に違和感を覚えたんですが、本当の実態を知るほど自分が信じているものと創価学会の活動は別物であると、長い時間をかけて結論していきました。
その乖離は宗門と別れた以降急速に大きくなっていき、自分の感じた違和感に明きらかな説明がつくようになって、決別できた次第です。

つまり創価に信心はない。あるのはビジネスなんだと確定できました。
以降、数々の創価の矛盾や、創価で常識とされている世間の非常識が、金と権力を強欲に追求してることが原因だと気付いたわけです。
通常、その構成員であれば組織の利益の恩恵も受けて、儲ければボーナスも出るものですが、創価組織の一般会員はお得意様であり搾取されるだけの立場でしかないですね。
会員から奪って儲けた利益は池田と職員達と議員他団体の職員達のものになる。
ここに絶対的な立場の違いがあるんですが、それなのに職員達は同胞だと偽り親しみ、一般会員を利用していますね。

さてこういった大きな格差を作り上げ、弱者から時間と労力とお金を効率的に巻き上げることを平気でできるのですから、創価の組織の人格に信心は無いですね。
また、自分が利益するためにお願いするのではなく、非常に高圧的な師弟関係を強要して服従を迫るのですから、大きな思い上がりがありますね。
仏教の慈悲の精神など全くない冷酷な人格でないと、なかなかこれは出来ない。

そうして考えると創価という組織の人格は、池田の特異な性格によるところが大きいですね。
同時放送の彼の態度をみてても裏付けられますね。
しかし、そこで疑問に思うのが、当初から池田は会員を利用するために入信したのかどうかです。
当初は熱い理想を持った青年も、若くして偉くなり、自分を神格化する周囲もあって思い上がり、信仰者であることを忘れ、神になってしまった。
一般会員を散々に利用して無残に使い捨てても何とも思わないほど、自身は特別な存在なのだと思えるほど病的に肥大化した自己愛だろうと、仮説しています。

幹部面接

お久しぶりです。

SやGで薫陶受けないと信心の確信が持てない。

受けますねーw私は高等部長面接に落ちて、当時の担当男子部から「君はなんで落ちるんだ!?」と電話で吠えられて、頭の中が「は????????」となりました。
あの頃、すでに「こいつらまともじゃない」と悟っていたのかも…

大作を師匠と呼ばせる責任

笑かしますねーwたしかに洗脳責任はありますね。特にデーサクが出なくなったここ10年は必死ですわ。

しかし今の青年部の幹部面接は、そりゃひどいもんです。先日着任中に女子部の幹部面接が入ってたんですが、会場の予約はしてないわ、あろうことか面接官の圏女が遅刻してきましたwww

♪もう終わりだね 君(組織)が小さく見える

追伸
実は私、この秋教学1級(教授)試験を受けることになりました。そしてなんと嬉しいことに、教学講座中継を3回観ると、自動的に合格をもらえるそうですwww

もうなんかどうでもいいや。

蘭房さん

こんにちは。

私も似たような経験があります。私にとってのガキ大将は「あきらちゃん」でした。
確かに昔の「ガキ大将」とか「アタマ」とか言わてるヤツって確かに「下」とか「仲間」を守るんですよね。
任侠の世界だって「下」を守るから「オヤジ」とか呼ばれて慕われるわけです。
「師匠を守れ!」なんて言う人間を守りたとは到底思えないし、
その師匠が守ったのは「創価学会員」ではなく「創価学会という組織」です。
それは今も変わっていない。幹部連中は二言目には「組織を守る」「師匠を守る」というけど、
「会員さんを守る」「部員さんを守る」とは言いません。
言ったとしてもそれは結局「組織を守るため」です。
だから、除名になったり活動停止になった会員さんを放置するのです。
結局は自分が一番可愛い。もちろんそれでいい。カッコつけて会員を守るなんて言わなければ。

小野塚さん

こんにちは。

> 組織というのは別の人格を持ちますね。
> 誰の人格か分からない場合も多いけど、その組織の主導的な立場の人間の人格が反映されていきますね。

創価でも「長の一念」といいますからね。そうなりますね。


> そうして考えると創価という組織の人格は、池田の特異な性格によるところが大きいですね。
> 同時放送の彼の態度をみてても裏付けられますね。

そうですね。今の執行部の在り方は大作センセとはまた違った方向ですが、「やり方」は大作センセと同じですね。

> しかし、そこで疑問に思うのが、当初から池田は会員を利用するために入信したのかどうかです。
> 当初は熱い理想を持った青年も、若くして偉くなり、自分を神格化する周囲もあって思い上がり、信仰者であることを忘れ、神になってしまった。
> 一般会員を散々に利用して無残に使い捨てても何とも思わないほど、自身は特別な存在なのだと思えるほど病的に肥大化した自己愛だろうと、仮説しています。

正本堂の供養でしょうね。想像以上の大金が転がり込んだ。創価民はいまだに正本堂供養の件で正宗を批判するけど、ほとんど全額池田創価があの供養は着服した。大金を持つとやはり変わるのでしょうね。特に池田のように「何も持っていなかった」人間は。まぁお里が知れるといえばそれまでなんですが。まぁひとつ確実に言えることは、池田は若い頃から大聖人仏法の法門法義には疎かったですよ。それは池田の若い頃の発言(特に戸田会長に対する質問など)を読めばわかります。

リッチーさん

こんばんわ。お久しぶりです。

> SやGで薫陶受けないと信心の確信が持てない。
> 受けますねーw私は高等部長面接に落ちて、当時の担当男子部から「君はなんで落ちるんだ!?」と電話で吠えられて、頭の中が「は????????」となりました。
> あの頃、すでに「こいつらまともじゃない」と悟っていたのかも…

ははは(笑)高等部長の面接に落ちるとはかなりの強者ですね~。
私は副部長面接の最後に「あと少年部の本責もよろしくね」と言われただけで少年部の本責になっちゃいましたよ。

> 大作を師匠と呼ばせる責任
> 笑かしますねーwたしかに洗脳責任はありますね。特にデーサクが出なくなったここ10年は必死ですわ。

そのへんはよくわかりませんが、確かにD策が姿を見せないと「師匠」と呼ばせるのは大変な作業ですね。
てか「D策センセー」とか言っている幹部だって最早リアルD策知らない人ばかりでしょ?私もリアルD策知りませんもん。
そんな爺さんを師匠とか思える方が異常だと思いますけどね。

> しかし今の青年部の幹部面接は、そりゃひどいもんです。先日着任中に女子部の幹部面接が入ってたんですが、会場の予約はしてないわ、あろうことか面接官の圏女が遅刻してきましたwww

わぁ~もうそんな状態ですか?酷いもんですね。

> ♪もう終わりだね 君(組織)が小さく見える

さよなら~さよなら~サヨナラァ~ア~♪

リッチーさん

> 実は私、この秋教学1級(教授)試験を受けることになりました。そしてなんと嬉しいことに、教学講座中継を3回観ると、自動的に合格をもらえるそうですwww

え~っ~。軽減教学(笑)
そんなんだから、顕正会との法論どころか
元創価の無教学無宗派層にもやり込められちゃうんですね(笑)

サンシタ(わたくし)の兄貴は♪

浪花節じゃあ、ありませんが、
慕う側の人にとって、
仰ぎ見る兄やんは
いつも強くて、
何かあれば助けてくれる存在。
確かに、僕にも居ました。
頼れる兄さんが♪♪

いつも、理不尽なジャイアン♪
でしたが、

いざと成れば、
身体を張って守ってくれた。

いっぽー!
あたすを守れ!
学会に死身弘法?だぁ?

などと、ホザキ、

メロンを頬張り、

いつもお元気でぇ〜す。
DeathファイルなマンせP様とは、
エライ違いが御座いました。
あんぽんたんなコメント、、、
まいど失礼しました。

遅寝、早起き!

 管理人さんへ

 どうも何ゆえか今回の記事は気になってます。

 あきらちゃん、ですか、 吉田拓郎の歌で「AKIRA」ってのがあり、酒場でも歌います。 この歌はいい。 実にいいから、是非ともいっぺん聴いてみてください。
ちなみに私の世代はたくろうを知らない人には不機嫌になります。 【落陽】だけは知ってるという、よくあるオヤジ転がしだけはしないで欲しいものです。(笑)

 天覇ちゃんへ

 ガキのころの思い出は一生もんですね。 創価は価値観が違ってて、弟子が師匠を守らなくては弟子ではないのです。  勿論、世間でもそういうことはありますが、歌手の「朱里えいこ(芸術部員さん)」は心を病んでおられましたが、それでも池田先生を慕って、第五回世界平和文化祭(IN ハワイ)まで追っかけていったのです。  群衆の中から彼女はもう必死で「センセーイ!」と手を振って叫びました。  すると慕われていたセンセイはそれを見て、「なんであれがここに来てるんだ!?」と、イヤな顔をして無視。   そう、これこそ創価の偉大なるメロ作師匠たる人物ですよ。  会員が生活やなにかの難しい質問をすると、彼は決まって、「自分で考えなさい!!」と速攻、厳しい父の顔におなりになっていたとか。。
 どう答えていいか分からなかっただけなのですな。 多分、(笑)

 常日頃、「私をお父さんと思いなさい。」なんて言ってたんだけどね。(苦笑)

顔にでますね

年齢に伴い、どういう生き方をしてきたのか、端的に顔にでますね。
それが学会員は読めないのかと。

還暦直前のおっさんがネットで、彼は水深1000mとか言って絶賛していたのを思い出しました。
本気かよと。
普通の社会性がある人みれば、浅いなと。彼の生き様は。となるはずなんですが。。。

「ああ、この人は怠け者だな。32歳でトップになり、他人にやらせてきた。だから自分のケツも拭けないほど一人では何もできない人ですよ。二代目オーナー社長とか。こういうタイプがよく居ますね」
と、彼の評を公明党議員に話したことがあります。
その反応で驚いたのは、否定しないことですね。
日頃、一般会員には本音を隠してお付き合いしているんだろうなと思いました。

永遠の指導者、世界の指導者が求める人格者。仏様。
であると騙されている人達の感性は不気味です。
その思い込みの強さで麻原を信じた信者がサリンを撒いたのですから。

天覇さん

こんにちは。

> いつも、理不尽なジャイアン♪
> でしたが、
> いざと成れば、
> 身体を張って守ってくれた。

ジャイアンはだからこそ仲間でいられるんですよね。
理不尽なこと言っていつも威張ってだけで守ってくれない創価幹部はジャイアンじゃありません。
「阿保杉君」ですね。

> いっぽー!
> あたすを守れ!
> 学会に死身弘法?だぁ?
> などと、ホザキ、
> メロンを頬張り、
> いつもお元気でぇ〜す。
> DeathファイルなマンせP様とは、
> エライ違いが御座いました。

D策を守るって何かと考えれば要するに、財務(金)と選挙(権力)ってことでしょ。
この二つが両輪ですからね。

蘭房さん

こんにちは。

>  あきらちゃん、ですか、 吉田拓郎の歌で「AKIRA」ってのがあり、酒場でも歌います。 この歌はいい。 実にいいから、是非ともいっぺん聴いてみてください。
> ちなみに私の世代はたくろうを知らない人には不機嫌になります。 【落陽】だけは知ってるという、よくあるオヤジ転がしだけはしないで欲しいものです。(笑)

拓郎は私のちょい上世代がドストライクですが当然私ら世代で音楽をきいたりやったりした世代でも避けては通れない人ですね。私こう見えても高校時代の僅かな期間でしたがバンド組んでました。まぁメンツが洋楽系で、ディープパープルとかツエッペリンとかイーグルスで英語の苦手な私はボーカルしてたてけど挫けて脱退しました(笑)やっぱ邦楽ですなぁ。最近ではスナックで歌うのは専ら昭和歌謡です(笑)

小野塚さん

こんにちは。

> 還暦直前のおっさんがネットで、彼は水深1000mとか言って絶賛していたのを思い出しました。
> 本気かよと。
> 普通の社会性がある人みれば、浅いなと。彼の生き様は。となるはずなんですが。。。
> 「ああ、この人は怠け者だな。32歳でトップになり、他人にやらせてきた。だから自分のケツも拭けないほど一人では何もできない人ですよ。二代目オーナー社長とか。こういうタイプがよく居ますね」
> と、彼の評を公明党議員に話したことがあります。
> その反応で驚いたのは、否定しないことですね。
> 日頃、一般会員には本音を隠してお付き合いしているんだろうなと思いました。

同じようなことをまだ活動家になる前に家庭訪問に来た創価の男子部本部長に言ったことがありました。「池田先生のことをどう思うか?」と聞かれたので、「三代目ですよね?あまり興味ないですね。ゼロから何かを生み出したわけじゃないし」というような事を答えた記憶があります。いずれにしても大作センセの言葉で感動した記憶はないですね。全部「どこかで聞いたような話」でした。確かに多くの人間と会ってきたという経験はあるのでしょうが、彼自身が多くの経験をしてきたわけじゃない。これは大作センセに限らず創価の活動を長期間やっている人達も同じです。創価内の経験値は高いけどそれ以外は通常以下の人が多いですね。まぁそういう人生を歩んできたのだから仕方ない事なんですが世間では一人前の壮年の年齢になっても「軽い」んですよね。


> 永遠の指導者、世界の指導者が求める人格者。仏様。
> であると騙されている人達の感性は不気味です。
> その思い込みの強さで麻原を信じた信者がサリンを撒いたのですから。

学会の幹部というのは

今国会やってますね。
公明党の質問者が軽減税率について自画自賛していたと、ニュースで話題になり、そのコメントが面白くて笑ってしまいました。
「時として一般国民には非常に理解し難い行為をする人達の集まりをカルト教団という」と。
確かにそうだなと(笑)
学会の常識は世間の非常識。こんな標語がかつてネットにもありましたね。

職員幹部と言われる人達や議員になる人達は、一様に社会で実績がなくても成りますね。
かつては学生時代に学会に内定しておいて、企業に入れ社会経験を積ませるような超青田刈りの採用もしてましたね。
つまり、学歴や何かの国家資格で職員幹部に成ってしまって、実務経験がほとんどなくてもそのまま学会エリートの道を歩む。もしくは議員として公認される。
実に官僚組織的な形態そのものですね。

また、一般会員の役職も、実績重視ではなく活動が可能なことが重視さますね。
しかし、周囲がさも立派な人だと吹聴したところて、本人の性情は変わらない。
信仰者として日々の暮らし方も身についているわけでもなく、折伏の実績がない。
だからブラック企業のような、威張って下の者を動かすという権威主義的な低次元な組織運営しかできない。

そしてそこで気付くのが、両幹部に共通している恥ずかしい習慣が自画自賛だということです。
その習慣が出来上がった原因の大元は誰なのか。
人間革命を読んだことがある人は、よく分かっていると思います。
人間革命とは、こつこつと努力して成し遂げる人生を捨て、見栄えと人気取り重視の粉飾人生に人を変えてしまう小説とも言えるのかも。

小野塚さん

こんにちは。

> 今国会やってますね。
> 公明党の質問者が軽減税率について自画自賛していたと、ニュースで話題になり、そのコメントが面白くて笑ってしまいました。

山口代表も困っていない人の所に行って「スムーズ」だなんてアピールしてましたね。
スーツ着て議員バッチつけてスーパーで買い物をするパフォーマンスしてて「バカじゃね~の?」って思いました。
まづは年収200万円の暮らしをしてみろ。ってことです。

> 職員幹部と言われる人達や議員になる人達は、一様に社会で実績がなくても成りますね。
> かつては学生時代に学会に内定しておいて、企業に入れ社会経験を積ませるような超青田刈りの採用もしてましたね。
> つまり、学歴や何かの国家資格で職員幹部に成ってしまって、実務経験がほとんどなくてもそのまま学会エリートの道を歩む。もしくは議員として公認される。
> 実に官僚組織的な形態そのものですね。

その通りです。特に創価本部職員なんて創価の中しか知らない連中ですからね。こういう連中が組織の戦略を立てるわけですからね。彼等はいかに会員から金と票を集めるかしか考えていません。

> そしてそこで気付くのが、両幹部に共通している恥ずかしい習慣が自画自賛だということです。
> その習慣が出来上がった原因の大元は誰なのか。
> 人間革命を読んだことがある人は、よく分かっていると思います。
> 人間革命とは、こつこつと努力して成し遂げる人生を捨て、見栄えと人気取り重視の粉飾人生に人を変えてしまう小説とも言えるのかも。

仕方ないですよ。世間や普通の人達は誰も称えてくれないのですから自画自賛するしかないでしょう。
ていうか信仰とは誰かに称えてもらうためにするものではありませんけどね。

信仰とは誰かに称えてもらうためにするものではありませんけどね

職員から一般会員まで、名聞名利につきる人生。
これが学会員の公平な評価ですね。
なんでこれほど異常に執着するのか、一般人には理解不能なレベルにあると言っていいのかも。

以下、斉藤教学部長の発言とされているのをネットで見つけました。
>「位や名声など虚像である。幻である。追いかけても何にもならない。それよりも無名であっても、人のため、法のために生きる人生が、どれだけ尊いか。「私は、これでいい!」「私は、やり切った!」と言える信念の人生のほうが、どれだけ幸福か。」と。

つまり一般会員などはそれでいいのだという見下した本音が見えてきますね。
こんなことを一般会員に指導できる腹には、自らはエリートであり、仏法的にも尊い特別な存在なのだという驕りも見えてきます。

かつて何の脈絡のないところから、地方議員が私に言った言葉も全く同じ意味でした。
「信心をするのに創価の役職などいるのか?」と。
全く創価に関与していなかった当時に、これは何の意味があるのか暫く考え込んでしまいました。
つまり、人事に不満があり組織活動から離れてしまうのだという刷り込みが組織内にあるのかなと。後日、解釈した次第です。
しかしながら、公明党の地方議員に公認されている立場があるから糧を得ている人が、無報酬で票集めをしてくれる一般会員に言うこと自体が異常な思い上がりですよね。
本当にそれほど偉いのなら、無所属で立候補して証拠を示してもらいものです。
偉そうにこんな指導する教学部長や職員達も、学会職員の立場が無くなれば、食えなくなるのを自覚でしているでしょうに。
だから必死に、宗門の悪口と自画自賛をワンセットで実行するのが仕事になってしまう。
だから必死に、一般会員達も、創価を拒絶した人達の悪口と、現状の生活を偽った自画自賛を繰り返すしかない。
あるがままの人生。
それが幸福への道だと思っているので、学会員は不幸な人生を歩んでいるように見えてしまいます。

質問

勤行唱題していて、ふと湧いた疑問を質問させて頂きます。
久遠元初自受用報身如来という根本的な仏様の御名が、なぜ御本尊様の相貌に勧請されていないのだろうかと。
今さらながら疑問に思いまして。
全ての御本尊様を拝見した事はないので、私の不勉強なだけかも知れませんが、もし勧請されていて御図顕されていたら、身延日蓮宗などに難癖をつけられなかったのではないかとも愚考します。
お時間が宜しい時にお教え頂きたく思います。

寝言丸さん

こんばんは。

> 勤行唱題していて、ふと湧いた疑問を質問させて頂きます。
> 久遠元初自受用報身如来という根本的な仏様の御名が、なぜ御本尊様の相貌に勧請されていないのだろうかと。
> 今さらながら疑問に思いまして。
> 全ての御本尊様を拝見した事はないので、私の不勉強なだけかも知れませんが、もし勧請されていて御図顕されていたら、身延日蓮宗などに難癖をつけられなかったのではないかとも愚考します。
> お時間が宜しい時にお教え頂きたく思います。

承りました。しばらくお待ちください。

寝言丸さま

管理人様の正式な見解を待ってますが

私なりの見解は

久遠元初自受用報身如来の相貌が書かれてないのではなく、何故中央首題に南無妙法蓮華経 日蓮と相貌されているのが答えです。

二座の御観念文に

南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身如来の御当体、十界本有常住、事の一念三千、人法一箇、獨一本門戒壇の大御本尊、御威光倍増御利益広大御報恩謝徳の御為に。とあるように人法一箇の相貌が中央首題であるからです。

だから身延はこの中央首題の意味を全然理解されていたい証拠です。
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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