保守系無所属さんへのご回答

まずは、保守系無所属さん、コメントありがとうございます。
いただいたコメントへの返事を書かせてもらいます。

>そこで質問させていただきたいのですが、退会していない方の創価アンチブログを読むと学会という組織の矛盾やおかしさに気づいたというのはどの方も共通の認識であると思います。
>しかしそこで学会の活動を辞めるとほとんどの方が日蓮仏法そのものの信心も辞める方が多いのですが、もちろん法華講に行かれた方も当然いて私がその方達のブログを見ていないだけだと思います。私は昨年から勤行唱題もしなくなりました。

学会活動を止めるの同時に勤行唱題も止めてしまう会員さんはたくさんいます。というかほとんどの方はそうなるりますね。まづそうした方に思うのは【もったいない】です。きっかけはどうであれ折角大聖人の仏法に巡り合えたのに、学会が原因で大聖人仏法を捨てるのは本当に【もったいない】の一言に尽きます。と同時に学会活動と一緒に勤行唱題もやめるということは、どこかで学会(活動)=大聖人仏法という思いがあるからなのかな?とも思います。でも、その方程式は間違っているのではないでしょうか?学会活動など大聖人の仏法でもなんでもないのです。会員さんいよって人それぞれでしょうが、私は学会の教えや創価教学を信じているわけでなく大聖人の教えを信じています。学会でもよく聞く指導ですが、信心の究極的な根本は、自分対御本尊(ご本仏)だと思っています。組織につかないと我見になる。とも言われますが、それも含めて自分とご本仏です。まずは自分が信じてきたのは、創価学会なのか大聖人(御本尊)なのか?どちらなのか一度考えてみることをおススメします。

>freemember01さんは学会の活動を長くされていなくて、それでも大聖人の仏法を信じ続けられているのは私の知るブロ>グではお一人だけです。
>もちろん教学の研鑽もかなりされてこられての自信がそうさせている事とは思いますが、普段言ってみれば個人信仰をされている状況で、勤行唱題はやはり続けられているのでしょうか。

もちろん勤行唱題はしていますよ。むしろ活動してた頃より真剣にしています。学会ではやれ選挙だ新聞だと言っていますが、大聖人仏法の修行の根本は唱題行に尽きるのです。そういうと、化他をしなければ功徳が出ない。学会風に言うと活動しなければ化他の題目がない。と言われるのですが、本来大聖人の説く「本門の題目」とは、【事行の題目】なのです。【本門の題目】を唱題するということはすでに自行化他の修行をしているということです。なので別に学会活動などしなくても充分に自行化他の修行をしていることになります。そして【本門の題目】とは【一大秘法の本門本尊】を信じて唱えるところの題目です。つまり戒壇大御本尊を信じて唱える題目だけが【本門題目】です。戒壇大御本尊を捨てた人が唱える題目は【本門題目】ではありません。なのでいくら唱題しても【事行の題目】にならないので大聖人仏法を行じているとは言えません。

>どのように大聖人の仏法と向き合っていられるのかよろしければ教えていただけませんか

私は大聖人を信じて御本尊と向き合っているだけです。
大聖人の仏法とは
信にやくせば大御本尊根本。
行にやくせば題目根本。
学にやくせば御書根本。
だと思っています。
そこに学会の組織や幹部・名誉会長が立ち入る隙間はありません。
大御本尊を根本に信を置き唱題し教学を学べば
そうそう我見に陥ることはないと思いますし、功徳もあります。
例え学会に籍を置いていても功徳はあると思います。
法華講員の人はそうはいいませんし
今の学会ならば辞めた方がいいのかもしれません。
そんなとき私が思うのは、義浄房のことです。
ご存知のとおり義浄房は清澄寺での大聖人の兄弟子です。
謗法の清澄寺に身を置きながらも大聖人を信じていた方です。
大聖人は謗法の地に身を置く義浄房を決して見捨てたりしなかった。
どころが報恩抄や義浄房御書などを送られています。
ですから、学会に身を置いていても
大聖人(大御本尊)を求める信心があれば
ご本仏は決して見放すことはないと思っています。
大御本尊を信じて、唱題行をする。
それが身・口・意の信心ではないかと思います。

最初に戻りますが、学会活動を止めるのは何の問題もありません。
ただあまり意味ないサークル活動を辞めたにすぎません。
ただ信心をやめてしまうのは非常にもったいない。
せっかく今世でご本仏にお会いできたのに
自分から離れてしまっては、もったいないです。
次に今度はいつ会えるかわからないのですから。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

保守系無所属です。

わざわざコメント欄ではなくタイトルの文章として解答していただきありがとうございます。
非活動家でブログを立ち上げている方々の文章を読むと

①学会に対する組織矛盾やおかしさにきづいた。
②活動を停止する。

例外、学会は嫌になったが、信心は続けたいので正宗へ行く。

③そもそも学会がおかしいのは日蓮仏法という独善で排他的な教えを信じているからだなどと思ってしまう
④信心をやめる。

非活動家の多くが③へと思考が向うというパターンだと思います。
今の私は②の状態ですが多くの非活動家がそこで大聖人の仏法をどうすかで悩み、中には葛藤を綴られていたブログもありますね。
私自身この信心をどうしていくか踏みとどまって考えたいと思います。
freemember01さんのアドバイスでその考えに至った事に感謝いたします。

Re: No title

保守系無所属さん。こんにちは。
前回のお返事は、コメント欄では長くなりそうなのと
大切な事なのでブログの本文に書かせてもらいました。
学会活動をしていると、どうしても学会活動することが信心なんだと思ってしまいますよね。
で、学会の矛盾点をそのまま大聖人仏法の矛盾点と感じて信心もヤメてします。
でもそもそも学会の矛盾とは大聖人の教えに反している部分なのだと思います。
逆にいえば大聖人の仏法に矛盾はないとも言えます。

> 私自身この信心をどうしていくか踏みとどまって考えたいと思います。

そうですね。別に学会を辞めなくても、また学会と言う組織と関わらなくても信心は出来ます。
私の体験で学会活動しなくても功徳も出ると言えます。
もっというと学会活動をしない方が功徳はでます。
時には題目をあげながら色々と思索を重ねてください。
保守系無所属さんが本来の信仰を続けられる事をご祈念申し上げます。

議論も対論もするつもりはありません。

突然、失礼いたします。
熱い思いを拝見させていただきました。

さて、早速ですが、御書根本と言いながら、
どこにも御書の引用が見当たりませんね。
池田大作氏の言葉がどうしたんだと言われながら、
ご自身は大聖人はこうだと御書を通じて示されない。

例えば、(化他行が学会活動にあたるかどうか別として)
唱題行がそのまま自行化他になると言い切られていますが、
あなたが大事とされる大聖人の教え(御書)のどこにあるのでしょうか。

また、義浄房が謗法の地にとどまり続けたことを賞賛するのなら、
地頭の謗法で身延離山した日興上人は誤りなのですか。

大聖人いわく「地頭の不法ならん時は我も住まじ」
この御書は、どう拝せばよいのでしょうか。
「謗法の地に御本仏はいない」としか読めないのですが。

したがって、ご創建された久遠寺に
「日蓮がたましいをすみにそめながし・かきて候ぞ」
の大御本尊があっても、謗法あれば「私は住まない」との御断言です。
(今の大石寺にも通じます)

あなたの言い分は、日興上人が「五人所破抄」で破折されている
五老僧の言い分(権力・世間への弁解)とそっくりに見えます。
今も昔も変わらない原理です。

 五人いわく「天台の弟子として、ひたすら国家安穏を祈りますから、
 あの過激な日蓮門下と一緒にしないで下さいね」

 あなたいわく「大聖人の弟子として、ひたすら唱題行に励み、
 幹部も組織もダメな学会の活動はしないから彼らと一緒にしないでね」

要するに、このブログは「感情論」にしか見えないのです。
とにかく、学会活動がいやだ、組織がいやなんだと。
学会に信心は教えてもらったが、それはもはや関係ないと。

義務ではなく権利なので、お休みするのは結構ですが、
学会活動の「いや」を、即「間違い」へと転換・正当化し、
大聖人ご在世当時の修行を拒否した弟子たちのように、
組織や世間へこっそり我流の愚痴を拡散してませんか。

「日蓮御坊は師匠にておはせども余りにこはし
 我らはやはらかに法華経を弘むべし」

議論するつもりはありません。
互いにさまざま理屈をつけても、
所詮ここは「感情論」の場なのですから。

お互いに真剣な唱題行の中、
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」で、
御書をかみしめ信じるところを実践してまいりましょう。

「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」

 乱文、大変失礼いたしました。

東方之大鯰さんへ

>>大聖人いわく「地頭の不法ならん時は我も住まじ」
>>この御書は、どう拝せばよいのでしょうか。
>>「謗法の地に御本仏はいない」としか読めないのですが。
>>したがって、ご創建された久遠寺に
>>「日蓮がたましいをすみにそめながし・かきて候ぞ」 の大御本尊があっても
>>謗法あれば「私は住まない」との御断言です。
(今の大石寺にも通じます)

その通りです。しかし 謗法か?否か?を決められるのは、皮肉にも大聖人だけです。
大聖人様だけですが その大聖人さまは この世にいません。

そうなってくると 正邪の判定を決める裁判官は誰になるのでしょうか? 
ただでさえ 凡夫の判事でも判決や判断を間違えることが多いのに
凡夫よりも上の人間が 日蓮と合意になっている等と判るのか 私には理解ができません
事実 同じような手口で 経巻相承等と宣伝して我流に陥ったのが
仏立講や立正佼成会だと断定して 創価学会は破迹をしていましたよね

矛盾していませんか? 
今の創価と 仏立講や 立正佼成会と どう違うの?

また謗法じゃないと思っていた日興直結の日蓮正宗が
結局は謗法まみれの黒歴史だった点を考慮すれば
『地頭の不法ならん時は我も住まじ』は 
創価学会にも当てはまる事があるんじゃないでしょうか?

つまり流動的なんですね 流動的ですが しかし基礎がなければ
結局は 我流になってしまうので 謗法の雪だるまに陥るんじゃないでしょうか?

(つか その御文自体が日興上人の言葉で
 結局は大石寺の教義に頼っているし・・・汗)

つか・・・ 『基礎としなければいけない筈』の大御本尊を外したら
創価学会は何を祈っていることにもなるんでしょう 
また 日蓮を外したら 日蓮と合わなかったら 創価学会は何のために存在するのでしょう?
また『何のため?』の信心なのでしょう?

さらに 羅針も計器もない状態で 日蓮と直結だと精査することが あなたには解るのでしょうか?

しかも、改定を支持している人の中には
『身延も佐渡も御本尊は皆同じ』だとか主張していた人もいたり 
スペインのSGI会員を引き合いに出して 
曼荼羅知らなくとも祈りは叶うんだとか主張していたりもしていて
『地頭の不法ならん時は我も住まじ』・・と矛盾してしまい 
この辺がいつもパラドックスになるんですけれどね
プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

2017.10.26~
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
54位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
哲学・思想
6位
アクセスランキングを見る>>