四条金吾女房御書(安楽産福子御書)

林檎さんよりご懐妊の報告のコメントをいただきました。
まづは改めて、おめでとうございます。

「妊娠」というと思い出すのは、「不妊治療」
実は結婚して3年目。夫婦で「不妊治療」を受けていました。
不妊治療は、お金もかかるし妻の身体に負担もかかるし
何よりも精神的なプレッシャーがハンパじゃなく・・
そんな中1年間頑張ったのですが、医師の言葉は
「子供は諦めてください」という非情な言葉でした。
そこで嫁は「医学で解決できないなら信心で」と決意し
不妊治療はキッパリとやめ
それから創価の活動に参加するようになりました。
私は内心では「信心で子供ができたら苦労しない」と思いつつも
嫁の手前もあって時々題目を上げていました。
(嫁がうるさいのでしぶしぶでしたが)
それから7ヶ月。なんと嫁が妊娠したのです。
1年間治療してもできなかった子供を自然と授かったのです。
そこから嫁の信心(御本尊)に対する確信が生まれたのです。
それが今の私の息子です。いわば嫁の信心の実証ですね。
ちなみに、その時ご安置していたご本尊は
今の創価が極悪と読んでいる日顕上人書写のご本尊です。
その後二人目も希望していたのですが結局子供は一人だけ。
ちなみに二人目を祈っていたのは今の創価本尊です。

おっといけない。今日はそんな個人的な話ではなく
林檎さんのお祝いでした(笑)
林檎さんにはお祝いの言葉に変えて
「四条金吾女房御書」の話をさせていただきます。
この御書は別名「安楽産福子御書」といって
金吾の最初の子供(月満御前)を日眼女(金吾の妻)が身ごもった時に
大聖人から与えられた御書です。
非常に短いのでぜひ読んでください(1109ページです)
では、少し話をさせていただきます。

◆懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候

日眼女の懐胎を聞いた大聖人は「護符」を授けます。
護符については以前記事にしたので割愛しますが
大聖人が我々に与えてくださった一番の「護符」とは「御本尊」です。
この御書は佐前(発迹顕本直前)のものなので「護符」を下付したのでしょう。
この2年後経王御前(金吾の第二子)には御本尊を下付していますので
大聖人が下付した「護符」とは「御本尊」の代わりであったと思います。
つまりここは、大御本尊様をよくよく信じなさい。ということです。
大御本尊に信を置いた唱題が大切という事です。

◆就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ

林檎さんのご主人は、
まだ創価の悪酒に酔っ払っている状態ではありますが
林檎さんの大御本尊への純真な信心を見て
ご本仏が広宣流布のあとをつぐ子となると思い
今回授けてくれた命だと思います。
私の時も信心をしていたのは嫁だけで
当時の私は「不信の者」でしたので
間違いなく林檎さんの信心で授かった命です。

◆色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり

そのような子供ですから必ず安産で生まれてくるでしょう。
と大聖人のお墨付きです。
色心の二法とは別しては大御本尊(大聖人)の色心二法です。
その色心の二法。
つまり大御本尊への信心を継ぐ人
それが、林檎さんの授かった命です。
この薬とは先も書いたように御本尊です。
「この薬」とは法華経の「是好良薬」のことです。
「是好良薬」とは一大秘法の大御本尊です。
大御本尊を信じる林檎さんの安産は
間違いないと大聖人様は言われています。

◆たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、

ただし、よくよく大御本尊を信じることが大切です。
無限の仏力・法力のある御本尊も、
創価の毒(謗法)を入れてしまっては
効力は少なくなるのです。

そして最後に
◆日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我が子にをとるべき

と言われているように、
林檎さんの生まれ来る子は、
大聖人の子供と同じである。
とご本仏大聖人が言ってくれてます。
なんと心強くそして嬉しいではありませんか。
この御書は日眼女に与えられた御書ですが
同時に、林檎さんにも与えられた御書です。
そう心に思って読んでみてください。
そしてこれからも大御本尊への信を貫き
いつかお子様を大聖人(大御本尊)様に会わせてあげてくださいね。
大聖人もきっとその日を楽しみにされていると思います。

短いですが、お祝いの言葉に代えさせていただきます。
また、無事にご出産されるようにご祈念いたします。
林檎さん、おめでとうございます。

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2年前の体験談

2年前の5月。正確には2015年5月8日に
このブログで「大悪起これば」という記事を書いた。
記事の内容は、俺の身の上に
良くない出来事が起きた。という事を書いた。
当時はそれが何かを具体的に書かず
そしていままでその件について記事を書かなかったが
今回ちょっとした事情があり、唐突ではあるが
2年前の体験談を書かせてもらうことにした。

2年前の3月。俺は癌の告知を受けた。
胃癌と大腸癌のダブル宣告である。
その記事を書いた5月8日は、
胃がんの手術を4月の初めに終え
大腸がんの手術を1週間後に控えていた時である。
2015年5月のこのブログ記事の更新日を見てもらうと分かるが
途中2週間程度ブログ更新がない日がるのだが
そこが手術・入院していた期間だ。

子供のころから病気らしい病気は、
おたふくかぜに水疱瘡・風疹それとインフルエンザくらいの俺にとって
癌の告知。しかも胃も大腸もという
ダブル告知をされても最初は全然ピンとこなかった。
ドラマとかではガン告知されて、ガ~ン・・みたいなシーンを見るが
いざ自分がその場になると、至って冷静というかまるで他人事みたいだった。
ところが日が経つにつれどんどん不安になってくる。
「もう長く生きられないのか?」
「家族や会社はどうなってしまうのか?」
「今度の手術は成功するのか?」
「全麻なので目が覚めなかったらどうしよう」
などなど色々なことが頭に浮かぶわけだ。
嫁の顔を見れば悲しくなり
母の顔見れば悲しくなり
息子の顔を見れば悲しくなり
もう泣き叫びたい毎日。
生まれて初めて「死」というモノをリアルに身近に感じた。
その時の恐怖というか不安というかは言葉では表現できない。
何事もない時は、「生命は永遠」とか
「生と死は一体不二」なんて言ったり学んだりしているものの
いざ自分がそうした場面に出くわすと、
情けない話だかそんなものぶっ飛んでしまう。
まだ死にたくない。まだ死ねない。と。

毎日、御本尊に色々と想いをぶちまけながらの唱題。
「何でこんな目に合わないきゃいけないのですか?」と文句言ったり
「まだ死にたくありません。どうか助けてください」と懇願したり
他人の幸福を祈る。なんてのは平常時の話で
こんな時に世界平和もへったくれもない。
とにかく御本尊にすがる思いで唱題した。
この当時、どこから俺の病気の件を嗅ぎつけたのか
俺を敵視する創価活動家は口々に
「学会に敵対したから罰が出た。ざまぁみろ」と言いあっていたそうだ。
(のちには「俺死亡説」も流布された)
俺もどうして病気になってしまったのか御本尊に聞いてみた。
いろいろ考えたが、「創価を批判したから罰が出た」
これだけは「ない」と確信していた。
大御本尊を捨てた創価を批判して罰がでるなら
大御本尊を捨てた方が功徳がでる。ことになってしまう。
もしそうならば大聖人様は本仏どころか大魔王になる。
それだけはどう考えても「ありえない」のである。
だとすると、この病気はむしろ創価(悪)を
責めた功徳でなんだと思えてならなかった。
それ以外に今(当時)俺がガンになる理由など考えられなかった。

◆各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる、此の度こそまことの御信用はあらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ(兄弟抄)

悪を責めることによって過去の謗法が顕れたと。
であるならばここで死ぬことはあり得ない。
ここで俺が死んだら、創価の連中の思う壺だ。
それでは大聖人が邪教の者どもに負けることになる。
そう、これこそ転重軽受なのだと。
もし、創価も批判せず大御本尊を受持せずいたら、
未来にこれ以上の苦しみが待っていただろう。
実際に健康診断を受診したのも自主的ではない。
あの時に健康診断をしていなければいまでも受診していないと思う。
そうならばガンであることを知るのは更に進行が進んでからということになる。

そんな思いで日々唱題していると
いままで何十回も読んだ御書の御文の断片が
不思議と次々と頭に浮かんでくる。
浮かんできた御文を唱題後に御書で確認する。

◆病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり(聖人知三世事)
◆病あれば死ぬべしといふ事不定なり(窪尼御前御返事)
◆若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん(太田入道殿御返事)
◆然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか(太田入道殿御返事)
◆しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし(上野殿御返事)

などなど。
「そうか。こういうことなんだ」と思ったら
もうどんな結果でも潔く受け止めようと。
それは「諦めの心」ではなく、「決定の心」と言うべきかな。

◆ただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ(聖人御難事)
◆とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ(上野殿御返事)
◆なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。(兄弟抄)

これらの御文に行き当たり
何があろうとも大御本尊を信じぬく。
決して卑怯で臆病な態度は見せない。
と心を決めることができた。(もちろん時間はかかったが)
最近、教学の事を書いているが
ほんとうに「いざ」という時には
題目と御書の二本立て、で行くべきである。
創価の幹部や大作センセの指導はどんなに素晴らしいもであったとしても
所詮は人師の論から出ないのである。
大御本尊を信じていながら思い寄らぬ病気や不幸に遭遇するのは
それは業病であるのだからご本仏以外に根本的に治せない。
(医療で治らないという意味ではないので誤解しないように)
業病の前で人師の指導はむしろ不要である。
ましてやご本仏を捨てた創価の連中の言葉など百害あって一利なし。だ。

◆譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし(種種御振舞御書)

とにかく、唱題と御書。
俺はそれがこの信心の全てだと思っている。
約2年前。俺はそうして「死」の恐怖と不安を断ち切れた。
2年前に癌を宣告され、

◆病によりて道心はをこり候なり(妙心尼御前御返事)

この御文をようやく身で読むことができたのだ。
(この御文をタイトルにしているブログがあるが完全にタイトル負けしててみっともない)

そしてあれから二年。
お陰様で、まだ生きてそして謗法を責め続けることができている。
いまでも定期的に病院で検査をしているが
今のところ再発・転移は見られない。
まぁまだ最低3年は油断はできないが
前述した通り、どんな結果になってもご本仏に任せると決めているので
不安はない。(とはいえ日々完治をご祈念しているが)
ともかく命ある限り、破邪顕正を叫んでいきたいと思っている。
この時の凄い功徳もあるのだが、それは内緒にしておく。

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墓は売るんだよね?

みなさん、そろそろお盆休みですか?
私は来週休暇をとる予定。
特に遠くには行きませんが
「お墓参り」だけは欠かせない行事です。
私、若い頃から「お墓参り」が好きでして
いまも毎年正月2日。お彼岸。お盆と年に3~4回「お墓参り」します。
中でも夏のお盆の墓参が一番好きです。
少し涼しくなった頃、ヒグラシの声を聞きながらお墓参りするのが大好き。
その後のビールも格別です。
最近では、お墓参りする人も少なくなったようで
墓参り代行業なんていうのの登場してます。
無縁仏になっちゃっているお墓も結構あるとか
「墓参り」好きの私には寂しい話です。

さて、地元の創価の知人に聞いても、
なかなか「墓参り」できないらしいですわ。
理由は「墓が遠い」から。
そう、創価の墓苑を買っちゃった学会一家は
そう簡単に墓参もできないようですね。
私の地元から一番近い創価の墓苑は
高速道路で片道2時間。
有名な温泉街のさらに先の山の中です。
日帰りできるけど、そうそう墓参に行ってられない距離だね。
友人の一人は数年前にその墓苑を引き払って
車で10分ほどの地元の墓苑を買いなおしました。
自分か死んだときに創価の墓苑じゃ誰も来なくなる。と言ってた。
親御さんが買ったとはいえ、とんだ無駄金使わされたと言っていた。
それでも彼なんてまだいい方で
別の創価の友人一家は、温泉街の山間の墓苑の他に
静岡と北海道厚田村の創価の墓苑を持っているらしい。
北海道の厚田村なんて一生行かないだろう。と言っていた。
それにしても、一家に3つの墓苑って・・・・
MY聖教ならぬ、MY墓苑だね。
明らかにそんなに必要ないし、明らかにそんな売り方はあくどいよ。

去年「消費者契約法」が一部改正になって
過量な内容の消費者契約は取り消すことができるようになった。
事業者が消費者に通常の分量を超える量を売りつけたら契約取り消しができる。という内容。
一定要件はあるものの、墓をいくつも売りつけるのは明らかに過量。
事業者が知らなかった。とは言わせないよ。
これだけ統監がしっかりしているのだからね。
これで知らなかった。と言うならば、創価の統監が適当ってことにもなる。
そもそも一番最初が厚田村ってのがもう最初から詐欺っぽい。
厚田村に創価の墓苑を持っている会員さん大勢いるでしょ?
で、何回行ったの厚田村に。
自分が死んだら誰が厚田村に納骨いってその墓参するの?
最初から厚田村の墓苑を全国販売することがオカシイんだね。
まぁ土地が安いし「厚田村」といえば売れると踏んだ作戦は成功だけど
「会員の為に」作られた場所とは思えないなぁ
大作センセが死んだら厚田村に埋葬するならまだしも
戸田先生の墓すらないのだから。

しかしまぁ、葬儀に僧侶を呼ぶのも塔婆供養も
「仏法の本義ではない」
「そんなものは坊主の金儲けだ」と言って
そんなものは不要だ。とかいいながら
「墓」を売るのは何故?
創価の理論からすれば、「墓」だって「仏法の本義」にはないよ。
釈迦時代のインドには「墓」なんてないし
釈迦仏法自体が輪廻転生なんだから「墓」なんて必要ない。
「納骨堂」もいらないでしょ。
それが「仏法の本義」じゃね~の?
確かに日本は勝手に埋葬できないから
墓苑や納骨堂などの遺骨を保管する場所は必要だけど、
それを創価の事業としてやる必要はないね。
民間でいくらでもやっている。
「仏法の本義」に照らせば「墓も不要」でしょ?
僧侶は不要だけど、墓は必要ってのは
どんな「仏法の本義」に照らすとそうなるのか聞きたいよ。
どうしても会員さんの為。と言いたいならば
創価の会員さんには「無料」で、
墓なり納骨堂なりを贈呈しなさいな。
それなら納得もするよ。
何より「墓」や「納骨堂」欲しさに入会者も増えるかもよ。
え?そんな死にぞこないの会員に墓を贈呈したら「赤字」になるって?
うん。うん。そうでしょう。
それはイヤなんだよね。
つまりさ、仏法の本義なんてどうでもいいんでしょう?
要は「金儲け」の為に仏法を利用をしているだけってことだよね?
いやいや、悪いとは言ってないよ。
邪教団はどこでもやっていることだから創価だけダメとは言わない。
でもね、自分たちがそういう邪教団ってことを自覚しなさいな。
もっとゴキちゃんみたいにコソコソやりなさいよ。
せめて世間様に迷惑をかけない事を心がけて欲しいですな(笑)

そうそう、話は戻るけど家族で創価の墓苑を複数買っちゃった会員さん
ダメもとで消費者センターに相談したらどうですか?
ひょっとしたら契約取り消ししてお金えお取り戻せるかも?よ。

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何もしなきゃ破門にならないっての。

「こんなに宗門を守ってきたのに」
「こんなに宗門に供養してきたのに」
そんな、池田センセと創価学会を
突然一方的に破門するなんて許せない。
創価活動家がよく言う宗門批判だ。
多少気持ちはわからなくはない。
俺も、散々創価の為に時間と金を使って
創価を守ってきた。
なのに、組織から追放され
最後には退会したこと。にされて会員資格を失った。
うん。確かに悔しいだろう。
しかしそうなったのにも原因ってのは必ずあるもので
俺が創価から追われた根本的な原因は
幹部のいう事をきかなかったり
幹部の言動に対し批判的な発言を繰り返したからだ。
また、本尊義と血脈相承の重要性を
繰り返し他の会員さん達に話してきたという事もある。
こう書くと、現役活動家は
「そんなヤツは創価の組織を追い出されて当然だ」と思うだろう。
組織の打ち出しやらなんやら「いうことを聞かない」のだからね。
そう「当然」なんだよ。
俺たちを追放した連中の大義名分は
「創価の組織を守る」だった。
組織を守るためには組織に楯突く人間は排除する。
こんなことは、いかなる組織においても当然のことなのだ。
だから、俺は別に創価の組織に受けた仕打ちを恨んでいない。
いつもいうように怨嫉とかいう感情は一切ない。

大作センセや創価上層部も
俺と同じことを、宗門や日顕上人にしたんだよ。
だから、破門されて当然。
なのに、「破門した。破門した。」となに言っての?
「何もしてない大作センセや創価を一方的に破門した」だと?
なにをフザケタ事を言っているんだ。
平成2年の「11・16」の池田スピーチ。
創価学会のみならず、法華講のトップの役職にある人間が
同時中継という公の場で公然と宗門や法主を批判したのである。
さらには宗門側からのこの件に関する
「文書」による回答要求を突っぱねたのである。
しかも当事者の大作センセからはナシノツブテ。
こんなことをすれば、日蓮正宗という組織の役職である
大講頭も総講頭も罷免させられて当然でしょ。
逆に、そんな言動をした大作センセと学会幹部を
大講頭・総講頭のままにしていては
他の信徒に「シメシ」がつかない。
つまり宗門は当たり前のこととして、
大作センセと学会幹部の大講頭・総講頭を罷免しただけだ。

仮に原田会長が本幹で大作センセを
批判するようなことを言ったらどうする?
そのまま会長にとどめておくのか?
それで会員は納得するのか?
しないだろう。
原田会長が大作センセに文書で報告しなさいと言われたのに
それを無視して会って話します。
っていったら、悪いのは「文書」提出をさせようとした
大作センセの方なのか?
原田会長のみならず創価の中で
大作センセに批判どころか少しでも異議をとなえたら
それこそ、俺のようにいつか組織から追い出されるだろう。
違うか?
宗門による大作センセの「宗門の役職」罷免は
当然のことであり、大作センセの身から出た錆であって
「宗門」が悪いのではない。
逆恨みか作戦かは知らないが
こんなことで宗門批判するのはお門違いだ。

それにしても普段から内部アンチを見つけては
「創価批判する内部アンチは創価をやめろ」とか
「創価を批判したいなら退会してからやれ」
などと言ってはばからない活動家が
「宗門批判をした」大作センセのことは庇う事。庇う事。
本来の彼らのロジックならば
「正宗批判する大作は信徒をヤメロ」
「正宗批判した大作が破門になるのは当然だ」
となるはずなのだがそうならない(笑)
本当にこの人たちの身勝手ぶりは筋金入りである。
こうした身勝手さが世間からはスポイルされる原因なんだけどな。

そしてさらに酷かったのは、
大作センセ・創価幹部が大講頭・総講頭を罷免されたあと。
すぐに聖教や新報で、「反宗門キャンペーン」を繰り広げ
宗門僧侶や日顕上人の悪口をこれでもかと書き連ね
大作センセも毎月本幹で、宗門・顕氏に対する
ヘイトスピーチを好き放題いう。いう。
また、友人葬を筆頭に僧侶を排除し始め
寺に行かないように会員を誘導していった。
これは、「破門後」の話ではない。
「破門前」の話である。
破門される前から、大作センセと創価は
日蓮正宗の信徒でありながら日蓮正宗を批判していたのある。
そんなことを大作センセを中心に組織を挙げて繰り返していたのに
「何も悪いことをしていない大作センセ・創価学会を一方的に破門した」
などと一体どの面下げていうのか?
破門される前からこれだけの宗門攻撃をしていて
「宗門は話し合いにすら応じなかった」
などど一体どのクチがそんなことを言うのか?
「話し合いで解決したい」
「僧俗和合の道を模索したい」
そんな「思い」はどこからも伝わってこないが?
こうした事実から導き出されるのは、
大作センセと創価は、宗門から破門されるのを狙った。
という結論だ。
自分達の方から宗門から独立します。というのでは
会員や世間からコンセンサスを得られないから
あくまでも自分たちは宗門から破門されたか弱き被害者。
というというテイにしたかった。ということだ。
不倫にはまった旦那が奥さんと別れる作戦として
わざと嫌われるような事をし、
いよいよ奥さんから別れ話されると
「オマエから別れるといったのだから慰謝料は払わないぞ」といいつつ
胸の中で小躍りして別れられたことを喜んでいる。
そんなB級ドラマのストーリーをやってのけたのが
当時の大作センセと創価上層部である。
こんな胸糞悪いけど単純なストリーに
コロっと騙されてしまったのが
冒頭書いたような創価活動家である。

創価会員さんには事実をきちんと検証してほしい。
創価の新聞や幹部の話は、創価の主張にすぎない。
宗門が一方的に創価を批判したのでなく
創価・・なかんずく大作センセがいきなり
宗門・法主批判を始めたのである。
事実は小説より奇なり。である。

さて、今日は創価活動家の間違った「外護」観を書こうと思ったけど
長くなっちゃったのでそれはまた今度ということで。

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なんでも日顕宗

相変わらず、創価の活動家は
正宗を「日顕宗」と呼び
あ~だこ~だと言っているが
最近の創価活動家はなんでも「日顕宗」
と言えばいいと思ってるフシがある。
というか「それしか言えない」というのが実情なんだろうな。
そもそも、創価が正宗を日顕宗名と呼ぶ理由としては
毎年、任用試験にバカみたいに出題しているが
法主信仰とか僧俗差別とか神秘的な血脈間とか
御書に書いていないことを勝手に言っているから。なんだそうだが
御書に書いていない事を勝手に言ってるのは創価の方で
選挙や新聞啓蒙や財務に功徳がある。
なんて御書には書いていないけど?って突っ込みたくなるが
そこは今日は置いておくが
ともかく最初の内は、
法主に唯受一人血脈がある。とか
僧と俗では役割の違いがある。なんて言っていると
「そんなことを言うのは日顕宗と同じだ」
なんて幹部や他の活動家に言われたりした。
俺は、創価活動家時代から
「唯受一人血脈」を肯定していから
組織の中で「日顕宗教学」とか陰口叩かれ
俺の御書講義を聞いた幹部から注意されたりした。
血脈を認めると法主も認めることになるので
幹部としては看過できなかったのだろう。
ともあれ始めは「法主」肯定=日顕宗
というような定義だったのだが・・・

やがて、五座三座の勤行を推奨すると「日顕宗」
塔婆のことを言えば「日顕宗」
僧侶の役割のことを話せば「日顕宗」
友人葬ってなんかピンとこないんだよねと言えば「日顕宗」
なんでもかんでも「日顕宗」というようになり
そして、ついには創価活動家は
「戒壇大御本尊を唯一無二のご本仏として信じる」と主張すると
「日顕宗」というようになるまでになった。
リアルでもそうだし、創価活動家たちのブログやSNSを見ればよく分かる。

でも、ちょっと待ちなさいよ。
「大御本尊を絶対無二」というのは日寛上人も言っている。
唯受一人血脈もそう。
創価が破門される以前までは
日蓮正宗の僧俗は皆言っているのである。
今の創価のいい草通りならば
日興上人も日寛上人も「日顕宗」
創価本部の本尊を書写した日昇上人も
創価の御書を選定した日亨上人も
そして、牧口・戸田も全員「日顕宗」ということになる。
いやいや、いくらなんでもそりゃ言い過ぎだろう。
日顕上人と同世代の人間ならばまだしも
鎌倉時代や江戸時代の僧俗が「日顕宗」になれるわけがない。

そもそも、大御本尊を一大秘法と決めたのは日顕上人ではないし
唯受一人血脈を言い出したのも日顕上人ではない。
しかも大御本尊の事を言い出したら「日顕宗」になるのはごく最近。
創価が大御本尊を受持の対象にしなくなったからでしょ?
自分たちの方が、クルクルと教義を代えておいて
変わっていない日蓮正宗の事を「日顕宗」などと呼ぶのは
単なる印象操作のネガティブキャンペーンでしかない。
むしろ日蓮正宗。つまり日興門流でなくなったのは創価の方
であるならば、正宗を「日顕宗」なんて呼ばないで
自分たちを「創価大作教」を呼べよ。って話だよ。
なんでもかんでも「日顕宗」なんて呼んで
くだらないネガティブキャンペーンをやっている暇があるなら
もう少し教学をお勉強してキチンと正宗を破折すればいいじゃん。
それが出来ないは「創価大作教」の教義は
大聖人仏法ではないことを証明しているのと同じだ。
なんでも「日顕宗」と言えば
くだらない創価教学を誤魔化せるとでも?
純粋な会員さんを騙せるとでも?
そういう姑息なことはやめて
「創価大作教」の教えを流布すればいいんじゃないの。
え?「創価大作教」じゃ広まらないって?
分かってるならカツドウなんてやめようよ。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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