貴乃花親方の処分に思う。

貴乃花親方に対する相撲協会の処分が決まりメディアをざわつかしている。
俺は別に相撲ファンでも貴乃花ファンでもないが
協会の処分は非常にバランスを欠いてると感じる。
加害者側の親方は「辞任」なのに被害者側の親方は「降格」
現場にいて暴力を止めず報告もしなかった
白鵬・鶴竜の横綱は減棒。
組織のトップであり本来ならば一番責任の思い立場にある八角親方も減棒だけ。
貴乃花親方に方向義務違反があったにせよ
日馬富士を除く関係者の中で一番重い処分とは呆れる。

今回の一連の騒動をみていると
俺達が創価の組織を追放された時を思い出す。
ある本部長がF支部の部員さんの家に行き
部長のことを「師敵対」といいふらし
F支部の会合に参加しないようにと言い回っていた。
その部は俺が前任の部長だったので
その本部長のおかしな言動を部員さん数名から報告を受けた俺は
ゾーン幹部にその本部長を注意しろと何度もいったが
圏男をはじめとするゾーン幹部も本部幹部も全く対応をしない。
なんのことはない。圏男子部長自らその本部長に指示を出していたのだから。
理由は「自分達(圏や本部)の会合にその部が参加しないから」というくだらないもの。
結局、F支部とF支部と仲が良かったW支部はゾーン・本部の会合は全てボイコットし
2支部でしばらくの間会合を開催した。
当然、本部幹部以上の役職でその会合に参加するのは俺だけ。
(俺もW支部だったし)
俺達は、組織をできるだけ混乱させないように
圏男・本部長やその取り巻き連中がどんなあくどいことをしてきたか
それは誰にもいう事はなかった。
それに乗じて彼らは組織の四者を巻き込み俺たちのことを「悪者」として
組織の中で言いたい放題に吹聴して回った。
結果俺達は男子部の会合はもとより座談会や支部幹からも締め出された。
しまには「謝罪をしたら許す」みたいなことを言ってくる。
勿論、俺たちサイドで謝罪する人間などひとりもいない。
日々、懸命に活動をし結果を出している会員が
称えられることがあっても、「師敵対」と言われる筋合いはない
ましてや謝罪する必要もない。
結果総県の幹部が出てきて、当然向こうが謝罪したのだが
直近の人事では、壮年部送りにされたり派遣で支部から切り離されたり
もっとも、その頃にはスッカリ創価不審に陥った俺達は
学会活動なんていうことを続ける気もなければ
創価の組織なんてどうでもいい感じになっていたので
報復人事も何の効力ももたなかったが・・・

そんなことを思い出しながら今回の騒動を見ていると
貴乃花ファンじゃないけど、貴乃花親方の方につい感情移入する。
貴乃花親方はただまっすぐに相撲道を歩きたかったのだろう。
でも相撲協会という組織はそうではなかった。
相撲道を捻じ曲げてでも組織を守りたかったように見える。
もっとも「組織を守る」というといかにも勿体つけた大義名分に聞こえるが
要はそれぞれの理事・親方の保身でしかない。
俺らの追放の時も、やつtら幹部は「組織を守る」などとほざいていたが
現証として組織を守っていたのは紛うことなく俺たちの方である。
そして何よりも「仏道」を守ることが組織を守ることだと信じていた。
相撲道がなくなれば何のための協会か?
単なる興行・・・いや利権だけの団体である。
創価もまた「仏道」(信心)がなくなれば組織なんてなんの意味もない。
意味のない組織の所属し意味のない時間と金を搾取されるのは
全く意味のない人生だ。

ともあれ、今回の騒動で思うのは、
貴乃花親方には協会や評議員会の連中に一矢報いて欲しい。ということかな。

「処分されるいわれはないが甘んじて処分を受ける」
貴乃花親方の気持ちがよくわかる。


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新しい念珠

先月の18日に我が家に御本尊様をお迎えしたのを機に
折角ななので心機一転という意味も込めて新しい念珠を購入した。
念珠はあまり取り替えない方がいいのだが
謗法払い(笑)ってわけじゃないが創価時代とは変えたかったんだよね。
ネットで気に入った念珠を発見したのだか
残念ながら正宗系の念珠屋さん?じゃなかったので
色々と正宗用にオーダーしないとならず
納品まで少し日数を要したが先週納品になり
納品翌日お寺にもっていき開眼供養をしてもらい
数日前から新しい念珠で勤行・唱題をしている。

お念珠と言えばその昔、まだ初心の頃に学会の壮年部の人から
「大きい珠は親珠といって父・母を表し妙と法を表しているんだよ」
「小さい珠は四菩薩を表し珠の数は煩悩と同じ108個」
「合唱すると親珠が合わさって境智冥合して手のひらで108個の煩悩を隠すんだよ」
「丸い珠は円教(妙法)を表してて円は欠けるところがないんだよ」
な~んて色々と教えてもらったことを思い出す。
昔は、創価の組織の中に信心の基本を教えてくれる
先輩・幹部がたくさんいたんだけどね。
いまは、選挙のやり方とか会合の運営の仕方とか
そんなどうでもいいことしか教えないのだから
そりゃお念珠を床でもどこでも、
ほっぽり投げる会員がいるのも頷けますな。

念珠について日寛上人は、「当家三衣抄」で
◇当家の意三衣を欠くに非ず、但上古の三衣に異なるのみ。謂わく、衣・袈裟・数珠、是れを三衣と名づく
と言われています。
念珠は「三衣」のうちの一つなんですね。
我々在家は、袈裟・衣はまとわないので、在家にとって唯一の「衣」にあたるのが念珠です。
(百八の煩悩を隠すということで衣という意味がある)

更に日寛上人は続けて
◇夫れ数珠とは此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具なり
と。念珠は我等下根の凡夫の修行を助ける法具ということです。

また、
◇常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称え、乃ち一子を過ごすべし云々
ともご指南されています。
勤行唱題の時は念珠を常に手にかけなさい。という事です。

このように大切な法具だからちゃんと日興門流の流儀のものでないと。
というわけで、カラー(色付き)だった房を白房に変え
親珠に題目が彫ってあったので、何も彫っていない珠に変え
多少お値段のプラスアルファになったが
ご住職からも問題なしと太鼓判を押してもらったのが
NEW MY 念珠。であります。

しかし創価系仏壇では、房をカラーにした念珠や
親珠をバラの花にしたり、親珠の中にクマさん入れたり
わっけのわからない念珠を平然と販売してるよね。
白房には、大白法と意味があり謗法に染まらないという意味があるし
親珠のをバラにしちゃったら「妙」でも「法」でもなくなっちゃう。
なんだろね。平念珠型ブレスレットと同じように
単なるファッション?小道具?くらいにしか思ってないんだろね。
前述したけど、念珠は日興門下にとっては「法衣」なんだよなぁ。
正宗の僧侶が「真っ赤なバラの花」や
「可愛いクマちゃん」の刺繡が施された法衣を着ていたら
「謗法だぁ、謗法だぁ」って大騒ぎするんでしょ?
なのに念珠は平気でそんなモンを
販売し、販売を黙認し、購入してる。
その一点だけとっても、今の創価がいかに邪教団がわかるんだよね。

IMG_3136.jpg
青虎目か黒檀か迷ったんだけど、石より木がいいと思い黒檀にした。

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この房が色つきだったので「白房」に変更。

IMG_3150.jpg
因みに、この壺みたいな形の部分が「功徳壺」といって
ここに功徳がたまるんだよ。と創価壮年部さんに昔教わった。
(だからあまり念珠は取り換えない方がいい。ってわけだね)


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師匠と親分

学会活動をやっていると一度は聞かされる指導で
部員さんと「親分子分」の関係になってはいけない。とものがある。
俺が創価組織を追放された時も
「あいつは部員さんを子分のようにしている」と散々言われた。
なんでも俺が部員さんに命令している。かのように言われたものだ。
俺の周辺にいたヤツらは本当に幹部の言うこと聞かない
ひとくせもふたくせもあるような部員さんが多くて
そのくせ折伏も新聞も選挙もとびきり結果を出す武闘派だったので
傍からみると反社会的勢力のような
親分子分的な関係に見えたのかもしれない。
ある日某幹部が俺に
「部員さんに命令して言うこと聞かせるようなことはよくない」
と指導をしに来たことがあった。
そこで俺はその幹部に
「あいつらが命令して動くような奴らかどうか自分で命令して確かめたらどうか」
と提案した。
とてもじゃないが「命令」に素直に従うやつらなんてほとんどいない。
仕事でもなんでもそうだかが
「命令に従う」ような人間は何の結果も出せない。
それに、俺には「親分」とか絶対無理。
俺自身が「誰の下にも誰の上にもなりたなく」人間だからね。
まぁ組織に向いてないタイプ。
だから独立して会社をやるしかないわけだ。

さて、創価では「師弟」なんてものを強調する。
「親分」はダメだが「師匠」は推奨。
一体、師匠と親分と何が違うのか?
師匠も親分も弟子や子分を想う気持ちは何も変わらないと思う。
子分を蔑ろにする人間は親分にはなれないわけで
師匠が親分よりも素晴らしいという理由がわからない。
「師弟」も「親分子分」も言い方の違いで
その人間的つながりは変わらないと思う。
ではどこが違うのだろうと考えてみた時に
親分は「その人」につくもので、
師匠とは「自分以外」の何かに導く存在なのかな?と思う。
うまく言えなが、子分は親分そのものを目指すが
弟子は師匠そのものを目指してるのでく
師匠の目指しているところを目指している。
そんな感じだろうか。
創価の指導にも「部員さんを自分に付けるのでなくご本尊・大聖人につける」
といようなものがある。
それを聞いたときにはなるほど。と納得した。
なので俺は御書を中心に大聖人仏法を伝え
部員さんにご本尊・ご本仏を伝えてきた。
大作センセのスピートとか人革の研鑽?なんてほとんどしなかった。
ひたすら御書。
そしてそれが故に創価の活動で皆結果を出すことができた。
それはいまでも同じで、このブログでも
嫌というほど「ご本尊」について書いている。
ところが「部員さんをご本尊へ」という指導が
いつの間にやら「部員さんを池田センセも元へ」
みたいな感じになっていって
非常に違和感を覚えた記憶がある。

池田センセも自ら「師弟の道」を歩むことを奨励し
「師弟」を美化していた。
確かに「師弟」というのは人間しかない崇高な精神であり
それは「美しい」姿であることは否定しない。
「師弟」の姿というのは美しいし、
「師」を持つことができるのは幸せだと思う。
だた仏法においては「師弟」は美しいかもしれないが
必ずしも「正しい」ということはならない。
なぜならば多くの人々が誤った宗教にのめりこむのは
この「師匠」という存在があるからだからだ。

◆宗宗各別に我が経こそすぐれたれ余経は劣れりと云いて我が宗吉と云う事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず(法華初心成仏抄)
◆当世の人は人師の言を如来の金言と打ち思ひ或は法華経に肩を並べて斉しと思ひ或は勝れたり或は劣るなれども機にかなへりと思へり(新池殿御消息)

など、「間違った師匠」と「その弟子」が
仏法を破壊する不幸の原因になっていると
大聖人は繰り返し何度も多くの御書に書かれている。
人として美しいことと、人として正しいことは必ずしも一致しない。
特に仏法においては「間違った師匠とその弟子」
の方が圧倒的に多いのだ。
大聖人仏法において正しい師弟感とは
日有上人の化義抄のご指南に尽きる。曰く

◇手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能よく能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり

つまり先の創価の指導と全く同じことで
師匠とは、根本の師匠(正確には主師親三徳具備のご本仏)
大聖人(大御本尊)に取り次いでくれる人のことだ。
それは、別して言えば唯授一人血脈のご歴代であり
総じて言えば末寺のご住職ということになる。
それ以下の在家は創価学会の名誉会長だろうと
法華講の総講頭だろうとそこまで道案内をする案内人にすぎない。
これは僧俗差別ではなく筋目も問題である。

日興上人は「佐渡国法華講衆御返事」の中で

◇このほうもんは、しでしをたゞしてほとけになり候。しでしだにもちがい候へば、おなじほくゑをたもちまいらせて候へども、むげんぢごくにおち候也(佐渡国法華講衆御返事)

と明確にご指南されている。

ともあれ、本来は「師匠」として根本の師匠である
大聖人(大御本尊)へ会員を導くべき者が
こともあろうかその大御本尊を捨てたのである。
大聖人直結などという、御書にもないような「オカルト説法」で
会員を大聖人ではなく「自分」に付けた張本人が大作センセだ。
会員には「自分に付けるな」とかいいながら
結局テメー自身が会員を自分につけているのある。
そんな大作センセを「人生の師匠」と決め
選挙だの新聞啓蒙だの財務だの正宗攻撃だの
ひたすら献身的にしている創価の弟子たちの姿。
ある意味「美しい」よ
でも「正しく」はない。愚かである。
ヤ●ザの親分子分のつながりは美しいと思っても
ヤ●ザになりたい。と思う人は少ないのと同じように
創価の師弟は美しいかもしれないが
そうなりたいと思う人はそうそういないのだ。
もはや仏法の本紀に照らせば大作センセは師匠ではない。
単なる「親分」である。
そして創価は反社会的勢力団体同様
親分・子分の関係の団体なのである。
大作センセの元からその先はどこにも行けない。
ただ大作センセと共にどこまでも行く以外に道はない。
それが無間地獄であるにも関わらずに。
果たしてそれが自分や家族、
祖先・子孫にとって美しいものなのか?
俺には到底そうは思えない。

「美しいが正しくない」のがいいのか?
「美しくないが正しい」方がいいか?
それはその人の考え方次第ではあるが
大聖人を求めぬく真実の師弟の道をいくのならば
一人の信仰者として
「美しく。正しい。」道を歩めるんじゃないか?
俺はそうありたいと思っているし
大聖人をご本仏と思っている人たちにも
そうであってほしいと願っている。


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組織外組織

日馬富士の暴行問題は一向に収まる気配がなく
いまでは白鵬VS貴乃花親方の様相を呈している。
なぜこんなことになっのか?
思うにやはり報道されいる「モンゴル会」なる
組織外組織の存在が問題なのだろう。
日馬富士は引退会見で貴ノ岩に
「礼儀・礼節を教えようと思った」と述べているが
それは貴乃花親方からすれば「大きなお世話」だろう。
「礼儀・礼節」を教えるのはあくまでも親方の領分であり
例え横綱とは言えども、他の部屋の力士に
「礼儀礼節」などを言うべきでないのである。
少し前の、あべひ君とちよさんの言い分も全く同じである。
人間同士である以上「ほかの組織の人間と仲良くなってはいけない」
などと言ってみたところで仲良くなってしまうのは仕方ないことで
それを組織外組織と非難したところで意味がない。
先の「モンゴル会」もそうだが、
自然とそのような集まりが出来てしまうのは止められないのだ。
組織の上層部にとって組織外組織がなぜ好ましくないのかというと
それはガバナンスが効かなくなるからだ。
ガバナンスが効かなくなということは
組織(体制)の崩壊になるからそ恐るわけである。
なぜガバナンスが効かなくなるかといえば
組織外組織の中に、組織をワクを壊す力のある者が現れ
自分の思う通りにやりたがるからである。
「モンゴル会」で言えば白鵬がそうだろう。
実際に白鵬は言いたい放題でそれに対し
相撲協会側は何も言えないような状況に見て取れる。
なので、あべひ君がちよさんのことをどうこう心配する必要もない。
彼女にはそんな「力」などないので組織を壊すことなどできない。
ところが白鵬ではないけど、力のある人間が組織外組織を作ると
その組織は、やがてどうしても崩壊の道をたどることになる。

戸田二代会長が創価学会を法人化したのが
組織外組織の始まりである。
つまり最初から創価学会は組織外組織だったわけだ。
それでも、戸田二代会長は多少の問題はあったものの
大御本尊や宗門を守り抜いたので大きな問題にはならなかった。
それが何故、宗門から破門され敵対し
大御本尊まで捨てるような謗法団体に創価は成り下がったのか?
それは、大作センセが「組織外組織」を作り
創価学会を私物化したからにほかならない。

52年路線で大作センセは会長職を引責辞任し名誉会長となった。
この時点で池田センセには創価学会の組織運営に関して
何の権限もなくなったわけだ。
本来であれば名誉職として一線から退き
大人しくしているのが組織人としてのありかただろう。
ところが大作センセは勝手に全国をまわり
激励という名の組織外組織作りに奔走したわけである。
その間、北条・秋谷という会長が存在しながら
それ以上の存在として己の存在感を誇示したわけである。
それを止められなかった北条・秋谷にも問題もあるが
その当時そうした池田名誉会長の行動を規制していたら
おそらくその時点で池田センセは、
創価を割って自分の組織を作り上げたことだろう。
北条・秋谷以下の幹部連中はそれを畏れたのだと想像する。
池田センセに会員をごっそり抜かれたら自分たちはオシマイだから。
正宗と違い大作センセと会員がいなくなった創価は
滅亡する以外に道はないからな。

それにしても「組織外組織」を作った大作センセの罪は大きい。
もしも、今創価の中でそんな動きをする人間が存在したらどうだろうか?
速攻で除名処分されるだろう。
「学会を私物化した」
「組織外組織をつくって混乱させた」
などと言われ組織を追われることだろう。
それを平然とのほほんとしてやってのけたのが大作センセである。
もしも、本当に創価の組織を守るのであれば
わざわざ自分が出かけていって指導などしない。
俺も男子部活動家の頃は他支部もメンバーや女子部からも
「指導してください」と頼まれたことがあり話もしたが
自分からのこのこ出かけて行くことはなかった。
なぜならそれは越権行為であるからだ。
(まぁ本当は忙しくでそれどこじゃなかったんだけど)
名誉会長などという何の権限もない人間が
全国を回って会員とコンタクトをとるのは
例え会員が喜んだとしてもやってはいけないことだ。
いや、影響力がある人間ほどすべきではないのである。
それをしてしまうのは、自分の人気と実力を過信し
それを誇示したいと驕っている人間ということだろう。
要は「品格」がない。のである。

かくして、創価学会はいつの間にが池田学会となり
やがて宗門から独立を果たし大御本尊を捨てる暴挙を犯すわけだ。
すべてが大作センセの
「品格のなさ」「美学のなさ」「矜持のなさ」の結果である。
そしていま、創価の中はそこかしこに「組織外組織」が出来上がり
創価本部のガバナンスが末端まで行き届かない状況になっている。
公明党にNOを突き付ける会員
元職員3人組を支援する会員
現執行部を批判する会員
そうした会員さん達の行動を何もできずに見ていることしか
いまの創価の執行部にはできないのである。
日本国内ですらこの有様なのだから
SGI組織に関しても推して知るべしだろう。
組織としてはいよいよレームダックに近づいているような気がする。


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毎度この話題で恐縮です

この時期になると、毎度毎度この話題で恐縮です。
そうです。「財務」の話題であります。
「毎回毎回同じことばかり書くなよ~」という声も
ええ、十分わかっていますが
それでも、ついつい又は嫌々
或いは渋々振り込んでしまう学会員さんのためにも
毎年「注意喚起」をしないといけませんのでご容赦くださいませ。
創価活動も色々とありますが
なんといっても「財務」というのが一番いけません。
お金の無駄もさることながら、謗法の創価及び本部職員への布施は
百害あって一利なしです。

◆同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる(減劫御書)
◆問うて曰く如何が対治す可き、(中略)此の文の如んば施を留めて対治す可しと見えたり(災難対治抄)

等の大聖人のお言葉に従えば、謗法創価へ金銭を施すことは
即ちご本仏のお心に違える行為以外のなにもでもありません。

「寄付」でもなければ、「会費」でもない。
ましてや「供養」でもない
この「財務」と呼ばれる集金システムの実態は
いうならばテロリストに支援をしているような行為です。
ええ、もちろん「創価」が大好きで「創価」の為にお金を出したい。
という「テロ支援」の皆様におかれては
止めようがないので仕方がありません。
そのような人たちが「財務」とやらをするのは自由です。
そのような人たちが「財務で功徳が出た」と思うのも自由です。
が、「財務で功徳が出る」と言って
会員さんを騙すのは犯罪行為です。
「財務した以上にお金が戻ってくるんだよ」って
これは「投資詐欺」の手口ですね。
「元本以上に配当が付く」
そんなうまい話はありません。
もし本当ならば私も是非させていただきたいが
「詐欺」であることを知っているし、
何より悪業を積むのがいやなので致しません。

「功徳が出る」?
一体だれが「功徳」を出してくれんですか?
原田君達本部職員の皆さんですか?
創価仏などという想像上の架空の仏様でしょうか?
それとも末法の荒凡夫の大作センセですか?
まさかとは思うけど「御本尊」とか言わないでくださいよ。
大聖人の色心二法たる大御本尊を捨てた謗法創価に
ご本尊様の功徳なんてないことは明らかでしょう。
「本門の本尊」を受持しない人に功徳が出る。
そんな大聖人の文証があるならば是非教えてくださいな。
そんな文理の欠片もないのに「功徳ある」といって
他人様にお金を払わせるのは
怪しい壺を売っているのと何も変わらない。
まだ怪しい壺の方が罪が軽いっていうのものです。
ゆる活の皆さんや新入会の皆さん。
騙されないでくださいよ。
特に今悩みごとのある会員さんは注意してください。
騙す方はそのような心の弱みに付け込んできます。
それでも「功徳がある」と相手が言い張ったら
「1年以内にこれこれこのような功徳が出ないければ全額返金します」と
一筆書いていただきましょう。

功徳の出る出ないは金額の多寡でありません。
何に供養するかです。

◆ひへのはんを辟支仏に供養せし人は宝明如来となりつちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり、設 いこうをいたせどもまことならぬ事を供養すれば大悪とはなれども善とならず、設い心をろかにすこしきの物な れどもまことの人に供養すればこう大なり、何に況や心ざしありて、まことの法を供養せん人人をや(衆生身心御書 )

真(正しい)人と正しい法に供養しなければ大悪になります。
正しい人・正しい法とは人法一箇の大御本尊のことです。
大御本尊に信をとれば、一回の題目でも十分なご供養となります。
みかん1個でも、飴玉ひとつでも功徳がでるのです。

どうしても「財務」をしなけれなならない状況の会員さんは
1円でも少なくしてください。
そして大御本尊に「創価経由でご供養しました」と報告してください。
それを着服するのは創価の罪であって
あなたの罪ではありません。

▼過去の財務絡みの記事はこちら▼

http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-date-201512-12.html

http://sokadamedasi.blog27.fc2.com/blog-date-201611-3.html


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Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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