創価ファシスト

ブログ村の創価カテからこのブログを追放しようとする記事が書かれている。
とある人から連絡をもらった。
基本俺は創価系ブログをあまり読まないので
「ああ、そうなんですか」と感じなんだけど
創価脳活動家さん達がいよいよ本性を現したね。
普段はブログで、自由・平等だの
世界平和だの人間主義だの
お前が言うか?というような
綺麗事を書いちゃいるが
創価脳の本性とは「こんなもの」である。
こんなのはただのファシストである。

俺は当時は休筆中でよく知らないが
何年か前にも学会員さんの某ブログを
同じような形で、ブログ閉鎖・創価カテから撤退させたらしいと
昔誰かがコメントで教えてくれたことがある。
今回はその二番煎じで、標的はこのブログなのか?
俺ってイジメられているのか?(笑)
それは知らなかったぜぃ(笑)

しかしまぁくだらないというか暇人というか。
ブログ村で誰がどこのカテにエントリーしようと自由だろ。
(最近では強制移動させられちゃったブログも多々あるが)
そもそも、ブログ村は創価学会で運用しているサイトでもないし
自分たちも参加者の一人に過ぎないのに
他人のブログに「でていけ!」って。
バ○なのか?それとも発狂したのか?
なんでもかんでも自分の思い通りりじゃないと気がすまない困ったちゃん達ですね。
そんなに「イヤ」ならば
自分がブログ村の創価カテにエントリーしなきゃよろしい。
ある意味こういうサイトはパブリックなところなのだから
他人に出て行け。と言える場所じゃない。
なにをトンチンカンなことを言っているのやら・・
いずれにしても程度の低い人達だなぁって思う。

自分と自分の仲間さえよければそれでいいという創価民族主義。
自分達の反対勢力を排除しようとする排他性。
創価の組織第一主義の集団主義。
大作センセという指導者原理主義。
現在の創価は、宗教団体とは名ばかりで
その実は、大作ファシズム教団であると思われる。
そしてその大作ファシズムの体現者が
いわゆるバリ活または創価脳と呼ばれる
創価ファシスト達である。
その存在はおよそ仏法の対極に位置すると言っても過言ではない。

創価学会ってどんなとこ?
大作ファシズムを浸透させ、創価ファシストを育成する。
そんなとこ。である。
創価学会に入会するとどうなるの?
創価カテに多く見られるような
創価ファシストさんのようになる。
世間からスポイルされること請け合いである。

大衆迎合し仏法を歪曲・矮小化し
甘い言葉で巧みに貴方に近づいてきて
貴方を創価の組織に引き入れようとする創価ファシストたち。
その本性は自分達の都合の悪い人や団体などを
徹底的に排除する。という
愚かで浅ましい人間性の持ち主なんだよ。
中にはファシストではない常識的な学会員さんもいるが
そう言う人は貴方を創価に勧誘したりしない。
なぜならそのような会員さんは
内心では創価の組織に嫌気がさしているからね。
どうやら創価の人間革命ってのは、
正しい方向に変わるのでなく
悪い方向に変わることなんだなって思うね。
そいえばファシストって「革命」好きだもんな。

とはいえ、創価ファシストさんたちは
能力のある方々はさほど見受けられないので
なかなか創価ファシズム運動も
広がらないっていうのが現状ではあるが・・

そういえば大作センセは「悪は群れる」と指導していたが
まさに現状のブログ村創価ファシスト達はそのまんまで少し笑える。
まぁいくら集まったところで所詮は邪教徒の集まり
大聖人仏法の正義を覆すことなどできないのは既に明白である。

◆日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、
悪は多けれども一善にかつ事なし(高橋入道殿御返事)

また、このブログから敗走していった方々が
負け犬遠吠えをいくら吠えようとも
大聖人仏法を覆すことなどないし
何度、ここにやって来ようと最初から勝負は見えている。
創価ファシストなどに万が一にも勝ち目はない。

◆既に日蓮かちぬべき心地す(四条金吾釈迦仏供養事)

とはいえ、冒頭に書いたように
俺は創価ファシストさん達のブログはほとんど読まない。
興味がわいたタイトルの記事は読むがそれ以外は読まない。
(そういう記事が少ないのでほとんど読まないのだけど)
なので、文句がある時はここに来て直接言ってもらえないかね?
あ!それは無理か。
それが出来れば最初からそうしているもんな(笑)
じゃぁしょうがないね(笑)
ご自分のブログで反対勢力のネガティブキャンペーンをお続けくださいな。
俺はここで、貴方たち創価ファシストの
邪義・己義の数々を、粛々と破折しますので。

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創価脳になると読解力なくなるのか?

eco◆Smw69 さんが、ウォッチブログのあべひ君が
前回の「墓苑」についてのブログ記事に反論していることを教えてくれた。
あべひ君というと以前会館で葬儀ができないのは
「建築確認」が原因だ。
というシロート同然の反論で大いに笑わせくれた方だが
今回もまた、シロートの意見を堂々とブログに書いて
その無知・・いや無恥を余すとことなく披露してくれている。
前回の反論の時も、わざわざ
「俺はそういう仕事をしている」と教えてあげたのにね(笑)
では最初にあべひ君のシロート考えを軽くイジってみる。
(以下▼があべひ君の発言)

▼まず、墓地は分譲マンションのように「買う」ものではない。墓地を経営する公益団体(たとえば寺とか)から、ユーザーが一定の利用条件に応じて「借りる」という趣旨のものがほとんどである。

そんな事は常識である。あべひ君のドシロートなところは、
「買う」=「所有権」を得ること。だと思っているところである。
「買う」というの「権利を得る」ことであり「所有権」に限らない。
それに墓「地」は賃借であるが、
墓「石」は動産であるから所有権である。
墓石のリースなんて聞いたこともない。
このような場合借地権の不動産においては
「売買契約」を締結するのが常識。
つまり売買とは所有権に限定されない。のである。

もっと単純に言えば、通常墓を取得するとき
ほとんどの人が「お墓を買った」という。
「お墓を借りた」などと言っている人を聞いたことがない。
当の学会員さんも「お墓を買った」と言っている。
つまり一般常識として墓は「買うもの」として認知されているのだ。
あべひ君やあべひ君の周りの人だってそうだろう?
「墓を借りた」なんて言わないし聞かないだろ?(笑)
見識の前に常識を知るべきだよ。あべひ君。

▼ユーザーが一定の利用条件に応じて「借りる」という趣旨のものがほとんどである。したがって相続の対象となる「財産」にはならない。

「墓地」も相続の対象になる。相続税の対象とならないだけである。
また、墓石は所有権であるが、これも相続税の対象財産にならない。
さらに土地も所有権の墓地もあるが、これまた相続税財産の対象外。
つまり「お墓」というのはどんな権利状態であっても相続税の対象外の財産なのである。
なぜなら、墓地や仏具は「祭祀財産」だからであって
あべひ君の言うような「借りている」からという理由ではない。
賃借権の不動産は「借りて」いても相続税の対象になるのだよ。

▼消費者契約法における「過量」にあたるので契約をとりけし 払ったお金をかえしてもらお

墓苑の契約も消費者契約法の範疇である。

▼たとえば月極駐車場を借りているのとよく似ている。

この辺りがいかにもトーシローの発言で、
月極駐車場というのは短期借地である。
墓苑の場合短期借地ということはあり得ないので月極駐車場とは全く違う。
むしろ、一般の借地(または期間が決まっていれば定期借地)と同じである。
また、月極駐車場などの賃貸契約の場合
通常は賃貸料として毎月支払う契約である。
対し墓地は初めに一括して賃借する対価を支払う。
こうした場合は「賃貸契約」ではなく「売買契約」を結ぶのが一般的だ。
例えば借地の上に自分で住宅を建てた場合は
底地も含めて「売買契約」を締結する。
土地が「賃貸契約」で建物が「売買契約」なんていうのは
30年以上この商売をしている俺でも見たことがない。
なので「墓苑」というのは「権利」を購入する行為であり
「借りているだけ」などというのは
「何も知らない」つまり「無知」な人間の発言なのである。

個人的にはこうした長期にわたり権利を保有する墓地については
賃借権や地役権・使用権などの登記をするべきだと思うが
国も相続税という税金がとれなから登記の必要なしと定めたのだろうと思う。
未登記という事は第三者に対抗できないから本来は登記すべきと思っている。

あべひ君。墓苑の契約が月極駐車場を借りるのと似てる?だって
いま説明してあげたように
全然似ても似つかないのモノなのだよ(大笑)
あべひ君の見識と知識とやらは、
ドシロート丸出しの浅はかな(墓だけに)もので
プロから見れば大笑いのモノばかりなのである。
何も知らないのに「知ったかぶり」すると恥かくよ。

さて、ひとしきり笑ってところで本題に入る。
このほかあべひ君は、
▼墓地を借りて墓石を設置することに対し一家族一基が妥当だという法律も判例もない。
などと書いているが、本当に呆れるくらい文章の読解力がない。
これは彼だけに限らず、ここにコメントを入れてきた
ほとんどすべてのカツドウカに共通する。
前回の俺のブログ記事において、
俺が「買うというのはどういうことか?」とか
「借りると買うの違い」とかを問題にしたか?
また「墓石設置の数量について創価が法律違反をしている」
と趣旨のことを書いたか?
もう一度読んで欲しいが、そんな趣旨の記事ではない。
おそらく1000人が読んでもあべひ君のような解釈するのはあべひ君だけだと思う
(創価脳が1000人読むともっと多いかもしれないが)

前回の会館の記事もそうだが、
一人の人間がいくつも墓を買うのが違法かどうかでなく
一般常識で考えればおかしいだろ?って書いたのである。
また、「仏法の本義」にない仏事は不要といって僧侶を排除しているのに
「仏法の本義」にはない「墓」などを何で取り扱っているんだ?
と問いかけているのである。
そんなに小難しい文章もかいていなし
抽象的な表現も使っていない。
誤読しようがない記事だと思う。
事実。あべひ君以外の読者の皆様は誤読していない。
あの記事を誤読するとなると
著しくに文章の読解能力が欠如しているとしか思えない。
そうでなければ、わざと話をすり替えているか。のどちらかである。
もっともわざと話をすり替えられる能力がある人間であれば
もう少し上手にすり替えるだろうから
やはり読解力がない。という事だろう。
それが「創価脳」の特徴なんだろうね。
まぁ、「本尊義」を聞いているのに答えないような
「日本語」が読めないカツドウカよりは「日本語」が分かるだけましだが
「文章」になると分からなくなってしまうところが惜しいね(笑)
「創価脳」になると読解力がなくなるのは何故なのかなぁ。
変な小説を毎日読んでるからなのか?
だから、語彙力も要約力も思考力も低下するのか?
知ってる言葉は「日顕宗」
要約するのは「日々の勤行」
思考はハナから停止中。
それじゃ文章を理解することは難しいよね。
やはり、あの変な小説がダメなのではないかね?

さて再びあべひ君。
僧侶はいらないが墓は売る。
墓はうるけど塔婆はいらない。
そもそも墓と塔婆は仏法の本義から言えば同じなのに。
何故塔婆は不要で墓苑は必要なのか?
そのような趣旨が前回ブログの内容だ。
ここまで書けばキミでも理解できるだろう。

そこでだ。あべひ君。
「仏法の本義」に照らして塔婆は不要だけど墓苑は必要。
「仏法の本義」に照らして遠方の墓苑をいくつ買ってもいい。
とうような反論記事を書いて見給え。期待しているぞ。
あくまでも「仏法の本義」に照らして書いてくれたまえよ。
そうそう大聖人の文証を引用するのも忘れないでくれよ。
なんなら釈迦の経典や天台・妙楽などの論でもOKだ。
まぁ、無理に書かなくてもよいけどな。
なにせキミのブログで大聖人仏法の話が書かれているのは見たことないから
おそらく「仏法の本義」なんていわれても
どうせまた俺を「笑わせにくる」記事になる事と予想できるし。
まぁ、キミの無知&無恥丸出しのブログも
「お笑い」としては俺も高く評価している。
でも、他人のブログを論評するブログを続けるならば
もう少し読解力を鍛えた方がいいと思うぞ。
そうだな。夏休みは読書感想文でも書いてみたらどうだろうか?
他人のブログを読んでる暇があったら
良書を読んだ方がいいと思うよ。
大作センセもそういってるじゃないか。

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創価本尊の体を言えない活動家に代わって

先日ここにコメントをくれた学会員。
とうとう「本門の本尊」の説明もないまま
相変わらず極悪と戦っているみたいだが
それにしても過去にコメントをしてきた
自称創価活動家さん達は
「本門の本尊」が何なのか?について
誰ひとり回答不能とは情けないではないか(笑)
しかも、その対応ぶりもほぼ一緒で
こちらの質問にはまったく答えないくせに
質問返しをしてきて、こちらに「答えろ」と迫ってきたり
質問と関係ない話を始めるという論点すりかえしてみたり
教学蔑視の発言や更には現証論と
どんだけ「本尊」の事を質問されるのがイヤなんだよ。
もしかして「これってニセ本尊なのかなぁ」って
自分の創価本尊のことを疑ってるんでじゃないの?
いや、絶対そうでしょう(笑)
じゃなきゃここまで遁走を繰り返さないっての。
たま~に、自分自身の中に本尊がある。
なんていう相変わらずの創価教学丸出しの回答をしてくる人もいるが
前回記事に書いたように、「総別」も「理事」も分かっていない
五老僧バリのそんな回答してくるんのだから
オジさん疲れちゃうよ(笑)
自分自身が「本門の本尊」であるならば
創価の本尊なんて必要ないじゃない。
仏壇に鏡でも置いて、自分の間抜け面に向かって
題目でもあげてれば済む話じゃないの?違うの?

こんなのばかりで彼、彼女等は
本当に創価学会員なのか疑わしくすら思えてくる。
昔の幹部活動家は、「本尊」の話だけで
余裕で2時間は話ができたぞ。
俺も「観心本尊抄」の題号だけで1時間講義したこともあったよ。
それがな~んも答えない。
こういうのザマを「アホウのバラモン」っていうんだろうね(笑)

創価の本尊が「本門の本尊」であるというならば
「本門の本尊」とは何か?
そしてどうして創価の本尊が「本門の本尊」であるのか?
普通はそれくらい説明できて当然じゃないのか。
こんなことは教学力が「ある」とか「ない」とかの話じゃない。
自分たちが毎日拝んでいる「本尊」の話だ。
自分たちが拝んでいる本尊すら説明できないのに
一体どうやって他宗を破折するのか。
一体どうやって部員さん達に指導をするのか。
一体どうやって未入会の人を折伏するのか。
「本尊」を説明できなければ
それらは全て不可能である。
本尊の説明もおぼつかなくて
どうやって「本尊流布」するんだよ。
ひょっとして「本尊流布」なんてしたことないヤツばかりなのか?
それとも「騙されたと思って・・」とかいうパターン?
いやいやあなた達見てれば「騙される」って思うさ。
「いや無理」って大抵の人はそう思う。
事実「騙して」いるのだからその手は桑名のなんとか。だよ。

商品に関する説明一切なし。
または事実と違う説明して売りつける。
世間ではそれを、詐欺とか押し売りとかいうんだよ。
「本尊」を説明できない。ということはそういう事だ。
で、代わりに言っていることは
正宗には、「日顕宗」というネガティブキャンペーンを展開して極悪と言うだけ。
部員さんには「活動すれば功徳出る」「財務には功徳がある」なんて指導して
折伏の時は創価学会は世界に広まっているし有名人もやっているから正しい信仰だよ。
なんて下世話な事いっちゃたり
これのどこが破邪顕正なのさ。
単なる創価大作狂の与太話じゃね~か。

そもそもさ、こんな与太バナのどこが「大聖人仏法」なんだよ。
全く大聖人仏法の話なんてしてないだろ。これじゃ。
ただの創価の内輪の話だろ。
創価の内輪の話をするのは
大聖人仏法の広宣流布とは言わない。
弘教や指導の時は「大御本尊」の仏力・信力を語り
破折の時は他宗の誤った本尊義・本尊観を破すのが
大聖人仏法を広宣流布するという事である。
それをだ。
「本門の本尊」の説明もできない
「自分が拝んでいる本尊」も説明できない人間が
「私は広宣流布してます。悪と戦ってます。」
なんて言っちゃってるわけだ。
一体どこまで恥ずかしい人たちなんだろう。
聞いているこっちが思わず赤面してしまう(笑)
本当に「くだらない」の一言に尽きる。

「本尊」を語れないということは
「題目」も「戒壇」も語れないということ。
つまり「三大秘法」を語れないのであり
「大聖人」も語れないという事だ。
これって前述したが、教学の問題ではないのである。
「信心」の問題なのである。
つまり、ここで俺からの本尊に対する質問から
遁走していった学会員は
教学以前に信心がない。のである。
法華講員さんから「ニセ本尊」といわれも
信心のない創価活動家は文理で反論することもできず
ヒステリックに「日顕宗、日顕宗」と騒ぎ立てるだけ。
全く惨めであり、こんな創価活動家の姿を見ると涙すらこぼれそうになる。

「自分の拝んでいる本尊の体」すら答えられない
無信心の活動家諸氏に
今日はおれが特別に教えてあげよう。
大御本尊を捨てた君たちが毎日拝んでいる
その「本尊の体」とは
「ただの紙切れ」だ。
「コピー用紙」の方がいいか?
どっちにても「あってもなくてもどっちでもいい」代物である。
いやむしろない方がいい

そして「ただの紙切れ」に「南無妙法蓮華経」とつぶやいても
「何も起こらない」
いや謗法だから最後は無間地獄だな。
それが、君たちが3000円?も出して創価から購入した
創価が「本尊」と呼んでいる代物の体である。
「大御本尊」と等しく「本門の本尊」?
バカも休み休み言って欲しいもである。

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いつまで、「外護・外護」啼いてるつもり?

前回記事の続きを書く。
「大作センセ。創価学会は赤誠の思いで宗門を外護してきたのに
その大作センセ・創価を破門した宗門は悪だ。」
なんてほざいている創価大作狂の皆さんは、
外護の精神というのを全く理解できず
金を出せば口も出せるスポンサーにでもなったつもりでいるのだから
よくぞこれで自分たちを仏法者です。などと恥ずかしげもなく言えるものだと
開いた口がふさがらない。
大前提で言えば破門前は、日蓮正宗に入信して創価学会に入会するわけだ。
つまり学会員である前に法華講員である。
法華講員である以上宗門を外護するのは当然の事だろう。
また、戸田2代会長が創価を設立した目的の一つとして
「本山を外護するため」と言う理由がある。
つまり学会が宗門を外護するのは学会の存在理由でもある。
なので「宗門を外護」するのは、創価としての義務だ。
それがイヤならば宗教法人をやめればいいわけだ。
それを大作センセは何を思い違いしたのが
「こんなに宗門を守ってきた」などと言い出し
それを受けた大作狂達も「そうだ。そうだ。」という。
そして「外護」すべき正宗を破門前から誹謗した。
本来ならばその時点で、創価の宗教法人としての資格は
剥奪されても文句の言えない立場なのに。

そもそも「外護」や「供養」というのは
「してやった」というモノではなく
「させていただいた」というモノだろう。
何故かと言えば、外護とは「守ってあげている」のではない
外護の力により我々が「守られている」のである。
それが仏法の法理だ。
大作狂の皆さんだってそうだろう。
「学会活動をしてやっている」とか
「財務をしてやっている」と言うか?いわないよな。
そんなこと言ったら「無信心」と思うだろ?
それを創価大作狂の皆さんは口にしているのだよ。
それを「無信心」といわずになんと呼ぶ?

そもそもさ、外護の目的とは

◆涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」(曾谷入道殿許御書)

とあるように「仏法久住」だ。
そして仏法久住の為に守るべき根本は「大御本尊」だ。
「大御本尊」(大聖人)なくて「仏法久住」はない。
もちろん「大御本尊」がなければ法主も僧侶もないのである。
そしてご僧侶もまた「法門」を守っている。
それが内護である。
内護と外護の両方あって「仏法久住」が可能なのである。
外護しているだけ。で仏法久住・広宣流布が出来ると思ったら大間違いだ。

そして、俺たち凡夫がご本仏を守っているのではない。ということ。
ご本仏が俺たち凡夫を守ってくださっているのである。
俺たちが「外護」するのは、
正宗の僧侶の為ではなく、自分自身の為なんだよ。
それを「外護してやった」とはなんという言い草だ。
そんな無信心な大作センセや創価に「外護」されても
ご本仏は嬉しくもなんともないだろう。

創価大作狂の皆さんでも、名越の大尼や波木井実長といった名前くらい知っているだろう。
この二人も大聖人・日興上人を外護した。
しかしどちらも退転。すなわちご本仏を捨てた。
大尼はその後大聖人に御本尊下付を願い出たが大聖人はご本尊を下付しなかった。

◆いかにも・ふびんには思いまいらせ候へども骨に肉をば・かへぬ事にて候へば法華経に相違せさせ給い候はん事を叶うまじき由いつまでも申し候べく候(新尼御前御返事)

波木井実長に関しては説明もいらないだろう。
日興上人を身延驪山へと追いやった張本人だ。
これを見てどう思う?
「外護」した、名越の大尼や波木井実長が正しくて
大聖人や日興上人は「外護」してもらったのに
それを裏切った恩知らずの極悪人といもいうのか?
いかに、過去に「外護」しようと
いまご本仏を捨て去るのであれば、それは謗法であり
過去の「外護」の功徳など消え失せるのである。
大作センセや創価が、宗門から本尊下付してもらえなくなったのも
大御本尊にお目通りできなくなったのも
別に宗門が「大御本尊」を人質にとったのでなく
大作センセの謗法が原因なのである。
ましてや、いまや完全に大御本尊を捨て去った創価大作教が
何をいまさら「外護してきた」などと
自慢気にほざいているのか。
もはや大作センセや創価がしてきた外護の功徳なんてないのである。
前述したが「外護」とはご本仏から守られることだ。
創価が「過去の外護」で守られるならば
名越の大尼や波木井実長も守られたと思うのか?
それにしても、「過去の外護」の栄光を
一体いつまでいい続けつもりだ。
いつまで正宗に恩着せるつもりなんだ?
自分たちは大御本尊に守ってもらった大恩を忘れ
大御本尊を捨てたくせに。
どっちが忘恩の輩かよく考えな。
そんなこといったら、俺も随分と創価を外護したきたぞ。
それを勝手に退会したことにした創価は極悪じゃね~か(笑)

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極悪と戦っているつもりのオメデタイ方々

アンチブログの大半が「創価ブログ村」から強制退去されて
最近の「創価ブログ村」の創価脳ブログは活発ですね。
ここ最近は日蓮正宗関連の記事が目に付きますね。
一通り読んでみたけど、どいつもこいつも相変わらずで
破折にも批判にもなっていない
単なる誹謗中傷の繰り返しで
しかも同一人物が書いているんじゃないか?
と思っちゃうほど皆書いている内容は同じ。
揃いも揃って教学力なし。信心なし。です。
そんな中、「極悪と戦えばなんちゃら」という
新しい創価系ブログを見つけた。
「極悪と戦う」という
いかにも創価大作狂さんのつけそうなブログタイトル。
でも「極悪と戦う」っていうくらいだから
多少は大聖人仏法の法門・法義のことを書いてあるかも?
と思って読んでみたら
見事にその期待は裏切られました(笑)

書いてある内容といえば
聖教や新報などの創価大本営発表を
「まんま」真実だと思って正宗を誹謗しているだけ。
で、日顕上人のことを芸者遊びにうつつを抜かし売春婦とトラブルを起こした
などと、またぞろこうしたデマをたれながしている。
この大作狂さんは、「シアトル」や「芸者写真」などといった
創価の捏造した事件をあたかも真実のように書いているわけで
例の「なんちゃらの森」ブログの大作狂さんとお仲間だ。
(そうそう最近では統合失調症のおじさんも調子こいて正宗誹謗記事を書いてましたね)
「シアトル」「芸者写真」については以前記事に書いたが
これらの「事件」なるものが
創価のでっち上げなのは裁判で判決が出ている。
「シアトルなる事件があった」と創価は言っていけない。
「芸者写真は創価の偽造写真」である。
そのように司法で判断されたにもかかわらず
次から次へ、自分達ででっち上げたデマで
正宗を誹謗するのである。
このデマを流したのは創価自身なのは知ってって書いてるのか?
知ってて書いているならば厚顔無恥。
知らないで書いているなら盲信無知。である
どちらにせよこんな
「人として」卑劣・愚劣極まりない発言を書いておいて
「極悪と戦う云々」とは片腹痛い。
まづは、デマ記事を訂正し謝罪するのが
人間ととして正しい振る舞いではないのか?
極悪と戦う前に自分自身の言動を自省するのが先だろう。
まぁ、それができないのが師匠譲りの大作狂のみなさんだろう。
弟子の姿をみると師匠も知れるというものだ。

さて、そうしたウソつきブログの管理人の記事は
見事なまでに大聖人の法門・法義が書いていない(笑)
引用しているのは大作センセや牧口・戸田両氏の言葉であったり
それこそ宗門側から言わせれば退転僧侶の言葉だったり。
自分達の正義を証明するのに
自分達の会長の指導を引用する。というお粗末さ。
「我田引水」もいいところで
そんなロジックが通用すると思っているところが痛々しい。
一応、悪を攻める系の大聖人の御文を引用して
体裁を整えているつもりなのだろうが
これまた最初から「正宗」や「顕師」を
「極悪」と決め付けてたうえで、破邪の御文を引用しているに過ぎない。
つまり、このブログの管理人は
「正宗・顕師」を極悪という文証は大作センセとかの指導で
「極悪と決めつけた」あとに大聖人の御書をちらっと引用する。
という子供騙しのロジックを使っているわけだ。
「正宗」や「顕師」が大聖人に敵対する極悪である。
という主張には大聖人の文証も理証もない。
逆に創価が正しい。という大聖人の文証も理証もない。
つまり、大聖人仏法を全く基準にしていないわけだ。
あくまでも、基準は大作センセと創価の大本営発表。
こんな与太話をわざわざブログに書いて
それで、極悪と戦っているつもりになっているとは本当にオメデタイ方である。
こんなもん「戦い」なんていわない。
単なる愚痴。単なる誹謗中傷。である。

仮初めにも、自分と創価が大聖人仏法を正しく信仰していると思っているならば
また「日蓮正宗」や「顕師」を極悪と思うならば
でっち上げやデマやウソなど書かずに
正々堂々と、大聖人仏法の法門・法義で勝負しなさいよ。

◆但し法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず(唱法華題目抄)

との御聖訓をなんと心得ているのか?
それができないのなら、「極悪と戦う」なんていう
大口たたくんじゃない。っての。
まぁブログを読む限りでは
法論などできる教学力は持ち合わせていないようだし
ベテランのバリ活でもなさそうである。
ちょっと創価にかぶれちゃって
創価教学が法論で通用すると勘違いしているタイプだな。
「井の中のかわず大海を知らづ」系だろう(笑)
悪いことは言わないから、あまりはしゃがない方がいいよ。
創価教学・創価大作教の教義では
日興門流にカスリ傷の一つも与えられない。
それが大御本尊を捨てた邪教・邪宗の運命だよ。

まぁこの「極悪なんちゃら」ブログの大作狂さんに限らず
創価大作狂さん達はみんなおなじなんだけどね。
「破邪」も「顕正」もできない。
できるのは「ウソ」をくり返し書くだけ。
要は単なる印象操作。
これが「極悪と戦う」ってヤツなのか?(笑)
こんな事で功徳が出るんだ?(笑)
本当に創価村の方たちは
オメデタイ方々である。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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