ついに創価カテから強制送還(笑)

昨晩?かな
ブログ村の「創価学会」カテから
ここ「創価学会批判・告発」カテに
強制送還されました(笑)
いままで「創価カテ」にエントリーしていたブログが
次々と強制送還されていたから
そろそろかなぁ~なんて思っていたのですが
ついに、その日がやってまいりました。
別に「サブカテ」なんてどこでもいいし
特になんとも思わないけど
ブログ村のようなランキングサイトにおいて
ブログの管理人が自由なカテゴリーにエントリーできない。
というのはちょっとどうかとは思うよね。
個人のブログで成り立っているサイトなのに
サイト運営者がカテゴリーのエントリーに干渉するのは
ブログ村の運営姿勢には疑問を感じるよね。
とはいえ、ブログ村のカテゴリーの変更で
何か影響されるわけでもないし
実際、このブログは「創価批判」だし、
かえってこちらのカテの方が思い切りかけるかも?

というわけで、「創価批判」カテの
ブログの管理人の皆様
そして読者の皆様
今後もよろしくお願いします。


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これが最高法規?妄想と暴走の創価会憲

はい。はい。読んでみましたよ~
「創価学会会憲」
しかしまぁ「会憲」とはね。
牡丹さんもいってたけど、「大誓堂」といい
どこまで外道好きなのかなぁ(笑)
キリスト教が目標なのか、それとも憧れなのか知らないけど
どんどん外道色が強くなっていきますな。
でもって「会憲」の内容は別に目新しいこともありませんな。
ここ数年間、色々と変更したきたことを書いてあるだけ。
ここ数年間の邪義・邪見を「会憲」という「最高法規」に定めて
会員さんたちに強制するということでしょうかね。
今後は本尊義を含む創価執行部の決定は「絶対」である。
という会員への恫喝といったところですかね。
創価ファシズム全開ですな。
しかしまぁその内容はお粗末さん極まりない。
邪見というようり、もはや妄想のレベルです。
論評の価値もありませんが
こんな創価の妄想にダマくらされる会員さんがいてはいけないので
一応、笑っておきましょうかね。
全部は面倒なので、前文だけね。
まぁ前文だけで充分「お腹一杯」になって吐きそうだけどね。
(以下▼が会憲前文の内容)

▼釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された

釈尊から始まる仏教ってのは釈迦仏法であって大聖人仏法ではない。今の創価は釈迦仏法を信仰しているらしい。

▼末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し

末法のご本仏という言い方は釈迦仏法を基準とした言い方である。大聖人は久遠元初のご本仏である。
また何度言ってもわからないようだが、「法を具現化」したのが事の一念三千の本尊ではない。

▼未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに

「法」は確立なんてできない。「法体」を示したのである。

とここまでは完全に大聖人仏法から外れた「暴走」で、
ここから先は完全に創価脳の妄想が続く

▼牧口先生は、不思議の縁により大聖人の仏法に帰依され、

「不思議な縁」ってなによ?
牧口(敬称略)は、日蓮正宗の法華講員(大石講)の三谷氏に普通に折伏されただけである。
不思議でも何でもない。

▼第二次世界大戦中、国家神道を奉ずる軍部政府に対して国家諫暁を叫ばれ、その結果、弾圧・投獄され、獄中にて逝去された。

神社神道に反対はしたが、戦争には反対どころか寧ろ肯定的だったのは当時の牧口の発言等から明らかになっている。

▼戸田先生は、牧口先生とともに投獄され、獄中において「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得られた

戸田(敬称略)は、末法の荒凡夫である。ゆえに「悟りに達する」ことなどありえないのである。
戸田が悟達を得たなどということは大聖人仏法どころか釈迦仏法すらも否定する大慢心の言葉である、

▼「法華弘通のはたじるし」として、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」の御本尊を学会本部に御安置され、

その御本尊は、どの御本尊を誰が書写してどこから下付を頂いのか?
そこもちゃんと書けよ。

▼創価思想によって時代と社会をリードして、広宣流布を現実のものとされた

いつ、創価の思想が時代と社会をリードしたのだね?(笑)
いつ、広宣流布を現実のものとしたのだね?(笑)
それって大作センセの脳内妄想の話なのか?

▼池田先生は、仏教史上初めて世界広宣流布の大道を開かれたのである。

大作センセは仏教史上初めて「宗教ビジネス」のあり方を示しただけだろ。

▼牧口先生、戸田先生、池田先生の「三代会長」は、大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現する使命を担って出現された広宣流布の永遠の師匠である

文証は?
大聖人がそんな予言をしましたか?
こういう行為を世間では「詐称」というのだよ。

▼2013年11月5日、池田先生は、「大誓堂」の落慶入仏式を執り行なわれ、「広宣流布の御本尊」を御安置され、

だから、その御本尊はどこのご本尊ですか?
破門されたら「返納」する決まりじゃないの?
だめだよ。勝手に使っちゃ。

▼世界の会員は、国籍や老若男女を問わず、「大誓堂」に集い来り

どこか特別の場所にいくのは仏法の本義じゃないんでしょ?
聖地とかいうのは邪教だったはずではないの?

▼池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された

大作センセは勝手に明示しただけでしょ(笑)
ねぇねぇ「大聖人の仏法」って何?まづはそこを教えてくれないかなぁ。

▼創価学会は、「三代会長」を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、異体同心の信心をもって、池田先生が示された未来と世界にわたる大構想に基づき、世界広宣流布の大願を成就しゆくものである。

これは、これでいいですよ。
創価は勝手に自分達の大妄想大構想に向けて頑張ってくださいな。
だたし、日蓮大聖人の名を騙るなよ。
チミたちは大聖人とは縁もゆかりもないのだから。
それに、この妄想・暴走会憲ってさ
無理に「日蓮大聖人」の記述をしなくても通じるじゃん。
一日も早く、会憲が改憲されて
創価の中から「日蓮大聖人」が消えることを望むよ。
ニセモノは早く消えて欲しいからね。
しかしまぁ、こんな「会憲」を後生大事にありがたがって
「おめでとうございます」とか言い合っちゃう
創価罵詈活さんて・・
「おめでたい」のはアンタだよ。(笑)


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臨終の相について(絵里子さんのコメントの件)

早いもので、もう今日から9月ですね。
我社は8月が決算月なので、
9月というとまた新しい1年の始まり。といった気分です。
先月、絵里子さんから臨終の相(成仏の相)
についてのご質問をいただいていたのですが
回答が遅れてしまって申し訳ない次第です。
今日は、絵里子さんからのご質問の返信を書きます。
といっても、「半眼半口」が「成仏の相」というのが
いつから言われだしたのか?
すみません。知りません。m(__)m
「半眼半口」という言葉は滅多に聞きませんよね?
私がこの言葉を初めて聞いたのは創価で活動を始めてからです。
それまでは「半眼半口」という言葉聞いたことありませんでした。
もちろん御書にも書いてありません。
私が聞いたところによれば
「半眼半口」は多くの仏像の顔に見られる表情だそうです。
確かにそういわれてみると巷で見る
仏像は「半眼半口」で優しい穏やかな顔をしています。
仏と同じような表情なのだから
「成仏の相」と思っても不思議ではありませんが
なんだか「邪宗チック」な気もします(笑)

では、臨終の相について大聖人様はなんと言われているか?

◆臨終の時地獄に堕つる者は黒色となる上其の身重き事千引の石の如し
善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる
又軽き事鵞毛の如し・なる事兜羅緜の如し。(千日尼御前御返事)

との御文が有名です。(他にも同じような内容が書かれている御書もあります)
ここで言われているのは、「重い」「黒い」のは地獄の相で
「軽い」「白い」のが成仏の相という事になります。
とくに「顔の表情」がどうであったか?という事は言われてません。
それを踏まえて私見を言わせていただくならば
私は「臨終の相」と「成・不成」は関係ないと思っています。
全く関係ない。ということではないかもしれませんが
個人的には、ほぼ関係ないだろうと思います。
臨終の相がそれほどまで重要な法門であるのならば
大聖人様の御書にも、数多く書かれているはずだし
正宗の御歴代もそこに言及いてるはず。
でもそういう感じでもないのでそれほど重要事項ではないと思います。
また、日寛上人の「臨終用心抄」には、

◇一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
◇一、法華本門の行者は不善相なれども成仏疑ひ無き事。

とのご指南があります。
謗法の者は「半眼半口」であっても堕地獄であり
大御本尊様を信じる者は、臨終の相が悪くても成仏する。
ということです。
ですから上記の「千日尼御前御返事」の御文の
「黒い・白い」「重い・軽い」というのは、単に表面上の事を言われたのでなく
その時の生命の状態を言われているのだと思います。
「暗く重い気持ち」で臨終を迎えるのか
「明るく軽い気持ち」で臨終を迎えるのか
それが「成・不成」という事なのだと思います。
また、三世の因果からみても
死んだときだけ「半眼半口」だから成仏した。といのも理にかないません。

◆いきてをはしき時は生の仏今は死の仏生死ともに仏なり(上野殿後家尼御返事)

と言われているように、「死んで成仏」するためには
「生きている時に成仏」していることが前提です。
では、「生きている時の成仏」とはどう言事かというと
同じく「臨終用心抄」には、多念の臨終と刹那の臨終というご指南があります。

◇一、多念の臨終、刹那の臨終の事。
愚案二八に云く多念の臨終と云ふは日は今日、時は唯今と
意に懸けて往生坐臥に題目を唱ふるを云ふ也。
次に刹那の臨終と云ふは最期臨終の時也、
是れ最も肝心心也。
臨終の一念は多年の行功を依ると申して不断の意懸けに依る也

多念の臨終とは、いわゆる「臨終正念」ということで
具体的に言うと、日々大御本尊に信を取り勤行・唱題に励むことです。
刹那の臨終(死としての臨終)は、多念の臨終の延長線にあるのです。
大御本尊に信を取り唱題に励むとき
私たちは常に臨終しているのです。
私たちにとって臨終とは成仏の異名です。
逆に大御本尊をすて誹謗中傷する創価の人達は
日々、堕地獄なのです。

◆我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し(顕立正意抄)

心ある学会員さんは一刻も早く
大御本尊への信を取り戻して欲しいですね。

最後になりますが、私は自分の死相には全く興味がありません。
どうせ、自分では見ることができないし
私の死に顔をみて誰が何と言っても聞こえません。
それよりも、死後に自分が見ることのできる景色の方が重要です。
大聖人様は

◆退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、
妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や
法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、
天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、
諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、
我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき(松野殿御返事)

と言われています。
いつか来る刹那の臨終の折には
このような景色をみたいものだと思ってます。
そのためには生涯大御本尊から離れることない
信心を貫きたいと思います。

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四条金吾女房御書(安楽産福子御書)

林檎さんよりご懐妊の報告のコメントをいただきました。
まづは改めて、おめでとうございます。

「妊娠」というと思い出すのは、「不妊治療」
実は結婚して3年目。夫婦で「不妊治療」を受けていました。
不妊治療は、お金もかかるし妻の身体に負担もかかるし
何よりも精神的なプレッシャーがハンパじゃなく・・
そんな中1年間頑張ったのですが、医師の言葉は
「子供は諦めてください」という非情な言葉でした。
そこで嫁は「医学で解決できないなら信心で」と決意し
不妊治療はキッパリとやめ
それから創価の活動に参加するようになりました。
私は内心では「信心で子供ができたら苦労しない」と思いつつも
嫁の手前もあって時々題目を上げていました。
(嫁がうるさいのでしぶしぶでしたが)
それから7ヶ月。なんと嫁が妊娠したのです。
1年間治療してもできなかった子供を自然と授かったのです。
そこから嫁の信心(御本尊)に対する確信が生まれたのです。
それが今の私の息子です。いわば嫁の信心の実証ですね。
ちなみに、その時ご安置していたご本尊は
今の創価が極悪と読んでいる日顕上人書写のご本尊です。
その後二人目も希望していたのですが結局子供は一人だけ。
ちなみに二人目を祈っていたのは今の創価本尊です。

おっといけない。今日はそんな個人的な話ではなく
林檎さんのお祝いでした(笑)
林檎さんにはお祝いの言葉に変えて
「四条金吾女房御書」の話をさせていただきます。
この御書は別名「安楽産福子御書」といって
金吾の最初の子供(月満御前)を日眼女(金吾の妻)が身ごもった時に
大聖人から与えられた御書です。
非常に短いのでぜひ読んでください(1109ページです)
では、少し話をさせていただきます。

◆懐胎のよし承り候い畢んぬ、それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰み出して候能く能く信心あるべく候

日眼女の懐胎を聞いた大聖人は「護符」を授けます。
護符については以前記事にしたので割愛しますが
大聖人が我々に与えてくださった一番の「護符」とは「御本尊」です。
この御書は佐前(発迹顕本直前)のものなので「護符」を下付したのでしょう。
この2年後経王御前(金吾の第二子)には御本尊を下付していますので
大聖人が下付した「護符」とは「御本尊」の代わりであったと思います。
つまりここは、大御本尊様をよくよく信じなさい。ということです。
大御本尊に信を置いた唱題が大切という事です。

◆就中夫婦共に法華の持者なり法華経流布あるべきたねをつぐ所の玉の子出で生れん目出度覚え候ぞ

林檎さんのご主人は、
まだ創価の悪酒に酔っ払っている状態ではありますが
林檎さんの大御本尊への純真な信心を見て
ご本仏が広宣流布のあとをつぐ子となると思い
今回授けてくれた命だと思います。
私の時も信心をしていたのは嫁だけで
当時の私は「不信の者」でしたので
間違いなく林檎さんの信心で授かった命です。

◆色心二法をつぐ人なり争かをそなはり候べき、とくとくこそうまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり

そのような子供ですから必ず安産で生まれてくるでしょう。
と大聖人のお墨付きです。
色心の二法とは別しては大御本尊(大聖人)の色心二法です。
その色心の二法。
つまり大御本尊への信心を継ぐ人
それが、林檎さんの授かった命です。
この薬とは先も書いたように御本尊です。
「この薬」とは法華経の「是好良薬」のことです。
「是好良薬」とは一大秘法の大御本尊です。
大御本尊を信じる林檎さんの安産は
間違いないと大聖人様は言われています。

◆たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん、

ただし、よくよく大御本尊を信じることが大切です。
無限の仏力・法力のある御本尊も、
創価の毒(謗法)を入れてしまっては
効力は少なくなるのです。

そして最後に
◆日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我が子にをとるべき

と言われているように、
林檎さんの生まれ来る子は、
大聖人の子供と同じである。
とご本仏大聖人が言ってくれてます。
なんと心強くそして嬉しいではありませんか。
この御書は日眼女に与えられた御書ですが
同時に、林檎さんにも与えられた御書です。
そう心に思って読んでみてください。
そしてこれからも大御本尊への信を貫き
いつかお子様を大聖人(大御本尊)様に会わせてあげてくださいね。
大聖人もきっとその日を楽しみにされていると思います。

短いですが、お祝いの言葉に代えさせていただきます。
また、無事にご出産されるようにご祈念いたします。
林檎さん、おめでとうございます。

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2年前の体験談

2年前の5月。正確には2015年5月8日に
このブログで「大悪起これば」という記事を書いた。
記事の内容は、俺の身の上に
良くない出来事が起きた。という事を書いた。
当時はそれが何かを具体的に書かず
そしていままでその件について記事を書かなかったが
今回ちょっとした事情があり、唐突ではあるが
2年前の体験談を書かせてもらうことにした。

2年前の3月。俺は癌の告知を受けた。
胃癌と大腸癌のダブル宣告である。
その記事を書いた5月8日は、
胃がんの手術を4月の初めに終え
大腸がんの手術を1週間後に控えていた時である。
2015年5月のこのブログ記事の更新日を見てもらうと分かるが
途中2週間程度ブログ更新がない日がるのだが
そこが手術・入院していた期間だ。

子供のころから病気らしい病気は、
おたふくかぜに水疱瘡・風疹それとインフルエンザくらいの俺にとって
癌の告知。しかも胃も大腸もという
ダブル告知をされても最初は全然ピンとこなかった。
ドラマとかではガン告知されて、ガ~ン・・みたいなシーンを見るが
いざ自分がその場になると、至って冷静というかまるで他人事みたいだった。
ところが日が経つにつれどんどん不安になってくる。
「もう長く生きられないのか?」
「家族や会社はどうなってしまうのか?」
「今度の手術は成功するのか?」
「全麻なので目が覚めなかったらどうしよう」
などなど色々なことが頭に浮かぶわけだ。
嫁の顔を見れば悲しくなり
母の顔見れば悲しくなり
息子の顔を見れば悲しくなり
もう泣き叫びたい毎日。
生まれて初めて「死」というモノをリアルに身近に感じた。
その時の恐怖というか不安というかは言葉では表現できない。
何事もない時は、「生命は永遠」とか
「生と死は一体不二」なんて言ったり学んだりしているものの
いざ自分がそうした場面に出くわすと、
情けない話だかそんなものぶっ飛んでしまう。
まだ死にたくない。まだ死ねない。と。

毎日、御本尊に色々と想いをぶちまけながらの唱題。
「何でこんな目に合わないきゃいけないのですか?」と文句言ったり
「まだ死にたくありません。どうか助けてください」と懇願したり
他人の幸福を祈る。なんてのは平常時の話で
こんな時に世界平和もへったくれもない。
とにかく御本尊にすがる思いで唱題した。
この当時、どこから俺の病気の件を嗅ぎつけたのか
俺を敵視する創価活動家は口々に
「学会に敵対したから罰が出た。ざまぁみろ」と言いあっていたそうだ。
(のちには「俺死亡説」も流布された)
俺もどうして病気になってしまったのか御本尊に聞いてみた。
いろいろ考えたが、「創価を批判したから罰が出た」
これだけは「ない」と確信していた。
大御本尊を捨てた創価を批判して罰がでるなら
大御本尊を捨てた方が功徳がでる。ことになってしまう。
もしそうならば大聖人様は本仏どころか大魔王になる。
それだけはどう考えても「ありえない」のである。
だとすると、この病気はむしろ創価(悪)を
責めた功徳でなんだと思えてならなかった。
それ以外に今(当時)俺がガンになる理由など考えられなかった。

◆各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる、此の度こそまことの御信用はあらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ(兄弟抄)

悪を責めることによって過去の謗法が顕れたと。
であるならばここで死ぬことはあり得ない。
ここで俺が死んだら、創価の連中の思う壺だ。
それでは大聖人が邪教の者どもに負けることになる。
そう、これこそ転重軽受なのだと。
もし、創価も批判せず大御本尊を受持せずいたら、
未来にこれ以上の苦しみが待っていただろう。
実際に健康診断を受診したのも自主的ではない。
あの時に健康診断をしていなければいまでも受診していないと思う。
そうならばガンであることを知るのは更に進行が進んでからということになる。

そんな思いで日々唱題していると
いままで何十回も読んだ御書の御文の断片が
不思議と次々と頭に浮かんでくる。
浮かんできた御文を唱題後に御書で確認する。

◆病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり(聖人知三世事)
◆病あれば死ぬべしといふ事不定なり(窪尼御前御返事)
◆若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん(太田入道殿御返事)
◆然りと雖も宿縁の催す所又今生に慈悲の薫ずる所存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に未来の苦を償うも現在に軽瘡出現せるか(太田入道殿御返事)
◆しばらくの苦こそ候ともついにはたのしかるべし(上野殿御返事)

などなど。
「そうか。こういうことなんだ」と思ったら
もうどんな結果でも潔く受け止めようと。
それは「諦めの心」ではなく、「決定の心」と言うべきかな。

◆ただ一えんにおもい切れよからんは不思議わるからんは一定とをもへ(聖人御難事)
◆とにかくに死は一定なり、其の時のなげきはたうじのごとし、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ(上野殿御返事)
◆なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。(兄弟抄)

これらの御文に行き当たり
何があろうとも大御本尊を信じぬく。
決して卑怯で臆病な態度は見せない。
と心を決めることができた。(もちろん時間はかかったが)
最近、教学の事を書いているが
ほんとうに「いざ」という時には
題目と御書の二本立て、で行くべきである。
創価の幹部や大作センセの指導はどんなに素晴らしいもであったとしても
所詮は人師の論から出ないのである。
大御本尊を信じていながら思い寄らぬ病気や不幸に遭遇するのは
それは業病であるのだからご本仏以外に根本的に治せない。
(医療で治らないという意味ではないので誤解しないように)
業病の前で人師の指導はむしろ不要である。
ましてやご本仏を捨てた創価の連中の言葉など百害あって一利なし。だ。

◆譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし(種種御振舞御書)

とにかく、唱題と御書。
俺はそれがこの信心の全てだと思っている。
約2年前。俺はそうして「死」の恐怖と不安を断ち切れた。
2年前に癌を宣告され、

◆病によりて道心はをこり候なり(妙心尼御前御返事)

この御文をようやく身で読むことができたのだ。
(この御文をタイトルにしているブログがあるが完全にタイトル負けしててみっともない)

そしてあれから二年。
お陰様で、まだ生きてそして謗法を責め続けることができている。
いまでも定期的に病院で検査をしているが
今のところ再発・転移は見られない。
まぁまだ最低3年は油断はできないが
前述した通り、どんな結果になってもご本仏に任せると決めているので
不安はない。(とはいえ日々完治をご祈念しているが)
ともかく命ある限り、破邪顕正を叫んでいきたいと思っている。
この時の凄い功徳もあるのだが、それは内緒にしておく。

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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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