事後報告

今日は個人的な話。
実は、前月6月19日に
母の菩提寺であるK寺で、
こっそりと勧誡を受けた。
もう少し早めにブログに書こうと思っていたのだが
先月はコメントをくれた方々への回答記事など書いてて
書きそびれた。
なのでかなりの事後報告になっちゃった。
このK寺は、俺が日蓮正宗に入信・入会したときに
ご受戒を受けた寺院だ。
しぶしぶ入信だったから当時の事はあまり覚えてない。
寺院に行く前に創価の壮年部が
なんだか偉そうに面接したのがちょっと記憶にある。
そっちが頼んだら来てやってんのに態度でけ~なぁ。
そんな風に思っていた。
また、ここの講頭さんも、父親同士が知り合いで
おなじエリアでおなじ業界で商売してるので
30年ほど前からの顔見知りで
まぁ、縁があるといえば縁がある。
今回は、この講頭さんの紹介で、勧誡を受けた。

思えば昨年秋に創価を「いつの間にか退会」
させられていたことを知った時から
これは大聖人のお計らいであるから、
いつかは勧誡を受け、
大御本尊にお目通りしなければ
と思ってはいたが
グズグズとしていて気が付けば
内得信仰もそろそろ半年になろうとしている。
創価で懲りたんだろうね
なんか組織に属するのが、
イヤというか面倒というか
もちろん創価活動家時代ような
法華講のバリ活になる気も毛頭ないし
こんな気持ちでは法華講さんにも悪いし
そう思うと勧誡を受けるのも・・・って気になるんだよね。
でも、かといって勧誡を受けなければ
大御本尊にお目通りすることはできない。
折角、大聖人が俺を創価から離れさせてくれたのは
「創価を離れてお山に会いに来なさい」といことだろうから
いつまでもグズグズとしてるのも
大聖人のお心を踏みにじることになる。
何よりも大御本尊にお目通りしなければ
創価を離れた意味がない。
そこで先月ついに決心して勧誡を受けたというわけだ。
まぁ、バリカツ講員にはなれないが
たまにはお寺に参詣したり
お盆やお彼岸には塔婆をお願いしたり
目立たないように地味~な信徒さんでいようと思っている。
そんなわけで、正式に日蓮正宗信徒として復活。
まぁ、それでも今までとそんなに変わらないと思う。
ここで書くことも多分変わらない。
今まで違うとしたら周囲の反応くらいかなと思っている。
創価活動家からは「日顕宗」と呼ばれ
法華講員さんからは「法華講として恥ずかしくないようにお願いします」と言われるかも?
だから言われる前にこれだけは言っておくよ。
このブログに今後書くことは
「日蓮正宗・法華講員の公式見解ではありません」
あくまでも俺の私的な話なのでご了承くださいな。

というわけで事後報告でした。

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創価教学じゃない御書講義(29年度7月座談会御書・乙御前御消息)

いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさまじ
青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、
同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は「乙御前御消息」
この御書はそんなに長くなく、御消息文で読みやすい
だけど結構といろいろ大聖人仏法のについて書かれていて
日々の生活中でも役にたつ御書なので
ぜひ、全文通しで読むことをおススメします。

さて、座談会で取り上げるのは上記の御文。
いわるゆる「従藍而青」ってヤツです。
「青は藍より出でて藍より青し」ってヤツです。
荀子の言葉を天台が引用したものを大聖人が引用しました。
本来の意味は、弟子が師匠を超えることの例えですが
ここでは、「同じ御本尊でも志(信心)を重ねれば他の人より功徳が出る」
という意味で使われています。
ひとつには、「他人と同じ御本尊」という意味で
もうひとつには、「いままで同じご本尊」という意味で使ったりします。
「他人より功徳ある」とか
「いままで以上の功徳がある」とか
そんな感じですね。

ではここでいう志(信心)とは具体的にはどういうことかというと

◆天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりもなをそむればいよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきはいよいよあをきがごとし(上野殿後家尼御返事)

とあるように、志(信心)とは修行の事を指します。
大乗仏法の修行と言えば、六波羅蜜(または五波羅蜜)なのだけど
大聖人仏法においては「受持」だけです。
(聖教啓蒙とか選挙活動は不要です)

◆未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す(如来滅後五五百歳始観心本尊抄)

とあるように、大御本尊には「六波羅蜜自然在前」といい
最初から六波羅蜜が備わっているので「受持」するだけでいいわけです。

◆法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり(日女御前御返事)
◆五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可し(御義口伝巻下)

とのご教示は、「受持」の一行(一つの修行)に他の修行が備わる。という意味です。
因みにこれを「総体の受持」といい大聖人仏法の修行はこれだけ。
末法の荒凡夫の私には大変喜ばしい限りです。

この総体の受持については、日有上人は「化義抄」で

◇法花経を修するに五の様あり、夫れとは受持、読誦、解説、書写等と云云、広して修するは像法読誦多聞堅固の時節なり、今末法は根機極鈍の故に受持の一行計りなり、此の証人には不軽菩薩の皆当作仏の一行なり、不軽も助行には二十四字を修したまふなり、日蓮聖人は方便寿量の両品を助行に用ひ給ふなり、文を見て両品をよむは読、さてそらに自我偈を誦し今此三界の文を誦し、塔婆などに題目を書写するは受持の分の五種の修行と心得べきなり云云。

とご指南されています。

さて、次に「受持の修業」とは具体的には「何をするのか」というと
日寛上人が、文底秘沈抄で

◇夫れ本門の題目とは即ち是れ妙法五字の修行なり
◇本門の題目には必ず信行を具す、所謂但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うるを本門の題目と名づくるなり
◇信行具足して方に本門の題目と名づくるなり、何んぞ但唱題と云わんや

とご指南されているように、「本門の題目」の唱題行のこと。
「本門の題目」とは「本門の本尊」を信じて題目を唱えること。
「本門の本尊」を信じる。という「信」と
「題目を上げる」という「行」の両方揃って
「本門の題目」になり
「本門の題目」をあげることが
「総体の受持」になるわけです。
「信」がなければ「ただの題目」ということですね。

では、ここで創価の主張を見てみると

▼「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれる

といって、大御本尊を「本門の本尊である」と認めているのに
「受持の対象としない」と主張しているわけである。
つまり「本門の本尊を受持しない」と言ってるわけ
これで大聖人仏法を、信仰し行じている団体だ。というわけですよ。
ね?イカレテませんか?
「すべて等しく本門の本尊」ならば
等しく受持しなければいけません。
大御本尊はもとより、身延の真筆本尊も全部受持しなければ謗法だよね。
「受持しなくていい本門の本尊」なんて存在するのですか?
逆に言えば「受持しなくていい本尊は本門本尊とはいえない」でしょう。
一体御書のどこに「受持しなくていい本門本尊があります」と書いてある?
ないよ。そんな本門の本尊なんて。
「創価のコピー本尊」は受持しなくていいけど
アレは「本門の本尊」じゃないから受持する必要はないというだけの話。
もちろん身延の本尊も、顕正会の本尊も
本門の本尊じゃない。
だから受持しなくていい。
むしろ受持しないほうがいい。というレベルの話だ。

創価の会員さん、いいですか?
「本門の本尊」を受持しないで題目をいくらあげても
それは、ただの題目であって本門題目じゃぁありません。
本門題目ではないのだから「大聖人仏法の修行」でもありません。
大聖人仏法の修行ではないのだから、利生(功徳)も出ません。
「青」は「藍」からでますが
貴方たちは「藍」ではないもので「青」を出そうとしてるわけです。
もしそれで「青くなった」というならば
それはインチキかもしくは魔の通力なんですよ。
まづは、大御本尊への信を取り戻しましょう。
方便自我偈でもいいから五座三座の勤行をできるだけ実践しましょう。
ご観念文は大切ですよ。創価の御祈念文なんて読んではいけません。
ちゃんと本尊供養・三師供養のご観念をすること。
それが最低限の修行であり
最低限の大御本尊への信です。
その信心をすれば、必ず今まで以上の功徳が出ます。
そういうことが書いてあるのが、今月の御文です。

追伸:大作センセのなし得なかった大御本尊にを捨てるという行動に出た
現在の原田クン以下の学会首脳部のみなさんは
謗法という意味では大作センセを超えました。
まさに従藍而青の弟子ですね。
大作センセもさぞやお喜びのことでしょう。

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ブログ村に圧力か?

ここ数日間でブログ村から
アンチ創価系のブログが消えているので不思議に思っていたら
なんと新たに「創価学会・批判・告発」という
サブジャンルが出来ていて
(新設かどうか知らないが俺には新たにと見えた)
いままで「創価学会」カテにあったアンチ系ブログが
そちらのカテに移動している。
覗いてみると「一面だけは読んでやる」など
7ブログが「創価批判」カテに移っていた。
「なんでそっちに移っちゃたんだろう」と思っていると
そちらの某ブログに驚愕の事実が。
なんと、ブログ主さんも知らない間に
ブログ村の村長さんが「勝手に」カテゴリーを変更したらしい。
しかも元の「創価」カテに戻れないようだ。
確かに幸福の科学にも批判カテあるけど
それって運営側が勝手に振り分けていいもんだろうか。
明らかにカテゴリー違いのブログならともかく
そうじゃないんだから本人がどこのカテにエントリーしても自由だし
そもそも「ブログ村」というのは
そういう趣旨のサイトなんじゃないの?
それを強制的に本人の望まないカテゴリーにうつし変えるのは
いくらサイト運営者とはいえ暴挙だと思う。
なんでこんなことするのかぁ?
創価から圧力でもかかったのか?
なんでも創価本部にはネットの監視などをする部門があるとかないとか。
未活さんやゆる活さんがうっかり創価カテに入って
アンチブログに触発されるのを防ごうってことか?
はたまた、創価活動家がアンチにやられっぱなしなのを見てられないのか?
どっちにしても解せないな。
そいえば俺もツッターでこのブログを同期させたアカウントを持っていたが
いつのまにやら理由もわからず「凍結」された。
学会員の数名が「違反通報」したくらいで
アカウントが凍結されることは考えづらいので
組織的なものが蠢いているような気にもなる。
そういえばどこかのブログで「ブログ村」に
アンチのサイトが増えたと文句を書いている人がいたが
いよいよ組織を上げて「言論妨害」に出てきたのか?
なにせ創価には「言論妨害」の過去もあるし
そういう圧力をブログ村の村長さんに仕掛けてきても不思議ではない。
また、何らかの圧力が有ったと思わないと
今回の「ブログ村」の処置は不条理だし不自然な気がする。
ってことはこのブログもいづれ「創価」カテから
「創価批判」カテに勝手に変更されちゃうのかなぁ
まぁ別にアフリエイトでこのブログ書いているわけでもないので
ランキング自体にはそれほど興味はないが
不本意で不条理なことをされるのはイヤだな。
てなわけで「ブログ村」を見ている読者の皆様
このブログが「創価」カテからいなくなったときは
村長さんの一存で「創価批判」カテに移動させられた。と思ってくださいね。
それにしても、こんなやり方してたら
サイトとして衰亡しちゃうんじゃない?

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信心と権力のバーター

都議選は都民Fの圧勝だったね~。
まぁ勝つとは思ったけどここまで勝つとは予想しなかった。
そしてもっと予想外だったのが自民の惨敗。
地方選挙だからとも言ってられないでしょ
国政の影響がモロに出たということは
「安倍1強」にようやく皆がうんざりしてきたということ。
高い支持率にアグラをかきやりすぎたね。
アベノミクスも自画自賛をしているけれど
一体庶民の何割が景気が良くなったと実感しているのか?
少なくても俺は全く実感してないけど。
それにしても23議席とは公明党と同じ議席数じゃん。
今後これ以下にはならないだろうな。
確かに歴史的な大敗なのは間違いないだろう。

公明は全員当選。
創価活動家時代から思っていたんだけど
公明党の選挙って「勝てるところに勝てる人数しか候補を立てない」
のだから基本全員当選が当たり前で
むしろ落選なんてイレギュラーだろう。
まぁ、組織では公明党が勝っても負けても
「大勝利。大勝利。」なんだけど
それは、なんの勝利かと聞けば
「信心の勝利」だそうだ。
要するに極論をいえば選挙の勝敗なんて
一切関係ないってことだ。
まぁ、純粋にそう思って選挙活動をしている
会員さんを非難するつもりはないが
その「清き信心の一票」の
行方が気にならないのかな?と思う。

今回は都民Fと手を組んだ。
(自民にとっては1人区で公明党の支援がなかったのは痛手だろう)
大阪では維新と結託し
国政では自民と二人三脚である。
今の公明党は常に与党という権力の側でいたいのが
露骨なほどミエミエだ。
そのタマとして、創価会員の
「清き信心の一票」は利用されてるわけだ。
つまり「信心」を「権力」と交換しているのでる。
時間と金と友人とバーターした「信心の一票」は
公明党・創価上層部に「権力」とバーターされる。
こんな行為のどこが「立正安国」の精神であり
日蓮大聖人の精神なのだろうか。
権力に信心を売っているのである。
大聖人が最も忌み嫌い破折してきた行為である。
それを実であれ不実であれやっている
創価活動家は大聖人に敵対する仏敵となっているのである。

創価活動家は選挙活動は「広宣流布」だという。
ならば聞きたいが
「事実」として公明党が与党になって「広宣流布」は進んだのか?
世間や一般の人達から創価の活動が理解されるようになったのか?
貴方たちの大好きな大作センセが世間や一般の人達に賛嘆されるようになったのか?
日本の創価学会の世帯数は増えたのか?
日蓮大聖人のことを認知する人は増えたのか?
のんかつ氏風にいえば「信心とは現証」なんだろ?
「選挙が広宣流布」と言うならば
創価の世帯数がこれくらい増えました。という数字を示して欲しいもんだ。
現在公称827万世帯だろ。
俺の記憶が正しければオレの入会した頃と変わっていない
つまりここ四半世紀以上全然増えていない。
この「事実」をもって導かれる結論としては
「公明党を支援しても広宣流布は進まない」
イコール「選挙活動は信心とは無関係」ということである。
創価活動家さんの大好きな「現証」が物語っているでないか(笑)
選挙を信心と思うことは個々の自由だからどうでもいい。
でも素直でピュアな会員さんを
「選挙は信心だよ。選挙は功徳あるよ」なんて騙すのよくない。
ましてや日蓮大聖人と選挙を結びつけるのは謗法以外の何物でもない。
こういう会員さんの信心を権力とバーターする創価学会。
大聖人のご精神の欠片もない謗法団体だ。

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のんかつさんというお笑い創価活動家

わざわざ、コメント用の記事まで用意したのにもかかわらず
俺との法論から遁走したのんかつ氏
まぁ、いままでここに来た創価活動家と変わらなのだが
その、のんかつ氏が先日ひっそりとコメントを入れてきた。
詳しくは「のんかつさん法論を始めましょうか」
のコメント欄を読んでもらいたいが

最初のコメントは

「先ず、管理人さんにお礼とお詫びのコメントを書きます。下に書くことは決して冗談で記したことではありませんので、真面目に読んで頂きたいと思います。」
「管理人さんに色々罵声を挙げた話を書き綴りましたけど、申し訳ありませんでした」
「申し訳ありませんでした。ここで正式に謝ります。」

と謝罪をした後に

「改めて、若し管理人さんが宜しければ、もう一度お話しのテーブルに乗って頂けますでしょうか。」

との要望。
それに対し俺は普通に返信したが、
そしたらそれに対するコメントが

「大聖人の心を頑無視した、そして大聖人の仏法を真剣に行じている真面目な信者にとって、あなたたちの行動は見ていて本当に反吐が出る思いでした。」
「でも、よく考えてみると、ここはある意味とても大事な場所なのかもしれません。ゴミの一時受け入れ場所としてね…。」
「これだけの「糞尿連」が集まり続けていることに、とても納得出来ます。」

こうです。
謝罪から僅か3日も経たないうちに
この罵詈雑言。
「正式な謝罪」をした人間がコレですよ。
ぶっちゃけ「この人は精神分裂症のサイコパス」かな?という感想。
仏法用語で言うと「頭破作七分」
いや「心破作七分」か。
こういうお笑い学会員に出会うたびに
今の創価はつくづく「謗法」であり
不幸な人を作っているなぁって「現実」として思い知らされるよ。

自分から謝り、対話を要請しながら
その3日後にはやっぱり「対話」(法論)はしないと
罵詈雑言を交えて話しているわけです。
「法論」に自信がないなら
正直にそういえば言いのに
やはり「負けたくない」んでしょうね~
なんとかして「本尊義」を含む
大聖人仏法の法門法義の
話にならないようにしてる様子がありありだ。

別に俺は彼のような無教学な方と話することなんてないし
そもそも、法門法義にあれだけ疎いと
大聖人仏法の話なんて無理だと最初から思っているが
なんだかグズグズと言い訳がましいことを書いてるんだよね。
それがまた本人は「仏法とは」とか「信心とは」とか
虚勢張って偉ぶってるんだけど
その内容は、全く仏法といえる代物じゃない噴飯モノの話ばかり。
まぁまぁ、全く反論ができないから
悔しい気持ちはわかるし、
なんとか反論のテイを装っていたい気持ちもわかるけどさ
なんでも書けばいいってもんじゃないんだよね。
こんな嘲笑モノのコメント入れても醜態を晒すだけだろうに。

中でも正宗をやめた元僧侶の本を引き合いに出し
正宗僧侶を誹謗するような内容をあげて
それが「事実」であると主張しているのには笑えた。
なぜ事実かというと元僧侶が書いているから。だそうだ。
相変わらずの彼のお得意の三段論法。
このロジックならば、元創価の人の書いている本
例えば、福島氏・原島氏・山崎氏・乙骨氏らの本も
「事実」である。ということになる。
それが「事実」であれば、創価と池田大作が
信心の欠片もなく会員を騙して金と権力を手に入れている
ということは「全て事実」ということなる。
こういえば、どうせそれらのことは「退転者」のいうことなので
「事実じゃない」「ねつ造だ」なんてこと言うんでしょ?
だったら退転坊主の書いた本も「事実」ではないということだよね。

彼のプロフを読むと、奥様とお子さんがいるいい歳したオトナのようだが
その論旨はとても女房子供がいるとは思えない程
いや、これでよく社会生活が営めるなぁと思うほど
幼稚で身勝手で理論破綻しまくっている。
まぁ、それが創価活動家の生態だよ。
って言ってしまえば身も蓋もないが。

そいいえば、昔地元の本部長と対論した時に
「聖教新聞」とか「創価新報」の記事を提示して
「創価は正しい」と力説してたが、
「聖教や新報は自分たちが作っている新聞だろうが
それが正しいのなら赤旗に書いてあることも正しいのかよ?」
と聞いたら、口ごもっていたっけな。
まぁ、創価系のブログ書いてる連中も同じ。
自分達の作った資料を提示して
「創価は正しい」などとトボけたことを書いているのが多い。
いやいや、そこは御書を引きなさいよ。
なんで聖教新聞が世間様とコンセンサスを得るためのツールだと?
ましてやアンチを破折するのに聖教新聞とか退転僧侶の本が有効とでも?
それが通用するのは創価村だけなんだって。
創価の教義や理論は世間では一切通用しないって
こんなに教えた上げてるのに
まぁ~だ、のんかつ氏のような活動家が存在するとは驚きだ。
まぁ、それにしてものんかつ氏は
いままでこのブログに書き逃げしていった創価の中でも
最強の部類に入る、狂いっぷりなので
世間様に見てもらうにはいいサンプルにはなったかな。
「のんかつさんの主張や言動は正しい。こういう人になりたい」という人は
どうぞ創価に入会して活動家になって頑張ってください。
「こんなのは嫌だ」と思う方は
創価に入会しないことをおすすめします。
また既に創価会員になっちゃった方は
創価を早くやめるか、創価の活動には一切参加しないことをおすすめします。
のんかつ氏のコメントをじっくり読んでお決めください。

最後に創価活動家さんは批判のコメントを入れてくれるのはいいですが
もう少しお勉強をして多少の理論武装してからしてくださいね。
全く「お話にならない」んじゃ
洒落になりませんから。


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プロフィール

ダメ出しブログ管理人

Author:ダメ出しブログ管理人
創価幹部の謀略で本人も知らぬ間に創価組織から追放された元学会員。大聖人仏法史上、最大・最悪の謗法集団の創価学会とその不愉快な仲間たちに挑みます!

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